「うまみ」に取り憑かれた男たち

宇野 この前、猪子さんから深夜に突然電話がかかってきたんですよ。何事かと思ったら、石川さんが食べることとウェルビーイングの関係について話されていることを共通の知り合いから聞いたらしいんですよね。「これめちゃくちゃ面白いよ!」「すごく感動した!」って。特に「うまみ」についての考察が面白かったと言っていて……。

猪子 そうそう。その石川さんの話を聞いて、もう感動しすぎちゃって。もともと僕は昔から「うまみマニア」みたいなところがあって、「うまみ」は人の味覚そのものを変えてしまうような、すごく面白い感覚だと思ってたんだよね。そしたら石川さんも、そもそも人によって味覚が違うから好みも違うんだけど、それはすごい勢いで変わっていく。特にうまみは、そうした味覚の変わり方の最たるものだ、みたいなことを話していたと聞き、すごく共感したんですよ。

宇野 というわけで、急遽、石川さんを呼んで、「うまみ」について語ったら面白いと思った次第です。あと、僕がその話を聞いて思い出したのは丸若裕俊さんのことだったんです。丸若さんはEN TEAというブランドで、緑茶を中心に喫茶文化のアップデートを仕掛けている人なのだけど、猪子さんとも仕事をしているし、よく「うまみ」について話していたなと思い出したんです。だから今日は、猪子さんと石川さん、そして丸若さんにお茶を淹れてもらいながら、「うまみ」について考えてみたいと思っています。
 と、いうことでまずは話の前提として、石川さんのうまみ研究について聞かせていただけますか?

石川 はい。僕がまずうまみに興味を持つようになったのはハーバード大学が主催している「Healthy Kitchens, Healthy Lives」というイベントに参加したことがきっかけです。これはアメリカのナパバレーというワイナリーとしても有名な場所で、お医者さんたちが300人以上集まって、包丁の使い方から料理を習いながら、ワインを楽しみつつ最新の栄養学を学ぶというものです。かれこれ十数年以上続いている、とんでもないイベントです。

▲予防医学研究者の石川善樹さん

 なぜそんなことやってるかというと、これまでは患者さんに対して栄養指導をしてきたんですが、「こういうものを食べると体にいいよ」と栄養指導しただけでは人の行動なんて変わるわけがないんです。じゃあスキルも教えないといけないだろうということで、地域のスーパーでどういう食材を買ったらいいのかといった買い物の仕方と調理の仕方、そして栄養の基本的なことの3つを医療従事者に教えてあげると、患者さんに対する指導がすごく上手くなるんです。

 このイベントの成果もあって、今、全米の病院でキッチンを病院内に作って患者さんに食材の買い方や料理の仕方を教えるところが増えているんです。たとえばボストン医療センターでは今まで月に2回、地域の貧しい人たちに食糧を無料で提供していたんですが、「食材をあげるけど、そのかわり料理教室に参加してね」というルールに変えました。その食材で料理の仕方も学んで帰ってもらうと、本人も家族も健康になる。これをやり始めたら、めちゃくちゃ評判になって全国の病院に広がりつつあるんです。たとえばアメリカのとある医学部は、医学教育の中に必修として料理を入れようとしています。

 そのムーブメントの第一人者にデイビッド・アイゼンバーグ教授という人がいるんですが、たまたまそのデイビッド先生が僕の父親と大親友だったんです。僕の父親はお医者さんなんですが、父がハーバードに留学したときからずっと仲が良くて、「最近こういうのやってるから来なよ」とデイビッドに誘ってもらったんです。
 ……という経緯があって、実際に料理を教える「Healthy Kitchen, Healthy Lives」に行ってみたら、料理がおいしくなかったんです(笑)。

宇野 おいしかったっていうオチなのかと思って聞いていたら、おいしくなかったんですか(笑)。

石川 ヘルシーなんだけど、全然おいしくなかったんですよ。そのとき同行していたのが、南フランスのニースにお店を構えるシェフの松嶋啓介さんです。料理のことは料理人に判断してもらおうと思って、お忙しいところ無理を言ってアメリカまで来てもらったんです。で、面白かったのが、同じ食材で同じレシピで作るんですけど、松嶋さんが作るとおいしいんです。

猪子 同じレシピでも?

石川 そう。不思議なんですよ。たとえば野菜を切るという動作ひとつとっても、松嶋さんは複数の野菜の細さを揃えて切っていたんです。なぜですかと聞いたら「揃えて切った方が、口の中にいれたときの食感がいいんです」と。そこではじめて、料理のおいしさはそういう細かいことの積み重ねだと気づいたんです。
 そこから初めて料理や食に興味を持って研究を始めるようになりました。

うまみを解明するために、味の「快楽」を紐解く

石川 研究してみてわかったことがあります。世界中どの食材にも「うまみ」というものが含まれているんですが、異なるうまみを組み合わせるという手法は、日本とか東アジアの料理の特徴なんですね。それに対して西洋料理の場合は、一つのうまみだけに立脚したレシピを作ってしまう傾向が強いんです。
 そこで世界中のレシピを集めて分析したところ、世界の料理は大きく3つに分けられることがわかりました。
 ひとつは、香りが合うもの同士をくっつけるという香り重視のもの。たとえばアングロサクソン系はその代表で、香りが立つ食材の組み合わせが多いんです。これは最近では、香りの類似性をベースに相性のいい食材の組み合わせを化学的に分析する「フードペアリング理論」として体系化されています。スターバックスもこの「フードペアリング理論」に基づきドリンク開発をしているみたいですね。
 もうひとつが、スパイス重視のもの。インド料理が典型的ですね。
 そして最後のひとつが、うまみ重視のものです。おそらくなんですが、日本はじめじめした気候のせいで香りが立たないので、舌で感じられるうまみが先行したんだと思います。蕎麦もわざとズルズルとすすって香りを巻き起こしているじゃないですか。乾燥してるヨーロッパだったらそんなことをしなくていいんです。自然と香りが立つから。

