人類学ブームの功罪

 ここ数年、「人類学」という単語を目にすることが増えた。書店に足を運べば、「◯◯の人類学」というタイトルの書籍がいくつか目にとまる。デザインやリサーチといった領域を中心に、ビジネスの中でも人類学的思考の活用が模索されるようになった。
 もちろん、日本において、人文系の学問領域がアカデミア外でも注目を集めること自体は新しいことではない。1980年代のニュー・アカデミズム、ゼロ年代の社会学ブーム……そうしたトレンドは定期的に訪れる。ただし、その先達たちの顛末を見ても、コマーシャリズムの中で持ち上げられることが、功罪どちらの要素も併せ持つことはたしかだろう。昨今の人類学への注目の高まりは、一体どのようなポジティブな変化を引き起こしていて、どのような問題点をはらんでいるのだろうか?
 この問いについて考えるため話をうかがったのが、人類学的思考をアカデミア外に応用する挑戦の真っ只中にいる、大川内直子さんだ。彼女は東京大学大学院総合文化研究科で文化人類学を専攻し、修士課程修了後、日本学術振興会特別研究員(DC1)に内定し研究者の道を突き進むと思いきや、これを辞退。みずほ銀行での勤務を経て、文化人類学的調査手法を用いた行動観察に基づいてアイデアを生み出す、アイデアファンドを設立した。
 現在は国際大学GLOCOM主任研究員も兼任しながら、アイデアファンドで企業向けのリサーチやコンサルティングに取り組んでいる。2021年9月には、初の著書『アイデア資本主義──文化人類学者が読み解く資本主義のフロンティア』も上梓した。文化人類学とビジネス、アカデミアと企業社会を架橋する〈横断〉者である。
 大川内さんはなぜ、伝統的な文化人類学の世界から飛び出し、企業社会への応用という道を選んだのだろうか? アカデミア内外を架橋する張本人として、昨今の人類学への注目の高まりの功罪を、いかにして見ているのだろうか? 話をうかがっていると、彼女が考える「実践」としての文化人類学のあり方、さらには昨今の脱資本主義的トレンドへの違和感まで話題が広がり、これからの資本主義システムの可能性と課題が浮かび上がってきた。

「人類学とは実践である」国内外で広がる、アカデミア外への応用

 「人類学者のフィールドワーク」と聞いて、どんなシーンを思い浮かべるだろうか。アフリカの奥地に数年間滞在し、現地住民と生活を共にしながら、その文化に深く入り込んで調査を進める──そんなイメージを持っているかもしれない。しかし、大川内さんの経営するアイデアファンドが実施してきたフィールドワークは、一般に思い浮かべられがちな伝統的な人類学のそれとは、少し趣が違っている。

「普通の人の家の部屋にお邪魔させてもらって、その中でずっと観察するんです。通勤通学の途中にずっと張り付いていることもあります。もちろん、許可は取っていますよ(笑)。また、人ではなく、場にフォーカスするかたちでフィールドワークを行うこともあります。例えばバーの調査だったら、私がお客さんを装ってずっとその店にいます。お客さんが最初はどういうものを頼むのか、どういう会話をしたタイミングで追加注文をするのか、店主との会話を楽しむのか……、そんなことをずっと観察していますね。コロナ以降はなかなか『家に行かせて』と言いづらくなったので、自分で家の中を撮ってもらったり、Zoomをつないで家の様子が見えるように何時間も映してもらったり、Zoomで何度もインタビューしたりと、スタイルを変えざるを得なくなってはいますが」

 もちろん、このフィールドワークはあくまでも企業の事業開発や商品開発に活かすための知見を得ることが目的であり、論文を書くためのそれとは別物だ。ただし、大川内さんはこうしたフィールドワークも「人類学」の一つだと考えている。なぜなら、人類学とは「実践」だからだ。

