橘宏樹と申します。国家公務員をしております。この「Government Curation(略してGQ)」は、霞が関で働く国民のひとりとして、国家経営上本当は重要なはずなのに、マスメディアやネットでは埋もれがちな情報を「官報」から選んで取り上げていくという連載です。本稿に懸ける僕の志についてはこちらで述べさせていただきました。

 さて、安倍総理の辞任を受け、菅政権が発足しました。支持率も歴代3位の74%とのことで、官房長官として安倍政権の「骨格」を担ってきた実績などから、まずは安心感を与えることに成功しているように思われます。

菅内閣の支持率、歴代3位の74%…読売世論調査「他によい人がいない」30%(読売新聞 2020年9月21日)

 また、菅総理は、秋田の成功したイチゴ農家の、町議会議員を務めたご家庭の出身ではあるものの、安倍前総理や麻生副総理、小泉元総理のように、スーパーサラブレッドな世襲政治家の家系ではなく、「たたき上げ」のイメージもまた少なからず歓迎されているようです。
 さて、菅総理は今後どのような政策を展開していくでしょうか。これまでは官房長官として主に調整を担う役どころだったので、表にはなかなか表れにくかったと思いますが、実は、霞が関のなかでは、菅総理ご本人の政策観としては、かなり改革派なイメージが共有されていると思います。
 どちらの方向に改革派かというと、これはあくまで僕が受けている印象ですが、いわゆる新自由主義に類するものです。ただし、弱者切り捨てというより、甘えやタカリを許さない方向に意識が強い印象です。持続可能な経済のために、自主自立して生きる道を考える。自民党総裁選でも、スローガンとして「自助・共助・公助・絆」を掲げていましたが、まず最初に「自助」が来ていることに、ご本人の重きがあるのではないかと思います。そう考えると、かつて自身が実現したふるさと納税も、地方も補助金頼みじゃなくて、自分でおカネを集めて自力で生き残れと、発破をかける趣旨を含んでいたようにも読み取れてきます。なので、いわゆる支持基盤に利益誘導するというような施策は嫌いそうです。党内では現在、派閥無所属に落ち着いていることもその状況証拠と言えるのではないでしょうか。なので今後は、これまで補助金をあてにしてきたような企業・業界等に対しては、自ら立て、と、ある意味、厳しい政策を取ろうとするかもしれません。もっとも、安倍政権の「継承」を掲げていますし、自分を担いでくれた党内の各派閥への配慮はあるでしょう。しかし、「いやいや、来年9月の総裁選までは好きにやらせてもらう」と腹を括って突っ走るかもしれません。

 ちなみに、今のこの菅総理を取り巻く政治状況ですが、僕は、先日亡くなった台湾の李登輝元総統が総統代行に就任した1988年の台湾になんだか酷似しているなと感じています。
 李登輝氏は、当時、誠実・実直で実務能力に長けた人物との評価から、地元台湾出身の「たたき上げ」(当時の台湾与党の国民党は中国本土から逃げてきた外省人が要職を独占)として異例の抜擢を受け、副総統の地位に昇り詰めていました。そして、世襲リーダーの蒋経国(蒋介石の息子)総統が亡くなった際に、党・軍・政府を掌握していたそれぞれの派閥が相談して、大人しくて無害そうな李登輝副総統をいったん皆で担いでおく(その下で権力闘争をあらためてスタートさせる)ことで一致し、李登輝総統を誕生させました。すると、大人しく無害そうであったはずの李登輝総統は、三つ巴で見合っている党・軍・政府の各リーダーたちをぶつけ合ったり、彼等の失態・失脚に付け込んだりして、あれよあれよという間に、自分の政権基盤を確固たるものにしてしまいました。その後の台湾民主化をはじめとした改革の功績については、あらためて語るまでもありませんが、さて、たたき上げ、保守系世襲リーダーを支えてからの継承、無所属、派閥均衡、秘めた改革精神。菅総理の現況とよく似ていないでしょうか。

 李登輝氏は豹変したようにも見えますし、その時その時、自分のするべきだと思った仕事をしただけだとも言えるかもしれません。菅総理は、これまでの内閣人事局を通じた差配を見る限り、人事権を駆使して官僚組織を動かす術に長けた方です。自分の派閥がなくとも、人事権をテコに、ここから党内基盤を築き上げることも不可能ではないかもしれません。

