その土地の良さを活かすチームラボの「土地読み」

宇野 茨城県水戸市でやっている「チームラボ 偕楽園 光の祭 2022」を見たけど、すごくよかったね。この庭は表門が陰、裏門が陽というふたつのエリアに分かれているわけだけれど、あえて庭の裏、つまり陽の側から入るっていう構成がいい。シンプルな仕掛けだけれど、普通に表の陰のエリアから入るのとでは、まったく印象が違うと思うんだよね。

猪子 最後に梅が陽にあたるから、もう一回陽に戻って来るんだよ。

宇野 陽から入って陰に行き、もう一回陽に行くんだね。僕はこれまでもたくさんチームラボの地方展示を見てきたけど、その土地というか、会場を活かすためにどういう作品をどこに配置したらいいかを、すごく考えてるよね。毎年佐賀の御船山でやっている展示(「チームラボ かみさまがすまう森」)はもう鉄板だけど、庭園を夜歩くって普通はありえないことなんだよ(笑)。ただ、夜にこういったデジタルアートのインスタレーションっていうのを挟むことによって昼間は、つまり普段は僕たちが気づかないその土地の側面を引き出しているいい展示だと思うんだよね。今回の偕楽園もそのための「土地読み」に成功していることがすごく大きい。昼には見えないものをデジタルアートの力で引き出す夜の展示だからこそ、先に裏から陽を見せて、陰につながっていき、また陽に戻る。

猪子 ベースがいい造りになってるから、構成もそれに合わせてけっこう凝ったよ。たぶん陰ってさ、太郎杉とかわかりやすいけど、お庭ができるずっと前から存在する。お庭と歴史感が全然違うんだよね。時間がめちゃくちゃ長い。お庭の背景にあった森の部分を通って、またお庭に戻るっていう構成。だから、最後は梅林なの。

宇野 偕楽園っていう後から造られた場所の中に入っていくと、太郎杉と次郎杉という庭のできる遥か以前というか、その土地の深層が露出した歴史以前の存在に出会って、そしてもう一回人間の歴史の世界に戻ってくるっていう構成だよね。要するに人間の歴史の世界と、人間外の歴史以前の世界との境界を構成的に無くしているんだよね。

猪子 お庭が元々そういう造りだから、それを活かしたっていう。できるだけ長い時間に接続できたらいいなと思って。で、太郎杉や次郎杉が一番時間を感じさせるモノだったから、そこには絶対アクセスさせて戻ってくる構成にしたかったのね。

宇野 チームラボ的土地読みの何がいいってさ、複数の時間の流れをデジタルアートの介入で可視化させているところなんだよね。人間の歴史と土地の歴史って、同じ場所に流れていて、重なっているけどちょっと違うじゃない。人間の時間と木の時間と岩の時間って、実は全部流れ方が違う。人間にとっては膨大な時間でも、木にとっては一瞬で、岩にとってはもっと短い時間かもしれないこの違いって、昼間に普通に庭を歩いて見ているときはなかなか意識できない。しかし夜の庭がデジタルアートの介入で照らされると、それがはっきりと浮かび上がって可視化される。ああやって木々が暗闇の中に浮かび上がってさ、その中を歩いていると、複数の時間が同じフィールドに並べられて同時に流れているのが感じられる。つまり、土地の記憶の重層性を直接的に感じることができた。チームラボの土地読みを生かした展示のスキルがすごく成熟していると思ったね。

猪子 夜がいいのはさ、いらない情報を消せることなんだよね。あの梅林も昼だと周りの建物が見えちゃうんだ。だから明るいうちは方位がわかっちゃうんだけど、夜なら建物が消えるから、まるで無限回廊にいるかのような気分になるの。たぶんひとりで行ったら、大人でも半泣きになるくらい怖いよ。

宇野 僕、最初偕楽園と隣接してる茨城県立歴史館の区別がつかなくて、歴史館のほうに歩いていったわけ。もう真っ暗でさ、「いま強盗に襲われたら死ぬな」とか思いながら、泣きそうになりながら歩いた。それぐらい真っ暗だから、あの梅林もひとりで歩いたら絶対に迷うね。

猪子 暗くて方角がわからないし、同じような梅が並んでいるから。本当に無限梅回廊にいる気分になるよ。無限の梅の中から二度と出られないんじゃないかってくらいの怖さ。昼だと周りの建物が見えちゃうから、こうはならない。