「文化人類学者の船曳建夫先生も『人類学とは態度である』という旨のことをおっしゃっていましたが、私の考えでは、人類学は別に方法論がかっちり決まっているわけではなくて、調査の仕方も一人ひとり全然違います。その場その場で気になっていることを聞いているという側面が強いので、再現性も検証可能性もあまり高くなく、“技”としての性格がとても強くなっている。たまたま面白いフィールドに行けるかどうかにも左右されますし、事件が起こって突然面白くなることもあるので、運の要素に大きく影響を受ける。もちろん、分析や論文の切り口、まとめ方などに関する方法論もありますが、それはあくまでも人類学の一部に過ぎません。きちんと大学に勤めて調査をして、論文にすることだけが人類学的な正しい行いとして考えられがちですが、必ずしもそうでなくともいいのではないかと私は考えています。アウトプットが論文でなく、製品や会社の組織、ボランティア活動であっても、フィールドを自分の目線で関与しながら知ろうとする実践そのものを人類学として捉えてもいいのではないでしょうか」

 論文ではないアウトプットを目的とした人類学の「実践」は、アメリカを中心に国外では少なくない先行事例があるという。アイデアファンドのように、人類学者が商品開発の現場に入ってユーザーを観察する事例は珍しくなく、「むしろ日本でやっている人が少ないのはなぜなのだろうと、ずっと疑問でした」。例えば、ゼロックスのパロアルト研究所では人類学者がエスノグラフィーを通じて製品開発や改善に携わってきた。実際、コピー機を使うオフィスワーカーに対するエスノグラフィー調査を行った結果、コピーの仕事を始めるのに苦労している点を明らかにし、大きな緑色のスタートボタンを着想した事例などがある。
 また、「デザイン思考」の先駆であるカリフォルニアのデザインファーム・IDEOにも少なくない人類学者が所属している。大川内さんによると、そもそもデザイン思考自体が、人類学の知見も取り入れながら発展してきた面もあるという。昨今はデザインと人類学が近接して「デザイン人類学」なる分野も勃興しているが、大川内さんとしても両者の距離がとても近くなっている感覚があると語る。
 国内でも近しい事は増えてきており、2021年秋には、ソニーが 「文化人類学など人文学系の視点をベースに、人と社会を研究するリサーチャー」の求人を公開した。ただ、実はこうしたケースは今に始まったことではないらしく、例えば日立の商品開発や新規事業開発を担うデザイン本部は、以前から人類学バックグラウンドのリサーチャーを採用していたという。大川内さんの出身である東京大学の文化人類学教室に出入りして、青田買いを行っていたそうだ。
 ただ、大川内さんはこの人類学的実践の拡大それ自体を、無批判に称揚しているわけではない。人類学への関心の高まりそれ自体には肯定的だが、同時にある危機感も感じているという。

「少し前にリサーチ業界に『エスノグラフィー』という単語が輸入されたのですが、それがすごく乱雑に扱われている印象があるんです。みんな単語自体は知っていて、『エスノグラフィーやってました』『ああ、エスノね』という反応を見せる方も少なくありません。でも、その中身を聞いてみると、『この製品を一日に何回使いました』『何時何分に何をしました』といったただの行動記録で、私が思っているエスノグラフィーとは全然違う。先ほどお話ししたように、人類学が方法論をしっかりと定式化してこなかったことの裏返しで、何でも『エスノ』と言いたければ言えるような状況が生み出されてしまっているんです。非常に表面的な観察であっても『エスノ』と呼ばれていて、『エスノやってみたけど、何も出てこなかったんだよね』と幻滅されているこの状況はとてももったいないですし、危機感を覚えています。もちろん、あんまり人類学者のインナーサークルみたいになってしまうのも良くないと思いますが、単語だけが独り歩きして根付いてしまうことの弊害は小さくないと感じています」

