チームラボの代表・猪子寿之さんの連載「連続するものすべては美しい」。今回は、岡山の福岡醤油ギャラリーで開催中の展覧会「Teamlab: Tea Time in the Soy Sauce Storehouse」をめぐる対話です。「自分自身でありながら、世界の一部にもなれる」感覚を味わえる作品、近くと遠くで見え方が変わる新しい色。不思議な感覚の先に現れる、自分と世界の「ととのう」が重なり合う体験について語り合います。
端的に言うとね。
「個vs全体」──近代人がとらわれていた二項対立を解体する
猪子 今日、宇野さんに体験してもらった企画展は、2021年4月15日から2022年3月31日まで岡山の福岡醤油ギャラリーでやっている「Teamlab: Tea Time in the Soy Sauce Storehouse」。ここはもともと、醤油製造に使われていた古い建物だったんだけど、実業家で、現代アートのコレクターでもある石川康晴さんが理事長を務めている公益財団法人石川文化振興財団が、その建物の耐震構造などを補強してギャラリーにリノベーションしたんだ。その地下の、当時、醤油蔵だった場所を作品空間にした。かつて醤油が貯蔵されていたことにちなんで、四方から黒い液体で包まれているような空間を作りたいなと思って、出入り口をトンネルにして、360度全方位が水に囲まれている場所にしたんだ。
福岡醤油ギャラリーは、芸術や地域文化の発信を行うための場所としてオープンした文化施設。石川文化振興財団は岡山市や岡山県と一緒に、岡山城・後楽園周辺ゾーンで開催される国際現代美術展「岡山芸術交流」を3年に1回開催している。そんななかで、この施設の地下ギャラリースペースで展示する最初のアーティストとしてチームラボに声をかけてもらって、とても光栄なことだと思っているよ。
福岡醤油ギャラリーは、明治に建てられた主屋と昭和初期に建てられた離れからなる建物「旧福岡醤油建物」を改修してつくられた文化施設。展覧会の開催や一部施設の貸出とともに、瀬戸内の食文化を堪能できるスペースを運営予定。人々が集い、新たな交流が生まれる場を提供することを目指す。運営元は、公益財団法人石川文化振興財団。理事長の石川康晴さんは、ファッションブランド「earth music&ecology」などを手がけるアパレル企業・ストライプインターナショナルを創業した実業家だ。
この福岡醤油ギャラリーの源流は、2010年代の前半までさかのぼる。石川さんは2014年、「街が美術館となり、散歩がアートとの出会いになる。」をコンセプトに、「Imagineering OKAYAMA ART PROJECT」を開催した。工事現場の壁、県立美術館の壁、廃校の学校の中、街中の自然……既存の素晴らしいものと現代アートを融合させるアートイベントとして展開。世界各国から収集した現代アートの「石川コレクション」が、国内初公開の作品も含めて市内の至る場所に出現した。
「Imagineering OKAYAMA ART PROJECT」は、短期間で延べ11万人を超えるほどの来場客を集めたことを評価され、国際現代美術展「岡山芸術交流」へつながっていく。「既存のものを活かす」という中心的なコンセプトを引き継ぎながら、世界各地から多様なアーティストたちが参加。ニューヨーク在住の著名アーティストであるリアム・ギリックがアーティスティックディレクターを務めた第1回(2016年)には延べ 234,000人、フランスを代表するアーティストであるピエール・ユイグがアーティスティックディレクターを務めた第2回(2019年)には延べ312,000人が来場した。2022年秋には第3回の開催が決まっており、アーティスティックディレクターには、アルゼンチン生まれのアーティスト、リクリット・ティラヴァーニャを選任。
