日本では画一化しがちなタクティカル・アーバニズム

 まちづくりにおいて、小さなアクションが拡散し、制度を変え、手法として普及し、社会に定着するアプローチを指す「タクティカル・アーバニズム」。もともとはアメリカ発のこの概念の日本における主要な紹介者・推進者の一人である、都市戦術家/プレイスメイカーの泉山塁威さんをゲストとしてお招きした「庭プロジェクト」の第15回の研究会の後半では、泉山さんによるプレゼンテーション「アーバニズムの現在形と2020年の論点」をもとに、参加メンバーによるディスカッションが行われました。

 まず建築家の門脇耕三さんが、タクティカル・アーバニズムの日本における類似事例にも触れながらコメントしました。

「大変おもしろい話で刺激を受けたのですが、そういえば日本でも以前似たことをやっていた人たちがいたなと思い出しました。たとえば、2003年から馬場正尊さんが開いているアート・デザイン・建築の複合イベント『Central East Tokyo』(CET)では、路地を占有し、すのこを敷いて居場所化する、などといった取り組みをやっていて、僕も当初参加していました。あれは考えてみればタクティカル・アーバニズムに似ていますが、一過性のイベントで終わってしまい、XL的な街の構造を変えることまでにはつながらなかった面もある。それから2000年代には地域アートフェスのブームもありました。ああいった動きも仮設的であるという点ではタクティカル・アーバニズムに近いですが、やはり大きなXLの変化にはつながりませんでした。

日本もおそらく都市構造の根本的なレベルで、タクティカル・アーバニズムが生まれたニューヨークと共通していた部分はけっこうあったと思うんですよ。当時『2003年問題』と言われていましたが、大規模オフィスビルが増える中で、小規模オフィスビルが余りつつあった。面的な再開発は資本的にも意思決定プロセス的にも難しい中で、そうした小規模な場所を活用したいというのは、世界的な潮流だったのではないでしょうか」(門脇さん)

建築家の門脇耕三さん(「庭プロジェクト」ボードメンバー)

 続けて門脇さんは、泉山さんのプレゼンテーションの中で提示された事例について「車幅」という観点から問いかけます。

「車幅を伸び縮みさせるって、すごくいいなと改めて思いました。いきなり道路を固定するのではなく、暫定的な幅を決め、遊びの余地をつくる。今後交通システムが変わっていく中で、こうした伸び縮みを計画できるといいのではないかと思ったのですが、制度的・法的にどのようなハードルがあるのでしょうか?」(門脇さん)

「カナダのトロントで、アルファベット社がスマートシティ化を推進する中で、データを見て時間帯によって道路空間が入れ替わる『ダイナミック・ストリート』というアイデアが真面目に検討されていました。もちろんデータプライバシーやルールといった面でハードルはとても大きいですが、たとえば浜松町のフェリーターミナルの近くで、フェリーがつかない比較的空いた時間帯に新たな道路活用がができないかと検討したケースもありますし、企業とも組みながらデータ取得と実験を重ねていけるといいですよね」(泉山さん)

都市戦術家/プレイスメイカーの泉山塁威さん

 そしてもう一つ、「デザイン言語」という観点からも門脇さんはコメントしました。

「仮設的で、グリーンがあって、少しわちゃわちゃして……といった、タクティカル・アーバニズム的なデザイン言語があるような気がしています。それによって特定の定型化したイメージが作られている。そうしたイメージは必ずしも万人に好かれるわけではないと思うのですが、ああいったデザイン言語についてはどう思いますか?」(門脇さん)

「たしかに日本では、人工芝と椅子とテーブルといったものに、何となく形式化してしまっている面があると思います。例えば、プレゼンテーションでは触れなかったのですが、アメリカにあって日本にないものの一つが、横断歩道にペイントしたりシールを貼ったりするアスファルトアートです。たしかに現状復帰の手間がかかりコスパが悪いのですが、たとえばポートランドでは、こうしたアートが交差点の真ん中にあると車の速度が下がるので交通安全にもポジティブな効果が出ていますし、アーティストとのコラボレーションも多い。対して日本は、効率的で期間の短い社会実験に偏ってしまっているとは思います」(泉山さん)

タクティカル・アーバニズムにおける地域性と「行儀の良さ」

 続けて「ローカリティ」と「宗教性」という観点からコメントを加えたのは、哲学者の鞍田崇さんです。

「タクティカル・アーバニズムの実践が、それぞれのローカリティ(地域性)にどのように結びついていくのかが気になりました。つまり、XSらしさがどのように出ていくのか、ということです。僕は大学が京都だったのですが、かつて京都大学には既存の制度的な枠組みを逸脱するようにたくさん立て看が建てられたり、交差点でコタツを出す人がいたりしました。あれも一種のタクティカルなゲリラ行為だったのかもしれません。

