「庭プロジェクト」とは、これからのまちづくりについて、建築から人類学までさまざまな分野のプロフェッショナルが、官民産学を問わず集まって知恵を出し合う研究会です。
第31回となる今回の研究会では、ランドスケープデザイナーの熊谷玄さん、株式会社設計領域の代表取締役 技術士・吉谷崇さん、株式会社SOCIの代表 一級建築士/技術士・大藪善久さん、そして大日本ダイヤコンサルタント株式会社の黒島直一さん、森田紘圭さんをゲストに迎え、2024年に話題を呼んだ「前橋クリエイティブシティ県庁-前橋駅都市空間デザイン国際コンペ」への提案について、プレゼンテーションとディスカッションが行われました。テーマは、前橋駅と群馬県庁をつなぐ1.5キロのメインストリートの再構築と、そこに埋め込まれる「100の苗床」、そして地方都市が直面する「アイデンティティ」の再設定についてです。
「庭プロジェクト」の連載記事は、こちらにまとまっています。よかったら、読んでみてください。
端的に言うとね。
隙間だらけで、車優位の街を編み直す
今回のゲストは、ランドスケープデザイナーの熊谷玄さんです。熊谷さんは、2024年秋に行われた「前橋クリエイティブシティ県庁-前橋駅都市空間デザイン国際コンペ」に、株式会社設計領域の代表取締役 技術士・吉谷崇さん、株式会社SOCIの代表 一級建築士/技術士・大藪善久さん、そして大日本ダイヤコンサルタント株式会社の黒島直一さん、森田紘圭さんらとチームを組んで参加しました。
舞台となる前橋市は、メガネブランド「JINS」創業者の田中仁氏が中心となり、民間主導のまちづくりが熱を帯びているエリア。ドイツのコンサルティング会社・KMSTEAMの分析から導かれた「Where good things grow(良いものが育つまち)」を糸井重里が「めぶく。」という日本語に訳し、市のビジョンとして策定したことでも知られています。著名建築家が手がけた白井屋ホテルや馬場川通りのプロジェクトなど、注目を集める取り組みも少なくありません。
そうした前橋のさらなる発展に向けて、①県庁〜前橋駅の道路の空間デザインと②県庁前の県民広場の空間デザインの2点について提案が募られたのが、今回のコンペでした。
「前橋では白井屋ホテルや前橋ガレリアのように民間の投資で街が動き始めている一方で、街全体としては駐車場だらけでスカスカという現状があります。この隙間だらけの街をどうやってこの先変えていくことができるのか、世界に誇れるメインストリートをつくろうというのが、このコンペの主旨だったと理解しています」(熊谷さん)
(写真:公式サイトより引用)
とりわけ問題になっていたのが、駅から県庁へと向かう途中にある変則五差路の本町二丁目交差点です。かねてより渋滞や通行者の不便さが指摘されており、その解決はコンペにおける重要なポイントでした。

「五差路というと、通常同じ箇所に五本の道が集まっている交差点を想像しますが、ここはよく見ると四叉路に一本、左下から市道がどん付けしているような構造です。こういう複雑な交差点では赤信号の時間が非常に長くなり、それが渋滞の大きな原因になっていました。大きな構想としてはここを四叉路化することが前提になっていましたので、私たちは国道50号と市道の線形を少し改良して十字の交差点をつくるとともに、県庁へ抜けていく側をトランジットモール(一般車の通行を制限し、バスなどの公共交通機関と歩行者が共存する道)として整備するやり方を考案しました。通常だったらバスやタクシーで移動してしまう場所に、どうやって人を歩かせ、賑わいをつくっていくか。車線数を減らしながら遅い交通を取り入れ、移動の回路をつくる。線で解くけれども面に影響するような空間づくりが求められていました」(黒島さん)
このコンペに際して、熊谷さんたちのチームが掲げたコンセプトが「まちを耕しつむぐみち」でした。
「前橋らしさを考えたときに、大きくは二つの手がかりがあると考えました。一つは地形です。関東平野のちょうど入口に利根川が流れ込んでくる場所で、川と大地の恩恵を受けている。古墳も多く、昔から人が住んでいた土地でもあります。もう一つは、街が立ち上がっていくときに製糸工場が大きな力を貸していたという歴史です。
こうした前橋の背景をダイレクトにコンセプトにしながら、前橋が掲げている『めぶく』というビジョンにも接続していけないか。そう考えて我々は、土と糸という二つをコンセプトにしながら、『まちを耕しつむぐみち』として通りを再編していくことにしました」(熊谷さん)

このコンセプトのもと、四つの具体的目標が設定されました。①道路を「苗床」として、街が広がっていく起点を100か所つくること/②体感気温を10度下げ、気候変動に耐えられる道をつくること/③公共交通を主役に据えたトランジットモール化/④アスファルトをはがし、グリーンインフラとしての自然被覆を再生すること、の4つです。
「①は、ただシンボリックな道をつくるのではなく、古来より商いや人との交流があった道の姿をもう一度復活させ、前橋の次をつくっていく起点に育てていこうという提案です。そうした場所を『100の苗床』と呼んで、100か所つくり、そこから街を広げていく。②は、前橋は夏の暑さだけでなく冬の強風も凄まじいので、樹木やシェルターを道沿いにつくって気候変動に耐えられる道にしようというもの。③は道全体がトランジットモールになることを踏まえ、最も便利な公共交通のあり方をしっかり設計していこうという提案。④は、コンクリートやアスファルトに被覆され続けていく都市ではなく、それを剥がして再生可能な自然被覆をつくっていこうという構想です。土をベースにした舗装材など、さまざまなテクノロジーを用いた新たな道づくりに挑戦していきたいと考えました」(熊谷さん)

車と人間が共存するモビリティを実現するには?
