滋賀県のとある街で、推定築130年を超える町家に住む菊池昌枝さん。この連載ではひょんなことから町家に住むことになった菊池さんが、「古いもの」とともに生きる、一風変わった日々のくらしを綴ります。滋賀県もいよいよ冬本番。今回は冬至から元旦にかけて、厳しい寒さを乗り切るため菊池さんが手掛けたさまざまな試みをお届けします。
この記事は、PLANETSのメルマガで2022年2月22日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。あらためて、2022年8月4日に公開しました。
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端的に言うとね。
冬と暮らす
これを書いているのは七十二候でいう「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」である。
つまり沢の水が凍ってしまう一年で最も寒い時期。二十四節気では「大寒」だ。
12月に入り冬至を中心にして「小雪、大雪、冬至、小寒、大寒」と続くこの期間が日本の冬である。この時期の自然の移ろいや行事を見て、聴いて、味わって、触って全身を使って享受すると頭や理屈だけの蓄積だけでないことがストーンと落ちてくるのがわかったのだ。
冬ってなんだろう。
12月に入り小雪(11月下旬から12月上旬)に入ると、だんだんと日も短くなり寒さも増す。夕暮れになると寂しさも増して個人的には好きではない。都市の気密度の高いマンションでは感じられないのは、ちょっとした風の動き、日差し、虫もほとんどいなくなった庭に鳥たちが降り立つ頃。対して古家にいると、冬の匂いがするような毎日の変化がわかる。自分の立っている地点から全ての自然を相手にして暮らしているのだ。田舎びとにとっては人づきあいも自然の一部。「寂しいなぁ」なんて言って何もしないと、自然に飲み込まれてしまうのだ。この感覚は東京にいるときにはなかったものだ。人が住まなくなった家や地域は、植物や動物すなわち生物の進入度が高くなる。そして長い時間をかけて取り込まれ自然の一部になって(戻って)しまう。それだけ強烈なものがそして毎日の自然の営みなのだ。
それを感じる生活を送っていると、自然との関わりを保っていくのが日々の暮らしだとわかってくる。冬はそれを最も感じる時期だ。
そこで、冬眠生活を始める前に、庭の片付けをして少し先のことをする。
庭の落ち葉をかき集めて土中コンポスト(堆肥)を試してみた。肥料を使わずに庭を植物や他の生物をその土に戻す作業だ。土を少し掘って、分解しやすそうな柔らかい枯れ葉を収めて滋賀県の無農薬の農家さんからもらった米糠を混ぜて土を被せる。それだけ。引っ越す前に納屋があった場所は土が建物の重さで固まっているためか雑草すら遠慮がちなので、そこで試してみる。春はどうなっているかな、と楽しみにしつつ、イチゴの苗を植えてみた。これから雪も降るのに枯れないのだろうか? 答えは枯れない。1月25日の今日でもガッツリ生きている。
ジョセササイズという「前向き」な雪かきがある。
この冬は昨年と同じ12月18日が初雪だったが、積雪量が倍くらいあった。滋賀県の東側は豪雪地帯ではないので除雪車を見たことがない。町内はおおよそ9時少し前からみんなでてきて除雪をするのが慣わし。私が出るころにはおおよそ終わっていて、おじちゃま方は「冬は運動不足になるから雪かきはちょうど良い」とおっしゃる。そういう前向きな考え方は福島県の豪雪地帯西会津で始まった「ジョセササイズ」に似ている。体を壊さず、怪我せず除雪をエンタメ化したこの協会は、全国の除雪をする人たちならば誰でも入ることができる。しかもデザインもよくオシャレで気分が明るくなる。除雪前の体操で腰を痛めずに雪かきをするポーズがおもしろおかしく描かれているのだ。ちなみに町内の流儀は、北側に雪を除けてはいけない。側溝は雪を溶かすのに有効に使う、という2つのみ。
待ち遠しい冬至と太陽。
かつての私は、冬至が待ち遠しかった。1日の半分は夜。夜が長いと切なくなるし、気分がどんよりしがちになる(のに気づくことが多い)。だから冬至を迎える日の気分は最高だ。明日から夜の始まりが向こうにいく感覚で、体が希望を持てるようになる。そうして明るさと希望が増していく中で、年末年始に向かっていく。オフィスにいる年月が長すぎて、この感覚が大人になってから抜けていた。そのことを、いまの暮らしは思い出させてくれる。
蛍光灯色で変わらない景色とは一変、朝は遅めに起きて庭にでて温度と湿度を感じ、焼梅干のお茶をいただく。洗濯物を干してどれくらいで乾くか想定してみる(乾燥機的利便性の逆で、感覚を養う)。お昼になると、日暮れまであと何時間かと気になる。16時がすぎるともうすぐ暗くなるなぁと寂しくなり、夜になって一杯やる。一日中太陽を気にしているのは、明るさや暖かさが植物のように私たちにも大きな影響を持っているからだろう。まるで自分が植物になっているかのようだ。
大晦日・正月・小正月は節目
