現代のライフスタイルに「お香」を取り入れる

 コロナ禍になってからというものの、ライフスタイルにおける試行錯誤を、より一層重ねるようになった。自宅で過ごす時間を少しでも上質なものにしようと、瞑想の習慣を取り入れようとしてみたり(せっかく買った坐蒲は、完全に乾かした洗濯物置き場となってしまった)、魚を捌くスキルを身に着けようとしてみたり(せっかく買った出刃包丁は、購入から1年近く経った今でも、開封すらされていない)、ハンドドリップの珈琲、煎茶やほうじ茶を飲むようにしてみたり(これはある程度定着している)……さまざまな角度からライフスタイルの変革に取り組み、死屍累々を積み重ね、そのうちのいくつかは生活習慣となっていった。
 そんなささやかなチャレンジの一つに、「お香を焚いてみる」というものがあった。インターネットの海でたまたま、「お香のサブスクリプションサービス」なるものを見かけたのがきっかけだ。季節のお香を毎月プロが選び、原材料や文化的背景が記されたリーフレットと共に届けてくれるという。これまでの人生で、「お香」に関する何かに触れた記憶といえば、ほぼ「お線香」くらい。その香りそのものはなぜだか幼少期より嫌いじゃなかったが、まさか自発的に生活の中に取り入れる日が来るとは思っていなかった。このサブスクリプションサービスは、20〜30代でも親しみやすいような、小綺麗で比較的キャッチーなデザインでパッケージングされており、不思議と食指が動いた。後から聞いたところによると、同世代の知人も何人か、ほぼ同時期に同じサービスに申し込んでみていたらしい。ちなみにお香に関しては現在も、たまに疲れた夜に焚いてみるなど、生活習慣の一部として生き残っている。
 今回インタビューした山田悠介さんは、このお香の定期便「OKO LIFE」の運営者であり、同サービスを手がける和の香りの専門店「麻布 香雅堂(以下、香雅堂)」の代表取締役社長。1,500年の歴史を持つお香の世界の中で、業界慣習にとらわれず、化粧品やお酒、ゲームとのコラボレーションなど、他領域のプレイヤーと積極的に手を組みながら、新たな楽しみ方のスタイルを模索する〈横断者〉である。
 山田さんはなぜ、お香文化と現代のライフスタイルの架橋に取り組むようになったのか? 深淵なるお香文化の歴史や特徴、そして彼の歩みと想いに迫っていくと、“お香に首ったけ”ではないからこそ実現している、「交差点」としての価値創出のかたちが浮かび上がってきた。

産地にも製法にも、謎が多い「和の香り」

 麻布十番駅から、徒歩5分経たず。大通りから路地に入った、およそ「東京都港区」という響きが持つギラギラとしたイメージとは対極にある静かな通りに、香雅堂はある。店に入ると、上品で心地よいお香の香りに包まれる。京都で江戸寛政年間より200年以上続く薫香(編注:お香の香料のこと)原料輸入卸元「山田松香木店」をルーツに持ち、七代目の次男だった山田さんの父が独立。1983年に麻布十番で開店したのが、この香雅堂だ。山田さんは、二代目当主である。店舗の二階、香道(詳しくは後述するが、お香を楽しむ芸道のこと)の稽古や体験教室が行われる和室にて、インタビューを実施した。
 香木や香道具、香りにまつわる雑貨の販売はもちろん、お香文化にまつわる幅広いプロダクトやサービスを手がけている香雅堂。先程触れたサブスクリプションサービス「OKO LIFE」のほかにも、化粧品の香りの調合やカクテルの香りの監修、オンラインゲーム『刀剣乱舞』をテーマとした香りと香袋の開発、一般向けの香道の体験教室の開催、さまざまな一般人の香りにまつわる物語を集めたウェブマガジン「OKOPEOPLE」の運営……幅広く手を広げている。山田さんによると、事業の軸は「先祖代々得意としている『和の香り』でできることの探求」だという。

