滋賀県のとある街で、推定築130年を超える町家に住む菊池昌枝さん。この連載ではひょんなことから町家に住むことになった菊池さんが、「古いもの」とともに生きる、一風変わった日々のくらしを綴ります。
今回は季節とともにある古民家ならではの暮らし方についてです。気温や天気に合わせて生活様式をかえていく「暮らしわけ」について、季節折々の写真とともにお届けします。
この記事は、PLANETSのメールマガジンで2021年10月4日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。あらためて、2022年1月20日に公開しました。
端的に言うとね。
歳時記と暮らし
昔から「歳時記」「二十四節気」「七十二候」という季節や行事を表す言葉がある。伝統文化に触れた人は誰でも聞いたことがあるに違いない。殊に二十四節気と七十二候の2つは農林水産や日々の暮らしの季節の指標として使われていたものだという。たとえば七十二候には天候のみならず生物が捉える季節感が出てくる。渡り鳥のツバメや雁は日本に帰ってくる時と旅立つ時に登場する。ちょうどこれを書いている時期(9月中旬)は、七十二候では玄鳥去(つばめさる)にあたり、毎日姿と声を楽しんでいたご近所のツバメは、気づくと子育てを終えて南への旅立ちの準備と出発で巣はだいぶ前から空っぽである。最近はツバメの子育て開始が早まっていると聞く。旅立ちも早まっているのだろうか。また、品種改良で8月から稲刈りが始まっている。地域性や気候変動の影響もあるだろう。受け継がれてきた指標である伝統的な暦が日常生活の当たり前から離れつつあることに寂しさを感じる今日この頃だ。
さて、築130年以上経つこの家では、季節の微妙な移り変わりを肌で感じられる。外気の温度、日差しの入り方、風の向き、雨や風の音、空の高さ、植物の成長、虫の種類と活動、家の建て付けの状態(木の特性上閉まりにくくなったり、ゆるくなったり)など。そんなことだから家のどこで日常生活を営むかは、夏は風通しで決まるし、冬は日当たりと隙間風で決まると言っていい。ちなみに春と秋はご自由にである。
ここに引っ越して約1年。風情のある家では仕事場を見せないようにと、押し入れをオフィスに作り変えてはみたものの、晩秋から春までは押し入れは非常に寒く、仕事にならないことを知った。押し入れの中にリーラーコンセントを2カ所と壁に1カ所電源をつけ、デスクも取り付けてもらったにもかかわらずだ。古民家には用途別の部屋は向かないということを思い知り本当に悔しい。
外界と繋がっている地続き古民家の結界
現代の居住空間は、密閉空間で年中同じ室温を維持することを目的としている。暑さと寒さから居住空間を断熱することで1年中室温の快適さを維持し、夏場の暑さや冬場のヒートショックから身体を守るという、ヘルスケアにも繋がる考え方だ。特にマンションやオフィスビルなどはその典型で、無駄なエネルギーを使わず、使うエネルギーは再エネというカーボンニュートラル化を近未来は目指している。気候変動対策には良いことだが、そうなると、季節は目で定点観測するようになる。
一方、古民家はどうだろう。季節が家を包み込み、外から温度も風も湿度も音も匂いも家の中に入ってくるのが五感で感じられる。家も外を拒否しておらず、虫たちにとっても通り道だ。ヒトはそれに合わせて生きていく。都市部の守りの家ではなく、自然と同質化しつつもどこかで線引きする結界を個々の許容範囲で設けるのが古民家な気がする(私の住まいは冬は本当に寒い)。
私の基本方針はこうだ。冬は暖房効率を考えて限りなく小さく冬眠するように暮らす。外界との境目も小さく戸口のみ。24時間換気はエネルギーゼロのスキマ風がしてくれる。だから窓はお掃除の時くらいしか開けない。GW間近になってようやく日常生活が6畳から12畳へ、梅雨に入って12畳から24畳へというふうに使う部屋の面積が広がっていき、外で過ごす時間も増える。外は外で春の訪れとともに様々な生物が活動を始める。冬眠からみんな目を覚ますのだ。
そうなると未知との遭遇が増えてびっくりすることも出てくるが、ググったり人に聞いたりしながら生物たちとは原則共存の道を選択する。この小さな庭に、どれだけの生き物がいるのだろう。その気配は、微生物からも感じられると最近思う。こんな地続きの家なので、這ってくるタイプの生物への今夏の結界は防虫剤を家の縁に噴霧して、あとは網戸である。
「暮らしわけ」は気を巡らすノマドな感覚