官僚は優秀なのか

 さて、今回のGQでは、ちょっと官報を離れて、総理交代という大イベントを機として、総理の手足である官僚機構全般に関して、昨今、僕が感じている本質的な危機について書きたいと思います。今の霞が関の官僚は、本当に優秀なのでしょうか。僕はちょっと自信が持てなくなっています。今の霞が関は、真の意味で、国民全体の役に立てる状況ではなくなってきている可能性があります。
 以下、官僚の仕事、求められる優秀さを4点にまとめて整理し、これらをめぐる変化と問題を指摘した上で、その変化に対応し問題を解決するためにはどうすればよいか私論を述べてみたいと思います。いつもは多くの公開情報から議論を構築するのですが、今回は、僕自身の肌感覚を一次情報として報告する形をとろうと思います。

官業とは何か

 官僚は、いい大学を出て難しい試験に合格した人たちが働いているということで、優秀だとか、机上の空論ばかりで優秀でないとか、色々議論があります。
 もちろん、ひとくちに霞が関における優秀さ、と言っても、総合職(幹部職員になり、もっぱら国会対応や政策の企画立案に携わる国家公務員)と一般職(幹部職員になることは稀だが、政策の執行実務に通暁する専門性の高い国家公務員)では求められる能力は異なりそうですし、省庁や部署によっても、仕事は千差万別です。

▲霞が関の一般的な職場風景(画像出典

 しかし、それでも、僕は、ざっくり言ってしまえば、公務員の仕事とは、とどのつまり、

①良い選択肢を
②早く
③説得的な論理と根拠を添えて、提案し
④関係者から理解を獲得すること

に尽きるのではないか、と思います。

 新薬の認可をするのも、国会議員の質問に答えるのも、ダムを建設するのも、個々の公務員がやっていることの大半は、この4点に尽きるのではないでしょうか。そして、①~④において、より優れた能力があるというのが、優秀であるということだろうと思います。以下、官業を分析しながら、官僚の優秀さの現在地をそれぞれ確認していきます。

①「良い選択肢」とは

 結局どうすればいいか、数ある選択肢を提示しつつも、担当者として結論を出すということです。個人の都合、上司の都合、課の都合、局の都合、省の都合、政権の都合、国民の利益などなど、全てを勘案した判断能力が求められます。情況変化や上司の指示によって、どれが「良い選択肢」なのかは、コロッと変わることも多々あります。しかし、柔軟に対応しつつ、過去の判断との一貫性も守らないといけません。矛盾や対立がある際に、判断能力の真価が問われます。

②「早く」とは

 そのままの意味です。CPUやメモリの性能の良さそうな人材を採用したがる理由でもあります。つべこべ言わない、もじもじしない性格も大事です。特に③「説得的な論理と根拠を添えて、提案」では普通に作業時間を食いますから、説得的な論理を即座に構築するロジカルシンキングの能力や閃きが大事です。経験や記憶力、メモ取りや記録を整理保存する力も反映されてきます。また説得的な根拠を探すスピードにおいては、リサーチ能力もさることながら、そのことに詳しい知り合いが多ければ早く結論にたどり着けますから、人脈力も反映されてきます。

③「説得的な論理と根拠を添えて、提案し」とは

 つまり、そのまま記録に残して大丈夫か。官邸や幹部や国会やマスコミ等に問われても、説明として通るかどうか、立ち続けていられるかどうか、ということです。特に、説得的な論理や根拠がないときに、どうやって捻り出すか、能力の真価が問われます。

④「関係者から理解を獲得すること」とは

 文字通りです。必要なのは、端的に伝えるチカラです。文章能力や作図能力、コミュニケーション能力やプレゼン能力も当然含まれます。関係者の範囲を過不足なく見切るチカラも必要です。相手によって、説明方法も変幻自在である必要もあります。特に、③「説得的な論理や根拠」がないときに、能力の真価が問われます。調整においては、玉虫色の文言を捻出したり、先送りにしたり、なし崩しにしたり、時に腹芸も必要です。相手に泣いてもらうためには、「貸し」を消費しなくてはいけないでしょう。粘り強さも必要です。マメに足を運んだり丁寧に電話やメールをしたりして、力技や泣き落としで説得する能力も含まれてきます。気力と体力、愛嬌や厚かましさ、やくざ的な乱暴さも動員されます。