また同じ京都で地蔵盆というお祭りがあるのですが、小さなお地蔵が町内ごとにあって、地蔵盆の期間だけは道路にテントを張って、子どもたちは遊びながらいろいろなお菓子をもらえたりする。普段は人がただ通り過ぎたり、敬虔なおばあちゃんがお祈りをしたりするだけの場所が、年に一度はちょっとしたアクティビティの場になっているわけです。こうしたお祭りも、宗教的なものが持っているハレとケのハレ的なものとして、期間限定で人を集わせる一種の都市装置になっているのかもしれないなと思いました」(鞍田崇さん)

哲学者の鞍田崇さん(「庭プロジェクト」ボードメンバー)

 さらに鞍田崇さんは「時間」という観点からもコメントを加えます。

「人が集うにあたって、空間だけでなく時間的な仕掛けもあるのかなとも思いました。たとえばミュンヘンの市庁舎前の広場にはからくり時計があり、特定の時間になると人がわーっと集まってきたりします。そうした時間の一部が、人が集まる契機になるようデザインする、という考え方もあるなと思いました」(鞍田崇さん)

 一方、「ムジナの庭」施設長の鞍田愛希子さんは、タクティカル・アーバニズムの「行儀の良さ」に着目してコメントしました。

「(プレゼンテーションの)最後のグリーンパブリックスペースの話を聞いて、イギリスのゲリラガーデニングを思い出しました。荒廃した空き地や公共空間に勝手に種を蒔いて、こっそり風景を変えていく、といった取り組みで、昔私も憧れたことがあるのですが、気が小さすぎてできなくて(笑)。でも、『​​Park(ing)Day』の事例についてのお話を聞いて、ちゃんとお金を払ってコインパーキングを借りてやるのが、すごく行儀が良くて面白いなと思いました」(鞍田愛希子さん)

「ムジナの庭」施設長の鞍田愛希子さん(「庭プロジェクト」ボードメンバー)

short-term actionで終わらせないために

 3Dプリンティングやデジタルファブリケーションなどを研究する田中浩也さんは、カウンターカルチャーとしてのタクティカル・アーバニズムについてコメントしました。

「タクティカル・アーバニズムは『tactical(戦術的な)』という言葉を冠しているように、何かに対する対抗意識が原動力になっていると思います。そして一つは、まさに『​​Park(ing)Day』などにも表れているように、自動車社会に対する対抗が源流にあるのではないでしょうか。ただ一方で、少し意地悪な見方をすると、『​​Park(ing)Day』で使う資材を持っていくときに、自動車を使って、どこか別の駐車場に停めているわけですよね?」(田中さん)

「たしかに言われてみればそうですが(笑)、そこまでの原理主義ではなく、もう少し楽観的に考えているところがあると思います。一日の車の移動量だけで言えばプラスマイナスゼロで変わっていないかもしれませんが、そこに参加した人の経験が発信され、ムーブメントになっていくことで、行政の人の考えも変わり、結果的には大きなプラスのインパクトになっていくはずです」(泉山さん)

 重ねて田中さんは、リサイクルにかかわる実践に取り組んでいる立場から、タクティカル・アーバニズムの什器についても踏み込みます。

「タクティカル・アーバニズムの実践の中には、DIYで什器を作る方もいらっしゃると思うのですが、その什器は結局終わったら捨てることになるとも聞きます。コトのレイヤーは『short-term action for long-term change』で素晴らしいと思うのですが、タクティカル・アーバニズムにはモノも必ず付随してくる。そこでモノが“short-term abandon”になってしまわないかということが気になっています」(田中さん)

デジタル・ファブリケーションや3D/4Dプリンティングなどの研究者・田中浩也さん(「庭プロジェクト」ボードメンバー)

「そうですね。私が代表を務めているソトノバでは、毎回『​​Park(ing)Day』や社会実験のたびにどんどん増えていく人工芝や椅子を、別の社会実験に使うような試みはしています。ただ、そうして同じものを使っていくと、毎回同じ風景になりやすくて既視感が生まれてしまうという別の課題が出てきますし、その地域ならではの場所をつくりづらくもなるので、難しいところです」(泉山さん)

