国際コンサルタントの佐藤翔さんによる連載「インフォーマルマーケットから見る世界──七つの海をこえる非正規市場たち」。
今回は、ナイジェリアで発展するインフォーマルビジネスの背景と実像に迫ります。石油産業を中核にアフリカ屈指の経済大国へと成長しつつある一方で、政治的・軍事的には非常に不安定なナイジェリア。そんな環境のもとで生まれてきた新たなコンテンツ産業のクリエイティビティとは?
端的に言うとね。
はじめに
ナイジェリアは西アフリカに位置する、人口2億人を超えるアフリカ有数の地域大国です。西部のプロテスタントのヨルバ人、東部のカトリックのイボ人、北部のイスラームのハウサ人が三大民族として扱われ、その他にもたくさんの民族が居住しています。GDPは2000年代まで約20兆円とされていましたが、2014年に再計算が行われ、約50兆円と、いきなり南アフリカを超えるアフリカ最大の経済大国となりました。これを見てナイジェリアのポテンシャルを評価するか、それとも統計のいい加減さに呆れるかは人次第だと思いますが、石油産業が発達するとともに最近はエンターテインメント産業のような新産業が成長し、発展を続けているのは事実です。
日本でナイジェリアと言うと、1967年勃発のビアフラ戦争で飢餓状態に陥り、全身痩せ細っているのに腹水でお腹だけが膨れている子供たちのイメージや、詐欺メールの代表格である「ナイジェリアの手紙」など、残念ながらネガティブな印象が根強くあります。最近のニュースでも、ボコ・ハラムが学生を誘拐した(出典)だの、刑務所を武装集団が襲撃して1,800人が脱走した(出典)だの、ヘビが教育機関の金庫にあった現金約1,000万円を吞み込んだという証言が出た(出典)だの、あまりポジティブなニュースが出る国ではありません。
実際、現地の治安はとても良いものとは言えず、ビジネスにおいても、インフォーマルマーケットがフォーマルマーケットを圧倒している状況です。一方、海賊版の流行やインフラの致命的な不足をものともせず、インフォーマルマーケットに即した形でコンテンツ産業が映画産業を中心に急速な発展を遂げており、インフォーマルビジネスの壮大な実験場ともなっています。
今回は、アラバ・インターナショナルなど、現地のインフォーマルマーケットを取材した筆者の知見に基づき、ナイジェリアのインフォーマルビジネスがどのようなものになっているのかを、コンテンツ産業を中心に見ていくことにします。
ナイジェリアの治安の「格」
皆さんは治安の悪い国というと、どのような場所を思い浮かべるでしょうか? 麻薬組織、ギャングや武装ゲリラが蠢くフィリピンでしょうか? 警察に十分な予算が割かれず、マフィア同士が白昼堂々銃撃戦を繰り広げているブラジルでしょうか? それとも2chのテンプレで有名な南アフリカのヨハネスブルクでしょうか? 私はこれまで五大陸の様々な国を訪れてきましたが、現地ユーザーの事情を可能な限り知るために、フィリピンのスラムに訪問したこともありますし、ブラジルでは違法ゲーム改造工場に踏み込んだこともあります。ヨハネスブルクの夜のダウンタウンを一人で歩く羽目になったこともありますし、ポンテタワーへ入り込んだこともあります。
もちろん、戦争状態にある国々など、ここに書いたような場所よりもはるかに危険な場所へ行かれた方々は探せばいくらでもいらっしゃるでしょうが、平和な都市を歩くコンテンツ産業の一マーケッターに過ぎない私個人の感想を言わせてもらえば、各国に赴き、フォーマルマーケットとインフォーマルマーケットの双方を調査する中で、これまでの人生で最も治安が悪いと感じたのはナイジェリアです。以下、ナイジェリアの治安の悪さの「格」の違いを、英国内務省が発行している「国別背景情報:ナイジェリア」(出入国在留管理庁による日本語訳あり)をベースに、簡単に説明させていただきましょう。
ナイジェリアの武装組織と言えば世界的にもよく知られているのが、イスラーム原理主義勢力とされるボコ・ハラムです。ナイジェリア北東部にあるボルノ州を中心に出没し、地域住民や軍人に対して襲撃や誘拐事件を多数引き起こしている彼らが、並外れた暴力集団であることは論を俟ちません。しかし、ボコ・ハラムの影響力はナイジェリアの北東部、チャドなどとの国境周辺地域に限定されており、ナイジェリアにおける数ある武装勢力の一つに過ぎません。
