ライフスタイルの変化に伴い、「死」や「弔い」のあり方も移ろう

 現代の日本は、暮らしから「死」を遠ざけている社会だと言われる。
 自宅で亡くなる在宅死の割合を見ると、戦後すぐは9割近かったのが、徐々に低下。1976年には医療機関における死亡が上回り、平成中期には在宅死を選ぶケースは1割ほどに(参考。現在はやや在宅死が増えつつあるものの、1割台であることには変わらない。核家族化の進行や地域コミュニティの結びつきの弱体化により、日常生活の中での高齢者とのかかわりが減ったことも相まって、日常生活の中で「死」に直面する機会は少なくなっている。
 さらに現実的な問題として、日本人のライフスタイルの変化に伴い、地縁にもとづく家制度を前提とした伝統的な「弔い」のあり方がそぐわなくなっている。葬送問題に詳しいシニア生活文化研究所長・小谷みどりの指摘によると、1980年代以降、高度成長期に地方から都市部に流入してきた人たちが続々と定年退職を迎えて新たにお墓を必要とするようになると、東京のような大都市で墓地不足の問題が顕在化。現在では「継承を前提としない合葬墓がいい」「納骨堂でいい」「お墓はいらない」などお墓に対する意識は多様化しつつあるものの、「核家族化や過疎化などで、無縁墓がこれから増えていくのは明らか」と新たな問題も浮上しているという。
 こうして移ろいゆく「死」や「弔い」のあり方に対して、現代にフィットするかたちのオルタナティブを模索する動きも見られる。樹木葬や散骨、土葬など、火葬ではない弔いの実践はその一例だ。国外では、コロンビア大学院建築学部の「Death Lab」のように、「死」の未来を探求する実験的な取り組みもある
 今回インタビューした関野らんさんは、日本で唯一と言われる“墓地設計家”として、「弔い」のあり方を探求している。一級建築士であるが、いわゆる建築業界に閉じることなく、〈横断〉的に活動。「風の丘樹木葬墓地」(東京都八王子市)「樹木葬墓地 桜の里」(東京都町田市)をはじめとした多様な墓地を設計してきたのに加え、アート領域にも活動を広げ、生と死、弔いをテーマとした作品を制作・出展している。

 関野さんは、現代における「死」や「弔い」に対していかなる問題意識を持ち、どのようなオルタナティブを提示しているのだろうか? 彼女が設計した樹木葬墓地を実際に訪れて話をうかがうと、ライフスタイルや都市の問題解決に寄与するという機能面のみならず、伝統的な共同体が解体する現在こそ求められる、「心の拠り所」としての墓地の新たな側面が見えてきた。

日本唯一の墓地設計家がデザインした、墓地とは思えない墓地

 取材に向かったのは、JR横浜線・片倉駅。八王子駅の隣で、都心部からは約1時間で着く。ラッシュ時も過ぎて人もまばらな横浜線で、ゆっくりと向かっていく時間が心地よい。
 片倉駅に降り立って広がっていたのは、都内とは思いづらい、のどかで穏やかな光景だ。高尾の山々を背景に、住宅地や田畑がまばらに広がっている。改札を出るとすぐ、秋らしい虫の声が鳴り響く、緑豊かな公園を発見。足元にたくさん落ちているドングリに注意を払いながら公園を通り抜けつつ、10分ほどなだからかな丘を登っていくと、目的地である風の丘樹木葬墓地に到着した。
 入口の門を抜けると目に入るのは、あたり一面にひらけている、気持ちのいい広場のような場所。左手にはおそらく樹木葬墓地であろう、綺麗に整備された芝生と水場が目に入り、右手奥には一般的な墓石群も見える。平日の昼間ということもあり来訪客は少なく、秋晴れの静寂の中、ルンバにも似た自動芝刈り機だけが、淡々と動き回っていた。自分がどこに来たのか、よくわからなくなってくるが、漂ってくる線香の香りであらためて「墓地に来たのだ」と思い出す。

