谷田部勇者から高松勇者へ

前回の連載では、勇者シリーズが『勇者エクスカイザー』『太陽の勇者ファイバード』『伝説の勇者ダ・ガーン』から構成される「谷田部勇者」を通じて、ロボットを通じた少年の成熟についてひとつの美学を完成させたこと、そしてそれが玩具と子どもの遊びを正確に言い表したことを整理した。

今回は第4作『勇者特急マイトガイン』について考えていく。このタイミングで谷田部勝義から監督を引き継いだのが高松信司である。勇者シリーズは玩具と手を組んだ物語であり、その制約は依然として引き継がれている。監督の交代によって「少年とロボット」という基礎構造や、前提となる玩具の商品配置が大きく変化したわけではない。もともと高松も谷田部勇者の時点でスタッフとしてクレジットされており、基本的な路線も継承されている。玩具シリーズという枠組みで考えれば、アニメーション担当監督の交代は根本的な変化をもたらす要因ではなかった。そのため担当監督を中心とした区分はあくまで便宜的なものであることはすでに述べたとおりである。

しかし同時に、高松信司が監督を担当した時期の勇者シリーズが、その美学にさまざまな新しい解釈をもたらしたことも事実である。改めて言うまでもないことだが、玩具そのものは主に樹脂と金属の塊にすぎないのであって、その造形が持つ意味はアニメーションを含めた文脈によって定義される。映像による物語が玩具の販促に有効なのは、玩具が描き出す成熟のイメージを意味づけする作用があるからだ。

改めてこうした前提を確認するのは、谷田部勇者がいったん完成させた成熟のイメージを、高松勇者が自己言及的に再解釈していったと考えるためである。谷田部勇者が玩具を用いた遊びの構造を物語によって正確に定義したとするならば、高松勇者はその構造を変奏しながら、そこで描きうる男性的なナルシシズムをさまざまなかたちで追求したといえる。もちろんそれは玩具というハードウェアあるいは美術的彫刻のデザインとも密接に関係しているのだが、どちらかといえば勇者シリーズを題材にした自己批評の側面が強く、ソフトウェアあるいは評論的なところに重心がある。そのため本連載もやや玩具本体から離れた議論をしていくことになるが、できるだけ物語論ではなく玩具論として、ユーザーとプロダクトの関係に注目していきたいと思う。

▲『勇者特急マイトガイン』ポスター。主人公がヒロインを庇いながら拳銃を構えている構図は、本作を象徴する。
勇者シリーズデザインワークスDX(玄光社)p89

昭和125年を生きる「12歳の少年」

それでは具体的に見ていこう。勇者シリーズは少年とロボットの絆を中心に据えるところにその特徴があった。『勇者特急マイトガイン』もその基本的な構造は踏襲しているが、その美学はこれまでと一線を画する。

その象徴となるのが主人公・旋風寺舞人の造形と、彼の相棒となる小型勇者ロボ・ガイン、および大型ロボ・マイトガインの関係である。しかし主人公の独自性について語るためには、まずは本作の世界観設定から説明しなくてはならない。

本作の舞台は化石燃料が枯渇したことで飛行機や自動車など既存の乗り物が運用不可能になってから50年が経過した時代、昭和125年と設定されている。そのような状況から電動の列車によって交通を再生したのが旋風寺コンツェルンであり、その本拠が置かれる東京は「ヌーベルトキオシティ」という名の近未来大都市に生まれ変わっている。

主人公・旋風寺舞人は15歳にして、行方不明となった親から旋風寺コンツェルンを引き継いだ若き総帥である。そして同時に、その資本力と技術力を背景にして独自開発したロボットチームを率いて、ヌーベルトキオシティにはびこる犯罪に立ち向かうヴィジランテでもある。アメリカのヒーローを参照するなら、バットマンやアイアンマンのような立場といえばわかりやすいだろう。バットマンがさまざまなガジェットで、アイアンマンがハイテクスーツで戦うとするならば、その代わりにロボットチームを率いるのが旋風寺舞人、というわけだ。