 では、次に「うまみってどういう快楽なんだろう」って調べ始めたときに、「そもそも快楽ってなんだ? 」という話になって、調べたら味覚の快楽を引き起こす物質には、「Sugar(糖分)」「Fat(脂肪分)」「Umami(うまみ成分)」の3種類があるんだそうです。
 それで、ここからがかなり面白いんですが、横軸に時間を、縦軸に快楽の強さを置いてグラフを描くと、それぞれまったく異なる快感発生のパターンを引き起こすことがわかったんですね。
 つまり、図のように、糖の場合は一気にぐわっと上がって、ふわっと下がるというパルス状のパターンになります。脂肪の場合は時間が経つにつれて指数関数的にどんどん上がっていくパターンに、うまみ成分の場合は対数関数的で、ゆるやかにじわじわと上がっていくパターンになるわけです。

 だから、たとえば糖分って摂るとその瞬間は満たされるんですが、すぐに物足りなくなって、また次のやつが欲しくなる。ただ飽きが来るのも早いです。
 対して脂肪分って、味はしないんですが、脳が快楽を感じて、摂れば摂るほど、際限なく欲しくなります。

猪子 これって「Fat」にハマると、究極的には一番快楽が大きいってこと?

石川 そうかもしれないですね。でも同時に、渇望感も大きいはずです。

猪子 なるほど、確かに甘みと油はいき過ぎると「うぇ」ってくるけど、うまみは延々といけるもんね。

石川 はい。延々いけるのは、この図のように、ずっと上がりきらないからでしょうね。なので、これらの3種類の快感発生のパターンは、左から「Like型」「Want型」「Learn型」とも言われています。
 糖の「Like型」は、「好き好き! でももういいや!」って感じで、ひと夏の恋みたいなものですね。脂肪の「Want型」は、気づかないうちにどんどん欲しくなって抜け出せなくなるという、ドロ沼の不倫みたいな感じ。
 最後の「Learn型」は学ぶときの快楽と同じで、最初はグッと上がるんですけど、途中からちょっとずつしか上がっていかないんです。うまみはここに分類されます。たとえば、お吸い物とか味噌汁飲んだ後に「ふぅー」ってなるのは、ジワジワと快楽を感じているからなんですよ。
 「Like型」と「Want型」はアッパー系の快楽と言われているのに対して、「Learn型」はダウナー系の快楽に分類されます。アッパー系のものが多い世の中に対して、ダウナー系のうまみというのがどうも面白そうだなと思って、いよいようまみにハマっていきました。

宇野 まさにうまみそのものと同じように、うまみの考察のもたらすLearn型の快楽に取り憑かれたわけですね。

▲チームラボ代表・猪子寿之さん

Tea Break Part. Ⅰ 朝の緑茶

丸若 ちょっとティーブレイクを入れましょうか。どうぞ、飲みながらぜひ。今日は3回にわけて緑茶を用意したんですが、緑茶はそれぞれ抽出や形状、品種によって味が変わってきます。よく緑茶といったらカフェインの興奮作用がフォーカスされがちですが、実は緑茶には興奮作用と鎮静作用の両方が入っているんです。だから緑茶は人の調和をとる飲み物だ、というのが僕たちの考えです。

 たとえば朝、昼、夜で抽出方法と品種を変えていくと、その時々に合わせた緑茶ができるんですが、最初のこの一杯は、言わば朝に寄ったものになります。緑茶の微粉末で、簡単に言うと回転寿司に置いてある粉末緑茶のハイエンド版みたいなものですね。この抽出方法で淹れると、まず覚醒作用が一番マックスで出てくる。だからこういう話の流れのときには先に飲んで興奮して、だんだん鎮静化させていくのがいいかなと思って。

猪子 最後は穏やかに仲良くなるんだよね。

丸若 そうですね。興奮作用というとガーンと上がると思われがちなんですが、徐々に気づくか気づかないかくらいのペースで上がっていくので、こういう対話に向いています。これが緑茶のいいところですね。2杯目、3杯目も頃合いを見てお出ししていきますので、お楽しみに。

食材を「混ぜる」という営みが人間を人間にした?

猪子 それでさ、宇野さんには大昔に話したと思うんだけど、明らかにエネルギー源になる甘み(糖)と油(脂質)を人がおいしいと思うのは進化のプロセス上当たり前なんだけど、うまみだけはどうしてここまでおいしいと思えるのかが、いまいち理解できなかったんだよね。うまみの3大成分って、タンパク質をつくるアミノ酸の一種であるグルタミン酸、DNAやRNAの材料になる核酸の一種であるイノシン酸、グアニル酸だっていう栄養学的な理屈は一応あるんだけど、他にもアミノ酸いっぱいある中で、わざわざ昆布とかで多く摂れるやつにそこまで強く反応する必要ないわけじゃん。

 イギリスに行ったときに、ある日突然禁断症状みたいに「醤油が飲みたくてしょうがない!」って状態になったことがあって。けっきょくうどん屋を見つけて汁を飲んだら落ち着いたんだけど、その時はじめて日本でいつも使っていた醤油には中毒性があるんじゃないかと思ったんだよね。でもその後サンフランシスコに行ったとき、タイ料理を食べているとその禁断症状が起こらないことに気づいた。タイ料理には魚醤のナンプラーは使われてるけど、醤油ってないよなと思ったら、すごく興味が湧いて。それが知りたくて、そこからほぼ毎日鍋を作り始めることにしたんだ(笑)。

石川 醤油って、数ある発酵食品の中でも麹菌、乳酸菌、酵母と、製造工程であらゆる種類の発酵作用を総動員してますからね。それで、どういう鍋をつくるんですか?

