「不自由さを楽しむ」への視点の切り替え

 庭プロジェクトではこれまで、鎌倉や藤沢をはじめとするさまざまな地域のまちづくりを調査・研究してきました(〈庭プロジェクト〉神奈川県藤沢市及び鎌倉市への提案書:村岡・深沢地区の再開発について)。そして2025年の前半には、2027年に国際園芸博覧会が開かれる横浜市・旧上瀬谷通信施設の跡地を研究会メンバーで視察し、そこで得た所感をもとに議論を交わしています(横浜・瀬谷から考える、都市の「空き地」の重要性|GREEN×EXPO 2027予定地視察レポート)。今回の研究会の冒頭、庭プロジェクト主宰の宇野常寛が、その半年前の視察での議論を一通り共有しました。宇野はまず、2025年に開かれた大阪・関西万博と対比したうえで、この博覧会が向かうべき方向を置きました。

「僕たちの議論の中で浮かび上がってきたのは、このGREEN×EXPO 2027では、『そこにいるだけで居心地のいい場所』をつくることが大事なのではないか、ということです。たとえば先の大阪万博では、大屋根リングしかり、各パビリオンしかり、その場所に『置かれたもの』が価値をとして提示されていた。それは当たり前のことなのかもしれない。しかし、僕たちは同時にそうしたアプローチの限界が露呈したのが、先の万博だったのではないか、と考えました。それは比喩的に述べれば、あの万博がパビリオンの予約競走を勝ち抜き、限られた時間で炎天下の会場をどう効率よく回りきるかという『ゲーム』と化してしまったことが体現しています。

この点を踏まえてGREEN×EXPO 2027では逆のアプローチが有効だと僕たちは考えました。つまりゲームを『攻略』することなく、ただ訪れるだけで価値を受け取ることができる空間が、このイベントには相応しいのではないかという問題提起です。大阪万博のような派手で、希少で、エキサイティングな展示はぐっと少なくて良いし、イベントの趣旨的にそうならざるを得ない。しかし代わりにただそこに『いる』だけで心地よい場所になればいい。空間に『置かれたもの』ではなく空間そのものの価値を前面に出す。それが『GREEN×EXPO』としては正しいアプローチなのではないか。それが僕たちの議論です。

そこできちんとか投げてみたいのが、土地が持つ歴史の問題です。GREEN×EXPO 2027の開催予定地は、もともと旧日本海軍の基地で、戦後は米軍基地だった場所です。立ち入りが許されていた区域は、長く地元の子どもたちの遊び場でもあった。こうした土地の来歴は見落とされがちですが、市民に空き地として親しまれてきたことこそ、僕は大事なポイントだと思っています。『庭の話』(講談社、2024)でも触れたのですが、フランスの庭師で思想家のジル・クレマンに『第三風景』という概念があります。建て替えで空き地になった土地や、権利関係が宙に浮いて誰も使わなくなった土地のような、都市の余白こそが豊かな生態系を育み、都市全体の豊かさを支えているのだ、という考え方です。瀬谷のこの会場も、博覧会のあと公園になることまで含めて、そうした前向きな意味での空き地性、原っぱ性、第三風景性をどう受け継いでいくのかが問われているのではないでしょうか」(宇野)

 こうした半年前の議論を踏まえて、今回ゲストに招いたのは、GREEN×EXPO 2027の運営主体である公益社団法人2027年国際園芸博覧会協会職員であり、東邦レオでパビリオン出展責任者の小山田哉さんと、協会事業企画課で出展と協賛を担当する淺利玲欧さん。まず二人は、視察での議論に全体的な共感を示しつつ、2025年12月時点での状況を共有してくれました。

 会場の工事が着々と進んでいること。近隣のパビリオン同士で毎月情報交換の会を重ねていること。商業・飲食の一般公募が始まり2025年末に締め切りを迎えること。国土交通省内にも正式な部署が設けられ協会の人員を増やしていく方針があること。こうしたアップデートを共有した上で淺利さんは、この博覧会を考えるうえで外せない前提を示します。

