手を加える気が起こらない、完成されたシンプルさ

丸若 ぼくが今日持ってきたのは、「自在鉤」というものです。一見とてもモダンですが、これの原型は囲炉裏にあるんですよ。田舎の家を思い浮かべるとき、囲炉裏があって、その中心には天井から何かがぶら下がっている光景をイメージしますよね。たとえば、鉄瓶が吊るされていたり。

沖本 鍋が吊るされていて、みんなで囲んでいるイメージもありますね。

丸若 あのぶら下がっている仕組みはそのままに、サイズ感が繊細に美しくデザインされた品が、この自在鉤なんです。

沖本 へぇー! 全国各地のあの仕掛けは、全部この仕組みなんですか?

丸若 はい。テコの原理で長さの調整ができる、シンプルな仕組み。古来より親しまれた道具が見事にアップデートされた、美しい一品です。

 使い方は自由です。今はキャンドルホルダーとして使っていますが、灰皿を置くこともできますし、古い蕎麦猪口を置いて水を張れば、花器としても使えます。この器自体に水を張って葉っぱを一枚置くだけでも、美しい鏡面になりますしね。ちょっと布でくるくるっと巻けば、どこにでも持っていける便利さもありますし、まさに名前通り「自由自在」に使えるんです。

▲丸若さんセレクト、猿山修さんデザインの自在鉤

沖本 名が体を表していて素敵ですね。

丸若 この連載の第1回では箸置きを紹介しましたが、あれはある程度使うシーンが特定されており、何種類も保有してその日の気分で選ぶものですよね。でも、自在鉤は一つでいろいろな表情を楽しむことができます。「何に使うの?」ではなく、「どう使ってみようかな」と楽しんでほしいです。今は何につけてもマニュアルや導線が求められますが、少し前の時代まで当たり前にあった「生活の知恵」を思い起こさせてくれる品ですね。

 それからぼくは美しいプロダクトに出会えたとき、素直にモノを楽しめるんです。仕事柄、ふだんはモノができるまでのプロセスばかり意識してしまっていますが、この自在鉤はそのことを忘れさせてくれ、純粋にモノの美しさを味わわせてくれます。さらには、気付きも与えてくれる。長く愛用させていただいていますが、今でも、多くのヒントを与えてくれます。 

和洋兼ね備え、ほぼ絶対に「ほしい」と言われるデザイン

丸若 今日持ってきた自在鉤は、猿山修さんのデザインによるもの。初めて名前を聞かれたかもしれませんが、日本が誇るべき、素晴らしいデザインを生み出せる方だとぼくは思っています。西洋、東洋を問わず古物の見識が深く、そこから生まれるデザインは、和洋の両側面の美しさを見事に融合し表現しているものばかり。縁あって昔から大変お世話になっていて、このGEN GEN AN 幻(2022年11月27日(日)に営業終了。店内で販売していた EN TEAの茶は、引き続きオンラインストアでご購入いただけます)のリニューアルの際は、空間のディレクションもご一緒しました。

沖本 ここのデザインもされた方なんですね。どうりで馴染んでらっしゃる。

丸若 ありがとうございます。猿山さんには、国内だけでなく世界中のデザイナーや、モノに精通する人をはじめ、多くの愛好家がいます。海外のクリエイターにこの自在鉤を見せると、ほぼ絶対に「ほしい」と言われますね。海外に限らず、センスがいい人の家や料理屋などに行くと「ここにもある」「この人も持っていたんだ」と気付かされることも少なくありません。こういうモノが好きな人にとっては唯一無比で、「どうしても手に入れたい」と思える一品ですね。そんな品を同時代を過ごしている人が生み出してくれていることも、とても嬉しいです。

沖本 すごいですね。本当にいいモノが、西と東とを超越する瞬間がわたしもすごく好きです。モノってその土地の文化や個人の嗜好で成り立つところが大きいはずなのに、同じところにたどり着くのは素敵だなと思います。人類共通の美意識があるんだなぁって。

丸若 価格もインテリアとして考えたら安価ではないかもしれませんが、「作品」と言っても過言ではない品としては、モノの対価として良心的。鍛冶職人が一つひとつを丁寧に手仕事で生み出していることも含めて、買って使うぼくたちにとって魅力的な品ですね。

空間を縦に切り、タイムレスな時間を生み出す

丸若 それから、こうして空間を縦に切るモノって、意外とないんです。そもそも現代では、日本の美意識を感じさせてくれるモノには小さいものが多い。本来は畳や文机、掛け軸など素晴らしい道具がありますが、今の生活環境に取り入れるにはハードルが高い。さらに、こうして縦の結界を生むものは稀です。 

