安宅和人さんに呼び出される

 2年と少し前のことだ。年末も近づいたある日、僕は渋谷で寿司を食っているから来ないかと突然誘われた。時刻はもう21時を回っていて、僕はちょうど帰宅するために編集部を出ようとしていたところだった。FacebookのMessengerで僕を呼びだしたのは、安宅和人さんだった。普段の僕は仕事仲間からの「飲み」の誘いをなるべく断ることにしている。そういう夜の交流がなくても、ちゃんと信頼関係を構築できないと結局はいい仕事は残せない。そう確信しているからだ。しかし、そのときだけはすぐに、呼び出しに応じることを決めた。理由はひとつ、それが安宅和人さんからの呼び出しだったからだ。安宅さんと僕とはこのとき知り合って既に5年以上経っていたと思うのだけど、こんな風に僕を呼び出すのははじめてのことだった。僕は安宅さんと知り合ってすぐに彼に興味をもって、「意識の高い」ビジネスマンのバイブルだという彼の著書『イシューからはじめよ』を読んだ。そして、この本はビジネスのノウハウについて論じているようで、実はまったく違うことを同時に述べている本だと思った。それは、安宅さんの脳神経科学者とコンサルタントを往復してきた特異な経歴の産物なのだろう。僕はあの本は、人間の言語に縛られた思考をどう飼いならし、言語外の領域を扱うかというアクロバティックな方法の提示を通じて、人間の認識や知覚のメカニズムについて論じるというとんでもなくユニークな本なのではないか、と思ったのだ。そしてその日から、安宅和人さんは僕にとって密かにいつもこんなときあの人ならどう考えるだろう、といつもシミュレーションする対象の一人であり続けた。そしていまさら照れくさいが、要するに僕にとって彼はとても尊敬している人物で、僕は単に声をかけられたことが嬉しかったのだ。それともうひとつ。僕はその日、夕食を食べそびれてひどくお腹が空いていて、そして安宅さんが呼び出した寿司屋は以前からちょっと行きたいな、と思っていた店だったのだ。

 店につくと、そこには共通の友人がいた。どうやら僕の話題で盛り上がったらしく、その流れで僕は呼び出されたようだった。僕はまったく別筋で知り合った人同士の意外な関係に驚きながら、既にひと通り寿司は出終わっていることと、安宅さんが少し酔っていることを確認した。そして、僕が恐る恐る夕食をまだ食べていないので、握りをいくつか頼んでいいかと言いだそうとしたとき、安宅さんは僕の肩に手を置いて述べたのだ。「宇野さん、風の谷だよ。風の谷」……それが、僕と「風の谷を創る」プロジェクトとの出会いで、僕はこのときはじめて安宅さんが僕を呼び出したもう一つの理由を知ったのだ。

都市のオルナタティブ=「風の谷」をつくる

 「風の谷を創る」とはいかなるプロジェクトか。詳しいことはこの記事を読んでほしいのだけど、要するにそれは都市のオルタナティブを創るプロジェクトだ。21世紀の人類は、このままいけば都市への人口集中、特に東京のようなメガシティへの集中は避けられない。しかし本当にそれでいいのだろうか。ある日、鎌倉の建長寺のイベントに参加した安宅さんに、このテーマが「降りてきた」のだという。都市への集中以外に選択肢のない未来は貧しい。しかし、かといって既存の山村や漁村の暮らしは都市の縮小コピーを埋め込むことでしか成立していない。新旧の知恵に学び、テクノロジーを批判的に活用することでこれまでとはまったく違った都市ではない場所で、つまり、『ナウシカ』の風の谷の人々のように自然とともに暮らす方法は見つけるべきではないのか。そして、安宅さんは即座にそのために必要な知恵を結集するためにメンバーを集め始めたのだ。

