「戦争と平和」をシャイハックする

──消極性研究会[01]の皆さんには、「消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。」という連載を持ち回りでご執筆いただいてきました。この連載では、シャイで消極的な人々がもっと生きやすくなる社会にするため、テクノロジーやルールデザインの手法を駆使して、個人のライフスタイルやローカルな人間関係に介入していく「シャイハック」のさまざまなアプローチをご紹介いただいています。
 そこで今日は、皆さんにちょっと風変わりなお願いをしようと思っています。今回のテーマは「戦争と平和」ですが、戦後70数年を経て平和憲法の理念がどうとか、中国や北朝鮮の脅威がどうとかいった大文字の議論を眉間にシワを寄せてする気は一切ありません。そうではなく、シャイハックのユニークなアプローチをもうすこしマクロに展開することで、現代的な戦争や暴力の連鎖に対して何か一石を投ずることができないか。そういう思考実験で、「戦争と平和」をめぐる議論を解きほぐしていきたいなというのが、この座談会の主旨です。

栗原 まず私個人の動機としては、昔から対人関係に苦手意識があって、コミュニケーションの場で負けないように戦える強さがほしいと思っていたんです。けれども自分の性格として、他者を威嚇するようなことはやりたくなかった。じゃあ、そんな消極的な自分でも「勝つ」にはどうすればいいという悩みがあったんですが、今の世の中にある戦うための道具、つまり兵器の作りが粗いからこそ、そんな悩みが絶えないのだと思ったわけです。
 だから、お互い先制攻撃しても得にならなかったり、仮に相手を攻撃してしまってもまだ話し合いの余地は残るような、いわば対人関係における「自衛兵器」の仕組みを技術的に作ろうというのが、私の研究テーマになったわけです。そう言語化できたのは、だいぶ後になってからだったんですが。なので『消極性デザイン宣言』で紹介した「SpeechJammer[02]」をはじめ活動のコンセプトを「21世紀の自衛兵器」と表現したわけです。
 それで「戦争と平和」というテーマについて思うのは、これって結局コミュニケーションとかネゴシエーションの究極形ですよね。だから、そういう面倒なネゴシエーションをしなくても勝手に世の中が平和になってくれるような仕組みを、どうすれば実装できるのかというふうに、この問題は捉え直せると思います。

簗瀬 私の場合は、学会等でゲームデザインを応用したさまざまなコミュニケーションや意志決定のネゴシエーションを円滑化するシステムを試作して運用していますが、知らない人同士の関係構築で難しいのはルールや契約の厳格化なんですよね。
 特に契約の厳格化というのは、裏をつかれることを同時に考えていなければならず、非常にコストがかかる。その契約厳格化のコストがすごく高いので、人間は通常、人と約束をするときに、とりあえず社会的規範で約束をしようとする。なので、例えば学会の中だったら大体同じような知的レベルで、かつそこで信用を損なってはいけない人しか来ないから、いろいろ消極的な人たちにコミュニケーションさせるような仕組みの導入ができました。
 ただし、社会で広くやろうとすると、いろいろ生活習慣や社会資本などの前提の違いを考えなくてはならず、やれることが非常に限定されてしまいます。
 そこで私の提案としては、逆に信用レベルが同じ人同士だけで付きあえる社会設計をすると、そこはすごく楽になるねということ。つまり、お互いの信用度が低い人同士は厳格にルールを決めてやらないとダメだけど、そうじゃない人はゆるい取り決めでもトラブルを起こさずにやっていける。というか、もともと人間関係って、大体同じくらいのレベルの人たちの間で形成されることが多いわけです。
 なので、例えば大規模化して無秩序化している現状のSNSに対して、AIの活用などでマッチングノイズを減らしながらコミュニティを自然に最適化できるようなやり方を模索することが、ひとつの方向性かなと思います。

西田 私も同じような課題に取り組んできましたので、学会のようなコミュニティでないと、柔軟なルール運用が成り立ちづらいという感覚はよくわかります。ただ、信用レベルのゾーニングで解決する手法は、あまり私はしたくない。ゾーニングからあぶれた人たちが、将来的に大きな問題になりそうだから。

簗瀬 たぶん一番地獄なのが、ある日ふと自分がゾーニングされていたことに気づいてしまうことですね。だから、そういう気持ちにさせないような納得感が必要なんですけど。

──このゾーニングの話は、いま世界で起きている分断と本質的に絡んでいると思います。
 例えばトランプが当選したときに、僕のFacebookのウォールには六本木のIT起業家たちのこんな書き込みが並んだわけですね。「西海岸に住んでる自分の友達が悲しんでいる。でも大丈夫、グローバルな世界経済のプレイヤーは、いつでもアメリカなんか捨てて、東京でもロンドンでもソウルでもシンガポールでも行けばいい。俺たち世界市民に国境なんてないのだから!」といった感じの投稿です。
 確かにそれは正しいんだけれど、そういう自由な新しい世界に入れない人々のルサンチマンこそがトランプを当選させたんじゃないでしょうか。そのこと自体が、グローバルなクリエイティブクラスたちの思想の限界を端的に露呈していると思うんですよね。いまヨーロッパとかで起きてるテロって、そういうグローバル化や情報化によって発生した「金持ち喧嘩せず」の境界のない世界に対してのルサンチマンで爆発してるというのが、まず大前提としてあると思うんですよ。
 そういうことを踏まえたとき、シャイハック的なアプローチとしては、どんな乗り越え方があるのでしょうか?

西田 そうですね、なるべくポジティブなゾーニングというか、みんなが「私は望みどおりの私の居場所にいる」と感じられるような仕分けができるといいと思うんですよ。誰かが特権階級のように見えるようにならず、全員がそれぞれの基準でプチ特権階級感を得られるような観点を可視化できるようなネットのシステムがありうるのではないか、ということは常々考えています。
 例えば、電車の中で座ってスマホゲームしてるだけの人がいたとして、我々プログラマーがプログラムを書いているかぎりにおいては席を譲ってもらえるとか、スポーツやる人なら優先的にちょうどいい公共空間を使わせてもらえるとか、人によって自分がほしいプチ特権があると思うんですよね。そういうのを、うまく実装できるようになればと思うんですが……。

簗瀬 勝ち負けの基準が複数あればいいということですよね。あとは、特権を「なんとかポイント」と引きかえにする、とか。

渡邊 自分が絶対1位になれるランキングをつくる、みたいな話でしょうか。

西田 はい。何かの領域で「俺が1位だ、俺ってすごい」と思うことができれば、「日本すごい」みたいな属性へのすがり方をする人たちの問題は、かなりの程度、解消する部分があるんじゃないかと。

簗瀬 何かで「俺すごい」と思えるようになることはゴールだとしても、だいたいの部分で偏差値50を超えていると信じられれば、人をテロや排外主義に走らせない程度の満足度としては十分なのかもしれない。

濱崎 自分が集団内の相対ポジションとして平均的な位置にいるという感覚を供給するわけですね。経済的な階級とか先天的な属性とかでゾーニングするのでなく、もっと個々人の趣味嗜好とかに寄せた、ゆるい諸属性を可視化してあげるということでしょうか。

──今の議論は、言うなれば冷戦後の世界経済のグローバル化の進展で崩壊してしまった西側諸国の中流幻想のようなものを、どう別の形で補ってあげるかという話ですね。かつて国民国家が果たしていたような「幻想の共同体」としての機能を、よりきめ細かに情報技術でマッチングすることで、中間的なレベルで置き換えていくことが肝要であると。
 だとするならば、ここでやろうとしていることを、いわゆる「ゾーニング」とは誤解されないようにする言い方が必要でしょうね。

