編集長・宇野常寛の新刊『ラーメンと瞑想』がホーム社より7月25日に刊行されます。
今回は、同書の第3章を期間限定で特別公開します。
登場人物
僕(宇野)
40代半ばの批評家。ラーメンが好き。
T
宇野の相棒。年齢非公表(宇野より年長)。自称「恐れと悲しみの中を生きる者」。職業は編集者だが、ダンテの翻訳と合気道の習熟を生活の中心に置く求道者。ヨガ・インストラクターの資格を持ち瞑想を指導する。二児の父。(ちなみにイメージイラストは本人の強い希望によるもの。)
第1章・第2章は、下記リンクよりご覧いただけます。
#1 ラーメン富士丸と『人間の条件』(前編)宇野常寛「ラーメンと瞑想」
#2 ラーメン富士丸と『人間の条件』(後編)宇野常寛「ラーメンと瞑想」
端的に言うとね。
1 焼き魚とオートバイ
「しんぱち食堂」のことを最初に知ったのは、友人Iとの会話の最中だった。僕もIも立ち食いそばが好きで、時折その情報を交換していた。Iは有名なデジタルインスタレーションを手がける企業のリーダーで、制作が佳境に入ると夜中や明け方まで仕事をしていることが多かった。こうしたときに二十四時間営業、もしくは早朝から開いている立ち食いそば屋で仕事終わりにすする一杯を、彼は愛していた。そしてその日はたまたま、そば屋の話題から転じて最近歌舞伎町でハマっている店があるとIは話し始めた。
そこは魚の干物定食の専門店で、炭火で焼いた本格的な干物焼き魚をファストフード感覚で食べられる店なのだと、Iは興奮気味にまくし立てた。新宿はIの生活圏やオフィスからはかなり離れていたのだけれど、そういえば以前彼に歌舞伎町のキャバクラに連れ込まれたことがあるな……と思い出して、Iがこの界隈に詳しい理由については特に尋ねなかった。このとき彼が僕に強く薦めた店が、「しんぱち食堂」だった。
当時の僕は起きている間はずっと仕事をしているか、本を読むか映像を観るかしていて、疲れたら六時間寝て起きる……という生活を繰り返していた。気晴らしに深夜の散歩に出ることが多くて、その散歩にはあのTがよく付き合っていた。しんぱち食堂の西武新宿店はその散歩の過程で目にしていて、夜中に干物定食が食べられる店というのは珍しいな……と思ったけれど、実際に入ったことはなかった。I曰く、日本の食のよさとは、素材を活かしたものにある。調理者を選ばず、おいしいものを提供するための知恵として、保存食である味噌と出汁の組み合わせで簡単にできる味噌汁から、その延長にあるインスタントラーメンまで本質は共通している。専用の調理機で短時間で本格的な干物焼き魚を、特殊な訓練を受けたわけでもない店員が焼き上げることのできる「しんぱち食堂」はその文化の現時点での最高峰なので、絶対に行ったほうがいい──そう、Iは僕に熱弁した。しかし、僕はその後もその店に足を運ばなかった。当時の僕はそこが酔客や水商売に従事する人たちの集まる深夜、早朝営業の店なのではないかと考えて、僕が入ってもあまり居心地がよくないのではないかと敬遠していたのだ。
加えてその少しあとに僕は飲酒をやめて、「業界」の飲み会の類にも顔を出さなくなった。僕は朝型の生活に切り替えて夜の街に、特に歌舞伎町には近所にもかかわらず顔を出さなくなった。もともと文化系の無頼な生き方への憧れというか、コンプレックスからゴールデン街を飲み歩いたりする一世代上のカッコつけかたに、とてもみっともないものを感じていたので、余計に夜の街の類には寄り付かなくなっていったのだ。
……といった事情があり、結論から述べると僕はしんぱち食堂とのファースト・コンタクトに失敗した。そしてそのちょっとした躓きから、その後何年も足を運ばなかった。これは、僕の人生におけるもっとも大きな過ちのひとつだ。しかし僕が足を向けない間に、しんぱち食堂はその支持を広げ、東京中に、そして全国──大阪や名古屋──に拡大していった。そして、僕はその数年後、しんぱち食堂と「再会」することになった。