 その数週間後の12月25日、つまりクリスマスの夜に『イシューからはじめよ』を出版している会社(英治出版)の会議室を借りた「風の谷を創る」プロジェクトのミーティング(このときが1回目だったらしい)に僕は参加した。そこには安宅さんが声をかけた、ほんとうに色々な業界の人たちが集まっていた。彼と同じ、情報産業のプレイヤーやコンサルティング関係の人も目立ったが、他にも土木や建築、ヘルスケアや家電などいったいどこから集めたんだと思うくらい多種多様な業界の人たちがいた。そんな中で、僕はどう考えても場違いな人間で、なんだか肩身の狭い思いをしていたのを覚えている。でも、意識の高いビジネスマンや、起業家や、役人たちが集まっているのだから逆に僕みたいなまったく違う畑の、それもお世辞にも意識高い系だとは言えない人間が混じっていることに意味があるのだと思い直した。

 それから月に1度か2度のミーティングを重ねて、僕たちは「風の谷」の骨格をつくっていった。都市とは異なる「住まい」とはどのようなものか。この場所に必要な「道」とはどんなものか。オフグリッドでどうエネルギーを賄うのが現実的なのか。上水と下水を、既存のインフラに頼らずに整備するにはどのような方式が現実的なのか。集まったメンバーがそれぞれの専門性を生かして構想し、足りないときは誰かが専門家を呼んできてヒアリングした。僕が主に担当したのは何ヶ月か議論してきた「風の谷」の思想的なコンセプトを『ハーバード・ビジネス・レビュー』元編集長の岩佐文夫さんと一緒に「憲章」の条文に落とし込むことだ。作業は岩佐さんが起草した原案(この時点でかなり完成度の高いものだった)を、彼と僕とでブラッシュアップし、それをさらにコアメンバーで揉む、という形式で行われた。細かいことはあげればキリがない。でも、僕が特にこだわったのは「(風の谷は)よいコミュ二ティではなく、よい場所である」という条文と、「風の谷文法」と内部では呼んでいる憲章の「語り口」の導入だ。

「まちおこし」がしたいわけじゃない

 前者については、議論の中で固まっていったこのプロジェクトのコンセプトだ。僕たちは決して「まちおこし」がしたいわけじゃない。「まちおこし」を否定する気は、まったくない。でも僕たちがやりたいのは、ゆるキャラや芸術祭で観光客を呼ぶことでもなければ、東京や海外の企業の工場を誘致することでもない。これまでとは違ったかたちで自然と共生する方法の発明なのだ。だから、どちらかといえばその土地の共同体や伝統にはしばられすぎない場所のほうが、「谷」をつくる場所としては相応しいと思っている。もちろん、それぞれの土地の自然と歴史には最大限の敬意を払う。これは前提だ。そしてその前提としての敬意と、いまその土地にまとわりついている共同体のしがらみからは距離を置くこととはちゃんと両立するはずなのだ。僕たちは、そう思って活動している。あと、こうした地方をターゲットにしたプロジェクトはすぐに「地元住民と新住民とが共創するあたたかいコミュニティが」という「いい話」に回収されてしまう。もちろん、それは素晴らしいことだし、僕もまったく別の仕事ではこうした運動も微力ながら応援していたりもする。しかしこの「風の谷」プロジェクトでは、ちょっと、いや、まったく別の観点から人間と自然との関係を再考したいと僕らは考えている。だからあくまで「コミュニティ」ではなく「場所」に主眼を置いた。

▲「風の谷を創る」メンバーで視察した遠野の草原。(宇野は同行せず)(© Gen Kumagai)

 この決定はたぶん、2年間の活動のターニングポイントで、もしここで「風の谷」が「いいコミュニティ」をつくる計画だということになったら僕はこのチームから離れていたと思う。「いいコミュニティ」をつくる運動は他に山ほどあるし、それになにより地域の祭りに半強制参加させられて地元のおじいちゃんとお酒を飲む、みたいなことに僕はまったく興味がない、というかちょっと無理だからだ。(両親とも東北の片田舎の出身で少年時代を昭和後期の地方で過ごした人間としてははっきり言ってこういうコミュニティを礼賛するのは東京の人たちのファンタジー以上のものには思えない。端的に、こういうものが好きな人たちは閉鎖的で前近代的なこの種のコミュニティの弊害を過小評価していると思う。)