猪子 はじめは「発酵したものはとにかくうまい。日本もタイも発酵文化だ。発酵したものを入れまくろう! 」みたいな感じで発酵したものを入れまくったんだよね。でも発酵したものには腐らせないために塩が入ってるから、塩気が勝っていくんだよ(笑)。

石川 たしかに(笑)。ちょっと話は変わりますが、発酵もさらにその先に行くと、腐る手前に酸っぱくなるという段階がありますよね。この「酸っぱい」はすごい大事で。たとえば食前に酸っぱいものを摂っておくと血糖値の上昇が抑えられて、アッパー系にならず、ダウナー系のうまみがより感じられるようになる可能性もあります。だから、鍋の前にみんなですっぱいものを飲んだりすると、それだけで味わい方が変わってきちゃうかもですね。

猪子 鍋をポン酢で食べると延々食えたりする、みたいなことかな。

石川 それもあるかもしれないですね。色々な鍋を作ってみて、どういう境地に至ったんですか?

猪子 発酵食品だけ入れまくればいい、というのはどうも短絡的すぎたなと思って、今度は発酵したものも含め調味料や加工したものは一切使わずに、とりあえず素材を混ぜていくという方針に変えてみた。そこで気づいたんだけど、鍋で炊くと何を混ぜてもそんなに不味くならないんだよ。野菜でも肉でも魚でもキノコでもなんでも、加工されていないものに限り、生の食材を一緒に鍋に入れて加熱すると、単品よりおいしくなる。

 そこから考えてみたんだけど、人間はうまみ中毒になったから混ぜて加熱せざるを得なくなって、つまり料理せざるを得なくなった。そして、料理をするから結果的に消化効率が上がって、脳に余分なエネルギーを与えられたり、消化に使わない時間、つまり遊びの時間が生まれたりして、人間が人間らしくなったんじゃないかなって。この図で言うとSugarやFatは生命として生きるためにあるけど、うまみは人間が人間になるために重要なものなんじゃないかと思う。

石川 確かに! うまみって、たとえば「肉のうまみ」と「野菜のうまみ」を組み合わせると相乗効果がでるんですが、動物はそんなことしないですよね。肉と野菜を混ぜて食べるのは人間だけみたいな。

猪子 そうそうそう。あとそれに、混ぜるという発想は食べるという行為を多様化させて、結果的に人間の生活環境を広げたんじゃないかと思うんだよね。たとえば俺がライオンでシマウマの内臓が一番おいしいとしたら、シマウマがいる場所にずっといると思う。混ぜることによってうまくならなかったら、一番うまいものだけを食べるじゃん。でも、そればっかり食べていたらそのうちそれが絶滅するかもしれない。
 つまりこれは、人間にとってある特定の食材の有無はあんまり重要じゃないということを意味してると思うんだ。特定のものを食べるよりも混ぜるほうがおいしいことをわかっているから、特定の場所にこだわらなくても生きていける。このことに、混ぜるということが役立っているんだと思う。

石川 そうすると、いろんなものを混ぜようと思って移動していく。まさに人類のグレートジャーニーですね。ゴリラとかボノボといった類人猿たちはアフリカに留まっているのに、なぜか人間はそこを出て南アメリカ大陸まで行った。このように未知を求めて移動する特性は一体どこから来ているんだろうと、ずっと不思議に思ってたんです。普通だったら、そこでいいものが採れるならそこに留まりたくなるはずなのに、たとえそこに確かなものが用意されていたとしても、人類は外へ出ていった。結果的に地球のすべての大陸に存在する生き物は人類だけなんですよ。

猪子 そうですよね。ゴキブリより範囲が広い。

石川 そう考えると、グレートジャーニーを引き起こした要因が、食材を混ぜればうまくなるという確信だった、みたいな仮説はありえるかもしれないですね。しかもその引き金になったのが、複数の食材由来のうまみ成分を組み合わせることでうまみが高まるという性質だった(笑)。

猪子 そう。だから、うまみが人間を人間らしくしたんじゃないかなと思ってるんだよね。それがモチベーションになったかどうかはわからないけど。それは広大な生息範囲の原因の一つかもしれなくて、それが人間らしさにつながっているんじゃないかなって思って。つまり、特定の素材よりも、混ぜたり加熱したり発酵させるという人間の創造性や知恵の方がおいしくする。
 僕が大学のときにいちばん興味があったのが「美」と「うまみ」で、両方とも意味がわからないじゃない。たとえば生物としての人間が進化の過程で、生殖対象に対して美を求めるようになったという話なら、進化論的には理解できるんだよ。
 でも、美の概念に、たとえば人間の生殖から一番遠い「花」が入っているのが、意味がわからないんだよ。だから、美とうまみがいまの人間をかたちづくった一番の中心なんじゃないかなと思っているんだ。