▲香木の一例。後述するが、上質なものだと、この小さな一片に、車一台買えるほどの値がつくことも珍しくないという。

 そもそも「和の香り」の源泉は、「香木」と呼ばれる樹木だ。通常、香木と呼ばれる種は「白檀」「黄熟香」「沈香」の3つだけ。主な原産地は東南アジアやインドで、さまざまな内的/外的要因によって樹木が変質することで香木になると言われているが、その正確な原産地や変質メカニズムは詳らかになっていない。それゆえ、人工的に作ることもできないという。
 この香木を刻んだり、粉末状にしたり、それを調合したりしたものが「お香」だ。調合の際は、香木に加え、八角やクローブ、シナモンといったスパイス、さらには貝殻、植物の樹脂などを混ぜ込むこともある。お香の形態はさまざまで、削った香木をそのまま「炷(た)く」(炭の熱で間接的に温める)こともあれば、調合して棒状にした「線香」の形で焚くことも(仏事の際に用いるいわゆる「お線香」もこの一種)。巾着などの袋に入れて「香袋」(匂い袋)にしたり、手紙と一緒に添えて「文香」にしたりすることもある。こうしてお香の香りをかぐこと一般を、和の香りの世界では「聞く」と呼ぶこともある。

▲線香は、こうした「お香立て」に一本ずつ立てて焚くのが一般的。長さや材質にもよるが、一本はたいてい約30分ほどで燃え切る。

お香の千五百年史──宗教儀礼から貴族文化、線香へ

 こうして実は謎が多く、ある種のミステリアスさをはらむ、和の香り。他方、お香のみならず、アロマや香水など、世界にはさまざまな香りを楽しむ文化がある。そんな中で、和の香りならではの特徴はどういった点にあるのだろうか? 山田さんがまず挙げてくれたのは、お香の香りの「純粋な心地よさ」だ。

「とてもざっくりとした表現なのですが、お客さんと話していると感じるのが、お香の香りについて『純粋に心地いい』『落ち着く』といった表現をよく聞くんです。もちろん、アロマや香水でもいい香りはします。でも、なんと言いますか、おばあちゃんの家のような落ち着いた感覚を得られるという点では、特に日本人にとって、お香は特別な気がするんです。なにか、歴史と結びついた国民性のようなものを、潜在的に持っているのかもしれません」

 

 たしかに筆者自身も、かつて自身の祖父母の家でお香が焚かれていたわけではまったくないにもかかわらず、なぜかお香の香りには懐かしさを感じる。これだけ聞くとスピリチュアルな話にも聞こえるかもしれないが、お香の歴史を紐解くと、その懐かしさは決して的はずれなものではないような気もしてくる。
 そもそも香木は、約1,500年前の飛鳥時代、仏教伝来と共に中国大陸から日本に渡ってきたと言われている。当初は「お供え物」として、宗教儀礼のために燃やして使われていた。約1,000年前の平安時代、すなわち『源氏物語』の世界観の時代になると、粉末状にしたものを調合し、着物や枕、髪の毛や手紙に仕込んで香水のように使う「薫物(たきもの)」として、貴族たちがお香に親しむようになる。
 その後、約500年前の室町時代には、東山文化を築いた生粋の文化人として知られる第8代将軍・足利義政によって、茶道、華道と並ぶ「日本三大芸道」の一つである「香道」が確立された。一定の作法のもとに香木を炷き、その香りと結びつけて古典的な詩歌や故事、情景を鑑賞する芸道で、香雅堂でも定期的に香道体験が開催されている。筆者も一度参加したことがあるが、利き酒のように香りを「聞き」分けて点数をつけるという新鮮な体験だった。
 さらに時代が下って戦国時代になると、貴族のみならず、戦国大名の嗜みとしてもお香や香道が楽しまれたという。とりわけ香木は奢侈品としての価値がきわめて高く、権力の象徴としての役割も果たした。例えば東大寺正倉院に収蔵されている“天下第一の名香”である「蘭奢待(らんじゃたい)」は、公式にカットしたのは歴史上、3人だけだと言われている──足利義政、織田信長、そして明治天皇だ。さらに約400年前の江戸時代初期になると、いわゆる「お線香」の製法が日本でも確立した。
 宗教儀礼の道具として始まり、貴族や大名のラグジュアリー・たしなみ、そしてより親しみやすいお線香へ……お香は徐々にその裾野を広げていった。こうした約1,500年もの歴史を背景に持つことが、誰もがお香に感じる“懐かしさ”の遠因となっている、というのは言い過ぎだろうか。

感覚を研ぎ澄ませ、日常にちょっとした非日常性をもたらす

 和の香りがもたらすのは、そうした「純粋な心地よさ」をもたらす鎮静作用だけではない。覚醒に近い作用も及ぼすのではないかと、山田さんは語る。そしてそれは日本固有のものというより、もう少し普遍的で、世界各国でも当てはまる感覚だ。お香によって、感覚を研ぎ澄まされて気分が切り替わったり、感性が刺激されたりする人は多いという。山田さんはお香の持つそうした作用の要因として、先述のように、もともとは宗教儀礼として使用されていた点があるのではないかと見ている。

