コロナ禍をきっかけに、リモートワークが一気に普及しました。通勤や出社のストレスから解放されたことを喜ぶ反面、家が仕事場になったことで、仕事モードの時間が増えてかえって疲れてしまう……そんな新しい悩みが生まれた方も少なくないでしょう。
新しいワークスタイルが広がる中で、今、働く人はどのように「休む」べきなのでしょうか? メンタルヘルスや健康、そして場づくりなどさまざまな領域のプレイヤーと一緒に考えていくダイアローグ連載。第1回は、「職場のメンタルヘルス」を専門に臨床や研究に取り組まれている、臨床心理士の関屋裕希さんをお招きします。(Sponsored by CHILL OUT)
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端的に言うとね。
心理的距離、リラックス、熟達、コントロール……心を休ませるための「4つの要素」
──この連載では、働く人にとっての「休む」ということについて、いろいろな角度からあらためて考え直していこうと思っているんです。というのも、コロナ禍の影響もあって世界的にリモートワーク化が一気に進行したところがあると思うのですが、働き方が大きく変わりつつあるタイミングで、一緒に「休み方」も考えてみたいと思ったんですね。
今回はそんな「休み方」について考える連載の第一回として、「職場のメンタルヘルス」を専門に臨床や研究に取り組まれている臨床心理士の関屋さんに、主にメンタルヘルスの観点から「休む」ことについてお話を伺ってみたいと思います。
関屋 よろしくお願いします。「リモートワークになってからうまく休めない」という悩みは、私もよく相談を受ける点なので、ぜひ一緒に考えてみたいです。
──まずは前提となることから始めたいのですが、そもそも、なぜ人は休まなければならないのでしょう?
関屋 メンタルヘルスの専門用語で言えば、「心理社会的資源」を回復する必要があるからです。心理社会的資源とは、楽観性やレジリエンスといった個人が持っている資源と、人間関係や他者からのサポートなどの総称のこと。今回は「休み」の話なので、主に前者の「個人」の資源についてお話しできればと思います。仕事などに向き合うための意欲のようなもの、と言ってもよいかもしれません。これは、社会生活を送る中でどんどん消耗していくので、適切に休むことによって回復させていく必要があります。
そして「身体の疲れ」はただ横になっていれば回復しますが、心理社会的資源の消耗、言い換えれば「心の疲れ」は身体を休ませるだけでは回復しないことが、さまざまな研究によって明らかになっています。もちろん、体調が悪いときはどうしてもポジティブに物事を捉えられないように、心と身体は完全に切り分けられるものではありません。しかし、メンタルヘルスの観点から言えば、心の疲れにフォーカスした休み方を知ることが大事なんです。
──身体ではなく、心の疲れにフォーカスした休み方……つまり「心理社会的資源」を回復させるための休み方とは、どのようなものなのでしょう?
関屋 心理的社会資源を回復させるような休みは「リカバリー経験」と言われ、4つの要素によって構成されると言われています。1つ目は、仕事から心理的な距離が取れていること。2つ目は、心身の活動量を意図的に低減させて、リラックスした状態でいること。3つ目は、仕事以外のことに熟達すること。そして4つ目が、時間の過ごし方に対するコントロールを利かせられることです。
──挙げていただいた「4つの要素」、どれも突っ込んで話してみたいものばかりなのですが、一つずつ順番に聞いていきますね。
通勤時間がなくなったとき、いかにしてオン/オフを切り替えるか?
──まずは最初の「仕事からの心理的距離」についてお伺いしたいのですが、これってつまり休みの日にSlackの通知がばんばん飛んできて、それをいちいちチェックしているようでは、十分に「休む」ことはできないということですよね?
