3.1.4    現代的な「ゲームの学習説」の七要件

 グロースが『動物の遊び』を発表して120年以上を経た現在において、多くの論者が学習と遊びやゲームの関係について頭を悩ませてきた。グロースの古典的な「準備説」は、動物行動学や認知科学の検討を経て、現代的にリニューアルが可能なものになった。それにより、遊びやゲームと、学習の複雑な関係についての理解は少しずつ更新されてきた。先に上げたチクセントミハイの「フロー体験」といった概念や、ラフ・コスターの主張などは、グロースの準備説の洗練されたバージョンアップ版でもある。これらは、自己決定理論やチャンキングといった様々な理論を総合して、仮説を再構築している。

 本書では、この現代版に更新された立場を、いったん距離をとって扱うために「ゲームの積極的学習説」あるいは単に「ゲームの学習説」と呼ぶことにしたい。現代のゲームと学習をめぐる議論において多く参照されるこれらの議論から、共通する点を抽出し、あらためてリスト形式で提示しよう。これらは本書によるゲーム一般の定義ではなく、「ゲームとは何か」を論じる観点に共通の典型的な性質の一パターンを抽出したものである[1]。

  1. 一定のルール、もしくはそれを確認できる程度の安定性をもった環境下で
  2. 行為者が必ずしも理性的にではなく、自発的な(強制されない)目標ないし志向性をもち
  3. 全く同一ではないが、類似の活動を繰り返し行い
  4. 課題は行為者にとって簡単すぎても、難しすぎてもうまく機能せず
  5. 行為を繰り返すなかで「より良く」行動するための行為者の技能や認識に変化が訪れ
  6. フィードバックの瞬間が報酬として機能し、繰り返すプロセス自体に快楽があると行為者に認識され、
  7. 上記の六条件が満たされなくなった時、快楽が失われ、繰り返しプロセスが終了する

それぞれの要件の文脈や詳細について、解説を加えておきたい。

表:「ゲームの学習説」七要件と関連文献

七要件

(1) 現代的学習説

(2) 参照元・古典文献

(3) その他のゲーム/遊び研究

1. 一定のルール/安定性のある環境

Csikszentmihalyi (1990), Koster (2004)

Huizinga (1938), Caillois (1958), Suits (1978)

Salen & Zimmerman (2004), Juul (2005)

2. 自発的(非強制)的な目標・志向性

Csikszentmihalyi (1990), Koster (2004)

Caillois (1958), White (1959), DeCharms(1968)

Suits (1978), Juul (2005)

3. 類似だが同一ではない活動を反復する

Csikszentmihalyi (1990), Koster (2004)

Groos (1896), Piaget (1951)

Juul (2005), Gee (2003)

4. 難しすぎず易しすぎない課題(最適覚醒/フロー)

Csikszentmihalyi (1990), Kennedy et al. (2014), Vuorre & Metcalfe (2016), Kimura et al. (2023), Watanabe & Nakamura (2014)

Hebb (1949), Berlyne (1966), Ellis (1973)

Schell (2008)

5. 反復の中で技能・認識が環境に適応的に変化(チャンキング)

Csikszentmihalyi (1990), Koster (2004)

Groos (1896), Piaget (1951) , Newell & Rosenbloom (1981), Haider & Frensch (1996)

Henricks(1999), Gee (2003)

6. フィードバックが報酬として機能し,反復自体が快楽として知覚される

Csikszentmihalyi (1990), Koster (2004)

Skinner (1938), Olds & Milner (1954), Koepp et al. (1998)

Salen & Zimmerman (2004), Juul (2005)

7. 上記の条件が崩れると快楽が薄れ,反復プロセスが終息する

Csikszentmihalyi (1990), Koster (2004)

Buytendijk(1933)

Smuts(2009)

 第一に、一定のルール、あるいはそれを確認できる程度の安定性をもった環境があることだ。「ルール」についての言及は、学習説のみならず、ゲームの定義としては、古典的議論から現代的な議論に至るまで、頻出する[2]。心理学的な仮説――たとえば、チクセントミハイのフロー体験[3]――においても、ルールが明確な環境下において、熱中するような体験が成立しやすいものとして位置づけられている。

