国際コンサルタントの佐藤翔さんによる連載「インフォーマルマーケットから見る世界──七つの海をこえる非正規市場たち」。
今回はウクライナ最大の非正規市場「7kmマーケット」をレポートしていきます。事実上政府公認となっているこのマーケットの実態や成立経緯、そして紛争多発地域での多民族の融和と生活防衛を担う役目を紹介します。
端的に言うとね。
インフォーマルマーケットの豪快なマーケティング
読者の皆さんは、ヤミ市というと、表通りから一歩奥に入ったところにある、横丁のような存在を思い浮かべるのではないでしょうか。戦後直後の日本においてもGHQ本部に近い、東京駅付近のヤミ商人は瞬く間に追放されたようですし、警察庁・警視庁のある桜田門にヤミ市ができるということもありえませんでした。しかし、現代の新興国のインフォーマルマーケットにはそのような奥ゆかしさ、慎ましさは一切ありません。現代のインフォーマルマーケットの住人は生きるために手段を選ばず、自らの存在を積極的に露出し、生き残りを図っています。その典型と言えるのが、ウクライナ最大のインフォーマルマーケットである、7kmマーケットです。
7kmマーケット(現地ではСедьмой Километр)は前回のドルドイ・バザールと同様、アメリカ通商代表部の「悪質市場リスト」に毎年のように掲載されているマーケットです。「中国やその他のアジア諸国から輸入される大量の偽物を扱って」いるのにも関わらず、「2020年には政府当局はまったく取り締まりを行っていない」という、欧米グローバル企業からすれば不倶戴天の敵と言える市場です。ところが、私がオデッサへ7kmマーケットを現地のゲーム開発者に連れられて見に行った際、オデッサ空港から車で都市の中心に向かおうとすると、ガードレールに堂々と「7kmマーケットはこちら!」という矢印付きの看板が立てられていました。彼らは日本の「闇」のイメージとはまるで異なり、自らを隠そうとする気なぞまったくないことがわかります。
もっとわかりやすい例を提示しましょう。Google Earthを起動してください。そしてウクライナの南西部、オデッサ市の空港の近くへ移動してみましょう。空港から北のあたりに、やたらとコンテナが集まっている場所があります。この地域でも目立つ白っぽい部分を拡大すると、下記のような画像が出てきます。これは、白いコンテナの集まりをキャンパスとして、青いコンテナで「7km」という文字を書いているのです! 衛星写真を見ているみなさん、ここにでっかいインフォーマルマーケットがありますよ! 合法っぽいものも合法っぽくないものも何でもありますよ! 是非お越しください!! という呆れるほど商魂たくましいアピールをしているわけですね。
7kmマーケットはドルドイと同様、こんなインフォーマルマーケットであるのにも関わらず、きちんと公式サイトがあり、Facebook、Instagram、Twitter、YouTube、Telegramで随時セールなどの宣伝をしています。ついでに市の賑わいぶりを伝えるために、ウェブカメラも設置されています。昼になると人々がコロナ禍を物ともせず行き交い、夜になると怪しげな人たち(笑)が集まって何やら話をしているのを見ることができたりします。
もう一つ、こちらから7kmマーケットの公式のパノラマ写真を鑑賞できます。コンテナに囲まれて商売をしているところを歩く際の、あの何とも言えない気分が味わえるので、こうした市場に関心のある方にはおススメです。こういう多彩な工夫をして市場に興味を持ってもらおう、という努力が伝わってきますね。
悪質市場のボスは「優良納税者」
7kmマーケットは75ヘクタールもの広さを持つオデッサ郊外の巨大なマーケットです。このマーケットが開業したのは1989年12月のことです。当時のソビエト連邦では物資が不足し、オデッサの街角にはさまざまな商品を扱う商人が多数出没しました。オデッサは世界各地からソ連邦に集まるあらゆる物資を積み下ろしする最重要の拠点だったので、闇流通においても重要なハブとなっていたのです。オデッサの政府当局はこれらの露天商に対し、オデッサの都市中心部から7km以内で商売してはならない、という命令を下しました。そのため、オデッサの露天商は身を寄せ合い、オデッサからちょうど7km離れたこの地にマーケットを開業したのです。