宇野 日本の観光地って残念な所が多いじゃない。それはやっぱり余計な看板とかが多いせいだと思うんだよ。庭は素晴らしいけど、建物がダサかったり、変なポスターが貼ってあったり。そういうところが多いじゃない。そういうのが夜はみんな闇の中に消えるんだよね。

猪子 うちは特に箱庭スタイルだから、現実がちょっと邪魔なんだよ。街はいらないものだらけなわけ。そういうのを消したいと思うの。だから閉じちゃうし、隠しちゃう。いらない情報が消えるほうがいいんだよね。

宇野 昼の日常の世界ではなくて、いろんなモノが見えない夜の世界で、美しいものだけにスポットライトを当てるってけっこう大事なことだと思うよ。昼間は明るすぎるがゆえに気づけない美しさね。

猪子 昼の世界はいらない情報が多すぎるんだよ。

宇野 醜いものを排除するんじゃなくて、美しいモノを照らし出すことによって世界に対峙するって、ベタに大事だなと思う。

動いているのは球か自分か──世界は自分の脳の中にしか存在しない

宇野 具体的な展示で言うと、『増殖する生命の巨木-太郎杉』、『増殖する生命の倒木-次郎杉』の対比がまず成功してると思った。この二本の杉が、偕楽園という人工の庭、つまり人間の歴史の世界から、別の時間の流れを感じさせて、人間の歴史の外に連れ出してくれる効果を発揮していることはさっき指摘したけれど、この今も生き続けている大木(太郎杉)と、倒れてしまった木(次郎杉)とが対比されていることで、自然のもつ人間とは異なる生命のサイクルがより強くアピールされている。

▲『増殖する生命の巨木-太郎杉』
https://www.teamlab.art/jp/w/ever-blossoming-tree-taro/
▲ 『増殖する生命の倒木-次郎杉』
https://www.teamlab.art/jp/w/ever-blossoming-tree-jiro/

 あとは陰陽の入れ替わりのときに御船山にもあった『具象と抽象-陽と陰の狭間』を配置したのはうまくいってるね。あれは要するに、かつてこの庭を作った人間の設けた境界を曖昧にしているわけだよね。昼の庭には陰陽を分ける明確な境界があるけれど、チームラボの介入した夜の庭にはないんだな、と思った。

▲『具象と抽象-陽と陰の狭間』
https://www.teamlab.art/jp/w/abstract_concrete_yin_yang/

猪子 『我々の中にある火花』は、赤い光を固形化して、線が集合した球体にしたんだけど、どうだった?

▲『我々の中にある火花』
https://www.teamlab.art/jp/ew/solidifiedsparks/

宇野 僕はそれが一番好き。いわゆる「インスタ映え」みたいな次元とは完全に違う、今までなかったような作品になってると思う。これ、どうやって作ってるんだろうって興味が湧いたよ。

猪子 身体との境界面があいまいな立体物を模索してさ、その中で、光の現象に注目したのね。いろんな光の現象を探して作品にしたの。実は、『質量のない太陽と闇の球体群』というまた違った光の現象の作品を北京でも発表するんだけどさ。「チームラボリコネクト:アートとサウナ」の『円相を通り抜けて』もそうなんだけど、光の現象によって境界面があいまいな彫刻みたいなモノを作るのにずっと興味があって作ってる。光の現象を使って今までに見たことのない光の塊のようなモノを作りたいと思ってたのね。本来、光っていうのは塊にならないよね。光っていうのは、そのままどっかにぶつかるまで進んでぶつかった面が見える。照らされた面が見える。だから、空気中にガラスやプラスチックの玉を作れば、ああいう球として見えるけど。何もない空気中にあんな球が光でできるってことはおかしいんだよね。でも、よく見たら、それは球でなくて、線の集合なわけ。線の集合の球体が空気中に生まれるっていうのは、たぶん今まで人類は見たことがないし、物理的な現象として説明できない非現実的な現象だよね。
 あの球というか線はよく見るとうごめいてるんだよね。一本一本がうごめいてる。光源は動いてないんだけど線が動いてる。じゃあ、何で線が動いてるかっていうと、実はあの球体ができてるのは、人間の目の中なわけ。つまり、線がうごめいてるのは、自分の目が動いてるから。球が動いて見えるのは自分の体が動いているからなの。自分自身の揺れを見ていることになる。球はまるで現実にあるんだけど、実は目の中、頭の中にしかない。人間は自分の脳が認知したモノを世界として認知してるわけだよね。世界は、自分が認知しているものでしかないんだよ。この展示はそういうことを思い出させてくれる。「赤い球はいったいどこにあるのか?」っていうね。それは自分の中ですっていうさ。

