推し、萌ゆ

 推しが萌えた。毎年のこととはいえ、芽が出るとホッとする。推しとは、ある作物のことだ。
 わたしは二〇一五年に大阪から奈良県宇陀市に移り住み、里山生活をおくっている者である。大阪に住んでいた頃、間接的で迫真性に欠ける都市生活に不足を感じ、生をその根柢から十全に生きたいと思うようになった。生きることはまず食べることである以上、食べ物を自給することで不足感は解消されるはずだと考え、中山間地域への移住に踏み切ったのだ。そして移住後、自分の主食であり、したがって最も力を与えてくれる存在である稲の栽培を生活の最優先事項として取り組んできた。
 だから、もし苗代に播いた種籾が全く発芽しなければ、一巻の終わりだ。稲作をやりだしてからそんなことは今までになかったし、そんなことは今年もないとわかってはいるものの、播種して発芽するまでの期間は毎年なんとなく落ち着かない。その年の条件によって差はあるにせよ、二週間以内には地表にそれと確認できるほどの青い芽の切っ先が伸びてくる。発芽まで二週間というのは作物の中では長いほうだ。栽培者をして、ひょっとして駄目なのではないかという不安をいだかせるには十分なインターバルである。引っ張って引っ張って、満を持して舞台に登場するその勿体ぶった振舞いは、沼ならぬ水田に人間をズブズブと引き摺り込み、長らくわが国の作付面積第一位に君臨している作物にふさわしいというものだろう。
 一般に稲は、非常に手間のかかる作物である。まず、他の多くの野菜と異なり、彼らは湿地でなければ満足に生育しない。つまり、稲を栽培するには水を貯めなければならないわけだが、水をコントロールするには相当の技術と労力を要する。毎年田植え前には畦塗りをし、水を貯めて田植えをしてからも気候や生育状況に応じて取水量を調整し、漏水がないか毎日見廻り、冬季には傷んだ畦を補修し、水を取る沢の整備もしなければならない。そもそも最初に水田を造成すること自体、非常にきつい仕事だったと思う。例えば、水はけのよい草原を水田にしようというとき、畦を盛り上げて田んぼの形だけを作り、そこに水を引くだけで貯水できるわけはない。それでは水は地下に滲みて逃げてしまう。だから、植物が根を張る作土層を一旦取り除き、その下の鋤土層を叩き固めて漏水しないようにしなければならない。また、田んぼに引く水を得にくい土地では溜池を掘る必要もあった。もとから湿地である土地は限られ、まして山が多く平地が少ないこの列島に、重機もない時代から大量の田んぼがあることは、実に驚くべきことである。
 稲が日本人の主食の座を占領して以来、人々は彼らを大量に作る必要に迫られた。田んぼを増やせば増やすほど、水を取り巻く仕事のほか、稲の生育自体にまつわる仕事──苗代作りや田植えや田草取りや刈取りなどに投入する労力と時間も増大することとなった。わたしも稲作を生活の中心に据えて以来、夏場は週に四日も賃労働をすればいいほうで、あとは朝から晩まで田んぼに忙殺されている。正社員になって週五、六で働いていてはとてもできない生活だ。もっともそれは、わたしが農業機械を用いずにほぼ手作業でやっているせいでもあるのだが。
 このように、稲作は骨の折れる営みである。けれども、わたしはやめるつもりはない。わたしだけでなく、今もって多くの人々が米作りに従事しているし、その後ろには連綿と続いてきた稲作文化の歴史があり、田んぼには人間の汗も大量に注がれてきている。たしかに、歴史上には階級的にそうせざるをえない事情も多くあったにせよ、ともかく人々は米を作ってきた。一人分の米を作るだけでも厳しい労働が要請されることをわたしは身に沁みて知っているが、にもかかわらず、それと引き換えにでも米を得たいと人間に思わせるほどの魅力が稲にはあると思う。味や栄養素もさることながら、世話が焼け、ほっとけないところがかえって人心をくすぐり、さらに味に奥ゆきをもたらす効果があると、一介の栽培者の立場から報告しておきたい。自分で育てた米は、精神的にも信じられないほど旨いのだ。
 わたしは当初、稲をはじめ、その他の作物や家畜を食い物にすることで、私腹を肥やす魂胆だった。そしてその目論見はある程度達成されている。しかし見てきたように、わたしは稲を食い物にしながら、それ以上にと言えるくらい食い物にされてもいる。わたしたちは互いに相手をいいように使役しているけれども、どちらかといえばわたしのほうが稲の虜だろう。が、誰もが身に覚えのあるように、悩殺され、身も心も奪われる不自由さはわかりやすい幸福の形なのだから、虜になってしまったほうがむしろ得ではないだろうか。彼らに「ほなみちゃん」と名付け、毎年せっせと奉仕し、その稔りに一喜一憂しているわたしが、すくなくとも悦びに頭から浴しているのは確かだ。