入口を抜けて左手に広がっている、樹木葬墓地のメインエリア。水場の手前に見えるのは献花台。
入口を抜けて右手に広がっている光景。一般的な家墓地が少し目に入るのと、その後ろには富士山や高尾山をはじめ奥多摩の山々が見渡せる。
故人が眠る丘の芝刈りは、基本的にこの自動芝刈り機が担う。丘の端には充電ポートもあり、自ら定期的に給電していた。人の気配の少ない丘を懸命に掃除し続ける姿が愛らしいからか、利用者からの人気も高いという。生者の気配が薄い丘の上で、淡々と動き回るこの機械の姿が、不思議と印象に残った。

 ここ風の丘樹木葬墓地は、2016年に先行販売がスタートし、2018年に完全オープンした、日本では珍しい樹木葬墓地だ。曹洞宗・白華山 慈眼寺が運営しているが、従前の宗派不問。家ごとに墓石を建てるタイプの一般的な墓地とは異なり、この丘全体で一つの大きなお墓となっている。初めは眠る人それぞれに区画が割り当てられ、13年か33年の指定期間が経ったら、同じ丘の中の芝生の別のエリアに設けた合葬墓に移される。日常的なお墓の維持・管理は、すべてスタッフに代行してもらえる。
 2021年10月現在(取材時)、毎月十数名ほどが新たに埋葬されているという。全部で3,600区画あり、毎年100区画ほど売れていけばおおよそ33年スパンで循環していくと見込んでいたが、それを上回るペースで売れているそうだ。生前に自身が死後眠る場所として購入するケースも多く、首都圏出身者に限らず、九州出身の人なども購入しているという。「これから増えていくであろう樹木葬というかたちを空間的にどのようにモデル化していくかを丁寧に考えたプロジェクト」と評価され、2019年度のグッドデザイン賞も受賞した

 このユニークな墓地の設計を務めたのが、関野さんだ。彼女は一級建築士であり、日本では珍しく「墓地設計家」を名乗っている。「100年後までつながる文化遺産になり得るお墓を作りたい」という想いのもと、風の丘樹木葬墓地の他にも、東京都町田市の「樹木葬墓地 桜の里」をはじめ、これまで10件以上の墓地のプロジェクトが実現している。
 昨今は、その傍らでアートにも取り組むように。去る2021年7〜8月には、千葉県千葉市の日本庭園「見浜園で開催された展覧会生態系へのジャックイン展に参加。現代における弔いのあり方を模索すべく、「個別性・連続性・全体性 」と題した作品を出展した。鑑賞者が抽象的なデザインの灯籠を手に、大切な人に想いを巡らせながら園内の小道を歩く作品だ。

個別性・連続性・全体性──人間の「生」と「死」とはなにか?

 この「個別性・連続性・全体性」というキーワードは、ただ一作品のタイトルというだけでなく、関野さんの活動全体を貫くコンセプトでもある。

「お墓は死と結びつけて捉えられがちですが、その時代時代で、人がどう生きたのかをあらわしている場所でもあります。いわゆる宗教とのかかわりが薄くなりつつある現代日本で、なるべく普遍的に受け入れられる、人間の感覚として自然な形での生と死の捉え方をいかにして体現できるのか。それを模索しながら、墓地を設計してきました。その結果、こう考えるようになったんです。人が生きるということは、それぞれがかけがえのない存在(『個別性』)であると同時に、同時代の人々とのつながりや祖先から受け継がれる時間軸の中に存在するものであり、時間的・空間的『連続性』を持つものでもある。そしてそれが環境と一体となった『全体性』の中にいるということだと。細部のデザインから時間的なレイヤーまで、さまざまな側面でこの『個別性・連続性・全体性』を意識して、墓地を設計しています」

 「個別性・連続性・全体性」。この関野さんの生命観は、実際の墓地設計にどのように反映されているのだろうか。まず風の丘樹木葬墓地は、「樹木葬墓地」ではあるものの、一般的なそれとはデザインを異とするという。