きっかけは例によってあの男──そう、僕の週に一度の「朝活」、つまりランニングと瞑想、そしてその後の食事の相棒である「恐れと悲しみの中を生きる者」──Tである。
ある日の朝、Tは朝活──ランと瞑想と食事──のあとふと僕に語り始めた。
「魚用のグリルを使用したのが発覚し、妻が大激怒してしまいました」
Tは普段、ほとんど家庭の話をしないので珍しいことだった。曰く、Tの家庭にはその妻が定めたルールがいくつか存在し、それを破ると逆鱗に触れることがあるのだという。その一つが「魚用のグリルは使ってはならない」というものだった。
「グリルは丁寧に掃除したのですが、臭いや滑りが残っていて完全ではないらしく、泣きながら怒ってしまいました。さらに昨日僕が道場に行っていた間に、部屋にゴキブリが出たらしく、僕が部屋を網戸にしていたせいだと言って、そのことについてもやはり泣きながら怒ってしまいました」
これまでも網戸を閉めた状態で自室の窓を開放しているTに、ゴキブリの侵入に怯える妻はやめて欲しいと度々訴えていたのだが、Tは耳を傾けなかった。網戸を閉めてさえいればゴキブリは侵入しないと言い張って、窓を開け続けていた……ということらしい。
グリルはともかく、たしか以前聞いた話によるとTの自宅は一階のはずで、ゴキブリの件は気をつけてもどうしようもないのではないか……とか、具体的な感想もなくはなかったのだけど、それよりも僕はTの普段は口にしない領域に抱えているものについて、深く考えざるを得なかった。
「すべて僕が悪かったんです」
そう言ってTは話をまとめた。
そして、唐突に話しはじめた。
「二輪の免許を取ろうと思っています。髪を染めてバイクに乗ります」
「え?」
驚いて、思わず聞き返してしまった。
「シルバーに染めて、家族に秘密の駐車場を借りナイトロッドスペシャルを買うつもりです」
ナイトロッドスペシャルとは、Tが最近よく観ている「HiGH&LOW」というシリーズに登場する雨宮兄弟が乗るバイクである。
「スーパーカブではなく?」
僕は以前、カブを買って近場のカジュアルなツーリングを楽しもうとTに提案されたことを思い出した。なぜカブだったのか。それは僕とTが当時観ていたあるテレビアニメ──それは高校生が通学用に手に入れたスーパーカブをきっかけに、生活の楽しみや交友関係を広げていく、という物語だった──がきっかけだった。僕は機械の運転の類にまったく興味がなく、そこに付随する身体拡張への欲望もほとんど感じたことがないままこの年齢になっていた。でも、このアニメを観て単純にこの小さなオートバイがあれば半径数キロメートルの「中距離」の世界をもっと深く味わい尽くせるのではないかと考えたのだ。そしてTもまた、このアニメを観て、カブを買いたいとしきりに話していた。
「スーパーカブに乗る喜びを噛み締めて、ただ生きていることに感謝するのです。これはオリンピックのような国家を背負い、他の誰かと競うものとは対極の精神です」
それがTの当時の主張だった。
しかし、このときのTが必要としていたのはもっと別のことのようだった。
「もはやカブでは癒やされそうにありません」
「いや、カブこそが、男性性の拡張というオートバイや自動車に課せられた物語から解放された、無性的なバイクなのではなかったのですか? したがってそれは二十世紀の、戦後日本の象徴でありながら現代性に継承されるべき遺産である……。だからこそ僕たちはカブを選ぶべきである……。そうじゃなかったんですか?」
僕は少し前に二人でカブを買おうと盛り上がったときに話したことを思い出して、Tに言った。
「人はロバを飼えば、徒歩でも車でも電車でもない新しい領域を手に入れることができます。カブの可能性とはそういうものです。しかし今の僕が何よりも必要としているのは、ロバではなく、千里を駆ける馬なんですよ。僕に降り掛かったあらゆる呪いを超えて、天まで駆け抜けることのできる力なのです」