 また自在鉤は縦の美しさに加えて、床との距離感など、空間自体を演出してくれます。日本間はもちろん、洋間でも一本吊るすことで心地よい緊張感が生まれ、空間自体の質を高めてくれます。これからの時代を作る若い人々にもこの感覚を体験してもらいたいと思い、GEN GEN AN 幻のリニューアルを猿山さんにお願いする際、ぜひ使用したいとお願いしたんです。「空間全体を一つの道具として捉えてディレクションしてほしい」と依頼させていただいた結果、オープン以来、ずっとイメージしていたような空間に生まれ変わりました。連なる棚の引き出しや照明をはじめ、店内に存在するものたちが、どの角度からもタテヨコが心地よく整えられています。

沖本 レトロな感じで、空間が切られていますよね。ここだけ、空気の流れが止まっているような。

丸若 はい。念頭に置いていたのが、ぼくが数年前から仕事の中での共通するテーマとしている、「タイムレス」という概念です。時間を西洋的な〈時間〉として捉えるという固定観念からいったん離れて、東洋的な〈間〉のあり方に注目することで、前も後ろもなく、すべてをつながっているものとして捉えるという考え方です。

 まさにこの空間の存在自体が、ぼくが大切にしているメッセージを体感させてくれるんです。長時間をかけて再現された繊細なお茶の味わいや、整えられた光と影のバランスが積み重なっている。そうして、細かいことはさておき、訪れるみなさんが日々の目の前のことから一時心が開放され、時の大切さを感じられる空間になっています。

沖本 たしかに、ここは渋谷のど真ん中にありながら、それとは違う時間が流れている感じがします。

丸若 みなさん言ってくれるのですが、渋谷の喧騒の中にある店なのに、一歩入った瞬間に「時間」から開放されて、「時」と「間」になる。その心持ちで窓からカオスな渋谷の街並みを覗くと、何とも言えない感覚になるんです。

沖本 かなり感覚がリフレッシュされます。瞑想しているかのような気分でお茶を飲んでいて、ふと外を見ると、すごいカオスがあるというギャップ。瞑想したり坐禅を組んだりした後って、自分の中のセンサーがクリアになって、なぜか紅葉が鮮やかに見えたりするじゃないですか。ここから渋谷の街を眺めていて、その感覚をふと思い出しました。静かさと慌ただしさのコントラストがすごい鮮やかだから、より一層、五感が増幅させられる。

感覚を取り戻すための準備運動を

丸若 もちろん、ここが坐禅の代わりになるなんておこがましいことは決して思っていません。ただ、日々の中ですぐに坐禅を始められない人は多いと思います。そもそも坐禅は昔から、さまざまな経験や思いを重ねた、いい意味で限られた人が、ことの本質を知り身を投ずる行為。そうではない、ぼくのような体たらくで生活をしている現代人にとっては、準備運動やストレッチのような経験が大切だと考えています。そうしてご自身の生活の中で、自由な感覚でかまわないので、お茶を飲んだり道具を楽しんだりしてもらえたら嬉しいです。

沖本 なるほど。感覚を取り戻すきっかけ作りをしてくれているんですね。

丸若 これはお茶や飲食店に限った話ではありません。極端ですが、こういうことを都市、特に東京で暮らす人たちが本気で考えないと、まともな人は耐えられなくなっていってもおかしくない。外から帰ったら手を洗いうがいをするように、習慣として時間を見つめ直すことの大切さを、みんなで考えたいんです。最近耳にする「火を見ているとリラックスできる」といった話も、そうした無意識の中にある欲求の表れだと思います。

土地としての完成度がきわめて高い街、唐津

丸若 そろそろ、選手交代しましょうか。沖本さんが今回持ってきたのは、唐津焼の器?

沖本 そうです。健太郎窯と鳥巣窯、二つの窯元さんのものを持ってきました。 

 まずは健太郎窯の筒杯と豆皿のほうから。うちは器がたくさんあって置き場がなくなってきているので、何かシーンを想像できないと買わないことにしているのですが、この筒杯は基本、水出し山椒茶を飲むときに使っています。嬉野のお茶をいれたらぴったりだなって、イメージできたんです。これは健太郎さんの中でもスタンダードな商品で、使い方をよく考えて練られたプロダクトなので、自然とあまり外れた使い方はしないです。飲み物プラスお茶菓子くらい。唐津でいろいろな方にお茶菓子を出してもらって、その大事さ、温かさを感じたので、人が来て少し休んでいただくときなどに、豆皿にお茶菓子を乗せて出したりはしていますね。

▲沖本さんセレクト、唐津焼・健太郎窯の筒杯

丸若 沖本さんらしい器ですね。唐津に対して、どんなイメージがありますか?