「一人」にフォーカスする、人類学的調査手法

 単語だけが独り歩きしてしまうことへの危機感を抱く大川内さんだが、そんな彼女としての人類学的実践が、アイデアファンドでの活動だ。「アイデアで資本主義を面白く。 」を企業理念に掲げる同社は、文化人類学的調査手法により徹底的にユーザーを観察することで、無自覚の潜在ニーズを浮き彫りにし、新たなイノベーションのアイデアを生み出すことに取り組んでいる。具体的な事業内容は、企業向けのリサーチやコンサルティングだ。クライアント企業は、日本進出を計画する海外のIT企業や小売企業、またメーカーをはじめとする国内企業の新規事業開発部門・企画部門などが多いという。
 設定されたリサーチクエスチョンに対して、文化人類学者によるフィールドワークを実施し、そこから得たインサイトを調査報告書にまとめる。その際、一般的なリサーチ会社が出すような「◯割の人が〜〜だった」という定量的なデータだけでなく、エスノグラフィー的な視点から編み出された定性的な結果まで踏み込むのが、アイデアファンドの特徴だ。その際、特定の「一人」にフォーカスするという手法を取る。

「マーケティングにおいてペルソナを設定することは多いと思うのですが、『なんとなくこういう人たちに合いそうなものを作ろう』とイメージが先行してしまうと、結果的に誰にも刺さらないものができてしまう危険性があると思っています。対して私たちは、実在する特定の一人にフォーカスして、その人に刺さるものを作ろうという考え方を取る。もちろん、その『一人』の選び方はとても重要なので、誰にフォーカスし、誰を徹底的に解剖すべきなのかは、リサーチを始める前段階でよく検討します」

 例えば、多忙な三十代のワーキングマザーの負担を減らすための新規事業を検討している企業がクライアントだとする。冒頭で少し紹介したように、実際にそうした条件に当てはまる家庭を訪問・インタビューし、実情を徹底的に調査。そこで発見した問題やニーズなどのファクトに加え、そこから得られるインサイトも報告書にまとめていく。

「例えば、家事のオートメーション化がかなり進んでいる家庭であっても、実は所要時間が5〜15分ほどの細かいタスクが、母親の時間や意識を圧迫していたりします。庭の前を掃くこと、道路を掃くこと、ゴミ出しなど、お手伝いの方や家電に任せるほどではない、刻みのタスクの存在が生み出していく問題が見えてくるというわけです。すると、『15分単位のタスクをどうにか合理化できる方法が求められているのではないか?』というインサイトが得られます。この『15分単位のタスク』のようなキーワードと、それに対する私たちなりの考えをまとめるというのが、アイデアファンドのリサーチャーの仕事です」

 さらに、大川内さんはレポートにまとめるだけで良しとしない。リサーチ結果が事業に活かされるかどうかはクライアント次第、その多くはお蔵入りというリサーチ業界の現実に問題意識を持ち、その結果を社内で活かすためのワークショップやコンサルティングをセットで提供することもあるという。

 2018年の設立から4年目を迎えたが、人類学的な手法をビジネスに活用することについての、最低限の手応えは得ているという。プロジェクトに参画してくれた、文化人類学の博士課程に所属する大学院生たちからも「いつものフィールドワークと変わらない」という反応がもらえることが少なくないそうだ。その意味でも、アカデミアと近い水準のクオリティを担保できているのではないかと大川内さんは推察する。

 クライアント企業側からは、ただ与えられた仮説を検証するだけでなく、そもそもの仮説や解くべき課題の妥当性を問い直せる点に価値を感じてもらえることが多いという。加えて、「開発人類学的な目線」を持った調査によって、より自然なインサイトを得ることに寄与しているのではないかと大川内さん。