ナイジェリア東部のカメルーンとの国境沿いにはカメルーンの分離主義者が徘徊しています。ナイジェリア南東部の石油採掘地域では、ニジェール・デルタ解放戦線が大暴れしていた時代があり、今でもその残党が出没します。ナイジェリア東部のイボ人居住地域では自警団が大きな治安上の脅威となっており、自分たちに従わない人間を超法規的措置でリンチにし、殺す事件が多数発生しています。ナイジェリア北西部のニジェールなどとの国境沿いには越境強盗団が出没し、強盗・殺人事件が多発しています。都市部ではアワワ・ボーイズやワン・ミリオン・ボーイズのようなギャングが存在します。
また、日本の全学連系セクトを彷彿とさせる「学生秘密結社」の存在は、都市部では重大な治安上の脅威となっています。様々な大学で秘密結社が結成され、抗争と分派を繰り返す中で、その多くがカルト化していきました。ナイジェリアの学生カルトのルーツとなったとされるのは、1953年にユニバーシティ・カレッジ・イバダン(現在のイバダン大学)で結成されたサークル、「パイレーツ協会」です。このサークルはのちにノーベル文学賞を受賞する詩人、ウォーレ・ショインカ氏のイニシアチブで結成され、当初は部族主義と植民地根性からの離別、騎士道時代の復活という気高い目的で作られたものでした。アメリカによくあるギリシア三文字クラブのアフリカ版と考えていただけると、わかりやすいかも知れません。しかし、ウォーレ・ショインカ氏がナイジェリアから離れ、様々な事件を経るうちに当初の目的は忘れ去られ、秘密主義のカルトに変貌していってしまいました。
大学当局はカルトを大学から追放しようとしましたが、それはかえってカルトの広域化、他大学発祥のカルトとの間の縄張り争いの激化を招きました。私がナイジェリアに訪問していた時に読んだ新聞でも、AiyeというカルトとEiyeというカルトが縄張り争いで銃撃戦を行い、無関係の警備員が犠牲になった、という記事を読みました。AiyeやEiyeのほかにも、バイキングス、バッカニアーズ(海賊)、黒い斧/ネオ黒人運動、KKK協会(もちろんアメリカのKKKとは別)、アイスランダースなどの組織が知られています。
ナイジェリアが危険なのは陸だけではありません。ギニア湾は世界有数の海賊出没地域です。ナイジェリアでは、経済成長のスピードに港湾の整備が追い付かず、税関の非効率もあって、数か月にわたって船舶が順番待ちのためギニア湾で停泊させられることが珍しくありません。ポール・コリアーの『収奪の星』という本によると、1970年代には入港に数ヶ月、場合によっては数年かかることを逆手に取って、安く粗悪なセメントを積んだ老朽船を停泊させて滞船料をむしり取るやり口が横行し、沖合に停泊する多数のセメント船は「セメント無敵艦隊」などと現地人に揶揄されていたそうです。この状況は半世紀経った今も大して変わっていないようで、ナイジェリア近海に停泊している船が海賊の恰好の餌食になっています。
海賊と言っても、ナイジェリアの海賊は世界的に有名なソマリアの海賊とは「ビジネスモデル」がまったく異なります。ソマリアの沿岸を高速で走る船を拿捕し、身代金を獲得するのが目的のソマリア海賊は軽武装で高速の船を使いますが、ナイジェリア海賊は停泊している船に襲い掛かり、積み荷ごと船を奪ったり金品を奪ったりするなど、強盗を行うのが目的ですので、重武装が特徴となっています。現地の民間軍事会社の方にヒアリングしたところ、民間軍事会社のビジネスとして海賊対策の警備が重要な事業となっているとのことでした。全世界の海賊事案の4割がギニア湾で発生しているということもあって、外務省も強く注意を促しています。
このようにナイジェリアの数ある危険な勢力の上位に位置し、最もよく武装し、最も危険なのが腐敗した警察官や軍人です。「民間人が夜にタクシー待ちをしていたらいきなり警察官に射殺された」「賄賂を拒否したら警察官に超法規措置で射殺された」など、ナイジェリアのメディアを探せば恐ろしい事件は枚挙にいとまがありません。私もナイジェリアに滞在する間は何度となく警察官や役人に賄賂を要求されたり銃を向けられたりしたものでした。
世界で「活躍」するナイジェリア人ネットワーク
ナイジェリアのカオスぶりの一端をご理解いただけたかと思いますが、興味深いのはナイジェリア人の海外における活動が盛んになっていることです。
