2.3.1 何が重要な検討対象かを考える:先行する議論のネットワークを確認する

 ゲームや遊びの概念がネットワーク的な関係性の整理によって、把握されるべきものだ、ということをここまで確認してきた。その分析を行うため、本書は、ゲームに関わる主要な概念や論説の関係性を検討していこうとしている。

 ただし、ゲームに関わる概念といっても、すでに見てきたとおり、その論点だけでもかなり多くのものがある。全ての概念の組み合わせについて検討するとなると、膨大な労力を要する。何かしらの方法で、ある程度の「アタリ」をつけて検討をはじめるのがよいだろう。

 特に、概念の類似性・近接性を見るだけであれば、そのネットワークを描画してみることは、それほど難しいことではない。

 ここでは、まず、手始めに概念の類似性・近接性を確認するための2つのネットワーク図をここで提示しておこう。

2.3.1.1  多国語の「ゲーム」相当語彙の概念の近似性

 第一の図は、筆者が予備調査的に作成したものだ。多国語の辞書の定義レベルでの「ゲーム」相当語彙の類似性のネットワーク図である。英語の「game」、日本語の「ゲーム」、フランス語の「jeu」、ドイツ語の「Spiel」などそれぞれの言語[1] について、 同じ辞書[2]がどのように各国語での定義を記述しているのかの関係性をチェックしたものだ。

 まず、準備作業として各国語の辞書データをもとに、どの言語の辞書にどの意味があると書かれているのか、をメモをとりながら、次のような表をつくっていく。

表1:各言語における「Game」の語義定義番号の対応(例として一部分をのみ抜粋)

語義

英語

日本語

イタリア語

楽しみのための活動

1

2

1

競技

2

2

2

スポーツ

4, 5

2

試合の構成単位

3

1

2

賭け事

4

策略

8

(十カ国語の辞書のなかでおよそ22の意味[3]が確認されたため、上記の表は実際には10×22の表である。)

 こうした、言語と意味の対応関係を行列表として整理したものがあれば、この行列表にもとづいて、要素どうしが同時に登場される頻度(共起の度合い)を算出したネットワーク図を作ることができる。それを実際にネットワークとして可視化したものが以下の図である。ノードの大きさはその意味が登場する頻度(次数)を、エッジの太さは他の意味と同時に登場する繋がりの太さ(共起の度合い)を示している。■▲●◆*の記号は、同時に登場する頻度から、その傾向性のまとまり方を5つに区別したもの(クラスタリング)である。

図1遊びやゲームの定義要素の共起ネットワーク(10カ国語辞書定義/現代語)

 ■のまとまりに属する部分は多くの言語で、共通して現れる要素である。楽しみのための活動 (Activity for Amusement)、競技 (Competition)、スポーツ(Sport)、試合の構成単位 (Part of a match)、策略 (Strategy)といった側面は、「ゲーム」の語義として、言語圏を超えて共有される確率がかなり高い(ただし、競技と、楽しみのための活動の要素をもつ語彙が多国語の「ゲーム相当語」の元データとして選出されているため、これが共通する要素として出てくるというのは、当然の結果である)。 

 ●のまとまりに属する部分は、多義語として仏・独・伊・西・葡といった言語においてしばしば登場したものである。中心的な語義とまではいかないが、概念的に連続しやすい語義がここに並んでいると見ていいだろう。日本語でも、「あそび」の意味として、ネジの「あそび」や、「簡単」といった意味はあるし、また「あそび」の古語で「演奏」の意味が登場するが、いずれにせよ日本語のような言語では、これらの意味は、競技や勝負といった意味からは独立した語彙「あそび」の語義である。これらの意味が現れるのは「game」「play」の概念が分かれておらず、一語で結びついている地域に特有の傾向と言っていいだろう。

 上記の2つの領域が大きな領域であり、▲◆*はまとまりとしての解釈は難しい語義が多い。

 ▲の「狩猟・尾」は英・独語、「技量・スタイル」は英・韓・独・仏語、「真剣でない態度」は、英・中・独語に見られる。一定の確率で拡張的な語義として結びつきやすい領域と言えそうである。