「会場の跡地が、博覧会のあとに公園になるということは重要です。たとえばインフラにしても、あまり過度なものを整備しても、その後何十年も残る公園にオーバースペックのインフラが備わることになってしまい、適切ではありません。ですから、いずれ公園になるという前提の中で、いかにしてみなさんに『不自由』を楽しんでいただけるかという発想が必要です。これからチケットを売っていくときに、そうした前提をどうコミュニケーションしてご理解いただき、楽しみにしていただけるかが一番大きな課題であり、力を入れなければいけないところだと思っています」(淺利さん)

 「不自由を楽しむ」という視点について、小山田さんは直近で訪れたというタイの大規模フェス「ワンダーフルーツ」を引き合いに出しながら、「何もない」ことと「不便」が同じではないと指摘しました。

「ワンダーフルーツはサステナブルをテーマにしていて、GREEN×EXPO 2027ともテーマが近いと感じました。ステージも竹をはじめ全てリユース可能なもので作られていて、サインもすごく少ない。実際、今回のGREEN×EXPO 2027も、あまり高い建物を建てない、低めにする、サインも国立公園のように目立たず華美ではないものにするという形で、隈研吾さんによってランドスケープがデザインされています。

ただ、ワンダーフルーツはそういう設計がされている一方で、デジタル環境はしっかりと整備されていました。アプリの操作性もよくて、居場所もコンテンツもわかりやすい。パタヤビーチの外れのゴルフ場で、Wi-Fiが飛んでいなさそうなのに、5Gが全然通る。それがあるから安心してチルできるんです。デジタルが不自由だと、安心できなくてそわそわしてしまいますよね。デジタル環境の整備と、ダウナー系で何もない良さが両立すると、とても心地良い過ごし方ができるはずです」(小山田さん)

 そして「ダウナー系」を実現する一つのアイデアとして、夜間の演出についても考えを語ります。

「環境というキーワードを考えたとき、大阪のように煌々と、夜歩いていても昼間と大差がないくらいの光量の中で過ごすことが果たして望ましいのか、という問題があります。むしろ薄暗い中のほうが良いのではないでしょうか。その薄暗さのなかで感覚を研ぎ澄ませていただいて、一部のところが美しくライトアップされている。そのライトアップも、イルミネーションのようなビカビカしたものではなくて、植物がどうきれいに見えるかを考えて設計されるべきです。まだアイデア段階で実現するかどうかはわからないのですが、自然と一体になって生きていくうえで、我々に必要な光の量とは?と問い直していきたいと考えています」(小山田さん)

テーマパークではなく「キャンプ」

 跡地が公園になるという前提は、インフラ投資を限定的にせざるを得ないという制約を生みます。その制約を、どう「不自由を楽しむ」という価値に裏返すのか。この問いに対して、淺利さんは「キャンプ」という比喩で構想を語りました。

「大阪がテーマパークだとしたら、誤解を恐れずに言うなら、キャンプしに来ていただくぐらいのつもりが良いのではないかと思っています。キャンプはまさに『不自由』の楽しみですよね。わざわざ都会の超便利なところにいる人が、何もない山に行くことを楽しんでいるわけなので。大都市から来る方を受け入れるにあたって、大都市と同じものを置いたって仕方ない。暗いほうが感覚が研ぎ澄まされるのと同じで、むしろ自然と共に生きていくことを考えたときに何を感じてもらうかと考えたほうが、持って帰ってもらえるものが多いのではないかと思うんです」(淺利さん)

 ただ、会場そのものをいかに居心地よくしても、その外側に広がる地域の課題は残ります。「協会が手をつけられる範囲は会場内に限られる」と断ったうえで、二人は自身も横浜市民として、瀬谷という土地の置かれてきた位置を語ります。