関屋 はい。休みを取っていたとしても、つい仕事のことを考えてしまったり、仕事で利用しているコミュニケーションツールを見てしまったりすると、仕事からの心理的な距離が十分に取れず、心理社会的資源の回復が阻害されてしまうんです。冒頭でも触れたように、特に在宅勤務が増えてきてからは、仕事からの心理的距離を取ることが難しくなっているのではないかと思っています。実際、2020年4月にコロナ禍最初の緊急事態宣言が発令され、在宅ワークに切り替える企業が多くなると、睡眠に問題を抱える方が増えたんです。私は企業の健康管理室でカウンセリングを行っているのですが、この時期は明らかに、不眠などの症状を訴える方が多くなった記憶があります。お話を伺うと、在宅勤務になったことで、仕事モードのオン/オフがうまく切り替えられなくなってしまった人が多いことに気がつきました。
というのも、それまで「生活」の場所だった自宅に、「仕事」が流れ込んでいるわけじゃないですか。仕事用のパソコンや社用携帯電話を家に持ち帰って仕事をするようになると、休みの日でもそれらのデバイスが目に入ってしまって、どうしても仕事のことを考えてしまう。また、出退勤に付随する移動が仕事モードのオン/オフを切り替えるための時間になっていたのに、それがなくなってしまったことによって、常にオンになってしまっている側面もある。「毎日、何時から何時は出勤するための移動時間」と決まっていたほうが、スイッチの切り替えという意味ではいいんですよね。
──とてもよくわかります。僕(宇野)は会社員を辞めて10年以上経っているのですが、会社員時代は明らかに出勤途中に仕事のスイッチをオンにしていた。前日夜ふかししていても、朝通勤電車に揺られて出勤して、デスクにつくと少なくとも午前中の数時間はなんだか気持ちがシャキッとして仕事に集中できていましたからね……。その頃はカフェで仕事をする人たちを見て、「家か会社で仕事をすればいいのに」と思っていました。でも独立して出退勤の移動がなくなったあとは、僕も当たり前のようにカフェで仕事をするようになっていた。自らの生活の中で仕事を時間的・空間的に適切に位置づけるのは簡単なことではないし、試行錯誤が必要なのだと痛感した覚えがありますね。
関屋 「休み」にも同じことが言えると思っています。明確に昼休みの時間を定めている会社はもちろんのこと、いつ昼休みを取るのかは個人の裁量に任せているという会社であっても、周囲が休みに入るタイミングで「自分もいっしょに休もうかな」と、スイッチをオフにするきっかけがあるじゃないですか。でも、在宅勤務になると、そういったきっかけがなくなってしまう。一度オンにしたスイッチをオフにするきっかけを失い、働きすぎてしまうことによって、疲れをためてしまう人は少なくありません。
リモートワークでは、仕事中の気持ちの切り替えが難しいという難しさもあります。仕事で落ち込むようなことやイライラするようなことがあったとき、オフィスでは同僚に話して解消できていたところを、一人で仕事をしていると、そのモヤモヤを抱えたまま仕事をしなければなりません。そんなときに、オフィスと同じように、誰かにちょっと話したり雑談したりして気持ちを切り替えられることは大事です。
──リモートワークでは、オン/オフの切り替えを含め、自らの働き方をデザインする必要があるということですよね。これまでオフィスという物理的な空間に出社し、他の人と一緒に働くことで自然と作り上げられていた働き方を自ら再構築することは、決して簡単なことではないでしょう。でも、だからといって、毎日オフィスに出勤するワークスタイルに戻りたいという人は少数派だと思うんです。「リモートワークは続けたい。でも、適切な働き方や休み方の感覚が掴めていない」というジレンマを抱えている人が多いのではないでしょうか。
関屋 おっしゃる通りだと思います。私が所属している研究室が実施した調査によると(参考)、約4割の方が在宅勤務に不適応を起こしているんです。自分で自分の「働く」をコントロールする必要性が生じ、「どうしたらいいのかわからなくなってしまった」人が少なくないのではないかと思っています。
たしかに在宅勤務になり、個人に与えられる裁量は大きくなりました。仕事の「要求度・コントロールモデル」という理論があります。この理論に基づけば「仕事における要求が高すぎるとメンタルヘルスを害する要因になってしまう場合があるものの、同時に相応の裁量を付与することによって、ストレスを和らげられる」はず。つまり、裁量権の大きさは本来、メンタルヘルスに良い影響を与えるはずのものなんです。しかし、在宅勤務になり裁量権が大きくなった結果、ストレスを抱えることになってしまった人は少なくない。裁量を持つことに慣れていない人が急に自由を手にしてしまうと、大きなストレスを感じることになるのは、私にとっても一つの発見でした。
──リモートワークでは、「いつ休んだらいいかわからないから、ずっと働き続けてしまう」ことによって、無意識のうちにストレスが蓄積されてしまうと。
関屋 あとは、出勤している同僚に対する申し訳なさもストレスにつながっていると思います。同居家族との間で働く場所や時間の調整がうまくいかず、それがストレスになっている場合もあるでしょうね。日本の住居の多くは「家で働くこと」が前提になっておらず、それぞれが書斎のような作業スペースを確保することは難しい。二人住まいの方でも、二人共がリビングで仕事をするスタイルを取らざるを得ず、それによってストレスを抱えている人も少なくありません。働く人それぞれが、「休み」も含めた「働く」全体を、環境面も含めて捉え直す必要があるのかもしれません。
──ここまで「仕事との心理的な距離」について詳しく伺いましたが、2つ目の「リラックス」についても説明をお願いできますか?
