1.氷室冴子は〈息子〉の夢を体現する

母に捨てられた少女が、母の代理を探し、そして結婚し母になる。繰り返すがそれが本連載の提示する、少女文学つまり〈娘〉の物語の最も基本的な構造である。
〈娘〉というのはつまり、結婚することが自己実現のゴールだと考えられた存在のことだ。シンデレラストーリーというものが王子様に発見してもらうことで階級が上がる物語であるのは、階級を上げる手段が結婚しか存在しない〈娘〉の物語だからだ。
一方で、娘たちは近代以後〈息子〉としての物語も手に入れた。
つまり、結婚して妻になり子どもを産み育てることがゴールとされる〈娘〉としての人生ではなく、社会で家計を自立させ仕事を通して自己実現を達成する〈息子〉としての人生である。社会に開かれ、仕事をする女性が増えるにつれ、〈息子〉の物語を生きようとする少女は増えた。少女たちにも仕事という名の自己実現の夢が生まれた。そしてそれに呼応するかのように〈息子〉の物語もまた少女文学のなかに増えてゆく。
だが、〈息子〉として仕事の夢を追いかけたところで、〈娘〉としての夢――つまり結婚・出産・育児という名のゴールが霧の中に消え去るわけではなかった。少女たちは〈息子〉の夢と〈娘〉の夢、双方に目配せをしなくてはいけなくなった。
少女たちは〈娘〉の物語と〈息子〉の物語の狭間で自らの居場所を探した。
少女小説、という少女漫画に対応する文学のジャンルである氷室冴子という書き手もまた、〈息子〉と〈娘〉の物語の狭間で揺らぐ少女を描いた作家だった。
たとえば氷室の初期作品に、平安末期の古典文学『とりかへばや物語』を少女文学風に翻案した『ざ・ちぇんじ!』(集英社、1983~1985年)がある。平安貴族のもとに生まれた姉は男まさりで、弟は女の子らしく育ち、お互いの性別を交換して生きることになる、というコメディ小説である。概ね原作の設定や展開を踏襲しているのだが、注目すべきは氷室が古典文学の翻案をするにあたってこの作品を選んだことだ。私にはこの「男女入れ替え」というギミックが、氷室の〈娘〉と〈息子〉の狭間の願望を見せているように感じてしまう。
つまり『ざ・ちぇんじ!』の主人公・綺羅君(中身は女)は、平安時代という舞台に反して、男子の装束を好み、蹴鞠や漢学を好む、頭の回転の速いキャラクターである。そして叫ぶ。「結婚して宮中に上がるだけの人生なんて嫌だ」と。そして男のふりをして生きる。それはまさに〈息子〉の人生を望む少女の物語だった。
だが綺羅君は結局、恋をして、姫としての人生に落ち着く。それはもちろん原作通りの展開ではあるのだが、私はここに氷室自身のテーマである〈息子〉と〈娘〉の逡巡を見出したくなる。つまり〈息子〉=男として生きながら、最終的に恋をして〈娘〉に戻った綺羅君の結末。それは氷室のフィールドであるコバルト少女小説という場所の磁場――つまりは〈娘〉としての幸福なゴールを描かなくてはいけないという圧力によるものであり、同時に、氷室自身が〈娘〉としての幸福を否定しきれなかったからではないだろうか。
氷室冴子はエッセイ『ホンの幸せ』(集英社、1995年)のなかで、フェミニズムについて「友情を感じている考え方である」と述べているが、氷室こそが筆一本で食べてゆくという〈息子〉の夢を持ちながら、それでいて、結婚という名の〈娘〉の夢を母から押し付けられてきた少女のひとりだったのである。

