──僕は東京に住んでもう15年になるのですが、ずっと考えていることがあるんです。僕は東京の魅力の一つに「夜に眠らない」ところがあると思うんです。コロナ禍の前まで、繁華街に足を運べば基本的に時間街が稼働していて、それが人間社会にとって幸福な社会かどうかという議論は別にあると思うのだけれど、僕は少なくともこの街の個性ではあったと思います。ところが、一つ難点があって、いくら夜通し動いていてもほとんどの場所が基本的に「お酒を飲む」ことを前提にしていて、お酒を飲めない人間には居場所がない。僕はこのことを、ずっと指摘してきたのだけど、20代〜30代の酒離れが進むなか、改めて飲まない都市論について考えたくて、この座談会を企画しました。
 僕自身がそうなのでよく分かるのだけど、実際に飲まない人から見ると都市の姿はまるで違って見える。どこに入りやすくて、どこが過ごしやすいか、ぜんぜん違うわけです。なので、今日は僕の「飲まない」知り合いの中から、まちづくりやすまいに関わっている3人に集まってもらって、「飲まない」人間だからこそ提案できる新しい都市のかたちや、あたらしい大人の夜の遊び方について話していきたいと思います。

磯辺 僕はもともと、そんなにお酒は強くなくて嗜む程度。ただ、コミュニケーションの場は好きなので、飲み会にいることに違和感をもっていま せんでした。でも、4年前に旅行先のタイでハメを外して頭を打って、現地で入院することになっちゃいまして。その反省から酒をやめていたら、すごく体調がいいんです。「じゃ、別に飲まなくてもいっか」とお酒をやめて5年目に入りました。

田中 磯辺さんがおっしゃるとおり、酒を飲まない人は酒の場が嫌いというわけではないんですよね。私は「全然飲めない」と公言していますが、みんなが楽しそうにしているのが好きだし、飲み屋さんの雰囲気も好き。だから、建築家仲間の飲めない人を集め「飲めないと」って名前をつけて、居酒屋に行ったり、お花見したりしていました。それをやっていちばん驚いたのは、お酒を飲まないとめちゃめちゃ安上がりなんですよ。しかも、最後まで頭が冴えてて清々しく解散できる。若い頃は飲む仲間に入りたくて飲んでいた時期もありますが、むしろ今は飲まないメリットを感じています。

藤井 私はお酒に対しての両極端な原風景があるんです。母は奄美の徳之島出身で、祖父はいつも焼酎の入ったコップを持って酩酊していて、夜はたいがい近所のおじさんたちが家に飲みに来て宴会している、かなり飲む家系。一方の父方はビール一缶を父と祖父母が3人で分け合って、真っ赤になってニコニコしているような飲めない家系。私自身はあまり飲めない血を継いだみたいです。でも、大学に入ってみんなが飲むようになって、その流れに乗らなきゃって一緒に行ったりしていたんですけど、そのテンションに無理してついていっていたように思います。

田中 ああ、わかります。その感じ。

藤井 仲良くなりたい気持ちはあるんですが、正直お酒の美味しさがわかりきらず楽しく酔えないので、場が騒々しくなっていくことには、ちょっと冷めている自分がいて。だから、飲みに行こうと誘ったり、家で飲むことはほとんどありません。でも、建築関係だと、打ち上げの席やつきあいの飲み会がどうしてもあるんですね。そういうときに「飲めないんです」と言うのが面倒くさくて一杯二杯ぐらいは ……と飲んでしまう。で、たまに飲むから体調悪くなって後悔する、みたいなのを繰り返していて、自分自身に中途半端感がありますね。

磯辺 僕は飲み会で「お酒をやめたんだ」と公言していました。そこにはためらいがなかったですね。

田中 でも、言い方を間違えると「いいじゃない一杯くらい」ってなりますよね。

藤井 仕方なく一杯飲むと「飲めるじゃん」ってなるんです。この座談会に呼ばれたのを機に、飲めない宣言をしようかなって思っています(笑)。

──僕自身は強いほうではないけれど、飲めないわけではないんです。飲むと関節が痛くなるので、体質的に合わないのだと思いますが、吐いたりすることはないし、精神的にブレることもないんです。ただ、僕は酒の席が本当に嫌いで……。とくに、出版業界は古い業界で、「飲みニケーション」の文化がいまだに根強い。表ではハラスメントを批判しながら、自分は毎週「飲み会」でそれを繰り返している文化人や編集者が山ほどいるのが情けない現実で、そしてこうした飲み会で人間関係を調節し、いろいろなことが決まっていく。そんな「飲み会政治」の世界が本当に嫌で、飲み会に行かないために、「飲めません」って言うようになったんです。