欧州の例を挙げると、イタリアでは先に挙げたナイジェリアの学生カルトであるEiyeがマフィアと協力し、イタリアの売春婦を手配していると言われています。「ル・モンド・ディプロマティーク」に2018年に掲載された論文では、フランスにおけるナイジェリアの売春組織について記述しています。この論文によると、渡航前に売春組織が売春婦候補となるナイジェリア人女性に対して呪術的な儀式を行ったうえで呪物を渡しているそうで、彼らとの契約を破ると祟りが起こるということで組織の言いなりにならざるを得ない人が多くいたとのことです。
アジアにも中国や日本にかなりの数のナイジェリア人が進出していることが知られています。広州のある地域にはアフリカ系住民の集住地区が存在し、スマートフォンをはじめとして様々な商品の貿易を行う人々が居住しています。ここにおいてナイジェリア人は大きな勢力となっているようです。もっとも、近年のコロナ禍においては中国政府当局が違法滞在者の取り締まりを強化したため、こうした地区におけるナイジェリア人の活動は縮小しているようです。
日本におけるナイジェリア人移民は1990年前後から増加したと言われています。東京、特に六本木で呼び込みやドアマンなど、夜の仕事に従事している人が多いとされています。例えば、川田薫氏による「盛り場『六本木』におけるアフリカ出身就労者の生活実践」という論文においては、世襲制の伝統的宗教の預言者の家に生まれたイボ人が、神のお告げで日本に行き、風俗店を経営するに至るなど、日本に在住するナイジェリア人の多種多様なライフストーリーが記されています。この論文によると、日本に在住するナイジェリア人は、ヨルバ人・ハウサ人と並ぶ三大民族の一つであるイボ人や、エド州に居住するエド人が多いようです。もっとも、六本木のストリートで就労している黒人は、日本人から出身地を聞かれても、日本人のアフリカに対するネガティブなイメージや関心の低さを懸念して、アメリカなどと回答する人が多いようですが……。
コンピューター・ビレッジとアラバ・インターナショナル
さて、このような状況にあるナイジェリアにおいて、インフォーマルマーケットはどのような構造になっているのでしょうか?
戦後占領下、東京のヤミ市においては、警察当局が各地のテキヤのリーダーを集めて露天商組合と呼ばれる組織を作り、警察、さらにその上部のGHQの意向がただちに各地区のヤミ市のリーダーを通じて、末端の露天商にまで伝わるような仕組みを整えていました。現代のインフォーマルマーケットにおいても、キルギスのドルドイやウクライナの7kmがそうであるように、オーナーが存在することは珍しくはありませんし、当局がインフォーマルマーケットの管理者を指定する体裁を取っている国も多く存在します。
しかし、こうした当局の意向などというものは、ナイジェリアのパワフルな商人には通用しません。何せ、ナイジェリア最大のIT市場であるコンピューター・ビレッジという闇市が警察学校の隣にあるような国です。このコンピューター・ビレッジ、毎度当連載でおなじみの「悪質市場リスト」によると、あまりに現地商人の抵抗が強力なため、取り締まりを行うのが困難、と書かれるほどの市場です。私がナイジェリアに訪問したその日にも、このコンピューター・ビレッジにおいて政府当局が市場のリーダーを設定しようとしたことに対して、現地の商人が猛抗議し、大規模なデモが行われていました。
このような状態にある国ですので、単独行動での調査を基本とする私も、今回ばかりは民間軍事会社に依頼し、自動小銃を装備した護衛を得て、コンピューター・ビレッジとアラバ・インターナショナルの調査を行いました。今回は特にアラバ・インターナショナルについて書きたいと思います。
アラバ・インターナショナルはラゴスの西側、ベナンとの国境沿いにある、西アフリカ最大の電気市場とされるマーケットです。1970年代にビアフラ戦争で敗北し、職を失ったイボ人が首都に流れ込むかたちで創設された後に、二度の移転を経て現在の場所に移ってきました。先ほどナイジェリア人のコミュニティがあると述べた広州から、ドバイなどを経由して家電・IT製品がここまで運ばれてくるのです。
このマーケットには50,000人ほどの商人が活動しているとされ、年間20億ドル程度の売り上げを出していると言われています。その大半を占めるのは、ナイジェリア三大民族の一つであるイボ商人で、5,000ある店舗の85%が商売上手で知られるイボ人のものとされています。西アフリカでも近年、Jumiaのようなeコマースが発達してきていますが、西アフリカのeコマース取引の75%をアラバの商人が取り扱っているとされています。ラゴス中心部からアラバまでの道は舗装されておらず、穴だらけでひどいものですが、それでもナイジェリアだけではなく、ガーナ、ニジェール、チャド、トーゴ、ベナン、さらには東アフリカからも買い付け人が訪れているとされ、西アフリカの電気製品のロジスティクスの中心を占める重要なマーケットとなっているのです。