「樹木葬墓地は、特定の樹木をシンボルとして置いている場所が多いです。ただ、シンボルとなる樹木を置くと、そこに向かって意識が集中してしまいますよね。樹木葬の本来のコンセプトは『自然に溶け込み、土に還る』というもの。ですから、お墓の中には樹木を置くのではなく、周りが樹木に囲まれているかたちにして、環境に溶け込んでいくことが体感できる空間を作りたかった。また、新しいお墓の形として樹木葬が注目されているとはいえ、一般のお墓の形をそのまま踏襲して、それぞれが埋まっている場所が特定できるプレートが目立つ設計がなされている樹木葬墓地も少なくありません。風の丘樹木葬墓地にもそうした要素はある程度あるのですが、一つの対象物や場所に固執してほしくないので、できるだけ中心性を持つものを置かないようにしています。初めて樹木葬墓地を設計したときから、樹木葬は対象に対して祈るのではなく、環境に眠っていることを感じるものだと考えてはいましたが、時間・空間と多元的に個別性・連続性・全体性を体現できたのは、風の丘樹木葬墓地からだと思います。そこには設計者の名前や存在感はなくていい。誰かが恣意的に作った印象やシンボル性がなく、本当に環境に溶け込んですっと心に入ってくるような場所になってほしいと考えています

 いわば個別性だけでなく、連続性や全体性も感じてもらうために、中心性をできるだけ排したデザインになっていると言えるだろう。その意識は、丘のような埋葬エリアのデザインにも反映されている。「中心がなく、どこからも違った見え方になるようにしたい」という意図から、あえて完全な円ではないいびつな形に。それゆえ立つ場所によって、お墓、そして背景の山間部の見え方が変わるのだ。正面の水回りが一番人気だというが、丘の一番高い場所や奥のベンチ、はたまた屋内の休憩スペースなど、人によってお気に入りの場所はさまざまだという。

メインの献花台。多くの人が、まずはこの献花台から、合葬エリアに向かって手を合わせる。この池を起点に丘全体に水路が張り巡らされており、お清めの意味だけでなく、「源流からいろいろな流れをたどり、最後は大海に戻る」人生の流れも暗示しているという。
メインの献花台とは、別の角度から見た光景。ところどころに献花台やベンチが置かれており、さまざまな角度から手を合わせられるようになっている。

 さらに、墓地内のみならず、その外にある環境との連続性・全体性を感じられる設計にもなっている。ここでも徹底して、中心性を排しているのだ。

「この一帯は、背後の高尾山ともつながっている多摩丘陵の一部を、50年ほど前に切り拓いて宅地造成した新興住宅地です。今は真っ平らですが、もともとは山だったわけです。大地とのつながり、連続性を感じられるようなお墓にしたくて、周りの山脈から地形の力が少し外から加わって押し上げられたようなイメージで、この丘に微妙な傾斜をつけ、少しだけぷくっと盛り上げた設計にしました。この『少しだけ』というのもポイントで、ちょっとだけ周りよりも高い場所だけれど、遠目で見たらそこまでわからないくらいにしています。古墳のようにわかりやすく突き出した丘にしてしまうと、一つの中心が生まれてしまう。ですから、視界の端から端までは見えず、取り囲まれるような間隔を味わえる設計にしました」

事務所や休憩スペースが入った建物の屋根の傾斜も、地形の傾斜になじむように設計しており、かつ円弧や屋根を何枚か重ねることで、それだけで完結した印象が出ないようなデザインになっているという。後述するが、曲線がふんだんに活用されているのは、建築だけでなくファッションなどからも影響を受けた関野さんのデザインの特徴でもある。

「家ごと」と「みんな一緒」の過渡期──日本における「弔い」の現在地

 ただし、関野さんは墓地から特定のシンボルや中心性を完全に排除しようとしているわけではない。そもそも「連続性・全体性」だけでなく「個別性」もキーワードに含まれていることからも読み取れるように、風の丘樹木葬墓地は、ある程度の個別性や中心性が含まれる設計にもなっている。