ただ、街中を会場とするがゆえに、会期終了後はすべて展示を撤去してしまうという。そこで、アート作品を展示する拠点を持とうと設立されたのが、この福岡醤油ギャラリーなのだ。
もともと醤油蔵だった建物を再利用することは、「潰れかけた場所に『生命(いのち)』を宿らせる」ことでもある──その考えにも照らし合わせ、こけら落としとなる展覧会の担い手に、石川さんはチームラボを選んだ。「チームラボがこんなに狭いスペースで展示を行うのは初めてではないか。それにもかかわらず、醤油蔵の文脈と生命という概念、さらにはお茶というコンセプトともつながっていく、期待以上のものをつくってくれた」と石川さん。
福岡醤油ギャラリーでは、欧米だけでなく、日本も含めたアジアのアーティストの展覧会を開催していく構想だ。「生きているアーティストの次のステップを応援するパトロンとなりたい」と石川さんは意気込みを語った。そうしてギャラリーを充実させていった先に、「既存の観光コンテンツと私たちの文化芸術のアプローチをミックスした魅力的な都市をつくりたい」とも展望している。
猪子 展示しているのは『旧醤油蔵の共鳴する浮遊ランプ』という作品で、一帯に水を張ってランプを浮かべている。
その水面と同じレベルにお客さん用のテーブルがあって、そこでEN TEAの茶が飲める。こっちはコップに入れたお茶が光をたたえてその色が変化していく『共鳴する茶 – 動的平衡色』という作品になっているというわけ。
▲Teamlab: Tea Time in the Soy Sauce Storehouseでの『旧醤油蔵の共鳴する浮遊ランプ』と『共鳴する茶』。
この2つの作品では、浮遊するランプ同士やコップに入れた茶の光が、それぞれに固有のリズムで明滅しているんだけど、やがて近くのもの同士が互いの影響を受けながらリズムをそろえていく「引き込み現象」という現象を起こして、だんだんそのリズムが一致していくようになる。宇野さん、ランプは触ってみた?
宇野 触ってよかったの? 後で損害賠償とか起こされない?(笑)
猪子 バーンと、思いっきり触ってもらって大丈夫。最初に作品空間に入った瞬間には、全部のランプの明滅のリズムが完全に一致していたよね? 人がいないし、お茶もないから。ただ、そこで誰かがランプを触ったら、そのランプは元の固有のリズムに戻る。すると、その影響で近隣がずれだして、さらにその近隣もずれていき、結果的には全部がバラバラになる。一個が固有値に戻ると、全部が一旦バラバラになるんだよ。で、全部が一旦バラバラになった後、しばらくすると新たなリズムで収束し、再び全体が一致していく。
宇野 それはけっこうすぐに一致するものなの?
猪子 うん。誰も触らなければ、引き込み現象が起こって、だいたい数分くらいで一致する。つまり、バラバラになることと、全体が一致することが、行ったり来たりする空間になっている。
引き込み現象はある種の自己組織化なわけだけど、よくよく考えると不思議な話だと思う。マイアミで開催中の展覧会「Every Wall is a Door」の中の『質量の ない雲、彫刻と生命の間』も近いコンセプトで作ったのだけど、本来はエントロピー増大の法則に従って散り散りになっていくはずが、なぜか自己組織化して大きな塊ができ、浮き上がる。そもそもこの宇宙が存在しているのも、ある意味ではエントロピー増大の法則に反していると言えるよね。本当なら拡散していくだけのはずなのに、なぜか太陽や地球のような惑星があり、宇野さんがいる。これは本当はおかしい状態だよね。宇宙がスタートしてから、共通の現象である自己組織化が起こり続けてきた結果として惑星や生命が存在しているかもしれないのは、そのこと自体がすごい不思議な感じがする。