関屋 休みの日にも予定を詰め込みがちな方っていると思うんですよね。「昼の間にあれもしてこれもして、夜は飲み会に行って……」と予定を詰め込みすぎると、身体をリラックスさせる時間が少なくなってしまう。そうすると、心理社会的資源の回復が遅れることがわかっています。
──金曜日の夜に会社を飛び出して飲み会に行き、そこから日曜日の夜まで予定をぎっしり入れたりするようではダメだ、ということですね。
関屋 そうですね。そうならないようにするため、仕事終わりや休日の朝に呼吸法などのリラクゼーションを行ったり、休日にはアクティブに動くスケジュールだけでなく活動量の低い時間も確保しておいたりすることなどがおすすめです。
一人の世界で“自己責任”の熟達を
──とても興味深いと思ったのが、「4つの要素」に3つ目の、仕事以外のことへの「熟達」が含まれていることです。いわゆる趣味のようなものを持っていないと、心を十分休めることができないということですか?
関屋 そうですね。「仕事とはまったく関係ないけど、好きだから」と何かに打ち込み、熟達していく時間を持つことが重要だとされています。これは、「仕事で必要だから」と何かしらのスキルを上げようと時間を使うこととは違います。内容は何でもいいのですが、仕事とは関係のない領域での熟達がリカバリー経験につながると考えられています。
ただ、「熟達が心を休めるための重要な要素である」という主張の前提には、旧来型の仕事観があります。仕事は誰かから与えられるものであって、具体的な職務内容を自ら決定することはできないという考え方ですね。つまり、仕事とは自らの「好きなものではない」から、それ以外の時間で「好きなこと」に没頭することで、心理的社会資源を回復させられると。でも、今ではいわゆる「好きなこと」を仕事にしている人も少なくありません。だから、「仕事=好きでやっているわけではないこと」の対極にあるものとしての「趣味」が、リカバリー経験において重要であるという考え方は、今後変化する可能性もあると思っています。
──仕事だろうが趣味だろうが、好きなことに没頭し、熟達のための時間を捻出することが、心理的社会資源の回復につながるということですね。個人的な感覚としても、休みをアクティブに過ごさないと“負けた”感じがする、という人は少なくないと思っていて。特に何もせずダラダラ過ごしていたら、気づいたら日曜日の夜になってしまっていて、テレビを付けたらサザエさんが始まっていて、絶望する……みたいな。こういう感情も「熟達」の要素を取り入れていないからこそ生じるものなのでしょうか?