 第二に、 行為者が必ずしも理性的にではなく、自発的な(強制されない)目標ないし志向性(帰属理論、内発的動機づけ)をもっているという点である。自らが選んだものであるかどうかによって、行為を続ける動機付けが成立するか、また、楽しさが成立するかという観点は、遊び・ゲームと、学習をめぐる論点で相互に共通する論点の一つである。「自ら参加すること」「自由に参加すること」が古くから遊びの要件として数えられている [4]。当然、グロースにも言及がある。帰属理論、自己決定理論などが現代の心理学説に合流しており、チクセントミハイは「自己目的的」という表現を用いている[5]。ゲームの定義としても、ほとんどの論者が何らかの形で言及する[6]。

 第三に全く同一ではないが、類似の活動が繰り返し行われること(チャンキングの更新)だ。遊び手にとっては遊ぶことは試行錯誤の過程である。そのため、他人からみたら似たようなことをしているかもしれないが、遊び手本人としては少しずつ違った活動をしながら理解の枠組みを更新する過程でもある。これも、ゲームの定義として、しばしば見られる論点である。コスターはもちろん、ユール[7]もチャンキングをめぐる議論に言及している。[8]。

 これらの議論の参照元となっているのは、いくつかある。認知科学系の文脈でいえば、複数の認識のまとまり(チャンク)をさらにまとめなおす「チャンキング」の概念を提示したニューウェルとローゼンブルーム[9]や、チャンキングによるスキル獲得の遂行の効率性が向上することを示したヒルデ・ハイダーとペーター・フレンシュ[10]らの文脈がある。もう一つには、動物行動学の余剰資源理論(SRT)[11]において「全く同一ではない」行為の反復性が強調されている文脈もある。

こうした発想は、グロースの古典にも若干の言及はあるが、この論点については、現代的な学習説のほうが強調されやすい点だろう[12]。

 第四に、課題は行為者にとって簡単すぎても、難しすぎてもうまく機能しないという点である(最適覚醒論)。ゲームデザインの文脈で「フロー体験」が参照される場合、高い確率でこの点が強調される。ほぼフロー体験といえば、この最適覚醒のバランスを唱えた理論であるかのように思われているフシすらある。最適な難易度という発想は、チクセントミハイがはじめて提示したものではない。難しすぎても易しすぎもしない、難易度の程良さが大事だという主張自体はかなり古くからある[13]が、遊戯論の文脈で最適覚醒を強調した人物としては、たとえばM.J.エリス(1973)[14]がいる。エリスは、当時の心理学知見(ヤーキーズ・ドットソン[15]、ヘブ[16]、バーライン[17]など)を取り入れて最適覚醒水準(arousal level)の重要性を指摘した。課題の困難性によってそのほどよい刺激(最適水準)は変化するものだとした[18]。心理学における最適覚醒水準の議論は、チクセントミハイ[19]ものちに強調し、フロー体験の重要な論点となった[20]。なお、フロー体験における最適な難易度の重要性は、ケネディ[21]やヴオッレ[22]などによって示されているほか、国内では木村ら[23]による仕事なども挙げられる。とりわけ現代的な学習説の特徴的な論点と言っていいだろう。

 第五に、行為を繰り返すなかで、環境に適応的に行動するための行為者の技能や認識に変化が訪れるということだ。これは「学習」概念そのものの定義といってよい要件である。心理学における「学習」は、経験や練習によって生じる、比較的永続的な行動または行動可能性の変化を指すし[24]、AIにおける学習も経験データを通じて課題遂行の性能を変化させるものである[25]。とくに、ラベルなしデータから構造や類似性を見いだす教師なし学習[26]や、環境との相互作用で得られる報酬を最大化する方策を学ぶ強化学習[27]は、ゲームを遊ぶ人間に近い要素もある[28]。この論点も、古典的論者[29]から現代的論者[30]まで幅広く登場する。

 第六に、フィードバックの瞬間が報酬として機能し、繰り返すプロセス自体に「快楽がある」と行為者が認識することである。人間などの動物の脳は、実際の食料などでなくても、フィードバックの与え方によって、様々な任意のフィードバックを「報酬」として感じるような状態にすることができる。ゲーム内の任意のポイントや、成功報酬を価値があるような気分になってしまう。これは神経生理学における「報酬系」の概念が20世紀後半に発見されてから出てきたタイプの観点である。こうした報酬系の発見は、1950年代にはじまっている脳神経科学の専門家たちの議論から来ている[31]。

