世界の苦しみに向けた祈りの空間──『質量のない雲、彫刻と生命の間』

──2020年、チームラボは新作『質量のない雲、彫刻と生命の間』を発表した。巨大な塊が、質量の概念を超越したかのように、地面に沈むことも天井まで上がりきることもなく、空間の中に留まり浮遊している。人々が、身体ごと没入できるその塊は、作品と身体との境界が曖昧で、人々がかき分けることによって、少し壊れても、生命のように自ら修復する。しかし、生命がそうであるように、塊は自ら修復できる範囲を超えて破壊された時、修復が追いつかず崩れていく。作品の映像をオンラインツールで共有して見ながら、二人が語り合った。

『質量のない雲、彫刻と生命の間』(「teamLab SuperNature Macao」 ベネチアン・マカオ)

宇野 本当はさ、このコロナ禍がなかったら、マカオ(「teamLab SuperNature Macao」)と上海(「teamLab Borderless Shanghai」)のチームラボ展に行こうと思ってたから、新作に触れるのがこういうかたちになってしまって残念だよ。だから今日は、パンデミックへの恐怖と混乱が世界中で共有されている中で、改めてチームラボ作品が、この状況にどう応答していくのかを、猪子さんと話し合いたいなって思ってる。

 

 

猪子 このようなとき、アートは無力を感じる。しかし、一方でピカソの『ゲルニカ』もスペイン内戦の空爆を受けて描かれたわけだけど、その後、第二次世界大戦があって、そこに多くの人たちの、独裁や戦争への共通の苦しみがあったことで、結果的に多くの人の反戦への思いと重なって、名作になったということがあるわけじゃない。無力感にさいなまれてしまっていても、自分が救われないから、自分を救うためにも作品を創り続けようと思ったんだ。そして、その作品が自分たちの救いになり、結果として、ほんの少しでも世界の誰かの救いや希望になったらいいなと思った。

宇野 うん、何かそのヒントが見つかるような話にできたらと思う。それで、映像だけでは伝わりきらないと思うんだけど、この『質量のない雲、彫刻と生命の間』はどんなコンセプトで作ったの?

猪子 今の話とも通じるんだけど、1300年前の奈良の大仏と一緒。当時日本はある種グローバル化して、文明が入ってきて、平城京もできるし、国の制度もできていく、と同時に天然痘という疫病も入ってきて、多くの人々が亡くなって、奈良の大仏は、人々の救いを祈願して作った。この作品も、どこか、祈りの空間になったらいいなと思う。もちろん、はじめから意図してたわけではなくずっと身体との境界があいまいな立体物を模索してた中で、出来上がったのね。

宇野 今、送ってもらった動画を見てるんだけど、なんかお化け屋敷みたいだね。

猪子 この世のものとは思えないでしょう。

宇野 雲の中に入ると、どんな感じなの?

猪子 真っ白で何も見えないし、息をするのも怖い。俺、怖くて目開けられなかったよ。

宇野 これ、観客は生身で入るんだよね。

猪子 まぁ、入らなくても、雲をよければうろうろできる。

宇野 せっかく来たら突入していくんじゃない?

猪子 いや入らなくても、この白い大きな塊が、地面でも天井でもない空間の中間部分に浮遊して漂っている状態が、超自然現象的でもあり、非現実的で時間の永遠を感じる。本当に超自然的で神秘的なんだよ。もともとそういうコンセプトじゃなかったんだけど。この世とあの世の狭間というか、単なる無機物の集合なんだけど、全部が生きている生命みたいにも感じるんだよ。でも、生命と非生命の境界ってわかんないじゃない。

宇野 そうだね。それこそウイルスは生物なのか、無生物なのか境界線上にあるものなわけだしね。

猪子 まさにそう。たとえば、宇野さんが生命であることは自明だし、目の前にある机が生命じゃないことも自明なんだけど。生命と非生命の境界について定義ができない。一方、物理の世界で言うとさ、この宇宙にあるすべての存在はエントロピー(無秩序の度合いを表す物理量)を増大させる方向に向かっている。例外なく、必ず秩序がない方向に向かう。でも生命だけは、宇宙を支配する「エントロピー増大の法則」に逆らっていて、宇野さんは明日も宇野さんで、秩序のある状態で維持している。で、自然界にも「エントロピー増大の法則」に局所的に反する状態があることが20世紀後半にわかり始めたんだよ。1977年にノーベル化学賞を受賞した化学者・物理学者のイリヤ・プリゴジンが「散逸構造」って提唱したんだけど。どういう状態かというと、外部からエネルギーを取り入れて、内部で増大したエントロピーを系外に排出することによって、非平衡状態の中である種の秩序・構造を維持していく。そういう状態が自然界にも生命にもあるわけ。人間や他の動物も他の生命を食べてエネルギーをとり続けることで、秩序を維持しているでしょ。