簗瀬 ゾーニングって言ってしまうとよくなくて、要は同じ軸をもった人同士が幸不幸を分かち合う内面的な納得のことですから。「クラスタリング」のほうが正しいかもしれない。

栗原 クラスタというのは現代的な感覚ですよね。Twitterのハッシュタグみたいに一時的にはつながるけど、一人がどのクラスタにいるのかはわりと流動的で仮想的だから、ゾーンとして排他的に区分されるわけじゃない。そういうゆるいつながり方がアドホックに生成したり消滅したりする履歴を押さえていくことで、その人のアイデンティティをゆるく自覚できるようにしていこうということではないでしょうか。

「つながりすぎる社会」を切断するために

──ただ、現状のインターネットの問題は、不必要なかたちで過剰に人々がつながりすぎてしまうことだと思います。Twitterで言えば公式リツイートや検索機能が過剰接続をもたらしていることは明らかです。この状況をゾーニングやクラスタリングでどの程度緩和できると思いますか? 不必要な接続そのものが問題だという考えもあると思うのですが。

簗瀬 例えばオンラインゲームでケンカさせないためには、単純にチャットさせないのが一番です(笑)。
 逆にゲーム的な仕組みを導入するなら、例えばTwitterで人を攻撃したり論破したい人たちに向けて、お互い勝てそうな相手をマッチングして、相手をボコボコ言うんだけど、相手は聞いてなくてお互い満足しているみたいな状態にすると、みんなが幸せになるんじゃないかと。
 実際、私は『スプラトゥーン』が下手で、適度に負けてくれるAIの集団とか出てきてほしいなといつも思ってるので(笑)。

──面白いですね。自分の能力でも論破できそうなやつをボコボコにしてスッキリしてるつもりなんだけど、それが常にただのbotに対して吠えているだけじゃないかっていう不安に苛まれると、みんな絡んでいかなくなるかもしれない。
 現在のTwitterについては、ブロックすると相手に「反応した」というメッセージが伝わってしまうので、やりづらい仕組みになっていると思うんですよ。そうではなく、bot[03]に適当に相手をさせるという第三の選択肢があれば、相手を罠にはめているっていう感覚が得られるので、議論を挑まれて相手を遠ざけたいと思う側も心理的なストレスなくその選択肢をとれるし、クソリプを送っている側も「もしかしてbotかも」と思うと送り続けづらくなると思うんです。
 これ自体は単なるTwitterのテクニックにすぎませんが、こういう発想をもっとマクロに応用することはできないでしょうか。

栗原 これは私が連載で紹介した「Alexa」などのスマートスピーカーの活用法[04]に似た話になってきたなと思います。チャットbot的なインテリジェンスとうまく組み合わせながら、背後に生身の人間がいる場合の処理とシームレスに接続して制御できるぐらいの技術は、我々も持ち始めていると思うので。
 例えば商品の解説やホームページにいくとチャットが開いて、人工知能が対応可能な機械的なやつは人工知能が対応するけど、にっちもさっちもいかなくなった際には、コールセンター的な生身の人間につながるような仕組みは、そろそろ普及しつつありますよね。
 だからその逆バージョンで、最初は生身だと思っていたのに、いつの間にか気づかずにAIに替わっているという仕組みも考えられる。そこで明示的に自分がミュートしたりブロックしたりといった、0か1かの遮断操作をする前にチャットbotに任せて、ちょっとコミュニケーションからステイバックするような機能は実装していけると思います。

渡邉 そういうbot作戦が長期的に有用になるためには、もうすこしbot自体の高度化が必要でしょうね。いろいろなbotが社会的に実装されれば、「ああ、またbotか」という予断が起こるようになるでしょうから、もっと人間がほどほどに混じって本当にどちらかわからないくらいbotが賢くならないと、今のようなアイディアはさすがに成り立たないと思うので。
 研究としては、いろいろ事例の蓄積が始まったところなので、そういう実装イメージをもって基礎的なところから深めていくのは重要だと思います。それがどこまでうまくいくかは、まだ我々は答えを持っていませんが。

簗瀬 いや、何も人工知能で技術的に実装する必要はなくて、Twitterがそういうことする人をたくさん雇えば良いんですよ(笑)。実際、現状「bot」と呼ばれているアカウントには「中の人」がいるわけですからね。

栗原 すでにもう、そういう広告系botみたいなのはありますからね。そいつらが「いいね」してくれると、一瞬けっこう嬉しい(笑)。

西田 Twitterの発言を収集してIBMのWatson[05]とか使ってデータマイニングしていけば、その人の好む傾向はわかるから、個々の幸せへの介入はできる気がしますね。

──だから、彼らの自分探し的な動機に対してアーキテクチュアルにケアする発想は、意外と有効な気がします。自分の奇跡の一枚をアイコンにしているようなナルシスト左翼に対しては「そのとおりです、○○さん!」みたいなこと言っておだててくれたり、自分の不遇を何かのせいにしないと生きられない他虐的な日の丸アイコン保守に対しては、botアプリが論破されてあげたりしてくれるようになれば、かなりネット世論は平和になるんじゃないでしょうか。

マクロな紛争調停への実装可能性は?

──ここまでの議論で、SNSの個人間の喧嘩に対するミクロな介入の延長線上に、社会レベルでヘイトスピーチを封じ込めたり、SNSの拡散力を抑えてポピュリズムを抑制するといった方向性については、だいぶ展望できたと思います。これだけでも十分な成果と言えるんですが、その次の段階として標的にしたいことが二つあります。
 一つは、国民国家の「究極の外交手段」としての戦争執行をアーキテクチュアルな介入で抑制できるのかどうか。もう一つは現代的なテロリズムの問題で、そのことで権力を奪ったり統治機構を破壊できなくとも、メッセージが伝われば良いという思想を、ゲームルール的な介入で抑制することができないか。
 まずは前者の昔ながらの戦争というか、国民国家同士の利害調整の結果として武力衝突が起こるような国際社会のチキンレースに対して、何かできることはないでしょうか?

栗原 世界の平和を阻害している要素の多くの部分は、対立者に対する「お前、本当にやる気なの?」という怯えからくる威嚇とか、同盟者に対して「本当に守ってくれるの?」という保証が持てないことなど、情報の不均衡による行き違いみたいなことで占められているのではないかと思います。それを今よりも改善していくための方向性で最近の情報技術のトレンドを見直すなら、これはスマートコントラクトの延長線上で考えていくべきなんじゃないかと。
 スマートコントラクト[06]というのは、ビットコインなどの仮想通貨の基盤技術として知られるブロックチェーン[07]の利用法の一つで、中央銀行のような第三者の信頼を得なくても全然知らない人との価値のやりとりができる仕組みを使って、契約の自動履行をプログラミングしようという発想です。
 平和条約でも紛争の調停プロセスでも、これまでの約束事の履行というのは、一般的に執行されるかどうかの保証が不完全すぎるから、あらかじめ強めに威嚇して要求やルールを押しつけ合うということになって、互いにその裏をかこうとする状況になってきたわけです。それで、正直者が馬鹿を見るようなことが往々にして起きてきた。
 そういう事態に対して、スマートコントラクト的な約束の履行システムが実装されるようになれば、執行への不透明性によるネゴシエーションコストみたいな部分がある程度削られて、本当に相容れなくて戦わなくてはいけない部分だけが残るようになる。
 そういう国同士の交渉事の技術的な自動化によって、今よりもよい世の中になればいいなと、私なんかは夢想しますけどね。