これは相当参っているな……そう思った僕はふと、あることを思いついていた。
「Tさん。来週は焼き魚、食べに行きませんか?」
このとき、僕が思い出したのが「しんぱち食堂」の存在だった。
2 無位の真人
それは完璧な計画だった。
当時のしんぱち食堂はほとんどの店が二十四時間営業、もしくはそれに近いかたちで開いていた。特に僕の家からいちばん近い西武新宿店は早朝営業が売りだ。だからどうせだったら朝食の時間帯に行こう、と僕はTに提案したのだ。早朝の五時半ごろに集合し、夜明けとほぼ同時にランを開始する。そして、新国立競技場で瞑想をしたあと、僕たちは新宿まで三キロメートル弱を走り、約束の地「しんぱち食堂 西武新宿店」に向かうのだ。
そしてその日、僕とTは早朝の五時半に集合しほとんど夜明け前に走り始めた。朝の空気は冷たくて、そして澄んでいた。走るごとにぐんぐんと世界の明るさが増していく時間は、これから素晴らしい一日が始まることを予感させた。僕の自宅のある高田馬場から約五キロメートル走ると、千駄ヶ谷の新国立競技場に着く。僕とTがその外壁に上って、外苑を見下ろしながら瞑想をしていることは既に述べたが、その日は早朝だったのでまだ外壁には上れなかった。
そこで僕とTは、競技場の入り口近くのベンチを探した。いつもより数時間早いだけだったけれど、いつもとは違いその場所には僕たち以外誰もいなかった。そもそも平日の午前中に、この新国立競技場の付近は人の少ないエリアなのだけれど、本当にこの早朝は人間が歩いていることも、自動車が走っていることもなく、ただただ、静かだった。
そこは、僕の知る限り都心でもっとも静謐な時間の流れる場所だった。そして僕たちは、朝陽の直接差し込まない建物の影の中にあるベンチを選び、瞑想を始めた。
獣の世界に物語はなく
神の世界に幻想はなく
獣と神の世界には、過去も未来も演劇性もなく
その日、瞑想中に浮かんだのはしばらく前──おそらくTがフランスから帰国し、水曜日の朝活に瞑想が加わった直後くらい──に交わした彼との対話の記憶だった。
記憶の中で僕はTに尋ねた。
「Tさんの自己規定は〈武芸者〉なのですか?」
「いいえ。〈人間一般〉、敢えて言えば〈無位の真人〉ですね」
「〈無位の真人〉とは?」
「持たざる者のことですよ」
Tは目を伏せて、述べた。
〈無位の真人〉は日本では「むいのしんにん」と読む。臨済禅師の言葉で、世俗的な地位や名声にこだわりがなく、一切を捨て去った人間のことを言う。
実際にTはその日常生活において生活のための仕事を終えたあとの時間は、あまり社交の場などには赴かず主に地の恵みを受け取ること──つまり「食べる」こと──と天の理に触れること──読書と鍛錬、そして瞑想──に充てていた。
「しかし〈無位の真人〉ならば自己への執着を捨てるために、まずファッションを一切気にしなくなるべきなんじゃないですか?」
ちょっと意地悪なことを言ってやりたくなって僕は言った。前述したように知り合った十五年ほど前から、Tは常に全身をヨウジヤマモトで包んでいた。僕はこのときTの全身をヨウジヤマモトで固めた服装と、〈無位の真人〉としての自己規定の整合性はどう取れているのかと気になったのだ。
「歳を取ると、ある程度外見に気を遣わないと際限なく醜悪な存在になっていきます。それを避ける配慮が必要になります」
「だとするとヨウジヤマモトではなく、もっと飾らない、いわゆるノームコア的なものが正解なのではないですか?」
Tは少し考えて、言った。
「宇野さんはアウグスト・ザンダーの話は知っていますか?」
知らないと答えると、Tはアウグスト・ザンダーの話を始めた。