田中 実際、仕事仲間と飲んでいて、「今度あれやりましょうよ」みたいな話になったとしても、酒に弱いせいか、結局バカ騒ぎしたよねとか、いいムードだったよねで終わってしまう。よくよく考えると、飲まなければできないことってないですよね。別にお酒飲まなくてもカラオケとかできるし。あと、お酒を飲む人といると、炭水化物にありつけるのが遅くなる。

磯辺 はははははははは(笑)。

藤井 早くご飯食べたいです(笑)。

田中 飲まない人間にとって飲み会は晩ごはん。でも、最初からチャーハンをオーダーしたりすると、こちらが間違っているような言い方をされる。

藤井 本音を言うと、飲み屋さんでみんながお酒を頼むタイミングで、私は「いちばんおいしそうなスイーツ頼んでいいですか?」って言いたい。でも、勇気がない(笑)。

磯辺 しかもそれをやると、「あ、もうそんな時間だっけ」みたいなシメのムードに入っちゃうんですよね。ただ、僕は無理にお酒をすすめられるとか、飲まなければコミュニケーションが始まらないとか、そんな圧を感じたことはないんです。周りに恵まれていたのか、たまたまなのかわかりませんが。

田中 私の経験だと、酒を飲んでいる人の同調圧力は根強いですよ。「一口ぐらい付き合えるだろ」とか、変な圧をかけてくるのは本当に謎です。酔っ払って、「俺も裸になってるからお前も脱げよ」みたいなのは、まちづくりあるあるですよ。

藤井 お酒を飲ませることで、本音を吐き出させようとしていると感じることはありますね。でも、その意図が少しでも見えると身構えてしまう。相手も話したいんでしょうけど、お酒を飲んだからって、急に打ち解けるわけではないですよ、って思います。

磯辺 そういう領域の人たちは、そういうコミュニケーションがアクセスしやすいんでしょうね。おそらく、自分の先輩たちを見てきて身につけたのでしょうけど、飲まない自分からすると、うらやましくはありませんが、そんな方法もあるんだなと素直に感じます。

必要なのはお酒に替わる「媒介」

田中 お酒を飲めない人が夜の東京で過ごせる場や機会が充実しないと、酒飲みの真似事をさせられて終わるという悔しさがあります。六本木に「0% NON-ALCOHOL EXPERIENCE」というノンアルコールバーがあるんですね。少人数でしっぽりした雰囲気を楽しめるバーで、酒飲みの高揚感を味わえる。でも、酒からアルコールを抜いた何かではなく、まったく違う楽しみ方があっていいはずです。

磯辺 難しいなと思うのが、一人でちょっと飯食ってゆっくりしようと思ったとき、飲めない人間が一人で居酒屋に入るのには抵抗があるし、バーはさらに敷居が高くなる。誰かと一緒だといいんですが、一人だと無理だなって思ってしまいます。

藤井 私は遅くまでやっている食事や珈琲がおいしいカフェを調べて、渡り歩いていました。でもさすがに0時を回ったら、どこも開いてないんで すよね。バーで真夜中のキラキラした東京を一人で眺めるみたいなことに憧れを抱いていましたが、飲めない私は外にいるしかない。ひたすら目黒川沿いをてくてく歩いたり、ミッドタウンの庭でボーっと過ごしたり、かなり怪しい人だったと思います(笑)。