関屋 それはまた違う問題のような気もしますね。そういった感情に苛まれる人の多くは、自分基準の休みを過ごせていないのではないかと思います。「休みは充実させなければならない」「誰かに見せられる時間を過ごさなければならない」といった固定観念に支配されているのではないでしょうか。そういう意味では、自分で休みを「コントロール」できていないと言えるかもしれません。
もちろん、「ダラダラ過ごしてはいけない」と考え、アクティブに過ごすこと自体が悪いとは思いません。でも、行動の選択基準が「誰かに見せても恥ずかしくないかどうか」なのだとすれば、まずは休みの過ごし方を自分基準に戻す必要があると思います。SNSに写真を上げ、「いいね」をもらうために休みの時間を使っているなら、それは休んでいることにはならないでしょう。
──誰かに理解してもらうためでも、共感してもらうためでもなく、ただ自分が「やりたい」と思うことに没頭する時間をつくる必要があると。心を休ませるためには、「一人の世界」で過ごす時間を捻出すべきということなのかなとも思いました。
関屋 そうだと思います。最近、私はパンづくりにハマっているんです。仕事とは全く関係なく、ただ「おいしいパンが焼けるようになりたい」と思って取り組んでいるのですが、パンを作っているときは完全に「一人の世界」にいるんですよね。つくったパンを誰かに褒めてもらいたいとも、「パンづくりっていいですよね」と共感してもらいたいとも思っていません。
──僕(宇野)は昆虫採集や模型づくりが趣味なのですが、まさにそれは「一人の世界」で過ごす時間なんですよね。これって、良い意味での「自己責任」しかない世界なんですよ。例えば模型を作るときは、「このパーツに塗るべきなのは、本当にこの塗料なのか」といったことにずっと向き合っていて、その判断が正しかったかどうかを決めるのは、自分でしかない。成功も失敗もすべては自分次第という意味で、自己責任しかない世界なんですよね。だからこそ、仮に失敗だと思ったとしても、「自分で決めたことだしな」と納得できる。
関屋 すべてを自分で決定し、その結果のすべてを自分で引き受ける時間、ということですよね。
──多くの人が関わる仕事では、そうはいきませんよね。僕(宇野)自身、独立してしばらくは忙しさを理由に、あまり趣味の時間を取っていませんでした。でも、自己責任しか生じ得ない「一人の世界」で過ごす時間が必要だなと感じて、ある時期から子どものころからの趣味の模型づくりを再開したんです。
そして「自己責任の一人の世界」で過ごすことは、「4つの要素」の4つ目、時間の過ごし方に対する「コントロール」を利かせられるという要素も満たしているように感じました。この「コントロール」についても、詳しくお話しいただけますか?
関屋 休みの日における時間の使い方を、自分で自由に決められること、つまり裁量を持っていることはとても重要だとされているんです。いくら身体をリラックスさせる時間を取れていたり、熟達のために時間を使えたりしていても、それが強制されていては不十分。時間の使い方を自分で決められないと、心理社会的資源は回復しにくくなってしまうんです。
巨大プラットフォーマーから、目と耳をシャットダウンする
関屋 それから今の昆虫採集や模型づくりについてのお話には、「熟達」や「コントロール」に加え、もう一つ重要なポイントがあると思いました。それは、視覚と聴覚「以外」の感覚を活用していること。模型をつくるときはパーツを触りながら、つまりは触覚を活用して情報を得ているわけですよね。それが心理的社会資源の回復につながっている面もあるのではないかと感じまして。
現代に生きる私たちが情報を受信する際に活用する“入力モード”は、視覚と聴覚に偏ってしまいがちだと思うんです。デスクワークが中心の人にとって、仕事中に触覚や嗅覚といった感覚を活用する状況は多くないでしょう。だから休みの時こそ、映像コンテンツを観たり、本を読んだり、音楽を聴いたりするだけでなく、視覚と聴覚以外の感覚を活用し、“入力モード”に新たな回路を設けてあげる必要があるのではないでしょうか。そうすることが本来備わっている自らの感覚を取り戻すことにつながり、ひいては心と身体を休めることになるのかもしれません。
──視覚と聴覚は、情報産業に属するさまざまなプレイヤーにとって、とてもハックしやすい感覚だと思うんです。比喩的に言えば、シリコンバレーの巨大プラットフォーマーたちは、僕らの目と耳を狙い撃つことによって、可処分時間を奪っている。だからこそ、主体的に「自分だけの時間」を過ごすためには、視覚と聴覚をなるべくシャットダウンして、他の感覚に集中するのが有効だと思うんです。たとえば僕(宇野)は夏にはよくカブトムシを探しにいくのですが、深い森に入ると街中にいる時ほど視覚って頼りにならないんですよ。周りを見回しても、木しかないですからね。
関屋 気配や肌感覚のようなものが重要になる?