四つの目標を実現するための具体的な提案は、まず交通計画から語られました。
「公共交通が選ばれるものになることを重要視したうえで、『Mobility for All』というコンセプトをつくりました。独立レーンをつくっただけでバスが利用されるわけではありません。現状よりも必ず便利にして、選ばれる交通にしようという提案です。バスだけでなく歩行者にも自転車にも、車にもきちんとアクセスを担保する。さまざまな交通手段の利便性向上を目標に、独立レーンをしっかり設けたうえで、歩道の位置や交差点の形、自転車の走行空間を整理していきました」(黒島さん)
また、チーム内では、2040年の前橋を考えるというテーマのもと、自動運転がどこまで発達しているかをどう見積もるかが議論になったといいます。
「独立したバスの車線をつくるモビリティレーンは、自動運転の実現手段の一つでもあります。自動運転バスの路線を自動車や歩行者と分離し、早期に実装させようという意図です。
道路は経験工学ですから、技術の発達に対して法規制としての対応はどうしても遅れてくる。早期に実装し、早く知見を得て、早くデータを得て、早く規制緩和につなげる。その速度をとにかく上げて回していこうというのが、ここで考えたことです。
歩行者は大事にしながら、車は車でしっかり処理するという力点の置き方で提案しました。ただ、道路だけを整備しても沿道に一般車や民地の駐車場がありますから、民地との関係も整理しなければなりません。コインパーキングのような場所は、できれば建物を建てて経済活動をしてほしいので誘導が必要ですし、そうでない駐車場の乗り入れ口は確保するなどのきめ細やかな対応が必要でした」(森田さん)

こうした交通計画を踏まえ、熊谷さんたちはこの1.5キロの通りを大きく三つのゾーンに分けて構想しました。駅近のエントランスエリア、白井屋ホテルや前橋ガレリアを含む商業エリア、そして県庁に近い居住エリアです。
「エントランスエリアは、外からやってきた人たちの入口となるエリアです。今後周辺にホテルやオフィスが立地していってほしいエリアでもあり、ここには上毛倉庫という製糸業時代に使われていた格好いい倉庫があるので、道とセットで活用していくイメージを持っていました。
商業エリアは白井屋や前橋ガレリアがあって、商いが中心の場所です。人々の交流や商売がドライブしていくような道のつくり方をしたいと考えました。
一方で県庁に近い居住エリアは、大型マンションの建設予定や再開発の計画もあり、今後ますます人が暮らすエリアになっていく。学校もあるので、ここに人が住み、働き、暮らしの中でさまざまな楽しみを見つけられる場所にしたいと考えていました」(熊谷さん)

「道路自体を完全な広場にするわけにもいかないし、ただの道路にするわけにもいかない。その中で我々なりの最適解を求めたのがこの案です。パッと見は地味に映る計画かもしれませんが、実際の交通の変化やモビリティの進展、今後起こっていく変化を埋め込んでいく地盤として提案しています。
全体としては真ん中にモビリティのレーンをしっかりとって、沿道の建物や裏の街とのつながりを有機的に抉り出すような広場空間で変化をつけました。通りをスラローム(障害物を左右に交互にすり抜ける走行技術)のようにうねらせ、全体に変化が生まれる空間を狙っています。前橋の歴史を紡いできた『糸』というキーワードで、舗装パターンが縦横無尽に巡らされていくような空間構成です。
歩道空間については、水盤をつくったり大きなファニチャーをドカッと置いたりするのではなく、これからの可変性を許容していく仕組みにしました。『土』というキーワードで提案しているので、土壌になるような、フレキシブルでありながら周りとの間合いがしっかりできていることを目指しています。
居住エリアについては、ふつうは駅前にどんどん人が集中して住むのがコンパクトシティの常道ですが、今回の1.5キロがモビリティでつながるという提案の中では、むしろ駅から1キロほど離れた環境のいい県庁舎周辺エリアのほうが、これからの街の中心になり得るのではないかと考えました。歴史的にはここが前橋城の外堀があったエリアなので、そうした遺構も生かしながらつくっていく、一番ストーリー性のある場所として提案しています。