「日本における仏教はもちろん、キリスト教やユダヤ教でも乳香や没薬という香料を焚きますし、ネイティブアメリカンの方々もホワイトセージという天然ハーブを燃やして儀式を執り行ったそうです。中国大陸の仏教寺院にも、『一体何十時間燃えるのだろう?』と思えるような超巨大な蚊取り線香状のお線香があったりもします。お香には、原始的にそうした宗教性が含まれているのだと思うんですよ。特にスティックタイプのものは、その傾向が強いのではないかと考えています。なぜなら、燃やしたときに煙が立ちやすいから。宗教の香りって、煙がマストだと思うんですよ。邪気などよくないものを払い、空気を清浄にしてくれるように思わせる視覚的な効果を、煙は持っている。お掃除した後にお香を焚きたくなるという話も、よく聞きます。そういう神聖さや清浄さを演出する視覚効果もあいまって、感覚を研ぎ澄まさせてくれ、気分を非日常なものに切り替えてくれるのではないでしょうか。かつての中国でも、文人がお茶とお香で感覚を研ぎ澄ませて詩を詠む文化がありました。お香を焚くことで、暮らしの中でちょっとした非日常性、神聖さを取り入れられるのだと思うんです」

 宗教儀礼における演出装置、いわば人と神をつなぐ媒としての用法から派生し、日常の中にちょっとした非日常性を持ち込む装置として用いられているお香。それは日常と完全に分断された「ハレの日の祭り」とは異なる、ケの中のハレ、とでもいえよう。鎮静だけでなく覚醒、いわばダウナー系とアッパー系、両方の作用をもたらしてくれるのがお香なのだ。

「僕もまだ明確にはわからないのですが、鎮静と覚醒、どっちもあるなという気はします。香木によってもだいぶ変わりますし、スパイスを一緒に調合するとより一層、覚醒作用が顕著になりますね。香道をやっていても、慣れてくるととてもリラックスするので、眠くなったり疲れが取れたりしますし、白檀なんかは鎮静効果があると言われています。一方で、煙が立っていると覚醒する感じもある。僕は経験したことがないのですが、香木の香りに酔ってしまい、クラクラしてしまう人もいるようです。嫌な感覚ではなく、美しさや雅さを味わえると聞きます」

 そうしたお香の両義的な作用をよく表しているのが、インタビュー場所の和室にも掛け軸として掛けられていた、「香十徳」だ。かの一休宗純が伝えたと言われ、「お香のもたらすいいこと」が10項目まとめられた漢詩である。これを見ると、「塵裡偸閑(じんりゆかん)」(忙しい時にくつろぎを与えてくれる)のような鎮静系の項目も、「感格鬼神(かんかくきじん)」(感覚が鬼神のように研ぎ澄まされ集中できる)のような覚醒系の項目も、両方記載されている。さらに「能覚睡眠(のうかくすいみん)」のように、漢詩の解釈として、鎮静系の「よく眠れる」という意味なのか、覚醒系の「よく眠りを覚ます」という意味なのか揺れている項目もあり、一層興味深い。

▲麻布十番駅を出てすぐの場所にある、香雅堂。取材に訪れたのは、2月頭の平日午前、真冬の張り詰めた空気の中でだった。

実は「お香そのもの、めっちゃ好き」ではない

 覚醒作用と鎮静作用を併せ持ち、日常と非日常のあいだを行き来させてくれる、和の香り。山田さんはその魅力を、さまざまな他業界とのコラボレーションや、サブスクリプションサービスなどを通じて、お香にこれまで馴染みのなかった都市部の現役世代にまで届けようとしている。どうすれば多忙な若い人にもお香を楽しんでもらえるのか、試行錯誤を重ねる日々だという。

「サブスクリプションサービス『OKO LIFE』の会員の方々に答えていただいたアンケートの結果を見ると、気分の切り替えのために使っていただいている人が多いようです。コロナ禍になってリモートワークやお家にいる時間が増え、仕事とプライベートの境目がよくわからなくなる。そんな中でコーヒーなどいろいろな気分転換を試した中で、お香がとてもしっくりきたと。ただ、その気分転換の中身がどんなものなのかは、今探っているところです。朝昼夜それぞれで意味合いが違うと思いますし、先程お話ししたような神聖さを求めているときもあれば、そうでないときもあると思うんです。そもそも、本当に疲れていたり忙しかったりすると、いくら手軽にパッケージングしているとはいえ、『お皿に乗せて、火を付けて、片付ける』というプロセスを経る余裕すらない。そうした人にどうやって癒やしや気分転換を提供できるのかは、今後の課題ですね」

