冷戦構造崩壊後に膨れ上がったインフォーマルマーケット。旧東側諸国に冷戦後登場した数々のコンテナ・マーケットは、インフォーマルマーケットとグローバル経済の新興国における実態を理解するうえで格好の事例です。今回はその中でも規模・商流・商品などの観点から代表的と言える、中央アジアの小国、キルギスのドルドイ・バザールについて、佐藤が2018年に訪問したときに撮影した写真を都度掲載しつつ、考察していきたいと思います。

▲ドルドイ・バザール、入り口付近。(筆者撮影)

「鋼鉄のキャラバンサライ」ドルドイ・バザール

▲中国に隣接する中央アジアの小国、キルギス。(出典

 キルギスと聞いて、どのような国かピンとくる読者は少ないかもしれません。2015年にニューヨークタイムズの記者はキルギスをキルズベキスタン(Kyrzbekistan)と間違えた表記をして笑いものになりましたが、キルギスは残念ながら国際社会であまり知名度の高い国とは言えないのは事実です。アメリカ人や日本人が知らないのに限った話ではなく、私の米国大学院時代のキルギス人のクラスメートは、「中国はキルギスの隣国で影響力も大きいのに、中国人の留学生は誰もキルギスを知らない」と嘆いていました。もっとも、世界情勢に詳しい方の中には、イシククル湖の傍らに咲き誇るチューリップ畑などを思い浮かべる人もいるでしょうし、テレビや新聞のニュースから、チューリップ革命をはじめ、たびたび社会騒乱が起きていることを知っている人もいるでしょう。文学に詳しい方なら、ギリシアの「オデュッセイア」やインドの「リグ・ヴェーダ」よりもはるかに長大な、50万行という超大作としてギネス記録にも認定されている世界最長の叙事詩、「マナス」の存在を知っている人がいるかも知れません。

▲「マナス」のイメージ。東洋文庫で3冊の抄訳が出ています。(出典

 ただ、ビジネスのイメージ、つまり「彼らがどのようにして食べているのか?」というイメージをはっきり持っている人は、現地に住んでいた人でもないかぎりほとんどいないはずです。中央アジアの国々の中では、カザフスタンやトルクメニスタンは石油採掘が、ウズベキスタンは綿花栽培が主産業ですが、キルギスはカナダの企業が開発したクムトール金鉱山や水銀の採掘を除けば、石油もなく目立った産業はありません。とはいえキルギスは人口600万人近い国ですから、まさか全員が金と水銀の採掘だけで食べていけるわけもありません。一人当たりGDPが1,146ドルと日本の約40分の1に過ぎず、アジアでも最下位クラスの貧しい国において、一体人々はどこで何をして生きているのでしょうか?

 その答えとなるのが中央アジア最大とされるインフォーマルマーケット、「ドルドイ・バザール(Dordoi)」です。このバザールはキルギスの首都ビシュケクの北東部に位置します。“Informal Market Worlds”によると、総面積は250ヘクタール以上に達しており、日本の最大規模のショッピングモールである埼玉県越谷市のイオンレイクタウンの敷地面積(33.7ヘクタール)の7倍以上というとんでもない広さとなっています。世界銀行の2009年の調査によると、ドルドイ・バザールの年間売上は4,000億円前後と推定されていますが、キルギスの2009年のGDPが46.9億ドルであることを考慮に入れると、規格外の売上規模であることがうかがえます。

▲ドルドイ・バザールの内部。写真は玩具街。(筆者撮影)

 このコンテナだらけのマーケットの中に、3万から4万もの店舗が存在すると言われています。2020年11月のBBCロシア語版の記事によると、ドルドイ・バザールにおいて、15万人が職を得ているとされています。言い換えると、首都の人口の6分の1程度がこのインフォーマルマーケットで直接職を得ているという計算になります。運送業やインフラ関連など、このマーケットがあることで生まれる国内外の職業を足し合わせると、60万人以上にものぼるとされており、このバザールの雇用創出力ははかり知れません。

