「庭プロジェクト」とは、これからのまちづくりについて、建築から人類学までさまざまな分野のプロフェッショナルが、官民産学を問わず集まって知恵を出し合う研究会です。
今回の研究会では、ゲストに招いたランドスケープ・アーキテクトの石川初さんによるプレゼンテーション、そして参加者によるディスカッションが行われました。テーマはランドスケープデザインの現在地と展望です。前編では、石川さんによるプレゼンテーションの内容をお届けします。
「庭プロジェクト」の連載記事は、こちらにまとまっています。よかったら、読んでみてください。
端的に言うとね。
「非都市」を確保し、都市を補完する
都市空間における「庭」──庭プロジェクトが一種のメタファーとして探究しているこのコンセプトを、実際の建造物を通じて物理的に実装してきた領域が「ランドスケープデザイン」です。今回ゲストにお招きした石川さんはそのランドスケープデザインが専門で、東京農業大学農学部造園学科を卒業し、ゼネコンの設計部や設計事務所での長きにわたる設計実務を経て、2015年より慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授、2021年から環境情報学部教授に着任。空間や景観の物理的な変容のみならず、人のものの見方に働きかけてリニューアルすることも含めて、石川さんはランドスケープデザインをこう捉えます──庭などの小規模な空間から地域の景観までさまざまなスケールの「景観/風景」に関わるデザインの理論的研究であり、実践の技術でもあると。
「一般に『ランドスケープ』とは、人によって対象化された環境である『景観』、あるいは環境と人の関係のありようである『風景』のことを指しますが、学術及び技術・産業の領域では『ランドスケープ・アーキテクチャ』(造園学、造園)と呼ばれます。もともとはニューヨークのセントラルパークをつくった造園家のフレデリック・ロー・オルムステッドが、19世紀半ばに自身の職能を『ランドスケープ・アーキテクト』と称したのが始まりとされています。
ランドスケープは、都市に『都市ではないもの』を当てはめることによって、バランスをとるような役割を負ってきました。非都市を確保することで都市を補完する──それがランドスケープ・アーキテクチャのミッションです。別の言い方をすれば、都市開発建設における『抑制』のレイアウト、都市をどのように『抑制』するかという道具の一つとして、ランドスケープ・アーキテクチャは価値を発揮してきました」(石川さん)
「ランドスケープとはなにか」を考えるにあたって、石川さんはあえて単純化して、人が接する植物を、制度によって植栽された「造園」/個人が楽しみのために植える「園芸」/その領域で意図されていなかったが勝手に入ってきた「雑草」に分けて捉えるといいます。この区分を踏まえると、ランドスケープ・アーキテクチャとは「造園」地帯を増やす技術として、建物を建ててもよい領域をレイアウトする役割を与えられてきた、とも見ることができます。
そしてランドスケープデザインにおいては、「造園」のための二つのアプローチが研究・活用されてきたといいます。
「造園地帯を増やす技術の一つとして挙げられるのが、制度のデザインです。都市開発や建設物をうまく利用して、造園空間、ランドスケープを増やすというアプローチですね。
もう一つは、ランドスケープの中身自体を強くするという方法。造園の強度を高めることで、都市建設を抑制するというアプローチです」(石川さん)
「制度のデザイン」と「ランドスケープの強化」
制度をデザインすることと、ランドスケープの強度を高めること。造園地帯を増やすためのこの二つのアプローチそれぞれの詳細について、石川さんは続けて説明します。まずは「制度のデザイン」について。
「たとえば総合設計制度や公園の設置義務といった規則、すなわち『都市に何かをつくるときには、必ずそれと引き換えに造園空間をつくらなければいけない』といったルールをデザインすることを指します。この場合の造園は、都市化の圧力を利用して都市内に都市化できない領域、すなわち緑地を確保してレイアウトしていくという仕組み。あらゆる土地が建設されることを欲しているという状況を前提としていて、都市化のエネルギーが高い時代にあってはこうした、いわば『抑制管理』が有効でした」(石川さん)
続いて、造園の強度を高めるアプローチについても重ねます。