 和の香りの魅力やその探求の軌跡について、ふんだんに語ってくれる山田さん。約200年続くお香一家に生まれ育ったという経歴もあわせると、彼に対して、“お香一筋”の人だというイメージを抱くのは自然だろう。しかし、意外にそうでもないらしい。誤解を恐れずに言えば、山田さんの中に明確な「やりたいこと」があるわけではないのだという。

「他業界・他業種の人とのコラボは、100%、向こうからお声がけいただいて始まります。僕はそっちのほうが断然得意で、『どんな人が』『どんな理由で』『どのくらいの量を求めている』という制限があるほうが頭が働きやすく、結果的にいいものが作れる。逆に、『●●万円予算があるので、とにかく好きな香りを作ってください!』と言われたら、困ってしまうでしょうね。お香の好き度合いって、人によっていろいろあると思います。めっちゃ好きな人もいれば、『そこまで興味ない』という人もいる。僕はもともと、その度合いは平均かむしろちょっと下で、そこまで興味がなかったんですよ。『絶対にこんな香りが作りたいんだ』と感情が溢れ、やりたいことが先行しているアーティスト気質ではなく、むしろ一歩引いて見ている。でも、『お香そのもの、めっちゃ好き』ではないからこそ、どんな人とでも、とにかく面白そうだったら先入観なく付き合ってみることができるのだと思います。僕が『一生ずっとお香一筋』だったら、『お酒や化粧品とのコラボなんて、香りに対して失礼だ』という考えになっているかもしれません」

 意外な返答ではあったが、「お香そのものに強いこだわりがないからこそ、掛け合わせを探求できる」というロジックにはたしかに納得感がある。一体、彼は「お香大好き」ではないにもかかわらず、どういった経緯で現在のような精力的な活動に至ったのだろうか?

「近いけど、遠い」存在だったお香

 山田さんが香雅堂の仕事を本格的に手伝うようになったのは、25歳の時。大学生の頃、興味本位でアルバイトとして少し手伝ったことはあるものの、社会人になって仕事として携わるつもりは「その瞬間までなかった」。幼少期に香道を習ったこともなく、お香はすぐ側にありながらも、まったくもって近しい存在ではなかったという。

「私には兄もいるのですが、兄も私も、父母に『香りを聞け』『香木の見方を覚えておけ』『香道のお稽古をしろ』とは、一回も言われた記憶がなくて。この店舗の上の階が実家なので、お香は物理的には近いものではあったのですが、意識としては本当に遠いものでした。家で父が香木を整理していたときの香りなどが記憶に染み付いているので、反抗期のときの複雑な感情を含め、『お香イコール父』という印象はあったかもしれませんが。ただ、職業や生き方として意識したことは、まったくありませんでしたね」

 そうして山田さんは、慶應義塾大学経済学部を卒業した後、お香とはまったく関係のないIT系企業に就職。働く中で教育領域への関心が強まり、会社自体は1年半で退職した。次の動き方を決めるまで、しばしモラトリアム状況に置かれることになったが、「そういえば、うちの店、このご時世なのにまだ伝票が手書きだったよな」と思い出したという。そうして、当面のつなぎとして、香雅堂を手伝い始めた。すると、結婚や東日本大震災など公私ともに目まぐるしい変化が起こる中で、気づけばフルタイムで働くようになっていたという。ファミリービジネスや家業といったキーワードから縁遠い筆者としては、「家業を継ぐ」というのは一大決心を伴うものだと想像していたので、山田さんの肩の力の抜け具合が、意外に思えた。

「『人生をお香に捧げるぞ!』と覚悟を決めたような瞬間も、多分なくて。性格的なところが大きいと思うのですが、これからもずっとない気がします。もちろん、今はお香も好きなことの一つではあります。知識や経験が少しずつ増えていく中で、その楽しさもどんどんわかってきましたし、知的好奇心も刺激されている。本能的に感じる、香りの良さにも純粋に惹かれますしね。ですから、これからもお香とは長く付き合っていきたいと思っています。ただ、あるタイミングで気合を入れて、『すべてを懸けるぞ!』みたいな気持ちにはなっていなくて。両親も未だにお店や香道に関わり続けていますし、細く長く、ゆるーく好きなことを続けていきたいんです。教育領域への興味も、今も変わらず続いているので、何か香雅堂の事業の中で位置付けができないかと考えていますしね」