 ここには、衣料品、家具から玩具、メディア用品、文具、テレビやPCなどの家電製品に至るまで、あらゆるものが売られています。このドルドイ・バザールの中に入ると、両脇に二段積みのコンテナがずらっと並び、一段目が店舗で、二段目が倉庫、という仕組みになっています。商品がない場合、店主ははしごをかけて二階に商品を取りに行きます。コンテナには緑、青、灰色などと、扱っている商品によって違う色が塗られています。コンテナの中で客引きをする商人だけではなく、手押し車を引いた商人もコンテナ街の間をせわしなく走り回り、コンテナに商品を供給したり、街の人に食べ物を販売していたりします。このドルドイ・バザールにはビシュケク市民が買い出しに来るだけではなく、カザフスタンやウズベキスタンなど、近隣の国の商人も商品を買い付けにやってきます。卸街や小売街といった分別はなく、B2BとB2Cが混然一体となっています。

▲ドルドイ・バザール、食料品コーナー。厳冬下でパイナップルが売っている。(筆者撮影)

 このドルドイ・バザールの主要製品は衣料品です。帽子やコート、スポーツウェア、靴などあらゆる製品が販売されています。コンテナで衣料品を扱っている商人は女性が非常に多いです。ちなみに、世界銀行が発行している“Borderless Bazaars and Regional Integration in Central Asia”というレポートに掲載されている2008年の調査によると、ドルドイ・バザールを始めとする中央アジア各国のバザールで働いている商人の7~8割が女性となっています。家庭内で奥さんが商品販売を、夫が運び屋をやる、という分業が成り立っているわけですね。

 ここで売られている衣料品は中国からの輸入品が多いですが、最近は中国から輸入した布をキルギス国内で加工してドルドイ・バザールで販売する製造業も発達してきています。もっとも、製造業とは言っても、家庭内での零細な業者がほとんどのようです。

▲ドルドイ・バザール、衣料品街。大部分は中国製品だ。(筆者撮影)

 ドルドイ・バザールは約10のエリアで構成されており、それぞれのエリアに「ヨーロッパ」、「キタイ(中国)」といった名前が付けられています。エリアによって取り扱っている商品は大まかに異なりますが、必ずしもあるエリアが玩具街、あるエリアが電気街と決まっているわけではありません。たとえば、ほとんどのエリアで何かしらの衣料品が扱われています。エリアのオーナーはそれぞれ異なり、全体の計画、警備や広告、ロビー活動などのバザール全体に共通する事柄については、後述するドルドイ・アソシエーションが統括をしています。このようなかたちにすることで、緩やかな連合体形式の組織を作りつつも、エリア同士で競争をさせ活気を生み出しているのです。

▲ドルドイ・バザールの全体地図。コーナーごとに「ヨーロッパ」、「キタイ(中国)」などと名前が付けられている。(出典

 コンテナの賃料はエリアによって異なり、たとえばヨーロッパマーケットは月600~1,000ドル、キタイ・マーケットは月500〜800ドル、最も安いAZSマーケットでは月100〜150ドルとなっています。場所によってはコンテナの買い取りもできるようです。この価格に警備代などのサービス料金が上乗せされるかたちになっています。一応、国からの事業税はあるようですが、売上が不透明なため、しっかり納めている業者は少ないようです。

 現地の一人当たりGDPが1,000ドルをやや上回る程度でしかないキルギスでは、賃料を始めとするこれらの負担は相当なものですが、この高い賃料を補って余りあるほどの売上のチャンスがあるようです。実際、ドルドイ・バザールのコンテナ一つで商売をし、家族4、5人を養い、子どもを大学に通わせている、という家庭は多数存在します。中には莫大な売上を上げ、億万長者とはいかないまでも百万長者になり、コンテナを複数買い上げ、他の商人に貸して賃料だけで生活しているという人もいるとのことです。