これまで様々なヤミ市を当連載でご覧になってきた皆さんなら、もはや違和感がなくなっているかと思いますが、アラバも2006年から公式ウェブサイトを立ち上げ、インフォーマルマーケットであることを気にもかけず宣伝しています。アラバ・インターナショナルにはオーナーのような存在はおらず、商人による互選によってリーダーを選び、治安維持などを実施しています。ここで商売をしている人々が所得税などを払っているとはとても思えないのですが、アラバの広報担当によると、商人組合に入っているメンバーは月13ユーロ程度を政府に納めているとされています。
「Informal Market Worlds」に掲載されているアラバの広報担当のヒアリングでは、アラバは法律を無視しない運営を行っている、と述べていますが、私が現地で調査した限りでは、ゲームの違法コピーやゲーム機の違法改造などが頻繁に行われていました。なお、CDやDVDの海賊版作成はもはや公然と行われているものの、組合が海賊版CDやDVDに対して「販売許可」を与える、という仕組みを取ることで、海賊版ビジネスでありながら販売の秩序を作ろうとしているようです。
インフォーマルマーケットで生き抜くクリエイターたち
さて、このようにフォーマルな制度が真っ当に機能せず、インフォーマルな要素がフォーマルな要素を圧倒しているナイジェリアは、実はコンテンツビジネスの観点からみると、インフォーマルな要素を前提にしたビジネスモデルの宝庫とも言える国なのです。
音楽の世界において、ナイジェリアはフェラ・クティなど、著名なミュージシャンを多数輩出していることで知られています。ナイジェリア現地は海賊版だらけで、通信インフラも整っていないためSpotifyのようなストリーミングサービスにも向いていません。このような状況でミュージシャンがどのように食べているかというと、海賊版業者にあえて自分の曲を載せてもらうように働きかけるという、興味深い行動に出ている人がいるようなのです。その海賊版がよく売れて、バーやディスコのような場所でそのミュージシャンの曲が流され有名になれば、パーティやイベントなどにパフォーマーとして呼んでもらえる可能性が上がります。海賊版の普及を逆手に取り、知名度を上げて出演料を稼ぐことで生きていく、という逆転の発想で生活しているというわけですね。
コミックは日本やアメリカなどからの輸送コストが上乗せされるため、所得の低い国ではあまり普及していませんが、ナイジェリアではマーケティングの工夫により成功を収めている『Supa Strikers』というサッカーコミックがあります。このコミックは1冊あたり15ページ程度と可能な限り薄くしたうえで、物語内でも積極的なプロダクトプレイスメントが行われることで、広告収入を得るかたちでコミックの単価を大幅に下げることに成功しています。この『Supa Strikers』、原作はナイジェリア人が書いたものですが、版権を南アフリカの企業が購入し、アフリカ全土で読まれる人気コミックとなっています。現在はマレーシア企業がアニメ化し、アフリカを中心に放映されるなど、成功したIPとして知られています。
ゲーム分野で面白いのがGameTruck Nigeriaというサービスです。このサービスはトラックに数台の大型テレビとゲーム機を積み、パーティ会場で子供たちにゲームプレイの機会を提供する、というものです。ナイジェリアはパーティが盛んな国なので、こうしたビジネスも機能するようで、競合企業が出てきているのが面白いところです。このほか、家庭用ゲームを中心にeスポーツイベントが開催されています。
ちなみに、下図は現地の大学で見かけた、ドイツのゲーテ・インスティテュートとの協力による、ナイジェリア・ドイツ間のシリアスゲーム開発者のための、国際交流イベントのポスターです。最近では私の友人がアートやアニメーションといったクリエイターの養成学校を始め、海外のクリエイターをオンラインで呼んで講義などの活動を行っています。ゲーム産業における産学連携・国際連携はわりとしっかりやっているのが面白いところであり、役人が賄賂取りまくり、武装集団が暴れまくりの国にすら産学連携・国際連携で後れを取っている我が国は大丈夫か、とちょっと心配になるところであります。
