インド洋で活躍するパキスタン人ネットワーク

 大西洋ではレバノン人のネットワークが重要な役割を果たしていたように、インド洋でもインフォーマルマーケットにおける重要なプレイヤーがいます。それはパキスタン人です。パキスタンという国は、国際社会においては核開発やテロリストの潜伏など、残念ながら、あまりポジティブなイメージを持たれてはいません。その一方で、パキスタン人はインド洋の国際貿易においては大きな活躍を見せています。

 かつてインドやパキスタン、バングラデシュを含む地域がイギリスの植民地であった時代、インド人やパキスタン人のような南アジアの人々は労働者や兵士として、南アフリカやケニアといったイギリスの他の植民地や中東諸国のような場所に移住していきました。戦前はペルシア湾湾岸諸国の貿易決済はルピーで行われていましたし、第一次世界大戦では多くのインド兵がイラクで戦いました。ネパールのグルカ兵は世界の様々な地域で活躍しています。また、アフリカのウガンダ鉄道はインド人の労働者が多数建設に携わったことで知られています。

 インド料理やインドの労働者由来の歌といったものは、インド洋各地で今でもしばしば見かけることがあります。また、インド建国の父であるガンジーは南アフリカで弁護士として働いていたとき、列車で受けた差別が後の社会改革運動の原体験となったと言われています。インドがパキスタンと別個に独立し、多くの国々がイギリスから独立を果たした後も、パキスタン人を中心に南アジアの人々はインド洋における商業ネットワークを発達させてきました。インド三大財閥の一つであるリライアンス財閥の創業者、ディルバイ・アンバニ氏は、若いころはイエメンのアデンで働いていたことで知られていますし、中東諸国には、パキスタン人やインド人が多数出稼ぎに行っています。

▲Relianceのスーパーマーケット、Reliance Smart。

 大西洋においてレバノン人が中国人と協力してビジネスを行っているように、インド洋のインフォーマルマーケットにおいても、パキスタン人と中国人が協力して事業を実施しているケースが目につきます。例えば、下図にあるのは南アフリカでも有名なIT系商品の卸市場です。

▲南アフリカ、ヨハネスブルグ郊外のIT商城。奥に中国語で「東方商城」と書かれている。

 このマーケットはヨハネスブルグの近郊にあり、スマートフォンなどが中国から湾岸諸国などを通って運ばれてくる場所です。現地で聞き込みをすると分かるのですが、このショッピングモールのオーナーは中国人ですが、店主になっているのはパキスタン人が多いのです。つまり中国人とパキスタン人が協力して南アフリカで中国製のIT商品販売を行っているわけですね。国単位でも、パキスタンと中国は長い友好関係にあることが知られていますが、人単位でも、彼らはビジネスパートナーとしてインド洋で活動しているのです。

▲東方商城の中のDVDショップ。

 パキスタン人のビジネスとして有名なのが日本の中古車貿易です。日本の中古車貿易事業者のうち、オーナーの半分程度はパキスタン人であると言われているほどで、大きな売上高を出している企業もいくつかあります。自動車産業は自動車部品やゴム製品など、経済波及効果が大きいため、国の輸出入政策の影響を受けやすいビジネスです。パキスタン人はインド洋を中心に、世界中にコミュニティがあるため、そのコミュニティの持つ情報ネットワークを生かして、各国の自動車の流行だけではなく、中古車貿易に関する規制やクオータ(輸入制限)に関する情報を入手し、日本車の世界における販売で重要な役割を果たしてきたのです。

 インド洋の国々はどれも取り上げると面白い話が多くきりがないのですが、今回は南アフリカ、東アフリカ、アラブ諸国、南アジアの話と時計回りにインド洋周辺の地域を見ていき、それぞれの地域でインフォーマルマーケットにまつわる興味深いトピックについて取り上げていきます。