──例えばトランプと金正恩のチキンレースみたいなものがあるとして、多少のブレはあっても、落としどころは最初から一つしかないと思うんですよね。最終的には手を握るしかない。けれど手を握るときに、トランプは金正恩に媚びすぎて甘やかしすぎない程度に妥協するというラインで手をさしのべるしかないし、金正恩は完全に一の丸、二の丸を埋められないぐらいの段階で、かつ軍部への面子を損なわない程度に頭を下げなきゃいけない、と。
 ただ、そこに辿り着くまでにメディアを使って牽制球を投げるとか裏外交ルートを作るとか、ものすごく膨大なコミュニケーションコストがかかっていて、それで周辺諸国も一喜一憂し、識者とかが無駄な憶測をガンガン飛ばしているみたいな現状がある。
 栗原さんの問題提起は、そういう無駄を少しでも減らすための技術的介入がありえないか、ということですよね。

濱崎 本当は合意点がもう自明なのにお互いが戦略的に隠してしまうという話は、実は私たちの「座席システム[08]」でも議論に上がったことがあります。これは、パーティーなどで、内心ではお互い話したいと思っていながらも躊躇して言えない人同士が近くの席に座れるよう、各自の意思表明ルールなどの工夫で実現できるようにした仕組みです。
 こういう手法の一部は、宇野さんの言われるように落としどころのはっきりしているイシューによっては、国際会議の場などで応用できるかもしれません。ただ、このシステムが適用しづらいところは、例えば「学生さんはあの先生と話したいが、必ずしも先生のほうはその学生と話したくない」という問題があったとき、座席システムの場合だと弱者である学生の側に寄るかたちで解決を図ってるんですね。
 つまり、合意点が一つでは無いところに対しては、先生は断りたかったら断る立場的な強さがあるので、学生のヘジテーションをどう回避するかにフォーカスする解決法を採っている。言い換えれば、弱者の側、消極性側の人をどう勝たせて良い勝負に持ち込めるかのハンディキャップをどうつけるか、あるいは負けやすい側に有利な試合をどう用意するかが、我々のデザインなんです。
 ただ、これが強い者同士で本気の勝負をしてるときには、お互いが利益を最大化しようとするので、そもそも一つの答えがない。結果的にある合意点の幅はあるのかもしれないかもしれないけど、もうちょっとこっちに寄せたい、みたいなモチベーションが競合する場合の妥協点をどうすれば見出せるかという点は、また別の課題なんですよね。そもそも、現実的には最適解が一つでない場合のほうが多いでしょうし。

意志決定ルールの正統性をめぐって

簗瀬 おそらくそのときに起きるのは、今度はどのようなゲームルールを導入するかという戦争だと思うんですよ。栗原さんの仰るスマートコントラクト型にしても、濱崎さんの仰る座席システム型の応用にしても、誰がどんなふうに実装するかで、結果は全然変わってしまうので。争いの種が、そのルール採択の時点に前倒しされるだけかもしれない。

栗原 その場合のゲームルールは、明示化されたものをイメージされてますか? 僕の場合は、ゲームルールというものを、もっとアルゴリズム的なものと考えてます。スポーツみたいに明らかにされているものあれば、「お薦め」という形で、いつのまにか人々の行動がGoogleやAmazonに心理的にそのルールに従わされているけれど存在に気づいてない、みたいなものもありえます。
 もしスマートコントラクト的な紛争回避システムが成立していくとしたら、明示的なルール争いすら起こらず、既成事実としていつの間にか浸透している……みたいなシナリオになる気がします。半面、それは恐ろしいことでもありますが。

簗瀬 ゲームルールには、明示的なものとそうでないものがあるでしょうね。非明示的なルールが浸透する場合、最初はなんとなくルールに従ってやってるうちに、そのルールを利用して勝つ先行者利益を争っていくような方向に行く気がします。

渡邊 最近、私はじゃんけんの分析をしていて、とてもよくできたシステムだなって思うんです。意思決定するときに誰かがやり方を決めようとすると、それが戦争の火種になるというお話しだと思うんですけど、「じゃんけんで決めましょう」と言い出す場合は悪者になりづらいと思うんですよ。
 じゃんけんというのは数ある意志決定方法の中でも特に消極的な解決法なので、例えば国同士の交渉事でルールを決めようとして戦争になりかけたとして、最後はじゃんけん式にランダムに決めるという手立てがあれば、納得感につながらないでしょうか。
 なにより、じゃんけんが日常の場面で比較的使われる方法なのは、レフェリーが要らなくて済むという特性が大きいと思うので。

──それで思い出すのが、昔、柄谷行人がやっていたNAMという運動ですね。そこでは代表をくじ引きで決めるなど、あえて偶然性に身を任せることによって特定の権力性を排するべきだという議論がされていたそうです。いま渡邊さんが仰ってたのは、そこに通じる議論だと思いますよ。しかし、実際に何が起こったかというと、くじ引きで決めた代表には何の正統性もないために、実質的には柄谷行人と取り巻きのイジメ共同体になってたわけです。ルール上はこいつらがリーダーとなってるんだけど、何の正統性もないから全員柄谷行人を忖度するだけなので、その点の弱さがランダムな意志決定の場合は問われることになると思う。

簗瀬 納得が一番大事ってことですね。どこまでじゃんけんで決めてOKなのかのラインは、人によっても違いますし。

濱崎 じゃんけんはシチュエーションによっては、ある意味での正統性があるわけですよね。例えば僕らが「今日の晩飯何食いに行こうか」ってとき、じゃんけんで決まったところに行くことに誰も異論は挟まないし。

──つまり、じゃんけんのポイントは、渡邊さんが仰っていたように人格的なレフェリーがいないという点ですよね。これは利害対立する意志決定のルール設計の正統性をどう確保するかという話で、その点をクリアできればメンツの問題はある程度解消できるのかもしれません。
 「どこかの国に提案されたから」とかであれば、大国であればあるほどメンツに関わってくるし、国内世論の問題にも関わってしまう。そうした部分に、さっきのAlexaのような非人格的な存在に代替させる可能性もありうるかなと思ったのですが、いかがでしょうか?

簗瀬 例えば大国家の利害調整をAIがしてます、みたいな世界になると、攻撃対象は全部AIになるんじゃないでしょうか。つまり自分たちの生活を脅かしてるのはAIで、今度はさっき宇野さんが仰ってたような「金持ち喧嘩せず」の特権階級ではなく、AIそのものがテロの対象となる、みたいな事態ですね。

西田 結局、先程のスマートコントラクト的な自動契約にしてもルール判定を自動でできる部分は限られるし、執行も自動でできる部分は極めて限られるというところがネックですよね。プログラムで簡単にIF文で書けるようなルールばっかりじゃないし。

簗瀬 ただ、世の中が複雑になって誰が敵なのかわからなくなると目についたランダムなものが敵視されやすいので、むしろ被害の少ない明確なものを敵としてアピールしてしまうというのは、人々の攻撃性をコントロールする有効な手段なのではないかと。
 あえて人類共通の敵として、AIを演出するわけですね。