アウグスト・ザンダーは二十世紀に活躍したドイツの写真家で、人物写真を通して社会を活写する取り組みで知られている。特に有名なのは一九二〇年代、ワイマール体制下のドイツを舞台に農民から労働者まで、芸術家から退役軍人まで、そしてときにはホームレスまで、あらゆる階級と職業の人々の姿を撮影することで、「社会」の全体像を描き出すプロジェクトだった。その写真は日常の場面を切り取ったスナップではなく、人々を「普段着」のままカメラの前に自覚的に立たせるポートレートだった。
「ザンダーは人々の普段着の集積に『社会』の全体性を見ようとしたのです」
Tはそう言って、話をまとめた。
「つまりそこには余計な自意識のない、実用性の生み出す機能的な美があった、ということですか?」
「服というものに余計なものが張り付いていなかったということでしょう」
「僕が今着ているランニングウェアとシューズは実用性を中心にデザインされたものです。そして僕はこのデザインを美しいもの、カッコいいものとして着用しています。まさにザンダー的な美を実現しているように僕には見えます。Tさんも、着てみたらよいと思います」
「宇野さんこそヨウジ着たら、アニメとかアイドルとかどうでもよくなりますよ」
失礼な話だった。僕が彼の着るヨウジヤマモトのことを言ったので、反撃されたのだ。これは言い返してやらないといけないと思い、僕はTに言った。
「Tさんはそもそも、自己像を固定しすぎているように思います。自己破壊のため、そして自意識という牢獄から逃れるために、僕のような服を着て、僕と一緒に乃木坂46の握手会にでも行ったほうがいいですよ?」
記憶の中のTが心底嫌そうな顔をしたところで、瞑想の終わりを告げるハープの音が鳴った。
そして、瞑想中に浮かび上がってきたこの会話が交わされてから約四年、僕の目の前にいるTはもはやヨウジヤマモトに身を包んでは「いなかった」。そう、今のTはいつの間にか、ヨウジヤマモトを着なくなっていた。正確には着なくなったのではなく、用途に合わせてユニクロやZARAのようなファストファッション、そしてNIKEやNORTH FACEなどのスポーツブランドのものをミックスして着用するようになっていた。この日も、僕と同じNIKEのランニングシューズを履いて、アイテムは違うけれど同じNORTH FACEから出ているウインドブレーカーを羽織っていた。そして、僕は今のTのほうが肩の力が抜けて、好感が持てるなと感じていた。
「……行きましょうか?」
「行きましょう」
僕たちは再び立ち上がった。時刻はまだ六時台で、陽の光はまだ横から僕たちを照らし出していた。鈍い朝陽の中を、僕たちは走り始めた。目指す先はしんぱち食堂西武新宿店……そこで僕たちはグリルの臭いを気にすることなく焼き魚定食を楽しむために、オートバイではなく自分たちの足で走り始めた。
3 夜明けのさば文化干し定食
僕とTは北参道から明治通りに入り、新宿に向かって北上した。靖国通りを左折して歌舞伎町に近づくと、仕事明けの水商売に従事する人たちが、疲れた足取りでまばらに歩いていた。商店はコンビニエンスストア以外はまだ開いておらず、通勤人はまだまばらで、そこはすっかり明るくなっているにもかかわらず明らかに「昼」の時間とは異なっていた。昼でも夜でもない狭間の時間を、世間のリズムに従っているとつい忘れてしまう時間を、僕たちは全身で体験しながら通り抜けていった。それは短いけれどとても自由で、そして心地よい時間だった。
たどり着いたしんぱち食堂は、早朝にもかかわらず、いや早朝だからこそ満席に近かった。その客の大半は僕たちと同世代か、少し年上の中高年男性たちだった。仕事明けのホストやバーテンダー風の人もいなくはなかったが、そのほとんどはジャンパーやスウェットに身を包んだ、平日の朝から何をやっているか分からない(まるで「僕たち」のような)人たちだった。僕はたまたま空いていた二人並びの席にTと腰を下ろしながら、奇妙な安心感を覚えていた。「ここ」に僕の居場所はあったのか、と正直思った。