食事をする、趣味をする、仕事するなど「場所」を変えたり、手入れのために庭に出る、外気を入れて風を通すなど日差しを見て作業する「時間」を区切ったりと、古民家では太陽と気温と風とを都度意識しながら、暮らし方を最適化していく必要がある。これをわたしは「暮らしわけ」と呼んでいる。おそらく「暮らしわけ」という言葉はないかもしれないのだが、私は「季節によって自然や生物の様子が違うように人も季節によって変わっていく」という意味で使っている。実践してみると、雨の匂いや音、隣の駐車場の車の出入り、近所の会話音や灯り、陽の翳り、うちそと含め敏感になって、こちらの感覚も野生化していく。試しに今夏は熱中症にならない程度に、室内ではエアコンを使わないようにしてみた。田舎といっても最高気温は30℃を越えて汗はかくし、着衣は薄手を選ぶようになり、汗をかいたら水浴びをし、風に当たるところを探して移動もした。家じゅうに風を通してカビないように、身体も外気にあたって新陳代謝がよくなって良い気がする。
そんな日々を送っていた7月と8月。趣味にガッツリ集中するために一度3時間ほどエアコンをつけた。エアコン効率を上げるために玄関と裏庭や窓を閉め切るだけでなく、部屋の仕切りも閉じて「閉鎖断絶空間」を作った。クーラーを使う夏は冬支度レベルの狭さになり、開放感はまったくない。反対に風通しの良い明るいところにテーブルを出し、そこにPCを設置して仕事場にしたときの開放感は格別なのだ。夕暮れとともに雰囲気の良い照明になっていく時間に、家族や友人と食事する夏の暮らしわけの、なんとも言えない心地良さは、ぜひ一度味わってみてほしい。
夏の暮らしわけだけでもいろいろあったので、いよいよ2回目の秋冬を過ごす今年は、防寒がテーマになるのだろう。いずれにせよ目的別の部屋を持たない古民家では常にノマド感覚だし、外を感じながら生活できるのは良いことなのかもしれない。
室礼の周辺
室礼は婦人誌などではおおよそ「季節の室礼」で節句などのインテリアだったりするが、Wikipediaによると、「室礼は、主に寝殿造において、柱だけの開放的な空間を「御簾」「几帳」「壁代」などのカーテン類、屏風や衝立などのパネル類、押障子や鳥居障子などの取り外し可能な建具などで仕切り、必要な場所に畳や二階棚などの家具・調度を配置して、日常生活、または儀式の場を作ることである。」とあり平安時代からあったことがわかる。私は定義にはほとんど関心がないが、この「場を作る」という文節が古民家で感じてきたことと一致していると感じる。場を作るという「暮らしわけ」には終わりがないので、季節ごとに場の作り方をアップデートをして楽しんでいくことにして、ここでは「場」を演出する田舎的な衣と植物について書こうと思う。
コンクリートの建物は電気などのエネルギーを使って24時間換気が義務化されている昨今、もともとスカスカな日本家屋の「風通し」という名の24時間喚気とともにある暮らし方は、健康面以外に精神衛生面でも見直されるべきものだと思う。カーボンニュートラルな古民家暮らしの仕組みができるまでは、できるだけ省エネの暮らしを実現していきたい。以前、クールビズというカジュアルなビジネス着の登場が話題になったが、それだけでなく、暮らし全体に広げて考えてみるといいだろう。機能的な面から言えば冷暖房のエネルギー使用量と服装の関係を考えて、たとえば夏は軽くて薄くてザブザブ(洗剤を使わず)洗えて、着替えができて常に清潔な状態にいられるようにする。反対に冬はヒートショックにならないように、首、手首、足首、背中はいつもほんわか温もった状態でいたい。そこに若干のセンスの良さと地域経済が回っていく方法がマッチしないかを考えている。
この装いで暮らせれば、人も季節の室礼の一部になる。本来の着物と同じだ。着物が衰退傾向にある理由は形にこだわり過ぎるところにあると考えていて、着物は季節に沿って生地と厚みを変える機能的な側面と、季節感を現す柄や色、小物などの見た目といった装いの側面を持つ。この2点が本質的な特徴だ。
春から秋の花の時期は、部屋に花屏風で壁を作って薄暗い灯りの中庭の花を飾る。外で眺めても良いのだが外は暑かったり寒かったり雨が降ったり。また古民家の室内は、日照が少なく通年では寒いので植物を育てるのに向いていない。だから外に植物がある春〜秋は家の中に植物のある生活を楽しみたい。そうなると花壇に何を育てるかを真剣に考えることになって、また少し暮らしが楽しくなっていく。日々の暮らしを自然を感じながら感覚的に生きていくこと、部分的に頭を使うところと感覚で生きるところとちゃんと使い分けしたいものだ。
[了]