はじめは仕事を失った元水夫や元工員が、泥の上に新聞紙を敷き、海外から流れてきた物資を手に入れて商売するという原始的な露店の集まりだったようです。そのうちコンテナを使って商売を始めるようになり、それが拡張に拡張を重ね、今や欧州最大と言える規模のマーケットにまでなりました。現在、ここには60,000人ほどの人々が働いているとされており、店舗数は15,000ほどあります。
訪問客は毎日20万人以上に達し、オデッサ市内を走るバスのうち、10路線ほどが7kmマーケットを通ります。ウクライナ国内だけではなく、モルドバ、ルーマニアなど、数百km近く離れた海外からも安価なバスツアーが実施され、客を集めています。下手なショッピングモールよりも、よほど集客の仕組みを徹底しているのです。もちろん普通の客というよりも、他国のインフォーマルマーケットのトレーダーが多く、彼らは7kmマーケットで商品を仕入れ、自分の住んでいる都市で買った商品を売りさばいているというわけです。
前回取り上げたドルドイと同様、7kmも現地の人には「国の中にある国」と呼ばれ、国家権力の手の届かない空間で、独自のビジネスモデル、というよりは自治が行われています。7kmで商売をしたい人は、コンテナのオーナーから200,000ドル程度でコンテナを不動産のような扱いで購入します。多くの場合、こうしたコンテナを買った商人は売り子を雇い、商品をさばかせます。商品の売上の3%が売り子に渡され、原価や流通コスト、諸経費を差し引いた残りの収益が商人のものとなるわけです。一方で、コンテナをオーナーから賃貸して、自分の責任で物を売り買いしているトレーダーもいるようです。コンテナのオーナーは7kmマーケット全体の顔役に警備料などの名目で手数料を支払っている、という構造です。
当然、こうした取引には政府の許認可や消費税・所得税・固定資産税のような税金、社会保険料などは一切絡んできません。個々の商人が政府に納税などをしない代わりに、7kmマーケットのボスは、政府当局・自治体に毎年、約1,000万ドルのお金を「税金」として支払っている、と言われています。さらに、政治家との関係も密接です。かつてこの7kmマーケットにオデッサ市による立ち退きの圧力がかかった際、ウクライナの元大統領、ヴィクトル・ユシチェンコが7kmマーケットを視察しオーナーに面会しました。現地のメディアによれば、彼は多いときは2ヶ月に1回ここに訪れ、2,000万ドルのポケットマネーを受け取っていた、と言われています。このように、非正規の「税金」を納めたり政治家を手厚く接待したりすることによって、当局との関係を良好に保っているわけです。
ちなみに2012年に、7kmマーケットは「優良納税者賞(Добросовестные налогоплательщики:直訳すれば「良心的な納税者」)」を授与されています。天下に名高い「悪質市場」が優良納税者とは、冗談のような話ですね。
キャッシュキオスクから見えるウクライナのゲーム事情
この市場で偽物や海賊版を見つけることはとても容易です。玩具や日用品などは多くの場合、中国浙江省の義烏から流れてきています。実際に調べると、中国の義烏とウクライナのオデッサの双方に支店を持つ怪しげな貿易会社がネット上で色々見つかります。一方、メディア関連製品はブランクCD・DVDなどを輸入し、現地で直接データを書き込んでいるようです。私も7kmマーケットに入って10分ほどで、海賊版ゲームが売られている店をいくつか見つけることができました。私が一通り見たかぎりでは、この街では家庭用ゲームよりもPCゲーム向けの海賊版商品が多数売られていました。
ところで、スマートフォンでオンラインゲームを遊ぶのが当たり前の時代に、なぜ今さら、これほどの海賊版ゲームがこの地域で流通しているのでしょうか?
