大西洋におけるレバノン人の存在感

 ヨーロッパ大陸、アフリカ大陸、南北アメリカ大陸をつなぐ大西洋。「大西洋革命」という表現があるように、アメリカ・西ヨーロッパにおける近代社会の成立を促したとも言える海です。東側におけるアフリカとヨーロッパ、西側における中南米諸国とアメリカ・カナダを比較すればわかるように、両岸とも南北に極端な経済格差があるため、南側の国々に巨大かつ国際性の強いインフォーマルマーケットが形成されています。

 大西洋のインフォーマルマーケットを語る際に欠かすことができないのがアラブ系移民の存在です。シリア系移民はブラジルやアルゼンチンに多く、パレスチナ系移民はチリに多いのですが、大西洋沿岸諸国において数が最も多いのはレバノン系移民です。地中海東岸に位置する中東諸国の一つであるレバノンは、古くから様々な地域に移民を出してきましたが、特に第一次世界大戦中に深刻な飢饉が発生したため、多くのレバノン人が国外へ移住しました。

 東地中海からジブラルタル海峡を越え、北に沿ってレバノンの委任統治を行っていたフランスへ、あるいは南に沿って西アフリカへ、さらに西アフリカから中南米へ、そして中南米から北米へと、大西洋全域に広がっていきました。その後も独立前後の混乱やレバノン内戦といった事件を契機に、移民は増え続けました。

 こうしてそれぞれの地に住み着いたレバノン人同士が連絡を取り合い、大西洋に一大商業ネットワークを築き上げたのです。移住したのは、20世紀前半はキリスト教徒が中心だったようですが、1943年にレバノンが仏領委任統治からの独立を果たした後は、キリスト教徒だけではなく、ムスリムの移民も増加していったようです。

 西アフリカの旧フランス植民地では、レバノン人の商人が各国経済において重要な役割を担っています。特にコートジボワールではレバノン商人の経済における影響が非常に大きいとされています。また、セネガル出身でフランス在住の弁護士ロベール・ブルジは、フランスと旧フランス植民地をつなぐ政治人脈のボスとして知られています。レバノン内戦以降は、前回取り上げたナイジェリアでもレバノン人の移民が増えていったようです。

 西アフリカ以上にレバノン人の存在感が強いのは中南米です。レバノン・シリアのゴラン高原で飲まれるマテ茶、ラテンアメリカのマーケットでよく見る水タバコは中東から中南米へはるばる旅をし、本国と交流を保ってきた証とも言えます。

▲ブラジル・サンパウロのゲーム屋に置かれていた水タバコ。(筆者撮影)

 さて、中南米でコミュニティを形成するレバノン人の商人としての才覚としたたかさを代表する二人の人物を挙げたいと思います。一人はかつて日本の日産自動車のトップの座にあり、2019年レバノンに逃亡したカルロス・ゴーンです。ブラジル西部のロンドニア州ポルト・ヴェーリョ出身の彼は、父親がブラジル生まれのレバノン人ですし、母親も西アフリカ・ナイジェリア出身のレバノン人です。彼が述べたところによりますと、彼の父方の祖父であるビシャラ・ゴーンが、3ヶ月かけてレバノンのベイルートからブラジルに移住した、とされています。

 もう一人はメキシコの富豪であるカルロス・スリムです。「フォーブズ」紙の長者番付において、2010年から4年間、ビル・ゲイツを資産保有額で上回り、世界最高の金持ちとなったこともあります(2021年版は16位)。彼の母方の祖父はメキシコでレバノン人向けの新聞を発行し、メキシコのレバノン人コミュニティにおける有力人物でした。最近では長者番付のトップ10から外れたとはいえ、カルロス・スリムはどのようにしてビル・ゲイツを一時的にとはいえ上回る金持ちになったのでしょうか?

