その昔、渋谷を舞台にしたゲームの制作に関わったことがあって、渋谷という街には少し思い入れがある。何度も時間帯を変えて道玄坂を取材したり、ハチ公前で人の動きを見たり。
 中でも、実写の映像で展開するゲームだったので、エキストラとして撮影に参加したことが一番記憶に残っている。混雑する日中に撮影するわけにはいかないので、ほとんど人がいない早朝のわずかな時間を利用していたが、撮影内容よりも人影がほとんどない早朝の渋谷が印象的で、谷間に出来た傾斜地という地形がより際立って見えた。
 ご存じのとおり、JR渋谷駅は道玄坂や宮益坂、金王坂などの長い坂に囲まれた場所にある。これは渋谷川などの河川で出来た谷という地形だからである。
 渋谷というとハロウィンやワールドカップがあると若者たちが集まってくる街というイメージが一般的かもしれないが、個人的には「日本で一番発展している谷の街」と思っている。
 なので、「若者の街・渋谷」ではなく、「谷の街・渋谷」という観点で渋谷を見ているが、これがなかなか面白い。渋谷川やそれが作り出した谷、その痕跡を見つけると興奮してしまう。
 例えば、下の画像は 2016年に撮影したもので、渋谷駅北側、旧大山街道沿いにあった駐輪場。

 微妙に曲がっているのが分かると思うが、実はこれは二級河川である渋谷川の上に蓋をした暗渠の上に造られた駐輪場だったのである。
 東京の河川の多くは高度経済成長時代に多くが蓋をされて暗渠化されているが、川筋まで消すことは出来ないので、「この曲がり具合は元は川だな。ここは暗渠だな」などと、かつての水路を推測しながら歩くことが出来る。
 ちなみに、現在この場所は、 新しくなった宮下公園の入り口として整備されて、駐輪場は無くなっている。ただ、それでも微妙な川の流れの曲線、痕跡は残っている。
 こういう場所を見ると、水路好き、地形好きとしてはグッときてしまう。
 渋谷はこういう場所が結構あるが、それは日本有数の新陳代謝が激しい地区、開発が繰り返されている渋谷のような場所でも、元々流れていた河川の歴史を完全に消し去るのは難しいということだろう。
 そして、2013年には JR東日本と東京メトロが東京都に提出した「駅街区開発計画」に、現在暗渠化されている渋谷川の移設工事が行われると発表された。
 「渋谷駅街区土地区画整理事業」のサイトに、渋谷駅と渋谷川移設の将来予想図があるので参照されたい。
 これは河川マニアには大変に大きなニュース。渋谷駅のJR東地下広場を広げるにあたって、現在暗渠化されている渋谷川が邪魔になるので移設してしまおうという計画で、JR側の地下一階と、ヒカリエに向かう地下二階の東横・副都心線の改札口の間に人工的な水路が作られるというのである。
 これは地形好き、河川好き、地下構造物好き、都市計画好きにはたまらない。渋谷のような繁華街で、川が移設されるという土木事業を見ることはそうそうない。なので、しばしば渋谷に出かけては、地下広場と渋谷川移設の工事の様子を見に行くようになった。下の画像は 2016―2017年にその工事を見に行って撮影したもの。

 2022年1月現在は、この「駅街区開発計画」の工事も大きく進んで、渋谷で最も高い230mの複合商業施設「渋谷スクランブルスクエア」も完成している。

 渋谷川の移設もほとんど完成しているらしい。
 さすがに表示されていないので、建物の形などから推測するしかないのだが、下の画像の天井上に移設された渋谷川があるのではないかと思う。

 他の人間はあまり気にしないだろうが、私個人としては川の下を歩くというのは面白い。
 しかし、わざわざこういう手の込んだ工事が行われたくらい、渋谷は「日本で一番発展している谷」と言えるかもしれない。
 移設された渋谷川を見たので、もう少しだけ渋谷川沿いも歩いてみる。
 なので、渋谷駅南の「渋谷ストリーム」へ向かう。
 この高層複合商業施設は、東急東横線の渋谷駅が地下化されるにあたって、地上駅および線路跡地(及び周辺地域)の再開発の目玉として建設された。

