日本におけるフリースクールの先駆者、白井智子さんによる新刊『脱「学校」論:誰も取り残されない教育をつくる』の先行配信連載が始まります。
子どもたち一人一人に対応できていない「学校」というシステム、そして現代の「親ガチャ」の世界。そんな日本の学校教育が抱える生々しい問題点、そしてその足りない部分を補完する新たな教育システムの具体的な構想を、国内の「フリースクール」黎明期より約30年、「誰も取り残されない教育」づくりに奔走してきた白井さんが分析・提案します。
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第1回は序章として、白井さんが「脱『学校』」という言葉に込めた想いや問題意識を綴ります。
端的に言うとね。
なぜ既存の「学校」から「脱」すべきなのか?
「脱『学校』論」という挑戦的なこの本のタイトルを見て、もしかしたらムッとしたり、不安になったり、自分が取り組んでいることが否定されたと感じたり、そんな気分になった方もいらっしゃるかもしれません。そして、それは「学校」というものに、小さくない問題意識や思いを持っておられることの裏返しだと思います──場合によっては、子どもやその親、あるいは教師といった「当事者」として。
最初にお伝えしたいのですが、私は何もそうした「学校」に思いを持っているみなさんを糾弾したいわけでは決してありません。むしろ、みなさんの力をお借りしながら、誰も取り残されない教育をつくっていきたいと、強く思っています。だからこそ、既存の「学校」というシステムの抱える問題点から「脱」すべきなのではないか、そして誰もが持って生まれた才能や情熱を解き放てるような教育をつくりたい。そんな思いをタイトルに込めました。
みなさんは「学校」というものにどんなイメージを抱いていますか?
子どもたちが社会で自立して生きるための準備をする場所──それが「学校」というものの一般的な理解だと思います。この「学校」について、人によってさまざまな思い出があるはずです。世界中どこに行っても、私が「学校をつくる仕事をしています」と言うと、皆が学生時代の思い出や学校への思い、課題などをブワーッと話し出す。誰もが通ってきた道として一家言あるのが「学校」というテーマのようです。
一方で、今の学校システムの根っこの部分に問題があると考えている人はまだ少ないようです。たしかに今の学校には問題があり、改革が必要だと考えている人は少なくありません。ただ、当事者である子どもを含め、世の中のほとんどの人が「学校は必ず行くべきところだ」「学校に行けない子ども、行かせられない親に何かしらの問題がある」と考えているらしい、というのが私自身の印象です。
しかし、私は必ずしもそう考えません。
まず何度でも強調したいのが、2017年に、不登校の子供の学校外での学びを支援することを明記した「教育機会確保法」(通称)が施行されてから、「学校」は「行かなければならない場所」ではなくなった、ということです。しかし、私も制定に関わったこの法律が施行されてから7年が経つ2024年現在でも、子どもたちや親御さん、そして先生たちですら、多くの人々がいまだに学校を「行かなければならない場所」として捉えており、その誤解がたくさんの不幸を生み続けている。この現状を変えたいという思いは、私がこの本を書こうと思った大きな動機の一つであり、本の中でも繰り返し触れていくつもりです。
誤解を恐れずに言えば、私は現状の「学校」という装置には、ほとんど期待を持てなくなってしまいました。現代日本の学校の多く、とくに公教育の機関は、そこに適応することが難しい多くの子どもたちの可能性を潰し、一人一人が持つ価値を貶めている。一人一人に対応できていない公教育を補完するための塾に通うにも、私学や海外の学校でイノベーティブな教育を受けるにも、親の教育への関心、情報にアクセスする力、そして財力が必要で、それが得られない子どもとの格差が広がっている。まさに「親ガチャ」の世界です──その結果の一つとして、不登校29万人、長期欠席まで合わせると46万人と、子どもが学校に行けなくなっている。残念ながら、それが現状についての私の見立てです。
学校の外側にも「新しい学びの場」という選択肢を