──まず大事なのは匂いです。まず樹液の匂いを探し、その匂いを頼りに方向の当たりをつけて、次に羽音に耳を傾けます。樹液がよく出ている木にはたくさん虫がたかっているので、結構音がする。そして最後に目を使って、目当ての虫の姿を見つけるんです。関屋さんがおっしゃるとおり、こういう仕事をしていると、どうしても四六時中視覚を優先してしまう。昆虫採集が好きな理由の一つは、その優先順位を変え、新鮮な感覚を取り戻してくれるからです。
関屋 在宅勤務になって、視覚や聴覚に頼る割合が、より多くなったと思っています。例えば、オンライン会議ツールでは、画面の向こうにいる人の匂いを感じることができません。私たちは、無意識のうちに五感をフル活用しながらさまざまな情報を集めていますが、それができなくなり、視覚と聴覚への負荷が高まっている。在宅で勤務することが増えた今だからこそ、視覚と聴覚を休ませ、それ以外の感覚を活用することの重要性は高いと言えると思います。
──「仕事からの心理的距離を取る」ことにつながるのかもしれませんね。パソコンやスマホを操作しながらでは、触覚を研ぎ澄ませられないでしょうし、強制的にネットワークから遮断されることになるので。
関屋 たしかに。最近はなかなか時間が取れていないのですが、出産する前は陶芸が趣味だったんですよね。土をいじっている間はスマホに触れないですし、自然に仕事からの距離が取れていたのかもしれません。
日常的な“プチリカバリー経験”としての飲食
──パンづくりや模型づくり、昆虫採集は基本的に、休日の過ごし方だと思うのですが、ここからは平日の仕事と仕事の合間の「休み」の話も伺いたいです。例えば、今お話していただいた、視覚と聴覚以外のさまざまな感覚を使う「休み」の時間が仕事中の休憩時間にもあれば、ちょっとしたリカバリー経験になるのかなと思ったのですが。
関屋 飲食が日常的なプチリカバリー経験になるのではないかなと思っています。味覚はもちろんのこと、嗅覚、触覚などさまざまな感覚を働かせることになりますから。それに、何を飲むか決定することは自らコントロールできますし、コーヒーやお茶を淹れるとすれば、自然に仕事との心理的な距離が生まれます。準備したものを飲んで、フーッと一息付くことは心身のリラックス効果をもたらしますし、「おいしいコーヒーを淹れること」にこだわれば、熟達の要素も加わりますよね。そういった意味で、自ら何かを用意し飲食することは、日常の中に質の高い休みをもたらすことになるのではないかと思います。
──でも関屋さんが言ったように、何を飲むかについて自らコントロールすることが大事なはずなのに、それを放棄している人が多いのではないかと思っています。比喩的に言えば、例えばスターバックスコーヒーで特にこだわりがあるわけでもないのにラテしか頼まない人っているじゃないですか。たしかに、スターバックスラテは定番のメニューで、僕(宇野)もおいしいと思うけれど、「本当に今ラテが飲みたいのか」と考えてもいいと思うんですよね。常に「今自分が欲しているものは何なのか」と問い、考えた方が、世界は豊かになる。本当にブラックじゃなくていいのか? シングルオリジンとブレンドどっちがいいのか? ……そういうことをしっかり考えたのかどうか、僕は問いたい。あとはそもそもコーヒーじゃない可能性はないのか? とも。例えば僕はスタバでいえば、実はパッションティーが好きなんですよ。だからこそ、僕は行動を共にしている人やレジの店員さんに「早く決めろよ」とイライラされたとしても、飲食における選択は絶対に妥協しません(笑)。
関屋 (笑)。でも、とても重要なことだと思います。「いきなり裁量を持たされたことによってストレスを感じている人が多い」というお話をしましたが、そういった方々は日常の中で「何を食べるか」「何を飲むか」に真剣に向き合うことから始めてもいいかもしれませんね。そうすることによって、自分の選択をコントロールする感覚をつかむことができるのではないでしょうか。
それって、「飲み会」じゃないとダメですか?
