アフガニスタンで起きていることについて、いま僕たちが考えるべきこと

──今年(2021年)8月、バイデン政権下で遂行されたアフガニスタンからの米軍の最終撤退の中で起こったタリバンの侵攻によって、アフガニスタンの政権が事実上タリバンに移行しています。これはアフガニスタンの内情的にも非常にシビアな状況が続いていると共に、この四半世紀で培われてきたポスト冷戦の国際秩序を考えなおす上でも、ターニングポイントと言える大きい事件だと思います。残念ながら日本国内においては、大きく報じられることはなかったのですが、この状況は日本に暮らしている僕たちにとっても、これからの国際社会との関わりや安全保障を考える上で、避けては通れない問題を突きつけているように思えます。

 今日はこの問題について考えるために、東京外国語大学の伊勢崎賢治さんをお呼びしました。伊勢崎さんは長い間国連の平和維持活動に参加され、「紛争解決請負人」とも呼ばれていました。国内においても、現場での経験をふまえて、国際的な平和維持のために日本が果たすべき役割、そしてそこから派生した憲法の問題や自衛隊の位置づけ、それらの国際法上の問題など、さまざまな啓蒙活動に携わられてきました。今日は伊勢崎さんに、アフガニスタンで起きていることについて、いま僕たちが何を考えるべきか、論点はどこにあるのかということを考えていきたいと思います。

 まずはじめに、米軍の撤退宣言から2ヶ月ほど経とうとしている今(※2021年10月時点)、アフガニスタンの現状をどのように分析されていますでしょうか。

伊勢崎 政権らしきものが立ち上がったばかりで非常に脆弱なときなので、明確に現状を分析するのは簡単ではありません。今は国連が中心となってその仮政権を崩壊させない努力を国際社会に訴えているところです。崩壊すると人道危機がもっと拡大してしまいますから。

 またアフガニスタンは20年前の9.11からネーションビルディング(国家建設)をずっと行ってきましたが、国家予算の8割以上を援助に頼っているので、財政的にも非常に不安定です。国家財政にとっては、公務員の給料や警察・国軍の維持費、兵器の減価償却費など、借入金や外貨準備金がとても重要で、前政権が崩壊する前には総裁がいて中央銀行もありました。しかし、いま政府の外貨準備金のうちほとんどがアメリカの銀行にあり、それがすべて凍結されている状況なんです。

 そして「タリバンをどう捉えるか」ということですが、一つの指揮命令系統で貫かれた組織というよりは、ある種の社会運動やムーブメントであると考えてください。「コアファイター」という軍事組織らしきものがあるにはあって、構成人数は約7万人から8万人と言われ指揮系統もかろうじて機能しているようですが、その一方で前政権には国軍だけで30万人、警察は20万人以上いました。したがって表面的な数字を見るかぎりは、どう考えてもタリバンが勝てるわけないんです。しかし、現に勝ってしまった。つまり、タリバンにはコアメンバーの周辺に膨大な支援者たちがいるということです。地元の武装組織やヤクザみたいなもので、この構成は僕が武装解除したときから変わっていないと思います。それが5〜6年かけて、正確には2014年、オバマ政権第二期の頃から顕著な実効支配の拡大が始まりました。オバマは前任者であるブッシュが始めた二つの間違った戦争をなんとか終焉させることを選挙公約にしていて、それは「アメリカが勝利することによって」という意味だったのですが、もうそのときにはアメリカ軍部の誰もが軍事的な勝利を信じていませんでした。政権末期の頃にはオバマ自身も「軍事的な勝利はない」と言い出したわけですが、それでも「責任ある撤退」を目指していました。責任ある撤退というのは、軍事的勝利ではないけれども勝った証拠をアフガンに刻みつけるということで、つまりは民主主義の定着、二度とアフガニスタンがアメリカを攻撃するようなテロリストの温床にはならないという確証を得て撤退することです。こうした方針のもとNATOも含めた主力部隊の撤退が始まったのです。アフガンの国軍と警察に、制圧を少しずつ委託していきつつ、地方から順にどんどん引きあげていきました。ところがその翌年の2015年頃、最初に委託した南部からタリバンの支配が始まっていったのです。

──アメリカがまだ厭戦ムードに悩まされながらも、かろうじて戦争に前向きだった時期には態度を決めかねていたような地元のヤクザのような人たちが、オバマが匙を投げたとわかった瞬間に、タリバン側に傾いていったという理解でよいですか。