濱崎 とはいえ現状では、人工知能に自動運転[09]させて事故が起こったときに責任を取らせられないから、人間にハンドルを握らせるということもありますよね。人工知能が運転するけど結局は人柱が必要ですよ、っていう話があるわけです。
 一方で、ゲームのルールは執行力をコンピュータの力で得ることができるけれど、人が作ったアルゴリズムであることははっきりしている。けれども、何か起きた場合の責任を問える点は、大きな違いじゃないでしょうか。
 人工知能には責任を帰属させることはできないので、誰か人柱を立てなければならないのだけれど、明文化されたルールについては、ルールそのものの良し悪しとして糾弾できるわけです。

西田 それでも特に日本の場合だと、ルールの欠陥があっても責任を属人化して、誰かを人柱にしがちですけどね。だから我々としては、ルールを責めるということを、もっと啓蒙するところから頑張らなきゃならないのがつらいところです。なかなか難しいけどね……。

「熟議」に替わる意志決定システムはありうるか

濱崎 こうしてルールの正統性を考え直していくと、熟議はなぜ市民権を得られたんですかね? 熟議をすれば正統性がある、というのは人類の歴史の中でなぜ生まれてきたのか。それこそプラトンとかに遡る話ですけど。

簗瀬 要は殴り合うよりもコストが安いので、そうしたほうが得という社会を作る合理性が一時期にはあったということでしょう。今でも通用するけど、テクニックが発達しすぎて決着が付かなくなっている。
 でも結局、今の時代になっても人間の本心は絶対にわからなくて、例えば戦争を起こした人がなぜ戦争を起こしたのかは、きっと本人にすらわからない。そこが熟議が重要視されるようになった一番の理由なのではないかなという気はします。
 つまり、人間の本心がわからないから言葉というテクニックで勝負することになって、言葉で決めたルールで人間を支配することが合理的な戦略になった。

栗原 言論的合意は正しいという神話がなぜできたかという話ですね。そこには理性に対する絶対的信頼みたいなものがあるわけですが。
 でも、熟議で決めたルールが優位であるというのは、あくまでも多数が歴史的にそういう取り決めをしたからであって、合理的であるかどうかで説明するのはちょっと違うのかなと思うんですよね。

簗瀬 結局、手続きとしての納得感だと思う。感情面も含めての。

──こんなことを言ったら政治学者に怒られると思うんですけど、現代における熟議って何が素晴らしいのかまったくわからないんですね。だって多数決の中にマイノリティーの意見を活かしたいなら、最初からマイノリティーの意見をある程度取り入れる仕組みを整備すればいいだけの話で。だから熟議は、マイノリティーの可視化や情報集約がコンピュータの性能が低くてできなかった時代の産物だと思うんですね。むしろ熟議の機能は、その納得機能に絞って議論していったほうがいいと思います。
 言ってしまえば、簗瀬さんの「誰でも神プレイできる[10]」ということのバリエーションのオリジネーターが実は熟議であったということですよね。

簗瀬 つまり納得できるシステムがあればいい。渡邊さんがやっている研究は、納得に必要ないものはすべてシステムから削っていくみたいな方向じゃないですか?

渡邊 うちの研究室でやってるのは、ランダム意思決定系のバリエーションみたいな話ですが、いつも学生の発表順やゴミ捨ての当番なんかを決めるとき、そこで自主性を発揮して合議で決めるのも面倒くさいからと、今はSlackのランダムbotを作って何の議論もせず一瞬で決めることにしています。みんなその仕組みに従うことは合意しているので、ひとり決定権を委ねた神のような存在がシステムとしていると、非常に心地よく納得できて、一瞬で物事が決まっていくわけです。

簗瀬 うちの場合も昼13時くらいにみんなでランチにいくんですけど、ランチbotが行く店を提案してくるようにしてあります。でも、そこで提案してくるランチには結局ほとんど行かない(笑)。ただ、最初の一提案があるかどうかで、決まる早さがまったく違う。「もっといい方法があったら提案してください、無ければこれでいきます」という、納得のための仕組みとして機能している。

渡邊 そうですね。わざわざ能動的に熟議しなくてよい事柄はいろいろあると思うので、もっとランダム型の意思決定システムはもっと増えてもいいんじゃないの? ということです。
 さらにうちが進めているのは、ここにポイントづけの仕組みを加えることです。先程のランダムbotとの組み合わせで、徳を積んでいる人ほど当たりにくくなるみたいなことをやっていったら面白いんじゃないか、という実装を試しています。いま中国のIT社会の話題で、人民の信用度を可視化する「芝麻信用[11]」のシステムが物議を醸してますが、その政治権力と結びつかない版ですね。
 人間をポイントで管理することについては、ディストピア的な管理社会のように言われて世の中的なアレルギーが強いですが、「今日は俺の徳ポイントをあげるから、お前ゴミ捨ててきてよ」みたいに、あるレートで電子マネーみたいに流通可能になったりすると、コミュニケーションスキルに依存しない交渉がしやすくなるので、消極的な人にとってはもっと生きやすい社会になる面もあると思います。

簗瀬 あと、そういうポイントシステムの良いところは、何か「良いことをする」だけでなく、交通違反しないとか赤信号は渡らないとか、単に「悪いことをしない」ことも含めて加算できるところですよね。

現代の戦争としてのテロリズムをどう抑制するか

──ここで、もう一つの論点として、テロリズムの抑制についても議論できればと思います。
 現代の戦争の形態は、領土や資源をめぐる国家間交渉や権力闘争の延長線上にあるというよりも、世の中に何かのメッセージを発しようとするテロリズムの延長線上にあるものに変わりつつありますよね。
 テロリストは、その行為によって体制そのものを覆そうとはほぼ考えてなくて、人を殺傷したり街を破壊したりすることで、世界の真実を暴き出すことを目的としている。特に自爆テロの場合は、自分がその現実的な政治効果の結果を見ることすらないわけですから。
 だとすると、わざわざテロを起こさなくてもテロリストたちの衝動が満たされてしまったり、別の行動のほうの選択価値が高くなるようなゲームルール的なハックは考えられないかと思うんですよね。

簗瀬 まず単純に考えると、テロリストの目的がメッセージを発することであるなら、Twitterが超素晴らしくて、テロする代わりにメッセージをポストすることで衝動が満たされるなら、現実にテロを起こさなくて済む。

西田 逆に言えば、Twitterに投稿してみんなに見てもらえるような人だったら苦労しない。だから事件を起こしてみんなに見てもらいたいわけですよね。
 例えば私が東京に来るとき、新幹線に鉈を持った人がいたとしたら、どうしたいと思うか。おそらく下手に闘うよりも、何かうまい一言を言って、その人の人生をまるごと救ってあげることによって解決したいと願うでしょうね。その人を否定するんじゃなくて、例えば一緒に100万円使って何かやろうぜとか(笑)。
 なんて言えばいいのかわからないけど、Twitterに100万円プロモーションかければ見てもらえるかもしれない。それで私が死なないで済めば100万円は安いものだと思いますし。いろんな国でテロがあるという話を聞くとすごく身近に感じていたんで、そのたびに考えていたことですが。

簗瀬 何か訴えたいことがあるからアクションを起こしてるわけですしね。人を殺せば主張を聞いてもらえるとか、自分の命を絶てば主張を聞いてもらえるという仕組みがあると思ってるから、そういうことするんですよね。

西田 だから、もう少しハードルが低く聞いてもらえれば良いなと思うんです。Twitterでみんなに聞いてもらうのって難しいじゃないですか。毎日何言ったらバズるんだろうと思っていろいろ実験してるけど、なかなかバズらない。
 もし「これ以上、世界が俺を無視するなら今からテロを起こす」という人がいるなら「俺、リツイートしてあげるよ!」みたいな気持ちになるし、みんなも押すと思うんですよ。でも、いまリツイートしたら落ち着くことができるという人がいたとしても、わからないじゃないですか。