引き込み現象の有名な話で言えば、同じ壁に置いた振り子時計が一致し始めるとか、同じ机に置いたメトロノームが一致し始めるとか、それぞれ勝手に点滅しているはずの蛍の光の明滅のリズムが同じ場所にいると一致するとか。もっと言えば我々の心臓も、細胞が振動しているだけなのに、引き込み現象で同時に振動しているがゆえに、大きな鼓動になっている。直感的には変な感じがするんだけど、物理現象でも生命現象でも、同一の引き込み現象が起こっている。引き込み現象が、物理現象、神経生理、生命系や生態系など、直感的にまったく違う法則でできているかのように思える多様な系で、同じように見られることは、この宇宙も、自分の存在も、自己組織化という同じ現象によって連続的に生まれた秩序であるかもしれないことを示唆しているかのように思えるんだ。
宇野 直感的にはまったく別のものが、実は同じ現象によって成り立っている。
猪子 そうそう。まったく違うものが実は同一の現象で成り立っているかもしれないことを予感させることに、すごく興味があって、生命現象の考えから雲を作ってみたり、引き込み現象でこういう作品を作ってみたりしてるんだよね。
小難しいことは置いておいても、ただバラバラに明滅することと、全体の明滅が引き込み現象で一致することを行ったり来たりするうちに、自分自身にも引き込み現象が起こって、このリズムに一致し始めてしまうような感じがするよね。ランプとの引き込み現象が起こることで、宇宙や自然の一部であるかのような感覚になる気がするし、気持ちいいんだ。
宇野 面白いよ、その話。猪子さんがここ数年やってきたことの、最新型のような話だと思う。直感的には、引き込み現象のようなものと、確固とした自分が独立して存在しているということは、対立する概念であるはず。この作品のように、全体にすべてが均されているようなものは、人間の固有の生をないがしろにする行為だと、一般的に思われている。でも、そうじゃないんだと。むしろ、固有の存在が生まれてはもう一度全体に回収されていく反復によってはじめて、この世界が広がって複雑化・多様化していくのだという宇宙観が、猪子さんの話にはある。
これは僕らがずっととらわれていた二項対立を、超えていく発想だと思う。僕らがあるということ、すなわち僕らが個別に存在して個別の体験を持っているということと、我々が世界の一部であることは、矛盾しないんだと。近代においてはずっと、それらは逆の概念だと思われてきた。いかに個を全体から切り離すかということを、僕らは150年か200年くらい考えてきたと。だけど、テクノロジーが発達してくると、どうやら違うらしいということがわかってきた。我々は世界の一部であるということの方が、どう考えても科学的に正しいということに、あらためて直面している。そのときに、「どうやって自分というものを確保したらいいのか?」と悩んでいるのが昨今の状況だと思うんだけど、いまの話だと、悩む必要はないんだと。
猪子 そうそう。裏を返せば、勝手に固有であってもいいんだよ。固有であることと、世界の一部であることは、同等だから。
宇野 我々が固有の体験を過ごすということ自体が、世界の多様化・拡大のプロセスの一つであるということだね。猪子さん、贅沢な注文つけていい? この固有の時間が存在して、それが全体の時間に一瞬影響を与えて、また元に戻っていくと。その結果として、少しずつでいいから、この全体が変化していくといいよね。
猪子 ランプの光のリズムは不可逆に変化するよ。リズムは一致するんだけど、その新しい全体のリズムは、揺らして固有のリズムに戻ったランプや茶の光のリズムの影響を受けちゃっているから、元の全体のリズムとは周期が違う。
宇野 なるほど。全体は統一されているけど、元と同じサイクルには戻ってないわけね。でも、ちょっと現状だとわかりづらいな(笑)。もっとわかりやすくできないの?