伊勢崎 そうです。というのも、新政権の腐敗が一般のアフガン人にも伝わるほどに進行し、人々の間に不信感が蓄積していたのです。国際協力市場の歴史上、イラクとアフガニスタンは最も国際援助を受けた国ですけれど、それにもかかわらず人々の暮らしが一向に良くならなかった。

──つまり援助金を自分の懐に入れている人が政府にごまんといたということですよね。

伊勢崎 あとはケシ栽培、麻薬の密輸です。タリバンだけではなく、前政権の軍閥たちも同様に私腹を肥やしていました。

──日本人の目から見ていると、9.11後にきちんとした政権がアフガンに生まれて、それがアメリカ軍の撤退によってタリバンにやられてしまったと思っていたけれど、そのような単純な話ではないということですね。

伊勢崎 僕は2002〜2004年の創設期に関わっていましたが、僕やアメリカ軍関係者、国連を含めて全員が、単純に新しい民主主義政府が立ち上がるのだと夢見ていましたよ。

──腐敗した不人気政権がタリバンの支持を結果的に拡大させていったということだと思いますが、なぜそこはうまくいかなかったのでしょうか?

伊勢崎 失敗ということで片付けるのは簡単ですが、たぶんそれは現在の国際社会の叡智を超えた問題です。なぜなら、アフガンは戦後史上、最も国際援助を受けた国の一つで、お金の面だけではなくアドバイザーと称した国外からの専門家たちが前政権の行政システムの隅々まで手を入れて、援助が確実に有効に行われるように、そして財政的にもいつかは独り立ちできるように支援され、これほど手厚く援助された国は他にないんです。何故失敗したのかいまだに実感としてわかりません。

 考えられるターニングポイントとしては、2009年頃、国連の監視のもとに行われた二度目の選挙のころです。僕が責任者として日本の行った武装解除が、タリバンの復活のきっかけになりました。というのは、タリバンと戦って政権を崩壊させて、その復活を抑止する力となっていた武装勢力を解体したのですから。その当時はアメリカ軍もタリバンの脅威は去ったと思っていて、同時進行しているイラクに主力兵力を移してしまったんです。みんなが完全に油断しました。

──実はタリバンは殲滅されたのではなくて隠れていただけだったということですか。

伊勢崎 そうですね。でも、タリバンの脅威は去り、これからは「国家建設」に専念すればいい、という幻想がアメリカ軍を含む僕たち全員を支配していたのです。そして、地上戦を戦い、タリバン政権を崩壊させた、いわば功労者である軍閥たちが、ソ連が去った後の時のように、権力争いの内戦をさっそく始めたので、こいつらを排除することが国家建設の急務と考えたのです。タリバン政権が崩壊した後の国家建設のためには、ともにタリバンと戦ってくれた勢力が邪魔者になった。しかし、アメリカにとって彼らのおかげでタリバンに勝てたのだから、気安く手が出せない。でも武装解除をしなくてはいけない。その責任を日本が負ってしまったのです。

──そのシナリオに結果的に日本は乗ってしまったけれど、それが安易だったということですか?

伊勢崎 安易というか、僕には、アメリカにできないことを日本がやってやるんだ、という変な愛国心が芽生えていたことは事実です。そして、それは図らずも成功してしまったんです。アメリカは失敗すると思っていたようですけれど、できてしまった。アメリカ軍の最高司令官がそのとき言ったのは、「日本は美しく誤解されてるね」と。

──どう反応していいかわからないコメントですね。

伊勢崎 でも、途中で「これはまずい」と思い始めたのです。どんなに邪悪な武装勢力であろうと、それがある程度の期間存在することによって、そこの治安は“安定”します。ですので、それらを武装解除するときには、それがなくなることによって発生する「力の空白」を埋めるものが必要となるのです。PKOの場合だと国連平和維持軍がその役割を担うのですが、これはアメリカの戦争の後始末ですから、それにあたるものがなかったのです。

 国連の当時の代表でラフダール・ブラヒミという人がいるのですが、彼が後に後悔しているのは、20年前にタリバン政権を倒して暫定政権を作ったとき、タリバンも暫定政権の中に招いていれば結果は違ったのではないか、ということです。当時はタリバンのことを考える人はほとんどいなくて、ブラヒミさんを中心とした国連だけが「タリバンを招かないといけないのでは」と主張していましたが、アメリカが強硬に反対したのです。こうした、“敗者”を暫定政権へ招き入れることを「インクルーシブ・ガバメント」、包括的ガバメントと言って、今になってタリバンにそれを要求していますが、もともと無理筋なわけです。