 でも、生化学者のルドルフ・シェーンハイマーが20世紀に発見したんだけど、食べたものはエネルギーに変わるだけじゃなく、体の分子の交換に使っている。たとえば、皮膚とか脳とかの分子が交換されていくことに使われてるんだよ。外部からエネルギーをもらって、構成要素を交換し続けてるっていうのが生命。それで、生命以外のそういう状態のことを「散逸構造」って言うらしい。それがめちゃくちゃ面白いと思ってさ。「散逸構造」を模擬的に作ることで、エネルギー的に生命と同じ物を作る。外部からエネルギーを与え続けて、秩序を維持する状態を模索することで、彫刻と生命の間みたいな存在を作ろうと試みたんだよね。普通は人が雲の中に入ったら、かき分けられて雲は壊れるじゃん。でも、少々だったら、生命のように自己再生する。あの塊はつまり秩序でさ、これが地面でも天井でもない空中の中腹に浮いてるってことは超不自然な状態なんだよ。

宇野 本来拡散していくものが、ここでは拡散しないわけだからね。

猪子 本来は放っておくと、小っちゃい粒々になっちゃうの。

宇野 ちゃんと「自己組織化」してるから、バラバラにならないってことでしょう?

猪子 そう。「散逸構造」を別の言い方をすると、「自己組織化」し続けてる状態。「自己組織化」する物体を作ることで、生命と非生命の間みたいなものができるんじゃないかと思ったんだね。そして、雲は壊れ続けるから、この空間は、ある種の生命が崩壊していく空間でもあるわけ。

宇野 生命が死ぬってさ、一言でいうと、「自己組織化」できなくなるほど、拡散していくことじゃない。

猪子 そうそう。だから、大げさに言うと『質量のない雲、彫刻と生命の間』は生命が生まれる現象と崩壊する現象が同一に起こっているような空間なんだよね。ある種の生命が生まれようとすることと、維持しようとすることと、死ぬことが同時に起こり続けている空間。それがこの世とあの世の狭間にいるような感覚というか、生も死も連続的に繰り返していくことへの肯定するような感覚を生むのかもしれないんだよ。

宇野 たとえば『追われるカラス、追うカラスも追われるカラス、そして境界を越えて飛ぶ』でカラスが来場者にぶつかると花になって散る、という表現があったように猪子さんは、リインカーネーション的なモチーフを多用してきたけれど、ここでは生と死の境界のない世界を三次元の空間で触覚レベルで表現したってことだね。

 

猪子 これはね、なんとも言えない変な感じになるよ。生命と非生命、誕生と死の狭間にいるかのような感覚。一見怖い感じがするんだけど、気持ちいいんだよね。死への恐怖すら和らぐっていうか、それがいいのか悪いのかは別だけど。歴史的な作品になるんじゃないかと思ってる。

宇野 すごいね。猪子さんがそこまで言うのは、なかなか珍しいかもしれない。

みずからの居場所を「境界のない世界」に接続するために

宇野 それでね、だんだんこれからの話に入っていきたいと思うんだけど。コロナの影響で、ちょっと時間に余裕ができたから、久しぶりにプレイステーション・ポータブルを引っ張り出して『ギレンの野望』ってゲームをやったんだよ。

猪子 何それ? 知らない。

宇野 『信長の野望』のガンダム版なんだけどさ、ギレン・ザビとかレビル将軍とか、シャアとか劇中の戦争指導者になって宇宙を征服していくゲームなんだよ。これを10年ぶりぐらいに狂ったようにやったわけ。僕は『Zガンダム』が好きだから、宇宙移民を弾圧しまくるティターンズの圧政から人々を解放するために、エゥーゴのリーダーとして戦ったんだ。半日以上かかってクリアしたんだけど、そのときにすごく虚しくなって……。