 その答えは彼がオーナーとなっているメキシコの通信キャリア、アメリカ・モビルにあります。1990年に民営化した際に彼によって買収されたアメリカ・モビルは、世界有数の通信キャリアであり、中南米の大半の国ではスペインのテレフォニカとともに、通信キャリア市場を二分する存在になっています。本国であるメキシコでは固定電話・携帯電話ともにほぼ独占に近いシェアを築き上げてきました。

▲メキシコの固定電話業者Telmex。かつてはアメリカ・モビルの親会社だったが、巨大化したアメリカ・モビルに逆に買収され、カルロス・スリムが会長になった。(筆者撮影)

 国内における通話料・通信料以上に安定して大きな収入源となっているのが、アメリカのヒスパニックの本国への通話料です。アメリカのヒスパニックで最も多いのはメキシコ系ですが、アメリカからメキシコへの国際電話の通話料の精算制度は、メキシコ政府の規則上、2004年までメキシコの最大通信キャリアであるアメリカ・モビルが代表して交渉を行うことになっていました。つまり、国際通話の料金の決定権は民間企業であるアメリカ・モビルが事実上独占していたのです。

 アメリカからメキシコへのトラフィックのほうが、メキシコからアメリカへのトラフィックよりも断然多い、ここがミソです。つまり、アメリカ・モビルが通信インフラの整備に大きな投資をしなくても、発信のための通信インフラは、世界一の技術力を持つアメリカの通信キャリアが整備してくれます。しかも、アメリカのヒスパニックが増えれば増えるほど、アメリカ・モビルの収益は増大することになります。このように他の通信キャリアにはない大きな収益源をテコに、中南米各国に次々進出していったことで、アメリカ・モビルは世界有数の巨大な通信キャリアへと成長していったのです。

 レバノン本国は内戦以降、経済はあまり活発ではありませんが、彼らのように強力なビジネス・ネットワークを誇るレバノン移民を、自国経済の発展に活用しようとしています。レバノンの外務・移民省は「Lebanese Diaspora Energy」というレバノン移民のための国際イベントをアメリカやフランス、アフリカなど様々な地域で行っています。TED TalksライクのLDE Talksという、レバノン人によるレバノン人のためのプレゼンテーションコーナーなどもあるようです。

▲Lebanese Diaspora Energyの公式サイト(出典
▲LDE Talks(出典

 このように国際ネットワークを持つレバノン人は、中南米のインフォーマルマーケットにおいても重要な存在です。ブラジルの大きなインフォーマルマーケットでは、レバノン人が商売を行っているケースを多く目にしてきました。面白いのは、中南米におけるレバノン人のネットワークはレバノン人だけで完結した閉じたネットワークではなく、他のエスニシティに属する人々と共同経営の形を取っていることがあることです。私がブラジルのサンパウロで訪問したインフォーマルなゲームの販売店でヒアリングを行った際も、レバノン人が華僑と一緒にビジネスをしているケースを見かけました。

 さて、前回はナイジェリアという大西洋東側・ギニア湾にある国を中心に扱いました。大西洋西側の中南米諸国はGDPや一人当たり可処分所得のような表面上の数字だけを見れば対岸のアフリカよりも立派な数字ですが、いずれもインフォーマル経済が重要な役割を果たしています。インフォーマルマーケットが欧州のように一定の空間に限定されておらず、明らかにフォーマルではない要素が町中ににじみ出ているのです。これらの中でもインフォーマルマーケットの中心となっているのは地域経済大国、つまり中米の大国であるメキシコ、南米の大国であるアルゼンチン、そしてブラジルの存在です。

▲ブラジルのストリートにあったグラフィティ。(筆者撮影)

 メキシコはアメリカという世界最大の経済大国に隣接しており、中米における人やモノのインフォーマルな流れの集約点となっているため、インフォーマルマーケットも巨大になっています。メキシコで有名なインフォーマルマーケットとして挙げられるのが首都メキシコシティのテピートと、グアダラハラのサン・フアン・デ・ディオスで、何度も「悪質市場リスト」に取り上げられています。そのほか、日本のアニメやマンガ関連のインフォーマルマーケットとしては、現地のFriki Plazaというショッピングモールチェーンが重要な役割を果たしています。