「たとえば東京都の緑化の手引きを見ると、『緑化面積』として数えるためには、高木、中木、低木をまんべんなくぎっしり植えることが指定されています。手前を芝生にして奥に木を植えるだけでは緑化とはみなされず、上中下にみっちり中身がつまった緑地でないといけないことになっているのです。芝生だと後でここにものを建てられるかもしれないから、緑地で埋めておき、他のものに変えられないような強い森をつくることが目指されている、とも捉えられます。密度の高い完成した緑地が、都市の開発力に対抗できる強さを持っていて、それが都市を豊かにすると考えられてきました。
それから緑地に使う植物の種類に関しても、最近は『在来種』を使うことが強く言われるようになってきています。たとえば東京都の環境局が出してるガイドラインには、生物の多様性に配慮した植栽をしなければいけないと書かれています。そのために、地域の在来種植物のリストから選んで使うことが定められていて、逆に使ってはいけない外来種のリストもあります。
推奨される植栽の種類の根拠として、潜在自然植生図という人間が活動を停止するといずれ成立すると考えられている植生を推測した図が掲げられています。ただ、この図には批判もあります。というのは、誰も見たことがない仮説に過ぎないという疑義が呈されているのです。また、こういうものを出されてしまうと、『正しい自然』が明確な風景像として描かれてしまうので、他の自然が序列化されてしまうという懸念もあります」(石川さん)
そして石川さんは、こうしたランドスケープ・アーキテクチャの考え方が反映された近年の事例として、2025年の大阪万博を挙げました。
「大阪万博のランドスケープとして、会場の中心に『静けさの森』が配置されていることは象徴的です。今回の万博はタワーのようなランドマークを真ん中に置くのではなく、リング状のランドマークに囲まれた都市的な空間の中心に植栽が計画されているというレイアウトになっています。万博会場の賑わいの中に、それを補完する『森』が設けられ、『静けさ』という名前がついているわけです。
忽那裕樹さんをはじめ、有名で優秀なランドスケープ・アーキテクトが設計を担当されていたプロジェクトで、日陰をシミュレーションして、いろんな樹種の混色をし、一番うまく木陰ができるようにレイアウトされているそうです。多くの在来種を用いて、多様な樹種が立体的にまんべんなく配植されています。
これは都市的空間に対抗するように緑地の強度を上げる、まさに伝統的なランドスケープに期待されていたことそのもので、その正統な後継者だと言うことができます。都市に対抗し、非都市を、いかに密度高く強くつくるというアプローチは、最新の国家プロジェクトのスケールのランドスケープデザインにおいても変わらないのです」(石川さん)
スタイルとしての雑草、そして「日本庭園的管理」の限界
こうして造園による非都市が都市空間の中に増えてくる一方で、いっそう重要性を増しているのが、造園の「管理」という問題です。
「たとえばマンションの広告には緑が茂った『完成予想図』がありますよね。そういうものを見ると、植物の『完成』とは何かということを考えずにはいられない。植栽の完成予想図を描くのは本来は難しい。しかし販売の際には『完成状態』である必要があってこの通りに植えるわけです。当然、植栽は成長し続け、あっという間に藪になってしまいます。
植物は成長し続けて動いているので、人がコントロールするだけではなく、植物の動きに合わせながら対処していかねばならない──この考え方で有名になったのはパリのアンドレ・シトロエン公園にある『動いている庭』ですよね。これはすごくおもしろいやり方で、これを公園のデザインとして認めたフランスはすごいなと思います。
ただ、これを温暖多湿な日本でやったら、あっという間に森林化して『動いている森』になり、人が入れなくなります。そういう意味では日本の場合は緑を抑制管理する必要がある。オフィスビルの前庭などでは、全体に強く刈り込まれて、日本庭園のように見えるところがありますよね。ツツジやツバキが植えられ、それが次第に成長して、大きさを抑えるためにトリマーで刈っているうちに日本庭園のような感じになる。日本庭園は独特の意匠に見えますが、それぞれの植物に規範となる形があって、それを刈り込みによって維持しています。管理という観点から見ると、日本庭園はわりとマニュアル化しやすく、合理的な維持管理の方法だと言えます。公園や道路沿いがなんとなく日本庭園風になっていることが多いのは、それが日本の気候ではやりやすい管理の仕方だからなんですね。こういうやり方であれば、達人でなくとも維持管理ができるのです」(石川さん)