 この①~④が官の仕事であることは、税を用いて公のために政治に仕えて活動する限り、ゆえに常に説明責任が求められる限り、昔も今もこれからも、基本的に変わらないと思います。世の中の事務一般においても、結構当てはまるかもしれませんが、営利企業であれば、儲けが出るならば省略される部分も大きいかもしれませんね。

 しかし、今、①~④それぞれの中身や求められる能力の質が大きく変わってきていると思います。そして、霞が関の人材が、これらにどれだけ対応できているかどうか、やや心配なのです。

官業の質的変化──情報弱者化する霞が関

①「良い選択肢」をめぐる変化と問題

 これが今回の稿で最も僕が言いたいことなのですが、国民にとって良い選択肢を提案する、また判断する能力を支える、霞が関がアクセスしている情報の質と量が低下してきているのではないか、という危惧を肌で感じています。というのも、最近、各省の友人と話していると、「〇〇について、~大臣、~議員から聞かれた。回答せねば」となったときに、〇〇について、担当班の誰もが知らない、わからない、ということが随分増えているようです。聞かれてから大慌てで調べ始めるわけですが、妥当な回答をする地力となる基本的な見識からして不足していて、かつ、知らないとも言えないので、だいぶ苦戦しているようなのです。はたで聞いていると「担当部署なのに、そんなことも知らないのか」と、僕ですら思うようなことまであります。これまで、霞が関は、議員先生にレクチャー申し上げる存在であってきたはずです。なぜこんなことになってしまっているのでしょうか。霞が関は日本最大最強のシンクタンクだったのではないでしょうか。

 霞が関は、これまで、業務の中で、審議会の有識者、調達先の業者、業界団体からの陳情、新聞記者、シンクタンク職員、OB・OG、同期、他省庁の知り合い、出向先・元の同僚、地方支分部局、都道府県、市町村などと接する機会のなかで、様々な生情報を得てきたと思います。ペーパーに残せないような事実実態、広く深い世界の真実に関する本質的な情報ほど、そういう経路で入ってきます。ですから、彼らとの飲み会や雑談の機会は、国際情勢や日本社会を掌握する上で、非常に重要な情報収集の機会だったと思います。これだけの多種多様な人々からの情報が集中的に集まる存在が他になかったので、霞が関職員は情報強者として君臨してこれたのだと思います。

 しかし、昨今、業務多忙のなかで、これらの人々とは必要最小限の接触しか持てないようになっているように思います。審議会の有識者や調達業者も、お馴染みの範囲から選ぶようになり、談合や情報漏洩や天下り斡旋をしているように思われないようにという意識から、付き合いを広げることの難易度も高まっているように思います。また、ビジネスの進化、発展によって、官との関係をまったく必要としない業種業界の範囲も拡大し、最先端のビジネスやテクノロジーの状況を、霞が関は意外と把握していないということも珍しくなくなっています。ややもすれば、官を必要とする、言ってしまえば甘えやタカリによって生計を立てている既得権を守りたい業種業界の人々にばかり囲まれ、彼らの方向を向いた政策を打つことだけが、霞が関の仕事になってしまう危機に瀕しているきらいがあります。「官民交流」「官民連携」という言葉が踊るたび、「民」(民間)とは誰を指しているのか、いつも気になってしまいます。これまで官と交流や連携ができていないが、した方が公益が前進するのが「民」という意味のはずです。その実際の中身は、まったく官を必要としていない自主独立的な「民」でしょうか。それとも、おこぼれにまだあずかれていない「民」でしょうか。はたまた、官に常時出入りしている「民」でしょうか。

 このように情報源の縮小と知見不足が悪循環する霞が関を相手にしていても、埒があかないので、規制緩和等を求める最先端のビジネスやテクノロジーに関わる人々は、まっすぐ、勉強家の与党政治家にアクセスし、付き合いを深めていく。そして、霞が関に質問が飛んでいく、という状況が進んでいるようなのです。見識のある政治家が増えることは大変良いことだと思いますが、霞が関が質問内容についていけないのは、当然まずいです。
 