▲メキシコのオタクビル、Friki Plaza。現地ゲーム・アニメ・マンガファンの実態を知るにはここが一番。(筆者撮影)

 アルゼンチンはこれまでに何度も債務不履行に陥ったことで有名な国です。私が現地のゲーム開発カンファレンスへ訪れた際も、銀行のATMに人々が列をなしていました。そして財政破綻の連続で自国通貨であるアルゼンチン・ペソの信用がまるでないため、街中には「カンビオ! カンビオ!(スペイン語で両替の意)」と連呼し、ヤミレートでアルゼンチン・ペソとアメリカ・ドルを交換する両替商人を多数見かけました。

▲アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの通り。こうしたところにも行商人や両替屋が出没していた。(筆者撮影)

 さらには、暗号通貨に手を出す市民も多く、ビットコインのATMがあり、ブロックチェーンを活かしたスタートアップが多数出てきています。こうした中で、アルゼンチン最大のインフォーマルマーケットであるラ・サラディタはこの国のカオスぶりを象徴する存在です。毎度おなじみの「悪質市場レポート」によると、オーナーはアルゼンチン大統領の海外訪問に同伴し、ラ・サラディタの海外支店を作ろうとするほどの経済力を持っています。

▲ブエノスアイレスで見つけた求人広告。「MiniGame、3Dモデラーを募集中。お支払いはUSドルかビットコインで。」(筆者撮影)

 ブラジルにおいては連邦政府、州政府、市などが様々な税金を課すため、世界一税制が複雑な国と言われています。下の表は世界銀行が発行している“Doing Business”において、1年間に従業員60人程度の企業が、法人税・消費税/売上税・源泉所得税などの税金や社会保障費を政府に収めるためにかかる手続きの時間を示したものです。ブラジルで納税に必要な作業時間は1,501時間。ご覧の通り、まともに払おうとすると、日本やアメリカのような国はおろか、ロシアやインドのようなブラジル以外のBRICs諸国と比べても桁違いの時間がかかるのです。昔は2,600時間かかったのでこれでもかなりマシになったのですが、世界銀行が集計している国の中では圧倒的な最下位です。

▲税務作業手続にかかる時間の比較。(世界銀行“Doing Business”をもとに筆者作成)

 もっとも、これは外資系企業や中規模以上の企業についての話で、小規模の会社についてみると、ブラジルは税制が非常に簡略化されています。このため、ブラジルにはゲームも含めて優れたスタートアップがたくさんあるのに、売り上げが上がって成長フェーズに入るとアメリカなどに移転してしまうケースが後を絶たないのです。税制以外のルールも複雑なため、インフォーマルマーケットが大きくなるのも当然と言えるでしょう。

ブラジルのインフォーマルマーケット

 こんな国なものですから、ブラジルは町全体のあちこちにインフォーマルな経済活動を確認することができます。サンパウロの朝市を歩けば新鮮な野菜と果物の隣に違法コピーのゲームや音楽メディアが売られ、繁華街に入れば怪しげなお兄さんがモバイルゲームや音楽・映画のデータが入ったUSBメモリを売りつけにくる、といった具合です。

▲ブラジルの朝市。(筆者撮影)
▲ブラジルの朝市で売られているゲームソフト。(筆者撮影)

 ブラジルでFliperamaなどと呼ばれるエミュレーターを使った独自改造のゲーム機が多数流通しています。例えば、中南米最大のeコマースサイト、メルカドリブレにはそうしたゲームが多数見つかります。ちなみに、私はブラジルでそのゲーム機改造を行っている業者のラボに訪問したことがあります。ビルの1フロアで10数人が働くスペースを持ち、奥の方にはゲーム機の基盤が積まれていました。オーナーにヒアリングしたところ、家庭に導入するケースよりもバーのような店舗が導入するケースが多く、色々なカスタマイズを請け負っているとのことでした。