そしてこうしたアナロジーが可能なことからわかるように、旋風寺舞人は彼らに通じるマスキュリニティの担い手として描かれる。旋風寺舞人は勇者シリーズにおけるこれまでの登場人物とはまったく異なる主人公である。勇者ロボたちの部隊を率いて敵と戦う構図そのものは、一見すると前作『伝説の勇者ダ・ガーン』における星史少年と立場を同じくするように見える。しかし星史少年があくまで未成熟でやんちゃな、等身大でどこにでもいそうな、基本的には戦う力を持たない「少年」として描かれていたのに対し、旋風寺舞人ははじめから成熟した、完璧な存在として現れる。

舞人は15歳と設定されているだけでもはや「少年」ではなく、自らが男性的なナルシシズムを強烈に体現している。彼はヌーベルトキオシティの中心にそびえたつ(それが本当に中心かどうかは定かではないが、少なくともそのような印象を与えることを意図したデザインとなっている)自社ビルに住み、秘書と執事を従え優雅な生活を営み、作中に登場するあらゆる女性(敵を含めた)がその魅力に頬を赤らめる。

特に秘書である松原いずみは、舞人のナルシシズムを支える重要な存在だ。常に胸の谷間を強調した服に短いタイトスカートで仕え、15歳の上司から繰り出される恋人の有無や結婚についてのセクハラとしか言いようのない質問にはポーズとして憤慨しながらも最後は照れを見せ、スケジュールの無茶な変更などの事務仕事を的確にこなしていく。舞人の社長としての立場がそうした母性に支えられる一方で、物語のヒロインとなるのは吉永サリーである。彼女は貧しさからさまざまなアルバイトに精を出しており、それゆえにさまざまな事件に巻き込まれる。そこにさっそうと現れた舞人に、身分違いと知りながら惹かれていく――という構図がとられている。女性キャラクターだけではなく、たとえばライバルとなる雷張ジョーをはじめとした男性キャラクターも、不屈の正義を貫く舞人の男気に魅せられていく。「嵐を呼ぶナイスガイ」「不死身のタフガイ」と自ら名乗る舞人の仕草は、何者にも傷つけられない自信にあふれている。

もちろん本連載の目的は、こうした描写を批判することではない。重要なのは、旋風寺舞人がこれまでの勇者シリーズでは(少なくとも表面的には)あまり見られなかった、性的な回路によるナルシシズムを強力に体現する存在として描かれていることだ。一度崩壊した東京を列車という工業技術によって再生し、その身体を未成熟に留めたまま、美少女とロボットによって担保されたヴィジランテとしての全能感を生きる昭和125年の「12歳の少年」――それが旋風寺舞人なのである。

▲旋風寺舞人。ヒーロー然としたコスチュームと佇まい。
勇者シリーズデザインワークスDX(玄光社)113
▲吉永サリー。セーラー服の美少女。
勇者シリーズデザインワークスDX(玄光社)113

右腕となる「マイト」、中心を去る「ガイン」

これは勇者ロボとの関係にも反映されている。本作における勇者ロボは、「勇者特急」のタイトルどおりすべて列車をモチーフとしている。舞人のパートナーとなるガインは、300系のぞみから変形するロボットだ。その人格の根拠となるのはこれまでのような超越存在ではなく、旋風寺コンツェルンが開発した超AIによるものと設定されている。本連載ではこの設定の変化を非常に重要なものと考える。しかし本作の段階ではあまり掘り下げられないため、後の作品で詳細に論じていくことにしたい。

さて、『伝説の勇者ダ・ガーン』における星史少年は、隊長でありながら自ら戦う力を持たず、あくまで司令塔としての役割に留まっていた。しかし旋風寺舞人はその強烈なナルシシズムをもって、自ら戦士として前線に立っていく。

彼の乗機となるのは400系つばさをモチーフにし、新幹線から戦闘機に変形する「マイトウィング」である。ガインと舞人の乗ったマイトウィングは新幹線の状態で犯罪現場に向かい(ヌーベルトキオシティは線路が張り巡らされた鉄道都市である)、舞人は戦闘機となったマイトウィングで戦いながらガインに指示を与える。より強い力が必要になると、舞人は巨大なSL「ロコモライザー」を呼び出し、合体の号令をかける。このロコモライザーが中心となり、ガインは左腕に、マイトウィングは右腕に配置され、マイトガインが完成する。