駅前通りについては、まちの入口となる場所として、倉庫の活用や豊かな緑陰などいまある風景を大事にしたつくりにしました」(吉谷さん)
「土の盛り上がり」くらいの関与で、コトを引き起こす
この提案の核となったのが「100の苗床」というコンセプトです。ファニチャーや緑陰、沿道施設との連携による滞在性の高い街路空間のなかに、モバイルポットなどを活用したスモールチャレンジを継続的に支援する仕組みを埋め込み、前橋らしい活動や人材を通りから生み出し育てることを意図していました。
「他のチームは水盤や島をつくるといった提案が多かったのですが、我々は明日からでもすぐにできることをより突き詰める方向で議論を進めました。
人が滞留したところにさまざまなアクティビティが展開されるのが自然だろうと考え、注目したのがベンチのようなもののあり方です。ただ人が休んで座るだけではなく、座ったことをきっかけに街とつながっていけるような仕組みや、立ち上がったベンチにキッチンカーがやってきてレストランになるようなこともあるかもしれない。売り場になるかもしれないし、子どもたちの遊び場になるかもしれない。さまざまな取っ掛かり、引っ掛かりになって活動が芽吹いていく、『めぶくためのファニチャー』を構想しました。土から芽が生えてくる前の、土を盛り上げるイメージです。
ベンチはすべて土がむくれあがったような形をしていて、そのむくれあがりの高さや幅、角度によって使い方が変わるベースの形状を考えました。それが『土の居場所』です。そこに『活動の種』として『モバイルポット』と呼ぶ可動式のさまざまなものがやってきて、土の場所を補完していく。キッチンカーで商売することもあれば、ウォータータンクで水を配ったり、植物自体が動いてやってきて園芸的な活動を支えたりもする。そうしたモバイルポットと土の居場所を組み合わせて、道のなかに『100の苗床』をつくっていこうという構想でした。
結局どこまでつくると『コト』が起こせるのかという境界線を測ることが、この議論の中ではなされてきたのだと思います。芽吹いた先でもなく、芽吹く前の土でもなく、芽吹くときに起こる土壌の変化──土の盛り上がりのような、そのぐらいの関与の仕方で道に何かをつくる。苗床やそういったものをつくりながら、さらに上を咲かせるための活動につなげていくことを意識してきました」(熊谷さん)


これらの苗床は抽象的な提案ではありません。1.5キロの通りの一箇所一箇所について、民地の状況を具体的に詰めたうえで配置されたものだと熊谷さんは強調しました。「ここはマンションの前だから、これをつくると駐車場に入れなくなってしまう。だから後ろに回してこういう場所をつくったらいいんじゃないか」。そんなふうに、一つひとつ詳細な検討を加えて提案を練り上げていったといいます。
五差路を四叉路化することで生まれる空間には「繭玉ルーフ」という施設の設置が提案されました。
「通りを無理やり歩かせるという考え方はあまり好きではないのですが、1.5キロという非常に長い通りです。県道と国道が切り替わる一番大事な結節点には、やはりそれなりのインパクトがあるポイントが必要だろうと。そこで出てきたアイデアが『繭玉ルーフ』です。
『土』と『糸』というコンセプトをまさに体現した施設で、糸的な屋根と土的な床が混ざり合うような拠点です。機能としてはモバイルポットなどコトを起こしていく拠点や、インキュベーション施設などが入る想定です。スロープ状に人を登らせて風景を楽しむ装置でもあり、上に登れば美しいケヤキ並木が見える。夏は夜が活動の中心になっていくので、ナイトタイムエコノミーの拠点にもなる。通り全体のコンセプトを凝縮した場所として提案しました」(吉谷さん)
県庁前の芝生広場は、ニューイヤー駅伝のスタート地点であり、隣には警察の地下施設があり、もともとお城があったため埋蔵文化財も多く、あまり掘れない、上にものをつくれないという制約を抱えています。チームはここに対して、大地をわずかにめくり上げるという最小限の介入で、赤城山を望む大らかな広場を提案しました。