濱崎 それは死ぬ死ぬ詐欺になっちゃいそうですね。

簗瀬 いくつかレベルの違いはあって、承認欲求を満たしたいだけの人もいれば、本当に社会的に困窮してる人もいるから、必ずしもテロとは一概に語れないかもしれないですけど。

濱崎 聞いてほしいだけなのにクソリプが来たりするわけですよね。みんなに聞いてもらえれば落ち着くどころかもっと酷いことになる、みたいな。

簗瀬 クソリプが来る可能性のほうがはるかに高いですよね。

──さっきの渡邊さんのランダム意思決定の話を聞いて僕が考えていたのは、100ドルくらい払ってエントリーすると、何千分の一かの確率で世界中のYouTubeを5分間だけジャックできる権利みたいなものを実装するとか。
 例えば、パリのオペラ座とかで5人殺して自分たちの主張を世界に伝えるのと、5分間だけ世界中のYouTubeをジャックできるのと、どちらがメッセージとして強烈なのかというと、なんとなく天秤にかけられそうじゃないですか。5分だと弱いかもしれませんが。

濱崎 選挙のときの政見放送みたいなものですね。選挙になれば、みんな5分の放送のために供託金払って、どんな泡沫候補でも好き勝手なことを言えている。

栗原 たしかに。NHKに5分出させてあげますよ、みたいな権利を、社会が機構として用意しておけばいいんですよね。

戦争のロマンティシズムを脱臼するために

──ただ、ここで問わなければならないのは、ロマンティシズムの問題だと思います。つまり、何故みんな戦争をしたがるのか。それはたぶん、歴史と自分の人生が結びついているような感覚がロマンチックだからですよね。国民国家というものは、人々にあまねくそうした高揚感を与えるための装置だったと言っても過言ではない仕組みだったわけで。
 だから国民国家は総力戦なんてものも可能になった。その過程で戦争の形態はだいぶ変わっているんだけど、20世紀的な総力戦でも現代的なテロでも、ロマンティシズムこそが最大の駆動力になっている。つまり、人間はそもそも大義によって他者を殺傷することがものすごく気持ち良くて、快感を得られて、達成感を抱いてしまう動物である。
 このロマンに対してジョン・レノン的な平和運動が掲げた、人間は手をつないでハッピーな歌を歌うほうが気持ちいいというラブ&ピースのカウンター・ロマンティシズムは、端的に負けた。この現実から出発するしかないと思うんですよね。

簗瀬 そもそもテロを起こす集団というのが、そういう人間の性質に即して、格好良さとか所属することの価値とかを高めていく方向で国民国家のレベルのロマンティシズムをハックした存在なので、すでにハックされているものを外側からハックし返すのは相当な無理難題ですよ。非常にハードルが高いです。せめて西田さんがテロリスト集団に潜入して、シャイハックの価値観を広めるくらいの覚悟での逆ハックが必要(笑)。

栗原 今の話に対して思い出したのは、アメリカの学校の先生が銃の襲撃事件を受けたときの対策にVR教育コンテンツを作りましたというニュースです。そこには子供たちを逃げさせる視点と、犯人となって大量虐殺をする視点の両方があって、それによってお互いの立場を学べて、より良い避難行為ができるようになるというものでした。
 こういうふうに疑似体験によって共感性を高めるタイプのやり方は、今の文脈だとどう捉えられますか?

──それは多分、わかりやすく正しさや憐れみを通じて理性に訴える方法だと思います。平和のほうがやっぱり尊いとか、撃たれて目の前で人が苦しそうにしているのが可哀想だとか、それは当然正しいわけですが、人間という生き物にとって、ロマンティシズムに比べると弱い動機づけだと思うんですよね。だから、正しさや憐れみでロマンティシズムを中和するんじゃなくて、ロマンティシズムそのものをいかにハックするのかを考えたほうがいいという気がするんですよね。

簗瀬 やっていて犯人の立場のほうが楽しい、となる可能性はありますね。ただ、それは結局クオリティによると思っていて、すごくリアルに作ると相当嫌なものだし、リアルな殺傷行為それ自体にはそれほど多くの人を惹きつけるような快楽性はないと思うんですよ。
 そういう意味では、戦争ゲームは戦争のロマンティシズムを最大限に活かしたコンテンツの代表格ですが、同時にそのロマンティシズムを壊すことに相当注力していて、あんなに「戦争嫌だな」と思えるコンテンツはそうそうないですよね。
 例えば『コール オブ デューティー(CoD)』のシングルプレイモードとか、『ファークライ』とかですね。実はあれ、相当な反戦ゲームになっていると思います。いかにもな反戦コンテンツは基本、反戦的な価値観に興味がある人しかやらないじゃないですか。でも、『CoD』は何かしら戦争に魅力を感じている人がやっていて、シングルプレイでストーリーをやったときに「戦争やばい」と思うのはかなり大きな話です。要はすごい高揚感を持って、敵とかをバンバン殺していけるんだけど、物語体験として本当にロクでもない展開になっていって、核が爆発して仲間が死んだり、かなり後味の悪い結末が用意されていますよね。高揚感の果てにすごい虚しさが残るみたいな。

栗原 つまりVRでリアリティを提示していくことは、ロマンティシズムに駆り立てる一瞬の高揚というものを中和する上では役に立つ。ちょっと時間はかかるかもしれないけども。

──人間の正しさや憐れみに訴えるよりも、ロマンティシズムに訴えた上で、それを脱幻想化していくというのは洗練された発想ですよね。
 ただ、もっとロマンティシズムそのものを、脱力していく方向というのも考えられないか。つまり、元々ロマンに魅入られてしまいそうな人たちを、逆に消極的にしていくような手はないでしょうか?

栗原 ちょっとわかってきました。我々は消極的だから、消極的な人に対して何かできるけど、結局オラオラの人に対してはどうしようもないじゃないですか。これはオラオラの人をどうしたらこっち(消極サイド)に引き込めるのかという問題だったんですね……。

消極化装置としての「日本」をハックせよ

──この議論が響くのは、戦後中流の達成とその限界にぶち当たっている人たちだと思うんですよね。戦後の西側諸国は経済的に安定していて、法整備がされていて、国家とマスメディアも適度に距離が離れていれば、極右政党とか共産党とかが政権を取ることがないし、そんな好戦的な国家にならないだろうという前提でやってきた。けれどもどこの国もその前提が経済不安によって簡単に崩れ始めている。あえてでかい話をすると、20世紀後半の西側先進国は、要は啓蒙主義の限界にぶつかってしまっているわけです。
 だから消極的デザインは、アンチ啓蒙主義だと思うんですよ。人々を啓蒙して「能動的な市民として意識を高く持て」と言っても、そんなことで世の中はよくならないことははっきりしている。そうではなく、能動性の低い消極的な人でも、スムーズかつ快適にコミットできるようなストレスマネージメント管理の発想で回さないと、もう社会は立ちゆかないだろうと。
 まとめると僕としては、それが消極性デザイン研究の根本にある思想だと思うんですね。

栗原 これは国家的な成熟や退廃と関係があるかもしれない。例えば、私はインドの学園祭に呼ばれたときに消極性の話を一応話してみたんですけども、今、高度成長の真っ最中であるインドの人にこの話をしても仕方がない感がすごすぎた。
 一方で、消極性デザイン的な仕組みというのは、従来のシステムに比べると弱者を助ける方向に舵を切りすぎているところがあるので、実は悪意に対する脆弱性とか悪用されやすさが激しかったりする。宇野さんが仰るようにガチンコの戦争希望者やテロリストをどう止めるかという話になったときに、オラオラの彼らをこっち側に巻き込むかについては、もっと違う発想で臨まないとダメなんじゃないか……という気はします。