2.父に寄り添い、母に認められない「働く娘」

氷室は、母にとって「働く娘」、つまり〈息子〉であった。

車がホテルについて、私がドライバーにチップを渡したのをめざとく見つけた母は、
「おまえも少しくらいお金が稼げるようになったからって、なにをエバったことしてるのさ。一円を粗末にする者は、一円に泣くんだよ。おまえ、そんなにムダ遣いするコじゃなかったのに、人間かわったんじゃないのかい」
悲しそうに頬をゆがめて、ホテルのロビーで説教を始めた。(中略)
なんども、なにかをいおいうとして口を開けかけては閉じ、閉じかけてはまた開けて、ふっと吐息をもらし、
「人間、少しでもお金をもつと、バカなこと、するようになるんだ。昔はよかったねェ。おまえ、昔は、家族で共済組合の旅館にいっても大喜びしてたのに、今はあんなムダ遣いして……。おまえ、小金、手にしたからって、たいせつなこと忘れるんじゃないよ」
 涙ぐみ、傷ついた風情でつぶやくのだった。
(氷室冴子『冴子の母娘草』集英社文庫、p24-25、集英社、初出1987年)

母をハワイ旅行に連れていった時のことを書いたエッセイである。氷室からすれば当然の価値観であっても、母はその文化の違いを分かってくれない。母はいちいちチップを渡したり、バスガイドさんがいなかったり、見渡す限り日本の団体客がいないことに不機嫌になる。そして苛立つだけでなく、「小金を手にした」からムダ遣いする娘の責任に還元する。
氷室はエッセイの中ではこれらの出来事を「そういった、ほんの些細な、しかし積み重ねるとどうにもならない価値観の違いのはて、私たちは帰りの機内で、ひとことも言葉をかわすことなく、悲惨な母娘旅行を終えた」とまとめる。しかし考えてみれば、母娘の行き違いは単なる価値観の差に留まらない。母にとって、娘が人気小説家になり「小金」を手にしたからこそ、無駄遣いをしている、と指摘したわけである。
奇しくも、本書『冴子の母娘草』が刊行されたのは、男女雇用機会均等法が施行された一年後の1987年だった。当時急速に増えていた「働く娘たち」にとって、母は、誰よりも自分の労働を理解してくれない存在だっただろう。
『冴子の母娘草』を読むと、氷室はむしろ父の肩のほうを持っていることが分かる。

「だって、家で電話したら、お父さんが怒るんだよ、サエコ。こういうときでもなきゃ、落ちついて電話もできないんだから」
「そりゃ、怒るよ。あんな(くだらない)電話、エンエンやってりゃ、あのおとなしいお父さんだって……」
「フン。おまえはそうやって、すぐお父さんに味方するんだ。一緒に住んでないから、ジイさんのヤなとこ、なーんにも知らないのさ」
 この場合のジイさんというのは、父のことである。
「どこがヤなとこなのよ」
「いつもいっつも、茶の間にどっかり座りこんで、テレビばっかり見てさ」
「いいじゃん、そんなの。何十年も働いてきて、めでたく退職してさ。毎日、テレビ見て暮らして、どこが悪いのよ」
(『冴子の母娘草』)

働く娘として、父とは仕事という共通言語を持っているがために、むしろ父の肩を持とうとする様が見える。母には「そうやってヒスるから、ダメなんだよ」と述べる場面もあり、全面的に父の肩を持っている。
あるいは、父への不満を述べる母に対して、離婚を薦めるエピソードも綴られる。それもまた、父を糾弾するというよりは、ふたりの間に決定的な不和があるなら仕方ない、というニュアンスで語られるのである。さらにそのエピソードが収められた章のタイトルは「退職した父よ、もはや娘はあなたの味方ではない」。タイトル通りに受け取ると、味方ではなくなったきっかけは「退職」、つまり労働仲間でなくなったことなのだから、余計に父と娘の絆が「労働」を媒介にしていたことが分かる。
ここには確実に世代差が存在する。というのもたとえば第二章で参照した1940年代生まれつまり団塊世代の萩尾望都・山岸凉子の両作品は、どちらかといえば父親もまた娘を抑圧する存在として描かれていた。対して、1950年代~60年代に生まれた氷室冴子や吉本ばななは、父親を自分が味方すべき存在として描いているのである。娘から見た父親は、むしろ仕事という共通項があるがために、「母に迷惑をかけられてかわいそう」な存在に見える。〈息子〉として父の方にシンパシーを抱くからだろう。
さらに、娘である氷室が父の肩をもつ理由のひとつに、「母は父を選んで結婚した」という前提がある。