「芽吹くものの親玉のような感じで、ちょっとだけ大地をめくりあがらせて、微地形を使った広場にしていこうと考えました。ここに立つと赤城山や前橋周辺の素敵な山々を眺めることができます。『県庁の星』という映画の舞台になった前橋県庁は、市内でも異質な建物で一つだけ非常に高い。そのスケールとの関係を考えると、大きくておおらかな広場がふさわしいのではないかと。
とはいえこの暑さの中で、日陰のない芝生広場をバーンとつくるだけでは何の説得力もありません。通り側にはちゃんと休める木陰のスペースや芽吹くファニチャーを配して、さまざまなコトが起こる場をつくりました。このあたりは木を植えてはいけないと言われており、芝生しかつくれないのですが、その芝生広場の良さが伝わるようにするには最小限の手数がいい。真ん中には噴水をつくって、水が出ていないときはふつうの広場として、ニューイヤー駅伝のスタート地点にもなる、そんな場所を構想しました」(熊谷さん)
さらにはハードだけでなくソフト面、たとえば行政のとりまとめ窓口の設置、MDC(前橋デザインコミッション)を核としたステークホルダーの連携、2040年までのデザイン会議体制も含めた包括的な提案でした。しかし結果は同点一位の次点。チームは「絶対勝った」と確信して臨んだだけに、悔しさの残る結果となりました。
多様なナイトタイムエコノミーをいかにして実現するか?
熊谷さんチームによるプレゼンテーションを受けて、研究会の後半ではボードメンバーを交えたディスカッションが行われました。まず「100の苗床」というコンセプトについて問いかけたのは、文化人類学者の小川さやかさんです。
「いろいろな用途が組み替えられる『100の苗床』というお話はすごく面白いなと思ったのですが、そうした試みは建築の世界ではよくあるものなのでしょうか? 最近、所属大学のキャンパスの整備に関わるようになったのですが、椅子や机をバラバラにして、多種多様な用途に使えて、自らつくり変えられるものにしたいという提案が出ていまして。わたしはいいぞいいぞ!と応援してたらめちゃくちゃ怒られてしまったんですが(笑)、自由すぎるがゆえのリスクなどを指摘する人たちもいて、難しいなと思っていたところでした」(小川さん)
「発想としてそこまで目新しいものではないと思っていますが、今回議論になったのは、コンセプトである『土』がどこまでを担い、そこから何をリリースしていくのかというポイントです。土が支えるところと、土から芽吹いて広がっていくところの境界線を、デザインでどう表現するか。特に今回はパブリックスペースですから、何でもできる自由な場所をつくればいいというわけではない。道路としての制約もありますし、自由にすれば活動が起こるというものでもない。街と結びつけるポイントをどうつくっていくかが、大事な議論だったと思っています」(熊谷さん)
続いてデジタルファブリケーション研究者の田中浩也さんから、ナイトタイムエコノミーについての問いかけがありました。
「ナイトタイムエコノミーの話に触れられていましたが、現状、鎌倉や茅ケ崎のような中都市で似たことをやろうとすると、若者やおっさんがチューハイを飲み始めて場所を占拠してしまう。そこから多様なナイトアクティビティが混在する状態に持っていくには、何が鍵になるのでしょうか? 鎌倉だと若い女性が一人で犬の散歩をしていたりもしますし、1.5キロあればジョギングで往復3キロになるので、夜でもいろいろなアクティビティが想起されます。必ずしもキッチンカーが来て飲み会をしているイメージだけではない、もっと多様な都市生活が夜に混ざりうるのではないかと思います」(田中さん)
「場があって、そこを活用するホストのような人たちの存在が重要なのではないかと思っています。子どもを遊ばせるにも見守る人が必要ですし、移動本屋さんのような人たちがそこで活動できて本が読めるようになっていると活発になりやすい。コンテンツ提供者や街のプレーヤーが積極的に関われる場としてのファニチャーがあって、そのホストにある程度活動が引っ張られるという感覚をいかにしてつくるか。ベンチの幅が広いとか電源がついているとか、そうした機能も持たせながら、みんなが『ここでこれができる』と思えるような場づくりが大事なのではないかと思います」(熊谷さん)
