やたらと多い「2周目」の転生の物語

 なぜ、異世界はやたらと「2周目」が多いのだろう。
 3周目や、100周目の話も存在はしているが「2周目」を主軸とした話がやたらと多い。『無職転生』『転生したらスライムだった件』などはその筆頭だろう。長い話のどこかに3周目以後の問題が挟み込まれていることがあっても、主軸となるストーリーラインは、現代社会から転生して異世界で2周目をやりたい放題する話である。もしくは、異世界の住人が異世界に転生して、やりたい放題の2周目を生きる。こういった話が多い。
 この傾向は、「小説家になろう」のランキング上位作品につけられた作品内容を示すタグの中身をみてみるとその傾向が示唆される。次に示すのは、上位300作につけられたタグを集計したものだ。(2021年5月5日時点)

1位 異世界転生 97作品 32%
2位 異世界転移 86作品 29%
3位 チート 85作品 28%
3位 異世界 85作品 28%
5位 ファンタジー 78作品 26%
6位 魔法 70作品 23%
7位 男主人公 65作品 22%
8位 冒険 61作品 20%
9位 主人公最強 59作品 20%
10位 書籍化 54作品 18%
11位 ハーレム 47作品 16%
12位 成り上がり 44作品 15%
13位 ハッピーエンド 33作品 11%
13位 ほのぼの 33作品 11%
13位 女主人公 33作品 11%
16位 オリジナル戦記 30作品 10%
17位 恋愛 29作品 10%
18位 転生 28作品 9%
19位 ざまぁ 27作品 9%
20位 悪役令嬢 26作品 9%
20位 日常 26作品 9%
22位 コミカライズ 25作品 8%
22位 ダンジョン 25作品 8%
24位 ラブコメ 24作品 8%
25位 ご都合主義 23作品 8%
25位 剣と魔法 23作品 8%
27位 貴族 22作品 7%
27位 魔王 22作品 7%
29位 学園 21作品 7%
30位 追放 20作品 7%
30位 内政 20作品 7%

 レーティングを示す「R15作品(78%)」、「残酷な描写あり(71%)」を除くと、そのほとんどが2周目を示す「異世界転生」タグは、上位300作品中の三つに一つに見られている。
 より上位の作品になるとその傾向はさらに顕著になり、累計ランキング上位30作品だと、ちょうど半数の15作品に〈異世界転生タグ〉が付けられている。下記は、異世界転生タグの付けられているランキングのトップ作品だ。

〈異世界転生タグの付けられた累計上位30位以内作品〉[1]
・伏瀬『転生したらスライムだった件』
・理不尽な孫の手『無職転生 - 異世界行ったら本気だす -』
・馬場翁『蜘蛛ですが、なにか?』
・ハム男『ヘルモード ~やり込み好きのゲーマーは廃設定の異世界で無双する~』
・愛七ひろ『デスマーチからはじまる異世界狂想曲』
・逢沢大介『陰の実力者になりたくて!』
・Y.A『八男って、それはないでしょう!』
・香月美夜『本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~』
・FUNA『私、能力は平均値でって言ったよね!』
・甘岸久弥『魔導具師ダリヤはうつむかない』
・錬金王『転生して田舎でスローライフをおくりたい』
・ひよこのケーキ『謙虚、堅実をモットーに生きております!』
・沢村治太郎『元・世界1位のサブキャラ育成日記 ~廃プレイヤー、異世界を攻略中!~』
・夜州『転生貴族の異世界冒険録 ~自重を知らない神々の使徒~』
・吉岡剛『賢者の孫』