──無理筋でしょうね。しかもタリバンは伊勢崎さんの話だと、統率のとれた組織だったものではなく、寄り合い所帯のようなものですよね。お話を聞いていると、そもそもブッシュ・ジュニアが、国連的なものを蔑ろにした勇み足からすべてが始まってるというように聞こえますが。

伊勢崎 とはいえ当時を思い起こすと、アメリカだけでなく、NATO諸国全体が9.11の影響でショック状態でしたから、一概にアメリカが悪いとは言い切れないんです。リベラルだって愛国者になったようなときです。

国家にとっての軍隊とは何か

伊勢崎 読者の中にはリベラルであるなら憲法9条が大切だと思っている方がいるでしょう。それは素晴らしいことだと思いますが、よく考えていただきたいのは、9条は個別的自衛権を許していると思っていませんか? 僕はそう思っていませんけれど……。この戦争はアメリカの個別的自衛権の行使から始まっています。つまり9.11で史上はじめて本土攻撃を受けて完全に血が上ってしまい、「報復しなければいけない」「第二弾が来る前にアルカイダを含めてそれを囲っているアフガニスタンのわけのわからないものを崩壊させなければいけない」ということで戦争がはじまりました。個別的自衛権が一番恐ろしいんです。

──恐ろしいですね。単独でできてしまうわけだから、周りの国の顔色を伺う必要がないという根拠ですよね。

伊勢崎 やがてアメリカが占領統治を敷くことになりましたが、70年前の占領統治とは国際社会の考え方が違いますから、軍をそこに置き続けるためには言い訳が必要です。朝鮮半島と日本は、まだ冷戦が終わっていないという扱いなので例外ですが、現代において大規模な進駐や駐留は、国際法と国際世論と建前とをきちんと踏まえないといけません。そこで国際世論の反対を抑えるためにアメリカが掲げたのが、ネーションビルディング、民主主義国家の建設だったのです。ですからバイデン大統領が「アメリカは国家建設のためにいるわけではない」と今更言ってもまったく説得力がなくて、20年間、すべてのアメリカ軍は国家建設によってテロリストを排除するという考え方でやってきたわけです。

──国家建設がうまくいかなかった原因はなんだと思いますか?

伊勢崎 自分の反省になってしまいますが、アフガニスタンのような、常に内戦状態で歴史上に国家という概念がなかったところにも、外力によって統一国家ができると思い込んでしまったことです。僕らはそれを信じて、そのために障害となる武装勢力を解体し、強大な中央政権を作って、最強の軍事力を持たせることが可能だと思ったんです。

──そもそも国民国家という概念が浸透していない社会だったということですよね。「俺たち」があちこちにいるだけで。

伊勢崎 「俺たち」の力の象徴であった軍事力を、一気に取り上げて一つにまとめるという作業は、そのときはこれしかないと思っていましたが、いま考えるとの方法があったと僕は思います。

──他の方法というのは、ある程度の武装を認めた上でタリバンを含む寄り合い所帯として、スロースピードで統一国家に歩み寄っていくというイメージですか?

伊勢崎 そうですね。軍事力というのはどんな国家にとっても一番のコストセンター、金食い虫ですよね。戦時中であれば軍事力の正当性はありますが、戦わなければ無駄になります。しかし軍縮というのは非常に難しいでしょう? 9条の国の日本の我々だって自衛隊を軍縮させられないわけですから。だから「もうお互いに戦う必要がないのだから、少しずつ、均等に、時間をかけて、まず10%ずつ減らそう」というような提案をするべきだったんです。もし歴史をやり直せるとしたら、それが一番やるべきことだと思います。

──すごく考えさせられますね。軍事力は「俺たち」の力の象徴のように思われていて、実力である以上に求心力そのものだということですよね。それを奪うことでどれだけの反発を生むのか、どれだけ社会に対する劇薬として機能してしまうということを過小評価していたのかもしれないですね。今だから言える話ですが。

伊勢崎 日本がその責任を押しつけられ、それを受けてしまったんです。一方で、9条の精神のもと、軍事力を頼らず、武装解除の成功を世界に見せつけせやろうと、当時の僕は思っていました。僕らはアメリカと違って非武装で、武装を解除するという交渉だけをする。「戦争放棄」をした国が軍閥たちの武装解除をするというのは、美しいストーリーですよね。それを実行しようとしたのですが。結果、失敗でした。