しんぱち食堂の魅力は、なんといっても20種類以上に及ぶ干物焼き魚のメニューだ。味の秘密は厨房に備え付けられた独自開発の炭火焼グリルだ。これは上下二段の構造になっていて、下段の強火で表面を焼き、同時に上段の遠火で身の芯まで火を通す。これが低価格で本格的な焼き魚を、それもファストフード的に提供することを可能にしているという。これは朝から牛丼屋はちょっと厳しくなってきた、僕たち中高年男性には本当に嬉しいことだった。
タッチパネル上のメニューから、僕は少し迷ってさば文化干し定食(八百四十円)を注文した。本さわら西京漬け定食と迷ったのだけれど、さば一匹まるまる分の干物がどん、とのったメニューの写真に惹かれた。定食にはごはんと味噌汁と、漬物と大根おろしがついてくるのだけれど、僕はここまで十キロメートル近く走っていて自分にはその権利があるのだから、と言い訳しながら思う存分サイドメニューを注文することにした。納豆は苦手なので生玉子(五十円)をつけ、冷奴(五十円)も迷うことなく追加した。野菜を摂るために大根きんぴらとインゲンの胡麻和え(五十円)も注文した。わさび醤油味と醤油マヨネーズ味の「わかめ」という謎のメニュー(八十円)を発見して少し戸惑ったけれど、少し考えて醤油マヨネーズ味を選択した。そしてトドメに「高級ネギトロ」(九十円)を追加した。その結果、定食のプレートが運ばれてきたときは、狭いカウンターのテーブルから小鉢があふれそうになっていたけれど、その窮屈さに僕は無限の幸福を感じた。息を吸い込むと、さば文化干しの香ばしい香りが鼻腔に充満して、ああ、生きててよかった……と思った。
僕はまず生玉子を溶いて、白米にぶっかけた。その上にネギトロをのせて醤油をかけ、即興のネギトロ丼を作り上げた。黄身の黄色とピンクのネギトロが食欲をそそり、自分のセンスを褒めてあげたい気分になった。しかし僕が最初に齧りついたのはもちろん主役の干物だった。箸を入れた瞬間に脂が染み出すくらいジューシーで、程よい塩気がレモン汁で溶いた大根おろしと実によく合った。これは当たりだとホクホクしながら、僕は干物とネギトロ丼を交互に口に運び、箸休めにきんぴらとインゲンの胡麻和えに箸を伸ばし、シンプルな味噌汁を啜った。いわゆる「三角食い」を実践しながら、そしてやっぱり僕は「定食」が好きだなとしみじみ思った。朝からこの品数を、気軽な外食で摂ることのできる世界はやっぱり素晴らしい、そう実感できる時間だった。
完食するとごはんが大盛りだったせいもあって、すっかりお腹がいっぱいになっていた。
「素晴らしかったです」
やはり朝食はこれでしょう、とサーモンハラス干し定食(八百六十円)を頼んでいたTも喜んでいた。
「しかし同じような雰囲気の中高年男性ばかりがカウンターに並んでいて、落ち着かない感じがしました」
「えっ」
予想外の反応に僕は驚いた。
むしろここに自分たちの居場所があった……くらいのことを感じていた僕は、隣で食べていたTが逆の感想を抱いていたことを、まったく想像していなかったのだ。
「ちょっと待ってください。いまだかつてなく、僕らは溶け込んでいましたよ」
「宇野さんはそうだったかもしれませんが、僕は違います」
「Tさんも十分溶け込んでいましたよ。認めましょう」
Tはものすごく不服そうに、沈黙した。どうやら本当にカウンターに並んでいた他の客たちに、自分が溶け込みきっていたことを認めたくないようだった。そして僕はさすがにこれは突っ込まないといけないと思い、最近ずっと指摘したかったことをついに口にしてしまった。
「少し前から薄々感じていたのですが……Tさんって最近服装がちょっと僕みたいになっていますよね。〈宇野化〉しているというか」