▲ドルドイ・バザール、家庭小物街。(筆者撮影)

 キルギスだけではなく中央アジアの経済に欠かせないドルドイ・バザールですが、知財侵害品が多数取引されているのも事実です。ドルドイ・バザールはアメリカの通商代表部が発行する『悪質市場レポート』の常連です。2019年版のレポートには、今もなお膨大な数の知財侵害品が扱われており、まともな取り締まりが全く行われていないと書かれています。実際私も2018年に訪問した際に、ドルドイ・バザールのメディア系ショップ街で、違法コピー品のゲームなどが多数販売されているのを目にしました。

 このようにドルドイ・バザールで知財侵害品が多数扱われているということは紛れもない事実ですが、世界の最貧国の一つでもあるキルギスにおいて、このような巨大な商業施設が機能し、キルギスのみならず中央アジア全体の経済を支えているというのは驚くべきことと言えます。

▲ドルドイ・バザール、メディア街の一店舗。書籍、音楽メディア、ゲームの海賊版などが売られていた。(筆者撮影)

ドルドイ・バザールを支配するサリムベコフ家

 この巨大なインフォーマルマーケット、ドルドイ・バザールが作られたのは1991年12月7日のことです。1991年というのは、キルギスが独立(8月31日)し、ソビエト連邦が機能を停止(12月25日)した年です。社会主義経済の破綻が明確になってきた1990年前後より、ソ連からの物資が中央アジアに届かなくなったため、中国からの運び屋のもたらす製品が流れ込み、キルギスを含む中央アジアで無許可の露店が多数登場するようになりました。当初は家からテーブルを持ち出して店のカウンター代わりにしたり、車のトランクを開けてそこに商品を並べたり、といった原始的なやり方で商品を販売していました。ドルドイ・バザールはこれらの非正規な店舗を一か所にまとめる、という発想で成立したコンテナ・マーケットです。

 このドルドイ・バザールを創設したのは、アスカル・サリムベコフという人物です。現在、彼の一族はドルドイ・アソシエーション(Association Dordoi)というドルドイ・バザールの管理会社を設立しています。この会社の年間売上は数千億円にも達し、キルギス最大級の企業となっています。ドルドイ・アソシエーションはキルギス政府に毎年法人税を支払っており、キルギス政府の国庫の重要な支えとなっています。

▲ドルドイ・アソシエーションのホームページ(出典)。トップに出ているのが創業者のAskar Salymbekov氏。

 サリムベコフ家はインフォーマルマーケットの名前そのままに、「ドルドイ・ビシュケク」というサッカーチームも保有しています。このチームはキルギスのサッカーリーグでは常に優勝争いに絡むチームで、キルギス・カップでは最多優勝チームともなっているキルギス・サッカー界の強豪です。ほかにアイスホッケーやレスリング、バレーボール、コクボル(キルギスの伝統的な騎馬スポーツ)などのスポーツチームも保有しているとのことです。スポーツのほかにも、美術館を設置してキルギスの美術品を蒐集し、奨学金を創設してキルギスの大学生を支援しています。さらに2019年にはサリムベコフ大学を創設し、医学部の学生を集めています。

▲ドルドイ・ビシュケクのFacebookページ(出典)より。

 キルギスのインフォーマルマーケットの支配者であるサリムベコフ家は、家具製造、建設業、化学工業や広告宣伝業、医療、ホテル・リゾート地・シネマコンプレックスの運営など、様々なフォーマルなビジネスにも手を出しています。さらには、「ドルドイ・プラザ」をはじめ、多数のショッピングモールも経営しています。インフォーマルマーケットのオーナーがショッピングモールというフォーマルマーケットの代表的な業態に手を出すというのは興味深い事実です。