 ◆の駆け引き(Trick)はポルトガル語に記述されているが、策略(Strategy)の一部として結びつきやすい語義だと言えそうである。

 *の「やる気がある (I am game)」は、ほぼ完全な英語独自の用法といっていいだろう。「ゲーミングカップヌードル」の例でも述べたとおり、こうした隣接概念への概念拡張は、言語にしばしば見られる現象と言える。古語などを紐解いていった場合にはこうした孤立した語義はしばしば見られる。たとえば、もっと本格的な辞書として、オックスフォード英語辞典を確認してみると、特殊な「game」の語義として様々なものが列挙されている。「発射する」(1591年~まれに登場)、「樫の木を飾る」(1780年~)、「アクセントとなる糸」(1831年~)などだ。

 さて、以上の多国語辞書の意味からネットワーク図を作るという作業は「意味の関係性」といったときに、定量的にアプローチしやすいものだろう[4]

 辞書的な意味のネットワークは、すでに見てきたような「ゲーム」「遊び」を分ける言語と、同一にする言語といった部分の特徴や、概念が拡張したときに結びつきやすい現象を知る上では、有用なものでもある。しかし、本書の中心的な問い「ゲームとは何か」といった時に、知りたいのはこの中心部分の■のより詳細な部分だろう。   

2.3.1.2  ゲームの定義論の論点の近似性

 それを知るために、さきほどの作業は、さらにもう少し込み入った、「ゲームとは何か」「遊びとは何か」を検討した論者たちの議論の傾向性についても、同じような作業を行うことが可能である。つまり、カイヨワやスーツといった既存のゲーム・遊びの定義論において、何が論点となっていたかを整理し、その共起頻度(どの程度同じ論点が共通して登場したか)を可視化したネットワークの図を作成することができる。

 これはさきほどの図よりも、作成の労力のかかったネットワーク図である[5]

 このネットワーク図の作業工程はさきほどの辞書定義を確認する作業工程と、ほぼ似たようなものである。具体的には、(1)まずゲームや遊びの定義を扱う39の文献を対象に、それぞれの定義に含まれる要素――たとえば「ルール」「目的」「自発性」など――を抽出する。(2)ここで抽出された22の要素(ルール要件、非日常要件、競争要件など…)をそれを誰がゲームや遊びの定義として言及しているかどうかのチェックリストを表データとして整備していく。下記、表に例示する(実際に作成した表は22列、39行のデータとなる)。

表2:表の作成イメージ

 

Huizinga (1938)

Caillois (1958)

Juul (2005)

ルール要件

2

2

2

自発性要件

2

2

2

プレイヤー要件

 

1

1

これを、ネットワーク図に変換したものが下記の図である。

図2:遊びやゲームの定義要素の共起ネットワーク(研究者による定義論)

 この図から、いくつかの解釈ができる。さきほどの辞書定義のネットワークと同様に、ある相対的に重要な要素がありつつも、完全に一箇所に集中しているのではなく、複数のまとまりを形成しているという点である。言い換えれば「ゲームの典型像」は、ある程度は存在するものの、とはいえ一つに定まりきらないことを示す、比較的わかりやすい手がかりといってよい。この図が示すところは、「ゲーム(spiel)」の概念に家族的類似性を指摘したヴィトゲンシュタインの議論とも、重要な典型性を示したユールの議論とも、複数の典型性を整理したサットン・スミスの議論とも整合的である。

 それぞれのまとまりの傾向性についても順に見ていこう。

 第一に、ルール/目的/繰り返し/自発/報酬からなるまとまりである。これらはもっとも言及されやすい要素であり、英語圏をはじめとした多くの地域における「ゲーム」概念の典型イメージにもっとも近いと考えられる。ゲームの形式的な側面についての要素を抽出した定義であり、各言語の辞書的な定義においても頻出する要素と概ね対応している領域だろう。ゲーム概念の典型イメージを一つだけ選ぶということになれば、この領域が優先的に選ばれることになるだろう。ただし、既に述べたように、こうした要素のみがゲームという現象の分析にとって重要だという発想は、20世紀後半以後たびたび批判されてきた。