「お墓に関して、今は本当に過渡期だと思っています。これまであったお墓を継ぐ人がおらず、他のお墓とまとめたり、片付けて『墓じまい』したりするケースが増えている。地方で生まれて東京に出てきた人が、先祖代々のお墓を守ることができないから、東京にお墓を引っ越ししたいという需要もあります。もともとお墓は地縁にもとづいた家制度と一緒に継いでいったものでしたが、今は生まれてから死ぬまで同じ場所に留まり続けることが減っているじゃないですか。だから先祖代々継いでいく形態のお墓は、徐々になくなっていくのではないかと思います。すると、個人や一代限りで入ったり、みんな一緒に入ったりすることが増えていくはずです。ただ、その代が終わったら孫世代より下は手を合わせる場所がない、というのも寂しいですよね。これまでとは違う形態になっても、ご先祖様に手を合わせるためのお墓という場所自体は、ずっと残り続けると思います」

 近代的な家制度の衰退と共に、転換を迫られている「先祖代々の墓」というスタイル。とはいえ、親世代を弔いたい気持ちは残るし、「先祖に手を合わせる」営みへの欲望も消えないだろう。だからこそ関野さんは、「家ごと」と「みんな一緒」の中間的な形態の墓地を設計しているのだ。実際、風の丘樹木葬墓地には、二人まで一緒に入れる家族墓地エリアもある。

墓地のやや奥まった場所にある、家族墓地エリア。プレート一つひとつが、墓石のような役割を果たしている。

 合葬エリアも、はじめはある程度の個別性がある。ただ、時間が経つにつれてその個別性が薄れていく設計になっている。順を追って見ていこう。埋葬された直後は、骨壷が埋められた場所の真上にリースが置かれるので、眠る場所が容易に特定できる。

直近で埋葬された人の骨壷の上に置かれているリース。

 数日から一週間ほど経って花が枯れてくると、リースは取り除かれ、芝生の上の跡だけが残る。

リースの花が取り除かれた後の痕跡。

 さらに数週間から一ヶ月ほど経つと、芝生が生えてきて跡が消える。ただ、芝生の跡が消えても、丘の間を貫通している通路に、個々の骨壷の場所と名前を示す石板が置かれているため、場所の特定は可能だ。このプレートのエリアは入口からやや奥まった場所にあり、足を踏み入れるためには全体に向けた入口の花壇を通る必要があるが、「お寺の墓参りに行くと、まずそこを守ってくださっているお寺の本堂にご挨拶してから、杓や桶を持って個別のお墓に進んでいく。それと同様に全体から個別へと徐々に階層を下っていく体験を重視して設計した」。

埋まっている骨壷の位置はGPSで管理。これにより、埋葬の際に誤って他の骨壷を掘り返してしまうことを防いでいる。また、ネームプレートが貼られる鉄板は経年により耐久性が落ちないよう、錆によって自らを保護できる素材で作った。

 その後は13年または33年の期間、骨壷のままその場所にとどまる。期間が過ぎると骨壷から出され、完全な合葬エリアに他の骨とあわせて埋められる。その頃には子ども世代も来なくなるケースが増えるが、来たとしても骨が埋められたエリアの場所は特定できるので、眠っている大体の場所はわかる。こうして、時間が経つにつれ、徐々に全体に溶け込んでいく仕掛けとなっているというわけだ。

お墓は“逆ふるさと”。死を想うことが、心の拠り所になる

 感覚的な話にはなってしまうが、こうして関野さんの話を聞きながら、丘の下に眠る故人たちや地続きになっている山々に想いを馳せていると、筆者の気持ちにも徐々に変化が現れはじめた。はじめは「気持ちのいい場所だな」「空気が綺麗だな」としか思わなかったのが、何か故人や自然とのつながりのようなものを感じ、胸がいっぱいになってきたのだ。その感覚を素直に関野さんにぶつけてみると、丁寧に耳を傾けながら、お墓という場所がもたらす効果についてこう語ってくれた。

「お墓は心の拠り所になると思うんですよ。もちろん全ての人にとってそうした意味を持つとは想いませんが、ここに来てちょっと気が楽になったり、心が落ち着いたりする人もいる。そういう方の心に寄り添える場所になるといいなと考えています」

