教科書だけじゃない。自分で「捕まえて集める」から学べることがある

▲福岡にできた常設展「チームラボフォレスト – SBI証券」

『捕まえて集める森』では、デジタルの森と海で動物たちを捕まえ、観察し、学ぶことができます。

宇野 『捕まえて集める森』、すごく楽しかった。読者向けに説明すると、これはアプリをインストールした自分のスマートフォンのカメラを向けると、周りでリアルタイムに動いている動物たちに観察の矢を放ち捕まえ、観察し、自分のコレクション図鑑をつくっていくという作品なんだけど、つい夢中になって集めまくっちゃったよ。陸の動物は半分以上捕まえたんじゃないかな。

猪子 それはよかった! 今回まったく新しいと思っているのは、カメラに映っている景色にタッチすることで、カメラの先の空間に触れられる点。具体的には、空間を歩いている動物を自分のスマートフォンのカメラで見て、そのカメラが見ている動物に矢を放つと、現実の空間で矢が飛んでいく。矢が当たると、空間からその動物は消えて、自分のスマートフォンに入ってくる。世界で初めてのまったく新しい体験で、AR(Augmented Reality)ともまったく違って、カメラで見ている場所に起こしたアクションが現実でも変化し、現実での変化がスマートフォンにも影響されるから、僕らは、Interconnected Realityと呼んでいる。

宇野 時間がなくて、海の生き物まで手が回らなかったのが残念だったけどね。と、いうか、先にiPhoneの電池も切れてしまって諦めたんだ。

猪子 嬉しいね。ちなみに実は、海底にいる生き物は、網を使わないと捕まえられない。網は使ってみた?

宇野 使ったけど、なかなか引っ掛からなくて、ちょっとイラッとしちゃった(笑)。途中で、追い込み漁みたいに網を設置した後に自分が魚の行く手を阻んで網に誘導すればいいと気づいたんだけど、そのころにはほぼ電池が切れちゃってて。

猪子 そう、追い込み漁をしてほしかった。もっと言えば、一人で追い込むのはなかなか難しいから、見ず知らずの人と協力しあう体験が生まれたらいいなと思っている。

 出てくる動物のパターンももっと増やして、図鑑を充実させていきたいんだよね。現状は捕まえられない仕様にしてしまったんだけど、将来的には、作品の中にいる昆虫も捕れるようにしたいし。

宇野 まだまだこれから進化していくんだね。2016年にシンガポール国立博物館での常設展(『Story of the Forest』)で、この作品の原型となる作品を観て対談したときにも言ったけれど、たとえば僕は『ポケモンGO』のモンスターにどうしても思い入れが持てないんだよね。これはけっこう大きな問題で、Nianticのゲームはゲームを通じて人間とその土地の関係を結び直すことを目的にしているのに、ああやって架空のモンスターを導入することで、逆にその人間がその土地を直視できなくさせてしまっているところがあると思う。
 だから、やはり人間とその土地との結びつきを、情報技術で再構成するということを考えるのなら、実際にそこに生きている動植物とどう向き合うかは避けては通れないと思うんだ。それがデジタルアートやデジタルエンターテインメントなら、なおのことね。

猪子 あとは「この100年間で絶滅した動物」とかもやりたい。捕まえた後に「30年前に絶滅した」といった解説文を読むと、絶滅にリアリティーを感じられるはず。教科書で「絶滅危惧種が100万種類います」とだけ読んでもピンとこないけれど、捕まえたばかりの動物が、実は絶滅していたとわかるとショックだと思う。

宇野 絶滅危惧種や、すでに絶滅した動物をあえて捕獲させるのも、問題提起として面白いね。

猪子 それがいいなと思って。もっとも、まだまだ発展途上なんだけれど。今後は、動いている動物や魚を認識するAIの精度をもっと高くして、種類や行動パターンを増やしたい。

宇野 しかし改めてこれは、僕がシンガポールで「ここはもっとこうしたほうがいい」と言っていたことが全部入っていると思った。以前の作品はデジタルの森で野生動物を「観察する」ものだったけれど、こちらは自分で捕まえて、そして図鑑に登録してもう一度森の中にリリースする。この過程が加わるだけでぐっと面白くなった。操作性も格段に良くなっているね。

▲シンガポールとその周辺地域に生きる花々や木々、動物たちと出会うことができる、『Story of the Forest』

▲シンガポールを訪れたときのことは、猪子さんと宇野の対談集『人類を前に進めたい』にまとまっています。その土地のアイデンティティを、デジタルアートによってどう記述することができるか、考えました。