関屋 「飲む」に関して言えば、コロナ禍になってから、会社における「飲み会」のあり方も大きく変化しましたよね。どのような影響があるかは、まだわからないのですが……。ただ私が担当している会社でも、組織がうまくいっていない原因を「飲み会などのコミュニケーションの場が失われたこと」に求めるような声はあがっていますね。
──「雑談のような、偶然性のあるコミュニケーションの場として飲み会は大事である」という主張をよく耳にしますよね。でも、僕(宇野)の経験的には、飲み会がポジティブなコミュニケーションにつながっているのってあまり見たことがないんです。偶然性のあるコミュニケーションが新たなアイデア創出につながるとしても、別にそれは飲み会という場である必要はまったくない。例えば別の会社の人とお茶をしながら話をしても創造性は刺激されるでしょうし、飲み会に代わる別のコミュニケーションの回路をつくる方が大事なのではないかと思うんです。
関屋 そうですね。オフィスで交わされていた雑談や飲み会が持っていた機能を正しく理解し、再設計する必要があるでしょう。「タバコ部屋」もそういった対象の一つだと思っています。タバコを吸うメリットを問うと「タバコ部屋に行けば、他の部署の人と仲良くなれる」と答える方がいますが、他の部署の方と仲良くなる手段って「タバコを一緒に吸う」だけではないはずじゃないですか。
──わかります。それから「偶然性のあるコミュニケーション」以外の観点で言えば、「業務には直接関係のない、プライベートな情報を含んだ会話を飲み会などで交わすことによって業務が円滑に進む」という意見もありますよね。でも、それも必ずしも飲み会でなければならない理由はないはずです。
関屋 もちろん、業務外の情報を共有すること自体が良くないわけではなくて、チーム内で共有しておいたほうがいい個人的な情報もあると思います。例えば、私が親の介護でフルタイムでは働けないとしたら、その情報をチームに共有しておかないと、「なんで関屋だけいつも早く帰るんだ」と同じ組織に属する仲間が不満を感じる可能性があります。そういった軋轢は、組織全体のパフォーマンスにも影響を及ぼしかねません。しかし、そうした情報を共有する手段は、必ずしも飲み会でなくてもいいはずですよね。
大食い動画を見てしまうときは要注意? 自分なりの「疲れのサイン」を知ろう
関屋 これまで当たり前に存在していた「飲み会」もそうですし、オフィスに行って同僚と会話をしながら働き、みんなで昼休みを取るといったワークスタイル全体を、企業としても個人としても見直すタイミングに来ているのだと思います。働き方、そして休み方についてそれぞれが実験しながら、自らにとってのベストを探っていかなければいけないでしょう。
──僕(宇野)は独立したばかりの頃、かなり不規則な生活をしていたんです。ずっと仕事をして、時間に関係なく疲れたら寝て、起きたらまた仕事をする……そんな生活を数年続けていまして。とにかく集中力を維持することだけを目的に、ブラックコーヒーをがぶ飲みしたりもしていました。
ただ、年齢を重ねて体力がなくなってくると、そのスタイルでは気持ちよく仕事ができなくなったんです。そういうわけで生活リズムを見直し、今ではかなり規則正しい生活になっている。それから今でもブラックコーヒーは飲むのですが、午前と午後にそれぞれ1杯ずつ、1日2杯以上は絶対に飲まないようにしていますね。食事のときはお茶ではなく、水にするといったことも決めているのですが、それは健康のためというより、自分が気持ちよく働くための方法を実験し続けてたどり着いたルールなんです。
関屋 いろいろと試行錯誤しながら、ベストな働き方や休み方を見つけられるといいですよね。あとは、疲れの兆候を知ることも大事だと思っています。例えば、私の場合は疲労のサインが、観る動画のチョイスに出る。
──NetflixやYouTubeで何を観るか、ということですか?