棚田。稲たちと、畦に植えてある大豆たち。朝の光の中でいっそう美しく見える。

推し、犇(ひし)めく

 ここまで稲を持ち上げておいて何だが、推しはほなみちゃんだけではない。田んぼをすれば、稲だけでなく他の生物をも否応なく育むことになる。まず、田んぼに水を貯めるためにした畦塗りは大豆の生育場所をも作ることであるほか、水を貯めて水田=湿地を作ることは稲以外の水生生物の生息場所をも作ることであるし、水田の周りの畦畔の草を刈ることはある種の植物の生息場所をも作ることである。そうしてくりかえし稲作をしているうちに、他の生き物の存在が目に入るようになってきて、次第に惹かれ、気づけば推しが増えている。
 推し水生生物として、例えばアカハライモリを挙げたい。彼らは、背中が黒く、腹が名前の通り赤い、かわいらしい容貌をしているイモリである。早くからわたしにとってアイドル的存在で、田んぼで出くわすたびに心が浮き立つ。雄は、繁殖時期に主に尻尾のあたりが青色の婚姻色を呈し、非常に美しい。

田んぼにいたアカハライモリ。この個体の腹は赤一色だが、多くは赤地に黒の斑点があり、個体によって模様も様々で一体一体チェックするのがおもしろい。

 両生類でいえば、カエルたちも数種類いる。なかでもシュレーゲルアオガエルは推し蛙の筆頭である。色はアマガエルより幾分鮮やかな黄緑色をしており、滑らかな質感で、愛嬌ある顔つきをしている。彼らは水田の畦畔に卵塊を生み、孵ったオタマジャクシは田んぼで育ってくれる。成体は昼間、草や灌木の葉の上で休んでおり、その佇まいはとても愛らしい。

素掘りの水路に佇むシュレーゲルアオガエル。土がぬかるんでいるだけではそこに棲める生物は限られるものの、水を貯めれば多くの水生生物たちが集まってくる。

 水に棲む昆虫たちも忘れてはならないだろう。雄が卵を背負っているコオイムシ、ゲンゴロウ類の中ではシマゲンゴロウが、出くわすと特にうれしい推し水生昆虫である。少年期に図鑑で見ていた生き物たちが自分の田んぼで日常的に見られる悦びは何にも代えがたい。彼らが蠢いているのを見ると、稲作をやめるわけにはいかないと思うのだ。
 また、わたしの田んぼは棚田なのだが、棚田は平地の田んぼに比べて畦畔面積が大きい。それは、作物生産効率の観点からいえば、まさに非効率的で無駄の多い土地ということになる。けれども、畠でも田んぼでもなく、人間がただ草を刈る土地である畦には、様々な草たちが生える。わたしが定期的に草刈りをするのは、作業をしやすくし、田んぼが日陰にならないようにし、刈った草を田畠に積んで堆肥にするためであるが、結果的にそれが強い植物の勢いを抑え、弱い植物に場所を与えることになる。シシウドやアザミやススキやチガヤなどの強健な草たちもわたしは好きだが、自分が草刈りを長年行ってきた結果増えてきた、ウツボグサやリンドウやアキノキリンソウなどの可憐な草たちのほうをより推さざるをえない。彼らの存在を知ってからというもの、わたしにとって畦畔の重要さはいや増し、草刈りにもより身が入るようになった。