たしかに、ウクライナのような旧ソ連構成国でオンラインゲームが大変な人気なことは確かです。しかし、この地域ではスマートフォンゲームをプレイしてお金を使うためのインフラ、特に決済インフラに大きな問題があるのです。新興国のクレジットカード普及率はどこも低く、ウクライナもその例外ではありません。一方、通信キャリア決済もGoogle Playに完全に対応しているわけではありません。この地域でオンラインゲームにお金を使うための重要なインフラとなっているのが下図にあるような「キャッシュキオスク」です。
このキャッシュキオスクは引き出しのできないATMのようなもので、この7kmを含め、ウクライナのあちこちで見かけます。ただ、基本的にはPCオンラインゲームのためのもので、スマートフォンゲームの決済ツールとしてはあまり機能していないようです。皆さんも、家でモバイルゲームを遊んでいるときに課金をしたくなったとして、寒い中お金を握りしめていちいち外に出たいでしょうか? よほどのコアなファンでもないかぎり、そんなことはしないと思います。
ほかにもいくつか理由がありますが、こうしたゲームにお金を使うためのインフラや導線の不足のため、旧ソ連諸国のゲームユーザーはスマートフォンゲームのダウンロード数こそ多いものの、お金を使うユーザーの比率が少なく、市場規模も伸び悩んでいるのが現状なのです。そしてこうした中で、家庭用ゲーム機やPCの海賊版ゲームがまだまだ生き残っているというわけです。7kmにあるようなゲーム販売店に買いに来るお客さんはエンドユーザーだけとは限りません。ウクライナやロシアのような国では、ゲームカフェが多数存在し、そうしたゲームカフェが買いに来ているパターンもあるようです。
物流戦争がコンテナマーケットを生んだ
ウクライナや前回のキルギスのような旧ソ連邦構成国のインフォーマルマーケットは、コンテナを使用していることが多いのが大きな特徴となっています。ロシアではすでに取り締まられてしまいましたが、モスクワにかつてあった最大のインフォーマルマーケット、チェルキゾフスキー市場もコンテナを多数使用したマーケットでした。一方、旧ソ連を離れるとこのようにコンテナが主体のマーケットというのはほとんど見かけません。
東南アジアやインド、アラブ諸国のような国々はもとより、ポーランド最大のインフォーマルマーケットとして知られていた新国立競技場(撤去済み)や、チェコのエクスカリバー・シティ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナのアリゾナ・マーケットなどはコンテナを使ったマーケットではありません。非CIS諸国のコンテナマーケットと言えば、ハンガリーの中華マーケットとして知られた四虎市場など数えるほどしかありません。
なぜ、このように旧ソ連地域にコンテナを使ったマーケットが集中的に広がっているのでしょうか? このような状況を形作った大きな理由が、GOST規格コンテナの存在です。1968年にISOによって規格が定義され、規格に基づいたコンテナ船が初就航しました。世界規模でコンテナの規格統一が進んだ結果、輸送コストの削減と物流の劇的な効率化をもたらしたことはよく知られています。日本を含む西側社会では、これを「コンテナ革命」と呼んでいます。しかし、この国際規格のコンテナとは違うサイズのコンテナが大量に流通していた地域があります。それはソビエト連邦です。
共産圏には、ソ連邦国家閣僚会議付属規格委員会が承認するGOST規格(GOSTはГосударственный стандарт「国家規格」の略)というものがありました。GOST規格はソ連邦で流通するあらゆる規格を定めている標準規格です。日本におけるJIS規格のようなものですが、軍用品・民生品を問わない点が異なっています。身近なものとしては、アイスクリームについても、独ソ戦前の1941年3月にGOST117-41という規格が導入され、厳密な品質基準が定められていたことが知られています(現在は別の規格へ移行)。なお、ソ連が独立国家共同体へ移行した後も、旧ソ連の国々ではこのGOST規格が引き続き使用されています。
コンテナにおいては、GOST18477-79という規格が存在し、3トン、5トン、20トンなどのコンテナについて様式が定められていました。20トンの場合の大きさは幅2,438mm, 高さ2,438mm, 奥行き6,058mm。これはISO20フィート海上コンテナ(幅2,438mm, 高さ2,591mm, 奥行き6,058mm)とは高さが異なるサイズの規格です。この規格に基づいて、ソ連とその周辺国では、西側諸国とは違うサイズのコンテナが使われていたのです。ソ連におけるこのコンテナの最大の需要家はシベリア鉄道であり、シベリア鉄道の子会社がコンテナの輸送などを担当していました。