 なぜ、お墓は心の拠り所としての機能を持ちうるのだろうか。関野さんはその理由を「逆ふるさと」という言葉を使って推察する。

「お墓は”逆ふるさと”と言えるんじゃないかと思っています。上京しても、生まれ故郷があることは心の支えになりますよね。ただ、私自身がそうなのですが、生まれてからけっこう暮らす場所を転々としていたり、故郷が様変わりしてもう親戚も住んでいなかったりと、『ふるさと』と呼べる場所がない人もいる。すると、心細くなってしまうことがあります。でも、自分が最後に眠る場所があって、そこがずっと変わらないでいてくれれば、それは心の支えになる。実際、この墓地は生前に買ってくださる方も多いんです」

 さらにお墓は、都市化によって失われた地縁的共同体が、かつて持っていた情緒的な機能を補完してくれる役割も果たせるのではないかと語る。

「地縁関係の強い地域であれば、お祭りや自治体の集まりなどで、土地と密着している感覚が得られるでしょう。でも、現代は都市部に住む多くの人が、家の中だけが自分の場所で、隣人は他者のように感じてしまう。外とは切り離されて、人と場所のつながりが希薄になり、連続性が感じられない。それはとても寂しいことです。今はSNSやスマートフォンがあるのでなくなりましたが、インターネットや携帯電話が普及する前の時代、学校から帰ってきて自分の部屋に入った瞬間に外との関係がゼロになる孤独感って、ものすごかったじゃないですか。でも、現代のライフスタイルを考えると、向こう三軒両隣の人たちと密に関わるようになることは考えにくい。リモートワークが普及して働く場所が遠くなると、より一層その傾向は強まるでしょう。それでも、人にとって何か土地とのつながりがあることは、やはり心の拠り所になるはず。だからこそ、一番特別で、変わらずにずっとここにあるという安心感が得られる場所として、墓地があるといいなと思っているんです」

 関野さんが作っていきたいのは、人の不安や落ち着かない感情の「受け皿」となる場所だ。「人が生きてきたという歴史が、シンプルに体感できて、心が落ち着く場所」。そんなパブリックスペースを作っていきたいという。

「もともとお寺は地域ごとのパブリックな場所だったと思うので、お墓もそうして共有される場所になっていくといいなと考えています。特にコロナ禍になって、これまで基本的に人が集まって賑わいを楽しむ場所として作られてきた都市のあり方が成り立ちづらくなりました。とはいえ、人はやっぱり外に出たいし、外の空気も吸いたい。密じゃない疎の場所でも屋外を楽しめる、人の存在を感じられる場所としても、お墓の存在意義はあるのではないかなと。なんとなく人の存在が感じられて、少しボーッとしていたら心が落ち着く場所を作っていきたい」

 冒頭でも触れたように、現代日本における都市からは、どんどん「死が遠ざけられている」と言われている。身近な人が亡くなったとき以外、死を意識する機会は多くない。だからこそ、お墓のように否応なく死を意識させられる場所が、重要性を帯びてくる。

「『メメント・モリ』(自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな)という警句もありますが、死を思うことが生の実感につながる、死を意識しながら生活することが日頃の充実感につながることは、研究でもある程度示されています。ただ、だからといって常に『自分は明日死ぬかもしれない』と思いながら生きるのは現実的ではありません。たまにだけれど先祖のお墓に行って自分のルーツを確かめたり、100年前にも同じように生きていた人たちがいると思ったりすることが大切なのではないでしょうか。最近は瞑想や禅など、自分の心を空っぽにして気持ちを整えるための方法がいろいろと注目されていますが、『死を想う』こともその一つの選択肢になりうるのではないかなと。一人ひとりの生と死という時間が積み重なってできている歴史を体感することで、時代を超えた人とのつながりを感じられる。実際に遺骨が埋まっていて、そうしたつながりが生々しく感じられ、100年後までもしっかりと残りうる可能性があるお墓だからこそもたらせる効果だと思います」