猪子 世の中の技術水準も、あの頃より格段にレベルアップしているからね。ここから半年くらいかけて、まだまだグレードアップしていくよ。

宇野 ぜいたくを言うなら、ほかにも、もっと広い会場を使って場所によって出現する生き物が変わるようにしたらもっと面白いだろうね。あるいは、大陸別に動物を棲み分けさせるとか、逆にローカルに閉じて福岡に生息する動物だけ登場させるとか、いろいろなバリエーションが考えられるよね。

猪子 いちおう動物ごとに空間内で生息している場所を分けていたりもしているんだけれど、なかなか気づきにくいかもしれないね。

宇野 あとは地味に同じ種類でも、2匹目、3匹目と捕まえると徐々に解説が増えていく仕様が効いていると思った。

▲アプリを通じて動物たちを捕まえ、集め、学ぶことで、より深く作品を楽しむことができます。(撮影:PLANETS編集部)

猪子 人類は、600万年とも言われる長い歴史の中の599万年(99.8%)というほとんどにおいて、動植物を捕まえたり採ったりする生活を通して、生きてきた。人間は動物と比べて、走るのも泳ぐのも遅いし、木登りも下手。身体的に劣っていて、一対一で勝負しても絶対に勝てない。だからこそ、動植物を観察し学ぶことで生き残ってきた。つまり知ることは、生きることそのものだったと思うんだよね。

 僕は四国の田舎の出身だから、小さいころから日常的に、土手に行ってバッタを捕まえたりしていたわけ。歩いて1分くらいの近所の公園にバッタがいっぱいいて、それを捕まえて図鑑で調べて知っていくのが日常だった。バッタや蝶を探して捕まえるのが純粋に楽しくて、その延長で「じゃあこれは何なのか?」と知識をつけていったんだ。

 今は都市にいると、なかなかそんな体験の機会はない。でも、教科書で生き物の名前と写真だけ見ても、強い興味にはならないと思うんだよね。探索して、見つけて、捕まえる。そして、捕まえた対象を少しずつ知っていく。そうした「生きること」への体感的な理解を得られる、新しいプラットフォームが模索できたらいいなと思って、『捕まえて集める森』をつくったんだ。

スマートフォンは人類の「所有」する感覚を変えた

宇野 この作品のポイントは、実は動物や魚を捕まえたあと、動物や魚は必ずリリースする仕様になっていること。殺して食べたりするのではなく、アプリ上にデジタルデータとして残す点にあると思う。

 僕は昔、昆虫採集が大好きな子どもだったのだけど、大人になってからは飼うのが面倒臭くなってきて、写真や動画を撮るだけで満足するようになった。これは単に手間の問題に見えて、けっこう重要な変化だと思っている。要するにそれは自分のスマートフォンにデータを保存するだけで、かなり所有欲を満たせるということなんだよね。つまり、デバイスの進化に伴って、「所有」の感覚がかなり変わってきている。

 現代人の感覚としては、デジタルデータ化してクラウドや自分の端末に保存し、持ち歩けていつでもアクセス可能にすることこそが、所有なんだと思う。かつての人類は、殺して食べたり、その皮や骨を利用したりすることで初めて、所有している感覚を抱けた。もしいまだに撮影機材が「写ルンです」しかなかったら、僕も捕まえてカゴに入れて毎日見ないと、納得しなかったはずなんだよ。でも、誰もが日常的に写真や動画を撮るようになって、所有と所有でないものの中間、物理的ではないけど半分所有している感覚が芽生えつつある。カメラで捉えたものにアクションを起こして、スマホに収めるという行為が、所有感を高めてくれるようになった。

 僕がフィギュアを買ったときに絶対に写真を撮るのも、スマホで写真を撮るまでが所有だと思っちゃっているから。たぶん空間に関しても、同じことが言えるはず。人がSNSで写真をシェアするのは、自己アピールであると同時に、その空間や風景を所有している快楽を味わっているからだと思うんだよね。逆に、スマホに収めないと、所有している感覚が得にくくなっているんじゃないのかな。

猪子 なるほど、面白い。何か気になるものを見つけたら、とりあえずスマホで撮るもんね。

宇野 視覚を拡張する小さなコンピュータを持ち歩いている人びとに対して、どんなアートを創作し、ぶつけていくかを考えるときに、この感覚はけっこう大事なポイントになっていくはず。『捕まえて集める森』で得られた充実感から、僕はそう感じた。だって、動物や魚を全部捕まえてゲームをクリアしたとしても、もともとプログラムに入っているデータが可視化されるだけなのに、ものすごく強い所有感があるわけなんだよ。狩猟採集というテーマを設定することで、自然の一部を所有する快楽を全面化しているのが、今回の作品だと思うんだよね。