西田 人を消極的にする仕組みで一番うまくいっているものは、日本では学校とか会社といった所属型のコミュニティに身を置くことですよね。会社を転職しないとか、学校で悪さをしないとか、その中で消極的に生きていくことだけで自足できる人が多数派だった。
 そこに入らない人が全員がそこにうまく入れていれば、たぶん完璧な実装になるんだけど、実際にはそこに入れない人が増えていきていることが、現在の日本社会の問題になってるんだと思います。でも、他国よりはよほどうまくいっていて、それが相対的なテロの少なさとかにだいぶ貢献してきた気がしなくもない。
 だから、現代的なネットコミュニティの所属感を、もうすこし学校っぽくするみたいなことが必要なのかもしれない。今はどちらかというと、学校からはみ出ている部分をインターネットが主に担っている気がして、それだけだとディストピア感しかないんですよ。
 そういう日本的共同体が持っている、人をいい意味で消極的にするところだけ、うまく活用できないかなという。

──難しい話ですね。これは日本型企業や共同体の体質の背後にある戦後政治への一般的な理解だと思うんですけど、建前はともかく本音レベルでは「決められない」政治を仕組みとして実装することによって、日本は暴走リスクを下げてきたわけですよね。もっと現実的には、暴走のしようがない冷戦下の国際環境に置かれたことのほうが大きかったわけですが、ここには大きな問題があると思います。
 というのは、やはり日本型の消極性は、内部的ないじめの温床でもあったということですよね。同調圧力に屈する日本的な村人たちは外に対しては好戦的ではないかもしれないけど、内側にいる空気を読まない異物に対しては、徹底的に排除する習性があるという問題。だからこそ、そこからはじかれた連中による連合赤軍やオウム真理教みたいな事件が起こってしまったという歴史があるわけです。 ただ、そうした悪しき戦後日本性の問題点を前提にしつつ、うまく美点だけを部分抽出してロマンティシズムの抑制にしようという西田さんの問題提起は、十分に議論できると思います。

西田 連想なんですけど、ソーシャルゲームにおけるログインボーナスのような仕組みは、そのコミュニティにおいて「とりあえず出席を取る」みたいな、学校的な所属性のエッセンスを非常にうまく落とし込めている気がします。しかもポイントは、学校と違って会わないし、交流もしないので、いじめのリスクが回避できる。
 だから、ログインボーナスがもらえるから、とりあえず社会にログインしておくか、みたいなノリを世論とか政治的なところに入れておくと、積極的な市民としての社会参加とは違った回路での、ゆるい所属性の醸成につながるんじゃないかと。

簗瀬 社会ログインボーナスは、本当にいいアイディアですね。例えば、選挙に行ったらそれこそポイントをもらえるとか、応募券が手に入って当たると税金が10パーセント安くなるとかがあっていい。

西田 そこまでいくと、よくゲーミフィケーションであるような選挙に行かせようとか何かをやらせるための仕組みになってしまうけど、社会ログインボーナスは、もっと「◯◯しない」ことに付与されるようなハードルが低いものでいい。
 ソシャゲのログインボーナスは、ゲームに参加したり課金しなくてもいいから、せめてログインだけでもしてもらえるように用意されてるわけですが、元々は能動的だった人のプレイを消極的にするように誘導しているという転倒した面も、実はあるような気がしています。
 つまり、積極的に遊びたくてやっていたはずなのに、とりあえずログインしないと損だからやっているみたいなすり替えが起きて、それが日常性を形成していく。我々が抽出すべき学校の機能は、そのへんにあるんじゃないかな。

──ロマンティシズムを中和できるものとして、まず理性はダメ、憐れみもダメ。何が有効かというと、意外と「めんどくさい」じゃないかなと思うんですよね。
 つまり、たぶん今こんなに簡単にテロが起きるのは、簡単に爆弾が作れて、それでその爆弾の成果を簡単にYouTubeで発信できるからですよね。だからもし、爆弾を作ることや、YouTubeで発信することのハードルを何らかの手法で上げて、もっと「めんどくさい」行為になれば、テロのロマンティシズムに対してのかなりの抑制になると思う。
 つまり、大それたことをしない人は、人格的に良い人だからしないのではなく、単に怠慢だったり、だらしないからやらない人がほとんどだと思うんですよ。そういう人間のダメなところをハックするほうが、実は有効なんじゃないか。そういったところにつけ込んだほうが、平和に近づいていく気がします。

簗瀬 それなら、まさにテロの動画とかはYouTubeに投稿できるんだけど、実は自動的に誰にも見えないようになって、しかし機械的に7「いいね」くらいされる仕組みにする。つまり、柴犬の動画は30 0いいねされているのに、テロは7いいねしかされなかったら、相当やる気なくなりますよね。

西田 あるいは、「テロを決行するのは、とりあえず今日のログインボーナスをもらってから考えよう」みたいなダメさ加減まで持っていければ有効になるかもしれない。例えば、失業してやることがなくてパチンコに並んでいる人とかは「今日こそ確変して大当たりするかもしれない」くらいの希望は持ってるじゃないですか。「もしかしたら今日のログインボーナスで100万円もらえるかもしれない。うぁ〜ダメか、ハズレか」みたいな感じで、とりあえず一喜一憂できる。
 さっき渡邊さんがランダムなシステムの手法の導入について話していたとき、意思決定の正統性とか世論の抑制の面ではあまり効かないかもしれないと思ったんですけど、社会からはみ出しそうな人々の日常にダラっとした希望を与えられるという意味では、かなり実装価値が高いのかもしれない。

濱崎 それって徳ポイントの話とも合わせて、昔ながらの「お天道様が見ている」という考え方に近いですよね。神様が見ているからちゃんと振る舞わないと来世で良い人生を送れない、みたいな。それを守るほうが自分が幸せになる確率が高いと思ったら、道徳的評価の上がるふるまいをしようとする。確率的ベーシックインカム[12]の導入が、その信念に確からしさを与えるわけですね。

西田 ランダムよりはそれなりにいい実装ができる可能性がある。ランダムだと言っているんだけど、裏では本当はランダムではないみたいな。

──これに弱点があるとしたら、やっぱりロマンチックじゃないことですよ。

西田 うーん、どうでしょう。生まれたときからずっとランダムで当たりがくるのが当たり前だと思っていたものを失うとしたら、結構心にダメージを負うと思うんですよ。要するに超消極的になっちゃうと思うんですね。
 生まれながらのテロリスト集団の場合は仕方がないですが、生まれながらに日本政府提供のログインボーナスを与えられていたら、国民は今よりもさらに消極的になってしまって、そこから頑張ってロマンを目指すような人が出なくなるぐらいの劇的な影響があるんじゃないでしょうか。
 もっとも、それだと超消極的になりすぎて、普通の国民生活を送る上でもだいぶ悪い影響になってしまいそうですが……。

栗原 よくゲーミフィケーションの成功例として引き合いに出されるケーススタディに、スピード違反の人に罰をするのではなく、スピードを守っている人に対してクジでポイントかお金を渡す政策がいい、という実践例があります。これは若干ロマンチックじゃないでしょうか。
 「私はちゃんとルールを守っている。だから報酬を受ける資格がある」というほうが、「あいつ、ルール守ってないじゃん」というのに比べて、何か大きなものに認められているようなプライド感が生まれる気がします。