しかし、こうした従来の刈込みの抑制管理としての日本庭園的管理のアプローチでは対処しにくいケースが、近年は出てきているといいます。
「ここ20年ぐらい、植物が自然に生えているようなスタイルが広がっています。多種類の植物を混植して、勝手に生えて伸びている様子に見せる植栽です。『スタイルとしての雑草』と言うことができるかもしれません。
先駆的事例のひとつとして、日建設計が手がけたソニーシティ大崎(現NBF大崎ビル)があります。2011年に竣工した、建築学会賞を受賞した建物ですが、周りの植栽も非常に特徴的だったんです。樹木の成長に伴う変化をシミュレーションして、ランダムに撒かれた種がその後に樹林を作る状態を計算し、そうやって描いた樹木の勢力図をもとに植えるという方法で作られました。それまで感覚的に配植されていた『自然な様子』を根拠のある設計で実施した試みで、これはちょっとすごいものが出てきたなと、当時思いました。
いま建築の植栽は、こうした自然風のものであふれていますね。植栽技術が発達したこともあって、そこで自然に生えたような状態で植えられるようになった。都心の再開発物件の植栽の多くは、新築でもしばらく放っておいて生えたような恰好の植栽を最初から備えている。すっきりした現代的な建築に、自然に生えたような雑木林や草花をあてがうものが多いです。
広場における『賑わい』と同じで、『生い茂った自然』を設計・施工することはできないので、基盤をつくって、生い茂るようにしつらえるわけです。ただ、我々が考える『良い感じで生い茂っている状態』は、育ちすぎで藪になる前の、途中の状態なんです。そこを保持することが、特に日本の場合は難しい。植物群は、放っておくとどんどん中身も入れ替わっていくし、植物も成長していって、やがて極相林と呼ばれる森林状態になることが知られています。極相林もここで止まっているわけではなく、木が倒れると部分的に原っぱから森への変化が繰り返されるという、ダイナミックに動いているものです。わたしたちが雑木林として眺める植栽は、10年や20年ごとに木を伐り続けることで保たれている状態です」(石川さん)
「雑草化」が進む日本でいま起きていること
こうした「スタイルとしての雑草」がトレンドとなった結果、造園の手が回らなくなって雑草化している。そんな状況がいま、首都圏以外の多くの地域で起きていると石川さんは指摘します。
「先ほど申し上げた通り、都市計画の造園は、人がどんどん都市をつくり続けるということを前提にしていて、その力が弱まることがあまり想定されていませんでした。空き家が増えて、気が付いたら内部から崩壊しているといった時代のときに、それまで仕込んで強く育ててきた造園の管理が追い付かず、雑草化するということがしばしばあります」(石川さん)
さらに深刻なのが、中山間地です。
「これは私の研究室でずっと通っている徳島県神山町で、石積みの棚田が印象的な風景をつくっている地域です。オーナーがお元気で毎年草刈をしておられれば、稲作がされていなくても、棚田の風景が保たれます。
しかし、数年放っておかれると、あっという間に雑草化していくんですね。10年ぐらいすると、ここが水田だった様子も見えなくなってしまいます」(石川さん)
そのような変化は集落全体のスケールでも起きています。
「この地域は、1940年代の空中写真では、山の斜面がびっしりと棚田や段畑に覆われているのを見ることができます。しかし、時代を経るにつれて田畑の面積が減って森林が増えています。この地域は杉の植林も盛んだったので、それによる変化も大きくありました。山の上の方の集落の多くは森林に囲まれて、まるで森の中に住んでいるという状態になっています。意図しない植物が生えているという意味では、大規模に雑草が生い茂っている状態、と言うことができるでしょう」(石川さん)
こうした「雑草化」に対して、行政側からの問題認識やアプローチもなされていて、国土の管理構想がつくられ、去年あたりから開始されているといいます。
「集落の中で申し出たら、調査をしてくれて、どこに管理を集中させて、どこらへんをあきらめよう、といったトリアージを実施するためのワークショップを支援してくれる制度があるんです。ウェブサイトには、管理構想を作った状態と管理が困難になった場合とを対比したイラストが示されています。
これは先ほど紹介したソニーシティ大崎を今年撮った写真なのですが、植栽が丸く刈り込まれて、日本庭園のようになっています。決して緑の量が減ったり質が悪くなったわけではありませんが、当初目指されていた自然に生い茂った様子からは異なる状態ではあります。自然の植栽のまま維持するということが難しいからです。
