地中海におけるヒト・モノ・カネの移動

 ヨーロッパ大陸とアジア・アフリカ大陸に挟まれた地中海。前近代にはバルバリア海賊が幅を利かせていたこともある海です。16世紀には当時の「後進国」イギリス商人が、スペインやイタリアのような当時の「先進国」の商品と偽るために偽物の焼き印(ブランド)などを使って、自国の低品質な商品をマーケットに流す「海賊版ビジネス」を行っていました。現代では国ごとの役回りが変わりこそすれども、地中海がインフォーマルな経済の舞台となっていることに変わりはありません。

 現代においては、北岸のヨーロッパ大陸と南岸・東岸のアジア・アフリカ大陸との間に大きな経済格差があります。そのため、ボートや粗末な船を用いてアフリカや中近東からヨーロッパへ密航しようとする人々が後を絶たない状況になっています。このことは、シリアやリビアの政情不安に伴う難民増加により、世界的にもよく知られるようになりました。

 一方、ヨーロッパで売られている最新の商品は、アフリカや中近東で暮らす人々にとって魅力的なものであり、北から南に多くの商品が正規・非正規を問わず、人知れず様々な形で流入しています。ヒトは南から北に、モノは北から南に、というのが現代地中海のインフォーマルビジネスの大まかな構造と言えるように思います。

 もっとも、これはあくまで単純な図式化に過ぎません。実際には、アフリカにおいてもショッピングモールに代表されるようなフォーマルマーケットが一定の機能を果たしているように、西ヨーロッパの「先進国」にもインフォーマルマーケットはあります。西ヨーロッパでもいろいろな地域、とりわけ国境沿いなどにおいては、インフォーマルマーケットは現代でも見えにくい形で存在するのです。

 フランス・パリ北東部にはサントゥーアンやモントルイユという著名な蚤市があります。この蚤市は許可証をもらってビジネスをしているフリーマーケットが中心部にある一方で、その周辺には許可証を持たずに警察の目などを避けて流動的に商売をしている、よりインフォーマルな商人もおり、フランスでは“biffins(日本語で言えば「くず屋」)”と呼ばれています。彼らは独自の組合を作り、社会的認知の向上のためにいろいろな活動をしているようです。

▲パリのインフォーマルマーケット商人連盟、Ameliorの公式ページに掲載されている写真。(出典

 また、スペインのカタルーニャ州ジローナ県のフランスとの国境沿いにあるEls Limitsという村は、アメリカ通商代表部の悪質市場リスト2019年版まで掲載されていました。スペイン政府当局の努力ゆえか、はたまたコロナにより国境沿いの街から客足が遠のいただけか、2020年版ではリストから削除されました。

 他にも、イタリア南部のシチリア島東岸では、アラブ起源の隊商文化が馬などから車に形を変えて残っており、スーパーなど近代小売が発達している現代においても、地元の主婦の日用品購入に欠かせない存在になっているとされています。これらの例が示すように、現代において、西ヨーロッパのような「先進国」においてさえも、インフォーマルマーケットの存在を消し去ることができないのは興味深い事実です。

 ただそうは言っても、21世紀において、インフォーマルマーケットがより生々しく、より人々の生活に即した形で力強く存在するのは地中海のヨーロッパ側よりもアジア・アフリカ側です。チュニジアのブマンディル・マーケット、レバノンのミンゲイ・マーケット、トルコのシリア国境近く、ガジアンテップにあるイラニアン・バザールなどなど、多種多様なインフォーマルマーケットが花咲いています。その中でも強烈な存在感を誇るのがモロッコのデルブガレフです。

 また、オンラインのインフォーマルマーケットという点で見ると、イスラエルの起業家たちの「活躍」が目につきます。そこで今回は地中海に数あるインフォーマルマーケットの中でも、東側、イスラエルにおけるオンラインのインフォーマルマーケットと、地中海の西側、モロッコにおけるオフラインのインフォーマルマーケットを順番に見ていきたいと思います。

イスラエル軍OBがアラブ人スタートアップを支援?