「風の谷文法」と運動の「語り口」

 そして後者については、この運動がどうしてもある程度イデオロギッシュなものにならざるを得ないと思ったからこそ、僕はこの「風の谷文法」の導入にこだわった。「風の谷憲章」は基本的に「風の谷とは……である」と、その原則のようなものを書いたものなのだが、その条文にはひとつひとつ「しかし……はその限りではない」「……も歓迎する」といった「留保」がついている。

 たとえば前述の「(風の谷は)魅力あるコミュ二ティである以前に、魅力的な場所である」という条文には「しかし、結果的に魅力的なコミュニティができることは歓迎する」という「留保」がつけられている。あるいは「高い建物も高速道路も目に入らない。自然が主役である」という条文がある。そしてこの条文には「ただし、人工物の活用なくしてこの世界はつくれない」という「留保」が添えられている。中には「(風の谷には)スタバがない」なんて条文もある。そしてこの条文には「ただし、シュルツからのオファーは前向きに検討する」なんて「留保」が添えられている。

 僕がこの「風の谷話法」を主張したとき大事なことだと思っていたのは、まずは「しっかりと態度表明する」ことだ。20世紀というイデオロギーが危うく世界を滅ぼしかけた時代の記憶を強く持つ世代は、態度表明することそのものに懐疑的で、だからこそ物事について態度表明「しない」ことを倫理的に自分に課す傾向がある。そのせいでこの国では、特に「政治の季節」と呼ばれた時代が終わったあとはもう何十年もどちらかといえば「…ではない」という「語り口」のほうが、慎重で賢く見えてしまっているところがあるように思えるのだ。

 しかし、そのことが現代の(特にこの国のインターネットで)誰もが自分のことを棚に上げて他の誰かの揚げ足を取ろうとする社会を生んでしまっているように僕は以前から感じていた。実際に「……ではない」という否定の言葉のほうが、いまの世の中では人間をつなげやすい。不倫した芸能人の人格を否定して、自分たちは「まとも」だと確認したいとか、自分たちの生活が楽にならないのは移民のせいだ、とか、そういった否定の言葉のほうが人間と人間をつなげやすくなってしまっている。だからこそ、まずは前提として僕たちは「……である」という肯定的な語り口を選ぶ必要があると思ったのだ。

 だがその一方で、やはり自分の選んだものに疑念を挟まない、留保を持たない思考停止が人間をどう変えてしまうか、僕たちは特に20世紀の歴史から学んだことを決して忘れてはならない。だから僕らは同時に「Aである」と「ひとまず」態度表明するその一方で同時に「しかしBでもありえる」「しかしこういう例外もある」と「留保」をつけることにこだわった。中にはちょっと笑ってしまうようなものも意図的に混ぜ込んだ。要するに、僕たちはまず態度表明はしっかりする。しかし原理的にならずに、柔軟に対応する。やっぱり違うな、と思ったり失敗したな、と思ったら別の方法でやりなおす。そんなスタンスをなるべく楽しく、ユーモラスに書くことにしたのだ。

これからの「道」の話をしよう

 あと、もう一つこのプロジェクトにはターニングポイントがあったと思う。それはSFCの安宅和人研究室の学生さんたちの合流だ。安宅さんはヤフーのCSOを務めながら、同時にSFCの教授として「風の谷を創る」プロジェクトが発動する少し前から教鞭をとっていた。そして、誕生して間もない安宅研の学生たちが、このプロジェクトにも戦力として合流することになったのだ。安宅研の学生たちは、参加すると同時に膨大なリサーチをこなしていった。道について、エネルギーについて、上下水道について、住居について……ときどき、思い違いをして安宅さんに根本からダメ出しされることもあったけれど、彼らは若く、力強いエネルギーとそして学生とは思えない聡明さで、僕たちの議論のベースを作り上げていった。いま僕らの創る「風の谷」は(分野ごとの進捗にはかなりばらつきがあるものの)おぼろげにそのかたちを具体化させつつある。その功績は少なめに見積もっても半分は、この学生さんたちの若い情熱の結晶だと僕は思っている。