▲ドルドイ・アソシエーションのショッピングモール。(出典

 これだけの数の正規ビジネスを持っているのですから、将来的にはインフォーマルマーケット部門よりもフォーマルマーケット部門のほうに注力して、正規化していけばいいのではないか、と私たちは考えたくなります。しかし、2011年のForbesのアスカル・サリムベコフ氏へのインタビューにおいて、ドルドイ・アソシエーションの売上の7割はドルドイ・バザールから上がっていると彼は述べています。実際行ってみた感触でも、キルギスにある近代的なショッピングモールは、ドルドイ・バザールの活気には到底敵わないように感じられました。やはりキルギスにおいてはインフォーマルマーケットが主で、フォーマルマーケットは従に過ぎないのです。

政府の権力が通じない世界

 こうしたバザールは他の隣国、カザフスタンやタジキスタンといった中央アジアのその他の国々にも存在します。下図表は世界銀行のデータをもとに筆者が年商を円単位で算出したものです。主に中国から流入した商品は、ドルドイやバラホルカのような国際級バザールが国際取引の中心となり、地域級のバザール、都市級のバザールへと商品が流入し、中央アジアの各都市の人々の需要を満たしている、という構造になっているのです。こうして見ると、中央アジアにおいてバザールが今も経済において重要な役割を果たしていること、その中でもキルギスのドルドイが飛びぬけて大きいことが理解いただけると思います。

▲世界銀行、“Bazaars and Trade Integration in CAREC Countries”より筆者作成。推定年商は世界銀行の推定月商に12をかけた値。1ドル=105円で計算。
▲“Bazaars and Trade Integration in CAREC Countries”より、ドルドイを中心に流れる中央アジア商品流通の構造。

 これらの中で、ドルドイがずば抜けて大きな市場となったのは、他国の政策によるところが大きいです。たとえばウズベキスタンの首都タシュケントにあるヒッポドローム・マーケットは、ドルドイ・バザールに劣らず大きいインフォーマルマーケットとして知られていましたが、1998年より政府の管理下に置かれるようになりました。警察など役人の賄賂要求があまりにひどかったため、ウズベキスタンで活動していた商人が隣国のキルギスに移住してきました。

 中央アジアはどの国も役人の賄賂や不正な要求が絶えないことが知られています。岡奈津子さんの2019年の著書、『〈賄賂〉のある暮らし』には、ビジネスの許認可から病院の支払いや大学の単位に至るまで、賄賂がカザフスタン社会に浸透していることが記されています。カザフスタン以外の中央アジア諸国についても同じような状況です。しかし、キルギスのドルドイ・バザールについては、サリムベコフ家が自動小銃で武装したキルギス最大級の警備会社を保有していることもあって、国でもうかつには手が出せません。ドルドイ・バザールの商人に業界団体を結成させ、専門誌「ドルドイ・インフォ」を出して情報を共有し、ロビー活動を通じて政界にも大きな影響力を持っています。

▲ドルドイの治安を守る警備会社、ドルドイ・セキュリティ。自動小銃などで武装している。会社のホームページ(出典)より。

 キルギスは中央政府の力が弱く、またキルギスのビシュケクからは、カザフスタン最大の都市であるアルマトイと中央アジア最大の人口を誇るウズベキスタンの首都タシュケント、双方へのアクセスが容易ということもドルドイ・バザールに有利に働きました。その結果、ドルドイ・バザールは2000年代に入っても拡大を続けていき、キルギス単体ではなく、中央アジア全体の商業の中心地としての地位を獲得しました。つまり、中央アジアの隣国におけるインフォーマルマーケットへの過ぎた干渉が、隣国であるキルギスのインフォーマルマーケットを肥えさせる結果となったのです。今やドルドイは中央アジアの心臓であり、21世紀型シルクロードの中心としての立ち位置を獲得したと言っても過言ではないでしょう。