 イスラエルのIT産業には近年世界的な注目が集まっています。イスラエルのIT産業隆盛の一因として、イスラエルの徴兵制度と、それによって築かれた人脈の存在がしばしば挙げられます。軍隊時代の先輩が後輩を自分の作ったスタートアップに芋づる式に採用し、軍人時代に培ったチームワークを元に企業を成長させていった、というわけです。特に元8200部隊やタルピオットなど、エリート部隊のネットワークはイスラエルIT産業のインナーサークルの中で重要な役割を果たしていると言われています。

 最近では、こうした起業家ネットワークを生かして、ユダヤ人だけではなくイスラエルのマイノリティであるアラブ系にもIT起業を広げる試みがなされています。例えば、イスラエルに住むアラブ人の起業したカジュアルゲームの会社で、Obscure Gamesという会社があります。彼らが作っているのは、最近イスラエルでも多く出てきたハイパーカジュアルゲーム、つまりデジタル広告のネットワーク(アドテク)を前提にしたきわめてシンプルなゲーム内容のゲームです。

▲Obscure gamesの公式サイトより。(出典

 この会社はHybridというイスラエルのアクセラレーター(インキュベーションプログラムの一種)によって支援を受けていますが、このHybridはウェブページにはっきりと書かれている通り、イスラエル軍の著名な諜報機関である、8200部隊所属経験者がアラブ系スタートアップの育成を目的として創設したものです。イスラエルでは労働を拒否するユダヤ教超正統派とともに、アラブ系(主にパレスチナ人)の就業率の低さが課題となっており、一方でイスラエルにおけるIT人材の人件費高騰の中、人材のパイを少しでも広げていくことを目的にアラブ系の起業支援にも目を向け始めているということなのでしょう。

▲アクセラレーションプログラム、Hybridのページ上に掲載されている8200部隊所属経験者同窓会のマーク。(出典

 ただ、イスラエルという国の性格上、軍事活動や諜報活動の重要性が強いとはいえ、軍隊の仕組みや諜報活動だけがイスラエルのスタートアップ隆盛の原因ではありません。軍事・諜報活動だけがスタートアップ隆盛の主因であるならば、先軍政治を掲げる北朝鮮がIT先進国であっても良さそうなものです。昔はアルファ碁が出てくるまで世界最強だった囲碁AIソフト、最近では仮想通貨取引所のハッキング、ゲーム業界で言えば欧州ゲームタイトルの外注など、興味深い活動がまったくないとは言いませんが、北朝鮮が全体で見てIT産業で進んでいる国とはちょっと言えませんよね。

 一国における産業の発達には、様々な要因が絡んでいます。産業が成長する中では、フォーマルな部分とインフォーマルな部分の境目を突っ切るかたちで成長を目指そうとする企業が多数出てきますが、イスラエルのIT産業はそうした意味でも興味深い要素を持っています。本稿では、インフォーマルビジネスの観点から、イスラエルのIT産業の発達の要因を考えたいと思います。

シリコン・ワディとダウンロード・バレー

 イスラエルのIT産業が1990年代に急速に発展していく重要な要因となったのが、冷戦終了にともなう東側諸国からの移民増加です。ソ連崩壊に伴い、旧ソ連圏からロシア系ユダヤ人が100万人近くイスラエルに移住してきました。ユダヤ系でありさえすれば、アメリカのような国よりも移住が容易だったからです。新しい移民のため、イスラエル政府は失業対策を進めざるを得なくなりました。その結果として、当時世界的な市場規模が拡大しつつあったIT産業の起業振興が急速に推し進められたのです。1993年には、官民出資のベンチャーキャピタル、ヨズマが創設され、イスラエルのスタートアップへの出資体制が整えられました。ロシア系ユダヤ人の多くはソ連で優れた工学教育を受けており、3人に1人が科学者、エンジニアもしくは技術職に就いていましたが、こうした政策は彼らの持っている知識や技能によくマッチしました。

 イスラエルのビジネスの特徴は産業面・市場面双方における国際性の高さです。イスラエルの人口は少ないため、グローバル市場を念頭においたITサービスが発展していきました。企業が成長すると、投資家が集中するアメリカに本社を移し、イスラエルにはR&Dセンターだけを置く、という会社が多く出てきました。アメリカのベイエリアのIT起業家と話をする際に、社長がイスラエルのテルアビブ出身、というパターンを、私もこれまでかなりの数目にしてきました。