「モックを作ってユーザーに当ててみて、その反応を見ながら少しずつチューニングして開発していくプロセスに、人類学的な目線が入ると、スムーズに進みやすいのではないかと思っています。無理やり使わせたりせずに自然な反応を見ることに気を使っているので、自然なデータが取れる。人類学、とりわけ開発人類学と呼ばれる領域は、伝統的に発展途上国での調査を数多く行ってきたのですが、調査しているうちにどんどん開発が進んでいったりするわけですよね。外資系企業が入ってきて街になっていったり、逆に人が流出して田舎になっていったり。そうして社会が変わっていく場に関与しながら立ち会ってきた歴史があるので、変化の中での調査というのは人類学が得意とするところではあります」

「脱資本主義」的言説への違和感

 人類学とビジネスを横断した活動の背景にある、大川内さんの現代社会観をまとめたのが、2021年9月に刊行した初の著書『アイデア資本主義──文化人類学者が読み解く資本主義のフロンティア』だ。空間・時間・生産の領域でのフロンティアが消滅した現代、「アイデアが生産手段の前駆体としての位置づけを脱して、アイデアそのものが独立した投資対象になっている状況」である「アイデア資本主義」の時代になっていると論じている。

 本書を読むとまず印象に残るのが、昨今の脱資本主義・脱成長的なトレンドに対して、明確に批判的なスタンスを取っている点だ。資本主義を「将来のより多い富のために現在の消費を抑制し投資しようとする心的傾向」と定義し、「入れ替え可能なシステムではない」と書いている。資本主義そのものを断罪するのでなく、できるだけ中立的にその功罪を評価していくべきだというスタンスは、学生時代より大川内さんの根底にあるという。

「私にもアンチ資本主義みたいな感覚はないわけではありません。もともとずっとアフリカに住んでみたいと思っていて、学生の頃からよく旅行していました。すると現実は、よくイメージされるような、自然に溢れて現地の文化が守られているアフリカ像とはやはり違っていて、伝統的な衣装やダンスが見世物になっている。観光客が来たときだけそれを着て踊ってお金をもらい、終わったら携帯で話しながらTシャツに着替えて帰る、ということが当たり前になっているんです。最初はとてもショックを受けて、『グローバル資本主義によって素晴らしい文化が売り物になってしまっている』という問題意識を感じました。その感覚は今もないわけではないですし、文化の多様性を維持することの重要性は感じています。ただ一方で、『この文化はずっとこうありなさい』と言うのもとても押し付けがましい、上から目線のスタンスだとも思いまして。別に変わりたければ変わればいいし、お金を稼ぎたければ稼げばいい。私が望む『古き良き時代』をずっと維持してくださいという考え方は、とても傲慢だなと考えるようになりました。アフリカに訪れている資本主義は、それはそれとして受け入れるのが自然なスタンスなのかなという感覚を、学生の頃から持っていたんです。ですから、資本主義の悪い側面ばかり見てしまうことにはとても違和感がある。実際にそのシステムを取り入れて発展させてきた面があるのだとしたら、功罪の『功』の部分もしっかりと評価すべきではないでしょうか」

 そもそも「社会がこうあるべき」「これが正でこれが悪だ」という感覚自体、あまり強く持っていないという。むしろ大川内さんの根幹には「社会を観察していたい」という気持ちが第一にある。
 例えば、著書ではフロンティア消滅後の資本主義の向かい先として「インボリューション(内へ向かう発展)」を挙げている。空間・時間・生産=消費そのものの拡大に限界が来ている現代、土地の再開発、高速取引、生産性の向上のように「内側」に向かう発展によって、経済拡大を志向するようになるということだ。ただ、株の高速取引などはわかりやすい例だが、直観的にはあらゆる領域で際限なくインボリューションが進行することは手放しで肯定しづらいようにも思える。しかし、大川内さんはそこに対する価値判断も慎重だ。

「もちろん、それによって心を傷つけられる人が出たり、公害が起きたり、環境破壊が起きたりするのは望ましくないという一般的な倫理感覚は持っています。でも、それ以外に『インボリューションの方向性はこうあるべきだ』みたいな思いは個人的にはあまり持っていなくて。良いと思おうが、悪いと思おうが、必然的に進んでしまうものであり、『ああ、無情』みたいな感覚があります。資本主義である限り避けようがないことだと思うんです」