沖本 強い思い入れがありまして、そもそも最初に器を好きになった街が唐津だったんです。7年前くらいに知人から「唐津に行くけど一緒に来る?」と誘われて、特に見たいものや行きたいところがあったわけではないのですが、「食事が美味しそうだな」くらいの軽い気持ちでついていきました。正直、関東の人間からすると、佐賀って遠いこともあって、あんまり観光地としての強いイメージはないじゃないですか。でも、実際に訪れてみると、すごい素敵なギャラリーはあるし、街は栄えているし、虹の松原は美しいしで、衝撃を受けました。大陸とつながる重要な貿易港であり、江戸時代は幕府の直轄領である天領だったんですよね。

丸若 本当に魅力的な土地ですよね。

沖本 唐津焼ともすごくいいかたちで出会えました。商店街の中に川島豆腐店というお豆腐屋さんがあり、そこでは中里隆さんという人間国宝の方が作った器を使って食べられるんです。いいモノからはやはり、何も前提知識がなくても、風合いだったりとか、いろいろなことが伝わってくる。夜は夜で、お寿司屋さんの大将が「唐津の魚と唐津のお酒を、この唐津焼で食べるのが唐津の本質なんだよ」と、すごい楽しそうにもてなしてくれまして。「これが土地を味わうということなんだなぁ」と、今までのどんな旅行よりもその土地らしさを感じられて楽しく、それで器に興味を持ちはじめるようになりました。

丸若 ぼくにも似たような経験があります。唐津は「これがいいよね」という感覚が、地域的に同じ方向を向いていますよね。料理屋さんに行くと、まず料理がおいしい。それだけじゃなくて器も綺麗だなと思って「誰が作ったものですか?」と聞くと、「◯◯さんです、ここからすぐに訪ねられますよ」という話ができる。訪ねたら訪ねたでまた違う出会いがあってと、ぐるぐる回っていく。最初にいいところに入ると、自動的に品質の高いところに連れて行ってもらえる、信頼感の高さが唐津にはあります。

▲沖本さんセレクト、唐津焼・健太郎窯の豆皿

沖本 そうですよね! 唐津焼の器を見たり使ったりすると、そのバランス感の良さを思い出します。風景は持ち帰れないし、食べ物も長くは保存できないけれど、唯一その土地で培われたモノなら持ち帰れる。

 ちなみに後から知ったんですが、わたしが今日持ってきた健太郎窯と鳥巣窯の窯元さんは、師匠が一緒だそうなんです。すると自然に、その師匠のことも気になってきて「次回はここに行こう」と思いますよね。

丸若 とにかく土地としての完成度が高くて、地場できちんとサイクルができている。

沖本 人づてに次々と紹介いただけるので、宝探しみたいな感じで、すごい楽しいですよね!

丸若 モノだけじゃなくて、コトや空間、食にまで拡張性がある。何度訪れても都度、土地に魅了されています。

職人は夢見るリアリスト

沖本 健太郎窯も、とても素敵な工房でした。小高い山の頂にあるのですが、入って扉を開けた瞬間、山の中にいたはずなのに、綺麗な海と虹の松原が見えるんです。その時点ですごい心がリフレッシュされて、そのうえで一つひとつお話を聞きながら、器を選ばせていただきました。

 伝統的な斑唐津の器ではあるのですが、同時にモダンな感覚もあるところに強く惹かれまして。お話をうかがっていると、健太郎さんはもともと美大出身で、その後器の道に入られたそう。だからこそ伝統というものに対して、どこは残してどこは現代風にアレンジするのかということを、熱心に考えていらっしゃる。特に、「伝統を名乗るなら少なくとも材料はその地のものを使わなきゃいけない」とおっしゃっていたのが、とても印象的で。たとえば土作りにすごいこだわっていて、石を削るところから始められているんです。さすがにそこまでしている方は初めて見たので驚きました。

丸若 あの工房を若くして作り上げたと聞いたときは驚きました。

沖本 海の見える素敵な縁側で一緒にお酒も飲ませていただいたのですが、そのときにこんなお話もされていました。石から土を作るのはやはり大変で、お弟子さんや若手の方がよく挫折してしまうそうです。どうにかできないかということで、今度は福祉のプロジェクトを立ち上げようとしていらっしゃるとのこと。障害を持っている人のための施設を作り、石を砕いて土を作るプロセスを手伝ってもらうために、補助金の申請などにトライしているのだと。