 こうなってしまった最大の原因は、やはり国会対応の負担増だと思います。その結果、特に、将来、企画職に就く総合職職員が、若手時代に、国会対応や総括窓口といった省内の動きを俯瞰はできても、言ってしまえばくだらない質問に屁理屈こねる連絡調整に深夜まで振り回されるだけで、広く深い世界の真実を学べるわけではない部署に配置される人数・期間が増えてしまっています。その分、体力もあり頭も柔らかい若手のうちに、執行を担う酸いも甘いも知り尽くした一般職のベテラン大先輩にガッツリと指導を受けて、政策執行の現場の実態を骨身に刻んだり、多種多様な業種業界の利害に触れて、広く深い世界の真実に関する見識を養い、公益とは何かを哲学する機会が激減していると思います。

 そうした滋養の貧しい若手時代を過ごした総合職人材が、いざ政策の企画立案を担当するようになった際、彼らの発想する政策に、総合性、創造性、的確性、先進性などは期待できるでしょうか。現場を知る一般職の信頼をどれだけ得られ、彼等のネットワークと見識をどれだけ理解し、活用することができるでしょうか。国会対応の負担増は、霞が関の企画力の育成を著しく阻害していると思います。
 そしてそのことの実害は、わかりにくくなっています。なぜなら、従来的な既得権の方を向いた政策の焼き直しをし続ける上では、この状況は、むしろ好都合だからです。現状維持を望む人々にとっては、自分たちの窮状以外に目を向けられるのはリスクです。官僚は情弱である方が助かります。なので、官僚の情弱を憂う声は表に出にくいのです。
 
②「早く」をめぐる変化と問題

 当然、前例チェックやリサーチ、情報管理やデータ分析など、ICTやAIなどテクノロジーを取り入れる余地が広がっています。一部取り組みも始まっています。社会経済のグローバルな変化スピードが日ごとに早まる中、いかに情報処理能力の高い人材を集めて作業しても限界があります。今、スピードを上げるために求められている能力は、ルールを変える能力だと思います。いちいち閣議決定にかけないとか、残業時間の削減を幹部昇進の条件にするとか、間違いがあったら訂正して謝れば良しとするとか、手続きやルール自体を変えることではないでしょうか。現行の手続きを所与とし過ぎだと思います。説明責任と作業コストをバランスさせる、新しい手続きを構想するデザイン力やルールメイキングの力が現代の官僚の優秀さの新条件ではないでしょうか。シゴトの早い人を評価し、急いで夜通しやるのではなく、そもそも人力でやろうとしないという発想が大事だと思います。しかし、それを考える余力も思考材料もないのが現実です。

③「説得的な論理と根拠を添えて、提案し」をめぐる変化と問題

 提案が政治からの陳情等に端を発した政策(補助金)である場合、省としては説得的な論理と根拠がなかったりします。しかし、そのことを公式に言うことができず、苦しむということは少なからずあります。ですが、財政は逼迫している(はずの)なかで、社会的な効果の確認や透明性はいっそう求められています。それゆえに、社会的なアウトカムやインパクトのために統計分析を基に正面から向き合う、ずばり、3年前の拙稿でも話題にしたEBPM(Evidence Based Policy Making:証拠に基づく政策立案)の推進について言及がなされてきています。

 陳情側にとって、また、陳情に応対するだけで手いっぱいの職員たちにとっては、EBPMなど面倒で、辻褄合わせの手間がまたひとつ増えた、と捉えられているかもしれませんが。

④「関係者から理解を獲得すること」をめぐる変化と問題

 やはり、かつてより、国会対応に時間と労力を取られ過ぎていると思います。通したい法案を関係議員に説明して回ったり、伺った意見を反映して、また説明したり。特に、質問主意書に対する回答の負担は大きいです。というのも、7日間で閣議決定を行わねばならず、各省との調整が必要で他の仕事は全て止まってしまいます。年々質問主意書の数も増えているのですが、数よりも、内容が問題です。いたずらに調整コストがかかる内容だったり、質問相手は政府ではないのではないか、という内容だったり。生産性の低い仕事を生む議員からの質問の具体的な内容については、下記の記事が詳しいです。

「過労死しても変わらない」霞が関のブラック労働 「票にならないから」問われる政治家と国民の本気(弁護士ドットコム 2020年9月21日)

 とはいえ、野党議員が政府に質問する質問主意書は、議会制民主主義において、非常に重要な手段です。軽視されてはいけません。しかし、回答期限や決裁手続に関するルールを見直すべき時期にきているのではないでしょうか。