 たぶん、つまらないことだけれど、「狩猟採集の生々しさをデジタル化することで覆い隠している」といった批判も来ると思う。でもポイントはそこじゃない。チームラボは、この作品を通じて、人類が自然に対して行ってきた探索や観察という行為を情報技術でアップデートする面白さを追求している。獲物を殺して、食べて、血肉の一部にすることではじめて自然の一部になるのだというある種の自然観が正しいと考えて、それを訴えることが重要だと考える人も多いだろうけど、そこに力点は最初からないということは理解して欲しいと思うな。

「運動の森」がリセットする現代人の空間認識

猪子 それはそうと、もう一つの「運動の森」はどうだった? 「チームラボボーダレス」にも同じコンセプトの空間はあったけれど、今回はもっと進化させたいと思ってつくったから、けっこうインパクトあったでしょ?

 球が敷き詰められている『高速回転跳ね球のあおむしハウス』とか、一瞬本当に球体が回転しているように見えるんじゃないかな。まさか、こんな回転している球は踏めないんじゃないか、って。

▲作品の部屋に入った瞬間、ぎょっとして目がちかちかする(かもしれない)、『高速回転跳ね球のあおむしハウス』

宇野 そうだね、これは最初はじっと鑑賞するタイプのインスタレーションかと思った。

猪子 でしょ。いちおう、自分の近くの球体だけは回転が止まるようになっていて、踏みやすいようにしているんだけど。

宇野 『スーパーマリオブラザーズ』みたいだなと思った。ずっと回転しているんだけど、定期的に止まって一瞬だけ渡れるようになるブロックがあるじゃない? あれと同じのように見える。直感的に「同じ色を踏むといいんだろうな」とは思ったけど、踏み続けると何が起こるのかまでは掴みきれなかった。これ、同じ色の球を踏んでいくとどうなるの? 

猪子 最後まで連続して同じ色の球体を踏み続けると、球が全部弾けて、あおむしが生まれる。

宇野 言われないとわからないよ(笑)。一方通行だということもわからなくて、逆走して係員のお兄さんに怒られちゃった。でも、あの一方通行性が、面白さを生み出していたことも間違いない。「DMM.プラネッツ Art by teamLab」のときも思ったけど、どこからでも好きに回れるよりも、ルートが限られているほうが「次に何が来るんだろう」というワクワク感がある。

 次の『ふわふわな地形のつぶつぶの地層』の部屋に移ったとき、一瞬めまいがした。というか、歩ける場所とそうでない場所を確認するところから始めなきゃいけなくてびっくりした。こんなふうに、作品ごとにルールが変わっていちいち脳をリセットさせられるから、身体的な知恵を発動せざるを得ない。部屋が変わるたびに「ここはどんなロジックでつくられているんだろう?」と空間把握をやり直しさせられるのは新鮮だったね。

▲足を一歩踏み出すのに勇気がいるかも。『ふわふわな地形のつぶつぶの地層』

猪子 「チームラボボーダレス」のときもそうだったけど、「運動の森」はとにかく、都市の床の平面とは違う立体空間をつくり出すことに主眼を置いたからね。

宇野 近代的な都市空間は、家屋も道路も「本来は三次元のものを、理解しやすいように二次元に再構成する」という論理でつくられているんだよね。「運動の森」は、そのロジックを意図的に破壊している。

猪子 しかも、そうした複雑で立体的な空間を、多くの人が楽しめるように安全につくる必要があって。そのさじ加減が難しかった。

宇野 そこはアンビバレントなところだよね(笑)。

猪子 その次の『インビジブルな世界のバランス飛石』はどうだった? 三つ並んでいるうちの、向かって右が一番難しいんだけど。

『インビジブルな世界のバランス飛石』。あなたならどの道を渡りますか?

宇野 「僕の能力だとこれ以外無理だろう」と思って、一番簡単そうな左に行ったよ(笑)。

猪子 実は、真ん中が一番簡単なんだけどね(笑)。

デジタル技術による脱・平面化が解放する体験

猪子 その次が、すり鉢みたいな部屋の『鼓動する大地』。

宇野 ああ、微妙に模様が変わっていくやつね。あれ、単純に見えてけっこう技術的に難しそうだよね?