渡邊 「ログインし続けていたら不死身の存在になれる」という状態になると、だいぶロマンチックじゃないですか?
 つまり良いことをしていれば、蓄積されたビッグデータからTwitterbotみたいな自分のAI化をしてもらえて、将来にわたってずっとその人の仮想人格がメッセージを発信し続けられるようになる……みたいな。

栗原 テロで死んだらおしまいだけど、もうちょっと良いことをしていたら、あなたは永続できると。イスラム原理主義集団が自爆テロの実行者に「来世で良いことがある」と教唆する方便の現代版ですよね。

簗瀬 あとは、かつての『セカンドライフ』みたいなロマンティシズムと直結した仮想世界が普及して、みんなが潜るようになったら、その中でテロを起こすということが捌け口になるかもしれませんね。
 それはみんなに影響があるし困る人も出てくるだろうけど、少なくとも現実世界で爆弾テロをするよりはマシかなと。現実のほかに現実とほぼ同じぐらいのインパクトを与える社会的レイヤーを作っておくことが、安全弁になるかもしれません。

──それは落合陽一の言う「貧者のVR[13]」的な発想ですよね。彼は世界に不満をもつ層の全員にゴーグルを被せて、『スター・ウォーズ』的な夢を見せろと言うんだけど、もうちょっとエレガントな方法がある気もします。それが無害なものに密かにコントロールされたロマンティシズムなのか、それともログインボーナス的なものになるのかどうかは、アプローチの違いでしょう。そうした人間観に基づく介入の内実が問われていく段階に入っていくのだと思います。
 本日は難しい問題設定にもかかわらず、さまざまな魅力的なブレインストーミングができたと思います。皆さん、ありがとうございました!

[1]消極性研究会
 人間の持つ「内気さ」や「消極性」といった要素を研究対象として分析しながら、コミュニケーションを活性化したり、コミュニティの運営をより円滑に行えるような仕組みづくりを目的とする研究会。
 インターネットの発展により、人々が膨大な情報に晒されるようになった昨今。人間の積極性は有限なリソースであるという認識のもと、消極性を必ずしもネガティブな要因と捉えずに、その傾向を保持しながら人々が快適に共存できる社会を作ることを目指して、さまざまな研究活動や社会提言を行っている。
 2014年に慶応大学で開催された人工知能学会合同研究会の中で設立が発表された。現在のメンバーは栗原一貴氏、西田健志氏、濱崎雅弘氏、簗瀬洋平氏、渡邊恵太氏の5名。2016年に研究会のメンバーによる初の共著『消極性デザイン宣言−消極的な人よ、声を上げよ。……いや、上げなくてよい。』(BNN 新社)を刊行。
 2018年4月より、PLANETSのメールマガジンで『消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。』を連載している。

[2]Speech Jammer
 栗原一貴氏が塚田浩二氏と共同で開発した、他人の発話を阻害し、強制的に会話を続けられなくするデバイス。
 聴覚遅延フィードバックを応用した仕組みで、指向性マイクで受け取った話者の声を、数百ミリ秒遅らせて再度話者に発信。微妙にズレた自分の声を聞かされた話者は、次第に自分が何を話しているのかがわからなくる。
 このデバイスを向けられた人は、うまく会話を続けられなくなるため、場所をわきまえずおしゃべりを続けている人や、制限時間を過ぎても話し続けている人の会話を、大声や暴力を伴わずに遮断できる。
「言論の自由は人々に平等に与えられるべきものであり、『声の大きい人が勝つ』と俗に言われるような、特定の人物だけに言論が占有される不公平を払拭したい」という発想から始まったこの研究は、YouTubeに投稿されたデモ画像が海外で大きな反響を呼び、2012年にイグ・ノーベル賞を受賞している。

[3]bot
 人間の作業を代行するプログラムの総称。
 Twitterでは、あらかじめ指定された内容のツイートを定期的に投稿したり、特定のキーワードを含んだツイートに反応してリプライ(返信)を自動的に送るbotがよく知られている。
 投稿の内容としては、天気予報や為替動向などの実用的な情報を定期的に通知するものや、歴史上の人物や架空のキャラクターの名言を発信するといったものが多い。
 サーバーとプログラムの知識があれば比較的簡単に作成できる上に、一度稼働すれば作成者が停止しない限りは半永久的に稼働し続けることから、Twitter上では膨大な数のbotが可動している。
 さらに近年は、人工知能を搭載したbotも登場。マイクロソフト社が開発したAIチャットボット「りんな」は、ユーザーのコメントに対して臨機応援な応答が可能で、きわめて高度でフレンドリーなコミュニケーションが人気を博している。

[4]スマートスピーカーの活用法
 栗原一貴氏が提唱しているスマートスピーカーの新しい使い方。感情的なコミュニケーションをスマートスピーカーに代替させることで、人間関係の中で生じる精神的な負担を和らげる。
 例として、子供に朝の登校を促したり、ゲームを切り上げさせるといった、感情的な叱責になりがちな会話を、スマートスピーカーの自動音声で代弁させるテクニックが挙げられている。
 親側としては自分が叱るよりも「ほら、Alexaが早く準備してって言ってるよ?」といった風に、第三者的に振る舞うことができるため、イライラしがちな局面でも冷静に対処しやすい。一方、子供の側では、感情が希薄な人口音声での指示に対しては反抗的な態度を取る気が起きず、感情的なわだかまりも抱きにくくなる。
 このような人間関係に付随する摩擦を和らげる媒介としてスマートスピーカーを利用する手法は、ビジネスコミュニケーションの場でも応用可能であると、栗原氏は述べている(詳しくは「消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。第3回 アレクサで始める#SHYHACK」を参照)。

[5]Watson
 IBM社が開発した人工知能プログラム。
 自然言語処理を得意とし、人間とのやりとりに際して文脈を理解した適切な応答を行えるのが特徴で、数式やテキストのみならず、画像、音声、表情、さらには空気感といった要素まで理解しながら、仮説と推論を元に言語コミュニケーションが行える。同社はこの人工知能を「コグニティブ(認知的な)・コンピューティング・システム」と定義している。
 2006年に開発がスタートして以来、年を追うごとに性能は向上。2011年には米国の人気クイズ番組「ジョパディ!」で、人間のクイズ王と対戦し勝利を収めている。
 2013年に一般デベロッパーへの提供が開始され、現在は仮想コンシェルジュやオンラインサポートなど、対話型サービスを中心に様々なシーンでの活用が進んでいる。
 自然言語処理以外にも利用の幅は広がっており、2016年には白血病患者の正確な病名をわずか10分で見抜き、効果的な治療に貢献したことが話題となった。

[6]スマートコントラクト
 1994年に法学者・暗号学者のニック・スザボが提唱した概念で、コンピュータによって、契約(コントラクト)にともなう作業全般をプログラムし、安全かつ高速な履行を行えるようにする技術のこと。
 「契約時の交渉」「契約内容の検証」「契約の実行」が、署名や押印や保証人を介在する手続きを経ることなく、自動的に行われるようになるため、労働力とコストの大幅な削減を期待できる。
 スマートコントラクトのサービスは基本的に、ブロックチェーン技術を利用したP2Pによる分散型アプリケーションとして展開されており、契約内容は仮想通貨と同様の仕組みによって改変不可能な状態で保存される。
 特に近年は、イーサリアムをプラットフォームとして採用するサービスが増えており、スマートコントラクトはオークション、音楽データ販売、不動産売買といった多彩な分野へと進出している。