 やはり軍事力は必要悪的な部分があります。僕は国家をゼロから立ち上げるのはアフガニスタンが2回目で、以前は東ティモールでした。国連がまず暫定政権を作り、そこから少しずつ自治政権を建設していきました。独立運動のためにインドネシア軍と戦っていた武装勢力のリーダーで、後に大統領になるシャナナ・グスマンは「もし独立したら東ティモールは人類初の非武装国家になるんだ」と言っていたのですが、そうはなりませんでした。

 これは国家というものをどう印象づけるかという問題にかかわるのですが、どんなものであれ国民にとっては頼りになる存在でないと困ります。戦乱の中では、自分の所属する部族や派閥に帰依することで、その見返りとして身の安全が保障されていたわけですが、戦乱が終わり「これからは誰が自分を守ってくれるのか」というアフガン国民感情を考えたとき、まだ成立したばかりの政権に一番強大な軍事力を持たせざるを得なかったんです。大変辛いことですけれど、東ティモールという小さな国でもできなかったんです。

自衛隊の出動から考える、日本の問題としてのアフガニスタン紛争

──先ほどの個別的自衛権の話を聞いたかぎりでは、一国平和主義は、裏を返すと一国戦争主義でもあると言えるわけですよね。日本国憲法の精神を実現する、現代に9条の精神を実現するためには、逆に9条にメスを入れることも視野に入れないといけなくなるというような矛盾もあるように感じました。

伊勢崎 アフガン戦争には2003年から自衛隊が参加しています。インド洋の給油活動としてですが、これはNATOの集団的自衛権の行使によるものです。9.11の後、アメリカの個別的自衛権の行使で戦争が始まって、その後ムスリムの移民を多く抱えるロンドンやマドリードなどのヨーロッパ諸国、NATO加盟諸国で同時多発テロが起き、団結したのです。NATOができて以来初めて、NATO条約第5条オペレーション、「一つの加盟国の敵は同盟国すべての敵である」という集団防衛を実行したのがアフガニスタン戦争です。

──冷戦期には「いつか鉄のカーテンを越えてソ連の戦車隊がやってきて、それをNATOが迎え撃つ」というようなことを、誰もが想定してたはずですよね。でも実際にそれが行われたのはアフガニスタンだったんですね。

伊勢崎 9.11はそれほどにショックを与えたわけです。そしてこのNATOの作戦はOEF(Operation Enduring Freedom)、「不朽の自由作戦」と言いますが、さらに下部作戦があり、それがOEF-MIO(Maritime Interception Operation)、「海上阻止行動」です。アフガニスタンには海がありませんが、隣国パキスタンは海に接していて、北アフリカなどからインド洋を通って義勇兵がパキスタンに上陸してきます。元タリバンの武装組織で、新しい暫定政権にも入っているハッカーニ・ネットワークという組織を通じてアフガンへ義勇兵が入ってくるので、海上で阻止しなければいけません。その作戦に誰よりも早く手を挙げたのが、当時の小泉政権で、日本は護衛艦も含めて戦力を送りました。これは国連の平和維持活動ではなくNATOの集団的自衛権の行使ですから、国際法で言えば日本は「交戦国」になります。このことはアフガン人もタリバンも覚えていないでしょうし、日本人も忘れているくらいですが、外務省にはその意識があったのだと思います。だからアメリカと一緒に逃げなければいけないということで大使館を閉めたのでしょう。日本はアメリカと同じ「敗戦国」だから逃げたわけです。ロシアや中国は戦争していませんから、大使館を閉めていません。

 ここで僕が聞きたいのは、「護憲」を掲げる日本の野党が、なぜ日本政府は大使館を閉めるんだ、と文句を言わないのか。9条の国なんだから逃げる必要はないじゃないか、となぜ言わなかったのでしょうか。