最初から庭園的な植栽として計画されているのであれば、庭園的な抑制管理ができるので、マニュアル化しやすいし管理が比較的楽なんですよね。しかし、自然風を狙った植栽は、すぐに藪になってしまう。自然に生い茂った様子はあくまで変化の途中の状態だからです。
あるいは、毎年の春先にすべて刈り取るというやり方もあるかもしれません。ここでそれが許されるかどうかに関してはいろいろと問題がありそうですが、奈良の若草山焼きのように、一旦すべての下草を全部地面まで刈り取ってそこから生え戻すという管理をすれば、自然に生い茂った状態が維持される可能性はありますよね。いわば里山管理ですが、なかなかそういう風にはできませんし、法的に緑地全体が必要面積として数えられているので、一時的にでも緑を減らすことはできないかもしれませんね」(石川さん)
これから必要な「造園としてのランド・チューニング」
では、都市の内外で「雑草化」が進んでいくこの状況に対して、どのようなアプローチで向き合っていくべきなのでしょうか? そこで石川さんが提示するのが「造園としてのランド・チューニング」という考え方です。
「全国で雑草化しつつある造園に対して、チューニングの時代が来るのではないかと思っています。完成状態が想定されて、それを保持するための操作が継続されることを『維持管理』と捉えるとすると、動的に変化する現象に対して、こちら側からそのときそのときで関与の関係の最適化を探り続けることを『チューニング』と言うことができるでしょう。つまり、これから必要なのは『ランド・チューニング』ではないでしょうか」(石川さん)
石川さんは、「ランド・チューニング」の事例として示唆を与えてくれるものを列挙してくれました。









その他、下記のような事例も紹介されました。
・都市部の高層マンションの立体駐車場の屋上を、駐車場の区画と同じ寸法の貸し農園に転用、抽選で「待ち」が出るほどの人気で、近隣のホームセンターが苗の販売と講習会などのサポートも行うなど「管理」も支援している事例
・町屋跡がコインパーキング化する旧市街地で、道路際の区画を3年契約の市民農園にする計画(実現はせず)
・緑地管理の外注が当初より経済的に不可能な中で、1.2haの敷地の緑地を46世帯が自主管理、樹木成長と共に住民の技術力も高まり、組織化も進み、いまや日本最大級と思われる「勝手ガーデン」も生まれている事例
こうした事例を踏まえ、チューニングを「動的平衡」にたとえた見立てで、石川さんはプレゼンテーションを締めくくりました。
「私たちは、自分がいる土地をポジティブな土地にしようする傾向を強く持っています。作業のための働きやすい配置という意図でも、あるいは『なんかいいね』『かわいいね』といった意図でも、さまざまな規模や種類のバリエーションで、我々は自分がいる土地を好ましくしていくわけです。意識的であっても無意識的であっても、そういうものは全部『庭づくり』と言ってもいい。つくり手は庭の内部にいて、庭を取り巻く環境との応答を繰り返しながら、ポジティブな土地への志向と環境の特性との間に、いわばチューニングされた動的平衡状態をつくっている。それが庭づくりなのではないでしょうか。
庭って要するに、全体なんですよね。土を耕して、育てて、収穫してと、我々は一連の変化を全部目撃している。そのなかで『いまここにいる』ことが、庭の中にいることによって位置づけられていくのではないでしょうか。わたしの恩師はこうおっしゃっていました。『農というのは、現代的な意味として細分化されている社会の対極にあって、それをトータルで見ようとするバランス作用を持っているのではないか。農村の風景は、トータルランドスケープと呼び得るのではないか』。我々が調査している、長く続いている集落、千年村というプロジェクトがあるのですが、居住地と農地と水源と森林がある環境とセットになっていることが多くて、それが長続きするコツだ、ということがわかってきています。庭とはそうしたものの一つの小さいモデルとして捉えることもできるのではないかと考えています。
最後に、私が好きな言葉を紹介させてください。ヴォルテールの『カンディード』の一節を美学者の安西信一さんが訳されたものです──『お話はいい。自分の庭を耕さねば』」(石川さん)
[了]
この記事は石堂実花・小池真幸が構成・編集をつとめ、2025年6月12日に公開しました。