畦塗りをした田んぼ。きれいに塗れると、それ自体の悦びはもちろん、水が貯まることで多くの生き物たちを迎えられる悦びがある。

 とはいうものの、草を頻繁に広範囲で刈ってはならない。それは他の推したちの生息環境に関わることだ。例えばカヤネズミはイネ科の草を丸めて巣を作るし、彼らが生きるには餌となる小さな虫や種子もなくてはならないからである。餌といえば、わたしはニワトリも飼っているのだが、やはり彼らの餌となる昆虫やカエルやヘビの多くも草むらに棲んでいる。だから、適度に草を刈り残すことによって、草自体やイナゴやキリギリスやトノサマガエルといった多くの者の栄養となる者たちを推すことも、彼らを食べる者たちを推すからには避けて通れない。
 こうして気が付くと、わたしは稲を作るためだけに田んぼをやっているとはいえなくなっていたし、田んぼだけをやっているともいえなくなっていた。もっとも、推しが増えたからといって、ほなみちゃんへのケアが手薄になるということはあまりない。なぜなら、里山を生き物で豊かにすることはほなみちゃんの生育環境を向上させることでもあるからだ。それに結局のところ、里山では一種だけを推すことはできない。推し同士の競合はあるにせよ、ある生物を推すには嫌でも他の生物をも推さざるをえない。里山において生物を推すとは、とりもなおさず利用されることであるが、利用されなくてはこちらも利用することはできない。餌を撒かずに餌を得ることはできない。そして何より、生き物たちの存在を知り、愛で、推すことは愉しい。

里山制作という推し活 

 里山に生きることは、アイドルグループなどを応援する活動に似ているかもしれない。気に入った存在を引き立てるという点では違いはほぼない。わたしは推し生物たちにありったけの時間と労力を貢いでいるし、稲からはじまって今や里山の多くの生き物に食い物にされている。もはや彼らを推すためには、現在主流の社会生活をおくっているわけにはいかないほどだ。
 ところが、こんなものではまだまだ足りないのである。田畠や畦畔に注力するだけは、十分に里山をやっているとはいえないからだ。わたしのいう里山は一般的にいわれているものと大差なく、一言でいえば、人の手が入った二次的自然といったところである。里山は、田んぼや畠や畦畔や用水路や溜池や山林を包含し、相互のつながりと広がりを持っている。実際、田んぼとその周りの畦畔に密接な関係があるように、田畠とその周りの山林にも密接な関係がある。シュレーゲルアオガエルは、普段草原や林で過ごし、畦畔に産卵し、幼生は水田で育つと書いたが、それはつまり、一様ではない様々な環境がなくては生きられないということである。わたしは、今いる推したちにこれからも安定して生きていてほしいし、まだ見ぬ推したちの登場を待ち望んでもいる。里山生物が今よりも増え、活躍するためには、もっと広く、かつ多様な舞台を整えなければならない。