「ちょっと待った。〇〇さんのご主人は関係ないでしょ。お母さんはお父さんと旅行に行きたい、だけど、お父さんは出不精だ、だからいっしょに旅行もいけない、さびしい、と。そういうことね」
「……そういうことかも、しれないけど……」
「だったら、お母さんがさびしいのはわかるよ。でも、それはお父さんの性格でしょ。今さら文句いうのは筋違いなんじゃないの。そういうお父さんと結婚したの、お母さんなんだから。だれのせいでもないでしょ」
(『冴子の母娘草』)

氷室の父母がどのような経緯で結婚したのかは、述べられていない。しかし少なくとも氷室が「母は父を選んで結婚した」ことを前提としているのは確かだろう。実際、先述した萩尾・山岸世代と氷室・吉本世代の母たちの違いがあるとすれば、恋愛結婚の割合の差異かもしれない。国立社会保障・人口問題研究所の「第15回出生動向基本調査(夫婦調査)」(2015年)によると、1940年には69.1%だった見合い結婚の割合も、1950年には53.1%、1960年には49.8%と5割程に減っている。氷室・吉本両作家が父の肩を持ち、母の夫に対する態度に辛辣であるのは、この「母は父を選んで結婚したのではないのか」という社会情勢から来る前提があったのではないだろうか。
ちなみに『冴子の母娘草』出版の2年前である1985年の同調査では、もはや見合い結婚は17.7%まで急速に減少したことが分かる。そしてその恋愛結婚ブームともいえる情勢の煽りを受けたのが、母による娘の結婚に対する態度であることが、『冴子の母娘草』には詳細に綴られる。
たとえば、母が氷室の結婚を心配し、氷室冴子というペンネームを出してまでテレビで占い師に鑑定してもらった、というエピソードがある。

(つまり、つまりお母さんはぜんぜん、あたしを認めてなかったのね。大学出てからこっち、十年以上のあたしの人生は意味がなかったと。そういうことなのねーっ)
 私は両手で顔を覆って嗚咽しながら、心の中で絶叫したのであった。
 時間と予算のあるときは母を旅行に誘うとか、旅行先でおいしそうなものがあったら宅急便で送るとか、原稿を書き終わったついでに、まだ文章が書きたいときなんかに母への手紙をこまめにワープロで書くとか、真っ昼間に思いついたとき電話して、小一時間くらいおしゃべりするとか、私なりに母に対して、できる限りのことをやってきたつもりなのであった。
 勤め人のOLや、家計のやりくりに大変な主婦なら、なかなか忙しくてできないであろうことを、自由業の気楽さでコマゴマとやることで、結婚してない娘なりに、ちゃんと母親とつき合えるのだと態度で表してきたつもりなのであった。それらすべてが無駄であったと。
 それらはすべて独身女のひとり相撲で、女はなにがなくとも結婚、結婚しなければ価値はないのだ――と、母の二度目の結婚占い相談は高らかに宣言しているのであった。
(『冴子の母娘草』p104-105)

結婚しないと、認めてもらえない。これは「働く娘」である氷室の悲痛な叫びだった。働く娘たちにとって母は自分の労働を理解してくれない存在だったのと同時に、母にとってもまた、自分と同じように結婚しない娘は理解できない存在だったのだろう。妻である母と、労働者である娘の間の軋轢がそこにはたしかにあった。娘である氷室は、そんな母親に認めてもらえない、理解してもらえないことにたしかに傷ついていた。しかし氷室は母娘の闘いというものを、以下のように述懐する。