 ここに挙げたほとんどの異世界転生小説は、その多くが「2周目」の物語だ。これは、男性向けの異世界ハーレム、チート系と言われる作品だけでなく、女性向けの悪役令嬢ものでも、2周目の転生というフォーマットが踏襲されがちである。
 単に、主人公が強いという設定が必要なのであれば、10周目や、50周目の存在のほうが、よほど強いはずである。しかし、なろう小説ではそういった話は多数派ではない。
 よく言われるように、もし、なろう小説が単に「ゲームの想像力をそのまま反映した小説」であるということであれば、20周目の主人公とかが、もう少し登場してもよいはずなのにも関わらずだ。
 なろう小説の外に目を向ければ、同じ人生を何十周もする話は数多くある。比較的物語の文化として近いところにあるライトノベルであれば『オール・ユー・ニード・イズ・キル』[2]しかり、ノベルゲームならば『ひぐらしのなく頃に』(以下『ひぐらし』)しかり。
 人生を何十周もするという世界観がベースになっている話自体は、今どきまったく珍しくない。
(以下、いくつかの『ひぐらし』のネタバレを含む)。
 『ひぐらし』では、物語世界内で他のキャラクターに対して、かなり強い立場の人間として、昭和50年代の雛見沢村を何周もしていることを自覚しているキャラクターが登場する。このキャラクターが『ひぐらし』の世界内において強力な立ち位置を占める理由は、もちろん人生を何十周もしているからにほかならない。同じ事件がおこる昭和58年6月の雛見沢村を何度も何度も見ていれば、雛見沢村で起こりうることに精通するのは当然で、問題を解決するのに一番近い地位にいる立場になることができる。あたりまえである。
 「繰り返される世界で強い立場を得る」ことを、少ない設定で説得的に描くならば、ゼロ年代ノベルゲームで普及したループ式の物語形式を踏襲しても良さそうなのにも関わらず、なろう小説ではそれが踏襲されていない。『ひぐらし』はもちろん『Fate』シリーズ、『月姫』、『CROSS†CHANNEL』『Steins;Gate』など、ゼロ年代にヒットしたノベルゲームだと、ループものは、現在の異世界転生に匹敵するほどによく普及した形式だった。なろう小説のヒット作品でこのループ形式を明確に受け継いでいる作品もある(『Re:ゼロからはじめる異世界生活』)。だが、なろう小説群の中ではあまりメジャーな設定ではない。転生系と同じぐらいか、それ以上に「追放復讐系」「転移・召喚系」もかなりの数を占めているが、この「2周目」フォーマットの興味深い点は、韓国発のなろう系(ウェブトゥーン)でも、中国のなろう系(閲文集団)でも、メジャーな形式として受け入れられているということだ(もちろん、2周目以外のフォーマットもある)。
 主人公が強くなるという点以外に、2周目の転生物語と、ループの物語は何が違うのだろうか。

悲壮な世界 vs 気楽な世界

 結論から言えば、100周目と、2周目でわかりやすく違うのは、主人公の気の持ちようだ。
 2周目の人生を生きる主人公は基本的に生きることがグッとラクになる気分の只中でまどろむことができる。「2周目だから、いろいろショートカットできてすごくラク」というのが、なろう小説の定番フォーマットである。
 「昔とった杵柄のおかげで、人生がすごくラク」という意味では、似たような発想に基づく作品は多い。元勇者が30歳ぐらいで、人生をリタイアして田舎でスローライフを送るという設定のものだったり、現代知識チートものと言われるジャンルも大括りでいえばこのジャンルに入る。
 とにかく、いままで抑圧されていたものが、解放されていくのが、なろう小説のフォーマットである。
 一方で、『ひぐらし』などに代表されるノベルゲームの主人公たちは、安全だったはずの世界が徐々に抑圧的な世界へと変貌していったり、周囲の人間の苦しみや悲劇に打ち震える話である。
 主人公たちは、しばしば同じ世界に「閉じ込められている」と感じ、自らの置かれた境遇に悲壮感を抱く。そこには気楽さはなく、自分たちが同じ世界を何度もやり直していることが、誰かの死とか、世界の崩壊といった悲劇的な事態と結びついている。

 1990年代後半~ゼロ年代にかけて大量につくられた『弟切草』や『雫』『痕』などに特に影響を受けた一連のノベルゲームの形式は、「2周目」を気楽に楽しむゲームではない。すでに述べたように5周目、10周目の悲壮感こそがノベルゲームの一つの典型である。
 もちろん、基本的にはエンターテイメント作品なので、最後には悲劇に打ち克つ展開で終わるものだが、作品体験の主軸は悲劇の解決である。
 一方のなろう小説では解決すべき悲劇は、あったとしても基本的には、主人公は悲劇に対して、あまり打ちひしがれていない。
 同じ「人生をやりなおす」のでも、世界に対する態度は、ほとんど真逆だと言っていい。