 渋谷川を見て歩くのに、なぜこの「渋谷ストリーム」に行くのかと言えば、その名前が答えになっている。
 建設された当初、「なぜストリームなのか?」と思っていたが、英語のstreamは小川や水の流れという意味で、答えが下の画像。

 これは「渋谷ストリーム」前の稲荷橋広場から渋谷川を撮影したものであるが、なにやら壁の上から水が出ていて、川に流れ込んでいるのが分かると思う。
 実はこの壁からの水、「壁泉」が現在の渋谷川の水源になっているのだ。この「壁泉」だけでなく、稲荷橋広場下に別の放水口もあるのだが。

 東京都内の河川の多くは、整理されたり、暗渠化されたりで、他の川との繋がりを失っていることも多い。こうなると川というよりも、雨水や排水などが流れるだけの水路になってしまうこともある。
 渋谷川も同じで、大雨なので一次的に水が流入する以外、現在は上流で違う川と繋がりがない状態なのである。そこで平成7年(1995年)に東京都は清流復活事業の一環として、落合水再生センターからの再生水を流すことで、歴史ある渋谷川を復活させたのである。
 ただし、清流復活事業当初は、この「渋谷ストリーム」よりも南にある 並木橋付近の放水口から再生水が放出されていた。

 並木橋には、今でもこの事業開始時に設置された、渋谷川と下流の古川の清流が復活したことを記す表示板がある。ちなみに並木橋下にある、かつての放水口の現在は下に。今では放水されていないのが分かる。

 しかし、東急渋谷駅が地下化され、渋谷駅南側にあった地上の高架線路も撤去されるため、2015年にその跡地を利用した「渋谷駅南街区プロジェクト」が始まり、その中心となる「渋谷ストリーム」の建設が決まると、渋谷川のリバーサイドという立地条件を積極的に打ち出すために、わざわざここを新たな水源場所とすべく工事が行われたのである。
 2017年の工事中の稲荷橋広場、そして2021年現在の稲荷橋広場。

 現在の正式な渋谷川は、この「渋谷ストリーム」脇の稲荷橋広場を起点に、広尾の天現寺橋で笄川に合流して古川になるまでの約2.4kmほどの流れを指す。
 再開発による高層ビル建築と同時に、河川らしい水源が作られ、川が少し伸びるというのも珍しいことだと思う。
 ちなみに、「ここからが渋谷川ならば、渋谷駅前の移設される地下の渋谷川は、渋谷川じゃないのでは?」と思う人もいるかもしれないが、ここはちょっとややこしい。
 1960年代、渋谷駅前の渋谷川が暗渠化された時点では、河川法的に河川として扱われたが、2009年に行われた開発では下水道に変更されたという経緯がある。
 だから、駅前の移設された渋谷川は法律的には「かつて渋谷川と呼ばれた下水道」ということになるのだろう。実際、今は大雨の時以外は、水もほとんど流れていない水路ではあるし。
 しかし、あくまで法律的な話なので、歴史的な経緯などからも、私は渋谷駅前の下水道であっても、渋谷川と呼びたいと思う。こう考えると、この「渋谷ストリーム」は、日本有数に目立つ河川の水源地と言えなくもない。

 この水源地からの川沿いにはカフェなどが並び、設計者のリバーサイドをおしゃれな空間にしようという意図が感じられる。
 渋谷川の脇を走っていた東横線の線路が地下化され、空いたスペースがこんな風景になっていくのは面白い。
 夜にも来てみたが、確かにライティングなどもあって、雰囲気は将来的にもっと洒落た場所になっていくのかもしれない。

 ただし、私が注目したいのは、こうした雰囲気の空間を設計した側の意図とはまったく違う部分。
 新しく整備された「渋谷リバーサイド」の西側ではなく、その反対側の明治通りと渋谷川に挟まれた東側のビル群である。整備されたおしゃれなリバーサイド側と違って、前々から立っているビルの裏側が並び、非常に対照的な雰囲気になっている。