一大文化産業にまで成長したノリウッド映画
このように様々なコンテンツビジネスが発達する中で、その中心ともなっているのが「ノリウッド映画」です。ナイジェリアでは、統計にもよりますが、毎年1,000以上の映画が撮影されていると言われています。この数字はインドのボリウッドに次ぐもので、アメリカのハリウッドを製作本数では抜いている状況です。一方、ナイジェリアには200程度の映画館しか存在しません。人口2億人を超える国としてはあまりに貧弱な映画配給インフラと言わざるを得ません。実際、多くのナイジェリア人は、映画を集会場のプロジェクターなどを使って視聴しているようです。
ノリウッド映画の製作費は驚くほど安く、監督一人がビデオカメラ一つで撮っているような、手作り感満載のものが山ほどあります。特殊効果や演出のクオリティについては、ハリウッドはもちろんのこと、インドのボリウッドに比べても、あまり高いとは言えない映画がほとんどです。しかしそれにも関わらず、現地の人は、たとえ外国の映画が海賊版により安価に手に入るとしても、ハリウッドの映画ではなく、ノリウッドの映画を見ることを選んでいる、という事実は無視できません。また、ノリウッド映画はベナンやトーゴ、ガーナといった西アフリカの周辺国のみならず、ケニアやタンザニアのような東アフリカ、南アフリカなどの国々でも視聴されています。ノリウッドはサブサハラアフリカに暮らす人々に最も普及しているコンテンツの一つと言っても差支えはないでしょう。
ノリウッド映画の産業規模は600億円以上と言われており、今や100万人以上を雇用し、石油産業に次いで多くの人を雇用する産業セクターにまで成長しています。実はナイジェリアは映画産業が国の主要産業の一つになっている文化大国でもあるのです。最近、日本では『アフリカン・カンフー・ナチス』というガーナで撮影された映画が話題になりましたが、ナイジェリアを中心に、西アフリカの映画産業がどんどん成長しているのは注目に値する事実です。ちなみに在外ナイジェリア人のために、iROKOtvというノリウッドのサブスクリプションサービスが存在し、日本でもAppStoreなどでダウンロードできるので、最近のアフリカ映画に興味のある方はこれを見てみるのも良いでしょう。
フォーマルマーケットの力が弱く、海賊版の存在を前提にせざるを得ないナイジェリアで育ったノリウッド映画産業は、興味深いビジネスモデルとなっています。ノリウッド映画は現代においても、主にVCDやDVDのようなフィジカルのフォーマットで流通しています。映画が公開されるとYouTubeにすぐアップロードする輩の存在が、様々な国で問題視されていますが、ナイジェリアではあまり問題になっていません。
その根源的な理由は海底ケーブルにあります。YouTubeのようなサービスにおけるアップロード先のサーバーがアフリカにあることは少なく、たいていは海底ケーブルを通ってアメリカや欧州のサーバーにデータが運ばれるのですが、その通り道となる西アフリカの海底ケーブルが利用者数のわりに細すぎるのです。ゆえにサーバーにアップロードするにしても時間がかかり過ぎるため、YouTubeにアップロードされるノリウッド映画は、よほど人気が出た作品か昔の作品ばかりとなっています。こうした状況から、ダウンロードではなくフィジカルのフォーマットがいまだに映画コンテンツ流通の重要な部分を占めているのです。
また、映画のプロデューサーが通例ディストリビューターを兼ねているのもノリウッド映画の特徴です。発売してしばらく経つとほかの誰かが海賊版を作り広めてしまうので、流通を可能な限りコントロールすることを目的としているのです。実際、ノリウッドの映画界でスターとなった一流プロデューサーであっても、未だにアラバ・インターナショナルの小売店で、冷蔵庫のような家電製品を映画作品と一緒に売っている、などという人も珍しくないようです。映画プロデューサーはほかの映画プロデューサーやディストリビューターに自分の映画を仲間卸しし、初動での収益の最大化を狙っています。
アメリカのハリウッドやインドのボリウッドにおけるムンバイのように、中心となる地域が一地域に限定されないのはノリウッドの特徴の一つです。ノリウッド映画のパッケージを見ると、多くの映画がナイジェリア東部の都市であるオニツァのノリウッド・プラザという住所で撮られていることに気が付きます。しかし、この場所はプロダクションを請け負う会社があるだけで、撮影や制作は他の地域で行われていることが多いようです。また、流通はアラバ・インターナショナルが中心となっています。