 たしかに僕の努力によって地球圏は民主政治を取り戻して、圧政から解放されたはずなんだけど、すごく虚しい。いや、こんなこと言ったらオタク失格だと思うのだけれど、少しでもいいから現実世界に影響を与えないと、満たされない身体になってしまったんだなと思ったんだよね。ほんの少しでもいいから現実の世界になにか影響を及ぼすほうが、ゲームの中で地球圏を解放するよりも充実感があると、実際思ってしまった。ネットワークに常時接続されて、発信できる環境に置かれ続けると、人間ってこうなってしまうんだなって痛感したんだ。そしてそのときに、ふと猪子さんのことが浮かんだんだよ。こんなとき、家にいたままチームラボのアートに触れることができたら、全然世界の見え方が違うなと思ってさ。

猪子 ふーん。なるほど。面白い。何したらいいんだろう。

宇野 だから、人類がみんなステイホームしている今だからこそ、自分の存在がちゃんと世界につながっているという実感が持てるようなアートがあったらいいんじゃないかなと思ったんだよね。今、みんな不安を紛らわせるために、ヒステリックにインターネットにつながってる気がする。でも、それは不幸なことだと思うんだよ。それで、この状況に対して一番面白いことがやれそうなのは、猪子さんとチームラボなんじゃないかという気がしたの。簡単に言うなよって思うかもしれないけど。

猪子 つまり、宇野さんが作ったらいいんじゃないかって言ってるのは、ステイホームしてる間に世界との接点を感じられるようなもの?

宇野 そういうこと。今は、人々がヒステリックに引きこもれって、お互いに言い合ってる。もちろんウイルスへの恐怖がそうさせてるんだけど、それを乗り越えるためには、ステイホームしていようがいまいがすでに境界なんてないんだ、自分はただそこにいるだけで世界とつながっているんだ、だから無理に他人を否定することでつながろうとしなくてもいいんだよと実感させることが、一番強いメッセージになると思ったんだ。

 そのときに猪子さんが昔『PLANETS vol.9』で考えてくれたオリンピックの開会式とか、深センとかで作ろうって言ってたパブリックアートの話を思い出してさ。今、チームラボのアプローチが、ステイホームの時代に抗うことができるんじゃないかなと思うんだよね。そう思ってこの間連絡したんだ。

猪子 宇野さんから前にその話をされてからずっと考えていて、なんとなく、今いいんじゃないかなと思ってるアイデアがあってさ。どういうアイデアかというと、まず紙もしくはスマホに、それぞれの家で花を描いてスキャンする。スキャンしたら、その瞬間テレビとかタブレットに花が咲くんだよ。一緒に東京の人々により描かれた花がいっぱい咲いてきて、数分後には上海やバンコクやベルリンで描かれた花が咲いてくる。世界中で描かれた花が、咲き続ける。時間とともに描かれた都市の経度とともに、咲いていく花が移ろっていき、世界中で描かれた花が咲き続ける絵画を創りたいと思ったんだ。

宇野 うん、おもしろいね。

猪子 そういう絵画みたいなのを家のテレビでつけてられたらいいなと思って。

宇野 AmazonのFire TV StickとかPlayStation4でアプリを使えばいいし、テレビが一番いいよね。場所的にも見やすいところにあるし、画面も大きい。テレビというオールドメディアの象徴をハックすることにも意味があると思う。さらに贅沢を言うとさ、自分の描いたものが、世界のどこかの人に見られてるっていう実感があるといいよね。今、自分が東京で咲かせた花は、メルボルンのおっちゃんが見てることを確認できるといいね。世界中の人間が自分の描いた花をテレビのモニターで見てるってことは、頭ではわかるっていっても、なかなか実感できないじゃん。その手ごたえが、面白いかたちでわかるといいよね。

猪子 なるほど。確かに、自分が描いた花が世界のどこの都市のテレビに咲いたかわかるといいね。

宇野 自分が描いたことが、まったく意図せぬ世界の誰かに見られるっていうことが大事だと思うんだよね。今のインターネットって、狙ったところにしか届かないからね。自分の投げたボールが、確実に誰かに届くんだけど、それは自分の意図した誰かにじゃなくて、偶然選ばれた誰かに「たまたま」受け取られるっていうのは、逆に肯定的な接続感を得られると思うんだよ。