官僚が優秀であり続けるためには、どうすればよいか。

 霞が関のパフォーマンスを維持発展するためにはどうすればよいか。まずは、上記で何度か言及しているとおり、政府の説明責任に関するルールを改正して、国会対応の負担を減らすことだと思います。具体的には、例えば国会法の、

第七十四条 各議院の議員が、内閣に質問しようとするときは、議長の承認を要する。
2 質問は、簡明な主意書を作り、これを議長に提出しなければならない。
3 議長の承認しなかつた質問について、その議員から異議を申し立てたときは、議長は、討論を用いないで、議院に諮らなければならない。
4 議長又は議院の承認しなかつた質問について、その議員から要求があつたときは、議長は、その主意書を会議録に掲載する。

第七十五条 議長又は議院の承認した質問については、議長がその主意書を内閣に転送する。

2 内閣は、質問主意書を受け取つた日から七日以内に答弁をしなければならない。その期間内に答弁をすることができないときは、その理由及び答弁をすることができる期限を明示することを要する。

第七十六条 質問が、緊急を要するときは、議院の議決により口頭で質問することができる。

 このあたりの条文を改正して、質問のクオリティを確保したり、国会職員や政策秘書や政策コンサルタントに任せて官僚の出番を減らしたりすることを、国会側が差配するべきでしょう。

 ちなみに、政官接触禁止については、癒着や口利きを防止する観点から、国家公務員制度改革基本法によって、記録公開義務が課せられていますが、こちらが骨抜きとなっている、という批判が寄せられました。

「政官の接触記録は残されているのか?」 / 日下部聡×三木由希子×荻上チキ(SYNODOS 2016年5月11日)

 とはいえ、個人的に思うに、癒着や口利きについては、官側としては、組織防衛の観点から、普通に記録に残したいと考えると思います。本稿の関心事は、政策の立案や実現に関係する政官の間の情報交換機会は維持しつつ、これに資しないコミュニケーションを強いられる件数を減らすことにあります。

 そして、こうしたルール改正によって、官僚の体力的、精神的、時間的余裕を確保したあかつきには、その分、良い仕事ができるように、すなわち、

①「良い選択肢」を提案できるように

・総合職には若手のうちになるべく執行現場を経験させベテラン一般職の師匠にたくさん師事する機会を確保する。
・従来的情報源に加えて、副業を積極的に評価したりするなど、広く深い世界の真実に触れる機会を増やして、情報源の数と多様性を維持発展させる。

②「早く」やれるように、

・現代では不要又は圧縮可能な説明手続きを省くべく手続規定を改正する。
・ICTやAIなどのテクノロジーを積極導入して人力作業を削減する。

③「説得的な論理と根拠」を添えられるように、

・EBPMを推進する。

④「関係者から理解を獲得」できるように、

・広く深い世界の真実に関する見識に立脚した説得力を身に着ける。

といったことができると良いなと思います。

まとめ

 昨今、若手官僚の辞職数が増えたり、霞が関の働き方改革が必要であったりという文脈で、公務員制度改革が語られることは増えています。TwitterやYouTubeでも、現場目線の発信を行う(元)若手官僚も増えました。労働者としての公務員の人権侵害が進んでおり、霞が関の労働環境の改善するため「ムダを省くべき」という議論はよく聞かれます。
 しかし、何がなぜ、どうムダなのか。ムダによって生じている真の損害は何か。解像度を上げた分析はあまり見かけないので、霞が関の「中の人」として今回これを行ってみたところです。
 
 その上で本稿は、霞が関のブラック化によって、霞が関が情報弱者化し、本業でのクオリティが落ちていること、そして、それは、既得権益には利するがゆえに、問題が顕在化しにくい、ということを、指摘したいと思います。

 というのも、これは、甘えとタカリに厳しそうな新総理の要望に、霞が関が今後十分応えられるかどうか、ということに直結してくる問題だと思われるからでもあります。

 そして、やや大げさに言えば、官僚が忙殺されている結果、政府が、事実上、構造的に、広く深い世界の真実に関する全体観を失い、公平性・公正性・中立性を損なっていく趨勢にあることは、我々主権者として、極めて由々しい事態なのではないか、と思うからです。

[了]

この記事は2020年9月28日に公開しました。