ノリウッド映画成立の経緯
このようにアフリカの一大コンテンツ産業となったノリウッド映画は、どのように成立したのでしょうか? ノリウッドに関する第一級の研究書である“Nollywood Central”によると、第二次世界大戦後の1940年代後半に、ナイジェリアの三大民族の一つであるヨルバ人の旅芸人の芝居が全国的に人気となり、芝居の様子をグラモフォン(蓄音機)に録音して販売するビジネスが成立しています。
独立後の1970年代には、これらのヨルバ人の旅芸人の中で、35mmや16mmビデオで劇の様子を撮影し、販売する者が現れました。1980年代には石油収入の減少によりナイジェリアは深刻な不況を経験し、ヨルバ人の旅芸人の家計も苦しくなっていきました。そのため、興行費・交通費のかかる巡回演劇をやめ、演劇を撮影したものを販売するビジネスに切り替える者が続出しました。さらに1990年代にはCDなど先進フォーマットが欧米やアジアで普及したことで、需要がなくなったVHSがナイジェリアに安価で大量に流れ込むようになり、VHSを使ったヨルバ人演劇の録画・販売が増加していきました。
こうした中、イボ人の家電商人であるKenneth Nnebue氏が、1992年に『Living in Bondage』という映画をイボ語で撮影し、VHSで販売します。この映画は対象市場をヨルバ人以外に広げたことでヒットを出しました。この映画は「初めてのノリウッド映画」として高く評価されていますが、彼はさらに1994年に『Glamour Girls』という作品を英語で発表し、さらに大きな成功を収めます。この後アラバ・インターナショナルの商人がプロデューサーとなって、先進国で型落ちとなったVHS、次いでVCDなどを使って制作する作品が急増していきました。
まとめると、ノリウッド映画はヨルバ人の巡回演劇が映画化し、さらにそれをビアフラ戦争で敗れて首都にインフォーマルマーケットを作った商売上手なイボ人が、海外から型落ちで流れてきたVHSを使い、ヨルバ人だけでなくナイジェリア人全体にマーケットを広げることによって成り立つようになった、というわけです。民族ごとの得意分野がうまく合わさるかたちでノリウッド映画というビジネスが形成されたということで、こうした点は多民族国家の良い部分が現れたと言えるかも知れませんね。
ソッコト忍者にはコーランの魔除けが有効!?
ノリウッド映画は、家族愛のような普遍的なテーマを描いたものから、黒魔術(隣国ベナンのウィダーという都市では、毎年ブードゥーフェスティバルが開催されています)のような西アフリカらしいテーマを扱ったものなど、様々なものが作られています。キリスト教をテーマとした作品もたくさん見受けられます。あと、私が何本かノリウッド映画を鑑賞した限りの個人的な感想ですが、ヘビを操る悪党が出てきたり、ヘビがビームを撃ったりと、やたらとヘビが出てくるような気がしました。
映画後発国ということもあってか、外国の映画に強い影響を受けた作品も目立ちます。ノリウッド映画版『トゥームレイダー』など、ハリウッドの有名映画のタイトルそのままにノリウッド版を作ってしまう監督もいるようです。
ただ、どちらかと言えば、ハリウッドよりもボリウッドの影響が強いように思われます。
例えば、ノリウッド映画にも忍者が登場することがありますが、中村博一氏の論文「忍者表象のグローカリゼーション──ナリウッドにおけるソッコト忍者」によれば、そのイメージはボリウッド映画から伝わってきたものとされています。もっとも、ノリウッド映画(特に北部イスラーム圏における映画)に登場する忍者は、忍術を使って悪事を働きヒーローを苦しめるものの、ヒーローがコーランの魔除けを使うと忍術が封じ込められる「悪魔の手先」のような存在としてローカライズされているようです。