棚田につづく道には様々な植物が生えていて歩くのが愉しい。葉っぱの上に佇むアマガエルやシュレーゲルアオガエルもよく見つけられる。

 これまでわたしは、力及ばず山にまで手を出せていなかった。が、田畠をしながらもずっと里山という広がりが念頭にあったし、早く山にも関わりたかった。わたしの棚田の周りの山は、戦後にスギとヒノキが大量に植林されたのち、木材価格の下落のために管理もされずに放置されており、真っ暗な林内には他の生き物がほとんどいない。そんな山のまま麓で田んぼをするのは不十分だし、なによりそんな山ではおもしろくない。そこで、もっと生き物が溢れ、騒がしく、愉快な里山を作るべく、この杉山を二百年かけて雑木山に育む計画「里山二二二〇」を始めることにしたのだ。
 二〇二〇年から木の伐採の仕事に呼んでもらって練習し、二〇二一年の年明けから自分のところのスギヒノキを伐りはじめた。木を伐るという行為自体の愉しさもさることながら、人工林を間伐することで林冠に穴が空き、陽光が林床に射し込む光景には、そこから様々な木々が育ってくる予感に充ちていて胸が高鳴る。こうして暗闇に閉ざされた森に穴を幾つも穿つことによって、多くの生物が暮らせる豊かな里山を徐々に作っていけるはずである。
 ただし、もちろん里山は人間だけが作るものではない。先に里山のことを「人の手が入った二次的自然」と書いたが、わたしはもっと、人間を含む多種による合作であることを強調したい。合作であるということは、当然多種による共働の余地がなくてはならない。つまり、隙のない人為で埋め尽くすことなく、多くの穴がなくてはならない。しかしだからといって、人為によって大きすぎる穴を空けてしまってもならない。適度に穴だらけであるかどうかはいつも状況次第だし、微妙で難しいけれども、ちょうどいい塩梅をつねに探りつづけることが里山制作の醍醐味でもある。
 例えば、先述した畦塗りはその好例かもしれない。畦塗りは、簡単にいえば、畦の側面を泥で塗り固め、水漏れをふせぐ技術である。まず前年に塗った部分の土を平鍬で剥がし、水を入れて備中鍬で捏ね、ある程度乾かしてからまた平鍬で塗りつける、というわけだ。陸地を湿地に変える行為であるから、それ自体暴力的であるし、塗りたての畦は貯水という機能を超えて「作品」の様相さえ呈する。だが翌朝見ると、オケラの這い回った跡や獣の足跡がある。水を張った田んぼには、これ幸いと水生生物たちが蠢く。ある日、突如としてモグラに穴を空けられていることだってある。すなわち畦塗りとは、半年たらず田んぼに水を貯め、ほどなく虫たち獣たち草たちに侵蝕される、脆くて、穴のある人為なのだ。
 もっとも、水を貯めるだけならプラスチック製の畦板を埋め込むという手もある。たしかに畦板を埋め込んでしまえば向こう十年ほどは畦からの漏水の心配はないだろう。また、世の中には畦塗り機というのがあって、これで塗るなら機械に乗ったまま簡単に済ますこともできるだろう。しかしわたしは、鍬を使った畦塗りを性懲りもなくしつづけている。なぜなら、多くの生き物や水や土や気候を手づから味わいたいからである。棚田という性質上、田んぼの面積の割に畦畔総延長が長く、全段を塗るのは時間も体力も食うけれども、この身体が動くうちは意地でもこの悦びを毎年貪るつもりだ。
 里山には、終わりがない。里山は、多くの生物が蠢く動態そのものである以上、完成するということがなく、多種によってつねに合作されつづけ、動きつづけるものである。その里山に生きるには、こちらも動きつづける必要がある。だから、例えば「長閑な里山」を眺めつづけることは、里山を作り、推す行為などでは断じてない。生き物を推し、里山を推すには、同じ地平に、渦中に身を投じる他はない。当然、くりかえししなければならない仕事も多く、それは一面では非常に難儀であるものの、生き物たちにまみれる甘美な不自由さをくりかえすことができるということでもある。推したちに働きかけ、働きかけられる──この応酬を愉しみつづけることができるということである。
 舞台を準備すれば、生き物たちの種類も数も増えることをわたしは経験してきた。それは死ぬほど悦ばしいことであり、そのためならわたしは死ぬほど労力を注ぎつづける所存だ。今後山林にも手を加えていくことによって、この里山にもっと推したちが躍動するようになる頃、わたしは二つの意味で悶絶躃地して本当に死んでしまうかもしれない。だが、それまでは死んでもくたばるわけにはいかない。

[了]

この記事は、2021年9月刊行の『モノノメ 創刊号』所収の同名エッセイの特別公開版です。あらためて2022年6月9日に公開しました。
本稿のつづきを含む特集「〈都市〉の再設定」が掲載された『モノノメ 創刊号』は、PLANETSの公式オンラインストアからご購入いただけます。
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