 インターネットに限らずさ、僕たちの日常のコミュニケーションって、ほとんど狙ったところにしかボールは届かないじゃない。そうじゃなくて、目をつぶってボールを投げて世界に関与すると、相手はわからないけど確実に世界の誰かがそれを受け取ってることがわかることで、はじめて得られる肯定感がある。狙ったところにボールを届けるには、個人の能力とか運にすごく左右される。でも、自分の投げたボールがランダムに誰かのところに届くってことが信じられると、自分の存在そのもへの肯定感が得られると思うんだよね。すべてがつながっている「境界のない世界」の肯定感ってそういうものだと思う。

猪子 なるほど、おもしろい。

宇野 チームラボのアートが表現してるのって、そういう世界観なんだよね。境界のない世界は根源的に人間を肯定するというさ。

猪子 うーん。なるほど。ちょっと違うかもしれないんだけどさ。自分が描いた花と同じ時間に世界中の人が描いた花が、花束のように合わさって1つの絵画になって、戻ってきたりすると。

宇野 うんうん。おもしろいね。

猪子 たとえば花束だったとして、自分が描いた花もあるけど、ほかの人たちが描いた花も混ざってるみたいな絵になって自分の元に戻ってきたりすると、なんか世界がつながっていることに対する肯定感も出たりする。

宇野 どんな人が一緒にやったのか、なんとなくわかるといいよ。個人を特定させる必要はないと思うけど。ベルリンとかイスタンブールとかね、都市名ぐらいまでは出てさ。

猪子 それが世界地図みたいになってると、よりわかりやすいのかな?

宇野 そうだね、あまりコテコテすぎても良くないと思うけど、演出の仕方はいくらでもあると思う。

「ポジティブなテロ」としてのパブリック・デジタルアート

宇野 意図せぬところとつながってしまうということと、それが肯定されるということ。この二つがポイントだと思うんだよね。言い方は変だけど、ポジティブな文化的テロリズムとしてのパブリック・デジタルアート。テロって、場所関係なく襲ってくるじゃない。そこがシリアやパレスチナの最前線じゃなくても、むしろパリやニューヨークのど真ん中だからこそ襲ってくる。テロとは小規模の破壊でいかに効果的にメッセージを世界中に伝えるか、というゲームでもあるわけだからね。

 今話しているあたらしいアートは、その逆なんだと思う。国境とか、住んでる場所とかに関係なく、つながってしまうっていうことが、片方ではテロリズムで悪用されてるんだけど、もう片方では人間の存在を根源から肯定するようなメッセージにならないかと思う。人間が偶然誰かとつながって、そのことが肯定的な価値を生む。チームラボがこれまでの作品で表現してきたのって、そういう世界観だと思う。それをどうネットワーク上に開放するのかっていうことだと思うんだよね。

猪子 うーん、なるほど。面白いね。『フラワーズ ボミング』がポジティブなテロっぽいかもしれない。ボミングって、ボムする、落書きするみたいな意味だから。

『フラワーズ ボミング』

宇野 場所に関係なく、ランダムに人を幸せにするような何かをしよう、ということなんだよ。

猪子 簡単ではなさそうな気がするけど、ネットにつながってるテレビが出口としてできるのか考えてみる。

宇野 技術的なことはわからないけど、テレビとなると結構大変かもね。

猪子 画像が出てくればいいだけなのかもしれないね。家で映像として見えなくても、それはそれでいいのかもしれない。

宇野 もちろん映像の方がリッチなんだとは思うけどね。深センでやったパブリックアートみたいなものとか、マリーナベイ・サンズの「Digital Light Canvas」のような感じで、公共空間で人目に触れるようなものがあったほうがいいよね。

猪子 いいんだけど、今みんな家にいろみたいな空気じゃない。

宇野 あ、そうか。この状況下では見に行けないのか……。でも、何らかのかたちでパブリックに公開されていることっていいと思うんだよね。

猪子 将来コロナが収束したときは、その収束した記念日に毎年、パブリックな場所に、このプロジェクトで世界中の人々が描いた花々が一斉に咲いて埋め尽くされる。つまり、家にいないといけないときに、世界中の家で描いた花々が、毎年パブリックな場所に咲く。「境界なく連続する世界」つまり反分断の象徴として、世界中がつながってることが祝福される作品ができたらいいな。ちょっと模索してみるね。

宇野 うん。続報を楽しみにしてます。

[続く]

※この記事は杉本健太郎が構成をつとめ、2020年6月15日に公開しました。
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