 さらに、イスラエルでエンジニアの人件費が高騰するようになると、開発をロシアやウクライナ、ベラルーシといった旧ソ連圏に外注するようになりました。この地域からの移民を多く受け入れたイスラエルの企業にとっては、人的ネットワークの振興が容易な地域であり、また時差が少ないため一緒に仕事をしやすいのも彼らにとって利点となっています。このような起業環境において、アメリカやヨーロッパのIT企業が進出していないニッチな分野で大きな成功を収める企業が多数登場するようになり、イスラエルは中東版シリコンバレー、「シリコン・ワディ」と呼ばれるようになったのです(ワディとは中東でよく見られる枯れ川のこと)。

▲シリコン・ワディを紹介するポスター。(出典

 ゲーム業界に近いところで言えば、アイテム課金型のカジノゲームであるソーシャルカジノなどの分野で、Playtikaなどの有力企業が多く登場しています。他にもサイバーセキュリティや自動運転などの分野でアメリカなどの投資家の出資を受け、成長する企業がいくつも出てきています。

 このような華々しい成果を上げる企業が続出する一方で、テルアビブのIT産業はもう一つの異名を持っていました。それは「ダウンロード・バレー」です。イスラエルでは2000年代まで、ブラウザ・ハイジャッカーやアドウェアなどのマルウェアにより、ネットユーザーを特定サイトに誘導することで、視聴数やダウンロード数を稼ぎ、大きな広告収入を得るビジネスが大きく発達したのです。その中でも有名だったのがツールバービジネスです。

 1990年代からインターネットに触れたことのある方は、バビロン・ツールバーという怪しげなツールを耳にしたことがあるかも知れません。ここで言う「ツールバー」というのは、何かの拍子にインストールしてしまうと、ブラウザ画面上に勝手にツールバーが追加され、ブラウザ起動時のページを勝手に変更したり、特定サイトに強引な誘導をしたりするマルウェアのことです。

 このツールバービジネスの最大手がこのバビロン・ツールバーを作っているバビロン・ソフトウェアという会社で、イスラエルに本社がある上場企業でした(現在はABRA Information Technologiesに名称変更した模様)。当時、イスラエルのバビロン・ソフトウェア社とそのライバル企業とで、ツールバービジネス全体の半分程度のシェアを抑えていると言われていました。バビロンの他にもConduitなど、ダウンロード・バレーに属する企業がいくつか存在し、表向きにはイスラエルIT産業の成功を代表する企業として挙げられることさえありました。彼らのやっているビジネスは灰色、いやほぼブラックではありますが、手っ取り早くユーザー数を稼いで競合に勝ちたいアメリカのIT大手企業は、見て見ぬふりをしつつ彼らと協力関係を保ち、ビジネスの拡大を続けてきました。

▲バビロン・ツールバー(出典

 しかし、ネットユーザーの比重がPCからスマートフォンに移行するにしたがって、検索エンジンとPCブラウザの構造に紐づいたツールバービジネスは存在感を失いました。2013年には、グーグルはバビロン・ソフトウェアとの契約関係を解消しました。こうしたツールバーを運営する会社で働いていた人々は、今までのビジネスに見切りをつけ、新たに多くのスマートフォン向けのデジタル広告技術、いわゆるアドテクの会社を設立しました。

 現在のイスラエルIT産業においては、アドテクが非常に有力なセクターとなっていますが、これにはこうしたかつてのツールバービジネスなどの存在が背景にあるわけですね。ちなみに私の友人であるヨルダン在住のパレスチナ人は、最近はカジュアルゲームなどを作っていますが、基本的にはイスラエル系企業からのオファーはどんな良いものでも断っているそうです。しかし、その彼であっても、カジュアルゲームの拡販に必須のアドテク産業はあまりにイスラエル系企業が多いため、それ以外の選択肢がなく、彼のポリシーを曲げてでも付き合っていかざるを得ないとのことでした。