 2003年にキルギスの国会で、ニコライ・タナエフ首相のリーダーシップの下、バザールの商人にレジの設置を義務付ける法律が可決しそうになったことがありました。バザールの金の流れを明確にしようとするこの試みは現地商人の猛烈な抗議とストライキによって失敗に終わり、法律は葬り去られることとなりました。2005年のチューリップ革命の際、キルギスは大きな混乱に見舞われ、国中で大きな暴動や商店の略奪行為が頻発しましたが、ドルドイ・バザールは警備部隊を動員することで略奪を防ぎ、平常通り営業していたそうです。国会の議決にも革命による政権転覆にも影響されないドルドイ・バザールは、まさに超法規的な存在と言えるでしょう。

 ただし、この超法規的存在も、経済封鎖などの措置には弱いようです。2020年のBBCロシア語版の記事によると、コロナ禍により中国とキルギスの間の国境管理が厳しくなり、ドルドイ・バザールの商人は売上が低下し、生活に苦しんでいます。ドルドイ・バザールの運営者の法人税の支払い額が大幅に低下したため、国の財政基盤が揺らぎ、近年のキルギスの社会不安や政権交代などの遠因となっています。ただ、小売業者の多くはコンテナを手放さず、InstagramのようなSNSを活用したオンライン取引の拡大を通じて、新しい顧客の開拓を進めていくことを狙っているようです。

▲2020年11月、コロナ禍で通関が滞っていることに抗議するため、キルギス政府官庁に押し掛けるドルドイの商人たち。(出典

一帯一路政策が中央アジアの商流を変える

 20年以上もの間、中央アジア最大のインフォーマルマーケットとして他のインフォーマルマーケットを従える存在だったドルドイも、最近はその立ち位置が変わりつつあります。その大きな理由となっているのが、商流の上流に位置する中国の経済政策の変化です。

 習近平は2013年にカザフスタンのナザルバエフ大学で「一帯」政策を提唱しました。これは後の「一路」政策と合わせて、「一帯一路」政策と呼ばれる、中国の経済戦略の要になりました。「一帯」とは西安を起点として中央アジアを通りヨーロッパにつながる陸路、「一路」とは中国沿岸部を発してインド洋を通り地中海・ヨーロッパにつながる海路を指します。この「一帯」政策に沿って、新疆ウイグル自治区の北を通るルートが整備されるようになるとともに、カザフスタンとの国境にあるホルゴスという都市が、経済活発化のために「一帯」の玄関口たる特区として設定され、特に2018年から様々な税制優遇措置が設けられました。

▲中国・カザフスタンのホルゴス国境協力センター。(出典

 利にさとい中国人がこうした税制優遇を見逃すはずはありません。特にこの新しい特区に関心を持ったのが、映画産業やテレビ産業、ゲーム産業などのエンターテインメント系企業です。中国国内の映画会社・テレビ会社・広告代理店がホルゴスの子会社設立を検討し、数千もの企業が実際にホルゴスで子会社の登録を行ったといわれています。私たちも当時登記簿などを使って調べたところ、このような中国の辺境に突然、数十のゲーム会社が設立されていたため、とても驚きました。もっとも、進出したとは言っても、中国エンターテインメント産業の主要市場である沿岸部からはあまりに遠すぎ利便性に欠けるため、そのほとんどは節税目的のペーパーカンパニーでした。中国の女優として有名なファン・ビンビンも、脱税目的でダミー会社をホルゴスに作っていたそうです。中国の記者がこの特区にある彼女の会社へ訪問したところ、家具があるだけでフロアには誰もおらず、同じフロアには200以上の会社が登録されているなど、典型的なペーパーカンパニー登録用のビルディングだったようです。