宇野 その説明はもっと大々的に言ったほうがいいと思うな。なんでいいかっていうと、今までチームラボがやってきたものの集大成であり、かつ大きく一歩を踏み出したところがある作品だと思うから。まず、あの球体自体がすごくボーダレスな存在じゃない? 実体があるのかどうかすら分からない光のアートだからね。それに加えて、僕が一番大事なことだと思ったのは、ああいった自然界に普通に生きているだけだと見えないような光を見る力を、我々の身体は本来持っているのだということに気付かされたことだね。あれって、コンピューターが光を合成しているのではなくて、僕たちの眼球の構造があの光をあのように見せてしまっているわけでしょう? 言ってみれば、人間の目のポテンシャルを引き出すためにチームラボのデジタルアートが機能している。情報テクノロジーの力を借りれば、僕らがその肉眼で見られるものってまだいっぱいあるし、人類が知らない美もいっぱいあるんだっていうことを、あのアートは示してるんだと思う。

猪子 それはさ、最先端テクノロジーとも言えるし、古典的とも言えるのね。ざっくり言うと、禅は「世界は我々の中にしかない」って言い続けてるわけじゃん。それは茶室で美しいものだけを照らし出すっていうアプローチとも通じる話だと思う。卑近な例で言うと、たとえば歯が痛いときだけ、歯医者の看板が目に入るみたいなさ。

宇野 僕らは主観で見たいものだけ見て、それがフィルターバブルを生んで、社会の分断の原因になっていると言われている。我々の認知システムと情報テクノロジーが悪い方向で結託して、トランプ現象などを生んでいるのだけど、それを逆転することもできるっていうのがこの作品を見ていると思えるんだ。だからこの「茶室的」なアプローチは、世界の肯定的な側面を照らし出すことができていると思うんだよ。同じ人間の認知システムと情報テクノロジーの組み合わせなんだけど、それをネガティブに使うこともできれば、ポジティブに使うこともできる。今回の偕楽園の展示は、そのポジティブな例だね。

猪子 赤い球を見て、「なんで動いてるんだ!」って驚いてる人もいるんだけど、「いや、動いてるのはお前だよ」っていうね(笑)。

宇野 コロナ禍で僕たちは物理的な移動が制約されてるじゃない。動かないことを強いられてるけど、人間っていうのは一か所にとどまるほうが難しい存在だと思うんだよね。勝手にうごめいてしまうものだから。

アートを生活空間に持ち込み、分配可能なものにする

猪子 豊洲の「チームラボプラネッツ TOKYO DMM」を去年の夏に拡張したんだよ。屋外に2つの庭園を作ってね。苔庭(『呼応する小宇宙の苔庭 – 固形化された光の色, Sunrise and Sunset』)とフラワーガーデン(『Floating Flower Garden: 花と我と同根、庭と我と一体』以降、「フラワーガーデン」)をやってみた。これも自然物を使った造形物だね。 苔庭にまだ人類が見たことがないような色の卵をたくさん置いてさ。もはや何色かわからない、何色と一言では言えないような装置ね。見たことがないような光の色を再現性がある形で作りたいと思った。複雑な色で61色で構成されてる。

▲『呼応する小宇宙の苔庭 – 固形化された光の色, Sunrise and Sunset』
https://planets.teamlab.art/tokyo/jp/ew/resonating_microcosms_mossgarden_planets/
▲『Floating Flower Garden: 花と我と同根、庭と我と一体』
https://planets.teamlab.art/tokyo/jp/ew/ffgarden_planets//

宇野 人類が見たことがないような色っていうのは、もう少しかみ砕いて言うとどういうものなの?

猪子 光が固形化されて、パキパキしたまま混ざってるようなもの。普通はグラデーションになるんだけどさ、もっと光がパキっと固形化されたまま混ざってる。

宇野 グラデーションにならないように技術を用いてるってこと?

猪子 そう。今までグラデーションで色があいまいに混ざっていくみたいなのはよくやってたんだけど、もっとパキパキのまま色が混ざってる。

宇野 ちょっと不気味だよね(笑)。通常とは違う色の見え方を表現することで、どういう感覚を引き起こしてたの? 