詐欺と格差──アイデア資本主義が対峙する課題

 ただ、客観視しているということは、もちろん手放しの肯定を意味しない。アイデア資本主義の時代になっているという現状認識こそあれ、大川内さんは決してそれを称揚しているわけではない。筆者がこの本を読んだ時に思い浮かんだ、アイデア資本主義下において生じうる二つの課題について見立てを聞くと、「私も間違いなく大きな問題だと思っていて、解決手段について自分なりに考えはじめています」と答えてくれた。
 まずは、実態の伴わないアイデアに投資が集まってしまうリスク。著書でも、血液検査の画期的技術を開発したとして巨額の投資を集めたが、結局そうした技術は存在せず、詐欺罪で起訴されるに至った、アメリカのスタートアップ・セラノスの事例が紹介されていた。アイデアという、比較的実態の見極めづらいものが投資対象となっているがゆえに、セラノスの悲劇を繰り返すことになってはしまわないだろうか?

「嘘のアイデアや実現詐欺は言うまでもなく、本当に実現するつもりで頑張ったけれど、結果的にポシャるという話ももちろんたくさんあります。というか、投資がどんどんモノづくりの前段階の、不確かなものに対して行われるようになっている以上、そうしたリスクは付き物です。全部のアイデアが成功するような社会になるわけはありません。ただ、そのリスクを和らげる手段はありうるなと思っています。例えば、アイデアのアナリストのような人たちが出てくるかもしれません。株式だって、個人がそれぞれの銘柄を分析するのはなかなか難しいので、アナリストがついて定期的にレポートするじゃないですか。その分析を見て、売り買いを考えたりする。それと同じように、アイデアについてもアナリストがいて、点数やレーティングをつけて評価されていくかたちはあり得るかなという気がしています。それから、アイデアのIPOのようなものもあり得ると考えています。アイデアにおける経営と資本の分離のようなことが起こり、アイデアがパブリックになり、監査が入ったりいろんな人の目に触れたりするようになる。そして、先ほど触れたアナリストの分析なども参照しながら、アイデアを直接評価できない人でもアイデアを理解して投資するかどうかを決められるようになる世界はあり得るのではないでしょうか」

 たしかに、よいアイデアが正当に評価されるエコシステムが構築されれば、セラノスの悲劇は防げるかもしれない。ただ、そうなったときにより一層深刻化してくる恐れがあるのが、アイデアの格差の問題だ。結果的に引き起こされる経済的な格差はある程度再分配可能だとしても、アイデアの有無で社会的成功が左右される、ある種の実力至上主義社会が到来したときに、アイデアなき者たちの社会的承認が欠如してしまわないか。2021年4月に刊行されたマイケル・サンデル『実力も運のうち──能力主義は正義か?』でも主題として論じられていたが、メリトクラシー社会における承認の問題は、昨今のいわゆる先進国が対峙する重大な課題となっている。アイデア資本主義下においては、その課題がより深刻化してしまわないか?

「アイデアを生み出せない人がどうなってしまうのかという問題は、非常に大きいと思っています。本を読んでくださった人からも、とりわけ『日本人はアイデアを生み出すのが苦手じゃないですか』と言われることもけっこうあって、そこに対して不安を抱く人は多いのでしょう。とても難しい問題ですが、一つは先ほどお話しした、アイデアのアナリストやIPOの普及によってある程度解消できると思います。アイデアを生み出したり評価したりすることができなくても、アイデアに関するレポートを読んで投資することなら、アイデアに関して素人であってもできる。ある程度、アイデア投資の民主化は進んでいくでしょう。自分でアイデアを生み出すことはできなくても、とりわけ自分の得意とする領域であれば、アイデアを評価することはできる。ですから、アイデアを生み出す主体だけが勝つような社会にはならないのではないかと思います。ただ、承認の問題は難しいですね……一ついえば、アイデア資本主義の時代においては、別にアイデアだけが売り物になるわけではありません。結局、そのアイデアをもとに商品が作られて、買われていく工程はなくならないので。そうしたプロセスそれぞれに携わる人たちが、承認を担保できるような社会にしていかなければいけませんよね。みんな平等を求めたら社会主義になってしまいますし、資本主義社会である以上、ある程度の実力主義は避けられない」