30年で約10倍の価格に。立ちはだかる「香木バブル」

 最初は「つなぎ」として、山田さんが香雅堂を手伝い始めたのが2011年。それから10年以上が経った。さまざまな壁を乗り越えてきたであろうことは想像に難くないが、その中でも特に大きかった出来事が、ここ10年ほどで一気に加速した「香木バブル」だという。
 先に少し触れたように、お香の香りの源泉である香木に関しては、その生成プロセスから原産地に至るまで、未だ不明瞭な点が多い。近年では国外から新たに仕入れる機会もほぼなく、香雅堂も約30年前に香港で行われた競りで仕入れたのを最後に、計画的に香木を仕入れることはできなくなった(ちなみに香港は「香りの港」と書くことにも表れているように、かつて香木の集積地として栄えていた)。現在は国内の既存品が高価に取引されるのが主で、種類や品質によっても上下するが、上質なものであれば、たった数十グラムで車一台分の高値がつくことも珍しくないそうだ。 その香木の価格は、2010年代以降、急速に高騰したのだという。「特に急上昇したのは2010年代以降ですが、もっと前まで時間軸を広げれば、約30年で10倍ほどになりました」と山田さん。この30年間で、1gあたり約5,000円だった上質な香木が、1gあたり50,000~100,000円ほどに跳ね上がってしまったという。その要因が、中国需要の高まりだ。個人の奢侈品、政治的な贈答品、またボラティリティの少ない金融資産として、大量の香木を中国から一気に購入されるケースが増えたというのが、山田さんの見立てだ。なおかつ、日本のように少しずつ焚くのではなく、数珠などの装身具や彫刻品に加工するケースが目立ったため、より一層消費速度は上がっているそう。「香木のサステナビリティの輪は完全に崩壊」してしまい、もともと香木を必需品として使用してきた香道・寺院関係の人々は苦境を強いられることになった。収益という観点だけで見れば、上質な香木をたくさん取り揃えていた香雅堂にとって千載一遇のビジネスチャンスだったが、日本の伝統的なお香・香道文化を維持することへの責任感もあり、山田さんは深く頭を悩ませたという。

「今までは、香木と香道具さえ売っていれば、香雅堂のビジネスは成り立っていました。しかし、文化を維持するという観点で、香木が無邪気に売っていいものではなくなってしまった。バブル状況の中で、香木をどれだけ残し、どれだけ売るべきなのか。その問題に、ずっと頭を悩ませてきました。正直に言えば、今でも答えを見出せているわけではありません。しかし、今までのように好きな時期に香木を仕入れて好きなだけ売る形が成り立たないことは確かなので、事業モデルをアップデートしながら、新しい価値を出していく必要に迫られています」

▲香雅堂の店内。香道具や香木、お線香や和の香りの雑貨などが販売されている。

 こうした香木バブルを背景に、山田さんは、これまでの慣習の枠を超えた新しい取り組みに乗り出すことを、構造的に強いられていた。ここまで紹介してきたような山田さんの〈横断〉的なアクションの数々は、そうせざるを得なかった事情もあったのだ。そうして新たな取り組みに乗り出す際、山田さんが意識していたのが、外部のプレイヤーの力を借り、ファミリービジネスの枠を超えていくことだ。

「業界内では珍しいのですが、もともと僕らはお香を作るときも分業を意識し、ディレクションに徹してきました。“秘伝の調合”のようなものはないんです。僕らの強みはあくまでも、上質な香木と香道具。餅は餅屋ですから、調香師、お線香職人さんなどそれぞれの専門家に、力を最大限発揮してもらってお香を作ってきました。それと同じでここ数年は、新しい取り組みを始めるとき、外部の人たちの力を十二分に活用することを強く意識するようになりました。僕たちはお香については専門家ですが、それ以外については素人。デザイナーさん、イラストレーターさん、ディレクターさん、編集者さん……さまざまな外部の専門家の力を借りながら、コラボレーション商品やサブスクリプションサービス、メディアなどを形にしていきました。それまでは、伝統的に蓄えてきた知識やモノを売る家業ゆえに、今までのラインを踏襲することが基本でした。ただ、『このままでは新しい価値は出せない』と頭打ち感もあったんです。積極的に外部の人たちの力を頼るようになったのは、大きな転機だったと思います」