「ちょうど先週マレーシアにいたのですが、夜中に飲み屋より遅くまでアイスクリーム屋さんが開いていて、夜遅くにも子どもを含めてふつうに生活圏としてうろうろしている光景が当たり前でした。イスラム圏はお酒を飲まないところが多いので、夜に人がいないかというとそんなことはなく、みんな素面で街に出てスポーツをしたり海水浴をしたりしている。そういう生活文化が他の国にはあるわけです」(森田さん)
「庭」化するための都市開発のプロセス
続いて建築家の門脇耕三さんからは、民地連携とミッドナイトカルチャーについて問いかけがありました。
「前橋はロードサイドに駅前が負けているところですよね。それをどうやって勢いをつけていき、民地と連携させていくのかが重要だと感じました。
それからナイトカルチャーの中でも、ミッドナイトカルチャーに可能性があると考えています。中高年は飲み屋でいいのではないか。ミッドナイトとなると、お金のない若者たちが夜遊びをする。前橋でやらなければならないのは、駅前を中心としたストリートの復権ではないかと思うんです。パブリックスペースだけでは片手落ちで、建物の中の空間の勢いがあふれ出すことで、ストリートが活気づいていくはずです」(門脇さん)
「民地に関しては比較的積極的に提案していたほうだと思いますが、どう実現してマネジメントしていくかはやはり問われました。すべてが活性化する夢のような絵は描けないし、『現実的に歯抜けにしかなりません』とも言えない。ですから、時間をかけて育てていくシステムを提案したというのが正直なところでした。
ミッドナイトカルチャーの話はとても面白いです。前橋はスケボーも多いですし、根付いていくプロセスさえあれば、むしろミッドナイト使ってくれよという感覚もある。真ん中のエリアは業務地系で夜は沿道に住んでいる人がいないので、そこに限っては夜スケボー可能にするなど、今後チャレンジしていきたいテーマです」(吉谷さん)
「あえて『100の苗床』と謳ったのは、きちんと用意された場所をつくるというよりは、でこぼこやひだのようなものが道のふとしたところに多様にあることで、ハッカブルな空間が生まれるのではないかという期待感からです。意図通りに使われないものをどこまで許容するのか。使われている場所と使われていない場所のあいだで棲み分けが自然に生まれることを、ある程度予測して提示するとしたら、まずはそうしたものをつくっていくところから始まるのではないかと思います」(熊谷さん)
他方、慶應義塾大学の井庭崇さんからは、ポートランドに住んでいた経験を踏まえた問いかけとコメントがありました。
「ポートランドにはフードトラックの文化があり、その多くは飲食系なのですが、中には、古いバスの車両の中で洋服や小物を売っていたりする店もあったりします。今回の案のように、モバイルポットが入替可能であるということは、昼と夜で違うお店になるということもできるので、そこに可能性を感じます。昼間、洋服を売っているポットがあった場所が、夕方になるとバーのポットに入れ替わる。自動運転によってバックヤードから出てきて入れ替わる。
通常の店舗だと、昼はカフェで夜はバーになるというような変化が限界でしょうけれども、このモバイルポットであれば、服屋さんと飲食店を、同じ場所で展開できる。そうすれば、『昼は活性化しているけど、夜はシャッターが閉まって、ただの通り道になる』というようなことにならずに、『昼は昼の活性化、夜は夜の活性化』をつくることもできそうで、その可能性にワクワクします。
また、コンペだとどうしても完成形の絵を描かなければいけないわけですが、結局そこで何をみんながやってくれるかに依存する。むしろ民間が自分たちのやりたいことを持ち込めるような形、つまり『公園』のような場ではなく『庭』、『自分の庭』だからやりたいことをやるという感覚で認可してもらうような仕組みが必要ですね。プロセス自体をデザインし直さないと、いままでの都市開発のあり方では不十分になっていくのだろうと、プレゼンを聞きながら思いました」(井庭さん)
街のアイデンティティとは何か?