ノリウッドの話の最後に、せっかくなので筆者おすすめのノリウッド映画として、『One Chance』を挙げておきます。“One Chance”というのは、ナイジェリアで一時期話題になった実際の犯罪の名称です。ナイジェリア都市部の主要な交通手段として、6人程度が乗れる乗合バスがあるのですが、客引きは客になりそうな相手に向けて、最後の席だけ空いていますよ、という意味で“One Chance”と声をかけます。しかし運転手も客引きも乗っている客もグルの犯罪組織で、バスが動き出してから正体を現し、寄ってたかって最後に乗った客を抑えつけます。身ぐるみ全部はがされるのはまだいい方で、場合によっては誘拐されます。誘拐された人がどうなるのかは謎で真偽の確かめようもないのですが、黒魔術の生贄になっているのでは、という噂がまことしやかに語られていました。本作はそうした噂を題材にしたサスペンス映画です。残虐な内容なのに、南国風のえらく呑気なテーマソングがたびたび流れるのがノリウッド映画らしく、なかなかに印象的な作品です。
おわりに:インフォーマルマーケットが生み出すクリエイティビティ
これまでに述べてきたように、ナイジェリアはあらゆる意味でカオスな国ではありますが、一点、非常に好ましく感じた部分があります。それは、ナイジェリアにおいては、映画やゲーム、音楽などのクリエイターとして生きていくことに偏見があまり存在しないことです。
一定の教育を受けて一定の企業に入り、一定のルールに従って仕事をしていれば一定の暮らしが約束される先進国において、クリエイターに対する偏見というのは何かしら存在するものです。しかし、ナイジェリアではそうしたものをあまり感じませんでした。無論、それはフォーマルなビジネスがあまりに小さく、公的機関が信用できないため、大多数の人にとって安定して生きていけるようなキャリアパスが乏しいことも大きな理由ではありますが、それ以上に、インフォーマルビジネスに属する人々はクリエイティブな仕事で食べていくことに否定的でないというのが大きいように思います。
インフォーマルマーケットの繁栄には活気が必要不可欠です。クリエイティブな仕事の存在は、間違いなく活気を生み出す力があり、色々なものを勢いづかせるがゆえに、皆そうしたものに寛容なのでしょう。もちろん、あらゆるインフォーマルな制度がクリエイティビティと相性がいいとは限りません。ただ、前回地中海に関して紹介させていただいた新しいビジネスモデルや起業文化と同様に、ギニア湾に面したこの地域で、フォーマルな世界とインフォーマルな世界のせめぎ合いの中から新しいクリエイティビティの形が生まれているということは、間違いないと思います。
さて、今回はギニア湾の大国ナイジェリアのインフォーマルマーケットの話をさせていただきましたが、ギニア湾地域よりももっと広い大西洋沿岸地域全体を見ると、レバノン人がそこかしこで活躍していることがわかります。彼らは地球の裏側における華僑のような存在で、中米や南米、アフリカなど大西洋沿岸地域で興味深いビジネスを展開しています。次回はレバノン人を中心に大西洋のインフォーマルマーケットを深堀りしていきます。
<参考文献>
Peter Mörtenböeck, Helge Mooshammer, Informal Market Worlds – Atlas. The Architecture of Economic Pressure. Nai Uitgevers Pub, 2015.
Peter Mörtenböeck, Helge Mooshammer, Informal Market Worlds: Reader: The Architecture of Economic Pressure. Nai Uitgevers Pub, 2015.
Jade L. Miller, Nollywood Central. Palgrave, 2016.
ロバート・ニューワース著、伊藤真訳『「見えない」巨大経済圏:システムDが世界を動かす』(東洋経済新報社)
ポール・コリアー著、村井章子訳『収奪の星── 天然資源と貧困削減の経済学』(みすず書房)
“ジュジュ”の犠牲となったナイジェリア人少女たち
盛り場「六本木」におけるアフリカ出身就労者の生活実 践 –快適な空間のためのコミュニティへの道のり
在日ナイジェリア人のコミュニティの形成:相互扶助を介した起業家の資本形成
Nigeria’s campus cults: Buccaneers, Black Axe and other feared groups
(続く)
この記事は、PLANETSのメルマガで2021年5月12日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。あらためて、2021年9月20日に公開しました。
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