関屋 そうです。私は宇宙飛行士や航空管制官など、ちょっとニッチな職業にフォーカスしたドラマが好きでよく観るのですが、一方で大食い系の動画を観ることもあって(笑)。ある時、大食い系の動画を選んでいるときは疲れが溜まっているんだと気がついたんですよね。以降は、そうした動画を観たいなと思ったときは、しっかりと休みを取ることを意識するようになりました。
──よくわかります。僕(宇野)の疲れのサインは、かつてやり込んだゲームの攻略情報をひたすら検索してしまうこと(笑)。動画やブログをひたすら検索して、「次にやるとしたら、こんな戦略を立てよう」と考えているのですが、たぶんそれって仕事の代替なんですよね。つまり、仕事がうまくいっておらず、思うようにアウトプットができていないから、その代わりにゲームでの理想的なアウトプットを思い描いている。この行為自体にあまり意味がないことはわかっているのですが、自らの疲れの兆候を知ることは、気持ちよく働き続けるためには重要だと思います。
いま必要なのは“半ドン”の復活だ
──ただ、疲れのサインを知ったからと言って、うまく休めるわけでもないなと思うことがあります。特にタスクが溜まっているときは、どうしても休むことよりも仕事を優先してしまいがちじゃないですか。そういった状況でも焦らず一息をつくことが、気持ちよく働き続けることにもつながると思うのですが……しっかりと休むために、必要な心構えなどがあればお聞きしたいです。
関屋 「休んだ方が仕事の効率が上がる」という知識をインストールすることが大事でしょう。休憩を取らずに働き続けると作業効率が落ちることは、さまざまな研究によっても明らかになっています。例えば、午前中に1度休憩時間を取ったほうが、午後のパフォーマンスが高くなることがわかっているんです。だから北欧などには、ランチ休憩の他に午前と午後に1回ずつティータイムを設けている会社も少なくない。忙しいときに、休憩を取らずに働き続けようとしてしまう気持ちはとてもよくわかります。しかし、それがかえってタスクの完了を遅らせてしまう場合があるという知識を持っておくことが、焦らず休憩を取る上で重要だと思います。
あとは、頭を休憩モードに切り替えることも大事ですね。仕事モードのまま休みを取っても、質の高い休憩にはなりません。とはいえ、「45分だけ休もう」と思っても、仕事モードになっている頭を急に休憩モードに切り替えることは難しい。では、どう切り替えればいいかと言えば、身体にアプローチするんです。シンプルですが、深呼吸やストレッチをすることで身体をリラックス状態にすることによって、頭もリラックスできるようになります。
──たしかに身体的なアプローチは、強制的にスイッチを切り替える手段になりそうですね。それで言うと、僕(宇野)にとっては、ラーメンを食べることが強制的なスイッチ切り替えの機会になっている気がします。僕はラーメンが大好きなのですが、それは全力で食べることに向き合わざるを得ないからなんですよね。あれって悠長に構えていたら伸びてしまうじゃないですか。仕事でどんなことが起こっていたとしても、ラーメンが到着してから食べ終わるまでの時間は、目の前のラーメンに向き合わなければならない。「目の前の食べ物に向き合う」という、極めてピュアな時間を提供してくれるんです。
ただ一方で、休日の過ごし方についても、どうしたらいいのかわからないという人が一定数いるのではないかと思っていて。先ほど、「熟達」などの要素を挙げていただきましたが「熟達したいことがない」という人もいると思うんです。
関屋 うーん、たしかにそうかもしれませんね……。
──そこで、これは僕(宇野)の意見なのですが、「暇になること」が重要なのではないかと思っていて。それも、「中途半端な暇」がいいのではないかと。まとまった休みになると、みんな旅行とかに行ってしまうじゃないですか。もちろんそれもいいと思うのですが、それでは継続的に取り組む趣味のようなものって見つかりにくいのではないかと思うんです。だから、中途半端な時間、例えば半日だけ休んでみるのが効果的なのではないかと。
関屋 半日だけ自由になると、時間の使い方がかなり試されますよね。最初は「何をしたらいいのかわからない」という人も、次第に「せっかくだからこれをしてみようかな」となるかもしれない。
──いま必要なのは、失われてしまった“半ドン”の復活ですよ(笑)。
関屋 とてもいいかもしれないです(笑)。そして、これは半日でも一日でもいいのですが、予定と時計のない時間を過ごしてみるのがいいのかなと思っています。予定をあらかじめ決めておかずに、その日、その場になってから、自分が何をやりたいのかを探って決める。「1時間経ったからやめよう」といつもの常識で過ごし方を決めるのではなく、「そろそろ満足した」と自分の感覚で決める。そんな休日を過ごせると、自然と「休み」にしたいことも見つかるのではないでしょうか。
[了]
この記事は、リラクゼーションドリンクブランド「CHILL OUT」とのタイアップのもと制作されました。宇野常寛が聞き手、鷲尾諒太郎が構成、小池真幸が編集をつとめ、2022年8月31日に公開しました。Photos by 高橋団。撮影場所:有楽町SAAI Wonder Working Community
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