民族間の対立構造が治安の悪さのイメージを生む南アフリカ

 南アフリカは、西アフリカのナイジェリアと並ぶアフリカ有数の経済大国です。ダイヤモンドや金などの産出で知られるほか、ベンツのような自動車の生産をはじめとして製造業もかなり発達しており、G20に加盟する国の一つでもあります。しかし、日本人の南アフリカに対するイメージは、そうした経済的な繁栄や成長より、「危ない」というものではないでしょうか。実際、ヨハネスブルクの住宅街を歩くと、頑丈な壁や鉄格子とともに、“Armed Response”(許可なく立ち入る場合は、武器で応じる)という物騒な注意書きの書かれたサインボードが目につきます。また、現地に駐在する日本人の家族が強盗に入られた、というケースも報告されており、日本と同じ感覚では歩けないのは間違いのない事実ですし、危険な事件が発生した場所もいくつかあります。

▲ヨハネスブルグの住宅街にある、警備会社による注意書き。

 私がヨハネスブルグのセントラル・ビジネス・ディストリクトの近くにある、DVD Highwayという、海賊版コンテンツが多数売られているインフォーマルマーケットへ訪問する予定だと現地人に話したときは、「絶対に行くな、お前のような中国人(私は日本人ですが)が行くと命の危険があるぞ」などと、強い警告を受けました。しかし、実際現地に行ってみると、目抜き通りにはパトカーが複数並んでいて、警察官がパトロールをしており(しかも賄賂を要求してこない!)、やや騒々しい場所ではあるものの、危害を加えられそうな場面や危険な状況に遭遇することは特にありませんでした。ここではハリウッド映画やボリウッド映画、以前取り上げたナイジェリアのノリウッド映画などのDVDがむき出しで売られていました。

▲ヨハネスブルグのダウンタウン。

 現地調査に協力をしてもらったジンバブエ人によると、この地域のインフォーマルマーケットで働いているのはジンバブエ人やモザンビーク人といった海外の労働者が多いため、南アフリカの主要民族であるハウサ人やズールー人からは、こうした海外からの労働者が商売をしているマーケットが嫌われている、とのことでした。どうも、ヨハネスブルグの危険なイメージの出元は日本人というよりも、海外労働者、特に不法移民の脅威を誇張したがる現地のハウサ系やズールー系の人々の吹聴によるところが大きいようです。

▲DVD Highwayの様子。ハリウッド映画やアフリカ映画など、様々な映画のDVDがむき出しで売られていた。

 こうしたアフリカ系民族間の分断の象徴になっているのがポンテタワーというタワーマンションです。このマンションはかつて、麻薬取引などが行われる治安の悪いビルとして知られ、今でも危険な場所という扱いを受けています。しかし、私が行った際には、普通に中まで入ることができて、特に危険を感じることはありませんでした。最近ではポンテタワーの住民に対する誤解を解くためのタワー内ツアーのようなものが組まれるようになっています。

▲ポンテタワーを下から見た様子。
▲ポンテタワー内部の共有スペース。アーケードゲーム機がいくつか置かれていた。

インフォーマルマーケットの中の秩序を目指すトイ・マーケット

 東アフリカには、ナイジェリア、南アフリカのような経済大国はありません。強いて言えば、ケニア、タンザニア、エチオピアという三つの国が人口面で地域大国と言えるかもしれませんが、経済規模ではいずれもナイジェリアや南アフリカに劣ります。こうした地域ではインフォーマルマーケットの役割がとても大きく、公的機関もインフォーマルマーケットの存在を認め、商人との長年の関係の中で独自のローカルルールを生み出していることがあります。私は東アフリカでは、エチオピアのメルカト、ケニアのトイ・マーケットなどを訪問しましたが、今回はケニアのトイ・マーケットとそこに隣接するキベラ・スラムの話をしたいと思います。

 ケニアのトイ・マーケットは首都ナイロビの西側に広がる大きなインフォーマルマーケットです。アフリカ最大のスラムとも言われるキベラ・スラムと隣接しており、このキベラ・スラムの住民がかなりの数働いているようです。私が行った印象では、トイ・マーケットはインフォーマルマーケットとしては比較的よく統率されていたのが印象的で、そこで働いている商人が組合を作り、共益費を出し合って市場全体に共通するサービスの管理を行っていました。治安はかなり良く、現地の人に尋ねたところ、覆面警官を入れるようになったことで昼の治安は相当向上したとのことでした。