田中 日本だとナイトエコノミーって、どうしても酒の場に集中しがちですけど、海外では
ちゃんと文化の場もエントリーしてくるんですよ。たとえば毎週決まった曜日に公共施設が入場無料だったり、夜中まで美術館がやっていたり。そうすると夜中でも、パブリックスペースにいられる。夜の図書館とかね。
 IKEAが日本に上陸したとき、お泊まり会があったんですよ。抽選で当たった人たちが、モデルルームに泊まれるというイベントです。参加した家族同士が仲良くなって、その後もつきあいが続いたり。スーパーマーケットやショッピングモールでも、一晩ここに泊まっていいよって言われたら、お酒がなくてもめっちゃ興奮しますよね。

磯辺 渋谷ヒカリエも以前は、飲食フロアは深夜帯も営業していたんです。その名残で8階フロアのイベントスペース「8/(ハチ)」で「渋谷真夜中の映画祭」という企画をやったことがありました。夜中の12時上映開始で、2本上映する間にトークを挟んで、それをフカフカのソファに寝ころがって観るわけです。寝たくなっちゃったら寝る人もいて、朝の5時に解散。確かに、あの場にお酒はいらないですね。もちろん、あってもいいですけど。

田中 個人的には今すぐ酒がこの世からなくなっても、まったく生活に支障はありません。だけど、お酒に支えられて、オンとオフが切り替わり、人との仲も詰めていけると信じていて、酒があるから遊ぶきっかけになっている人がほとんどなんでしょうね。だから、東京の夜がお酒中心になっている。

──僕は酒飲みを敵視しているわけでもなければ、小池百合子的にアルコールを弾圧して点数稼ぎをしたいわけでもない。問題なのは、モノカルチャーであることです。実際、新型コロナウイルスで緊急事態宣言が出され、酒を奪われた瞬間、大人たちがどう楽しんでいいのかわからず途方に暮れてしまったわけですよね。もし、お酒以外に自分を楽しませる〝カード〞を持っていれば、あの期間だって全然違っていたはずです。

田中 酒に頼りすぎてきたんですよね、東京の味わい方、楽しみ方を。

磯辺 僕は昨年結婚し、コロナの影響もあって友達と会う機会はずいぶん減ってしまいましたが、そんな中でも楽しみはありました。何かというと、ランニングととんかつなんです。それぞれ「ランニングと朝食(R&B)」と「東京とんかつファイターズ」というコミュニティで活動していたんですが、美味しいお店を教えあったり、たまにみんなでとんかつを食べに行くだけの会をやったり。ランニングもただ走るだけじゃなくて、朝、集合して走って朝食を食べて解散みたいな。遊んだって表現が適切かはわかりませんが、お酒じゃない場で集まって楽しかった瞬間は確かにあります。そういう好きなものを持てるかどうかがキーポイントですよね。僕にとってはとんかつですが、好きなものに触れていると楽しめるし、わざわざ出向こうとアクティブになれますからね。

田中 私がお酒を飲まない夜の過ごし方でいちばん印象深かったのは、ロンドンに行ったときかな。友達の家で「なんで人間は生きているんだろう」といった答えのない話を、一晩中したりして。で、昼間は寝ていてまた夜になったらまたその人と一緒に話すんだけど、そのときの飲み物がお酒じゃなく、同じ茶葉で何回もお湯を入れてラフなお茶を出してたので、「ラフティー」って呼んでたんですね。そんなラフティーな夜を、三日三晩も続けたりした。

──僕がお酒やめた直後やったのは、夜の散歩ですね。高田馬場から渋谷や市ヶ谷までしゃべりながら歩いたり。あと、早朝に虫採りをしたりしました。

藤井 私も夜中、都内の公園でセミが脱皮して羽化するのをずっと見ていたことがあります。流石にこちらが根負けしましたけど、神秘的で面白かったですね。

田中 飲める人だって、飲まなくても過ごせるはずだと思うんですけど……飲む人ってやっぱりアルコールがないとダメなのかな?