 第二に、認識更新/停止/活動/最適刺激/プレイヤー/人間関与といった要素のクラスターである。ゲーム体験の主観的・心理的側面を中心に据えた理解を論点とする論者は多いが、そういった論点が一つのまとまりを見せているといっていいだろう。とりわけ、現代的な論者としてはチクセントミハイのフロー体験[6]に代表される一連のゲーム観[7][8][9]においてしばしば示される要素であるフィードバックや、その最適さといったことが重要な論点として見出されている

 第三に、競争/非日常/非生産性/未確定といったまとまりが見られる。ここでは、ゲームが社会的にどのように位置づけられてきたかという観点が表れているように見える。カイヨワなどのような社会学的な側面のある論者がしばしば強調する傾向があると言える。

 第四に、非効率/循環/トレードオフのまとまりについては、やや解釈が難しい。いずれもある程度までよく挙げられる項目であるが、わかりやすい傾向は見えにくい。強いて言えば、トレードオフや、非効率性といった点は、スーツ[10]やコスティキャン[11]のような、ルールのもつ性質を掘り下げる議論のなかで特徴的に現れる傾向がある。一方で、「循環」はドイツ哲学系の遊戯(Spiel)の議論において頻出する概念であり、ややクラスター内でも関心の方向性には差異があるように思われる。

 第五に、コミュニタスと態度のまとまりである。これは他の論点と比べると指摘する論者が多くないものの、いずれも重要な論点である。コミュニタスや、これと接続される形で示されている儀式といった点については、特に人類学・社会学的視点の強いヘンリックス[12]に代表される分析が一つのクラスタを形成している。態度の問題は、スーツの遊戯的態度(Lusory Attitude)などが代表的なものだが、20世紀後半以後は、特にこの論点に言及する論者は増えつつある。

 一方で「快楽」「儀式」「発達」はどのクラスタに属するかが揺れやすい。快楽は文脈横断的に頻出するにもかかわらず、どのクラスタにも固定されにくい――経験と制度、形式のいずれにも顔を出すためである。儀式は人類学・歴史学の文脈では濃密に語られるが、その外では孤立しやすい。発達も同様で、発達心理学では中核だが他領域では周辺化する。調査母集団や言語圏のバランスを変えれば、これらの位置は変動する可能性が高い。

2.3.1.3  言葉が似ているだけでは不十分な理由

 こうして、まとめてみると「ゲーム」の概念のおおまかな概念的見取り図は、これで充分だ、という人は当然いるだろう。たとえば、Chat GPTなどのLLMが処理している「言葉」の処理は、言語間の類似性・近接性を抽象化して操作可能にしているものだ。言葉の類似性・近接性をある程度まで示した、これらの図は「ゲームとはなにか」の一部に明確に答えている。

 では、このネットワーク図では、まだ何が不十分なのか。

 LLMと会話をしているときに、LLMからの回答を読んで「いや、確かに、近い話ではあるんだけれど、そういう話じゃないんだよ……。質問の意図を今ひとつちゃんと理解せずに、なんとなくで答えてない?」と感じたことのある人は少なくないだろう。類似性・近接性の情報は、とても重要な情報ではある。しかし、実空間において、様々な体験を心身で受け止めている我々は、それだけに留まらない何かを感じとり、知っている。要素感の意味の「近さ」や以外の側面が我々の経験や思考に大きく関わっていることは明らかである。LLMは言葉と言葉が何故近くなるのかということについての必然性や、構造を理解しているわけではない[13]

 先程の図で示した共起可視化は概念のネットワーク一部ではあるが、これだけで解釈が不要になるものではない。共起の強さが、そのまま概念的一致[14]を示すものでもない。本書を通じて提出されるのは、このネットワーク図を思弁的に検討した注釈付きの現象・概念間の関係性地図のようなものだ。

 さて、この図をどのように補っていくかと考えたとき2つの方向性がある。一つは、要素どうしの「関係」をどの種類として扱うかである。

 本書では、多様な関係性を検討の対象に据える。単なる類似性や共起の問題でなく、因果や順序関係など、複数の関係性を含めた検討を行う。以下にいくつか例示しておこう。

  • 集合関係:概念Aは概念Bの部分集合か、重なりのある集合かといったタイプの検討。B.Suits(1978)など既存研究で特によく行われる
  • 影響関係:X1, X2, X3は、Yに一定の影響を与えている(回帰分析・SEMなど、統計モデルの基本的な想定)
  • 順序関係:本書で扱われるのは認知的な成立の順序(歴史的な発達順序ではない)。[15]
  • 因果関係:順序関係と対比させて単に一回限りでの時系列の変化ではない繰り返し、介入によって何度でも発生する変化のことを示す。[16]
  • 共起関係:同時に語られやすい度合い(先述の通り)