ギャンブルやコンピュータ・ゲームを遊んだときに報酬系が活性化すること自体は確かめられており、ゲームの学習説が想定するようなプロセスを体験したときに、脳の中で学習がおこなわれ人間の快楽を構成する化学物質が脳のいくつかの部位を流れる。細かな機序には、まだ謎も多いが、現代的な学習説の論者は、ほぼこの観点をもっている。「報酬」の内容自体がどうとでも変更できて、プロセスのほうに快楽がある、という理解は広くなされている。

第七は、上記の六条件が満たされなくなった時、快楽が失われ、繰り返しプロセスが終了するということだ。上記の六条件が失われるケースには様々なバリエーションがあるが、学習の「プロセスの終了」といった観点は多くの論者が共有している。

一つの典型は、ゲームに上達しすぎて、あまりに簡単になってしまうようなケースである。ボイテンディク(1933)は遊びが既知のものと未知のものの結び付きである状態から、全てが既知のものになってしまうときには、遊びはその輝きを失うという[32]。ゲーム概念に関わる概念定義において、こういったプロセス停止の問題はしばしば言及される。近年のビデオゲーム研究におけるインタラクティビティ概念の定義[33]でも、この要素が言及されることがある。コスターはゲームが終わってしまうような、習熟しすぎてしまった状態に「グロック」という概念をあてている。最適覚醒が維持されなくなったときに、ゲームを楽しんでいるという状態は維持が難しくなる。

 以上が、現代的な学習説の七要件である。もちろん、これに当てはまらないゲームや遊びの境界的な事例はある。

 たとえば、ゲームや遊びとみなされても、「ルール」が挙げられないことがある。動物の遊びが論じられる場合にはルールの存在があまり前提とはされないことがある。また「遊び」と「ゲーム」が語彙として別れている言語圏では、「遊び」の定義としてルールが言及されないことも多い。

 第七の「終了」の要件については、「終わらない」タイプのプロセスが境界事例になる。たとえば、報酬系のモデルは人間の行為依存――パチンコ依存、ゲーム依存、セックス依存、買い物依存など――を説明するためのモデルにもなっている。これらの「依存」では、同じ行為を繰り返してしまい、それが日常生活に弊害をもたらし、苦しくなっても、ある行為がやめられなくなる、という問題を捉えるための重要な議論のベースとなっている。これは、幅広い人間の認知メカニズムを説明する機序ではあるかもしれないが、ゲームの学習説が典型的に想定するケースとは異なる[34]。

3.1.5    学習説に隣接する説明の広がり

 上記の要素のうち、どこを強調して主張するかによってバリエーションも生まれる。ゲームを「自発的な予期と調整の繰り返しプロセス」と言ってみたり、「トライアンドエラーが何度も自由にできて、クリアなフィードバックがもどってくる環境」と言ってみたりするタイプの説明は、大筋の方向性としては、本書で述べる「ゲームの学習説」の範囲内に収まるものが多いだろう。「学習」に近いが少し違う概念として登場するものも多い。予測(prediction)や上達(improvement)、変化(changing)をはじめとして、ゲーム理論的には期待(expectation)や信念(belief)、発達心理学的には発達(development)、同化(Assimilation)、調節(Accommodation)、進化論的な視点からは適応(adaptation)、準備(preparation)、探索(exploring)といった様々な概念が「学習」と関係する形で運用される。これらのなかには、ほぼ学習説と同内容を強調しているものもあるし、文脈によって強調点が異なるものもあるが、深く関係した概念群である。

 特に典型的なものとしては、チクセントミハイの「フロー体験」、ラフ・コスターのゲームの楽しさについての説明、渡辺修司らの議論が挙げられる。これらは上記の議論にほぼあてはまる性質を持っている。

 完全に学習説そのものではないが近いものとして、ユールの「古典的ゲームモデル」、サレン&ジマーマンの「意味のある遊び」といったゲームの定義論も、学習説のバリエーションとして捉えることができる。言い換えれば、現代における「ゲーム」の概念定義の通説となっている主要な説明は、定義の重要な部分において学習説に連なる観点を採用している。