 ここまでの話を踏まえて、「いかにlong-termで考えていくか」が今後のタクティカル・アーバニズムのポイントではないかと田中さんは提起しました。

「プレゼンテーションでもお話しされていたように、タクティカル・アーバニズムの本質は、それをどうlong-term changeに結びつけるかということ。法律や立て付け、コミュニティなど、さまざまな問題はあると思うのですが、short-term actionのための戦術論になっていないかには気をつける必要があると思います。

バックキャスティングでshort-term actionを起こしたら、逃げてはいけないと思うんです。10年〜20年コミットしないと、何のためのバックキャスティングだったのか、となってしまう。short-term actionだけで去ってしまうのであれば、むしろ短期のフェスティバルをやってますと言ったほうが潔い。たとえばどこか地域を決めて長期で入るなど、long-term changeに結びつけるためのアクション設計に僕は興味があります」(田中さん)

「市民像」の問題──タクティカル・アーバニズムは誰が担うのか?

「庭プロジェクト」発起人の宇野常寛は、ディスカッション冒頭での門脇さんの「Central East Tokyo」に関わるコメントを踏まえ、タクティカル・アーバニズムとPFI(Private Finance Initiative:民間の資金と経営能力・技術力(ノウハウ)を活用し、公共施設等の設計・建設・改修・更新や維持管理・運営を行う公共事業の手法)を重ね合わせてコメントを重ねます。

「CETは当時僕も強く刺激を受けた取り組みでした。その『まちづくり』に与えたインパクトの功績は前提として、その限界は、そこから次の時代の担うような作家や作品が生まれるまでには至らなかったことだと思います。ポップカルチャーにおける90年代前半の原宿や、コミックマーケットのような力は生まなかった。つまりここでアートというか、文化がまちづくりに奉仕していて、逆ではなかった。

むしろ僕はメディアの人間として、馬場さんの仕事として最も輝いて見えるのは『東京R不動産』にはじまる一連の仕事です。つまり、メディアからリノベーションのブームを火付け、牽引し、都市部の感度の高い現役世代の中に根付かせていった。

その馬場さんはやがて地方に活動の中心を移し、PFIを用いたアプローチで行政とタッグを組む仕事が増えていった。つまり、CETからはじまってメディアを通じたライフスタイルの構築としての『R不動産』があり、その一方でPFI的な行政との取り組みがある。CETからタクティカル・アーバニズムへと進化するのではなく、メディアや行政のハックのほうに向かっているわけです。ここには、馬場さんという個人の戦略以上に、日本社会という『場』が少なくともアメリカ的なタクティカル・アーバニズムの進化を促さなかったという問題があるように思います。その点はどう思われますか?」(宇野)

評論家 / PLANETS編集長の宇野常寛(「庭プロジェクト」発起人)

「そうですね。いまの日本における公民連携は、行政と民間業者が一緒に事業を動かしていくことが優先されがちなので、市民参加や市民に対する説明責任などが見過ごされがちだと思います。その結果ハレーションが生まれて地元民が反対しているケースもありますよね」(泉山さん)

 とはいえ、ただタクティカル・アーバニズムによって市民参加が進めばいい、という話でもありません。そこで想定される「市民」像にまで議論は展開していきました。

「現代日本の『もの言う市民』の問題もあるのではないかと思います。つまり『地域住民』の代表は土着の町内会の役員などムラ社会的な共同体の代表でしかなく、逆に『市民派』の社会運動の系統は昭和的な左翼政党の出先機関が多く、どちらも現役世代の代弁者にはなりづらい。これでは土佐市で起きた市の施設の運営管理をコネクション的に任されている地元の顔役が、意に沿わない移住者の警衛するカフェを追い出してしまったという問題がありましたが、ちょっとボタンがかけ違えば、そうした事態を引き起こしかねない。

そうした中で、日本でタクティカル・アーバニズムを担いうる市民像をどこに求めたらいいのかは、難しい問題だなと思いました。かといって行政側が働きかけすぎるとタクティカル・アーバニズムではなくなってしまう、という難しさを感じました」(宇野)

「重要な課題だと思います。やはり行政は町会など昔から地域で暮らす人々のことを見ているし、無視できない。そうした人々と若い人々をうまくマッチングさせていくことが大事だと思いますが、なかなかうまくいかない。地域性に応じたコミュニケーションのあり方には、おそらく各地で悩んでいるのだと思いますね」(泉山さん)

[了]

この記事は小池真幸が構成・編集をつとめ、2024年11月14日に公開しました。Photos by 蜷川新。