──関心そのものがないんでしょうね。

伊勢崎 そして逃げるとき、まさかアフガン人協力者を置き去りにするとは。かつて僕も日本政府を代表して大使館に勤めていましたが、アフガン人スタッフのことは自分たちの兄弟のように扱っていました。だから武装解除のときに協力してくれた通訳のメンバーが、解除後に軍閥の手下供から脅迫を受けるようになったときはほんとうに心配でした。当時の通訳は10人ほどいて、そのうちのリーダー格はアフガニスタンのメディアにも僕と一緒に出ていて特に目立っていたので、一番執拗に脅迫を受けていたんです。僕は離任して日本に帰った後も彼のことが気がかりで、当時の大使館員と協力して彼をアフガンから脱出させるために奔走しました。彼は日本の大学で博士号を取り、今はある会社の社長になっています。そういう義侠心が日本の外交官にはあったはずなのに、なぜ今回こんなことになったのか、僕にはわからない。

──そもそも日本全体に、アフガン戦争の交戦国だという認識がなかったわけですよね。したがって、アメリカが撤退するときに日本が一緒に撤退することになり、そのときに協力者も保護しなければいけないということは、ほとんど議論されなかった。僕はこのことを問題にしている人を、伊勢崎さん以外に知らないです。

伊勢崎 今回、僕が声を上げたらまずは自民党が動いてくれました。一人は中谷元さんで、もう一人は、次の選挙には出ないと宣言した山尾(現:菅野)志桜里さんです。この二人は、僕も立ち上げに参加している「人権外交を超党派で考える議員連盟」の共同代表をしています。実は香港、ミャンマー、ウイグル、パレスチナで起こっているような人権侵害は、中国やロシア、そしてアメリカが絡んでいるから安保理が動かないんです。そこで「国連としての制裁措置が取れないなら、一国でやろうじゃないか、アメリカやイギリス、日本など各国が協働すれば、国連がやる経済制裁と同じような威力を持てる」ということで実行しようとしたんですが、G8の中で日本だけ、そのための法律がなかったんです。例えば2年前にも、「国連が動かないから」ということでトランプ政権が香港政府と中国政府に対して制裁措置をし、それに呼応してカナダやイギリスも動き始めたので、日本でも同じように運動を起こそうという機運は立ち上がったのですが、それを実行するための法がなかったんです。

 唯一あるのが「北朝鮮人権法」ですが、これは我々が当事者だからです。でもいま世界で起こっている人権問題については、国内だけで起こっているものにかぎらずまったく他人の問題であったとしても放ってはおかない、というスタンスが普通ですよね。

──香港で何が起こっても知らないという立場の人が、「北朝鮮問題に協力してください」というのは通用しないですよね。

伊勢崎 G8すべての国が持っているのに日本にだけそうした法律がなかったことに驚き、急いで法案だけは作ることができました。それと同時に立ち上げたのが先ほど紹介した「人権外交を超党派で考える議員連盟」で、共産党から自民党、公明党まですべての党が参加して、100名以上の議員の方がいます。

──本当に山尾さんを潰してはいけなかったですね。議員バッヂを捨ててもオピニオンリーダーとして活動したいという気持ちがあるようなので、連携していけたらいいなと思っています。

伊勢崎 今回もアフガニスタンのことを本当によくやっていただきました。8月15日に日本大使館員が全員逃げたことにびっくりした僕は、意見具申のために中谷さんと山尾さんに相談して、中谷さんは僕の意見を8月17日頃の自民党の外交部会にかけてくださり、そこから動き始めたのです。

 一番最初に自衛隊の派遣を意見具申したのは僕だと思いますが、しかし前提として僕は、今の日本の法制度の中で自衛隊を送るのは間違っていると思っています。なぜかというと、ジュネーブ諸条約で決められている「上官責任」、つまり戦力が事故を起こしたら、命令した人間が一番重い責任を問われるという、当たり前の法がないからです。

──軍隊が略奪しようが放火しようが何しようが、現場の兵士が勝手に暴走しただけ、と言えてしまうということですね。

伊勢崎 この整備をやっていないのは日本だけで、これでは無法国家です。そしてもう一つ輪をかけて問題なのが、国外犯規定です。自衛隊員が事故を起こしたときに裁くとしたら日本の刑法しかありませんが、海外で日本人が犯す業務上過失致死は管轄外で、それを裁く法体系が日本にはないのです。事故を起こしたらどうするのか、事故そのものを想定していないんです。

 けれども8月15日の夜、自衛隊を送るしかないと決心したわけですね。後からいろいろな人が「自衛隊ではなくて政府専用機を送ればいいじゃないか」などと言っていましたが、カブール空港には駐機場もタラップもそれほど多くあるわけではありません。すでに各国の軍用機が過密に稼働してる状態で、ここに日本機がローテーションに入れてもらうとなれば、軍用機、つまり自衛隊機しかありません。「周辺国に頼めばいいじゃないか」などと言う人もいましたけれど。