そう、前述したようにかつては全身をヨウジヤマモトで固めていたTだが、最近こうして僕に会うときにはウインドブレーカーにジャージで現れることが多くなった。かつては革靴しか履かなかったのだが、僕の薦めたNIKEのランニングシューズがかなり気に入ったらしく、今では逆にほぼそれしか履かなくなっていた。曰く「たとえ走らなくても、この靴ならどれだけ歩いても足が痛くなりません。なんでもっと早く気づかなかったのか」とのことで、完全に足首より下についての方針を転換したようだった。前後に他の誰かと打ち合わせがあるときや会食があるときは相変わらずヨウジヤマモト風の洋服に身を包んでいたので、主に僕と会うときなどオフの時間はこの格好をしているようだった。だからおそらく、この格好のTと彼の仕事関係の人間が道ですれ違っても、以前から彼を知っている人間であればあるほど、彼だと認識することは難しいと思われた。
そして──これが重要なのだが、その結果僕とTは遠目にはほぼ、同じ格好をしているように見えるようになっていた。いや、ジャージやリュックの色や形が少し違うとか、そういう違いはあるのだけれど、大まかには「同じ格好」をしているとたいていの人間は判断するだろう。
しかし、Tは僕のその指摘が不服のようだった。
「そんなことはないです」
Tは語気を強めて否定した。
「いや、ありますよ。同じような格好をした中年男性が二人でつるんでいると思われていますよ。Tさん、格好が〈宇野化〉していますよ」
「していません」
「してますって」
「断じて〈宇野化〉などしていません。ただ僕は時代の変化に対応した結果、以前のようなこだわりがなくなったに過ぎません」
Tがあまりに不服そうなので、僕はその日それ以上この問題を追及しなかった。
そして僕はそれからしばらく、意図的にTの前ではしんぱち食堂の話題を避け、服装の話題はもっと避けるようになった。
Tの格好が宇野化しているというのは……まあ、ともかくとして僕が心配したのはこれでTがしんぱち食堂が苦手になってしまったら悲しいな、ということだった。店には独りで行けばいいだけなのだけれど、僕はその日試した、早朝にランと瞑想を行い、歌舞伎町の店で朝から干物定食を食べる、というプランをかなり気に入っていて、また同じことをしたいと思っていたからだ。
しかしそれから程なく、Tからある写真が送られてきた。
Tが食べたものの写真をよく、僕に送ってくることは前述した通りだが、この日送られてきた写真には「三羽のイワシの美しさよ」とコメントがつけられていた。
それはしんぱち食堂の看板メニューの一つ「3羽いわし定食(五百七十円)」の写真だった。Tはどうやら職場から自宅への行程の近くにしんぱち食堂を発見したらしく、それから度々Tからしんぱち食堂の干物定食の写真が送られてくるようになった。あるときは殿様いわし定食(六百四十円)の、またあるときはさんま開き定食(七百四十円)の写真が送られてきた。気がつけば、Tは僕よりも遥かに頻繁にしんぱち食堂に足を運ぶ男になっていた。いったい、あの日の朝のやりとりはなんだったのだろう、と思わなくもなかったが、ふと僕は気がついた。結局Tがしんぱち食堂を気に入った理由はよく分からない(単にうまい、ということとか、そんなところだろうとは思う)のだが、僕は大きく間違えていたのだ。
たしかにあの日、僕とTがしんぱち食堂のカウンターに完全に溶け込んでいたということについては間違いなかった。しかしもう一方の点では僕は完全に間違えていたのだ。Tは別に「宇野化」していたのではない。正確には僕もTも、「無位の真人」に、もしくは「人間一般」になっていたのだ。
そう「宇野化」など、自意識過剰な発想だったのだ。僕もTも、何者でもない。「無位の真人」であり、「人間一般」に過ぎないのだ。そしてそんな、何者でもない存在に解放された僕らを、しんぱち食堂はその飾らない焼き魚定食で、いつだって温かく出迎えてくれるのだ。
この記事は、2025年7月にホーム社から刊行される、宇野常寛の「ラーメンと瞑想」3章を期間限定で特別公開したものです。2025年7月17日に配信しました。これから更新する記事のお知らせをLINEで受け取りたい方はこちら。