▲トイ・マーケットの中の様子。

 ケニアのトイ・マーケットにおいて特徴的だったのが「値札」の存在です。私はこれまで、他の国のインフォーマルマーケットにおいて値札がついた商品というのをほとんど見たことがなかったのですが、ここケニアのトイ・マーケットでは野菜やフルーツ、靴下といった様々な商品にケニア・シリングによる値段が記されていました。もちろん、この値段で本当に商品が取引されているという保証はないのですが、一応、私が何回かそこで買い物したときの価格は値札どおりではありました。この値札の存在からも、トイ・マーケットが他のインフォーマルマーケットよりも統率の取れた市場となっていることがうかがえました。

▲トイ・マーケットの商品。商品の個数ごとの値段が書かれている。

 トイ・マーケットに隣接するキベラ・スラムも居住区というだけではなく、様々な非公式のビジネスが行われています。ケニアの様々な地域からナイロビに職を求めて多くの人が集まってきており、簡易宿泊所のような施設がかなりの数見受けられました。また、私が行った最大の目的である娯楽施設としては、ハリウッド映画などを上映する映画館や、小さなインターネットカフェなどがありました。特に興味深かったのはゲームカフェで、現地で10以上の施設を見て回ったのですが、多くのゲームカフェにPlayStation 4が置かれていることに驚きました。

▲PlayStation 4カフェで遊ぶ若者。

 私がキベラ・スラムを歩いていて印象的だったのは、私のような部外者に対する寛容さです。ブラジルのファヴェーラなどがそうであるように、世界の多くのスラムは現地のコミュニティのボス、あるいはそのボスにつながりのある人に許可を取らないと中に入ることが困難な場合が多いです。また、仮に入ることができる場合も、南アフリカのソウェトやフィリピンのハッピーランドのように、特定のNPOによる慈善目的のツアーに参加することが要求され、写真撮影が禁止されていたり、ツアーのコースになっていない場所には入ることができなかったりする場合が非常に多いのです。例えば現地の子供などに施したりすることは固く禁じられています。こうした場所はコミュニティの横のつながりが非常に強く、誰か一人が抜け駆けするということを好みません。こうした場所に入るツアー客には、子供がニコニコしながら挨拶してくれるのですが、むしろそのことから、スラムのコミュニティにおける統率力を垣間見て戦慄したものです。

▲南アフリカ・ソウェトの様子。

 しかしキベラ・スラムにおいては、私はかなり自由に中を歩き回ることができました。また、現地の人も写真撮影されることに抵抗感がないようで、どこでも喜んで写真撮影を許可してもらえました。現地の方にこのことを聞くと、数年前(2015年頃)にはコミュニティの中でも意見が分かれており、スラムの中に部外者を入れるのを拒む人と、喜んで受け入れるべきという人がいたそうです。スラムの中に人を入れて人や施設を見世物のようにしてしまうのはいかがなものか、という意見もあったわけですね。

▲フランスの協力で建てられた公衆のバイオトイレ。

 しかし、キベラ・スラムの知名度向上に伴い、慈善団体の受け入れ成功や、それに伴う医療施設の拡充や町工場の拡大などという成果が出てきたため、スラムに積極的に人を受け入れたほうがスラムのコミュニティ全体の利益につながるという意見が支配的になったのだそうです。

▲キベラ・スラムの様子。

 先ほども言いましたが、キベラ・スラムは「アフリカ最大のスラム」と言われており、他のスラムと比べても知名度がとても高いです。慈善活動をするNPO等から見れば、キベラ・スラムで慈善活動を行ったり、寄付活動を実施したりするというのは、大きな実績になります。キベラ・スラムは自らの立ち位置を生かして、コミュニティの生き残りを図ろうとしているわけですね。

湾岸諸国に林立する中華系巨大ショッピングモール

 インド洋西岸のアフリカもそうですが、地中海や大西洋など、これまで取り上げてきたインフォーマルマーケットにおける主要な商品は、地域の特徴的な農産物などを除くと、いずれも中国から輸出されてきたものでした。これらの商品は、国ごとの需要や規制の変化に対応するため、一国に直接輸出されるのではなく、一旦地域の貿易拠点に集積されてから、各地に分配されることが多いです。そしてその中継基地として重要な機能を果たしているのが湾岸諸国です。ペルシア湾・アラビア海はインフォーマルマーケットの連絡・中継地点でもあるわけですね。