石川 いま人類史の本質についての新手の理論が誕生したのかもしれないですね、さしずめ「ホモ・ミクスチャー」仮説(笑)。それはセックス(有性生殖)と似てますよね。たとえばミジンコは環境が安定してると単為生殖でメスが増えていくんです。でも、環境が不安定になると途端にセックスを始めて、遺伝子が混ざり始めるんです。混ぜるとよりいいものができてくるっていうのは生命の基本ですからね。
 ただ、食べるという普段の代謝活動で、ここまで多数の食物を、しかも食べる前に混ぜ合わせて加工するなんていう動物は人間以外にはいないわけです。

宇野 猪子さんにとってうまみってそんなにデカいものだったんだね(笑)。さっきの石川さんの話から考えると、うまみはLearn的な快楽で、非常に人間の言語的な知性に近い部分の快楽ですよね。にも関わらず、たとえばいま料理ブログを見るとめんつゆとごま油を使った、手っ取り早くうまみ成分を補うレシピが支配的になっている。こういった手軽な「うまみ」に対して、外食産業の人たちからは「うまみ批判」的な文脈も一部では出てきています。たとえば東京や名古屋で大当たりした南インド料理店「エリックサウス」のイナダシュンスケさんなんかは、客観的な味覚のエレメントとしての「うま味」と、主観的なニュアンスとしての「旨味」が混同されて、日本人がうまみ万能論に陥りがちなことを暗に批判しています。つまり、料理したい食品にどれくらいうまみ成分があって、どれくらいが適切なのかという部分から半ば離れて、要はうまみという言葉が独り歩きしている。とりあえず「うまみを足せば良い」という文化ができてしまっているのは間違いない。
 なので、今日は深入りは避けますが、糖と脂質からうまみへという問題の立て方だけではなく、石川さんが同時に挙げていたスパイス重視のレシピとうまみ重視のレシピの本質的な違いは何かという対立軸を掘り下げてみても面白いと思うんだよね。いま挙げたイナダシュンスケさんは、スパイス重視側の立場から「うま味控えめ」のメニューなんかも推進しているし。

丸若 ちなみにあとでお出しする予定の水出し茶があるんですが、ガチでスパイスで作ったカレーと劇的に合いますよ。スパイスのトップコートが上品に口の中に余韻として広がって、辛味が蓄積されて段々きつくなってくるところを洗い流してくれるから。

宇野 そう。実はうまみ的なものとスパイス的なものって相互補完的に機能するし、現にそう組み立てられている料理ってすごい多いと思う。
 ともあれ、これまでの議論で重要なのは、単にグルタミン酸10とイノシン酸やグアニル酸1を配合して摂れ、といったことではないと思う。むしろ「食べる」という体験を、「うまみ」的、Learn的なものにアップデートしていくことが大事なんじゃないか。「うまみ」の本質はいわゆるうまみ成分にあるんじゃなくて、むしろLearn的な食の快楽に、つまりさまざまな食材の組み合わせを試行錯誤して料理をしたり、時間をかけてそれを味わったりと、飲食というものを通じたLearn的な快楽の追求全体のことなんだと、文化論として定義をずらしたほうがいい。まさに猪子さんが言うとおり、それが人間が人間らしく「食べる」ための条件ですらあるのかもしれないしね。

石川 今回のコロナ禍で、レシピサイトの検索傾向が変わったみたいです。一番変わったのは、いままで一番多かった「時短」「お手軽」というキーワードが減ったんだとか。

宇野 なるほど。むしろじっくり家で作りたいと。

石川 めんつゆやごま油は時短ニーズに応えてるんですよね。だから時間のある今は、猪子さんの鍋みたいにゆっくり火をいれながら素材のうまみを引き出して掛け合わせるようなレシピが増えた。うまみを考えるときはどうやって料理して、どれくらい時間をかけて食べるのかということまで含めて考えたほうがいいということですよね。

Tea Break Part. Ⅱ 昼と夜の緑茶 テアニンとカフェイン

丸若 だいぶ話も盛り上がってきましたけど、再びティーブレイクを入れますね。最初に出したお茶は、渋みで人を覚醒させるものでした。つまり、うまみとは真逆のところにあるんですね。そして途中に飲んでもらったものは濃厚な水出し茶で、渋みとうまみの中間、覚醒と沈静、両方がバランス良く入っていて、食中茶や、会話をスムーズにさせたい時に向いているお茶です。

 で、最後に飲んでもらったのはうまみがいちばん感じられるお茶です。

猪子 最後のは沈静とうまみの塊ってことだね。

丸若 そうです。よくみんな「緑茶を飲むと興奮して寝れない」と言うんですが、個人差はありますが、決してそんなことはなくて、寝れなくなるどころか安眠へ導いてくれます。

猪子 テアニンは不安を強烈に取り除くものと言われてるんだけど、我々はそれをうまみと感じるんだよね?