「お香の交差点」をめざして

 お香バブルという構造的な苦境を、長い伝統を持つお香業界の慣習にとらわれず、〈横断〉的な活動を重ねることで乗り越えようとしている山田さん。最後に、そうした動きができている要因を聞いた。一つは、ここまで繰り返し触れてきたように、山田さん自身がお香にどっぷり浸かりきっておらず、適度な距離感を保ってきた点を挙げてくれたが、もう一つ、「土地柄」という意外な観点からの答えも返ってきた。

「お香の文化って、お茶をはじめとした多くの伝統芸能と同じように、基本的に本場は京都なんですよ。京都にはいろいろなお香のお店がありますが、『文化を守ること』と『刷新していくこと』のバランスでいえば、前者の比重が高くなることが多い。だからこそ伝統文化が守られている面もあるので、それは別にネガティブなことではないと思います。ただ、やはり新しいことをしづらい空気感もある。一方、僕らは東京にいる分、とても動きやすい。京都で先々代まで7代積み重ねてきた知見を活かしつつも、新しいものをハイブリッドに組み合わせていくことは強く意識していますね。フットワークを軽くするために、あえてお線香や香りの組合にも入らないようにしていますしね。伝統にはリスペクトを払いながら、その一方で、ドライに、フェアに、オープンに動いていく。東京という土地柄は、そうした動きが取りやすいと思います」

 土地柄を意識していることもあってか、ここ数年は地元・麻布十番へのかかわり方についても改めて考えているという山田さん。「これまで2代にわたって麻布十番でお店をやらせてもらってきた以上、ただモノを売るだけではなく、『地域の中で生きていく』という意識で動いたほうがいいのではないか」。そうした想いにたまたま舞い込んだ縁が重なり、経済的困難を持つ子育て家庭の支援、地域の子育てに関わる居場所に取り組む「みなと子ども食堂」でのお香配りを試験的にスタートさせた。
 今後は、そうした地域とのかかわりも増やしつつ、より一層、伝統的な価値と新たな価値のハイブリッドに取り組んでいく。その取り組みを重ねていくにあたって、山田さんが掲げるコンセプトは、まさしく〈横断者〉たることを志すものだった。

「『OKO LIFE』や『OKO PEOPLE』をまとめて、僕たちは『OKO CROSSING(お香の交差点)』と捉えているんです。伝統もしっかり守りながら、いろいろな文化とクロスさせる。業界全体が置かれている状況、麻布十番という土地柄、人と気軽に触れ合うのが好きな、共同経営している妻や僕の性格……それらに鑑みても、新しい“交差点”を生み出して横断しまくることが、香雅堂の果たすべき役割なのではないかと思っています。僕たちのほうから新しいものを作ろうとは思っていません。あくまでも、交わる場所であればいい。先程、昔と比べるとお香の良さがわかってきたとお話ししましたが、たぶん僕のお香そのものへの好き度合いって、根っこではそんなに変わっていないと思います。でも、新しい人たちと関わることで、今まで当たり前だと思っていたことを見直せるのはとても刺激的です。例えば、AIとお香みたいなテーマの取り組みになったら、香りを聞くこと、香りを楽しむことについて、必然的に見直さざるを得なくなって、それがとても楽しい。僕らのアイデンティティである超高品質な香木を交差点として、いろいろな人たちがそれぞれの得意分野で空いている隙間を埋めていけば、みんながハッピーになれるはず。そうした僕たちだからこそできる役割については、使命感に近いものを感じていますね」

 今回の取材でとにかく印象的だったのは、山田さんが繰り返し「お香がものすごく好きなわけではない」と述べていたことだ。連載「横断者たち」も8回目に差し掛かったが、多くのインタビュイーたちが「●●そのものへの愛はそこまでない、むしろ距離感がある」と語っている。特定の業界や領域そのものへのこだわりは持たず、距離感を保ちながら、別のポイントにモチベーションを持つこと──それこそが〈横断〉の一つの条件なのかもしれない。「お香がそこまで好きなわけではない」と語りつつも、その掛け合わせや可能性について問うと「面白い!」と目を輝かせながら、その場で一つひとつ丁寧に思いを巡らせ、言葉を紡ぐ山田さんの話を聞きながら、そんなことを考えていた。

[了]

この記事は、PLANETSのメルマガで2022年3月14日、22日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。あらためて、2022年4月28日に公開しました。photo by 高橋団

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