藤井 あいだに、お酒があることに安心しているのだと思います。「飲めないと間が持たなくない?」って言われたことがあって。あなたと私がお酒を飲んでいる、というのは一緒にいる口実になるというか。多分、何か媒介するものが欲しいんじゃないでしょうか。じゃあ、お酒の代わりになる媒介って何だ? という話だと思うのですが、美術館での鑑賞とかも対象になるかもしれません。

田中 焚き火の火とかね。

藤井 火! 見ていたいです。あと東京都内、六本木の木々の中からでも、星って見えるんですよ。そういう、眺めるものも媒介になるのかな。映画でも音楽でもいいんですが、触れていたいのかもしれません。

磯辺 媒介が必要だという指摘は面白いですね。飲む人たちもお酒って媒介があるから会話が成立しているわけで。「今日はいい天気ですね」と挨拶したとしても、別に天気のことに関心があるわけではなくて、特に日本人は媒介がないとコミュニケーションを取れないという感じがします。

田中 話しかけるための口実が欲しいんですよ。

磯辺 僕はデベロッパーと呼ばれる職種にいるから、「都市がどうあるとみんな過ごしやすいのだろう?」と思考します。でも以前、ある人に繰り返し「誰目線ですか」って指摘されたことがあるんです。その人が言いたかったのは、「何を提供するか?」だけでなく、「今あるものでどう楽しむか?」という視点もあるという指摘でした。都市をどう読みとくかとか、面白がるかみたいな力が失われ、パッケージ化されたものだけを楽しむしかなくなっている。むしろ、何もないところで自由に楽しむスキルを手に入れることが大事なのかなとも思います。

人の気配と夜の顔

──やっぱり酒を飲んで人と話すこと以外に面白いことを見つけたほうがいいと思うんです。毎晩、飲み屋に行くのは寂しい人だと思う。それはそれで結果として豊かな文化を生むこともあると思うけれど、本当に酒の席じゃないと生まれないのかは怪しい。人と接しないことの楽しさを知っていると、相対的に酒への依存も下がるはずです。

藤井 その通りだと思います。ただ、私が東京の夜に求めるものって、人っ子ひとりいないという状況ではないんです。しゃべらなくてもいいけれど、雑踏だったり、人の存在を感じさせる光があったりするほうが落ち着く。誰かがいてくれる中に身を置きたい。それが東京の夜の良さみたいなところってありませんか。

田中 私も、人類がそこらへんで生きている気配を感じられるのが好き。気配だけでいいんだけど。たとえばふらっとコンビニに寄る動機って、なんか人に触れたいみたいなことがありますね。キオスクが無人化されると、ちょっと寂しいし。

藤井 コンビニ無人化の実用化が進められていますけど、お店に灯りは灯っていても、そこに人がいなかったら、夜、立ち寄る動機が一つ減るような気がします。互いに誰とも知らず、その場だけだけどちょっと一緒にいるみたいなのが都市の良さですよね。
 私は最近東京を離脱して神奈川の真鶴町に住み、ローカルとシティを行き来してそのギャップを楽しんでいるんですが、都会に一人暮らししていたときは、夜、人の気配を求めていた気がします。

──そういうときに気軽に立ち寄れるところが自分の街にあるとだいぶ違いますよね。まちづくりや建築のプロの視点から、飲まない東京にこういうものがあったら面白いと思うものはありますか?

磯辺 さっきのナイトエコノミーの話のときに田中さんがおっしゃった「夜の図書館」って、響きからしてめっちゃいいなって思ったんですよね。日本でも近い例ってなかったでしょうか。

藤井 泊まれる本屋がコンセプトのホステル「BOOK AND BED TOKYO」や、一日利用
券で入る本屋「文喫」などは、ずっといられる場所としていいなと思います。ただ「夜の図
書館」が実現するならぜひ、昼間の顔と夜の顔が違っていてほしいです。たとえば、昼間の光あふれる図書館が、夜になるとまったく違う顔になるなら行ってみたい。飲む人にとって居酒屋やバーが夜の醍醐味であるように、飲まない人にとって「夜の図書館」には夜だけの知られざる秘密感があるといいなって。

田中 私は地域ツーリズムの新しい形として、神田の巨大ビルの跡地や東京国立近代美術館の前庭でキャンプする「アーバンキャンプ」を主催しています。その魅力って、夜、みんなの知らない遊びをしていることなんですね。人が働いたり遊んだり、忙しく動いている東京で、地べたを撫でながらお茶を飲むなんて過ごし方は知らないだろう! っていう。