 ここで、僕たちがどのような計画を立てているのか、少しだけ紹介したい。たとえば「道」。これは、この2年間の僕たちの議論をベースに、ランドスケープデザイナーの熊谷玄さんと建築家の大薮善久さん、そして日産の岩村令子さんが監修し、SFC安宅研の植田陽さんが、圧倒的な努力で練り上げたものだ。

 ざっと紹介しよう。あまり知られていないが、「道」はものすごくお金がかかる(というか、かけている)。国道を1kmを新規舗装するのに、なんと平均2.8億円かかっている。メンテナンスにもちょっとびっくりするくらいお金がかかっている。ただ、舗装損傷のほとんどは交通量の1割程度しか占めていない大型車(トラックなど)によるものだ。つまり大型車の交通量が少なければ、そもそもこのレベルの「固い」舗装をする必要はないし、メンテナンスもぐっと簡易で安価になる。したがってポイントは二つ。まずは、大型車の通行を前提とする道と、そうではない道を厳密に分けること。そしてもうひとつは「道」と「モビリティ」を必ずセットで考えることだ(極端な話、ホバークラフトで移動できれば舗装はいらないことになる)。

 まず前者について「風の谷」は「やわらかい道」を引く。なぜならば、「風の谷」の道は目の前の施工のしやすさや費用よりも、持続可能性を、つまり長期的なメンテナンスの簡易さ、安価さ、様々な生命との共存を重視するからだ。だから僕たちはまず必要な「道」の種類を分ける。僕たちは「日常生活において、フルスペックの道は不要」と考えた。僕らはこれを「つながる道」と呼び、そして後者のような大型車の通行を前提とする幹線道路的な道を「つなぐ道」と呼んでいる。主に「風の谷」の内部で必要とされるのは「つながる道」の方なのだが、「つなぐ道」もコンクリートやアスファルトを用いたフルスペックの舗装を前提とは考えていない。むしろ(靴を含む)モビリティの側を工夫したほうがよいというのが僕たちの見解だ。どうしても、トラックやダンプカーが通らないといけないときは、固いものを一時的に敷設する方向で考えている。そして傷ついたパーツはモジュール的に交換可能にしておくことで安価で、簡易なメンテナンスを実現するのだ。

風の谷のパトレイバー2

 さて、このように僕たちがこれまでとは違ったかたちで自然の中で「暮らす」方法を考えていく「風の谷を創る」プロジェクトだけど、僕は(一応中心的なメンバーの一人として)ちょっと違うことを考え始めている。僕のような人間がここにいるからこそ、果たせる役割というものを考え始めているのだ。それはどういうことかというと、いま、「風の谷」はだんだんとそのかたちを目に見える形にしはじめている。そしてだからこそ、ただ作り上げるだけではなく、もっとよいものをたくさんつくり、残すために一度どこかを「壊す」ことが必要なタイミングがあるんじゃないか、ということだ。

 そこで、僕はちょっとしたテロリズムを提案することにした。先日、僕たちは現在企画中のイベントのドライランを行った。僕たちはこの2020年から自治体や民間企業などの協力を得てフィールド(主に森)の中で、これまで考えてきたたくさんのアイデアを実際に「やってみる」ことになる。そのキックオフとして、僕らの仕事仲間や協力してくれる人たちを招いたイベントを行うことになった(「風の谷を創るサミット」第0回)。このイベントの会場下見の日に、僕たちは当日行うワークショップとプロトタイピングのテストプレイをやってみた。当日予定しているのと同じように、1チーム5人くらいに分かれ、キーワードの記されたカードをランダムに配る。このキーワードとは、僕たちがこの2年間議論してきたときに出てきたキーワードを抽出したものだ。先ほどの「つなぐ道/つながる道」というのもそのひとつだ。他にも「繰り返し使える水」や「公助より共助」といったキーワードがある。