▲中国の有名女優、ファン・ビンビン。ホルゴスのペーパーカンパニーの件で8.84億元の罰金を科せられた。(出典) なお、2020年6月に女優業に復帰した模様。

 このような行為を中国当局が許すはずもなく、2018年夏頃に中国国内で、ホルゴス保税区へのエンターテインメント企業の脱税目的のダミー会社設立が大きな問題になり、先に挙げた「ホルゴス芸人」ファン・ビンビンをはじめ、多くの企業や人物が取り締まりを受けました。ホルゴスに「拠点」を持っていたエンターテインメント系企業のほとんどは撤退し、一時的に膨れ上がったホルゴスのエンターテインメント産業は一瞬で無くなってしまいました。

 こうした一時のから騒ぎはともかくとして、「一帯」政策は中央アジアの経済ルート変化に大きな影響を与えました。もともと、「北疆」と呼ばれる新疆ウイグル自治区北部は石油などの収益ゆえ、「南疆」と呼ばれる南部よりも経済的に豊かな地域であり、「南疆」は中国の物資をキルギスのドルドイに運び込んだり、パキスタンに商品を運んだりする輸送ビジネスが重要な位置を占めていました。

▲新疆ウイグル自治区の地図。自治区の玄関である「東疆」、経済的に栄える「北疆」、最近衰えている「南疆」の三地域に区分される。(出典:「アジアのへそ」新疆の地勢(4)【天山山脈】

 しかしながら、ホルゴス特区の設置など、政策の重点が「北疆」に置かれるようになってからは、物流においても「北疆」が「南疆」よりも重要な役割を果たすようになりました。つまり、中国南疆→キルギス(ドルドイ)→カザフスタンなど中央アジア各国、という順番で流れていた中央アジアの物流が、中国北疆→カザフスタン→キルギスなど中央アジア各国、というかたちに変化しつつあるのです。

▲“Borderless Bazaars and Regional Integration in Central Asia”より抜粋。黒線が既存の商業ルート、灰色が新しい商業ルート。

 こうした輸送ルートの変化を受けて、カザフスタン側のホルゴス市や、そこから運ばれる物資の中継地点となるカザフスタンの最大都市アルマトイ郊外にあるバラホルカなどが、中央アジアの物流の上流になってきています。キルギスのホルゴスが中央アジアの商業の中心であることには変わりはないですが、中央アジアのインフォーマルマーケットのセンターとしての役割を変化させつつあるようです。もしかすると、ホルゴスやバラホルカに第二第三のドルドイ・バザールが登場する日が来るかも知れませんね。

▲カザフスタンの最大都市の郊外にあるインフォーマルマーケット、バラホルカ。(筆者撮影)

新興国でインフォーマルマーケットがなぜ成立し、なぜこれからも残るのか?

 こうした中央アジアのインフォーマルマーケットには、戦後直後に存在した日本の闇市とは根本的に異なる、冷戦後の新興国インフォーマルマーケットの典型的な特徴が表れています。戦後日本の闇市は、アメリカを中心とする連合国の占領軍による統制経済の下、配給で手に入らない物資を庶民が手に入れる場として機能していました。そこに売られている商品は、日本全国から集められた農産物やアメリカ軍の横流し物資・残飯であり、大きな闇市も池袋、上野や新橋、あるいは神戸の三宮、名古屋の駅裏がそうであったように、米軍基地やターミナル駅のそばにありました。日本の警察はGHQの指令を受けて、戦前から活動するテキヤ、あるいはテキヤ的な性格を持つ愚連隊をそれぞれの闇市の顔役として利用し、東京の「東京露天商同業組合」、大阪の「露店営業組合」のような闇市露天商の業界団体を作らせて、間接統治を図っていました。

 しかし、1950年前後に米ソ冷戦の構造が本格化するにつれ、米軍の占領政策が変わり、物流の安定を背景に日本政府や自治体が露店撤去の方針を固めると、これらの闇市のほとんどはすぐに消滅していきました。当時の日本の闇市の主要商品は食料品でしたが、食料の統制管理のため1948年に農協が作られ、ヤミ米が取り締まられたことも闇市消滅の大きな理由です。闇市を支配していた人々も、当局からの便宜を受けるため、むしろ闇市撤去に進んで協力するところが多かったとされています。当局の意向に抵抗し残った店舗も、郊外や川を焼け跡の資材で埋め立てた場所などに「換え地(移転)」を繰り返し、都市の隅に追いやられていきました。