猪子 マカオ(「teamLab SuperNature Macao」)で初めて創ってすごくうまくいったから、福岡にも急遽入れることにした。マカオはちゃんとこの作品のために空間をつくっているから、物理的な立体感と目に見える立体感の見分けがつかなくなって、歩けなくなるくらい空間が歪んだんだけど。

▲しましまの世界にいざなわれる『鼓動する大地』。大地の上を、花でできた動物たち(『花と共に生きる動物たちⅡ』)が悠々と歩いていく。

宇野 そうだね、コンセプトは面白かったけれど、表現はまだまだ改良の余地があると思った。

猪子 福岡のはそうだけど、マカオの『鼓動する大地』は、めちゃくちゃすごいよ。『花と共に生きる動物たちⅡ』と『うごめく谷の、花と共に生きる生き物たち』には、実はちょっとした物語を隠してある。動物がちょっとずつ生まれて増えていって、増えすぎて滅んでしまう。

宇野 動物って、あの全身が花でできているやつ?

猪子 うん。

宇野 あれはなかなかに気持ち悪くて、面白かったね(笑)。猪子さんが普段微妙に隠している、グロテスクなものへのフェティッシュが透けて見えた。触ると花がちょっとだけ散っていくよね?

猪子 そう! 触りすぎて花が何割か散っちゃうと、全部散って死んじゃう。

 最後の『タイフーンボールと重力にあらがう呼応する生命の森 – 曖昧な9色と基本の3色』は行った? 万華鏡を通っていく部屋。

▲万華鏡のような通路を抜けると、そこにはボールの世界が広がっています(『タイフーンボールと重力にあらがう呼応する生命の森 – 曖昧な9色と基本の3色』)。

宇野 通ったよ。僕はちょっと怖かった。あそこは鏡張りの床があって宙に浮いたように感じられるじゃない? 僕は高いところが苦手なので本当に嫌だった。あの通路も『スーパーマリオブラザーズ』っぽいから、これは罠で、落ちて死ぬんじゃないかって(笑)。

猪子 (笑)。あの部屋で浮きながら回り続けているボールはよくよく考えるとおかしくて。紐をつけているわけでもないから、普通に考えると、遠心力でバラバラになっちゃう。それなのに、ちゃんと回り続けている。

 実はこれ、ボールと風を綿密に制御して、台風みたいにぐるぐると回るようにしているんだよ。

宇野 よくよく考えたら、これを実現する大変さは想像できるはずなのに、普通に見ていると「風が吹いているから、プカプカ浮かんでいるんだろうな」くらいにしか思わないよね。

猪子 技術を見せたいわけじゃないからね。

宇野 その意味で、今回の「捕まえて集める森」と「運動の森」の2つは、ぜんぜん違うアプローチをしているようで、通底したコンセプトがあると思う。ここ200〜300年の間、近代的な知は、三次元の空間的、立体的なものを二次元の平面的なものに押し込めてきた。情報技術は今のところこの平面化をより徹底するために使われることが多いんだけれど、今回の作品たちは違う。擬似的に三次元的なものを取り戻すために使われている。

 言い換えれば、もともと写真技術や映像技術って、本来は立体的で触れられる三次元の存在を、理解しやすく平面化するために生み出されたものなのだけど、それを別の使い方をすることで、いったん平面化されてしまった風景を触れえるものとして再構成しているのが「捕まえて集める森」だと言える。
 対して、本来は三次元であるはずの空間を地図や設計図などで擬似的に平面化することで構築されてきたのが近代の都市空間や住空間なのだけど、その内部空間を多彩な立体ギミックによってハックして、再び身体運動を通じて三次元的な体感性を回復できるようにしたのが「運動の森」だと言える。

 どちらもいったん二次元化されたものをもういちど三次元に回復するためのアプローチとして情報技術を使っている点で、根底に共通するテーマがあるように思えるんだ。

猪子 面白い、考えてもみなかった。でも、思えば、特に子どもはすぐに立体的に捉えてくれていたね。『高速回転跳ね球のあおむしハウス』では、ケンケンパ的なアクロバティックな飛び方をしたりしていた。

宇野 たいていの大人は平面的な空間認識に順応しきっちゃってるから、訓練し直さないとそんなにリズミカルに歩けない。社会的な承認欲求とかが頭を占める前の子どもだからこそできる、動物的な本能に近い何かだよね。

猪子 めちゃくちゃ面白いよね。大人だとこれが新しい体験だと気づかないだけど、なぜか子どものほうが「これ魔法じゃん!」と体験の新しさに気づいてくれる。その感覚を、大人も取り戻せる空間になっていたらいいなと思うよ。

[続く]

※この記事は小池真幸が構成をつとめ、2020年8月26日に公開しました。
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