 中国は一帯一路政策を推進する中で、各地の中国製商品の流通網拡大を狙っていますが、湾岸諸国のショッピングモールがそうした流通網拡大の優等生として取り上げ賞賛しています。しかしその一方で、アメリカの『悪質市場リスト』には、しばしばこうしたモールが海賊版商品流通の拠点になっていると批判されていることがあります。

▲某湾岸諸国の玩具問屋で見かけた怪しい商品。

 例えば同リストの2020年版には、アラブ首長国連邦のAjman China Mallが海賊版商品を扱っているショッピングモールとして取り上げられています。このショッピングモールは中国政府の強い関与があると『リスト』では指摘されており、自由貿易地区と結びついて、ブランドバッグの偽物のような海賊版商品の世界的流通の重要な拠点になっているようです。このショッピングモールで売られている海賊版商品は、中東やアフリカ、欧州など、他の地域に再販されていくのです。2021年3月のショッピングモールのオーナーへのインタビュー記事によれば、罰金や監視強化のため、こうした偽物を扱う店はどんどん閉鎖されている、ということですが、本当なのでしょうか?

▲アラブ首長国連邦のアジュマーン首長国にある、Ajman China Mall(出典

 アラブ首長国連邦以外の湾岸諸国にも、こうした中国関連のショッピングモールが見受けられます。バハレーンにはDragon City Bahrainという大きなショッピングモールがあり、中には中華風の装飾が施され、現地の人が多数訪れています。私も現地に行った際に、中でいろいろ商品を見ていたのですが、やや素性の怪しい商品もちょこちょこ置かれていたのが印象的でした。

▲Dragon City Bahrainの中で行われている催し物の様子。(出典

どの都市にもある、インドのインフォーマルマーケット

 「カオス」というイメージがつきものの国だけあって、インドは世界的に有名なインフォーマルマーケットが多数あり、しかも徐々に移り変わっていっています。IT系のインフォーマルマーケットとしては、デリーではかつてNehru Placeというところが有名で、米通商代表部の『悪質市場リスト』にもたびたび掲載されていました。最近では、この区域での取り締まりが厳しくなったこともあって、少なくとも表通りで海賊版のような商品を取り扱う店はほとんどなくなってきていますが、それに代わり、他の商業施設にグレーゾーン・ブラックゾーンの商品を取り扱う業者が勃興してきています。7kmやドルドイ、デルブ・ガレフのように、完全に治外法権の巨大で怪しげな空間がはっきりと広がっている、ということこそあまりないのですが、街を歩けばインフォーマルなビジネスをしている中小規模の店舗群がそこかしこに、デリーであろうとムンバイであろうとハイデラバードであろうと、東部の地方都市であろうと見受けられる、というのがインドの特徴だと思います。

▲インドの地方都市の家電系インフォーマルマーケット。

 インドの警察当局も彼らを取り締まろうとはしているようなのですが、一斉取り締まりを行うタイミングで、どういうルートか事前に情報が漏れ出てしまっているようです。そのため、脛に傷を持つ業者は海賊版のような商品を店の奥に隠して、代わりに合法な商品を表に並べて取り締まりを回避し、取り締まりがまったく機能していないのです。

▲Nehru Placeの様子。スマートフォン販売店などが立ち並ぶ。
▲ニューデリー・Palika Bazarのゲーム屋。こちらは今でも『悪質市場リスト』にリストアップされている。

 インドのコンテンツと言えばボリウッド映画が知られていますが、ボリウッド映画と闇社会の関係も根深いものがあります。インドの映画プロデューサーは、闇社会から資金を調達するケースがかなりあると言われています。映画は成功するかどうかが分からないリスク要素が大きく、ハリウッドのように映画金融や制作保証のような仕組みが発達していないのが理由です。映画を撮り終えると、プロデューサーは闇社会に早くお金を返すために、映画の権利を他の人に売りさばいてしまうと言われています。インド映画において権利の所在が不明確なことが多いのは、こうした様相も背景の一つになっているようです。