猪子 色の概念を更新できたらいいなと思ってさ。色は無限のグラデーションなんだけど、どうしても言葉による認識が先走っちゃって限界を作っちゃう。でも本当は色って境界なく無限にあるグラデーションなんだよ。

宇野 グラデーションにならない色って、けっこう違和感を覚えるわけだよ。「境界のない世界」を擁護するというチームラボのポリシーに照らすと、その違和感によって、色は本来グラデーションであることを逆説的に思い起こさせるのかもね。

猪子 そこまで考えてなかったけど、そういうことにしようかな(笑)。

宇野 今の話を聞いて僕はそう受け止めたよ。虹なんてまさにそうだけど、本来グラデーションのほうが自然に感じるよね。でも、不自然にパキッと分かれたものを見せることによって、逆に色は本来境界線の曖昧なものなんだと思い起こさせるんだと思う。

猪子 今度からそう言おう(笑)。フラワーガーデンは、蘭の花に埋め尽くされた空間の中を人間が移動する。その移動に合わせて蘭が上下して空間が生まれる。
 蘭は基本的に土なしの空気中で生きるんだよね。それを利用して、三次元上に充填させた。空気中に植えてるみたいな感じ。人がいるところだけちょっとどいてくれる。で、通り過ぎると埋まっていって。極限まで花に囲まれて、花と一体化するようなお庭を作ろうと思った。蘭は、地球上の植物のなかで一番最後に進化したんだよ。土の上は他の植物がいっぱいだったから。空中にしか生きれる場所がなかったんだね。だから蘭は、誰もいないところ、競争がないところ、つまり土がないところに行った。そして、最も多様性を生みやすい形態に進化した。
 そもそも植物って、隣のものに勝つために進化してきたんだよ。つまり、スギやヒノキみたいにどんどん高くなって、太陽の光を奪い、根を深くして栄養を奪うっていうね。でも、花っていうのはわざわざ果物の実をつけるでしょ。花の蜜ってエネルギーの塊じゃん。実もエネルギーの塊でしょ。そういうところにエネルギーを使っちゃうから、花を咲かせ、実をつけるものはみんな高くなれないんだよね。スギやヒノキよりも小さくなっちゃう。だから太陽を奪い合う競争には負けるんだけど、そのかわり、誰もいないところに行くわけだ。果物を食べてもらうっていうのは、自分では行けないどこかに行くためじゃん。そして花を咲かせてミツバチに蜜をあげるのも自分では出会えない花と出会うため。
 そうやって花は遠くのものと交配していく。自分では行けないどこか遠くに行くっていうのは、競争のないどこかに行く、誰もいないところに行くっていうモデルね。当たり前だけど花と実はセットだよね。それは進化的にもセットだと思ってるの。自分では交配できない遠くのものと交配して多様性を享受する。他の植物がいない、今までの植物にとっては不利な環境でもなんとか適応できる多様性を生むっていう方法じゃん。蘭はその究極形ね。多様性が極限まで生まれやすい種でさ。どれぐらい多様かっていうと、全植物の10%ぐらいが蘭なの。

宇野 しかも、動物界の中でも虫って異常に種類が多いんだけど、その虫をうまく利用してるのが花なんだよね。

猪子 花と虫は平気で共進化する。花が虫のために異常に進化するんだよね。その結果、蘭って人間と同じぐらい生息範囲が広いんだよ。熱帯から冷帯まで生息してる。

宇野 人間と蘭だけがゴキブリよりもはるかに広範囲に生息して、世界を覆いつくしている(笑)。

猪子 そうそう。だから、蘭の進化の仕方は、人間もそういう進化をしてきたって思い出させてくれるんだよね。

宇野 すごいね(笑)。見田宗介が昔、花は進化史的にすごく特異な存在だと書いてたんだよね。虫とか獣とか、自分と異なる種を誘惑することによって繁殖するのって花だけなんだってさ。他種のためにエネルギーを作るし、花っていうのは進化史的な特異点らしい。

猪子 「花を見るっていうのは、花が自分を見るような状態だ」みたいな古典の一説があってさ。そういう、花に埋もれて、自分が花を見てるのか、花が自分を見てるのかわからないような、そういう庭を作りたいなと思って作った。

宇野 偕楽園の赤い球はさ、あの光を浴びることで見ている側、つまり僕たち鑑賞者が変わってるわけじゃない。だから「作品に見られる」みたいな視点ってけっこう大事だよね。

猪子 光が動いてるのか、自分が動いてるのか。それは同等なの。

宇野 もちろんさ、僕たち鑑賞者が「見る」ことで作品の側が変化するというインタラクションはわかりやすく、人間は存在してるだけで世界とつながっているのだって感覚を教えてくれて、それはとても大切なことだと思うのだけど、やっぱり人間が世界を見るだけじゃなくて、世界に人間が見られてることとか、見られることで自分たちが変わることをこれから考えていかなきゃいけないと思うんだよね。