社会主義体制終焉後、東側諸国に西側の物資が流れ込むようになりました。GOST規格のコンテナ、特に大型のものは需要が低下し、膨大な数のコンテナが東側諸国内に余る結果となったのです。このコンテナが最後に行き着いた先が、旧ソ連邦のインフォーマルマーケットなのです。コンテナで作られたマーケットは頑丈で品質が安定し、風雪に強いです。その上、建設に時間や工数がかからず容易に拡張が可能だったため、拡大する需要を取り込んで規模をどんどん大きくしていくのには、コンテナは絶好のツールだったのです。
コンテナの実際の使用年数は15年~40年程度とされています。CIS諸国にインフォーマルマーケットが登場したのが資本主義体制移行後の1991年以降とすると、30年近くの年月が経っていますので、すでに各マーケットでコンテナの更新が進んでいるはずです。実際、私が7kmマーケットで見たコンテナも、GOST規格ではなくISO規格のコンテナと思われるものがありました。
ただ、インフォーマルマーケットのシンボルともなったコンテナを今後、コンテナ以外のものに代替していくことは考えにくいと思われます。ともかく、西側諸国と東側諸国の物流競争に敗れ去った規格のコンテナを使って、このようなインフォーマルマーケットが成立していることは、興味深い事実です。
7kmマーケットがもたらす多民族融和
7kmマーケットで働く商人はウクライナ人が多いですが、その他にもさまざまな人種がここで商売をしています。全体から見ると、トルコやギリシアのような黒海近隣の国々、ジョージアのようなソ連邦構成国や、ベトナム人のようにソ連が援助を行っていた親ソ国家の人々が中心となっていますが、それ以外にもたとえば中国人、ジプシー、アフリカ系の人々などが活動しています。アフリカ系の人々の出自はさまざまで、コンゴやナイジェリア、ソマリアなど多岐にわたります。これらの多種多彩な民族は7kmでそれぞれ街区を形成しており、たとえばこの地区はトルコ人が多いストリート、別の地域はベトナム人が多いストリート、というふうに民族のモザイクを形成しています。
興味深いのは、商品の共同仕入れ・共同販売が民族単位で行われていることです。“Informal Market Worlds”によると、ブルガリア人は清掃用品や化粧品に強い。アフリカ系の人々はトレーナーを販売し、アフガニスタン人は履物や家電製品を売っている。さらにベトナム人は為替業や決済サービスを営業しているとのことです。こうした得意分野は時代とともに変化があり、例を挙げると、トルコ人は1990年代、7kmにおけるトルコ製の革製品販売で最も重要な役割を果たしていましたが、現在は革製品を販売しているのは現地のウクライナ人が多く、その代わりトルコ人は90年代に稼いだお金を元手にオデッサ市でトルコ料理屋を経営するようになっている、というケースがあるようです。
重要なのは、ウクライナの他の場所では生きていくことができない人々が7kmマーケットでは受け入れられており、外から来た「よそもの」もコンテナ使用料さえ払えば自由にビジネスができるということです。ウクライナでは、非スラブ系の外国人、特にアジア系やアフリカ系の人々はさまざまな差別を受けており、人種差別に端を発する暴力事件、さらには殺人事件が起こることさえもあります。しかし、いったん7kmマーケットに入れば、こうした差別を受けることなく、誰もが対等の商人として迎え入れられるのです。7kmの中では、ウクライナ人がアフガン人やカフカス人の友人を持ったり、アフガン人がアフリカ系の人々とパートナーになったりすることが普通に起こります。インフォーマルマーケットの持つ商売の論理が、ローカルの根強い差別意識を乗り越えるための重要な要因となっているわけです。
カフカス三国に広がるインフォーマルマーケットと戦争
インフォーマルマーケットは平和な国々において、雇用を創出する一方で、7kmのように民族の融和をもたらす機能を持っていることもあります。その一方で、戦争の絶えない国々において窮乏する物資を補うという、インフォーマルマーケットが戦時下の人々の生活防衛に果たす役割も忘れてはなりません。その重要な事例と言えるのが、黒海の東岸に位置する、最近紛争の絶えないカフカス三国です。特に、アルメニアとアゼルバイジャンはナゴルノ・カラバフ地域の所属をめぐって衝突を繰り返しています。両国の関係は非常に悪く、国境はたびたび閉鎖されてきました。2020年の戦争後でも、両国の国境付近で相手の国の人間に商品を売ったとなると、すぐに村八分にされてしまうような状況でした。
しかし、実はそんな険悪な関係にある両国でも、きちんと取引をする場が成立しているのです。1990年前後に勃発したナゴルノ=カラバフ戦争の後には、アルメニア北部の国境に近いジョージア(グルジア)の村、サダフロで大きなインフォーマルマーケットが成立していました。このマーケットはジョージアの中にあるにもかかわらず、ジョージア人のためのものではなく、アゼルバイジャン人やアルメニア人が訪れて、アゼルバイジャンの石油やアルメニアの農産物などの取引をするための場所として機能していたのです。