石川 そうです。テアニンには物質的な鎮静作用があるだけじゃなくて、たとえば母乳ってグルタミン酸がたっぷりなんですが、おっぱい吸ってる時のホッとする感じとうまみを脳内で結びつけている可能性があるんですよね。

丸若 抽出も、あたたかいと渋みが出やすいんですが、低温抽出だと、うまみを出しやすいんです。これは4度くらいの抽出なのでだいぶ冷たいものですが、一般的にはやはり人肌くらいの温度だと安堵感につながりますね。

食中に合う飲み物とは

猪子 若いときは食事をする時に飲むものはワインがおいしいと思ってたんだけど、最近は水出し茶の方が食事をさらにおいしくさせるんじゃないかって思ってる。食中に飲むものがお酒しかないっていうのはすごい寂しいなって思ったんだよね。で、食中に飲むお酒以外のものってポジションが空いていると思ったんだけど、実は空いてなかった。みんな烏龍茶を飲んでるんだよね。

宇野 たしかに現代日本における支配的な食事の際のソフトドリンクは烏龍茶かもしれないね。でも、クックパッドの検索傾向が変わってきていることからもわかるように、とにかく甘さと油で脳をハックするのではなく、うまみをゆっくり味わう方向に食文化自体がシフトしていく可能性も充分にあると思う。その時に本当に現代的な食生活に合ったLearn型の飲み物って何かという議論を、ゼロベースで考えるべきだね。
 たとえば僕はお酒を飲まないから、まずお酒ありきのリズムで出てくるコース料理が嫌いなんだよね。本当はプレートで穀物を食べながらおかずを食べたい。あとは飲むものがなくて、いつも炭酸水に逃げちゃう。本当はもっと違うものがあるんじゃないかと思いながら常に食べている。

丸若 僕、寿司屋のお茶で感動したことがほぼないんです。寿司職人の方々はあれだけ鋭敏な舌を持ってると言われているのに、なぜだろう、と考えてみたんですよ。彼らはその道に入ったら、魚と器と大将との時間を最重要にしていますよね。だから基本的にお茶は親方のやり方を踏襲している人が多い。

猪子 お寿司は皆お酒を飲むから、寿司に合う良い日本酒は出せるけど、お茶にまで気を配らないよね。

丸若 そうですね。でも、あれだけ寿司に気合いを入れているんだったら飲み物にももっと選択肢があってもいいと思うんです。こういうことが日本食全般に言える気がしています。

▲丸若屋代表・EN TEA代表 丸若裕俊さん

猪子 食事がおいしくなる飲み物として日本茶はひとつあると思うんだよね。

石川 ちょっと話がそれるかもしれないんですが、友人が趣味で寿司をふるまっていて、食事の最後にコーヒーを出すんですよ。信じられないかもしれませんが、そのコーヒー、ブラックなのに甘いんです。苦味・雑味が完璧に取り除かれていて。ちなみにその友人は、寿司のしめには「ラーメン」を出してくれるんですが(笑)。

丸若 攻めてますね(笑)。寿司屋のなかには最後にお味噌汁を出すお店もあるじゃないですか。味噌汁は出汁に気合いを入れている店が多いから、そのあとに緑茶を出さない可能性もあるのではと考えました。そうでないと、どこがフィナーレかわからなくなってしまって、アンコールを味わわされている気分になってしまう。だから本当はほうじ茶で後味をシュッと切ってあげた方が物語として気持ち良いと思うんです。

宇野 うまみの上にうまみを被さないということですね。

丸若 そうです。だからラーメンとコーヒーを出すお店は、それをわかった上であえてやってるんだと思いますね。和食一筋の料理人よりも、そういう洋物とかも含めてやってる人の方が、結構茶の扱いが上手い人が多いような気がする。先入観がない。
 一方で、たとえばフレンチで緑茶をペアリングしてバンバン出すお店もありますが、個人的にはちょっと強引かなって思います。最後の方には気が狂うぐらいクラクラになっちゃうんです。それは茶のペアリングをお酒のペアリングのリズムでやってしまっているからなんですね。もちろん、茶はもともといろんなものに合わせて実験したくなるような飲み物だと思うんですが、上質なお茶がいつでも最良とは限らない。大切なのは茶の性格を知り、リズムとバランスをとることです。

猪子 でもね、たしかに食中に関して言えば、ワインや日本酒を飲みながらご飯を食べるとおいしくなるんですよ。

宇野 要するに、「飯の友」的に機能するということだよね。

猪子 うん。日本酒は単にご飯がおいしくなる。ワインは香りによって食事が華やかになる。

宇野 食事における飲み物とは何だろうかみたいな問いを、まずはしっかり考えるべきだと思うんですよね。単純に考えると、一回口の中をリセットする効果がある。あるいは、料理の一部でもあったりする。

石川 食べ物をサポートする役割だけではなく、飲み物が主役で食べ物が補助というケースもありますよね。

宇野 お酒が飲める人はそうでしょうね。ただ、僕みたいな酒飲めない人間がお酒を飲んじゃうと、味がわからなくなるんですよね。だからお酒を飲まない人間にとって、飲み物は基本的にサポートなんですよ。ただそれはそれで視野が狭いな、とも思うんです。「お茶請け」というものが世界にはあるわけですが、もっとノンアルコールの飲み物が主役で、それを引き立てる食べ物という可能性をもっと広く考えてもいいかもしれないですね。

石川 料理とのペアリングでも、どっちを主役にするかを考えることがあるみたいですね。そう考えると食事における飲み物の役割だけではなく、そもそも食事って何だろう、ってことですよね。

 以前、食事って何ですか、といろんな人に聞いたことがあって。一番納得がいったことを言った人が外尾悦郎さんというサグラダファミリアの彫刻主任の方なんですが、彼に「食事って何ですか」って聞いたら「生まれ変わるチャンスだ」って仰ったんですね(笑)。食事という機会を通して、今までの自分をリセットし、次に向けて生まれ変わるんだと。