 ダウンロード・バレーから「足を洗った」技術者がアドテク産業という表の産業で成功を収める一方で、ダウンロード・バレーの「伝統」を引き継ぐような、オンラインのインフォーマルマーケット、いやむしろブラックマーケットに属するビジネスもイスラエルには依然として存在します。

 例えば、アメリカ通商代表部による2020年の悪質市場リストには、「Revenuehits」という企業が掲載されています。このサイトは、海賊版コンテンツが多数アップロードされている「サイバーロッカー」と呼ばれるサイトへユーザーを誘導する「リーチサイト」の最大手の一つで、本拠地はイスラエルにあります。この「Revenuehits」だけではなく、「Xtend Media」や「Matomy Media」など、世界的な大手海賊版アドネットワークのいくつかはイスラエルに拠点を持っているとされています。他にも、欧州のアメリカ商工会議所のレポートを読むと、「1337x.to」という世界的に著名なトレントサイトもイスラエルが本拠地とされています。

▲Revenuehitsのウェブページ。見かけは普通のアドテク企業だが……

 先ほど、イスラエル企業はグローバル市場を念頭に置いてビジネスをしている、という話を出しましたが、逆に言えばこれはイスラエルで違法なことをしなければ何をしても良い、という発想にもつながります。実際、イスラエルではホワイトの企業であっても、イスラエル国外では法的に問題のあるサービスを提供している企業もしばしば見かけます。

 オンラインのインフォーマルビジネスの拠点はアメリカや欧州を含め世界中に広がっているので、イスラエル企業だけを名指しで非難するのはフェアではありませんが、フォーマルビジネスとインフォーマルビジネスの間、合法ラインのスレスレを突っ切ることを良しとする考え方が、イスラエルの起業拡大の一助となっていることは良くも悪くも事実のようです。

林立する高層ビルの中にあるモロッコのインフォーマルマーケット

 さて、話は地中海東側のイスラエルから、地中海西側有数のインフォーマルマーケット、デルブガレフに移ります。本連載の第1回でも一度触れましたが、デルブガレフはモロッコ最大のインフォーマルマーケットです。モロッコで一番大きな都市であるカサブランカに位置し、デルブガレフへの1年間の延べ訪問者はモロッコの人口の過半に達するとも言われています。

 モロッコはリン鉱石の採掘・輸出が重要な産業となっている国で、経済発展とともに最大都市カサブランカには次々に高層ビルが建設されていますが、白く近代的な美しさを誇るビルが林立する中にあって、真っ黒な掘っ立て小屋だらけのデルブガレフは見る者に異様な印象を与えます。しかし、このデルブガレフこそがモロッコの最先端産業の中心でもあるのが面白いところです。

▲上から見たデルブガレフ(出典
▲デルブガレフの外縁部で携帯電話を売る店(筆者撮影)

 デルブガレフは時代に応じて移転を続けてきました。その起源とされるマーケットは100年以上前、1905年には既に存在しました。しかしその後、火災などの理由でカサブランカ市内を移動し、現在の位置におさまったのは1982年のこととされています。最初の市場におけるトレーダーは数百人程度に過ぎなかったとされていますが、市場を移転するたびに倍々ゲームで増えていきました。カサブランカの都市化が急速に進み、移転が容易でなくなっているため、現在のデルブガレフこそが最終形態と言えるかもしれません。

 モロッコは王国であり、共産圏ではありませんが、このマーケットが急拡大したのが、旧東側諸国のコンテナマーケットと同様に1980~90年代というのは興味深い点です。その後、デルブガレフは2000年代のPC・インターネットブーム、2010年代のスマートフォンブームを受けて、縮小するどころか商品のラインナップを広げるかたちで拡大を続け、モロッコ国民にとって欠かすことのできないマーケットとして機能し続けてきました。

▲デルブガレフのゲーム屋。左半分は海賊版中心。(筆者撮影)

 地中海の南側である北アフリカ諸国の中で、とりわけモロッコのインフォーマルマーケットが目立っているのは、モロッコに隣接する飛び地の存在が大きいようです。モロッコの北側にはセウタ、メリリャというスペイン領が存在します。この二つの飛び地はいわば、アフリカの中にあるヨーロッパであり、ここに入り込めればヨーロッパ本土に移住するチャンスが手に入るため、アフリカの移民・難民の通り道ともなっているのです。

