この書評コーナーでは、暮らしにまつわる本を紹介しています。アウトドアとか自然とか、そういったものを含めた「暮らし」です。今回ご紹介するのは2018年11月刊行、フードライター・白央篤司さんの『自炊力~料理以前の食生活改善スキル』です。白央篤司さんは、食べ物系の記事や企画のライティングをしている方です。Twitterのフォロワーもとても多くて、ネットでの発信に熱心な、僕と同世代くらいの方ですね。ちょっと余談になるんですが、いま(2018年放送当時)世間では「西川口の中華がアツい!」と盛り上がっていて、実際、僕も食べにいったりしたんですが、白央さんは西川口在住ということもあって、この西川口中華ブームの火付け役の一人と言ってよい方だと思います。そんな書き手の本ですね。
 
 この本のメッセージは、「自炊の力をつけることで、体に気を付けてちゃんと食べろよ」です(「お手ごろに」ってのもあるんですが、「体に気をつけて」の方がが中心だと感じます)。ひとことで言うとそういうことなんだけど、今の時代にこれを言うのって、実はすごく難しいことなんだよなって僕は思うんです。この本は、その困難を引き受けていて、一見するとライトな本に見えるんですが、実は繊細な手続きで配慮を重ねた一冊なんですよ。立派なお仕事だなと思い紹介する次第です。

 では、この本が、今の時代に自炊を勧めることの、どんな困難を引き受けているのか。まずは、いかにジェンダーフリーなかたちで自炊を勧めるかという点ですね。まあ、ある程度は一般化されてるとはいえ、まだまだ料理となると、「主婦なんだからちゃんと料理しろよ」といった類の性別による役割分担的な発想って紛れ込んでしまうんですよね。その点に対する行き届いた配慮が本書ではなされています。
 そしてもうひとつ、ここが本書の一番大きな点だと思うのですが、反パターナリズム的だってことです。パターナリズムってわかりやすく言えば、親が子に教えるように「お前のためだ」と強いるのがパターナリズムですね。そんな上から押し付けるようなかたちで何かを勧めるやり方って、今の時代には問題ありますし、通用しません。でも、「体に気を付けてちゃんと食べろよ」っていうことをパターナリスティックにならずに言うのって、けっこう難しいことなんです。なぜなら、「ちゃんと食べろ」って、まさに親が子どもに言うもっとも基本的な命令だからです。いかに、パターナリスティックにならずに自炊を勧めるかという点に、この白央さんは最大限の配慮をしているように僕には見えました。パターナリズムに陥ることを避けて、「料理くらいできろよ」っていう言い方はしないんですね。そしてさらには、「料理は楽しいからやりましょうよ」って言い方すらしないんです。「料理は楽しい」と言ってしまうことの抑圧すら、避けるんですね。そんな配慮の上で「自炊をしましょうよ」っていう勧め方を、丁寧に丁寧に積み重ねて1冊の本になっているんです。

 じゃあ、どういう言い方をしているか。「料理を好きな人も嫌いな人もいますよね。それはそれでよいんです」と、もうそこまで撤退するんです。で、「それもわかるんだけど、健康とか経済的なことも考えると自炊についての知識があったほうが自分を守ることができます」と。そして、〈作らずに「買う」ことだって自炊です〉と本書では書かれています。この本では、自炊=料理ですらないんですよ。コンビニで何かを買うことも自炊だ、と。そのときに、「ちょっと健康とか栄養の知識を身に付けて、コンビニで買うときでもこういうふうな感じにしたらどうでしょう?」ということを考える力が「自炊力」だと言うんです。

 たとえば食事って、すごく雑に言うと、パンやご飯などの「体のエネルギーになるもの」と、肉とか魚のような「体を作るもの」と、ビタミンだとかミネラルなどの「体を調整するもの」、この3つのバランスなんですよね。それを主食、主菜、副菜に配分して摂る必要がある。これはたぶん義務教育でも教わってる当たり前のことなんだけど、知らない、というか忘れちゃってる人もたくさんいる。僕らも普通にコンビニで一食すませちゃうときがあるじゃないですか。「あ、ちゃんとした食事をとらなかったな」なんて、軽い自己嫌悪になったりしながら。そういうときに、「コンビニ食なんてダメだ」とは言わずに、「コンビニの食事でよいんだけど3つ栄養バランスを意識して、たとえばコンビニのスパゲティを買ったなら、ちょっと野菜をそこに足してみたらどうでしょう?」と言うのが本書なんです。