▲新橋駅近くのニュー新橋ビル。戦後直後に新橋駅西側にあった東京最大級の闇市、「新生マーケット」がルーツとなっている。(筆者撮影)

 こうした過去の経験から、私たちは新興国のインフォーマルマーケットを、日本の戦後直後の闇市と似たような、経済が成長すれば簡単に消滅する脆い存在と見なしてしまいがちです。しかし、冷戦後に登場した新興国の巨大なインフォーマルマーケットは、こうした日本の闇市とは成立背景・規模・商品・流通経路といった点でまったく特徴を異にするものです。

 冷戦終結後、アメリカを中心に先進国のグローバル企業は、「改革開放」政策で海外企業の誘致を図る中国に注目し、様々な製造開発の下請けを集中させました。中国では政府が賃金と為替を高度にコントロールできます。加えて共産主義浸透のために初等教育に力を入れていたことから、莫大な人口と相まって工場労働に向いた人材を多数確保することができ、大規模な工場を設けて長期稼働させるのに格好の場所でした。たとえ直接進出ではなくても、中国の下請けをとりまとめるフォックスコンやペガトロンのような中国周辺の企業に委託し、間接的に中国の製造能力に頼る企業があらゆる分野で増えていきました。経営陣が中国進出に躊躇していた企業でさえも、中国市場開拓・コスト削減を求める株主の圧力を受けて、中国へ拠点を作るか、中国の製造能力を生かしたビジネスモデルを採用せざるを得なくなりました。こうしたグローバル製造業の進出の結果として、中国は大きな経済成長を遂げるとともに「世界の工場」にまで成長しました。

▲中国のフォックスコン工場。(出典

 こうして最先端の製品から安価な汎用品、パチモノ・違法コピー品に至るまであらゆる製品が中国で作られ、先進国・新興国を問わず世界で流通するようになりました。新興国の製造業は中国の安価な製品に対抗することができず、経済発展に見合った規模に発展することができませんでした。経済学上のどんな理論・仮説に依拠しようとも、製造業の産業波及効果、雇用創出効果が大きなものであることに異論を持つ人はいないでしょう。新興国のインフォーマルマーケットとは、製造業セクターが吸収すべきだった新興国の就業人口を、非公式の商業セクターが取り込み、歪なまでに大きくなった存在に他なりません。

 アジアであれアフリカであれ中南米であれ、世界のあらゆるインフォーマルマーケットで取り扱われる商品の中心となっているのは、戦後日本の闇市とは違い農作物ではなく、先進国の製造業下請け需要の大部分を取り込んで成長した中国から流れてきている製品です。新興国のインフォーマルマーケットが巨大化しているのは、成長の機会を奪われ、取り残された新興国の雇用を際限なく吸収しているからです。新興国の人口構造は、少子高齢化が進む欧米や日中韓と違い、若者の多いピラミッド型になっていることが多いですが、若者の雇用先が乏しいため、今後ますますインフォーマルマーケットが大きくなっていくと考えられます。

 こうした事情があることから、新興国、とりわけ資源の少ない国においては政府当局がインフォーマルマーケットをつぶそうとする動きは滅多にありません。インフォーマルマーケットを潰せば直ちに膨大な数の失業者が発生し、国の社会不安の大きな原因となるからです。少なくとも新興国の民主主義国家では、重要な票田でもあるインフォーマルマーケットを潰すのに躊躇する政治家や役人が多いのが現実です。