その闘いは勝つための戦争ではなく、負けないための闘いであり、つまりドローにもちこむための闘いである。
勝ってはいけない戦争、戦禍を最小限にくいとめ、つねに、どんなときでもドローであることを最終目標に闘うのが、母娘戦争のあるべき姿といってよい。
(『冴子の母娘草』p33-34)

氷室は結婚問題から母にとうとう絶縁状を送るエピソードが『冴子の母娘草』に登場する。しかし結局、母が詫び状を書き、絶縁はしないで終わる。
1980年代の働く娘は、母に労働を理解されず、結婚しないことを非難された。それは世代間のギャップの産物だとも言えるだろうが、かといって、非難されたときに母を倒すこともできなかった。氷室は母にとって、いい娘であろうとしたからだ。
氷室冴子のエッセイの自画像には、母にとっていい娘であろうとする姿が見て取れる。親孝行という抑圧、と表現してもよいものだろう。母にとって、いい娘だと認められようとするも、しかしそれは旅行を手配したり仕事を頑張ったりしても達成されない、ただひとつの方法――結婚、つまり父の〈息子〉ではなく母の〈娘〉に戻ることによってしか達成されないのだ。
娘は結婚することで母が間違っていたと示そうとする、と前章で私は書いた。だがしかし、母もまた、娘を結婚させることで自分が正しかったことを示そうとするのだ。自分のようになること――つまり母の〈娘〉であることの証左は、結婚によってのみ達成される。氷室の時代の母、専業主婦、つまり仕事=〈息子〉を退き、他人のケア=〈娘〉としてのゴールに従事した。だとすればやはり自分の〈娘〉としての正しさを示すには、自分の娘に結婚し母になってもらうしかないのだ。

3.『なんて素敵にジャパネスク』における母の退場

氷室冴子作品のひとつに『なんて素敵にジャパネスク』というシリーズが存在する。『冴子の母娘草』から遡って3年前の1984年に刊行開始された、平安時代を舞台とする小説シリーズである。主人公の瑠璃姫は、十六歳になった貴族の娘だが、結婚しないことを父親たちからしきりに心配されるところから物語が始まる。

 そして十六歳になった今日日、ばあややとうさまが入れ替わり立ち替わりやって来て、
「女子の幸せは、よき殿方を通わしてこそです。せっかく降るようにくる文を、どうして見ようともしないんですか」
 なんぞと説教する(中略)。
 そのたびに、あたしは、
「結婚する気はありませんからね。生涯、独身ですごすわよっ」
 と応戦するのだけど、ばあやや女房(侍女)たちは、生涯結婚しないだなんて、からだのどこかに人に言えない欠陥があるのじゃないのかという冷たい目で見るし、とうさまは、年ごろの娘に婿がいないなど恥ずかしくて世間に顔向けできないと泣き真似するし、やりきれない。
 最近では毎日、とうさまと大喧嘩している。
(氷室冴子『なんて素敵にジャパネスク』コバルト文庫、p8-9、集英社、1984年)

瑠璃姫はなぜ結婚したくないのかといえば、小さいころ母が亡くなった後、一年も経たないうちに父が再婚してしまったことが原因だった。「男なんて、ほんっとに薄情なんだわ!」と思った瑠璃姫は、独身主義者になったという。父は遊び癖がいまだにあり、それについては新しい母も嘆いているのだ。そしてなにより、瑠璃姫には初恋の相手がいた。彼の思い出を大切にして、生涯結婚しないと瑠璃姫は決めていた。
この設定について氷室自身は以下のようにあとがきで語る。

 この物語のそもそもは、私自身が母親に結婚しろ、結婚しろと言われて困っていた頃、締め切りが迫っても何もアイディアが出ないときに、せっぱつまって、
「結婚しろといわれて困っている女の子のスカッとする話を書いてみよう」
みたいな火事場の馬鹿力的発想が発端でした。
(『なんて素敵にジャパネスク』p291)