 インドで有名な闇社会のドンと言えば、ムンバイを拠点とする「D Company」を率いていた、インド人ムスリムのダウード・イブラヒームです。彼は様々な映画のプロデューサーに資金提供し、正規版の権利を得るだけでなく、それを海賊版にして海外に売りさばくビジネスも行っていました。その重要な市場であったのがパキスタンです。インドと政治的に仲が悪いはずのパキスタンにおいて、ボリウッド映画が多数販売され、パキスタンの自国映画を圧倒しているのは、「D Company」の活動によるところが大きいともいわれています。ダウード・イブラヒームは、1993年に257人が死亡したムンバイのテロ事件の首謀者と見なされており、現在はパキスタンに潜伏していると言われています。

幅広いバングラデシュのインフォーマルセクター

 インド以外の南アジアの国々、パキスタンやバングラデシュ、スリランカといった国々についてみると、所得がインドよりも低く、近代的な流通網が発達していないため、インフォーマルマーケットの役割はインドよりもさらに大きいとさえ言えます。

▲バングラデシュのPC・ゲームソフト屋。売っているのは海賊版だが、彼らに悪気はない。

 バングラデシュと言えば、電車の上に人が密集している光景が有名です。私も現地でその様子を見てきましたが、どうも電車の屋根の上に乗ると運賃を払わなくても済むことから、多くの人が機関車や列車の屋根の上に乗ろうとしているようです。電車もゆっくりと走るので、電車から落ちてしまっても走って追い付いてまた乗る、というケースもあります。

▲バングラデシュの電車の様子。落ちてケガをしないように、ゆっくり走っている。
▲列車の上に乗ると無料になるので、多くの人が列車に群がる。

 バングラデシュのインフォーマルセクターとして有名なのが船舶解体業です。ダッカやチッタゴンには、世界中から集まった廃船が多数並んでいる地区があります。これらの地区では船舶解体業が行われ、そこで働く人々のための村が出来ています。ダッカの船舶解体工場では、船の表面の塗料をハンマーで削っている人たちの姿を目にしました。塗料を削って集めるとお金になるのです。廃船から取れるものの中でも、スクリューは高価だそうで、しばしばスクリューを荷車に乗せて、何人かの若者が倉庫へと運ぶ姿を目にしました。ちなみになぜそんなところに私が行ったかと言いますと、現地の人からのヒアリングを通じて、そこにゲームカフェがあると聞いたからです。残念ながら行った日には閉まっていましたので、ハズレだったわけですが……。

▲ダッカの船解体工場。付近では子供たちが泳いで遊んでいた。

 船舶解体業は莫大な雇用を生むため、バングラデシュにとって欠かせない産業になっていますが、こうした船舶解体工場は、最近メディアや国際的なNPOに注目され、児童労働が世界的な批判を浴びるようになっています。私がチッタゴンに行った際には、入り口に「児童労働禁止」などと書いている場所を多数見かけました。街で見かけるほとんどのサインボードがベンガル語で書かれているのに、そこのところだけ英語で書かれているのです。誰に向けて書かれているのかは明らかですよね。

▲解体された船舶のスクリューを運ぶ若者。

現代南アジアのカウボーイビジネス

 イスラーム教徒の多いバングラデシュにおいては、イード・アルアドハーの日に盛大に牛の屠殺が行われます。牛の屠殺の日には、街中が牛の血で真っ赤になります。さて、これらの牛ですが、一体どこからやって来たのでしょうか?

▲イード・アルアドハーの前日、ダッカの街には牛が多数つなぎ留められ、牛のにおいが充満していた。

 バングラデシュの隣国であるインドはヒンドゥー教徒が圧倒的に多い国ですが、ヒンドゥー教において、牛は神聖視されています。道路には牛が闊歩し、牛の群れが狭い道路の向こうからやってくると、車のほうが停車して牛が去っていくのを待つほどです。しかし、イード・アルアドハーの数日前、筆者がバングラデシュに隣接するインドの州、ウェストベンガル州のコルカタという都市に訪れたときには、牛を見かけることはほとんどありませんでした。コルカタの牛は一体どこに行ってしまったのでしょうか?