▲本作の主人公ロボ「特急合体マイトガイン」。列車をモチーフにしたインパクトあるデザインに、優れたプロポーションを持つ傑作玩具。
勇者シリーズトイクロニクル(ホビージャパン)p23

この構成において特筆すべきなのは、小ロボ・ガインが腕に配置されていることだ。振り返れば、エクスカイザーはそのボディを拡張するかたちでキングエクスカイザーへと合体し、ファイバードは胸の中央に火鳥勇太郎が収まり支援機によって武装することで完成したのだった。そしてダ・ガーンが変形するパトカーを中心にして戦闘機と新幹線が上下に合体するのがダ・ガーンXであった。勇者シリーズにおいて小ロボから大ロボへのパワーアップは、常に小ロボを中心にして、それを拡張する形で行われてきた。

マイトガインの合体構成は、舞人とガインが共に前線に立つ対等なパートナーであることを強調する。しかし過去の勇者シリーズが常に小ロボを中心に据えてきたこととの比較で考えるならば、少年たる舞人が戦う主体として右腕に格上げされたのに対し、ガインの存在は左腕に追いやられたと考えることもできる。

▲小ロボ・ガイン。大ロボの腕に変形するという比較的珍しいギミックと小ロボとしてのプロポーションを絶妙なバランスでまとめている。
勇者シリーズトイクロニクル(ホビージャパン)p 24
▲マイトウィング。こちらが「主役メカ」である。
勇者シリーズトイクロニクル(ホビージャパン)p 25

とはいえ、こうした解釈には若干の注意も必要だ。なぜならマイトガインの玩具はロコモライザー部分に電子回路による発光・発声ギミックを備えており、マイトウィングとガインが両腕に合体するのは、玩具構成上そうせざるを得なかった可能性も高いからである。もっとも同様のギミックを備えた次作のジェイデッカーは小ロボが胸部〜頭部となり、元の構成に戻っている。これが技術的進歩によるものなのか、それとも想像力の問題なのかを論じることは難しい。とはいえ、勇者シリーズにおいては玩具と物語は同時に開発されており、お互いにどちらが先ともいえない影響を与え合いながら作られていったことは確認しておいてよいだろう。

▲ロコモライザー。SLのモチーフを前半に集約し、後半はカラーを切り替えることで近未来的な列車としてうまくまとめている。
勇者シリーズトイクロニクル(ホビージャパン)p 25

そしてこうした特徴は、アニメーションの描写においてさらに強調される。マイトガインは舞人が搭乗するコックピットを備える。マイトウィングのコックピットが移動し、合体したマイトガインの顔部分に舞人が搭乗していることが、アニメーションの演出において強調して描かれる。マイトガインの操作の主体がガインと舞人のどちらにあるかは曖昧にされており、アニメーションの演出としては舞人とガインが会話をしながら戦闘するようになっている。しかしながら、ガインが基本的に舞人の指示で動くことを考えれば、実際の操作はともかく象徴的には舞人のほうに主体があると考えてまず差し支えないだろう。

搭乗型ロボットとしてのマイトガイン

これまでの勇者シリーズでは、自らは戦う力を持たない地球の少年と高い戦闘力を持つ異邦人のロボットが相補的に機能する構造となっていた。玩具においても戦闘は勇者ロボの領分であるからこそ、小ロボをストレートに拡張していくかたちが採用されていた。ゆえに谷田部勇者は、少年がロボットに指示を行うことで戦いを進める――指示する主体と戦う主体を分離・協調させる構図に到達した。そしてそれは、おそらくは半ば結果として、無力な少年=遊び手の子どもと、戦うロボット=玩具の関係を正確に記述することになった。

しかしマイトガインはこの構造を大きく変革する。谷田部勇者において少年がロボットに対して指示を行う構図にたどり着いたのは、戦うことができない少年と、戦うことしかできない(それを主任務にしており日常生活への溶け込みには困難があるという意味で)ロボットという構図を維持しながら、少年の主体を反映させるためのギミックであった。もし少年――舞人が自ら戦うのなら、その主体は旋風寺舞人が担うことになる。旋風寺コンツェルンの主体が究極的にはその総帥である舞人であるように、勇者特急隊の主体もまた、舞人に集約されている。