猪子 すごいね。過酷な場所で働いてきたんだね。

石川 そうなんです。彼は基本的に一日中、石を彫っているんですが、朝から「よし、石掘るぞ」ってカンカンカンカン掘り始めるんです。そしてハッと気付くと昼になっている。で、昼食を食べると生まれ変わった気になるらしいんです。そして「よし、また石掘るぞ」って言ってまたカンカンカンカンと彫り始める。「なるほど、この境地か!」と衝撃を受けました。
 彼いわく、「時間は神が作ったが、時計は悪魔が作ったんだ」と。神が作った時間は、本来皆が自由に使っていいはずなのに、現代人はいつの間にか時計という悪魔に追われて過ごしていないか。自分のリズムは自分で作ればいいじゃないかと。そのリズムの中心になるのは、時計が示した数字じゃなくて、腹が減ったなという感覚と食事を摂る営みこそが基準であるべきだと。それを通して、僕たちは1日3回生まれ変わることができる。僕はこの考え方が一番しっくりきたんですよね。

頂上決戦・昆布茶VS緑茶

猪子 石川さんはよく、食事の最後に味覚を変えるために昆布茶を飲めって言ってるよね。でも昆布茶って、絶対おいしくないと思うんだよ。今日は石川さんにどれくらいまずいかをわかってもらおうと思って日高昆布を持ってきてある(笑)。

宇野 これ、さっきからなんだろう思ってたんだけどそういうことだったの(笑)。

猪子 そう。いま家で使ってる昆布持ってきた。さっき鰹節も何も入れずに飲んでみたんだけど、本当においしくなくて(笑)。でも石川さんは食事の最後に飲めって言うからさ……。

宇野 わかった。これ皆で飲んでケリをつけよう(笑)。でもこれは真面目に、昆布茶のようなうまみの塊が、緑茶のようなうまみだけではなくアッパー(興奮作用)とダウナー(鎮静作用)両方へアプローチする機能を持つものとどう違うのかを考えてみることにつながると思う。 

猪子 僕はとにかく緑茶より昆布茶がだめだと言いたい(笑)。これから証明するから!

(昆布茶登場)

宇野 出たね。

猪子 これ、匂いからして無理だよ。

石川 昆布のいい匂いじゃないですか。僕は全然いけますね。

猪子 嘘でしょ! ちなみに僕は昆布は全料理に使うくらい大好きです。これも、いつも料理に使っているやつだし。でもこれはさすがに飲めないよ。

石川 じゃあ昆布茶、引き分けってことでいいですか。

猪子 引き分けじゃないよ(笑)!

宇野 俺はこれちょっと苦手だな。香りの時点でモワっときて、ちょっと磯臭い感じが……。

丸若 石川さんがいつも飲まれてる昆布茶って、こういう昆布から出してる昆布茶ですか? それともいわゆる市販で売られている塩が入った昆布茶ですか?

石川 こういう感じの昆布から出すやつですね。

丸若 昆布で出したものも、うまみが強いですね(笑)。

猪子 いや、絶対にそんなことないと思う(笑)。

宇野 さっき言ったみたいに、大事なのはうまみ成分をたくさん取ることではなく、僕らの飲食というもの自体がLearn型に成熟していくことの方だと思う。だから、たとえうまみ成分では劣っていても、たとえば緑茶には昆布茶とはまた違ったLearn型の喫茶体験ができるのなら、それで構わない。というか、そうあるべきではないかな?  単にうまみを摂ればいいっていうゲームだったら、結局クックパッドの「とりあえずめんつゆ、とりあえずごま油」的な文化圏に負けちゃうと思う。

「流れ」に内在できる茶の特性

丸若 僕は茶の基本はサポートだと思うんですよね。これまで茶は主役というより名脇役をずっと担ってきた。みなさん茶道=茶が主役というイメージが強いかもしれませんが、元は名脇役だと自分は感じています。
 そもそも今の日本料理は、茶の会をより潤沢にするために生まれた茶懐石から生まれたもので、それが懐石料理に繋がっているんですね。そう考えると、和食に茶は合うに決まってるというか、むしろ茶があって和食があるんですよ。

石川 その話は面白いですね。今日も序盤・中盤・終盤で飲み物が3つ出てきたわけですが、プロセスを3つに分けるという発想が面白いと思いました。しかもそれぞれに適した飲食があると。

丸若 そう。懐石料理って基本会話がメインになるじゃないですか。つまり、料理も会話の波を作ってるんですよね。だから茶も会話や対話も作っていく役割を持っているわけです。
 お酒の場合は、その場にいるひとを酩酊させてわけわかんない方向に持っていってハッピーにさせて、皆仲間だと思わせるというのが基本的な役割じゃないですか。それに対して、茶は流れを作ることができるというのが特徴です。たとえばコーヒーは食中という流れのなかに置くのはなかなか難しいんですよね。

石川 さっき僕が描いた快楽曲線があるとすると、茶というのは放物線的な感じですか。

丸若 そうですね。スローにだんだん上がっていってキープさせて、最後にこういううまみの濃い茶を出して、ちょっとだけピクンと上げたいんです。だんだんと舌が茶に慣れてきたところで、うまみで我に帰らせる。茶って、こういう風に余韻がすごくコントロールしやすいから、料理に適しやすいんですよ。ビートを早くしなくても繋いでいってくれるというか。

猪子 たしかに、丸若さんに来てもらって茶をいれてもらうと毎回その会は楽しくなるんだよね。

丸若 猪子さんはよくミーティングしながら、クリエイティブな話になってくるとわけがわからなくなってくるんですよ。しかも周りも本人もどこにいるかがわからない状態になってしまうことがある。
 その時にガツンとした茶を何の気もなしで出すと、無意識に飲むじゃないですか。その瞬間、ハッと我に返るんですよ。そういう茶の楽しみ方もありますね。コミュニケーションツールとしての茶というか。