「僕も横浜市民なのですが、横浜市にとって瀬谷がどういう場所かと考えると、はっきり言って市民でも瀬谷に行ったことがない人のほうが多い。横浜市はものすごく大きくて、しかも港から発展してきた街なので、港とその周りはすごく発展している。そこからじわじわ広がっていったとき、一番遠い瀬谷はどうしても発展しづらい。通常なら市町村合併の契機が訪れてもいいものですが、横浜市が元から大きくて合併がなかったがために、大きな変革の機会がなかったと思っています。

今回の博覧会に向けては、瀬谷の駅前に関しては、横浜市が博覧会の玄関口としてふさわしいように飾り付けをしていくと聞いています。また会場までの道も歩いて楽しんでいただけるとか、座って休憩できるとか、そういったものを考えているとも聞いています。今回の博覧会が瀬谷にとっての変革の機会の一つになるのではないかと考えています」(淺利さん)

「僕は実は一年半前に瀬谷に引っ越してきたのですが、たしかに議論されていた街の課題は実感せざるを得ません。とはいえポジティブな面もあって、たとえば横浜で言うと、西側にいけばいくほどグリーンが好きな世帯が多いんです。港北区とか都筑区とか、ローカルで公園のようなものを求めて引っ越してくる人が多い。ファミリー層はだいたい車で来るので、車で来て遊んで帰る、年パスで軽く行けるような場所になるといいなと思っています。

僕も子どもが小さいこともあって、車の後ろにキャンプグッズとキャンプ用カートを積んで、子どもを乗っけてお出かけするのが定番なのですが、あの姿がこの園芸博のなかでも見られると良いのではないでしょうか。デイキャンプのような状態でゆっくり過ごせることが生まれてくると、とても横浜の郊外らしくなる。そうして横浜市民から愛される場所になるかどうかが、このGREEN×EXPO 2027の成功においても、ここが次に公園になることを考えてもとても大事だと思います」(小山田さん)

キャンプを「防災」の観点から捉え直す

 ここから研究会は、ボードメンバーを交えたディスカッションに移りました。最初に問いを投げかけたのは、デザイン工学者の田中浩也さん。視察の際にも出た「キャンプ」という話題を、防災・危機管理の観点から引き取りました。

「2025年8月に、大阪万博で地下鉄が遮断されてオールナイトになった日がありましたよね。僕、実はその日に万博会場にいまして。たまたま少し前の電車で帰れたのですが、もう少しずれていたら危なかった。その経験も踏まえて考えると、コンテンツとしてキャンプをやるという話じゃなくても、宿泊のパターンは防災的にもありなのではないかと思いました。

もちろん実際には規定上の難しさがあると思うので、あくまでもバックアップとして、という話です。大阪万博のとき、一人で行ったり、家族や娘と行ったり、おばあちゃんと行ったり、いろんな組み合わせで行って思ったのは、『一人だと歩いて帰れるけど、子連れだと歩けない』とか『おばあちゃんは無理』とか、いろんな難しいパターンがあるということ。今度のGREEN×EXPO 2027も、『歩いて瀬谷まで帰ってください』では済まない場面もあると思うんです。そういうときのためのレジリエンス観点で、つまり泊まらざるを得ないような状況に対する危機管理はなされるべきではないでしょうか」(田中さん)

「おっしゃる通り、実際には博覧会の総元締めであるBIE(博覧会国際事務局)の規定上、会場での宿泊は原則NGです。よって、実現には相当テクニカルな問題があります。

しかし、それでも発想自体はとても面白いなと思いました。たとえば環境という観点から考えるとき、万一何かあっても暮らしを維持していけるオフグリッドなあり方が、象徴的にでもできたら面白い。トレーラーハウスで太陽光発電、蓄電池がついていて、平常時は汚水管につながっているけれど遮断されても動くトイレがあったり、水が循環するシャワーがあったり。大っぴらに『泊まってください』とは言えませんが、象徴的にオフグリッド、環境に負荷をかけない自立型の生活の提案が一カ所でもあったら、面白いのではないかと思いました」(淺利さん)