 そのため、この二つの地域ではアフリカの難民が押し寄せ、警察と揉みあいになる事件がしばしば報道されています。一方、この二つの地域は欧州からの物資を受け取る格好の場所でもあるため、欧州のIT製品などが非正規輸入されるルートにもなっているのです。こうした理由から、モロッコは南から北へ人を送る一方で、北からの物資を受け取る、ヨーロッパとアフリカの非正規のゲートウェイのような機能を果たし続けており、そのゲートウェイから流れてくる商品がデルブガレフの豊富な商品ラインナップを形成しているわけです。

▲デルブガレフのゲーム販売セクションの通路(筆者撮影)

 私が本連載でこれまでに紹介してきた、キルギスのドルドイやウクライナの7kmマーケットなどの市場は、繊維商品、食料品から家電製品、IT製品に至るまで何でも扱う総合市場でした。それに対してこのデルブガレフは、よりIT製品の比率が高い電気街のような場所となっています。ゲームは重要な商品の一つで、町のショッピングモールよりもはるかに多彩なラインナップで商品が陳列されていました。現地の友人によると、昔からデルブガレフではありとあらゆるゲームが売られていたそうで、中国からの違法コピー品やたくさんゲームの入った怪しげな商品のみならず、日本語のファミコンカセットなども多数販売されていたとのことでした。

 実際、デルブガレフでは親子二代にわたってゲームを取り扱っている商人も見かけました。違法コピーも含め、怪しげなゲームソフトの販売で家族を養い、ついには息子さんが「家業」を継いだというわけですね。

 デルブガレフでビジネスをする人々の社会構造を見ると、ドルドイのサリムベコフ家のような顔役が存在しないのが特徴となっています。100年以上の歴史を持つデルブガレフですが、現在に至るまで商業組合のようなまとまった組織は形成されておらず、街区ごとのゆるやかなコミュニティが存在するにとどまっています。また、利害を調整する顔役がいないことから、デルブガレフを構成するコミュニティ同士にはある種の潜在的な対立関係があります。

 具体的には、現在の地に移転する前からビジネスをしてきた商人と、移転した後に新規参入した商人、さらに店を持っておらず、街区の出先で商売をしている商人という三層に分かれています。

 街区の出先で店舗を持たず、携帯電話などを販売している商人は、店舗を持っている商人から商品の委託を受けて販売していることが多いようですが、やはり店舗を持つ者と持たぬ者との間の対立関係は根深いようです。このような顔役・代表組織が不在の一方で、政府当局の取り締まりには協力して抵抗するという性格を持っているため、モロッコ政府はデルブガレフにうかつに手を出すこともできず、つかず離れずの距離を保っているようです。

▲デルブガレフでゲームを販売する様子(筆者撮影)

 デルブガレフはIT製品が主要商品となっている「電気街」ではあるものの、デルブガレフの店舗は国の電力系統から電気の供給を受けておらず、自家発電機が使われています。この自家発電機自体がデルブガレフの店舗向けビジネスになっているのが面白いところで、電気を必要とする店舗は、1週間200ディルハム程度(約2,400円)の料金を自家発電機保有者に支払っているようです。

▲デルブガレフの携帯電話販売区画(筆者撮影)

 デルブガレフで扱われている商品は消費者向けのものだけではありません。ここではMicrosoft Officeなどのビジネスソフトやプリンターのインクの非正規品など、企業向けの商品も多数取り扱われているのです。モロッコには「デルブガレフ・バレー」という表現があるくらいで、ここで取引され、モロッコの他の地域やチュニジア、アルジェリアなどの隣国に流れる安価なPCとその周辺機器、オフィスなどのビジネスソフトや非正規品のプリンターのインクなどが、北アフリカのIT産業における起業を支えてきたと言われています。電気もまともに通っていないヤミ市がアフリカのIT産業を下支えしているというのは、面白い事実ではないでしょうか。

デルブガレフの100ドルPCコーナー(筆者撮影)
▲モロッコのITスタートアップが集積するインキュベーションセンター(筆者撮影)