猪子 お酒だと途中までは楽しいけど、途中からはぐっちゃぐちゃだもんね。積み上げじゃなくて崩壊型だよね。

宇野 それってつまり、さっきから出ている茶はアッパーとダウナー両方にアプローチできるということですよね。茶にはアルコールのようなダイナミズムはないのかもしれないけど、そのぶん繊細なコントロールが可能なんだと思うんですよ。成分的にも、飲み方的にも。

丸若 そうですね。一般的に茶の業界では「◯℃で◯gの茶葉を◯分抽出させるのが一番おいしいです」って厳しく言われたりするんですが、本来、茶って淹れ方次第でいろんな味を出せるものなんです。

石川 お酒には入眠作用があるから、飲んだ直後は気分が落ち着きますよね。途中から覚醒作用が出てくるから、あとは上がる一方なんですけど。そう考えると、立ち上がりが全然違いますよね。お酒は下がるのに、さっきの茶の場合は上がりますもんね。

猪子 あと、茶ならずっと知的でいられる。お酒はもう途中から知的ではいられないから。

丸若 煎茶は中国のいわゆる知的層の人たちの間から生まれたものなんですが、実は最初に始めた人たちは、ほぼ全員がリタイアして第二の人生を楽しんでいた人たちなんです。隠居生活のなかで、本を読み漁っている時に茶を飲みだしたのが煎茶の始まりなんです。
 だから当時の彼らが書いた漢詩は、ほとんど恨みとボヤキなんです(笑)。そこにも茶を考えるときのヒントがあるのかな、と思っています。引きこもり状態で自分を見つめ直す人が飲む飲み物なんだな、とか。

猪子 さっきカフェインの量とテアニンの量をコントロールできるって言ってたけど、丸若さんに来てもらうのは、基本的に誰かと仲良くなりたい時なんだよね。

宇野 猪子さんは丸若さんをよく茶人だと言っているからね。

石川 まさに現代の千利休ですね(笑)。さっきの話でいえば、打ち合わせが機械的な情報交換からLearn型にアップデートされるということですね。そのとき、丸若さんは茶を通して何をコントロールしようと思っているんですか? 単純にアップダウンでもない気もするんですが。

丸若 そうですね……。たとえば今のF1ってほんの1秒を争うときに、もうボディのガワもエンジンもいじり尽くされていて、あと残されたのはタイヤだけなんですね。ということで、タイヤに対しての研究開発費が半端ないらしいんです。
 それに近い感覚で、たとえばこの場にすごい優秀な人たちがいて、長時間話し合っているとする。僕はそのときに最後の微調整を茶で仕掛けて、ニヤニヤしたいという気持ちがあるかもしれないですね。

飲食の体験をLearn型にアップデートするには

宇野 どうすれば僕らの飲食という体験をLearn型にアップデートできるのかという問いを立てたときのアプローチのひとつとして、今までの議論の「ちょっと食事の際の飲み物を考え直してみよう」とか「茶の機能をもう一回見直してみよう」ということはかなり大事だと思うんです。

丸若 そうですね。たとえばこれは2煎目なんですが、2煎目と1煎目を合わせるとまた違う方向の味になるんです。日本人はこういうことを口伝したり見て覚えるので、忘れ去られてしまいがちなんですよね。それこそ左遷されて引きこもっていた人たちは時間があり余っていたからこそ、茶葉への興味が異常だったのかもしれません。「この本にはこの茶、この絵を眺めるときはこの茶」とか。そういうことばかりしてると、誰も相手にしてくれなくなっちゃうと思うんですけど(笑)。

宇野 「この本にはこの茶」というアプローチは、まさにお台場の「チームラボボーダレス」のなかの「EN TEA HOUSE 幻花亭」で丸若さんが出している茶がそうですよね。お茶碗に茶が入ると、花が咲いて、その作品ごと飲むことができるというアートになっていて。あれは「このアートにはこの茶」という発想で選ばれているでしょう?

丸若 そうですね。それが原点かもしれません。

『小さきものの中にある無限の宇宙に咲く花々』

 あれはオペレーションも考えたんですが、あの暗闇だと飲む人の感覚がかなり鋭敏になっているんですよね。刺激を受けて吸収しようという状態になっているときの茶は意外と濃すぎないほうがいいかな、とはいえうまみの余韻がないと気づいたらなくなってたみたいなことになっちゃうな……とか、そういうことを考えて出す茶を決めています。ここまで細かいことは誰にも伝わらないんですけど(笑)。

宇野 以前も何回か話したことがあるんだけど、猪子さん率いるチームラボというアーティストと、丸若さん率いるEN TEAという茶のユニットがコラボしてきたこれらのアプローチは、今このステイホームの時代に僕たちが日々の食事自体をアップデートする手がかりになると思うんです。
 チームラボのアートは、閉鎖空間の中で非日常の超越的な体験を提供する。その世界観をどう日常生活の中に持ち帰るか、と考えたときに重要なのが飲食だと思うんです。茶を飲むことで、身体に世界観をインストールして日常の中に持ち帰ることができる。猪子さんが非日常的なアートで表現しているものを、丸若さんは茶を通じて日常に拡張しようとしているように僕には見えているんです。