──気楽に言ってくれますね。

伊勢崎 ほんとです。僕としては苦渋の決断で、中谷さんにお願いして「これは自衛隊機しかないでしょう」と伝えました。もちろんここで「憲法9条を変えるチャンスだ」と変に喜んでもらわれると困りますが、まさかスタッフを置き去りにするとは思わなかったからですから、本当にやむを得ない決断でした。

 また実際に現地へ部隊を送ったときの流れですが、まずC2という一番大きくてスピードの速い国産のジェット貨物機を1機、次にC130というプロペラ輸送機を2機、そして1ヶ月分の食料などの装備と、アフガン人にビザを発行するためのジャパンデスクを作るように、という意見具申がなされました。しかし救出すべき人は家族も含めて数千人にのぼるだろうと予想された上に、日本は救助開始に出遅れてしまったので、アメリカ撤退のギリギリまで救助を行わないとこなせないと思い、いざというときには身軽に逃げられるような小部隊をオスプレイと一緒に送るように僕は言いました。場所も取らないし、安全な場所の片隅に止めて10人か20人くらいの歩兵部隊が稼働していればよいので、最後の最後まで留まるときにはオスプレイが最適です。8月15日の映像でもわかるように、民衆が滑走路に出てくるような状態になったら、C130のような大型機は動かせないんです。

 ところが日本政府は、一週間後にC2とC130を送り、どういうわけか政府専用機まで1機送って途中で引き返してきたのです。オスプレイは送らなかったのですが、日本では非常に不評だし、政治的な決断もいるでしょうからそれは仕方ないところもありますが。しかし陸上自衛隊を260人も送ったのはさすがに怒り心頭でした。そんな大きな部隊だと逃げるときにはC130が2〜3機必要になります。

 もちろん自衛隊機を送ると決断したこと自体は、当時の官邸の英断だったと思います。ただ自衛隊の一部に本当にわかっていない人がいて、救助隊員の中に特殊部隊まで入っていたんです。「邦人保護」のために、カブール市内に送ることを想定していたようです。本当にバカげている。カブール空港には既にアメリカ軍だけで6000名が投入されており、日本の自衛隊がノコノコ入っていって空港の防備に加わるなんて、かえって足手まといだし、タリバンが制圧するカブール市内に武装した部隊を投入するなんてアメリカでもやらない愚行なのに、自衛隊の事故を“法治”できない日本が、自分で自分の首を締める意味のないリスクを大きくしただけ。「法整備なしなら派遣なし」という主張だった僕が、なぜ前言を翻した行動をとらざるを得なかったか。僕の思いを見事に踏み躙ってくれました。

 いずれにしろ「初動」が遅れたのは事実です。自衛隊法では邦人保護を目的にしないと自衛隊は出動できないことになっているからです。例えば国連職員にも日本人はいるのですが、国連職員は日本人ではなく国連という国籍です。したがって国連職員を救助するのであれば、人種に関わらず救わなければなりませんし、もし自衛隊が国連で働いている日本人だけを救出しようとするなら、国連外交的に大きな問題になります。国際赤十字や国境なき医師団の人たちは今もアフガンに残っていていますが、その中の日本人は、本来邦人保護の対象ではないわけです。しかし自衛隊法がある以上、無理やりにでも「邦人保護」という口実を作らざるを得なかった。自衛隊輸送機を3機も送る口実を。これが初動が遅れた要因の一つでしょう。

 もう一つの要因は、空港で自爆テロが起こったことです。あれがなければ数百名は連れて帰ってこれたと思います。ただどちらにしろ、輸送機を送ったのが8月15日から10日後くらいですから遅すぎですよね。日本大使館を閉めて現地の職員は全員逃走し、「命のビザ」を発給する措置も残さなかったことが問題であると共に、こういう危機を想定した法整備をまったくしてこなかった。もちろんこれを9条改定の方便にされては困りますが、だからと言ってこういう事態を国家として想定しないのは駄目でしょう。今回自衛隊が派遣されたカブールは第一級の戦闘地域ですが、そこに邦人保護以外の目的で出動させたのです。これは戦後史上最大の違憲行為ですし、自衛隊法にも反しています。自衛隊法には出動条件として「邦人保護」の他に「現地の安全確認」と書かれていますが、安全確認はしていないし、する暇もありませんでした。そして、この状況は、繰り返しますが、世界第一級の「戦闘地域」への派遣です。完全な超憲法、超法規の政治決断が、これほど簡単にできてしまったということです。憲法を含めて日本の国内法に「規範力」と「拘束力」が喪失しています。