セカイ系 vs (中間)管理職

 セカイに打ちひしがれていない、転生物語の主人公たちは、戦い方も異なっている。
 ゼロ年代のノベルゲームの敵の多くが、悲劇的なループを成り立たせている超越的な神のような存在である。世界そのものの悲劇のループを成り立たせるシステムのようなメタ概念(神に類するもの)と主人公が対峙する。それゆえ、多くのノベルゲームは「セカイ系」という括りで語られることが多かった。
 他方で、なろう小説の主人公たちは、セカイに対して個人で立ち向かったりしない。敵自体の現れ方は結構似ていたりするのだが、個人で立ち向かう話は少ない。最も多いパターンは、組織の長として問題に立ち向かうことだ。敵自体は神のような存在であることも多いのだが、経営者だとか、中間管理職的な感覚で世界と対峙していることが多い。王国の経営や、自分で立ち上げた企業の経営の話はお決まりのパターンの一つとなっている。

 もっとも、ほとんどの作品は経営シミュレーションゲームを遊んでいる程度の感覚で、組織運営の様子が描かれている。だが、比較的、まともに人間関係の調整を書こうとしている作品もある。
 前にも挙げた『ライブダンジョン!』などは、小さなギルドのリーダーとして他ギルドの反応も見ながらギルド運営をやっていく話で、かなり人間観察が細かい。おそらく著者である「dy冷凍」氏本人がMMORPGのプレイヤーとして長い時間を費やしてきた経験をもとに書いているのだろうと感じさせる。また、同じく前に挙げた『異世界コンサル株式会社(旧題:冒険者パーティーの経営を支援します!!)』も、実際に企業経営の修羅場を体験している人間が書いたのだろうと思わせる迫力がある。

 だが、ここらへんはどちらかと言うと例外で、著者が実際に詳しい業務範囲の感覚だけ、妙にリアルな作品というのが多い。
 『八男って、それはないでしょう!』(以下、『八男』)なんかは、話全体としてはご都合主義的ファンタジーである。だが、貴族間のしがらみの調整や、大概に生臭い田舎の人間関係のような話だけ妙にリアルに描かれている。何か顧客のケアとか組織内での調整に日々あたっている営業の人が書いたのかな、という印象を抱く。
 なろう小説には、こういったフィクションとしてのリアリティラインのバランスが歪になっている作品が多い。
 『マギクラフト・マイスター』は、工業機械に関する知識の筆致が妙にしっかりしている。機械設計士か何か、工場で働いている人が書いているのだろうかと思わせる。
 『駆除人』は、名前の通り害虫やネズミなどの駆除を業務にしている人の話なので、これも害虫駆除の話は特にマニアックな知識が語られる。
 おそらくは、どれも著者らが社会人として働いた経験をもとに書いているのだろうと思わせる。
 主人公はだいたい成人後のオタクが転生するという話なので、毎回セカイ系的な展開にはなるわけではない。ファンタジー小説の読者も多くが中年となってしまった今となっては、延々と主人公が正義の絶叫演説をしているのを読まされるのよりは、知らない業界の話でも聞いているほうが面白いというのはあるだろう。

ノベルゲームの2周目ではなくJRPGの2周目

 「なろう小説」は、ゼロ年代ノベルゲームの系譜の中にあるという説を唱える人がいる。
 実際、「ハーレム展開」などは、たしかにゼロ年代ノベルゲームの影響関係で考えても良さそうなところもあり、一部のなろう小説には、たしかに明確にノベルゲームの影響を感じられる作品がある。だが、ここまで抽出してきたような特徴を考えると、何十周も世界を繰り返すループ構造から「2周目」メインの展開への変化は、ノベルゲームの影響とは切り離して考えても良さそうだ。
 そして、「なろう小説」の2周目のイメージは、多くの場合、ノベルゲームの2周目ではない。ノベルゲームにおける2周目というのは、別にそれほど主人公の思うがままではない。どちらかと言えば、2周目ぐらいだとまだまだ物語世界内の全体の設計がわからずに、戸惑っているうちに終わってしまう。
 アクションゲームの2周目でもない。『スーパーマリオブラザーズ』などの横スクロールのアクションゲームも、『テトリス』などの落ちゲーも、『ストリートファイターII』のような格闘ゲームも、いずれも2周目が楽しいゲームというわけではない。『スーパーマリオブラザーズ』は、1回マリオが死んだあとの、2回目のプレイでいきなり上手くなるというものではない。アクション要素のあるだいたいのゲームは、うまくなるためには少なくとも数十回はゲームオーバーになるのが一般的だ。