アレキサンダー・マックイーン、「陰の空間」……いかにして「墓地設計家」にたどり着いたか

 生と死とはなにか、そのあり方はどうあるべきか──人類が古来から向き合ってきたであろうこの問いの、現代日本における暫定解を探求し続ける関野さん。その根源をたどれば、幼少期よりよく、生と死の問題について考えていたのだという。

「物心ついたときから、『生きること死ぬことってどういうことなんだろう?』といったことを考えるのが常でした。ものづくりの面でも影響を受け尊敬しているデザイナーやアーティストの方々の作品には、生と死について意識させられるものが多いです。私が最も尊敬しているのが、ファッションデザイナーのアレキサンダー・マックイーンさんですが、彼の作品は、“ファッション”を超えて一つひとつを命がけで作っている気迫を感じます。服を『純粋に身体に纏うもの』と捉え、身体の曲面をより引き立てる曲線を作っているのが彼のデザインの特徴ですが、そこからはとても大きな影響を受けていますね。ファッションデザイナーに憧れた時期もありましたし、今でも設計に曲線をよく使ってしまうのはその影響もあるかもしれません」

 関野さんは一級建築士であり、かつ通っていたプロテスタントの中高で教会建築に興味を持ったことも今の問題意識につながっているというが、その美意識の根本には曲線を基調としたファッションデザインがあったのだ。

 本格的に建築の世界に足を踏み入れたのは、東京大学に進学し、建築家/現・東京大学名誉教授の内藤廣に師事してから。内藤は都市計画において、繁華街のような明るくてにぎわう場所の傍らで軽視されているけれど、本来は人にとって大切な場所である「陰の空間」を重視していたという。その一環として、墓地設計を手がけるプロジェクトも立ち上げていた。そこにアサインされたのが、関野さんと墓地設計の出会いだ。以降、三島由紀夫『潮騒』の舞台となった三重県鳥羽市・神島のほど近くにある菅島での実地研究、墓地研究を手がける社会学者/NPO法人エンディングセンター理事長・井上治代との出会いも経て、墓地設計にのめり込むようになる。

「自分自身が賑わった場所に行くのがあまり得意なほうではなく、一人で過ごすことが多いタイプなので、陰の空間の設計が向いていたのかなと思います。困ったときに行って静かに一人で祈れる西洋の教会、悩んだときに相談しに行ける近所のお寺、何かあったときや人生の節目で報告しに行くお墓……コロナ禍に際して、都市における密で明るくてにぎやかな空間がなかなか使いづらくなったことが問題視されることが多いですが、陰の空間があることで心が救われていた方が少なからずいると思うんです。普段の生活で行きつけのバーやカフェがあるように、本当に悩んだときはそこに行くだけで心が洗われるような心の拠り所になる場所があることは大事だと思って、墓地設計に取り組んできました」

 大学院時代に町田いずみ浄苑の墓地設計を手がけたのを皮切りに、墓地設計の相談がいくつも来るようになる。同時期に樹木葬墓地の設計も手がけるようになり、樹木葬のコンセプトを真に体現できる形を模索し続けた。そんな中で風の丘樹木葬墓地の依頼が舞い込み、斬新なデザインを受け入れてくれた住職夫妻の助けもあり、完成に漕ぎ着けたという。

「弔い」の意味は合理的に説明しきれない

 今後も関野さんは、「個別性・連続性・全体性」を体現する墓地設計やアート活動により一層注力していくという。もちろん、取り組むべき課題は山積している。たとえば、宗教性とオープンさとの兼ね合い。墓地は基本的に宗教法人か社団法人、公営でしか運営できないため、民間で宗教自由の墓地を作ることはできないという。それゆえ、宗教・宗派自由にしたとしても、ある程度はその運営母体の宗派のしきたりに合わせる必要が出てくる。
 また墓地設計家としての活動をメインに置くことは変わらないものの、関野さんは「個別性・連続性・全体性を体現していて、心の拠り所となる場所」として、墓地だけにこだわっているわけでもない。シアトルでは、遺体を微生物で分解して土に戻す、ヒューマンコンポスティングを実践している例もあるというが、環境負荷を軽減する観点でも、樹木葬に限らず「土に還る」のあり方は多様な可能性がありうる。
 さらにいわゆる知人や身近な人のお墓参りのみならず、SNSで突然流れてくる著名人の訃報の受け止め方や、著名人の墓地へのお墓参りなど、現代における弔いにはさまざまなかたちがある。今後は現役世代と対話しながら墓地や弔いのあり方、死との向き合い方を思索していくべく、オンラインラボも立ち上げる予定だ。
 ただ、関野さんは「お墓の存在意義を論理的に説明しきるのは難しい」とも言う。たしかに、いわゆる「衣食住」という観点から考えると、お墓や弔いは“不要不急”で、一見すると生活必需品ではない。それにもかかわらず、人類が古来から執り行ってきた営みである。ということは、人間にとって何か重要な意味があるはずだ。