 七要件の一部――たとえば自律的な「変化」の全て――を遊びやゲームの定義として採用する論者もいる。そうなると生命や自然活動のほとんどの部分が遊びやゲームということになり、「世界の全てが遊び」なのだというような話まで発展することもある[35]。これも、古くからある遊び論の系譜の一つである[36]。ゲームそのものの説明というより、世界の説明としてゲームや遊びを用いるというタイプの議論だが、強いて言えば学習説の最広義のバリエーションとして位置づけることはできるだろう。下記に、ほぼ現代的な学習説そのものと言えるものと、そのかなり近縁に類すると思われるものについて、簡単にまとめておこう。  

表:学習説に隣接する説明の広がり

関係

本書における名称

備考

関連する研究者

最も広い

万物の変化説

環境に対する変化全般の反応として遊びを論じるもの。

オイゲン・フィンク、アクセロス

非常に広い

探索説

探索的な行動の発露であるというタイプの説。ゲームという概念の範囲を極めてシンプルな概念で、幅広い行動を捉えることができる。

古くはプラトンから数えることもできるが、ベアラインなどの系譜。

古典説(多くの点で重なる)

準備説

遊びを通した適応を通じて進化・淘汰プロセス的に有利になることを主張するもの。特に動物の遊び(動物行動学)の説明理論として、現在も(批判はありつつも)主要な検討対象となっている。

ピアジェなど発達心理学などにも影響を与えた。グロース系譜。

部分的に重なる

(定義論のいくつか)

結果的に学習説の観点と近似する観察(ゲーム/遊びの本質論について)

カイヨワや、ユールなど

狭義

フロー体験

フロー体験など心理学理論

チクセントミハイ

狭義

(ゲームデザイン論のいくつか)

難易度の設計や、体験の順序制御において、実質的に学習説を含むもの

ラフ・コスターなど

 これらは同じ議論ではない。

 重要なのは、これらの議論が、それぞれに似通った実際の現象の観察と繋がっており、それをどうにか指し示し明らかにしようとしてきた議論であるということだ。

 共通性が高く、かつ快楽を伴うゲームの経験として重要なポイントとして抽出されやすい要件を、先述の七要件としてまとめることで議論が粗くなるのを防ぎつつ、共通してみられる要素を現代的な「ゲームの学習説」としたい。

3.1.6    どのように多くの説明モデルが連結しているのか

 「ゲームとは何か」を論じる観察の多くが結果的に学習説を含んでいる。この事態はいったい、なぜ、どのように生じているのか。

 学習説が、遊びやゲームにとって極めて重要な説明の一つであることは、ほぼ疑いがない。

 にもかかわらず、学習説が決定的な遊びやゲームの説明理論とするには、いくつもの難点がある。実証的に強い証拠が整いきらないという問題はまずある。

 それに加えて、ゲームについての他の説明モデル――「ルール」や「非日常」「駆け引き」「逸脱」としてゲームや遊びを捉える――を簡単に破棄できるわけでもない。

 これらの説明モデルとの関係はいったいどのようになっているのか。ゲームの概念についての複数の説明モデルの関係性のネットワークを、可能な限り整合的に説明を試みることが、この第三部の目的である。それによって、学習説の可能性と限界を適切に把握し、「ゲームとは何か」という概念を捉えたいと思う。

 次章からは、具体的に、どのように「ルール」や「非日常」といったそれぞれの遊びやゲームの概念の説明モデルが学習説と相互に関係づけられていくか、その整合性を本格的に検討していきたい。