 本書で扱う要素間のネットワークは、概念間に何らかの関係(包含関係、推移関係、相関関係など)を含んでいる。

 こうした取り組みは、本書以前にも、いくつか研究がこれを行ってきた。

 すでに挙げた、ブライアン・サットン・スミス『遊びの曖昧さ』(1997)や、トマス・S・ヘンリックス『遊びと人間の条件』(2015)も、こうした取り組みをすでに行っている。これらの議論は、まさに、遊びやゲームに関わる複数の観察がなぜ存在するのかの説明を試みるために、理論間の不一致と、それらの関係性を統合的に扱おうとしてきた。特に、彼らの議論は、本書での分析対象となる現象よりもより大きな社会学的・民俗学的な論点を扱っており、本書よりも粒度の大きな点を考えるうえでは重要なものである。

 ただ、本書はさらにそこに付け加えようとしている視点がある。

 それは複数の典型同士のネットワークの関係性を検討することによって、どのような典型がどのような説明力の強さを持つのかを示すことである。

 どういうことか。

   ゲームという現象が、複数の現象の関係の中で生じているものであるという視点だけでは、なぜ、(一時的にであっても)「ゲームとはこういうことだ」と断定するような主張が説得力を持ちうる瞬間があるのか。それを、十分に説明できていない。ゲームという現象の説明をするときに、ある特定の説明Aが、BやCよりも強調されうるメカニズムが十分に示されにくくなる。

 もちろん、説明Aを採用する人の捉えられている範囲が近視眼的で、複数の観察が可能だということに気づいていないだけということはもちろんあるだろうが、本書はその立場は採らない。複数の説明がどのような理由によって、対等にならないか。つまり、なぜ特定の説明が強い説明となったり、ならなかったりするのか。そこまで踏み込んで論じることを目指すのが本書の目指すところである。そして、そのための理路として前章までで説明してきたネットワーク的な把握が重要になる。ある要素がハブとして強いことや、創発的な現象にどのように寄与しているかといったことが、ゲームに関わる要素の濃淡の変化を説明する。

 多様な関係を考慮するというのは、基準が混乱しているか、議論が過剰になるように思う読者もいるかもしれない。本書は特定の関係性のみを扱っていないという点において確かに欠点があるように見えるかもしれない。

ただ、本書が扱おうとするのは、そういった雑多な状況それ自体でもある。雑多な形での関係性の入り組み方それ自体が、関係の全体性を構築していると見做したうえで、議論を現象の全体像に迫るための、重要な仮説形成プロセスと捉え、試行錯誤しながら仮説を組み立てていく。

 学際研究の方法論について議論をしているアレン・F・レプコ(2013)によれば、学際研究の意義として、専門分野の知見を統合し、共通基盤の創出を通して、包括的な理解の提示の重要性を強調している。そして、そのための前段として、「知見または理論の不一致とその源を特定する」ことを挙げている[17]

 本書はそのような包括的な理解の提示を目指すものだ。

 もちろん、一人の著者が扱うにはあまりにも広範な話題を含むものであり、実証的に次々と研究結果を提示していくことには限界がある。本書において試みられるのは、実証そのものではなく、実証的なアプローチを考えついたり、それを支えるための基盤となる理解モデルである。

 本書は「科学的」な実証アプローチの結果が書かれているような類のものではない。本書は、思弁的なアプローチを中心にすえる。本書が扱おうとしているゲームや遊びという対象には、曖昧性や多層性があり、概念間のネットワークとして捉えることが、重要だという性質があるからこそ、こうしたアプローチには有用性が見いだせるものだと言える。

2.3.2 これからの議論の地図 —— 本書の構成について

 さて、概念全体の見取り図を考えるということは、さきほどの近似的なネットワーク図だけでは不十分だということだ。しかし、より複雑な要素を捉えようとすると、対象があまりにも捉えがたいものになってしまいそうでもある。そこで重要になるのが、先に述べた「安定性のある特性の発現(創発)」が見いだせるか、という観点である。 