 このカードをもとに、「風の谷」をつくるアイデアを議論する。そしてそこでうまれたアイデアをその場にある紙粘土や、レゴや、折り紙などをつくって、かんたんに立体化して発表する(プロトタイピング)のだ。テストプレイだったにもかかわらず、僕たち(この日参加したメンバー+安宅研の学生たち)は夢中になって議論した。そしてそのせいで、ちょっとしたアクシデントのようなものが起こった。僕たちはあくまで当日の段取りの確認のためにテストプレイをしていただけだった。なので、発表の部分は省略してテストプレイをしていた4チームのうち、進行の早そうな2チームだけがプロトタイピングをして発表するということになった。でも、どのチームもそれがテストプレイであることを忘れて真剣に議論していたので、発表しないことになった2チームは正直言ってあまりいい雰囲気ではなくなってしまった。若い人の中には、ちょっと不貞腐れているように見える人もいた。それくらい、「風の谷を創る」アイデアを練ることは楽しいことだった。

 僕のいた班も、発表の機会は与えられなかった。そこで、僕は考えた。僕たちが議論してきたことを、何らかのかたちで他の班の発表に乗っかるかたちで発表できないか、と。あの日僕たちの班はこんなことを議論していた。たまたま、僕たちの手元に配られたカードには「風の谷」のコミュニティのあり方についてのキーワードが多かった。だから、「よいコミュニティではなく、よい場所であること(しかし、結果的によいコミュニティが発生することは歓迎する)」という憲章の精神をどう具体化するのかについて議論していた。それをどう立体物で表現するかを考えている途中で、僕たちの班は発表しないことになって議論はそこで終わってしまった。だから僕はその続きを一人で考えた。「風の谷」は、コミュニティを否定しない。しかしコミュニティに接続しなければ楽しめない場所であってはならない。むしろ孤独に、一人で自然に、世界に向き合うことではじめて得られるものがあることを知ってもらう機会を与える場所であってほしい。この距離感と進入角度を立体物で、しかも他の班の発表を邪魔しないように乗っかるかたちでどう表現するのかを、僕は考えはじめた。
 そのとき、僕はたまたまレモンを持っていた。午前中の下見で行ってきたフィールドで売っていた無農薬レモンを1個、お土産に買っていてそれをそのまま上着のポケットに入れていたのだ。そしてこのレモンを目にした瞬間に、閃いた。

 僕の好きなアニメ映画に、『機動警察パトレイバー2』という作品がある。これは、東京で大規模テロが発生するという、一種のポリティカル・フィクションだ。劇中でテロリストたちはコミュニケーションの手段を破壊していく。まず象徴として都内の主要な「橋」が破壊され、次に共同溝を爆破してケーブルを切断し(電話とインターネット網を破壊し)、放送塔を爆破する。そして最後に、都内を3機の飛行船が回遊しはじめ、軍事用のECMで無線が封鎖される。こうして放送と通信を切断することで、人々をまったく異なる情報環境下に置き内省を促す。それが同作で描かれたテロリストの、そして押井守監督の目的だ。これと同じテロリズムを、僕は風の谷に仕掛けようとこのレモンを目にした瞬間に思ったのだ。なぜならば、そのレモンは劇中でテロリストたちが用いた飛行船に、とても似ていたからだ。あの都内をジャミングした飛行船には、黄色い船体に「ULTIMA RATIO」と書かれていた。それはラテン語に由来し、「最終手段としての暴力(軍事力の行使など)」を意味する言葉だった。
 そして僕はマジックをさがしてきて、小田原のレモンに「ULTIMA RATIO」と書いた。

『PLANETS vol.10』所収「[特別インタビュー]押井守『パトレイバー2』再考──すべてのテロリストは演出家である」誌面より

 発表に選ばれた2つの班は、1時間ほどかけて紙粘土やレゴを用いた「風の谷」のかんたんな模型を作り上げていた。そして、道はこうしたい、住まいはこうしたい、森の中にはこうした施設を置きたいなど、たくさんのアイデアを次々と述べていった。そして、2つ目の班の発表が終わったとき、僕に話が振られた。僕はあのあと、他の班にお願いして発表の最後にちょっとだけ乗っからせて欲しい、とお願いをしておいたのだ。