 ちなみにですが、北アフリカは西ヨーロッパのIT企業のアウトソーシング先として最近発達してきています。モロッコには2016年まで18年間にわたりUbisoftが存在し、Nintendo 3DSで「ラビッツ」シリーズのゲームを開発していました。Ubisoftの閉鎖後は元従業員を中心に独立系のゲームスタジオがいくつか設立されており、また海を隔てた隣国であるフランスの支援などを受けてIT・ゲーム産業が成長してきています。チュニジアは、Facebookのバグ・バウンティ・プログラムの報賞数ランキングでアメリカ、インドに次ぐ数を記録するほどホワイトハッカーの多い国です。人口3億人超のアメリカ、人口13億人超のインドの次に、人口1,200万人程度のチュニジアが並んでいるというのは、実はすごいことではないでしょうか。

 さらに、エジプトのカイロは世界規模のゲーム開発イベントであるGlobal Game Jamで最も参加者が多い場所として知られてきました。

 私自身も実際、北アフリカのこれらの国で、日本製のゲームタイトルに二次請け、三次請けで関わったことがある、という方や企業を何人か見てきました。いまゲーム産業において、優れたゲームタイトルを出す地域として世界的な注目を集めている東ヨーロッパほどIT・ゲーム業界における存在感はないものの、北アフリカにおけるIT人材の数が増えてきているのは確かで、何かきっかけがあれば、一気に北アフリカのIT産業が伸びるかも知れないと私は考えています。

▲筆者も登壇したモロッコのゲーム産業イベント(筆者撮影)

 デルブガレフのようなインフォーマルマーケットは、ラバトやマラケシュといったモロッコの他の都市にも多数存在します。いや、むしろ存在しない都市はない、と言ったほうが正しいくらいでしょう。例えばモロッコの首都であるラバトの都市の中心部にある広場にもデルブガレフと似たようなマーケットが存在し、地中海の北側から流れてきた非正規品やコピー品が多数扱われています。デルブガレフを中心とする都市間のネットワークがIT機器を各地に供給する役割、現地企業のIT化需要に応える機能を担っているというわけですね。

▲ラバトの電気街(筆者撮影)

おわりに

 以上、イスラエルとモロッコの両国のインフォーマルビジネスについて見てきました。一方はハイテク中のハイテク、もう一方は超ローテクの掘っ立て小屋市場ですが、この二つに共通して見えてくるものがあります。それは、インフォーマルビジネスと起業文化との関係です。

 イスラエルでは合法・非合法スレスレのグレーゾーンを狙う起業家が、イスラエルのIT産業成長を支えてきました。一方、モロッコではデルブガレフに流れてきたIT製品が北アフリカ各地に流入し、それが北アフリカのIT産業起業を促していました。いずれの場合も、人口や経済規模など、国力でアメリカや西ヨーロッパの国々に劣る国が産業を発達させていく上で、ビジネスのインフォーマルな要素を許容した結果、ということができます。インフォーマルビジネスは、新しいビジネスを生み出すイノベーションの源泉となり得るのです。

 もちろん、インフォーマルマーケットのカオスな状況をカオスのままで放置していいわけではありません。非合法・悪質な起業家を排除しつつ、どのように健全なスタートアップエコノミーを形成していくのかは、先進国にとっても新興国にとっても共通の課題です。ただ、フォーマルなエコノミーに対して規制緩和をしていくというやり方よりも、インフォーマルなエコノミーの存在を認め、そこにある違法な要素、ブラックな要素を排除する最低限のルールを設けていくというやり方のほうが、イノベーションを起こす近道になるのではないでしょうか。

 次回は地中海を出て、大西洋沿岸のマーケットの話に移っていきます。とは言っても、大西洋は広大で、地域によって市場のプレイヤーが大きく異なっています。そこでまずは西アフリカ、ギニア湾沿岸の地域の話から始めたいと思います。この地域はインフォーマルビジネスがフォーマルビジネスを圧倒している地域で、コンテンツビジネス的にも見逃せない要素がいろいろとあります。是非ご期待ください。

(続く)

この記事は、PLANETSのメルマガで2021年4月15日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。あらためて、2021年8月26日に公開しました。
これから更新する記事のお知らせをLINEで受け取りたい方はこちら。