[1] これらが一つの理論的なクラスターを作っているのではないか、ということの傍証については、第二部末尾のネットワーク図も参照されたい。繰り返すが、唯一の典型的特徴として示しているわけではない
[2] ゲームの定義を行おうとするほとんどの論者が言及する再頻出の論点であることを、ゲームの定義を収集したStenros(2017)も述べている。
[3] チクセントミハイは心理的現象を説明するためにフローを論じるので、ゲームの定義論とは少し視点が違っているが、フローを生じさせやすい活動として、能力の習得を要するルール、明確な目標、即時のフィードバック、統制可能な状態を挙げている点は近い。チクセントミハイ/今村浩明訳(1996)『フロー体験――喜びの現象学』世界思想社,pp.69–73, 92(Csikszentmihalyi(1990), Flow: The Psychology of Optimal Experience. New York: Harper and Row.)
[4] M.J.エリス/森楙, 田中亨胤, 大塚忠剛訳(1973=2000)『人間はなぜ遊ぶか―遊びの総合理論』黎明書房、Michael J Elis(1973),Why people play, Prentice-Hall, p. 36
[5] 遊びというよりは、学習の理論の観点から言えば「内発的動機付け」の理論潮流は非常に層の厚い研究群を成している。初期の重要な論者であるホワイト(White, R. W. (1959). Motivation reconsidered: the concept of competence.?Psychological review,66(5), 297.やド・シャルム(Decharms, R., & Carpenter, V. (1968). Measuring motivation in culturally disadvantaged school children.?The Journal of Experimental Education,?37(1), 31-41.の議論は、チクセントミハイの議論の流れ込んでいるし、ゲーミフィケーションなどの主要な説明理論の一つとして参照されることも多い。内発的動機付けとは「活動に固有の動機がある」Woodworth (1918)ことを意味する心理学用語だが、研究文脈によってもやや異なる含意をもっている。遊び-ゲームの説明理論として連続していない部分もある。専門家による内発的動機付けの理論的展開の整理としてはたとえば、鹿毛雅治. (1994). 内発的動機づけ研究の展望. 教育心理学研究, 42(3), pp. 345-359.や、上淵寿、大戸治(2019)『動機づけ研究の最前線』北大路書房, pp. 14-17を参照されたい。上淵らによれば内発的動機付けは、単に参加への自己決定のような要素のみならず、自律、熟達性、自己目的性、フローなど複合的な要素の包括的な性質をもったものであることが示されている。やや注意深い論者は、内発的動機付けといった概念を用いるのではなく、たとえば内発的動機付けを構成する概念のうち、参加の自己決定感など個別の要素を別に取り出して扱う傾向を指摘することができる。
[6] たとえばJuul, J. (2013).The art of failure: An essay on the pain of playing video games. MIT press.では、動機付けに関わる内容を帰属理論といことでZuckerman, M. (1979). Attribution of success and failure revisited, or: The motivational bias is alive and well in attribution theory.Journal of personality,47(2), 245-287.を引きながら論じている
[7] Juul, Jesper(2005) Half-Real, MIT Press,(イェスパー・ユール/松永伸司訳(2016)『ハーフ・リアル』ニューゲームズオーダー, p. 127)
[8] ここで挙げられるチャンクというのはそもそもは、一度に覚えられるものごとの数の話だが、コスターなどの論者は、チャンクの話は「パターン」や「スキーマ」といった概念とほぼ同じような概念として説明される(ラフ・コスター/酒井皇治訳,2005,『「おもしろい」のゲームデザイン』※2-14 p.251)。我々がゲームを遊ぶプロセスは、認識のパターンを更新していくようなものである
[9] Newell, Allen, and Paul S. Rosenbloom.1981 “Mechanisms of Skill Acquisition and the Law of Practice.”In Cognitive Skills and Their Acquisition, edited by John R. Anderson, 1-5 5. Hillsdale, N.J.: Lawrence Erlbaum
[10] Haider, H., & Frensch, P. A. (1996). The role of information reduction in skill acquisition.?Cognitive psychology,?30(3), 304-337.
[11] Burghardt (2005)
[12] もっとも、遊び手の理解が更新されていくプロセスについて言及した、グロース以後の古典として、同化と調節(ピアジェ)の区別などにも関係する文脈もあるだろう。ただし、ピアジェの理論は、遊び全般についての説明をしようと試みたものというよりは、子供の心理的な発達プロセスの理解のために子供の遊びを観察したものであり、遊びやゲームとは何かということを統合的に説明することは二次的なものとなっている。また、ピアジェの議論は、発達段階論だけでなく構成論 constructivismという点においても遊びをめぐる議論が重視されている。この点については、Von Glasersfeld, E. (1982). An interpretation of Piaget’s constructivism. Revue internationale de philosophie, 612-635.や加藤泰彦, コンスタンス・カズコ・カミイ(2018)『ピアジェの構成論と幼児教育Ⅰ‐物と関わる遊びをとおして』大学教育出版などを参照
[13] 古典的にはグロースも類似する論点を挙げている(Groos, 1898=1901:378)
[14] Michael J Elis(1973),Why people play, Prentice-Hall
[15] Yerkes RM, Dodson JD (1908). “The relation of strength of stimulus to rapidity of habit-formation”. Journal of Comparative Neurology and Psychology. 18 (5): 459–482.