 そして、それを考えるために、さきほどのネットワークのモデルで確認した、ネットワークの拡張と、接続された現象間の中心の切り替わりがどのように起こるのか。そして、要素間の相互作用(循環)が起こるかといった論点について考えていくことになる。

 これを考えていくために、本書は、「ゲームとは何か」を語る上での主要な構成要素とされるもの同士の関係性を一つずつ明らかにしていく、という手続きをとる。たとえば、ルールやゴールといった要素のまとまりがなぜ、非日常的なリアリティを立ち上げるのか?環境適応的な試行錯誤のプロセスと、逸脱的なプロセスがなぜ、相補的に立ち上がるのか?などといった要素と要素の関係について、可能な限り説得的と思える仮説を複数提示していく。

 基本的にはそれだけをやる本だと言ってもいい。

 ゲームのような曖昧な現象に対して、漸進的にそのあり様を明らかにしていくことが本書の目指すところだ。「ゲームとは◯◯だ」というごく短い答えを本稿が与えることはない。本書を読むことによって与えられるのは答えではなく理解である。ゲームのような曖昧な現象が、どのようにその曖昧さを保ちながらも、あたかもひとつのまとまった概念であるかのような振る舞いをしてみせているのか、というこの構造についての理解である。

 先のネットワーク図で見たような、一見どのように結びついているのか理解の難しい、ルールなどの要素定義群、心理的要素、社会的要素といったクラスターを、動的に結びつけているメカニズムは何なのか。

  本書では、それらを繋ぐハブとなる検討対象として、ここまで示したネットワーク図などを手がかりに特に、(1)学習、(2)コミュニケーション、(3)循環の3つの観点の説明に大きな分量を割いていく。これらは、単なるゲームの概念の一要素ではなく、複雑なネットワークの関係性をつなげたり、切り替えたり、維持したりするといった役割を果たしていると想定されるからだ。

 第三部以後の大筋の主張を先取りしておくと、次のようなものだ(詳細は第三部以後の議論によって示される)。

  • 学習説の媒介性:「ゲームは学習である」という説明が、ゲームとは何かを論じる上で、相対的に強力な説得力を持ちやすい。それは、ゲームに関わる諸現象(ルールやゴールの束、非日常、駆け引きなど)の媒介となる性質があり、また、ハブとなっている学習説の状況自体のために他の要素が調整されるからである。

  • コミュニケーションの並列性:ゲームに関わる「コミュニケーション」は、ゲームに関わる説明として学習説とは別の経路で並列的に諸現象のハブとなっている特性がある。諸現象との関係性において、学習説に類似する側面が多くあり、学習説的な説明を、コミュニケーションを基礎とした説明に切り替えることも可能である。

  • 循環としての整理:ゲームを様々な現象間の循環として見る立ち位置(循環論)は、多様な現象の動的な関係を記述するモデルとして強力である。ただし、ゲーム特有の性質以上のものを説明しているため、説明範囲がゲームにとどまっていない。

 そのほか、これに関わる重要な論点として、ルール、非日常(マジックサークル)、駆け引き、物語、依存、快楽などとの関係を整理して示していく。

 本書が論じようとする概念間のネットワーク構造を簡単に図示すれば次のようなものだ。

図3:本書が論じようとする概念のネットワーク

 この図は、単一の中心ではなく、複数の要素がそれぞれハブとなり、互いを媒介し合うネットワークとして、ゲーム概念が構成されていることを念頭に置いている。本書は、この概念ネットワーク間の様々な関係を論じるという目的のもと書かれているのだということを理解しながら読んでもらえればと思う。