磯辺 そういう意味では常設系は相性が悪いのかもしれませんね。夜に限ったスペースを作るのは収支的に厳しく、単価の高い酒の提供をしなければ採算が合わなくなってしまう。夜でも過ごせる常設の場所もいいけど、アーバンキャンプのように、そのときしか味わえない一回きりの場のほうが相性はいいのかもしれません。

──いや、常設であることは重要ですよ。「開いててよかった」という場所が自分の生活圏に一つでもあると、その街への信頼感につながると思うんですね。自分にも夜の東京に居場所がある、そう思えることが大切なんじゃないかと。たとえば、眠れないときやもやもやしたとき、自宅ではない場所で一心不乱に本を読んだ、みたいな経験ができるのは大事だと思います。

磯辺 職業柄、どうしても収支のことを考えちゃうんですよね。「開いててよかった」はユーザー側の希望としてはあるけれど、それをちゃんと持続可能な形であり続けるには商売の延長の中でインクルードされていなくてはいけない。

田中 確かに、利益率の高い酒を提供して商売として成立させるというのがセオリーです。でも、個人的には酒とかいらないから、チャージを支払って、私がそこに存在することを認めてほしい。そうだ、入場料! ナイトサブスクリプションですよ! ホテルのラウンジや喫茶店で、「何も注文しないけれど、ここにいられる」ということができるパスポートを実額制にするの。良くない?

磯辺 それは面白いですね。『カフェから時代は創られる』という本にも、カフェにはコー
ヒーを飲みに来ているわけではなく、コーヒー一杯を買うことによって客という立場を確保する、といった指摘がありました。ちゃんとお金を払って、そこにいていい状態を得られるっていうのは確かにいい。でも、それってマンガ喫茶と何が違うんでしょう?

──個人の部屋を都市の中にいかに作るかというので生まれたのが、マンガ喫茶やネットカフェだと思います。カフェの話に通じますが、ファミレス380円のドリンクバーは、セミパブリックな空間を共有する権利を買っているのだと思います。でもネット喫茶はそれとは真逆で、プライベートな空間を買っている。背景にある欲望がまったく違うんです。

磯辺 そうか。仕切りで細かく区切られていますもんね。

──お酒の席って、「本音が話せる仲間」だからそこにいる、いわばメンバーシップ制ですよね。でも、それがちょっとうざい、重たい、押しつけがましいと思っている人たちがいる。そんな人たちが求めているのは、あくまで空間を共有する権利、パーミッションで、メンバーシップに紐付いた具体的なコミュニケーションは求めていない、ということだと思います。

田中 確かに。お酒の場の人間関係で一回喧嘩したり、一回つれない態度をとったたりしら「何、あいつ」みたいになっちゃう会員制っていうのはすごくめんどくさい。だから、なんていうか、風来坊の権利みたいなものが欲しいですよね。ただ単に、そこにいるだけの権利っていう。

藤井 それはとても都市的だと思います。ここまでのお話を聞いていて、夜の楽しみって「静けさ」にあるような気がしました。たとえば公園でしゃべらずに過ごすとか、ものや生き物と向き合うとか。別にお酒を飲んでいる人がいてもいいんですけど、静かな場所でその静けさを共有すると、夜のワクワクというか、夜スイッチが入るんじゃないでしょうか。

磯辺 静けさをわざわざ共有しにいくって何か面白いですね。

藤井 それでも決して、仲良くはならない。その距離感がとても東京的だと思います。個人が認識されてしまうと楽しめないし、「ここでしか会わないし」ぐらいの感覚のほうが、そこにいやすい。

磯辺 匿名性を帯びながらも、そこにいることが認められる場所ですね。

藤井 まさに、東京に求めるものです。田舎はどこに行ってもあたたかく迎えてくれます。それはそれで魅力なんですけど、それだけだと疲れてしまう。相手の気持ちが重いときもあるし、誰にも構われずにフラットにものを考えたいときってありますから。

[つづく]

この記事は、2021年9月刊行の『モノノメ 創刊号』所収の同名エッセイの特別公開版です。宇野常寛が司会、鈴木靖子・中川大地が構成をつとめ、あらためて2022年7月21日に公開しました。
本稿のつづきが掲載された『モノノメ 創刊号』は、PLANETSの公式オンラインストアからご購入いただけます。
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