 僕は自分たちの班が議論した問題について、かんたんに説明した。やはり、せっかく「風の谷」をつくったのだから人間関係だけではなく、自然と触れ合って欲しい。仲間と火を囲んでお酒を飲むのも、地域の祭りに参加するのも楽しいと思う人もいるのかもしれないけれど、やはりほんとうにここでしか体験できないことは「人」ではなく「自然」に、「社会」ではなく「世界」に触れることにあるんじゃないか、そしてそのためには孤独になる時間が必要なのではないか。
 だから僕たちは「風の谷」の住人が孤独になれる時間をどう演出するかを考えた。もちろんそれは「風の谷憲章」の「語り口」がそうであるように「楽しい」ものでなければならない。そこで、僕らが考えたのはこれだ、と言って取り出したのがあのレモンだった。

 僕は『パトレイバー2』の話をした。そして同じようなテロリズムが、「風の谷」にも必要なのではないかと述べた。週に1度でも、月に1度でも構わない。このレモンの飛行船のようなドローンが「風の谷」に飛んできて、ランダムに特定の住居をジャミングする。そうすると携帯電話などの通信機器がその住居では使えなくなる。解除するパスワードを獲得するためには、住居エリアから少し離れた森の奥の祠まで、一人で来なければならない。そうすることで、住人たちは孤独に自然と向き合う時間を半強制的に、しかし楽しくもつことになる。もちろん、それがいやなら1日待てば飛行船は去っていく。しかし、その間はその人は情報ネットワークから切断されるのだ。そしてやはり別の意味で孤独に、内省的な時間を持つことを促されるのだ。

 思った以上にその話はウケて、僕は正直ほっとした。この日僕(たちの班)の行ったプロトタイピングは、たったこれだけ。レモンにマジックで「ULTIMA RATIO」と書いただけだった。しかし、その効果は絶大だった。発表ができなくて不貞腐れていた若い人も、こういうやり方「も」あるんだと気づいてくれたらいいなと思った。
 そして僕は仲間たちに説明しながら、自分のような人間がこのチームで果たすべき役割はこういうことなのだと思ったのだ。

 アニメファン向けに少し補足しよう。この日僕が発案したテロリズムは「風の谷」という宮崎駿的な想像力に『パトレイバー2』という押井守的な想像力をぶつけることだった。たとえばかつて押井守は自身と宮崎駿との「違い」をこう述べている。

“だから、アニメーションの作り方にしろ、考え方にしろ、宮崎さんたちの世代とはノウハウにちがいがあるんです。つまり、あの人たちが信じているものが、ぼくらには信じられないんです。たとえば「ナウシカ」では、理想的な共同体が「風の谷」という形で、描かれています。(中略)ところが、ぼくらは共同体や仲間という存在がストレートには信じられないところに立って、作品を作っているんだと思います。”
(〈アニメージュ増刊 映画「風の谷のナウシカ」ガイドブック〉1984年、徳間書店)

 僕が3年前に書いた『母性のディストピア』という本は、まさにこの宮崎駿や押井守といった作家たちの残したアニメーションの想像力について考えた本だ。そして僕は、圧倒的に宮崎駿的なのではなく押井守的な人間なのだ。僕もやっぱり「共同体や仲間という存在がストレートには信じられない」ところから出発している人間だ。もちろん、個人主義や相対主義を掲げてイデオロギーや共同体を批判すれば済んだのは僕が子供だったころの話で、むしろ1周回ってもう一度仲間とか共同体の価値を信じてみよう、というのが僕たちを含むいまの現役世代の感覚なのだということもよく分かっている。でもだからこそ、僕はこのプロジェクトがより自由で、多様なものであるために時には人間を孤独にするためのテロリズムが必要なのだと思う。そこが21世紀にリアルに出現する宮崎駿的な空間であるからこそ、押井守的なテロリズムが重要なのだと僕は思うのだ。それも、思いっきり留保をつけたユーモラスな「語り口」で。

[了]

この記事は2020年3月5日に公開しました。
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「風の谷を創る」のこれまでの連載記事は、こちらにまとまっています。よかったら、読んでみてください。


(追記)
『機動警察パトレイバー2』については、『PLANETS vol.10』で押井守監督に僕がインタビューしています。現代の情報環境と、思想的なテロリズムの問題について、かなり濃い議論をしているので、気になったらぜひ読んでみてください。