[16] Hebb.D.O. (1949). The organization of behavior. New York.
[17] Berlyne, D. E. (1966). Curiosity and Exploration: Animals spend much of their time seeking stimuli whose significance raises problems for psychology. Science, 153(3731), 25-33.
[18] 特に小川は、エリスによる仕事に大きな評価を与えている。(小川純生(2003)遊び概念―面白さの根拠―,経営研究所論集第26号,東洋大学経営研究所)
[19] Csikszentmihalyi, Mihaly. Flow: The Psychology of Optimal Experience. New York: Harper Perennial, 1990.
[20] ヴィゴツキーの最近接発達領域(ZPD)も比較的近い論点を扱っているが、ZPDは支援・協働を入れたときの発達の話であり、ヴィゴツキーの話は直接には流入していないと思われる。
[21] Kennedy, P., Miele, D. B., Metcalfe, J. (2014) The cognitive antecedents and motivational consequences of the feeling of being in the zone, Consciousness and Cognition, 30, pp. 48?61. https://doi.org/10.1016/j.concog.2014.07.007
[22] Vuorre, M., Metcalfe, J. (2016) The relation between the sense of agency and the experience of flow, Consciousness and Cognition, 43, pp. 133?142.https://doi.org/10.1016/j.concog.2016.06.001
[23] 木村知宏, 吉本廣雅, & 開一夫. (2023). 機能的近赤外分光法を用いた最適なゲームプレイの検討. In 日本デジタルゲーム学会 年次大会 予稿集 第 13 回 年次大会 (pp. 17-22). 一般社団法人 日本デジタルゲーム学会.
[24] National Council of Educational Research and Training, Psychology: Textbook for Class XI, Chapter 5 “Learning”, NCERT, reprint 2025–26, pp. 79, 93.
[25] Tom M. Mitchell, Machine Learning, McGraw-Hill, 1997, p. 2.
[26] Shai Shalev-Shwartz and Shai Ben-David, Understanding Machine Learning: From Theory to Algorithms, Cambridge University Press, 2014, pp. 22–23.
[27] Richard S. Sutton and Andrew G. Barto, Reinforcement Learning: An Introduction, 2nd ed., MIT Press, 2018, pp. 1–2, 7.
[28] ただし、AIが人間と同じような意味で「ゲームを遊ぶ」主体なのかという点は別のタイプの議論を要するだろう
[29] グロース
[30] たとえばヘンリックス(1999)
[31] 端緒となったのはオールズの1954年のラットの報酬系の発見(Olds, J., & Milner, P. (1954). Positive reinforcement produced by electrical stimulation of septal area and other regions of rat brain. Journal of comparative and physiological psychology, 47(6), 419. )が、現在では、脳神経科学者による一般向けの解説書――たとえば、Linden, D. J. (2011). The compass of pleasure: How our brains make fatty foods, orgasm, exercise, marijuana, generosity, vodka, learning, and gambling feel so good. Penguin.(邦題:快感回路—なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか、河出書房新社,2012/1/20)など――も出揃ってきている。
[32] Buytendijk, 1933=1935, p. 153
[33] Smuts, A. (2009). What is interactivity?. The Journal of Aesthetic Education, 43(4), 53-73.
[34] もちろん、報酬系のモデルは「飽きたらやめる」ということがありえないのではないし、報酬系のモデルを前提に「飽きたらやめる」ということ自体が説明不可能というわけでもない。また、ゲームの課題の難易度のようなものと報酬系との連動などについては、条件が細かくなってくるためまだ報酬系との関わりが不明瞭な部分も残っている。報酬系がゲームを遊ぶということと深く関わっているということ否定しているわけではない。
[35] オイゲン・フィンク(石原達二訳, 1976)『遊戯の存在論──幸福のオアシス』せりか書房(原著:Eugen Fink,_Oase des Glücks. Gedanken zu einer Ontologie des Spiels_. Alber, Freiburg / München 1957)や、Kostas Axelos(1969) Le Jeu du monde, Éditions de Minuitなど
[36] ヘラクレイトスの「万物は流転する」は、子どもの遊びの観察と紐づけて語られている。

(続く)

この記事は、2026年7月2日に公開しました。本連載では、書籍に掲載される内容とは別に、連載としてはゲームに関わる多様なトピックを扱っていきます。概念間の関係性についての詳細な議論はぜひ書籍刊行をご期待ください!
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