猪子 わかりづらいよね(笑)。でも、わかりやすくするためには、リズムの周期差をすごく激しくしないといけなくて。リズムがすごい短かったり、長かったりする茶の光があることになってしまう。
宇野 たしかに、そうするとかなりせわしなくなって、また別のものになっちゃうよね。
「作品そのものを飲む」という体験
猪子 あと、お茶がなくなると、光もなくなるんだ。ただ、来場する人は、みんななんとなくそのことを知っていてさ。だからみんな素直に飲まなくて、手に取ったりする。
宇野 計算したとおりに動いてくれないんだ(笑)。
猪子 入った瞬間は全体の明滅のリズムが完全に一致しているんだけど、以降一切一致しないの。自由に座ったり、みんなけっこう動くんだよ。ほとんどの人が飲み干したら、最後の最後には一致していくはずなんだけど。
宇野 入口に「ふつうに飲め」って書いておきたいね。しかし、多動症的な振る舞いになるのは、自分が世界にどれだけ影響できるのかを確認したい人なのかもね(笑)。こういう観客がもたらすインタラクションの偶然性をアートの一部に組み込んでいくというアプローチ自体は、猪子さんがずっとやってきたことの延長線上にあると思うのだけど、ポイントはその中に、「飲む」という体験をどう組み込むかというところだよね。
猪子 そう。作品そのものを飲む、という体験をどう作るか。コップにお茶が入ると光るんだけど、お茶そのものが光っていることで、作品そのものを飲むという気持ちに持っていけると、これもまた瞑想状態に近づくと思うんだよね。
宇野 サウナで汗をかくことと同じ考え方だよね。そういう日常生活に隣接した行為とアートを鑑賞するということをダイレクトに接続するところにコンセプトがある。お茶を飲むことのように自分が普段からやっている行為が、世界にどう影響を与えているか、ということを体感できる仕組みになっている。なんかお茶って、自分の中のバランスを取り戻すために飲むものじゃない? そのことで、自分がバランスを取り戻す、それこそととのうことによって、世界がととのっていくという重ね合わせを体感できる。普段は別に自分がお茶を飲むことで世界の側は微動だにしないように見えるのだけど、時はそうではないのだということが可視化される世界を醤油蔵の地下に実現しているということなんだよね。自分がととのうことと世界がととのうことの一体感だよね。
「近いと動的、遠いと平衡」な新しい色をつくる
猪子 今回は、「色」についてもチャレンジをしている。このお茶の光は「動的平衡色」と名付けていて。あまり大々的に強くは言ってこなかったんだけど、実はここ数年、人類がまだ知らないような新しい色の概念を作れないか挑んでいるんだ。お茶の中に氷が残っているとよりわかりやすいんだけど、この「動的平衡色」は、直近で凝視すると色がうごめいていて動的な色として認識する。でも、遠くから見ると同じ色にしか見えなくて、止まった静的な色として認識する。
宇野 遠くからだと、単に青く光ってるように見えるね。
猪子 そう。近くで見ると時間軸があるんだけど、遠くから見るとない。近くだと動的に移ろっているけど、遠くからだと平衡状態にすることで静的になる色を模索してみたんだ。一人ひとりが飲むお茶の「動的平衡色」は、自分に対しては、常にうごめいてどんどん刹那に変化しているんだけど、それを遠くから俯瞰すると、一定の色、何も動かない永遠のようにも見える。つまりここでは、個人の局所的な時間の概念と、全体を通じての時間の概念が違うということが体験できる。
宇野 意外とはっきりわかるね。これは着席している人間に、いかに固有の時間を与えるかということに成功していると思う。
猪子 そう。一人ひとりが飲むお茶の「動的平衡色」は、自分に対しては、常にうごめいてどんどん刹那に変化しているんだけど、それを遠くから俯瞰すると、一定の色、何も動かない永遠のようにも見える。つまりここでは、個人の局所的な時間の概念と、全体を通じての時間の概念が違うということが体験できる。
前回、「チームラボ & TikTok,チームラボリコネクト:アートとサウナ」の話をしたとき、宇野さんが、サウナで超主観的な時間が変わるという話をしてくれたけど、こっちは世界全体との関係の中でそのことを感じられるということなのかもしれないね。
[了]
※この記事は小池真幸が構成をつとめ、PLANETSのメールマガジンで2021年11月24日に配信した記事をリニューアルしたものです。改めて、2022年1月6日に公開しました。
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