[1] ほかは、イタリア語「gioco」、韓国語「게임」、中国語「游戏」、ヒンズー語「क्रीड़ा」ポルトガル語「jogo」、スペイン語「juego」
[2] Collins Online Dictionary https://www.collinsdictionary.com/dictionary/english/game <2026年2月11日閲覧> 。フォーマットが統一されており、多国語を扱う同一辞書であるという観点から、ある程度比較に向いているものと思われたため、この辞書を用いた。とはいえ、印欧語の定義の分厚さに比べると、日本語や中国語などの記述が薄く、非印欧語も含めた本格的な辞書の意味ネットワークを調査するのであれば、別のアプローチをとる必要があるだろう。ここでは、あくまで探索的な予備調査としての位置づけであることに注意されたい
[3] この作業で抽出された22の意味は次の通り:a. 楽しみのための活動 , b. 競技 , c. スポーツ, d. 試合の構成単位 , e. 賭け事 , f. 策略 , g. 駆け引き, h. 機械などの「あそび」 , i. 一式・セット , j. カードの手札 , k. 狩猟の獲物 , l. 演技・演奏・表現 , m. 光や波などの「効果・作用・揺らめき」 , n. 個人の技量・プレースタイル , o. やる気がある・乗り気な , p. 言葉遊び , q. 運命・自然のいたずら , r. 競技場・コート , s. 容易なこと・子供だまし , t. 働き・作用・機能 , u. 真剣でない態度・戯れ , v. 身体の動き・関節の可動
[4] なお、より本格的な現代語や古語まで含めた辞書的な意味定義のネットワークを定量的に示すという作業は、別途、準備中である。ここでは、いったんの取っ掛かりとなる予備調査の結果ということでご了承いただきたい。
[5] より細かな手法については次を参照:井上明人(2025) 「多様なゲームの定義論の論点間ネットワーク – 各定義の論点重複データの作成と分析に基づく整理 -」『日本デジタルゲーム学会 日本デジタルゲーム学会 第15回年次大会 予稿集』日本デジタルゲーム学会, , pp. 293-298
[6] Csikszentmihalyi, M. (1990) Flow: The Psychology of Optimal Experience, New York: Harper Perennial.
[7] エリス, M. J., 森楙・田中亨胤・大塚忠剛(訳)(1973=2000)『人間はなぜ遊ぶか―遊びの総合理論』, 黎明書房. Ellis, M. J. (1973) Why People Play, Prentice-Hall.
[8] コスター, R., 酒井皇治(訳)(2005)『「おもしろい」のゲームデザイン』, オライリー. Koster, R. (2004) Theory of Fun for Game Design, O’Reilly Media, Inc.
[9] 渡辺修司・中村彰憲(2014)『なぜ人はゲームにハマるのか 開発現場から得た「ゲーム性」の本質』, ソフトバンククリエイティブ.
[10] スーツ, B., 川谷茂樹・山田貴裕(訳)(2015)『キリギリスの哲学』, ナカニシヤ出版. Suits, B. (1978) The Grasshopper: Games, Life and Utopia, Toronto, Canada: Broadview Press.
[11] Costikyan, G. (2002) “I have no words & I must design: Toward a critical vocabulary of games,” In Frans, M. (Ed.), Proceedings of Computer Games and Digital Cultures Conference, Tampere, Finland: Tampere University Press, pp.9–33.
[12] Henricks, T. (2015) Play and the Human Condition, University of Illinois Press.
[13] 少なくともこの原稿執筆時点の2026年1月時点では
[14] また、このネットワーク図の一次資料となった素材は自然言語の一般用法や行為観察ではなく、研究者のテキストである。したがって日常言語の語感分布を直接反映するものではない。さらに、英語圏・日本語圏への偏りが残る点にも注意したい。詳細は井上2025を参照
[15] アリストテレス主義的な因果関係として整理されるもの(スティーヴン・マンフォード、ラニ・リル・アンユム著/塩野直之、谷川卓訳(2017)『哲学がわかる 因果性』岩波書店 (Mumford Stephen and Anjum Rani Lill. 2013. Causation: a very short introduction. OUP Oxford. p.73)
[16] ヒュームの「恒常的連接性」概念(規則性・時間的先行性・近接性)が本書で想定する因果関係に近い。統計的因果推論などで「介入が結果を変えるもの」という意味で用いる場合には「因果効果」という表現を別途行う。
[17] アレン・F・レプコ(2013)『学際研究』九州大学出版会, p.123において、10のステップとして整理されている。

この記事は、2026年2月23日に公開しました。本連載では、書籍に掲載される内容とは別に、連載としてはゲームに関わる多様なトピックを扱っていきます。概念間の関係性についての詳細な議論はぜひ書籍刊行をご期待ください!
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