丸若 パリで同じ展示をやったときのことを思い出したんですが、あのときは3日間で1万5千人くらいお客さんが来てしまったんです。来た人全員に茶を出したんですが、その混乱ぶりに茶を点てていたフランス人のおばちゃんが「もう帰る! 私は日本文化を感じながら茶を味わいたいだけなのに、なんでこんな奴隷みたいなことをさせられるんだ!」てむちゃくちゃ号泣していたんですよね(笑)。
 でも、それだけじゃなくて、お客さん側でも1日数組は作品を見て、飲んで号泣する人がいたんです。最初はトラブルでも起きたのかと思ってすごく焦ったんですよ。あっちでおばちゃんが号泣してるし、こっちでは別のお客さん号泣してるしって。

石川 作っては泣き、飲んでは泣き(笑)。

丸若 「え、飲み物なんですけど……」みたいな(笑)。でもそのとき、まだ日本でもそこまで浸透していないことでも、海外の人たちのほうが勝手にちゃんと理解しようとしているんだな、と思ったんですよね。

茶道具をアップデートする

石川 利休って、概念としては難しい茶道を一般の人でもわかるように、「作法と道具と環境」をつくったじゃないですか。そう考えると、食事体験をアップデートしようとすると、家の中での食事の作法と道具と環境を一気につくらないといけない気がするんですよね。それがどういうものになるのかを考えるのは面白いかもしれないですね。

丸若 猪子さんは物質が大嫌いなんですが、僕は出会ったときから物質が大好きなんですよ。で、これはちょっと自虐的なんですが、結果的にたどり着いたのがこのボトルなんです。

 これも抽出を自分でコントロールできるんです。ここにティーバッグを入れて……。ティーバッグというのも、いろんなところに持ち運びができるという、そもそも急須以来の発明なんですよ。業界が悪い安売りなイメージを作ってしまっているんですが。

EN TEAの水出し緑茶を淹れる丸若さん。

 こうやって振ると、20秒くらいで飲めるようになります。冷水は抽出力がどうしても弱いんですが、このティーバッグは悪条件でも最短で抽出できるように、年ごとに異なりますが、主に3種類の品種と、最終仕上げを含めて複数の茶葉を混ぜて作られています。

 なぜこれを作ったかというと、パートナーとともに、二日酔いの朝でも飲める茶が作りたかったんですよ(笑)。これだったら、意識が酩酊していても抽出できる。結果それがオペレーション的にもプラスに働いて、たとえばチームラボボーダレスみたいに何千人とか来ちゃうとこでもオペレーション組めちゃう。結果的に時代にフィットしたものになりましたね。

石川 色が変わってきれいですね。まさにボーダレスですね。

丸若 たまに子供向けに茶のワークショップをやるんですが、面白いのは、その子の性格が味に出るんです。女の子とかはゆっくりやるんですが、男の子はガーって振るじゃないですか。そうするとめちゃくちゃ甘みが出たり、すごい品の良い味になったり、それぞれまったく違う味の茶ができるんですね。それをみんなで回し飲みして、「味違うね」って確認し合う。

石川 いい体験ですね。これも振るという作法と道具がありますよね。

猪子 茶道は利休の時代からずっと同じフォーマットを踏襲しているけど、現代でもあのフォーマットを続けるのはあまり現実的じゃないよね。

石川 あれはやはりあくまでも、戦の状態における型ですもんね。戦時におけるほっとする方法というか。

丸若 そうですね。興奮状態で抹茶くらいじゃないとバランスが取れなかったし、当時は煎茶もありませんでしたから。あとはやっぱり今はペットボトルも色んな意味で禁じ手だから、そこも意識しないといけないな、と思っています。

石川 なるほど。

Tea Break Part. Ⅲ 茶を食す

丸若 最後に、この緑茶は玉露と緑茶の間の子くらいのイメージで、天然玉露というようなあだ名がついているんです。実はこのまま食べられるんですよ。もし嫌じゃなかったらぜひ。

石川 こんなに柔らかいんですね。駄菓子の都昆布みたいな。

猪子 安い昆布と一緒にしないでくれる、文化的なんだから(笑)。これはそのまま食べるの?

丸若 塩や岩塩をつけても良いんですが、最近見つけたのが、これで冷茶漬けするとやばいんですよ。シンプルなんだけど、劇的に時間が短くできるんです。

猪子 うま。

石川 さっき言っていた序盤・中盤・終盤理論だと、この1回の食事で何通りもの茶が楽しめそうですね。

丸若 そうなんです。僕はこれがタップウォーターの新しい概念になるんじゃないかと思っていて。たとえば食卓にこれを置いて放っておいても抽出は進むから、時間軸とともに勝手に味が変わっていくんです。普通の茶だとずっと入れっぱなしにしてやると苦くなってしまうんですが、この茶は苦くなりづらい。

石川 最後のピュッて上がる曲線がちゃんと出ているんですね。

丸若 そうです。だからこれはお酒休めとかにもいけると思います。

宇野 今のこのコロナ禍の状況というのは実はそういう試行錯誤の動機がすごく上がっていると思っていて、今こそこういう議論を始めるタイミングなのかなと思ったんですよね。

石川 食事は生まれ変わるチャンスだから。

丸若 今日それ聞いて感動しましたもん。3回あるんですよね。

石川 1日3回も生まれ変われる。

宇野 そうですね。今日はすごく充実した時間が過ごせたと思います。ありがとうございました。

[了]

この記事は石堂実花と中川大地が構成を、石堂実花が撮影をつとめ、2020年7月2日に公開しました。