人類学に対して中立的立場が保てている理由

 文化人類学とビジネス、アカデミアと企業社会を〈横断〉しながら、アイデア資本主義の時代に対峙する大川内さん。ここまでも何度か、既存の人類学のディシプリンや方法論に固執することへの違和感が語られたが、もともと人類学に対して強い思い入れがあったわけではないという。

「もともと大学は理系で入学しました。人間が嫌いだったので、アフリカで動物と暮らしたいなというだけの理由で、動物について研究したいと思っていたんです。ただ、解剖が苦手だと気づきまして(笑)。別のかたちでアフリカで細々と暮らせる学問はないかなと探した結果、見つかったのが文化人類学だったんです。そういう経緯もあってか、人類学を学びはじめてからも、『サイエンスなのかどうか何ともいえないことをやっているな』『アウトプットも小説みたいだし大丈夫かな』と、批判的に見ている時期が長かったですね。ただ、アンケート調査も併用しながら研究を進める中で、個にフォーカスするからこそ見えてくるもの、個にフォーカスしないと見逃してしまうものはたしかにあるなということがわかってきました。アンケートではすごく健康意識が高くて料理が大好きだと答えていた方が、実際に家に行くとカップラーメンだらけだったり(笑)。個々人を直に見続けることでしかわからないズレやバイアスがあるなと。ただ、あくまでも人類学は数ある学問のうちの一つであって、特別に魅力的なものではないという認識はずっと持っており、愛憎渦巻く感じですね(笑)」

 そうした中立的なスタンスもあってか、典型的な文化人類学らしいイメージを喚起するタイプの研究はしていなかった。研究テーマは、大学における知の創造とその特許化・商品化のプロセスについて。国内の創薬ベンチャー・ペプチドリームを対象としたフィールドワークを行い、知識の特許化や研究のビジネス化など、東京大学における産学連携、科学的価値が技術的価値に変換されていくプロセスを研究した。さらには、学部生時代には知人の縁で学生ベンチャーに携わり、開発からマーケティングまでビジネスのプロセスを一通り目の当たりに。大学院生時代も、後のアイデアファンドの着想の原型となる、人類学的知見を活かして外資系企業のリサーチを支援する経験をするなど、企業社会との接点を持ち続けた。人類学とビジネスを架橋する志向性は当時から既に芽吹いていたようにも思えるが、そうして〈横断〉的に活動していた背景には、指導教官である福島真人の影響もあったようだ。

「福島先生は、人類学の関連領域であるSTS(科学技術社会論)を専門としていました。STSはもともとラボラトリー=スタディーズという、科学者をいわば一つの村の住人に見立てて観察し、理性的で科学的な正しさを基準に回っているイメージのある科学的知識が、実は権威や競争関係に左右されて『真実』が決まっていくことを明らかにした領域を発祥としています。もちろん、そうして研究対象をバーバリアンに見立てる見方には問題もありますし、実際にかなりの反発も引き起こしましたが、その系譜を引き継いでいるので、STSも科学が持つ社会性・人間性にフォーカスを当てているんです。ですから、福島先生の研究室には、トラッドな人類学よりは、そうした方向性の研究をしている人が多かったですね。そういう研究室にいたこともあって、『人類学はこうあるべき』みたいな議論を窮屈に感じるようになったのかもしれません」