まさに『冴子の母娘草』で語られていたような出来事が起こる最中に生まれた物語だっただろう。氷室自身の体験が投影されたのか、と読者も納得するあとがきではある。
瑠璃姫は結局、高彬という幼馴染と結婚することになる。だが、ひとつ気にかかるのは、なぜ瑠璃姫の母は物語から退場したのか、という点だ。
もちろん普通に考えれば、瑠璃姫の結婚嫌いという設定を引き出すために、父のプレイボーイぶりによる結婚願望の消失、というエピソードを思いついたのかもしれない。しかしだとしたら、たとえば父がいつも外で遊んでいて母を顧みないがために、いつも母が結婚を嘆いている、それゆえに瑠璃姫は独身主義者になった、という設定でもよかったはずである。むしろ氷室の体験を投影するならば、瑠璃姫の結婚を急かす存在として、父より母が前景に出てもよかったはずである。
『なんて素敵にジャパネスク』において、なぜ瑠璃姫の母は退場したのだろう? なぜ瑠璃姫の母は不在であり、そして父の存在感が大きいのだろう。
ここに私は氷室冴子というひとりの作家のパーソナリティを補助線に引こう。『冴子の母娘草』と『なんて素敵にジャパネスク』を合わせて読み解くのだ。するとこう考えられる。『なんて素敵にジャパネスク』という物語において、瑠璃姫の結婚は、恋愛のゴールではなく、「仕事」として捉えられていたのではないか。
というのも瑠璃姫は、高彬との結婚を達成するために、鷹男という謎の雑色に協力して、侍女として忍び込み、スパイをすることになる。あるいは、東宮に狙われたために高彬との結婚が一度飛んでしまう。

「断るに決まってるじゃないの。あたしは高彬と結婚するんだもん」
「断りなどしたら、瑠璃、わが大納言家は時代の帝に疎まれる家として、失脚するしかないのだぞ」
「何の失敗もしてないのに、なんで失脚するのよ」
「高度に政治的な問題なのだ、これは」
(『なんて素敵にジャパネスク』p284-5)

政治に巻き込まれる瑠璃姫の結婚問題。このパターンは、シリーズ中意外と何度も繰り返される。『なんて素敵にジャパネスク』という物語の面白いところでもあるのだが、瑠璃姫の恋愛は、政治(つまり当時の「仕事」だ)の影響を多大に受けることになる。瑠璃姫の初恋の相手である吉野君もまた、2巻において政治の問題に絡んでゆく。
そう、氷室は瑠璃姫の結婚を、恋愛物語としてのみ描こうとしているわけではなく、宮廷の政治に巻き込まれる展開をあえて描いているように見える。もちろん基本的には瑠璃姫たちの恋愛は主題にあるのだが、意外とそこには政治、つまりは仕事の要素が入り込んでいるのだ。
だとすれば瑠璃姫の母が退場した理由も納得できる。
つまり、瑠璃姫と「結婚」の問題を共有するのは、父――つまり働いている親、でなくてはいけなかったのである。
もちろん平安時代当時、労働という概念はない。瑠璃姫の父は貴族である。が、政治にかかわることは、当時にとっては仕事のようなものだっただろう。
瑠璃姫は最終的に結婚することになる。そのハッピーエンドを描くのには、母ではなく、父のすすめによるものでなくてはいけなかった。なぜなら、瑠璃姫の結婚は、〈息子〉の夢でなくてはいけなかったからだ。
氷室冴子は、瑠璃姫の結婚を、〈娘〉のハッピーエンドではなく、〈息子〉のハッピーエンドつまり仕事の自己実現に転換したのである。
『冴子の母娘草』で見たとおり、娘にとって父は労働を共有できる仲間なのである。平安時代という舞台設定ではあれど、その前提があるからこそ、瑠璃姫の結婚をすすめるのは父親だった。
瑠璃姫は結婚する。それが物語のハッピーエンドだ。少女小説のフォーマットにも沿っている。しかしそれをすすめるのは、父でなくてはいけなかった。むしろそのハッピーエンドを描くために、母は早々に退場させられた。なぜなら母がいては、結婚が〈娘〉の夢になってしまうからだ。
考えてみれば、瑠璃姫は、自由に動く。平安時代という設定に不似合いなほど、彼女は抑圧を跳ね除けて、自由に生きるキャラクターである。しかしそれは、瑠璃姫の母が不在だからではないだろうか? 娘にとって、認められなくてはいけない母親がいないからこそ、自由になることができたのだ。
氷室にとって『なんて素敵にジャパネスク』は、母という抑圧のない世界で、自由に動くことのできる娘の物語そのものだった。
ただ、〈娘〉として認められなければいけない存在を退場させるために、瑠璃姫の母は退場した。『なんて素敵にジャパネスク』という物語を、抑圧のない自由な世界――氷室冴子の理想郷にするために。
そうして瑠璃姫は結婚する。〈娘〉ではなく、〈息子〉として。
だから氷室冴子は、おそらく『なんて素敵にジャパネスク』の続きを書けなかった。氷室は、瑠璃姫を母にしたくなかったのではないか。瑠璃姫の物語を〈娘〉の物語にしないために――なんせ瑠璃姫は母を亡くし、結婚したところまでは描いているのだ――氷室は、物語を未完で終わらせているのである。