 2周目が楽しいゲームとは何か。
 まず、『DQ』シリーズや『FF』シリーズをはじめとするJRPGがそのイメージの中心だと考えて良いだろう。とくに『FF』シリーズは、一貫した傾向として明らかに2周目のプレイに気楽な傾向が強い。『FFシリーズは、基本的にキャラクターの育成システムや戦闘システムが、新規で複雑な仕組みで実装されている。その仕組みの新しさ自体が『FF』シリーズの魅力の一つでもある。そして、複雑なシステムの概要が理解できるようになってくると、急速にキャラクターが強くなるコツを習得できるように設計されている。システム理解の度合いによって、キャラクターの育成のしやすさが大幅に上昇し、「一挙に強くなった」と感じさせる演出は『FF』シリーズをはじめとするJRPGのシステムではおそらく意図的になされている。[3]

ゲームの最も開放的な楽しみのある瞬間としての2周目

 もっと言えば、ゲームデザインの一般的な手法からすれば、このなろう小説が扱う2周目の瞬間というのは、ゲームの特に楽しい瞬間を切り抜いているという言い方をしてもいい。 
 プレイヤーにあえてストレスを与えて「やろうとしていることが、できない」状態を、あえてつくりだし、上達したタイミングで「できた」という感触を与える落差を設計することはゲームデザインの常套手段である。この落差を感じさせる手法は1980年代にはすでに多くのゲーム開発者が意識していた。
 たとえば、多くの人々にコンピュータゲームというものの存在を認識させた『スペースインベーダー』(1978)ですでにこの手法は見られる。敵の猛攻があったかと思うと、敵の攻撃の手が緩み、またしばらくすると敵の猛攻がはじまる。そして、しばらくするとまた攻撃の手が強まる……この繰り返しだ。あえてストレスを与えることで、ストレスからの解放に爽快感を感じさせる。これはゲームの設計としては、幅広く見られる。
 『ポケットモンスター』の開発者として知られる田尻智(1996)[4]は、この手法を緩急効果と呼び、こういったプレイヤーへのストレス管理こそが、ゲームを面白く感じさせる手法の重要な点だと述べている。
 「やりたいと思っていたけれど、やれないでいたことをやれた」というのを完全にできる瞬間が、多くの夢中になるゲームにはある。
 育成のストレスから開放される「システムがちょっと複雑なJRPGの2周目」はまさにその瞬間の一つである。
 ゲームを遊んでいて、もっとも気楽になる瞬間を表現しているのが、なろう小説の2周目だと言っていいだろう。

 この「気楽な瞬間の楽しみ」は、JRPGの2周目という瞬間にこそ宿っているのではないか。10周目でも、100周目でも成立しないものだ。
 JRPGであっても、3周目以後は、ゲームプレイヤーの焦点は別の部分に移行していくことが多い。たとえば、効率を追い求めるような極限的なものに徐々になっていたり(RTA)、実績のコンプリートを求めるような根気のいる感覚にゆっくりと移行していく。そうなってくると、同じ形式のゲームを遊んでいるとは言っても、ゲームプレイヤーの焦点は、1周目、2周目、10周目では、かなり別のものに変化する。いわゆる「やりこみ」の世界だ。
 JRPGではなく、MMORPGの「やりこみ」の世界も転生ものの小説ではしばしば描かれる。ただ、それは「他のゲームプレイヤーはゲームをやり込んでいないが、俺だけ(人生2周目なので)やり込んでいる」という形式として描かれるのが鉄板だ。
 なろう小説をはじめとする転生物語が「2周目」というテンプレートに沿っているのは、このJRPGという形式のゲームがもっとも楽しい瞬間を再現しようとしているからではないだろうか。

(了)

[1] このうち『デスマーチからはじまる異世界狂想曲』『元・世界1位のサブキャラ育成日記』は、主人公は異世界転移。もちろん、なろう小説は転生ものだけではない。他にも、いくつかの人気パターンはある。転生以外の話も数多く存在する。例外もある。その話はここではさておく。

[2] なお、なろう小説にはこの作品のパロディとして、左高例(2016)『オール・ユー・ニード・イズ・吉良』というタイトルの作品がある。これは、ループ作品である。
[3] なお、プレイヤーのシステム理解度合いの深さによって育成戦略が大幅に変化する実感をさせるというやり方の極地は、「ディスガイア」シリーズだろう。
[4] 田尻智(1996)『新ゲームデザイン』(エニックス)pp.86-90

(了)

この記事は、PLANETSのメルマガで2021年6月1日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。あらためて、2024年8月15日に公開しました。
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