こうした特徴は、マイトガインをマジンガーZやガンダムといった搭乗型のロボットに限りなく接近させる。本連載では「魂を持った乗り物」という概念を通じて、20世紀末のボーイズトイが21世紀的な想像力を先取りしていると分析してきた。確かにマイトガインもまたガインという存在を宿している以上、「魂を持った乗り物」の一種であると言うことができるだろう。しかしガインが舞人の意思決定に影響を与える度合いは高くない。たとえばダ・ガーンは命令を受けるまで行動できないという欠点と、単純な命令を複雑な行動にブレイクダウンして判断したことが強調して描かれていた。そう考えると、ガインは勇者特急隊という組織――あるいは旋風寺コンツェルンの構成員と同列の立場として捉えることができるだろう。指示に基づいて勇者ロボが戦闘するとしても、それは執事や秘書が業務をこなすのと本質的に変わらない、トップダウンにしてウォーターフォール的な主体拡張といえる。

「乗り物」と「魂を持った乗り物」を区別したのは、「乗り物」が身体をストレートに拡張することでマスキュリニティを表現するのに対し、「魂を持った乗り物」は、精神をダイレクトに物理的現実に反映する精神と肉体の短絡に対して、別の主体が挟まれることによって生まれる中間性を指し示すために必要な概念であった。

そう考えれば、マイトガインは「魂を持った乗り物」でありながらも、「乗り物」に近い美学を宿しているということができる。たとえば勇者シリーズの先祖と位置付けたGIジョーについての議論では、軍隊という組織をそのリーダーというひとつの主体を拡張する巨大な身体として捉え、アメリカのヒーローたちもこの系譜に位置づけた。マイトガインが描く美学も、勇者シリーズとしては最大限にこうした美学に寄っている。

戦う少年を拡張するグレート合体

これはマイトガインのグレート合体においても変わらない。2号ロボであるマイトカイザーは、意志を持たない完全な搭乗型ロボットであり、もちろん旋風寺舞人が操縦する。物語においては強力な敵・雷張ジョーの乗るロボット「飛龍」によってロコモライザーが大破、その代替として出撃することになる。マイトカイザーは大きな翼を備えたデザインで、能力的にも飛行可能と設定されており、それが飛行ロボットである飛龍に対抗する鍵になる。

マイトガインのグレート合体「グレートマイトガイン」は、ロコモライザーが修復されマイトガインが復活したことによって可能になる。この際のマイトガインは、マイトウィングを一種の自動操縦にしており、完全にガインの意志で動くことになる。そのマイトガインがマイトカイザーをまとう形で合体し完成するのが「グレートマイトガイン」というわけだ。

少々入り組んではいるものの、対比的な存在を止揚していくグレート合体の作法に則って解釈すれば、マイトガインの構図を拡大したものだと考えるのが自然だろう。マイトガインは、その名の通り舞人とガインの合体であった。グレートマイトガインにおいても、マイトカイザーが舞人、マイトガインがガイン、という割り当てでこれは繰り返される。とはいえ、グレートマイトガインへの合体は、旋風寺コンツェルンのチームに支えられたものではあっても、必ずしも舞人とガインの絆を根拠にしたものとしては描かれていない。舞人とガインは息の合ったバディではあるものの、やはり重心は舞人のナルシシズムの記述にあると言ってよいだろう。この時点で、マイトガインは「戦えない少年」と「異邦人としてのロボット」の相補関係をほぼ完全に捨て去っている。

▲「ドリル特急合体マイトカイザー」。6体の小メカから構成される。意志を持たない完全な搭乗型メカ。
勇者シリーズトイクロニクル(ホビージャパン)p 26
▲「超特急合体グレートマイトガイン」。マイトカイザーをまとうように合体する。
勇者シリーズトイクロニクル(ホビージャパン)p 30

子どもが引き金を引ける銃

こうしたマイトガインの美学は、極端なほど20世紀的なものだ。しかしこの連載では、マイトガインが勇者シリーズの先見性をうっかり後退させてしまったとは考えない。なぜならマイトガインは、端々で20世紀男性文化をかなり意図的に引用するからだ。