──PKOは僕が中学生の頃から始まりましたが、あらゆる行動が解釈改憲で行われ、事実上の超法規的な措置がなし崩し的に肯定されていったのだと思っています。それが30年の間にエスカレートしていって、いつの間にかこのレベルの出動も議論にすらならなくなった。

伊勢崎 今回こういうことになってしまったので、国内でも議論になるかなと期待してはいたんですが。もちろん、議論の場を作るために自衛隊を送れと意見具申したわけではありません。でも、本来なら、「あんな危険な戦場に、こんなに簡単に送りやがって。法的根拠を示せ!」というのが、護憲派野党がやるべきことでしょ? でも、やらない。「無法」問題が、憲法問題につながるのを恐れる唾棄すべき保身です。もう野党の機能を放棄している。

 こんな感じで与野党の双方に腹を据えかねている毎日なのですが、そんなこと言ってられません。アフガン人協力者と家族の救出はまだ終わっていないのです。自衛隊機派遣は不発に終わったけれど、官邸の英断を僕は評価しています。ただし、もう自衛隊を送る必要はない。絶対にありえません。次に送るとなったら体を張って反対します。アフガンから脱出する方法は、今では他にあります。ビザさえあれば。

──「命のビザ」ですね。

伊勢崎 救出すべきアフガン人協力者には四つのカテゴリがあります。一つは大使館員です。以前僕と一緒に働いてくれた通訳のうち、一人は日本に定住しましたが、今回のカブール陥落する以前の1ヶ月の間に、すでに2名が暗殺されました。とうに日本大使館から退職していましたが、現地社会に恨みを買ったことは同じで、それは消えません。今回救おうとしたのは大使館を閉める直前まで働いていたアフガン人とその家族ですが、こうした事態を防ぐために退職者についても検討が必要です。

 第二のカテゴリはJICAの職員で、第三はNGOです。日本政府の責任のもと、現地や日本のNGOを通して、20年前のタリバン政権のような社会にならないよう、アフガンの人権教育や自由主義教育、女性の権利などさまざまな教育支援を行ってきました。その担い手になったのがNGOですが、一方でこの数年間、日本のNGO職員がアフガンに行くことはほとんどありませんでした。外務省が、日本人を危ない地域に行かせないように、在京のアフガニスタン大使館にビザを出さないよう圧力をかけていたのです。タリバンがすぐそこに潜伏している地域で、日の丸を背負って働いていたのは、アフガン人スタッフです。日本人はありません。そのために我々に協力してくれたアフガン人が、まさに狙われるのです。そして、ここでは「退職者」はカウントされておりません。狙われる危険性は、現職者と変わりはありません。むしろ、「協力者」としての噂は現職者よりも深く広く定着していると考えるべきです。だから、アメリカは区別しませんでした。

──今のところ、彼ら彼女らを見殺しにしているわけですよね。

伊勢崎 そうです。そして第四のカテゴリが元留学生です。僕の教え子も含めた、自由主義に基づいた行政学や国際関係論を学んでいた文科系の人たちはまさにタリバンの脅迫の対象です。

 これら四つのカテゴリの人々をすべて同じ条件で、つまり彼ら彼女らの家族の帯同を認めた上で救わないといけない。アフガニスタンは日本以上に家族の関係が濃いところですから。アメリカは、カブール陥落の1ヶ月前から、彼ら彼女らに対して同じ条件で命のビザを出し、救助を始めました。例えば、アフガン人フルブライト奨学生を家族と共に救出を始めました。

 しかし日本はこの命のビザを出すことができないんです。僕が最初に相談した林佳世子さんが学長の東京外国語大学は、アフガン人卒業生に対してアクションを取った最初の大学で、非常勤の教員ポストを設けるなどして入管への働きかけをいち早く始めましたが、残念ながら救助はできていません。

[続く]

この記事は、2021年10月13日に開催されたPLANETSのイベント「遅いインターネット会議」のトーク内容を再構成したものです。宇野常寛が司会、目黒智子が構成をつとめ、2021年12月16日に公開しました。
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