▲ゲーム機改造会社の展示品。様々な過去のゲーム機のエミュレーターが入っている。(筆者撮影)
▲改造工場における、基盤置き場の様子。(筆者撮影)
▲改造工場の仕事場の様子。(筆者撮影)

 ブラジルの著名な問屋街、Rua 25 de Marco(3月25日通り)のそばにある虹色の怪しげなビル、ガレリア・パジェは「悪質市場リスト」にも掲載されている市場で、ゲームや映画、音楽といったコンテンツのブラジルにおける海賊版流通、並行輸入品の中心地となっています。外国から流れ込んできた家電系・コンテンツ系の密輸品・並行輸入品はいったんこのガレリア・パジェに集められ、そこからブラジル全土に流通していくようです。

▲ガレリア・パジェの外観。(筆者撮影)
▲ガレリア・パジェの表玄関。(筆者撮影)
▲ガレリア・パジェの内部にあるゲーム屋。(筆者撮影)

蒋介石像とムハンマドモスクが両立する街

 さて、ゲームはブラジルのインフォーマルビジネス、流通の構造を見るのに格好の商材です。日本の会社はブラジルの政府機関による年齢別レーティングを受けてゲームを出しています。しかし、実際街中に売られているゲーム機やゲームソフトのパッケージには欧州やアメリカのレーティングが書かれていますし、街中のキオスクで売られているゲーム雑誌に広告が出ているゲームソフトも欧州やアメリカのレーティングが書かれているのが普通です。

▲シウダーデルエステの有力ゲーム販売店の一つ、Atacado Games。完全にB2Bのショップとなっている。(筆者撮影)

 ブラジルは保護貿易の名目から関税が高い国で、ゲームもその例外ではありません。かつて、PlayStation 4がブラジルにおいて各種税金のせいで約18万円になっている、ということが日本でも報道されたことがありました。さすがに最近は現地の政治家もゲーム機に高額な税金をかけることが、自国産業の保護にはまったくつながらない、という当たり前の事実に気づいたのか、各種の減税が行われるようになっていますが、それでも現行機であるPlayStation 5について、現地の公式価格は約8万円、eコマースでの取引価格は10万円越えと、世界的な品薄を考慮に入れてもやはり高めです。

 こうした状況のため、現地のユーザーは様々な迂回手段を通じてゲームを手に入れてきました。例えば、ブラジルの熱心なゲームファン個人を相手にしたビジネスとして、アメリカやヨーロッパから「贈与」の名目でブラジルにゲームソフトを送付し、ゲームソフトの価格と運賃・手数料を足した価格を別名目で支払う、というサービスが知られています。しかし、法人の場合はもっと組織的かつ大々的な並行輸入を行っています。その重要な輸入地点になっているのがパラグアイのブラジル・アルゼンチンとの国境沿いの都市、シウダーデルエステです。内陸の都市でありながらラプラタ水系のパラナ川に面し、河川を通じた国際交易が盛んになっています。パラグアイは南米の国の中でも貧しい国ですが、それゆえにブラジルやアルゼンチンへの密輸・並行輸入ビジネスが異常に発達しているのです。

▲中南米の最貧国パラグアイにして高層ビルが所狭しと立ち並ぶシウダーデルエステの一角。(筆者撮影)

 シウダーデルエステは1957年に建設された比較的新しい都市ですが、首都に次いでパラグアイで2番目に人口が多く、ブラジル・アルゼンチン・パラグアイの3ヶ国の国境に位置します。このような3国間に挟まれた地域はTBA(トライ・ボーダー・エリア)と呼ばれ、麻薬取引や武器取引のようなブラックマーケットも含め、インフォーマルマーケットが非常に発生しやすい構造となっています。イグアスの滝の近くにあるこの都市は、1965年、ラプラタ川にブラジル・パラグアイ友好橋が架けられてから急速に発展していきました。今では都市全体がインフォーマルマーケットそのもの、というべき環境になっています。