「持ち帰れる万博」は可能か?「園芸博」であることの意味

 続いて、創造社会論やパターン・ランゲージの研究者である井庭崇さんは、自身が横浜西南部に住み、瀬谷にも車で通っていたことがあるという生活感覚も踏まえ、この博覧会が「園芸博」であることの意味に光を当てます。

園芸博は、『公園博』や『森林博』、あるいは『自然博』ではないので、“園芸”感がもう少しあるといいなと思っています。僕は家庭菜園と畑で、年間30〜40種類、多いときは50種類くらいの野菜や果物を育てていまして、そうやって育てるということをしていると、自分からは無関係に在る自然というのとは違う、関わりがあります。園芸博なので、植物を育てることに関わることができたり、自分の家の周りに自然を増やしていくことにつながるような何かがあるとよいのではないでしょうか。苗や種を買って持ち帰れて、園芸博の場から始まって、みなさんが持ち帰ったところでも園芸博の続きが展開していく。そんなふうに、種・胞子が飛んでいって、いろんなところに根を張っていくようなかたちにできたらいいなと思いました。

そして、『植物が育てる』だけでなく、それにつながる『土を育てる』ことにも、目がいくことになるといいなとと思います。

それを踏まえて一つ質問してみたいのが、交通の便から考えても、車で行くという選択肢はどうしても出てくるのではないかと思うんです。せっかくだから、キャンプ用のチェアを持っていったり、苗を買って帰ったりすることができるといいな、と思いました。そんなふうに、車でも行けるのか、そのとき、園芸博ならではのユニークな取り組みが何かあるのか、駐車場も含めてお聞きできればと思います」(井庭さん)

「駐車場は用意されていて、かなり大規模ではあると思うのですが、もともと交通量の多い地域に博覧会を持ち込むため、十分とは言えないでしょう。とはいえ、巨大な駐車場が渋滞を招いて誰も入れなくなるという事態は避けなければいけないので、交通対策室が職員数十人体制で精緻に規模を検討してきました。

そして『苗を持って帰る』というアイデアに付け加えると、会期中はかなり植え替えをするんです。お客様をお迎えするにあたって、お花の一番きれいな時期を見ていただきたいからです。では、一番きれいな時期が終わったあとにその植物が死んでいるかというと、決してそうではないので、そこを持ち帰りの起点にできるとよいのではないでしょうか。そのまま処理するとゴミとして扱うことになりますが、なんとか工夫して来場者の方に持って帰っていただけないかというアイデアは協会内にもありました。植物ゴミと呼ばれるものはゼロにすることを目標としている、という話も聞いています」(淺利さん)

暑熱対策において「緑」が果たす役割

 東京都小金井市の福祉施設「ムジナの庭」と「こらだ環境研究所」を主宰する鞍田愛希子さんは、植木屋と花屋での勤務を経て、現在は福祉施設で植物を使った商品づくりに携わる立場から、近年の猛暑を踏まえた暑熱対策と植物の関係を問いました。

「今年(2025年)から熱中症対策が義務化されるようになりました。『ムジナの庭』は、伊東豊雄さんがかつて設計された小さい箱型の住宅を福祉施設に転用していますが、壁は断熱材の入っていないアスロックです。竣工当時の40年前と比べて、夏の平均気温がどんどん上昇し、真夏は壁がキンキンに熱くなってしまうようになりました。最近の猛暑には本当に戦々恐々としています。

大阪万博の時期もとても暑かったので、暑熱対策はどうされているのだろうとずっと気になっていました。GREEN×EXPO 2027も夏の時期をまるっと会期が覆っているので、労働環境としてもどうされるのだろうというのが気になっています。それから東邦レオさんの強みでもある壁面緑化、屋上緑化以外に、植物を新たに使った温度対策があるのかどうかも、とても興味があって、お聞きしてみたいです」(鞍田愛希子さん)

「おっしゃる通り、暑熱対策は大きな課題だと思っています。我々として不利なことを挙げると、まず建物が少ない。『どれだけ歩いたら日陰があって、エアコンの効いたところで体を冷やせるか』という基準があるのですが、そこをクリアできるよう道順やジャーニーを整理しないといけない。いまの計画上、箱はもう増やせない段階に来ているので、基本的には日陰を増やしていく方針しかないなと。