私は決して「いまの学校教育に関わる人びとの熱意や能力が足りない」と言いたいわけではありません。むしろ日々さまざまな現場の教員の方々とも接する中で、教員のみなさんの多くは、悪化する環境の中でも必死にもがいていることをひしひしと感じます。熱意にあふれ、優秀な教員のみなさんに、たくさんお会いしてきました。にもかかわらず、いまのこの国の「学校」というシステムは、子どもたちを狭い檻に閉じ込める装置になってしまっている。そして、たくさんの教員のみなさんがそのことをわかっていながらも止められず、悔しい思いをしています。
また、一人一人の先生は善良なのに、〝教員集団〟となると、一般社会では到底ありえないような判断が当たり前のように行われるのは、さまざまな学校の不祥事の報道で日々接している通りです。結果として、心ある先生方の心が折れ、次々に学校現場を後にしていく。教員を夢見ていた学生たちも、現状に触れ、「本当に教員を目指すのが良いのだろうか」と悩んでいる。
繰り返しになりますが、先生たちが悪いわけではありません。既存の「学校」という仕組みそのものが社会の変化についていけていなくて、〝無理ゲー〟になってしまっていることが背景にあると考えています。「いま、この本を書きたいい」と、私が使命感ともいえる感情を抱いた根っこには、そんな危機感があります。
先回りして言えば、この本の結論は、兎にも角にも、子ども一人一人を意思がある一人の人として大切に、一人一人に人権があることを真ん中に置いた教育を実現すること。そのために、学校の外側にも「新しい学びの場」を用意すること、そして、教育に選択肢をつくるというものです。それをしないと、「誰も取り残されない教育」は、到底実現できないと思うのです。
不登校対応の話になったときに、「まず今の学校をよくすることが先だ」という議論が必ず出てくるのですが、今まさに学校に行けていない子にとって、さまざまな背景があって行きたくても行けなくなってしまった学校に、「行くか/行かないか」の選択しかないのはあまりに酷です。逆に、自分が安心安全に楽しく学べる環境と出会えれば、どんな子どもも必ず成長するということを、私は自分の目で25年間、見続けてきました。
決して過激な主張をしているつもりはありません。むしろ、約30年教育の現場に関わってきた経験から、この国の教育の土台から問い直すような改革が、それも特定の誰かを悪者にして批判するようなかたちではなく、建設的なかたちで選択肢を拡げていくことが必要だと考えた結果が、この結論です。そして私がこう考えるようになった過程と、社会に実装する新しい教育のかたちについて提案するために、この本を書くことにしました。
セーフティーネットではなくなってしまった、日本の学校教育
詳しい実態はまた本文で詳しくご紹介しますが、私がこれまで教育の現場で約30年間、そして三人の子どもの親として12年以上、日本の教育を近くで見てきた経験から言えば、日本の教育の至るところで「絶望的な事態」が起こっています。それは今に始まったことではありません。はるか昔、40年余り前の私自身の学校時代もこんな感じだったなぁ、ある意味、懐かしいなぁと思うことばかりです。
学校というブラックボックスの中で、さまざまな問題が温存され、それが長い歴史の中でいつしか絶対化してきたのです。何十年も前に大人が一方的に決めたルールが、そして公教育の仕組みが、子どもたちからさまざまな可能性を奪ってきました。
私はフリースクールの運営、ひきこもりの子どもの教育相談、被災地での子どもの居場所の開設などの経験を通し、さまざまな境遇に置かれた、多種多様な子どもたちと接してきました。その中で確信したのは、「どんな子どもでも一人残らず、その子にしかない価値を持っている」ということ。字面だけだときれいごとのように見えてしまうかもしれませんが、私はこれを信ずるに足る、たくさんの光景を目にしてきました。
私たち大人の役割とは、そんな子どもたち一人一人にたくさんの愛情を注ぎ、可能性と価値を伸ばし、それぞれの子らしい輝きを放ちながら生きていけるようにサポートすることのはずです。
ただ、これも30年の関わりの中で痛感したことですが、親になれば自動的に子どもに対して健全な愛情を持てる、という前提で子育てや教育を考えることは、残念ながらできません。親といえども我が子に虐待をする可能性があることも、心が張り裂けそうになるような日々の報道の中で私たちが接している通りです。そうした環境に置かれている子どもが一定数いるのは自明だからこそ、家庭や学校の外の「セーフティーネット」が大変重要だと考えています。