[7]ブロックチェーン
 分散型台帳技術とも呼ばれるテクノロジー。
 複数のブロックが連結されたチェーン構造のデータベースで、特定のサーバーに依存しない分散的な仕組みに基づいたデータの保全が行えるのが特徴。
 新しいブロックを追加する際には、複数のコンピューター間で処理能力の競争が行われ、最も優れた計算力を持つものだけがブロックを追加して、一定の報酬を得られる。このプルーフ・オブ・ワーク(PoW)の仕組みでは、既存のチェーンの書き換えに莫大な計算力が必要とされるため、一定数以上のユーザーが競争に参加しているブロックチェーンでは、データの改ざんは困難とされる。
 ビットコインの基幹技術として2009年に公開されて以来、数多くの仮想通貨がブロックチェーンを拡張したテクノロジーによって運用されているほか、仮想通貨以外でも、制作物の著作権や所有権の証明、オンラインでの売買の契約内容の保持など、高度なセキュリティが求められる分野での応用事例が増えている。

[8]座席システム
 西田健志氏が考案した、座席の配置を自動的に決定するシステム。席順を決めるときに、友達同士が固まり、孤立した人が肩身の狭い思いをするのを防ぐための仕組み。
 参加者は事前に「隣同士の席にしたい二人」をシステムに入力。それに基づいた席順が自動的に生成される。この「隣同士の席にしたい二人」には、自分自身を含めても含めなくてもよい設定になっている。そのため、誰の意図が反映された席順なのかを参加者たちが推測することは困難。この機能によって「ある人の隣りに座りたいが、そのことを相手に悟られたくない」という消極的な人でも、利用しやすくなっている(ほかの参加者の誰かが、隣同士の席を勝手に指定したことにできるため)。
 また、疎遠な人同士の交流を、他の参加者が後押したい場合にも有効。偶然を装ったさりげない接近を演出できるため、面と向かって人を紹介されると萎縮してしまうような消極的な人にとって、精神的な負担が少ないというメリットがある。

[9]自動運転
 人間の運転に頼らずに、自動車を自立的に走行させるためのシステムの総称。 運転に機械が介入する度合いによって、レベル1からレベル5までの段階が設定されている。
 レベル1ではステアリング操作やスピード調整などの単一機能の支援。レベル2では二つ以上の機能の同時支援を行う(ここまでは「自動運転」ではなく「運転支援技術」と呼ばれる)。レベル3になると、限定的な状況下(高速道路など)での運転全般を機械が代行するようになり(ドライバーは緊急時の運転切り替えに応じる必要あり)。レベル4では、限定状況下において(緊急時も含め)ドライバーの関与が一切不要の自動運転となる。そしてレベル5では、あらゆる状況での運転が機械によって自動化され、ドライバーは完全に自動車の運転から開放されることになる。
 2018年時点で、自動運転を謳っている市販の自動車のほとんどはレベル2の機能に留まっているが、唯一、アウディ社の「Audi A8 」のみがレベル3に到達している。なお、自動運転のための法律が未整備であるため、日本国内の道路では走行できない。

[10]誰でも神プレイできる
 簗瀬洋平氏が考案した、初心者でも高度なゲームテクニックを擬似的に体験できるシステム。「誰でも神プレイできるシューティングゲーム」と「誰でも神プレイできるジャンプアクションゲーム」がある。
 前者のシューティングゲームでは、コンピュータはプレイヤーが自機を移動させる範囲を予測し、ギリギリで当たらないところに敵弾を飛ばす。それを知らないプレイヤーは、あたかも絶妙なテクニックで敵弾を回避しているかのように錯覚する。
 この仕組みによって、シューティングゲームが苦手な人でも、画面全体に広がる弾幕をくぐり抜けるシューティングゲームの爽快感や醍醐味を体験することができる。
 こういったシステムを、プレイヤーに知られることなくゲームの中に組み込むことで、シューティングゲームやアクションゲームを苦手としている人にも、「上達している感覚」を適度に与え、ゲームをプレイし続けるモチベーションを喚起させられる。

[11]芝麻信用
 中国で運用されている個人信用評価システム。セサミ・クレジット、あるいはジーマ・クレジットとも呼ばれる。
 中国の巨大企業アリババの関連会社が展開しているサービスで、ユーザーの経歴や振る舞いを元に、信用度に基づいたスコアを算出し、それに応じたサービスを提供する。
 査定の対象となるのは、職業や学歴、保有している金融資産、オンラインの決済履歴、ソーシャルメディアでの交友関係、公共料金の支払い履歴など。個人データを積極的に提供するほど、スコアは高く評価される傾向にあり、ローンの活用も含めた積極的な消費行動や、レンタルの返却期限を守るといった倫理的な振る舞いも評価対象となる。
 高スコアのユーザーは「社会的信用がある」と見做され、レンタカーやシェアサイクルの利用時にデポジットが不要になる、グループの金融会社から融資を受けやすくなる、高スコア会員限定のマッチングサービスに入会できる、といった利便性を享受できる。
 ライバル企業のテンセントグループも、テンセント・クレジットという同様の信用システムを展開している。

[12]ベーシックインカム
 国家が全ての国民に対して、基本的(ベーシック)な所得(インカム)を支給する政策のこと。
 その発想は18世紀末のイングランドの哲学者トマス・ペイン(写真)らに遡るとされ、生存権に基づいた最低限度の生活を保証する金額を無条件に給付することで、貧困問題の抜本的な解決を図る。
 また、年金・雇用保険・生活保護といった、これまでの社会保障政策を一元的に置き換えることで、制度の簡略化に伴う管理コストの削減を期待できる。
 その一方で、巨額の財源の確保の難しさや、人々の労働意欲が削がれる、無計画に給付金を浪費する層を抑止できない、全国民への一律給付になるため格差を是正しないといった点から批判も多い。
 国家制度としての具体的な実現への見通しは立っていないが、オランダやフィンランドでは、都市単位での実験的な実施が始まっており、日本でも希望の党などがベーシックインカムの導入をマニュフェストに掲げている。

[13]貧者のVR
 メディアアーティスト・工学者の落合陽一氏が提唱する、VR(バーチャル・リアリティ)技術が大衆に普及した近未来のライフスタイルについての、比喩的なヴィジョン。
 現在のVR技術は、一部の研究者や技術者の間での局所的なブームに留まっているが、将来的には低価格化により、現在のスマホゲームのように大衆層、特に低所得層への普及が進むと予想される。そこでのVR技術は、現実そのものを〝実質的に〟置き換えて感覚を支配し、現実世界での幸福度の上昇が見込めない人々を強く依存させることになる。
 落合氏によると、極めて高度に発達したテクノロジーは、その原理の不透明性から「魔術」や「魔法」のような現象として人々に認識される。そのパラダイムにおけるVR技術は、中世におけるカテドラル(大聖堂)のような、過酷な現実を生きる民衆の心の慰めになり、前近代で宗教が担っていた人々の精神の補完装置としての役割を果たすとしている。
「貧者のVR」の背景となる理論については、落合氏の著書『魔法の世紀』『デジタルネイチャー』を参照。

(了)

司会:宇野常寛 構成:中川大地 キーワード解説:菊池俊輔
本稿や特集「『戦争と平和』の現在形」が掲載された『PLANETS vol.10』は、PLANETSの公式オンラインストアからご購入いただけます。
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