このサダフロ市場は数年で閉鎖されましたが、こうしたアルメニアとアゼルバイジャンの間のインフォーマルなつながりは国境が閉鎖されても続いていたようです。今回の戦争の後も、ジョージアのルスタヴィというところで、アゼルバイジャン人とアルメニア人がひそかに商取引を行っていたことを、カーネギー・ヨーロッパのシニア・フェロー、Thomas de Waal氏が報告しています。ジョージアにはアルメニア系・アゼルバイジャン系がそれぞれ数%ずつ存在するため、ジョージアを通せばこうした取引はいかにアルメニア政府・アゼルバイジャン政府が目を光らせようとも、いくらでも成立するのです。
ソビエト連邦時代、共産圏ではコメコンが形成され、国際分業体制が徹底されていました。たとえば乗用車の製造はソ連や東ドイツ、チェコ、ポーランドなどに限られ、ハンガリーではバスやダンプカー、ブルガリアではフォークリフトしか生産できませんでした。コンピューターについては、ベラルーシ等がメインフレームを製造する一方で、ブルガリアは周辺機器を担当していましたが、このコンピューター周辺機器の定義がIT技術の発達とともに飛躍的に広がっていきました。そのため、共産圏の小さな国としては意外なまでにコンピューター技術者が育ち、市場経済移行後も投資判断の失敗など紆余曲折あったものの、今でもITアウトソーシングが国の重要な産業になっており、セガを含め、海外のさまざまなIT・ゲーム会社が進出しています。アルメニアはICBM(大陸間弾道弾)の最終誘導装置を作っていた、というのが同国におけるIT産業誘致の決まり文句の一つになっています。各分野の優れたエンジニア等を養成するため、各国が設立した高等教育機関とその教員は今も残っているため、資本主義体制になった今も、各国の産業が得意とする分野はこのような分業体制の遺産を強く受け継いでいると言ってよいと思います。
コメコンはこのような地域分業体制を徹底することで、小国にも経済発展に必要な物資を提供し、共産圏内でバランスの取れた発展を意図するとともに、一国であらゆるものを自給できないようにすることで、ソ連離れ、共産圏離れを起こさないようにすることも狙っていました。長らくこうした体制下にあった国々は、資本主義経済に移行した後も、産業構造や流通構造をまるごと変えるわけにもいかず、他の旧ソ連圏の国々と一定の分業的な経済関係を保たざるを得ませんでした。
こうした理由から、旧ソ連地域においては、アルメニアとアゼルバイジャンがそうであるように、資本主義体制移行後に対立関係が深まった国同士であっても、インフォーマルマーケットが公式の経済関係遮断を補う機能を果たしている、というわけです。
おわりに
さて次回は、旧ソ連のコンテナマーケット地帯から離れて、黒海からボスポラス海峡を通り、地中海へと移動します。この地域は南と北の間に著しい経済の不均衡が存在し、ヒト・モノ・カネの頻繁な移動が行われています。特にヒトの移動という点では、シリア難民がヨーロッパへ押し寄せた欧州難民危機で一躍注目を集めました。この地中海において、インフォーマルマーケットが誰を中心としてどのように機能しているのかを見るとともに、オンラインのインフォーマルマーケットで重要な役割を果たしているイスラエルについても取り上げていきます。
<参考文献>
Peter Mörtenböeck, Helge Mooshammer, Informal Market Worlds - Atlas. The Architecture of Economic
Pressure. Nai Uitgevers Pub, 2015.
Peter Mörtenböeck, Helge Mooshammer, Informal Market Worlds: Reader: The Architecture of Economic
Pressure. Nai Uitgevers Pub, 2015.
7kmマーケット、公式サイト
7kmマーケット、COVIDにおける入場制限
GOST 18477-79の資料
Seventh-Kilometer Market in Odessa, welcome to the jungle
Odessa’s 7km bazaar has its own language of globalisation
Fear And Loathing Vs. Trade Across The Armenian-Azerbaijani Border
On the Persistence of Bazaars in the newly Capitalist World: Reflections from Odessa
Azerbaijan border crossings
Georgia no longer a regional hub for re-exporting used cars
Racism and assaults: African students’ daily struggle in Ukraine
(続く)
この記事は、PLANETSのメルマガで2021年3月10日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。あらためて、2021年7月26日に公開しました。
これから更新する記事のお知らせをLINEで受け取りたい方はこちら。