本来、そうしたセーフティーネットの中心的な役割を担える可能性が最も高いのは、子ども全員が籍を置き、日中の大部分の時間を過ごす「学校」のはずです。しかし、40万人が学校に行けていない現状では、子どもよりも彼らを取り巻く大人の方がずっと数としては多いにもかかわらず、セーフティーネットが一つもない、という子どもが多くいるのが現状です。
実は私は、全員が普通教育を受けられることを保障する日本の義務教育というシステムは、本来大変優れたシステムだと考えています。それによって我が国に高度成長がもたらされ、高い教育水準が保たれてきたことは、紛れもない事実です。しかしながら、現状の地球環境の急激な変化、技術革新、社会の変化に対応しているとは言い難い。子どもたちが必要としている教育内容と、実際に提供されている教育との大きなズレが生じた結果、そこに毎日通うことができない子どもたちが大量に現れ、学校がセーフティーネットとして機能しなくなったのが今の姿だと考えています。
昨今、巷では「多様性」や「個性」の重要性が叫ばれています。もちろん、私もこの流れには賛成です。すべての人が自分らしく生を全うできる社会をつくりたいというのは、多くの人の共通した願いだと思います。
私たち大人も多様性に富む社会の一員ですが、未来をつくっていく主たる担い手は、なんと言っても子どもたちです。それぞれがそれぞれらしく輝ける未来をつくるためには、そんな未来の主役となる子どもたち自身がお互いに「違い」を受け入れ、慈しめるように導きたいと考えています。私たちが子どもたちに伝えるべきなのは、人にはそれぞれの価値があり、その「違い」を互いに尊重し合うことの重要性のはずです。もちろん、多様な価値観の中で価値観が違う人同士がどう共存していくのか、その方法を考え、学ぶことも含めて。
しかし、残念ながら既存の学校教育ではその重要性に向き合うことが後回しにされ、むしろ子どもたちを固定化した単一の指標で評価し、既存の“正しさ”の中に押し込め、ときには人格否定すらしてきました。「人格否定」は言い過ぎかと思われるかもしれませんが、その実態については第1章で詳しくご説明します。
「第三の場所」をつくる──新しい価値観の「学校」づくりのために
既存の学校システムは、限界に近づいています。そのことを示すように、「システムの外」に位置するフリースクールは全国的に増え続けており、私のもとに寄せられるフリースクールや子どもの居場所の創設に関する相談も、増える一方です。
しかし、いやだからこそ、ただ絶望だけしているわけにはいきません。むしろこの破綻に近づいている教育を、何とかして良い方向へと方向転換していきたい。
実は30年前から主張していることはほとんど変わっていないのですが、学校に行けない小中学生が約40万人に達し、今までよりも多くの人が学校教育の課題に気づき始めているように感じます。皮肉なことですが、コロナ禍で大批判され、それによって不登校が激増したとも言われている2020年春の「一斉休校」を経て、「自分にはどうしようもない理由で学校に行けない状況のこどもたちがいる」ということが今までよりも社会に理解されやすくなった、というのが私自身の実感です。今まで学校や社会の中で当たり前に行われてきた子どもの人権侵害についても、メディアなどの力でようやく問題として表面化し、改革の流れが出てきたことで、私自身も背中を後押しされたような気持ちになりましたし、そのことが発するメッセージは子どもたちにもじわじわと届いていると感じます。
本書を通して提案したいのは、日本の教育を明るく楽しく幸せなかたちに変えていくための道筋です。いまの日本の学校教育の抱える問題点、そしてその足りない部分を補完する新たな教育システムの構想を、提案したいと思っています。
従来、教育の現場は学校か家庭かに限定されてきました。そして、特に子どもに問題が起こった際に、教育の「責任」を、学校と家庭が互いに押しつけ合う側面も見られました。
そこで提言したいのが、いま教育を変えるために必要なのは、学校でも家庭でもない「第三の場所」なのではないか、ということ。