▲シウダーデルエステの街の様子。左側が国境で、車が双方からひっきりなしに往来している。(筆者撮影)
▲シウダーデルエステはゲーム屋が非常に多く、ゲーム屋の広告をブラジル側国境付近にも多数見かけた。こちらはモール内の広告。(筆者撮影)

 この都市を発展させているのがパラグアイからブラジルへの密輸・並行輸入です。ブラジルは異常に関税が高いことで知られていますが、一方でブラジルへの個々の旅行者には一定金額までの物品の持ち込みが許されています。パラグアイの商人はこの無料持ち込み枠を利用し、laranjaと呼ばれる運び屋たちと契約し、中国や台湾から輸入した商品を小分けにして渡し、国境を越えさせてブラジル側の相手に送るのです。

▲シウダーデルエステでもダントツに胡散臭いビル、「モナリザ」。化粧品などを扱っている。(筆者撮影)

 かつて、ブラジルが自国産業の振興のために、特定商品に関して輸出奨励金を出していたことがありました。トライボーダーエリアの商人はこの制度を悪用し、ブラジルからパラグアイに商品を流し、もう一度ブラジルに戻すことで、輸出することなく輸出奨励金を獲得するという姑息なビジネスモデルが成立しました。特に英米系の著名なタバコ会社のブラジル支社がこのモデルを「活用」したため、国境沿いのトレーダーが激増しました。この制度は撤廃されたのですが、これをきっかけに国境沿いのビジネスに手を出す商人や運び屋が急増したと言われています。1991年のメルコスール成立はシウダーデルエステの貿易中継地点としての役割を強め、1990年代には、60,000人の商人が毎週シウダーデルエステを訪れるようになりました。

▲シウダーデルエステのビルの周囲には露店が密集している。(筆者撮影)

 パラグアイにはマテ茶やたばこの生産を除くと有力な産業がないため、ブラジルとアルゼンチンという南米の2大国に面していることを利用した、このようなインフォーマルなビジネスモデルに頼らざるを得なくなっています。またブラジルにとってもパラグアイは小国とはいえメルコスールという南米の経済同盟の重要な一角を担っていますから、彼らの不利益になることは言い出しにくい状況です。こうしたことから、両国政府はこのような国境エリアのカオスぶりに見て見ぬふりを続けてきました。私がブラジル側からシウダーデルエステに入国したときも、観光バスに乗ったままだと入国審査なしでパスしてしまうほどで、あまりのいい加減さに驚いたものでした。

▲パラグアイ建国200周年を記念する愛国的な壁画。(筆者撮影)

 シウダーデルエステでは、パラグアイの地方から出稼ぎにやってきた人々、ブラジル人のほか、レバノン人、中華系の人々が多く働いています。中華系で多いのは中国系よりも台湾系の人たちとなっています。なぜ台湾なのかと言うと、パラグアイは世界でも数少ない台湾(中華民国)承認国家だからです。パラグアイの国会議事堂は台湾が無償で建設したもので、街中を走るパトカーでさえも台湾が寄贈しています。このような政治経済的状況なので、シウダーデルエステは預言者ムハンマドモスクという大きなモスクがあると同時に、立派な蒋介石像も街中にあるのです。

▲パラグアイの蒋介石像。(出典

 9.11以降、テロリストの資金源撲滅がアメリカとその同盟国の重要な課題となりましたが、シウダーデルエステはその重要なターゲットに選定されました。シウダーデルエステのレバノン人の中にはヒズブッラーのような中東におけるテロリストのシンパが相当数存在するとみなされたからです。2000年代にはアメリカの圧力でテロリストのシンパを行っていた店舗の取り締まりが進みましたが、彼らが標的としたのは一部の店舗で、シウダーデルエステという都市のインフォーマルな性格そのものにメスを入れることはできず、今でもブラジルの主要な密輸品・並行輸入品の拠点として機能しています。