 あと、料理を作るにしたって「美味しくこう作れますよ」って言うんじゃないんです。喜びのための料理じゃない(収録の料理家有賀薫さんとの対談で、有賀さん側からは料理の喜びについても語られますが)。料理の喜びを語って読み手を料理に誘惑する、という体(てい)の本はあふれています。でも、そのような誘いから零れ落ちてしまう人に向けて、白央さんは本書を書いているんですね。たとえば冷凍野菜の話です。冷凍野菜って、基本的には、やはり旬のフレッシュな野菜には味わいでは勝てません。もちろん技術的な進歩はあるけれど、それでも圧倒的に勝てない。でも、すごく便利なんですよ。ちなみに、僕もほうれん草とかアスパラガスの冷凍野菜はよく買いますし、カボチャとキノコくらいは自分で凍らせて常備してます(笑)。ほんと便利ですよ。そこで本書では、「クリーム系のスパゲティをコンビニで買ってきたら、冷凍ほうれん草入れてみたりして、少し栄養のバランスを取ってみてはどうでしょうか。クリーム系なら、冷凍野菜でも味の見劣り具合が少ないですよ」といった具合に、すごくハードルの低いところから冷凍食品が勧められているんですよね。「あ、このレベルなら自分にもできるかも」って、自炊を心理的な負担にしている料理嫌いにも届くように配慮した言葉なんです。

 こんな感じで、困難な条件を引き受けて配慮の行き届いた本です。ほんとに難しいと思うんですよ。「そもそも、なんでそこまでして自炊を勧めるの?」 って聞かれたとして、「お前、自炊は体にいいからやれよ」とも「料理をすることは喜びなんですよ」って言うこともできないんですよ。パターナリスティックに「料理はあたりまえ」と強制するのは論外として、危機感を煽って「料理しなきゃ」と脅迫するのも、喜びを示して「料理好き」に誘惑するのも自らに禁じたうえで書くというのは、ほんとうに難しい。自分だったら、「もう人それぞれ、他人が口をはさむことじゃないわ」で投げ出しそうになる(笑)。
 それでも、「料理はあたりまえ」「料理しなきゃ」「料理好き」から零れ落ちてしまう人に向けて書こうというのは、たいへん立派なお仕事だと思います。すごい撤退戦のなかで、なんとか丁寧に、誰も傷つけない、誰も排除しないやり方でやろうとしている、この誠実さみたいなものが、僕にはすごく胸にグッとくる。

 この本には、そもそもの企画のきっかけが書かれています。白央さんは本来、というか昔から、紙媒体で料理や食が好きな人向けに書いてきた方なんですね。たとえば前著は、郷土食の本だったりするんです。食べ物に興味のある人に向けての本ですね。料理や食の喜びについて反応してくれる人向けに、紙媒体で書いていたわけです。でも、白央さんが食べ物好きに向けた文章をネットで書いたところ、全然ウケなかったそうなんです。試行錯誤のなかで、「これだとめちゃくちゃ手抜きできますよ」とか「これだと残り物が食べられますよ」といった記事の方が、ネットでは評判を呼び、拡散されていくってことに気づくんですね。そのときに感じたリアリティみたいなものからできあがっているのが、本書なんだそうです。だからこの本は、紙媒体でありながらも、いまネットでものを書いていくときの感性の、すごく良質な部分が現れていると思うんです。

 どういうことか。人に文章を読ませて一冊の本を成り立たせるには、いろんなやり方があって、‟脅迫モデル“や“誘惑モデル”を挙げましたが(笑)、たとえばよくあるやり方で「最初に暴論・極論を打ち出しておいて、読者が受けとった暴論のさざ波みたいなものを1冊のなかでじっくり回収していく」っていう書き方があるんですね。でも、本ならよいんですけど、ネットでは使えないやり方だと思います。ネットだと、論述のスタートのための仮の暴論だったはずのものが、丁寧に回収する余地なんてなく、脊髄反射されて炎上ですから。これはどっちが良い悪いではなく、本とネットの条件の違いで、最初の一文から読者の誤解を避け、平易に丁寧に説明していくというのが、ネットでものを書く感性だと思うんですね。炎上マーケみたいな話とはぜんぜん別の話ですよ。ネットでものを書く感性の良質な部分での話です。白央さんというのは、そのような書き手で、だから、これは良い意味で言いますけど、ネットでなにかをポピュラーかつ生産的に伝えようとするときの細心の注意みたいなものが、この『自炊力』にはあると思うんですね。それは、紙ベースの書き方とは異なる。本書の丁寧さというのも、そういう、ネットが生んだ感性のなかの良い部分が作り上げているのではないかと思います。それは、「誤解されない・炎上しない配慮」という防衛的なものだけじゃなくて、逆に、「ビューが多い」「広く読まれる」っていう積極的なノウハウも詰まっていると思うんですよね。

 これは自分が職業柄勝手に思うアナロジーですが、「普段文字を読まない層≒普段料理をしない層」と考えたときに、その層にどう届かせるか、すごく勉強になりました。「目新しい栄養素のサプリを食べるまえに、とにかく食物繊維と減塩」とか、シンプルな正しいこともいっぱい書いてあって、それで本書をお勧めするんですが、僕としては、その語り口とか、伝える苦労みたいなところに胸を打たれた本でした。

[了]

※この記事は、2018年12月20日に配信されたPLANETSのインターネット番組『木曜解放区』内のコーナー「井本光俊、世界を語る」の放送内容を再構成したものです。石堂実花が写真撮影をつとめ、2020年6月4日に公開しました。
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