カギとなるのは、本書のタイトルにも掲げている「脱『学校』」というキーワードです。もちろん、これはあくまでも比喩で、学校制度をなくしてしまうべき、と言っているわけではありません。現状の教育の絶望的な状況をつくっている、既存の「学校」のシステムや価値観から脱し、新たな価値観の「学校」をつくっていくべきだという考えを示しているのです。
「フリースクール」から始まった、激動の30年間
そう考えるようになったのは、他の誰でもない、私自身の経験を通してのことです。私は約30年前、大学を卒業したあと、松下政経塾に進み、1999年に沖縄にフリースクールをつくりました。まだ「フリースクール」という言葉すら世間に認知されていない、いや、そもそも存在そのものを否定されていた頃のことです。立ち上げから学校運営に至るまで、沖縄で過ごした時間はまさに「激動」と形容するにふさわしいものでした。
しかし、沖縄のフリースクールで過ごした時間が、そしてそこでの出会いが、私の人生を大きく動かしたのです。そこには、全国各地から130人の生徒が集まっていました。学校教育で傷ついたり、何かしらの問題を抱えていたりして、半ば追いやられるようにやってきた子どもたちも多くいました。私に「どんな子どもにも大きな可能性と価値があること」を確信させてくれたのは、沖縄のフリースクールに集まり、目覚ましい成長を目の前で見せてくれた彼らです(この時の教え子たちがどんな子たちだったか、そしていまどんな大人に成長しているのかは、本書の中で繰り返し紹介していきます)。
沖縄で2年半の校長生活を終えた私は、拠点を大阪に移し「不登校専門の家庭教師」を始めました。ほどなくして当時池田市長を務めていた倉田薫さんに呼ばれ、「私の補佐官として、不登校の子どもを救うためのサポートをしてほしい」と言われたのです。いわゆる教育に関しての相談相手のような立ち位置を想定してのオファーだったと思うのですが、私は役所の中ではなく、「現場」で子どもたちをサポートしたいと思いました。そんな考えを伝えると、「それなら、いま廃止が検討されている施設を活用してフリースクールをつくったらいい」と。そうして、「池田市立山の家」という社会教育施設を活用し、2003年から池田市で日本初となる公設民営型のフリースクール、スマイルファクトリーを始めたのです。
▲スマイルファクトリーでの授業の様子。
ここでの経験が私に「誰も取り残されない教育は実現できるはず」という確信をくれました。沖縄のフリースクールは、寮費含め年間130万円ほどの費用がかかり、実態としては「すべての人を受け入れること」はできていませんでした。しかし、池田市の公設型フリースクールでは、市内の子どもだけとはいえ無料で受け入れることができたのです(市外から通う子どもは有料だったので、たくさんのご家庭が池田市内に引っ越してきました)。
ただ、そうすると、今度は新規の入室を求めて常に入学待ちの子どもが出る事態になってしまい、「求める子ども全てに機会を提供したい」という闘いがここから始まりました。誰も取り残されない教育を実現したいと強く思うようになったのは、主にこの経験からです。
池田市のフリースクールはモデルケースの一つとなり、不登校の児童生徒に対する教育の機会の確保に関する基本理念や国・地方公共団体の責務などを規定した「教育機会確保法」の成立へとつながっています。
こうしてその後も政経塾時代から約30年、教育の「現場」に立ち続けてきました。その過程には数々の失敗もありました。順風満帆という言葉とは真逆、逆風にさらされっぱなしの道のりに、「その経歴でそのキャリアをなぜ選んだの? もっと稼げる、安定した道があったでしょうに」と何百回聞かれたかわかりません。
しかし、子どもたちとの出会いは、世界の他の誰も経験していない、私にしか生きられない人生を与えてくれました。これまでの経験から得られた、具体性と実現可能性を伴う提案を、この本に込めたいと思います。いま子育てに悩むみなさん、そして現場で子どもたちのために闘っている教育関係者のみなさんにとって、何か少しでもヒントになることがあれば嬉しいです。
[つづく]
この記事は、2024年12月にPLANETSから刊行される、白井智子『脱「学校」論:誰も取り残されない教育をつくる』の先行配信連載です。2024年10月24日に公開しました。
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