年末年始には厳かさがあり、また楽しいイベントが多い。季節の変化に左右されず、文明の利器にすべてを委ねた生活を送っていると気づかないが、無事に1年を終えられることの意味を今一度考えてみたい。冬は夜が長く、そして寒さで活動も食材も限られる。そんな自然の厳しさを乗り越えられたことへの畏敬の念が、日本では毎年の神様へのお礼参りや、地域のお祭りとして表現されている。そしてまた新しい年も無病息災で過ごせるようにと神社やお寺でお参りをするのが、初詣という習慣の本来の意味だったのだと思う。
ただ、もし人類がこの先エネルギー問題を解決できなければ、冬はまさに命の危機と隣り合わせの季節へと逆戻りする。「無病息災」はこれから災害や感染症に対峙していく我々の生活環境では、簡単な願い事でなくなるのかもしれない。そんなことを、冬と暮らす感覚を取り戻していく生活の中で、ふと考えさせられる。
冬の断熱と暖房
築130年の古民家は障子や襖の枠と柱の間に垂直ではない隙間や、土壁と柱や梁の間に細く日差しが差し込む隙間など荒屋的「趣のある隙間」が多いので、冬はガスストーブだという工務店さんの言うことを信じることにした。そうして暮らして1年経って工務店さんがガスストーブをお勧めした理由は、部屋の温まるのに掛かる時間が速いからだとわかった。ガスストーブは、スイッチを入れた瞬間から足元が暖かい。ただしガスストーブに使われるLPG(液化石油ガス)はコストが高いのと二酸化炭素が発生するのも特徴であり、古家の戸建てに暖房を備え付けた寒い地方の家庭から排出される二酸化炭素量Mapを見ると、自然環境が良いはずのエリアが赤くなっているのに愕然とする。弊町も、悪くはないけれどよくもない。圧倒的にマンションという機密性を備えた空間でエアコンを利用している都市部の方が二酸化炭素排出量が少ないのだ。これを知ったときの衝撃は大きかった。
もしコスト度外視で二酸化炭素の排出を抑えるなら、我が家の場合はエアコンのある部屋に移動して隙間という隙間を様々なホームセンターで調達した小道具でふさぎ倒し、エアコンの室温を18度設定にして、ヒートテックを重ね着するというスタイルに変更すればいい。そうすると見た目は悪くなるが、実行は十分可能だし、二酸化炭素計は「青い」ままで済む。やればできるのである。あとは来月の電気代はどうなっているか、全ては実験と検証なり。
ただ、できれば町の景観を変えないまま、この問題を片付けられればいいのにと考えている。断熱性能をよくする手っ取り早い方法は集合住宅であり、戸建の場合は屋根、天井、外皮、床の性能を考えるとハウジングメーカーデザインの家になりがちなのが現状だ。二酸化炭素を太い梁や柱に長い間閉じ込めている130年古民家の場合は、せっかくCO2排出の大きな原因になっているコンクリートを使用せず日本の佇まいを残しているのに、冬はCO2を排出せざるを得ない実態がある。生態系とともに暮らしている楽しい家なのに、CO2を排出して気候変動や地球生態系への悪影響になる。この矛盾を解決するのが私のミッションのような気がして、ここ1ヶ月ずっと解決策を考え続けているし、上記もそのための実験の一つだ。
※家庭部門CO2排出量Map(世帯当たり2015年)国立環境研究所(出典)
※家庭CO2の市町村別推計:地域特性に応じた対策の推進に向けて 特集 持続可能社会のためのまちとしくみの評価 2020年5月国立環境研究所(出典)
元旦に麹を起こす。
糠漬けを日々ケアしていると生き物を感じ取りドキドキする。見えないものが味を変え、温度を変え、匂いや色を変えている。糠漬けは春夏のイメージがあるが、なんのなんのこの寒い冬、糠床温が6℃を切ったってpHは4.3、乳酸菌はガリガリ働いている。私は定期的に糠床のpH計や温度計や塩分濃度計を仲介に会話している感じなのだが、元旦からさらに得体のしれない米麹造りを始めた。蒸した米にコウジカビをつける日本特有の発酵の素が麹である。暮らしの中で麹を用いる幅は広い。調味料(醤油、味噌とか)、甘味料(甘酒、お砂糖の代替品)、醸造酒などなど。しかも日本コウジカビというれっきとした「カビ」は、米だけでなく麦にも大豆にもつく(他にはつかないのかな?)。特に秋冬は日本酒の造りのシーズンだ。蔵元をいろいろお訪ねした経緯もあり私の麹の原体験は日本酒で、寒さで活動が止まりがちな静かな冬に、麹と静かに温かくしながら戯れる世界に移り住むことにした。
米を蒸し、群馬の土田酒造さんからいただいた種麹を振り、加温してコウジカビにお出ましいただくのだが、準備から仕上がりまで4日くらいかかる。初回はテキストは見ず今までの知識見識でやってみた。上出来とは言い難いがいい匂いはした。白かったり緑だったりする。食べてみると甘い。すぐに甘酒を作って発酵させてみる。6時間後、甘い飲んだことのある液体、まさに甘酒ができた。知識見識として知る発酵と、手を動かす発酵の差は大きい。びっくりする。慣れてきたらわからないが、この感動はズドンと落ちてくるものがあり、家つき酵母のある家を目指す私に、ようやく発酵の結界を越えて新たな旅が始まった気がした。
4日かけて麹を作ってみた。思ったよりいい出来。その麹を使ってさっそく甘酒を作ってみた。麹造りは奈良時代には既にアジアから伝来していた古い技術。そのせいか、なんとなくうまくいく。家にもいろいろな菌がいるのだ。
[了]