「今の人たちは忙しいし、コロナ禍になって移動するのもなかなか難しくなっています。『お墓参りが絶対に必要なんだ』と言い切るのはなかなか難しい。それでも、お墓のような場所があるといいんじゃないかと思うんですよね。『自分はお墓なんて要らない、散骨してもらえればいい』と言う方もいらっしゃいますが、そういう方は自分の中でちゃんと、何が楽しくて何が好きとか、自信を持ってわかっている人なのだと思います。でも、世の中にはそういう人ばかりではない。人間はどこかで、いないと思いつつ神様に祈ったり、根拠はないと知りつつ占いに頼りたくなったりする。そうした気持ちはゼロにならないと思うので、合理的に説明しきるのは難しいのですが、心の拠り所としてお墓は必要なのではないでしょうか。今は死が遠ざかっているのはもちろん、空間、場所、身体といった実空間のものの扱いが軽視されがちです。でも、そもそも人間が物質的な身体を持っている以上、亡くなった後にそれをどう扱うかという問題は重要なはず。だからこそ、残された人たちがきちんと『弔いをした』と感じられること、社会全体で亡くなった方にきちんと向き合っていることは大事でしょう」

 建築業界にとどまらず、墓地設計、アートと幅広く領域を〈横断〉し続けながら活動を続ける関野さん。そうした動きができている理由を問うと、「周縁」にいることの意味を語ってくれた。

「私のことを『日本唯一の墓地設計家』と呼んでくださる方もいますが、たしかに墓地に特化している人はいなくて、ロールモデルにできる人はいませんでした。ただ、分野を超えて動けているのは、何かの分野のど真ん中には入れずに、ずっと外側からアプローチしているからかもしれません。建築家になろうと思った当初も、建築学科に行けずに土木学科に入ることになりましたし(笑)。どの分野でも、一つの分野の中の思想や考え方は、ちょっと離れて見てみると凝り固まっているとわかる。そこにずっと違和感がありました。だからこそ、結果的に『あれもできる』『こういうアプローチもありえる』といった動きが可能になったのかもしれません」

 関野さんが作っているお墓は、冒頭で挙げたような墓地不足や無縁墓といった問題解決に寄与でき、現代人のライフスタイルにフィットした「正しい」お墓だ。もちろん、それだけでも多大な価値がある。しかし、実際に足を運んでみて、込められた想いを聞くことで、その「正しさ」以上の価値もあるとわかった。心の拠り所になること、気持ちのいい場所であること、美しい景色や建物に触れられること──そうした情緒的な価値もまた同じくらい大事な、この墓地が生み出している価値といえるだろう。

 昨今は迫りくる気候変動への対応が不可避になりつつあることから、別の地域で暮らす人びとや、まだ見ぬ未来世代の人びとのことを慮ることの必要性が叫ばれている。その論調に特に反論はないが、「正しさ」だけでその必要性を語っていても、届く範囲に限界があるだろう。「正しさ」を全うするためにも、目の前にいない他者とつながることの気持ちよさを考える必要があり、その際、関野さんの取り組みは大きな示唆を与えてくれるはずだ。

[了]

この記事は、PLANETSのメルマガで2021年12月13日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。あらためて、2022年2月3日に公開しました。photo by 高橋団
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