 わたしが職人さんに惹かれてしまう理由が、ここにあると思いました。アーティストの方も社会の中での葛藤を表しているのだとは思いますが、職人さんは一個人としての表現はもちろん、それ以上に工芸や伝統をどう守っていくのかというパブリックな視点を深く持っていらっしゃる気がします。

丸若 別の言い方をすれば、アーティストもイノベーションのきっかけとインスピレーションを与えることはできるけれど、職人はイノベーションを起こすところまでできる。次のスタンダードを作っていけるんです。

沖本 温故知新を体現している、と言えるかもしれません。脈々と受け継がれる伝統をリスペクトしつつ、時代の流れを見てちゃんと変えながらモノを作っている。

工芸は決して高価ではない

丸若 もう一つの鳥巣窯の板皿についても、お話しいただけますか?

沖本 はい。同じ唐津焼でも、こちらはもう少し自由に使っています。ちょっとしたお料理や和え物、お菓子などをのせることもありますね。グラデーションがとても綺麗なところが大好きで。しまっておくのがもったいないので玄関口に置いて、中にピアスや指輪を入れる使い方もしています。

▲沖本さんセレクト、唐津焼・鳥巣窯の板皿

丸若 その使い方も、自然体でいいですね。必需品というわけじゃありませんし、楽しんで見立てることが大事だと思うんです。ヨーロッパの蚤の市で「これ何に使うんですか?」と聞いたところで、「お好きなように」と言われて終わりでしょう。一つ新しい使い方に気づくだけで「あ、そうだよね」と嬉しくなりますよね。

沖本 ピタッとはまると嬉しいですよね。見立ての楽しさを味わっている感覚があります。鳥巣窯は、出会った過程も印象に残っていまして。きっかけは、草伝社という唐津焼のギャラリーを訪れたことです。そこは所狭しといろいろな作家さんのモノが置いてある素敵な古民家なのですが、ギャラリストではなく和菓子の販売やお茶の先生をされている方が、「場所があるから、作家さんは好きなものを置いていっていいですよ」という思いで運営されています。そして、一つひとつの作品に「斑唐津」「朝鮮唐津」「八寸皿」といった札がついていて、裏を見るまで作家さんの名前や値段がわからないんです。

丸若 ブラインドなんですね。いいですねー(笑)。

沖本 そうなんです。真剣にじっと見て、神経衰弱みたいな感じで「誰のかな」とめくっていかざるを得ない。それを続けていると、「どうも私は鳥巣窯をやっている岸田匡啓さんという人が好きらしい」とわかってくる。それで、鳥巣窯にお邪魔してみることにしたんです。

 その名前の通り、本当にすごい山奥にあって(笑)、地元の人も滅多に行かないそうです。このお皿に関しては使い方の前に、とにかく見た目が好きで、「白い宇宙があったら、こんな感じだろうな」といったことなどを思って選びました。見ていると吸い込まれそうですよね。

丸若 素敵な選び方ですね。そうしたお金の使い方があるべき姿ですよね。あくまでお金も人生を豊かにする潤滑剤であり道具ですから。人によっては、「割れるモノなのに何千円も出すのは高い」と思われるかもしれませんが、相当おっちょこちょいじゃない限り、まず1年で割れないですよ。そもそも1年数千円って、Tシャツとあんまり変わらないじゃないですか。もちろん茶道具などは際限がないですが、単純に満足度を考えると、この唐津焼の器は100円ショップやファストブランドのモノと比べても、決して高い買い物ではないと思います。

沖本 見立ても楽しめますしね。器八割、盛り付け・料理二割みたいなことを言いますが、最後に自分が参加して完成するというのが、すごい楽しいんです。そうした楽しさを多くの人に見つけてもらうためにも、工芸品を自然に知ることができるきっかけと、地元の方たちと触れ合える産地が、もっと増えていくといいですよね。知れば知るほど楽しくなっていく、そんな行き先作りがしたいですね。

(了)

構成=小池真幸 写真=蜷川新 協力=GEN GEN AN幻

この記事は、2022年3月刊行の『モノノメ #2』所収の同名記事の特別公開版です。あらためて2023年1月26日に公開しました。
本稿や特集「『身体』の現在」が掲載された『モノノメ #2』は、PLANETSの公式オンラインストアからご購入いただけます。
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