 そもそも大通り沿いの雑居ビルは、通り沿いを表側として入り口や形状を整えて建設される。しかし、普段は人目に触れない後ろ側はエアコンの排気口や物置や、従業員用の入口などが配置されて、そこまで見栄えに凝ることはない。
 このリバーストリートの向こう岸のビルも当然同じだったのだが、線路が撤去され「渋谷リバーサイド」という遊歩道が整備されたことで、急にこのビルの後ろ側という見えない場所が、人目に晒されるようになってしまったのだ。
 ごちゃごちゃしていて、美しいと言えるかどうかは分からないが、無数に並んだエアコンの排気口や雨樋などが無秩序で、これはこれで面白い風景である。

 夜にここを通ると、綺麗で整備されたリバーサイドよりも、暗い中、街頭で照らし出される、こちらの無秩序な情報量の方も魅惑的に見えてしまう。

 この渋谷川を挟んだ対比は、都市開発の過程の風景として見ておくのも良いだろう。
 さらに「渋谷リバーストリート」を進んでいくと、少しづつ不法駐輪の自転車を見かけるようになる。街は整備されるが、 新しい再開発で駐輪場が優先されることはあんまりなく、どうしても、放置自転車や不法駐輪は無くならない。

 最初に紹介したように、かつて川だった暗渠の上に駐輪場や駐車場が作られているのは、土地不足の東京ではよく見かけるのだが。
 渋谷駅周辺には渋谷ハチ公口自転車駐輪場や、青山通り沿いの金王坂自転車駐車場などがあるが、正直数が足りていない。

 上の写真は渋谷ハチ公自転車駐輪場を撮影したもの。この高架下の外にも駐輪場所はあるが、やはりこの程度では数が足りない。
 自転車で渋谷に来ると、合法的に駐輪しようとすると、いつも駐輪場は満車でなかなか停めるのが難しいし、どうしても駅から離れた場所に駐輪させるしかない場合が多い。
 一応、この「渋谷リバーストリート」にも駐輪場は存在はする。 川の上に作られた、八幡橋にある「渋谷駅新南口駐輪場」である。

 用地が限られている都内だと、川の上、橋と併設されて駐輪場が造られているケースは時々見かけることがある。
 土地の有効活用としては面白いが、やはりこれくらいの規模だと渋谷の駐輪問題の抜本的な解決とは言えないだろう。
 そして、元々の渋谷川の水源の再生水放出口のあった「並木橋」まで歩くと、整備された「渋谷リバーストリート」はここまで。それまで緑が配置されていた川の護岸も、急に都内の河川でよく見かけるカミソリのようなコンクリートの護岸になる。

 ここから先はコンクリート護岸が続き、都市河川としての渋谷川が伸びている。

 これを味気ない風景と思う人もいるかもしれないが、このコンクリート護岸も渋谷川の歴史を考えると、なかなか興味深い。
 河床と左右の河岸をコンクリートなどで護岸したものは、「三面張り水路」という開水路の構造なのだが、渋谷川は早くも昭和初期には、この「三面張り水路」の工事が行われていたと言われている。
 これは渋谷川周辺は明治以降、都心に近い市街地として早くから発展したという理由もあるが、関東大震災後の復興計画の一つであり、昭和2年(1927年)に建設が始まった東京初の環状道路「環状5号線」こと「明治通り」が、渋谷からかなり長さを渋谷川と並走するように建設されたということもあると思う。
 下の国土地理院地図を見ても、明治通りと渋谷川が並走しているのが分かると思う。

▲国土地理院地図より(出典

 そもそも明治通りが建設されたのは、中世鎌倉時代からの古道があった場所で、それだけ古くから交通の要所だったわけである。
 つまり、都市化に加えて、国家の交通の中枢を守るためにも、渋谷川は昭和初期から近代的な治水工事が施されたというわけである。
 なんだか古ぼけた感じの渋谷川のコンクリート護岸も、歴史的な道路事業の影響を受けていると言えるだろう。
 そのまま川沿いを歩いて恵比寿まで来たので、本日の街歩きは終了。
 都市の二級河川である渋谷川を歩いただけでも、いろいろなものが見えてきた。
 また、違う川沿いを歩くのも悪くない。

[了]

この記事は、PLANETSのメルマガで2022年1月31日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。あらためて、2022年12月8日に公開しました。
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