4.少女小説という名の「お屋敷」

少女たちが〈息子〉として生きるには、母の「〈娘〉として幸せになってほしい」という欲望から逃げなくてはいけない。それは母に認められたい少女からしたら、耐え難い苦痛であっただろう。
近代が少女たちに見せた〈息子〉としての夢は、それまで〈娘〉としてしか生きてこなかった母との軋轢を生んだ。母たちもまた〈息子〉のひとりになる時代まで、世代が交代するのを待たなくてはいけなかった。少なくとも、氷室の世代においてはまだ難しかった。
氷室はエッセイの中で、長年の女友達と「家族ではなく、気が合う人々と暮らしたい」「気が合うという、ただそれだけのつながりの人々と、ひとつ屋根の下で暮らせたら素敵だというのは、そのころからの夢だった」という夢を語る。

離婚が成立するまで子どもを抱えたまま住む場所を転々としていた友人が、六年ごしに代理人をたてての離婚が成立して、ようやく子どもの手をひいて姿をあらわし、いろいろとしゃべりあううちに『ガープの世界』の話になって、
「あの小説は、わたしなの。わたしはああいう子どもの産み方したんだと思う。父親はいらないの」
 と彼女がいったとき、あの小説みたいな誕生の神話があれば、彼女は子どもとふたりだけで、雄々しく生きてゆけるのかもしれないと深く頷きながらも、
「あたしはさ、ガープの母親がベストセラー書いたあと、お屋敷を買うじゃない。そこに、いろんな人が出入りするでしょ。なにも求めず、与えずという感じ。ああいう生活がしたいな。そしたら、あんたも住みなさいよ」
 なんて、うっとりいったりしたのだった。
(「いっぱしの女の“夢の家”」『いっぱしの女』筑摩書房、1992年)

氷室は「まあ、そんなことはたぶん少女趣味なんだろうし、とても現実のことになるとは思えなかった」とこの夢を回想する。
〈母〉の作り上げる、家族ではない繋がりで結び付いた、理想郷。――それはまさに、氷室の描いてきた小説の世界そのものだった。『クララ白書』という、女子高時代にのみ許される女子寮。あるいは、『なんて素敵にジャパネスク』で描かれた、女房たちに囲まれながら暮らす瑠璃姫たち。
瑠璃姫は、母のいない世界で、結婚という仕事を達成し、そして女房という血の繋がらない女友達と一緒に暮らす。自由に、のびのびと、人生を楽しむ。女性同士和気藹々とお喋りをしつつ、たまに恋愛をしつつ。きっとそれは氷室冴子が構築した、「少女趣味」な夢そのものだった。
母のいない世界で、瑠璃姫という少女は縦横無尽に動き始める。それは氷室が、読者の少女たちにそっと贈ったお屋敷だったのではないだろうか。

(続く)

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