 この辺りの話題は両国において一種のタブーなのですが、バングラデシュの現地紙であるProthom Aloが2015年6月に報じるところによると、バングラデシュでは年間に500万頭の牛が屠られている中で、半分はインドから連れてきている、と言われています。インドからバングラデシュに向けて、大規模な牛の密輸が行われているのですね。インドからの牛のバングラデシュへの輸出は許可されていませんが、そうした規制を巧みにすり抜けるため、様々な手段が使われているようです。

 例えば過去に行われていたやり方ですが、国境付近に「牛の回廊」と呼ばれる場所を用意し、その地域でインド側から連れてこられた牛を牛舎に集め、税関職員が牛を所有者不明と見なして「押収」を宣言します。そして書類上の審判を通じて、牛を国有資産とし、バングラデシュ国内の牛業者に売却するのです。それ以外にも、ガンジス川(バングラデシュ側ではパドマ川)で船に牛を載せて渡らせるなど、様々な手段で密輸が行われているようです。アンダーグラウンドの密輸ということもあって、牛絡みの犯罪も絶えず、バングラデシュ国境警備隊によると、インド・バングラデシュ国境付近の殺人事件のほとんどは、牛に関係したものだそうです。

 インドでヒンドゥー至上主義者の政治活動が活発になると、牛のバングラデシュへの輸出について反対運動が大きくなりました。インド政府側は牛のバングラデシュへの輸出を禁止し、両国の政府・軍関係者の会議を通して牛の密輸を厳しく取り締まろうとしています。牛輸入の代替国としてブータンやミャンマーなどの名前が出てきていますが、効果はあまり挙がっていないようです。2020年7月のインド現地紙、The Indian Expressの記事では、インドの国境警備隊が、バングラデシュの国境警備隊を、牛の密輸を支援しているとして非難していました。インドで50,000ルピーのバッファローが、イード・アルアドハー前のバングラデシュでは15万ルピーで取引されており、密輸業者は一頭当たり10,000ルピーの収益を上げている、とのことです。

 なお、牛を屠殺すると、牛肉以外にも様々な副産物が商材となりますが、その中でも重要なものは皮革製品の材料となる牛皮です。バングラデシュは世界的に見ても、皮革産業の重要な国として知られており、繊維産業に次ぐ輸出産業となっています。欧州の靴やバッグメーカーの中でも、バングラデシュで加工を行っているところが多く存在します。皆さんが普段街で目にしている革製品も、もしかするとインドの牛の皮を使用しているのかも知れませんね。

▲生贄になる前に、おめかしをされた牛。

終わりに

 以上のように、インド洋のインフォーマルマーケットは実に多彩な姿を見せてくれます。スマートフォンやコンテンツビジネスだけではなく、輸送業、畜産業に至るまで、様々な産業にインフォーマルセクターが深く関与しており、その幅の広さは地中海や大西洋など、これまでに見てきた地域のインフォーマルマーケットを上回るほどです。大西洋や地中海の国々に比べてさらに低所得の国が多いということもあるのでしょうが、他の地域とはフォーマルとインフォーマルの境目の意識が違う、ということなのかも知れません。
 次回は南シナ海のインフォーマルマーケットということで、東南アジアと香港、深センの話をさせていただきます。この連載においては、多くのインフォーマルマーケットの商品が中国から流れてきたものである、という話を何度も書いてきましたが、そういう意味では、南シナ海こそは世界のあらゆるインフォーマルマーケットの発信源とも言うべき場所です。日本から近いこともあって、これまで登場した国や地域以上に日本人にとってなじみのある地域ではありますが、日本では想像しがたい光景も多数見受けられます。華僑やムスリムが活躍するこの地域でどのようなインフォーマルビジネスが成り立っているのか、是非ご覧ください。

(続く)

この記事はPLANETSのメルマガで2021年7月27日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。あらためて、2022年3月3日に公開しました。
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