▲シウダーデルエステにあった、殺人犯の人相書き。治安は今でも良いとはいえない。(筆者撮影)

積極的に必要とされるインフォーマルマーケット

 シウダーデルエステを歩いていると、これまで見てきた様々な都市のインフォーマルマーケットとは性格がかなり異なっていることに気づかされます。これまでに取り上げてきたキルギスの首都ビシュケクにあるドルドイやウクライナのオデッサにある7kmマーケット、北アフリカ・モロッコのデルブガレフは、巨大な非正規市場ではありますが、その空間から一歩離れれば政府の管理が行き届いたフォーマルな商取引の世界が広がっていました。一方、ナイジェリアのように統治機構がまともに機能していない国では、ショッピングモールのような近代的小売りチェーンに代表されるフォーマルな市場はむしろ限定的で、インフォーマル市場の膨大な海に浮かんでいる孤島のような存在です。

 シウダーデルエステにおけるインフォーマルマーケットは、これらの地域のどれとも異なるものです。シウダーデルエステは、1ビルや1エリアだけではなく、都市全体がインフォーマルマーケットを中心として活動しており、政府や自治体が自由貿易特区という名目のもとで、インフォーマルマーケットの活動をサポートしています。

 そもそもインフォーマルマーケットとは、政府機関や自治体の出す法令や規則、加入する条約といった公に取り決められた各種のルールを無視するところに成り立つものです。これまでに登場したインフォーマルマーケットは、フォーマルな産業が雇用することのできない人が生活できるようにするために、消極的に許されただけの限定的な空間でした。しかし、パラグアイにおいては、国の経済的生存のために、シウダーデルエステというインフォーマルマーケットが積極的に必要とされています。そのため、政府の都市に対する干渉を減らし、また他国にもそれを黙認させることによって、インフォーマルマーケットを活性化させ、自由貿易活性化という名目の下、国の経済的発展に結びつけようとしています。こうした国においては、もはやインフォーマルマーケットは規制ではなく、振興の対象でさえあるのです。

 シウダーデルエステ以外でも、経済力の大きい国に隣接する小国の国境沿いの市場や、FTZ(自由貿易地域)のある新興国においては、似たような構造のインフォーマルマーケットが成立することがあります。

 次回は、大西洋の南東、南アフリカのケープ岬を越えて、インド洋に向かいますが、この地域でもそうした性格の市場がいくつか存在します。南アフリカや東アフリカのインフォーマルマーケットはナイジェリアのような西アフリカとはかなり性格が異なりますし、西アジアや南アジアのインフォーマルマーケットも個性豊かです。お楽しみに。

<参考文献>

Peter Mörtenböeck, Helge Mooshammer, Informal Market Worlds – Atlas. The Architecture of Economic Pressure. Nai Uitgevers Pub, 2015.

Peter Mörtenböeck, Helge Mooshammer, Informal Market Worlds: Reader: The Architecture of Economic Pressure. Nai Uitgevers Pub, 2015.

Gregory F. Treverton, Carl Matthies, Karla J. Cunningham, Jeremiah Goulka, Greg Ridgeway, Anny Wong. “Film Piracy, Organized Crime, and Terrorism.”
https://www.rand.org/pubs/monographs/MG742.html

Carlos Ghosn (2) The history of my family, the story of me
https://asia.nikkei.com/Spotlight/My-Personal-History/My-Personal-History-Carlos-Ghosn/Carlos-Ghosn-2-The-history-of-my-family-the-story-of-me2

髙岡豊・浜中新吾・溝渕正季「レバノン人の越境移動に関する 経験と意識 「新しいフェニキア人」像の再考」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ajames/28/1/28_KJ00008128225/_pdf/-char/ja

星野妙子「メキシコ・テレコム企業のラテンアメリカ進出」
https://www.ide.go.jp/library/Japanese/Publish/Periodicals/Latin/pdf/220202.pdf

中南米編(1)中南米携帯業界の二大勢力
https://wirelesswire.jp/2010/06/34319/

(続く)