逆に有利なことを言うと、とにかく風が強く吹いているので、街中にいるよりはけっこうマシなのではないかと思っています。中央エリアからくびれて南東方向にもエリアがあるのですが、そこは市民の森に近いこともあって、数値的にも体感温度が低い。緑陰の心地よさを、暑い夏だからこそ実感していただく。近寄ったときに『あれ、さっきより涼しいな』と感じていただくことが、緑の価値を提示する一つの要素になり得るのかなと思っています」(淺利さん)

 鞍田愛希子さんはさらに、井庭さんの問題提起を引き受けて、「持ち帰る」とは逆に「場に残っていくもの」がどれだけあるのかを尋ねます。

「みなさんが苗や種を持ち帰って日常の中に取り入れる、という考え方はすごく面白いと思いました。そして逆に、場に残っていくものってどのぐらいあるのだろう、ということも気になりました。たとえば、みんなで植樹をすれば、そこだけ時間が積み重なるタイムカプセルのようなゾーンも作れるのではないでしょうか?」(鞍田愛希子さん)

「市民の方一人ひとりにやっていただくのは、どうしても土地のキャパシティ的に難しい部分はあります。ただ一方で公園がベースなので、出展者さんの区画は別ですが、それ以外の区画に植えられている植物は、公園に継承されていきます。小さい頃に見たあの木が、年を取って見たらこんなに大きくなったんだ、という話は、ものすごく長い時間の流れのなかでは、きっとあるのだろうなと思います」(淺利さん)

ダウナー系のライトアップはいかにして可能か?

 次にコメントしたのは、文化人類学者の小川さやかさん。ライトアップ、そして「次世代の参加」という観点からコメントしました。

「ライトアップの話はとても面白いと思いました。匂いや視覚、音や光の演出が、チルとかダウナー系という話にも関わってきますよね。最近、京都の仁和寺がライトアップシーズンに雲海を出すんです。すごく静かで、夜の仁和寺ってそんなにメジャーじゃないので、雲海が出てきてしーんとしたなかでお寺にいると、あんまり信心深くない私も何かを感じ取ってしまう。GREEN×EXPO 2027のダウナー系のライトアップをやるとしたら、どういうコンセプトでやられるのか聞いてみたいです。

あとは、自然と花と人間の関係性を全然違った形で捉えるコンセプトがあると、チルしているときに、いままでとは違う感覚で植物と関わっているなという感じになって面白そうだなと思いました。

それから大阪万博の報告を聞くと、多くの人々が『次世代の参加』を誇らしげに掲げているんですよね。花博では、子どもや次世代をどう考えているのか聞いてみたいと思いました」(小川さん)

「植物とライトアップは、たぶんあんまり相性が良くないんですよね。冬にイルミネーションをやるのは空気が澄んでいるからでもありますが、木に葉っぱがついていないからというのも当然ある。もっと言うと光害ですね。余計なライトを当てることは、木や植物の生育に良くなかったりする。プロジェクションマッピングをしようとしても、自然物はきっちり計画するようなことと相性がめちゃくちゃ悪いから、いままであんまりやってこなかったのではないでしょうか。

我々としては、そのやられてこなかったところで、植物に負担のない形で共存しながらライトアップして楽しめるかにチャレンジできたらいいなと思っています。それができると、自然と人間の新しい関わりのコンセプトの一要素にもなるのではないでしょうか。

それから『次世代の参加』については、園芸を入口に農業高校の生徒が『グリーンリーダー』として提案を重ねていたり、横浜市の『横浜未来創造会議』で若手が新しい製品や事業の創出を狙っていたりもするのですが、僕自身は『宇宙プロジェクト』という取り組みにチャレンジしています。環境を考えたとき、環境問題のテキストには必ず、めちゃめちゃ引いた宇宙から見た地球の絵が出てくるじゃないですか。宇宙視点というか、すごく高いところからいろんなことを考えられる人を、このプロジェクトとして一人でも作れたらよいのではないかと思っています。その中で子どもたちの教育プログラムをやって、俯瞰して見た地球に対して我々は何ができるのだろうという、“Think globally, act locally”の動きに取り組んでいきたいなと構想しています」(淺利さん)