猪子 鑑賞者がいようがいまいが作品は作品同士で勝手にうごめいてるし、鑑賞者とも関係するし、そういう複雑な関係。

宇野 人間ではないものから見られる。そのことによって自分が変わるっていうことを思い出さなきゃいけないタイミングなんだと思う。

猪子 ちなみに展示している花の中の何割かは太陽光が当たるから、あのなかで本当に生きていて、年に何回か咲かせるモデルなのね。普通に光合成して会場で生きてるっていう。ただ全部やると花の密度が下がっちゃうから、入れ替えたりはしている。
 会場内の「teamLab Flower Shop」では展示で使った花を売っててさ、ショップのトートバッグを買うと、花を詰めて持って帰れるの。そのトートバッグを持ってくれば何回でもタダ。いくらでも花が持って帰れるトートバッグっていいでしょ。バンダという蘭もたくさんあるんだけど、日本でいいバンダを買うと数万円しちゃうのね。それを1500円ぐらいで売ってるから、あり得ない価格なんだよね(笑)。

宇野 単純にコスパのいい花屋になってる(笑)。

猪子 僕タイが好きだから、タイにいっぱい友達がいてさ。タイの良いバンダ農家に直接アタックしまくって、その農家から直送してるからできた価格。展示で使い終わった花をみんな自宅で咲かせてるのね。作品で使った花をそのまま持って帰って家で育てられるっていう。作品の一部を持ち帰れるって楽しいでしょ。

宇野 それすごくいいと思う。チームラボの展示って、見終わって会場を出た後に、すごくもとの俗世間が辛くなるから(笑)。そこで花だけでも持って帰れるとちょっと違うよね。

猪子 トートバッグにいくらでも花詰めるからさ、持って帰って咲かせて、いろんな人におすそ分けしてほしい。その延長なんだけど、『teamLab: FIRE』ってアプリを開発してさ、豊洲の『空から噴き落ちる、地上に憑依する炎』で、アプリを立ち上げると炎をもらえるの。これも作品を持って帰れるっていうコンセプトね。チェーンメールじゃないけど、アートチェーンみたいなもの。その作品を聖火リレーみたいに人にバンバンあげられる。アプリから、世界中にどれだけ炎が広がっているかも見られる。炎の地図だね。
 この作品のシリーズはディスプレイの作品でも世界中で売っててさ。この前スイスのアート・バーゼルで展示したんだけど、そうするとヨーロッパにいっぱい炎が出てきてさ(笑)。コレクターの家から広がってる。チェーンメールみたいにアートがバンバン配られていくのは愉快だよね。蘭の花もアート作品の一部を配ってるわけ。しかも、もらった人がまた人に配れる。アートをディストリビュートしてるみたいなものだね。これは、「Distributed Art」というコンセプトをチームラボが提唱していて、その考えの作品でもあるんだ。「Distributed Art」の考えは次回話すね。

▲『空から噴き落ちる、地上に憑依する炎』
https://planets.teamlab.art/tokyo/jp/ew/universe_fireparticles_falling/

宇野 みんな、今とは違うお金と言葉のつながり方を求めてると思うんだよ。そういう運動をアートの領域で展開しないといけない時期なんだと思う。チームラボの唯一の弱点って、やっぱりラボの外側の世界だと思うのね。「境界のない世界」って言ってるけど、ラボの世界と外側の世界の境界はやっぱり強い。「チームラボボーダレス」から出た瞬間にお台場の殺風景が広がるでしょ。もうその瞬間ちょっとつらくなるんだ。僕が気になってるのはあのギャップなんだよね。そこを乗り越えるためには、アートが生活空間に入っていく必要があると思う。

猪子 ちょっとずつね。花を持って帰れるとか、炎を持って帰れるとか。

宇野 たいしたことじゃないって猪子さんは思うかもしれないけど、けっこう大事だと思うよ。テレビに映すYouTube作品(『Flowers Bombing Home』もそうだけどさ、人が生活する場所とアートが一箇所でいいから繋がっておくって大事だと思うよ。

[了]

※この記事は小池真幸が構成をつとめ、PLANETSのメールマガジンで2022年3月10・17日に配信した記事をリニューアルしたものです。改めて、2022年3月24日に公開しました。
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