 修士課程を修了したのち、若手研究者の登竜門として有名な日本学術振興会特別研究員(DC1)に内定した大川内さんは、当然のように博士課程で研究を続けるものかと思われたが、これを辞退。みずほ銀行GCF(Global Corporate Finance)コースへの入行を決めた。人文系の博士課程の経済的・キャリア的厳しさに耐えうるだけの情熱を持てている自信がなかったのに加え、アカデミアの外の企業社会をより深く見てみたいと思ったのが理由だったという。
 ただ、当時からそのまま金融のプロフェッショナルを目指すつもりはなかった。「みずほ銀行には悪いのですが、もともとすぐに辞めるつもりでした(笑)」。ビジネスに人類学を応用していく会社を作りたい思いは抱いていたというが、学生ベンチャーに関わったときに、会社における意思決定の仕組みや、サステナブルな組織の作り方が一切わからず、その難しさを痛感。一度しっかり勉強してからでないと、会社を立ち上げてもうまくいかないと考え、まず数年修行する場としてみずほ銀行に入行した。本店営業第十七部にて、大手通信会社グループを担当したのち、入行から3年経った2018年に退職。アイデアファンドを立ち上げた。

アイデア資本主義を、自分でも走ってみたい

 観察的なスタンスを保ちながら、アカデミア、文化人類学から企業社会まで〈横断〉的に活動を続けている大川内さん。特定の業界や領域にとらわれずに動けている要因を問うと、直感的な観点と戦略的な観点から答えてくれた。

「たぶん二つある気がします。一つは、わたしがすごく飽きっぽいということ。いろんなものに興味があって、あまり長続きしないんです。これは欠点でもあると思うのですが、すぐに次のものが知りたくなってしまう。ですから、一つの業界や領域に居続けるのでは、なかなか満足できないんです。もう一つは、アイデア資本主義的な社会が訪れているという感覚はずっと持っていて、そこにおいては『良い大学を良い成績で出て、有名な職場に勤めて』ということではなく、おもしろい経歴、自分にしか出せない意見や知見があることのほうが重要だと思っていること。東大の人類学という王道に居続けて、同期の中でのトップを目指すよりは、独自にできることを積んでいったほうがいいのではないかと。正解のルートを歩かないと落伍者扱いされ、それがデメリットになる社会ではなくなりつつあり、むしろ面白いキャリアのほうが強みになるはず。アイデア資本主義を、自分でも走ってみたくなったんです」

 今後は先述のアイデアのIPO、アナリストといった仕組みのような、社会的損失を減らすためのアイデアのクオリフィケーションの構築にチャレンジしつつ、アカデミア内外の垣根をより一層なくしていきたいという。ポスドク問題に象徴されるように、とりわけ人文系領域において、博士課程院生の経済的苦境や就職難は深刻だ。人類学のスペシャリティを持った人が、民間で働きたくなったら来られて、さらには研究したくなったらいつでも大学に戻れる。「居心地がよくて、好奇心も追求できて、金銭的にも苦しまない」。そんな環境──かつて大学院生だった大川内さん自身がまさに欲しかったものだ──を実現すべく、邁進していくと語った。

 大川内さんとじっくり話していて感じたのは、誤解を恐れずに言えば、ポジティブな諦観のようなものだ。「あぁ、無情」という言葉も出てきたが、人類学にも、ビジネスにも、資本主義にも、過剰な思い入れや期待を抱いていない。常に観察者として、来し方行く末を冷静に見つめている印象を受ける。しかし、だからこそ軽やかに業界や領域を〈横断〉しながら、取り組むべき問題そのものにアタックしていけるのだろう。もちろん、革新的なアウトプットを出し続けている彼女に情熱がないわけがない。しかし、それだけでなく、観察者としてのポジティブな諦めも併存していることが、〈横断〉者たりえている一つの重要なファクターなのかもしれない。

[了]

この記事はPLANETSのメルマガで2022年1月26、27日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。あらためて、2022年3月10日に公開しました。photo by 高橋団
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