「人間による自然の利用」から脱却するために

 最後に哲学者の鞍田崇さんは、前回の視察での議論を引き受けて、この土地の特殊な歴史をどう生かすか、そこにアートはどう関われるかを問いかけました。

「この土地の文脈として、ある種特殊な過去の歴史もあると考えたとき、この土地にしかない文脈を生かすのは、けっこう大事なことなのかなと思いました。僕がいる明治大学の生田キャンパスも、もともと陸軍の登戸研究所の跡地で、いまでも遺構が残っているんです。数年前、陸軍施設の頃からあった林を伐採して新校舎を建てたのですが、樹齢100年ぐらいのヒマラヤ杉の林があって、キャンパスのシンボルのようになっていたのに、それを切ることになって。什器として活用しようとか議論になったとき、単に使うものとして過去の記憶を残すのもありだけど、記憶そのものにフォーカスできないかと、一人のアーティストに来てもらったんですね。橋本雅也さんという、狩りで獲られた鹿の骨から超絶技巧で植物のようなものを作る方なのですが。彼が伐採されたヒマラヤ杉を自分のアートピースにするべく持ち帰りに来たとき、印象深いことをおっしゃった。『木っていつから素材になるんでしょうね』と。木はどこまでも木であって、人間が勝手に素材として使っているけれど、彼はまず木そのものと向き合う姿勢を持っているんだなと感じたんです。

園芸というアプローチそのものが、人間が利用する姿のある種洗練された形だと思うのですが、その次を考えようというのが今回の大きな軸としてある。でも、この土地が持ってきた文脈を考えたとき、『また人間が利用するのかよ』だけではない何か別の視点があってもよいのではないでしょうか。自然と敵対するということではないのですが、そこを考える伸び代があると、この土地の文脈を生かす意味でも面白いと思いました。

ここ数年で印象深かった本に、カル・フリンの『人間がいなくなった後の自然』という翻訳書があって。第一次世界大戦の戦地の跡地や、炭鉱の産業が時代遅れになって放置された土地といった場所で、実は勝手に自然が増殖しているということをリサーチした本なんです。この瀬谷という場所も、僕らが思いもよらないような自然の新しいポテンシャルが生み出される土地でもあるかもしれません。既存の人間が自然を利用してきた文脈とは違う何か新しい関わり方が見えてくることが、この土地の歴史的背景と相まって浮き彫りになるといいなと思いましたし、そのプレーヤーとして、アーティストのような存在がいても面白いのかなと思いました」(鞍田崇さん)

「園芸博でも、かつては火薬庫だったコンクリート製の建物の上に植物が生い茂っている場所があります。植えたものではなくて、鳥が運んできて、当初は雑草だったのがいまは木になっている。それを伐採するという話もあったんですが、いやいや、これがいいでしょうと残しているんです。

その場所の活用方法としては、アートインスタレーション的なものをやっていこうと考えています。上の植物の部分もライトアップの対象として。個人的には、あそこの火薬庫を扱うからには、花びらがひらひらしてきれいだね、で済ませたくない。横浜銀行さんが協賛してくれるのですが、横浜の発展に深く関わってきた地元の企業さんが、火薬庫というものにどう向き合うのか。祭典に対してダークなものを地元がどう受け止めて消化してきたか、そのストーリーがうまく伝わるよう表現できると、パッと見は華々しいのですが、あそこでやる意味が鮮明に出てくるのではないかと思っています。それが東側から見たときの話で、西側はまだ何も取り組まれていない。そこはもしかすると、他のアートが入ってくる余地があるのかなと、個人的には思っています」(淺利さん)

[了]

この記事は小池真幸が構成・編集をつとめ、2026年8月6日に公開しました。