 グローバル企業は違法コピーや非正規品の流れる新興国のインフォーマルマーケットを敵視し、政府を通じて何度となく圧力をかけています。日本に限らず、「先進国」に住む人々は、新興国政府に政治上・貿易上の圧力をかけ、政府に人々を「教育」させて違法コピーを扱うリスクを認識させれば、インフォーマルマーケットが消え去ると考えてしまいがちです。しかし実際のところ、新興国政府の取り締まりは見かけだけのものに過ぎず、麻薬のような重犯罪につながる商品の取り締まりにとどまっています。キルギスの例では、ショッピングモールのようなフォーマルマーケットがインフォーマルマーケットに入れ替わるどころか、ドルドイ・バザールのようなインフォーマルマーケットがフォーマルマーケットを呑み込む事態となっています。新興国のインフォーマルマーケットは、戦後日本の闇市のように、当局が経済政策を変え、警察が強く取り締まればたちどころに消滅する、というヤワなものでは到底ありません。

おわりに

 いかにオンラインコマースが発達しようと、モノがモノであるかぎり、物流に沿ってインフォーマルマーケットは機能し続けます。ヒトがヒトであるかぎり、若者の働き口としてインフォーマルマーケットは拡大し続けます。アメリカのグローバル企業は中国との貿易戦争や政治リスクへの配慮から、他の新興国への工場移管を進めていますが、発展途上国ならではの統治の難しさや想定以上の賃金上昇、不安定な現地通貨に手を焼き、思うような地域分散に成功していません。為替や賃金を政府がコントロールできる度合いが強い中国への過度な依存からの脱却は容易なことではありません。アメリカのグローバル企業が中国に製造業を依存し、「一帯一路」を始めとする中国の経済政策が続く限り、ドルドイ・バザールのような新興国のインフォーマルマーケットは際限なく拡大していきます。

▲ドルドイ・バザールの回廊。(筆者撮影)

 旧ソ連圏には今回取り上げたドルドイ・バザールのようなコンテナが立ち並ぶマーケットが多数存在します。その東の代表がドルドイであるとすれば、西の代表はウクライナの7kmマーケットです。

 次回は中央アジアから西のカスピ海沿岸のカフカス諸国、さらには黒海沿岸のウクライナなどのインフォーマルマーケットに目を向けます。戦争が頻発するこの地域において、インフォーマルマーケットはどのように機能しているのか。なぜ旧ソ連地域には似たようなコンテナ・マーケットが多数存在するのか。さらに、こうしたインフォーマルマーケットの担い手は一体誰なのかを明らかにしていきます。

■参考文献
Peter Mörtenböeck, Helge Mooshammer, Informal Market Worlds – Atlas. The Architecture of Economic Pressure. Nai Uitgevers Pub, 2015.

Peter Mörtenböeck, Helge Mooshammer, Informal Market Worlds: Reader: The Architecture of Economic Pressure. Nai Uitgevers Pub, 2015.

Bartlomiej Kaminski, Saumya Mitra, Borderless Bazaars and Regional Integration in Central Asia. World bank publications, 2012.

World Bank, Bazaars and Trade Integration in CAREC Countries. World Bank Other Operational Studies, The World Bank, 2009.

OFFICE of the United States Trade Representative Executive Office of the President, 2019 Review of Notorious Markets for Counterfeiting and Piracy

Kyrgyzstan’s Colossal Dordoi Bazaar: A Time of Opportunity and Change

THE NEW SILK ROAD: DORDOI BAZAAR IN BISHKEK, KYRGYZSTAN

中国の大女優・ファン・ビンビンに脱税疑惑 二重契約書にペーパーカンパニーで所得隠し?

Закат Дордоя. Как вымирает крупнейший рынок Центральной Азии
(邦題:ドルドイの没落:いかに中央アジア最大の市場は死に瀕しているか)

A Steel Caravanserai Booms on the Modern Silk Road

[了]

この記事は、PLANETSのメルマガで2021年2月16日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。あらためて、2021年6月日に公開しました。
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