研究会の終盤、庭プロジェクトを主催する批評家・PLANETS編集長の宇野常寛が問いを投げかけました。庭プロジェクトは前年度に鎌倉・藤沢の再開発地区について約1kmの道路活用を提案しています。宇野はその経験を踏まえ、前橋のコンペが問うていたのは「道のデザイン」ではなく「街のアイデンティティ」だったのではないかと問いかけました。
「今回のコンペの裏テーマは、街のアイデンティティだったと思うんですよね。僕ら庭プロジェクトが鎌倉で提案したプランの中核にあったのは再開発地区を貫く約1kmの『シンボル道路』の提案でした。ここで問われていたのは特定の街のアイデンティティというよりはむしろ既存の『鎌倉らしさ』を超えた、藤沢と鎌倉が共有できるような新しい湘南のイメージを住民たちが自分たちで見つけられるための環境を整えると言う意識でやっていました。でも前橋はたった500メートル長いだけなのに、質的にまったく違う。県庁と駅を結ぶ1.5kmの道のなかに性格の異なる三つのエリアを含んでいて、この組み合わせで前橋のこれからのアイデンティティを提示することが求められていた。そして僕からしてみれば、玄さんたちのチームのプランはその要求に応えていたと思います。縄文からの超歴史的な土地読みでアイデンティティを定義するという、一番本質的なところから考えたプランだったと思うのですが、ただ、それゆえにわかりづらかったようにも思います。
あえて高崎と対比するのであれば、高崎は単純に平成中期の郊外都市のライフスタイルに最適化している。ロードサイドの量販店を中心に、過不足ない消費生活を提供する。これに前橋が差別化し、対抗するとしたらこういったものの『次』のかたち、ポスト戦後中流というか、令和的なスタイルを考えないといけない。令和の日本はファミリーより単身世帯が主流になり、少なくともガソリン車中心の移動で専業主婦前提の郊外の戸建てから職場に通うスタイルではなく、職住近接のウォーカブルな都市への需要が相対的に大きくなるし、基幹産業はもちろん製造業ではなくIT系や感情労働系になる。こういった未来の中都市のビジョンを出すのが、僕は前橋では一番おもしろいシナリオだったと思います」(宇野さん)
「僕自身が一番感じたのは、山に囲まれた風景をどう再構築していくかということでした。通り自体をただ単に歩きたいと思う人もいないし、遊園地のようにみんなが行きたくなる場所にするということ自体も本当の道の価値ではない。この通りから見える風景をどう再構築するかこそが、前橋のアイデンティティになり得るのではないかと考えていました。ただ、全体の中でそれを前面に出す提案になったかというと、途中に少し書いてあるぐらいになってしまった。アイデンティティやらしさは、特に土木や街づくりだと常に自治体から求められますが、それを形にしすぎた瞬間に一気に陳腐化する。言葉ぐらいがちょうどいいこともある中で、前橋ぐらいの規模の街でどう扱うかは本当に難しい」(吉谷さん)
「前橋のアイデンティティという直接の問いに正面から向き合ってこなかったのは正直なところです。ただ、歴史的に、また地域に入って肌で感じたのは、首都から少し離れた城下町であるという文脈がいまも脈々とあるということでした。お城の脇にある迎賓館は地域の基金やお金を集めて自ら建てたものですし、いまは田中仁さんが太陽の会という基金をつくって街に還元・再投資をしている。前橋の住民であるわたしの知人から聞いた言葉で腑に落ちたものがあります。『見て見ぬふりもしないし、ダメとも言わないし、積極的に協力もしないけれど温かく見守る。それが前橋だよ』と。それは一つの前橋らしさ、アイデンティティだなと思って、コンペに臨んでいました」(黒島さん)
「土と糸という珍しい組み合わせのキーワードに表れているように、古墳や前橋台地といった大きな地形の文脈のなかにこの街があるよねという話が、チーム内の共通認識としてありました。そうした地層からの流れをちゃんとつくりたかったし、現代の街や環境に対する転換としてもやりたかった。被覆をはがすというコンセプトにもつながっていて、最初から土というものをすごく大事にしていた。僕らはそれを前橋のアイデンティティだと思っていました」(大藪さん)
「宇野さんに言われてハッとしたのですが、街であるということがアイデンティティだとすれば、これから街は何によって街たり得るのかというところを、もう少し説明したらよかったなと。複雑さやわかりにくさがちゃんと評価されるとか、街ってそんなにわかりやすくできていないという部分を肯定してほしいという気持ちはずっとあるんですよね。負け惜しみみたいなこと言ってますけど(笑)」(熊谷さん)
[了]
この記事は石堂実花・小池真幸が構成・編集をつとめ、2026年4月9日に公開しました。