そもそも「マイトガイン」という名前自体、日活のスターであった小林旭のニックネーム「マイトガイ」を参照したものであるし、旋風寺という名前も小林旭主演の代表作のひとつ『銀座旋風児』からの引用である。他にもヒロインである吉永サリー(吉永小百合)や祖父である旋風寺裕次郎(石原裕次郎)、雷張ジョー(宍戸錠)など、登場人物の多くが日活のスターから名前が取られている。また巨大犯罪に立ち向かうタフガイの主人公――という本作の基本構図も、こうした日活の映画を彷彿とさせるものだ。

日活は1950年代から60年代にかけてさまざまなアクション映画を制作していった。こうした映画群はエンターテイメントに大きく舵を切っており、日本でありながら拳銃や馬が登場する独特の世界観から、無国籍映画と呼ばれるようになった。無国籍映画がこのような奇妙なリアリティを登場させたのは、西部劇をはじめとしたアメリカ映画を日本なりに再解釈した結果であると(実際にはもっと多様な文脈があることを踏まえつつもおおまかには)いってよいと思われる。

我々はこの話に、既視感ある構図を見つけることができる。勇者シリーズは、フロンティアの美学を色濃くたたえたトランスフォーマーを日本にローカライズしていく過程で新たな美学を発見していく過程であった。そして日活の無国籍映画もまた、西部劇などをはじめとしたアメリカ映画の影響を強く受けながら、それを日本式に作り直すことで生まれたといえる。また作中で最大のライバルとして描かれる雷張ジョーの乗機「飛龍」「轟龍」は、どちらもそれぞれ「ソニックボンバー」「ダイアトラス」というトランスフォーマー玩具からの流用であり、最終的に雷張ジョーは舞人たちに協力するようになる。こうした文脈を踏まえると、この事実も示唆的に思われてくる。

こうした美学は、アニメーションだけではなく玩具にも反映されている。グレートマイトガインは、「マイトガンナー」と呼ばれるサポートロボと合体して「グレートマイトガインパーフェクトモード」となる。マイトガンナーは巨大な超伝導砲となりグレートマイトガインの肩に担がれるのだが、重要なのはその発射プロセスだ。マイトガンナーを装着すると、グレートマイトガインのコクピットに乗った舞人の前に、銃型のコントローラーと照準が表示されるスクリーンが登場する。そして舞人はその引き金を引くことで、超伝導砲を発射する。そしてマイトガンナーの玩具は、グレートマイトガインと合体するギミックを持ちながら、子供が握ることができるグリップを持ち、トリガーを引くことでLEDが発光し射撃音が鳴るというなりきり玩具としての性質も持っている。

▲「弾丸特急マイトガンナー」。リボルバー拳銃とSLを合体させた野心的なデザイン。
勇者シリーズトイクロニクル(ホビージャパン)p 29
▲グレートマイトガインパーフェクトモード。マイトガンナーが折りたたまれ、肩に装着されているのがわかる。
勇者シリーズトイクロニクル(ホビージャパン)p 30

これは勇者シリーズの玩具としては二重の意味で初の試みであった。ひとつは完成したグレート合体に、新たな要素が付け加えられること。もうひとつはロボットがなりきり玩具としての性質を持ち合わせたことである。これはセールス的に好評だったのか、以降も踏襲されることになる。

主人公が敵に向かって最終兵器の引き金を引く――というシチュエーションは、少年とロボットに主体を二重化する谷田部勇者ではありえなかったものだ。もう一度、トランスフォーマーについて思い出してみよう。トランスフォーマーはアメリカン・マスキュリニティの表現として、正義のリーダーにトラックを、悪のリーダーに銃を選んだ。そしてそれは銃によって獲得したフロンティアを交通網によって結ぶことで国土を形成してきたアメリカという国そのものの象徴であった。マイトガインという玩具の完成である「グレートマイトガイン・パーフェクトモード」という形態が鉄道と銃を内包していることは、日活の無国籍映画が西部劇の要素を(あるいはそれが体現するマスキュリニティを)取り入れながら作品を作っていったこととシンクロする。

これらの構図が、どこまで意識的に採用されたのかは定かではない。たとえばマイトガンナーという玩具について、スーパー戦隊『鳥人戦隊ジェットマン』(1991年)に登場する、同じく大砲に変形しなりきり玩具を兼任する「テトラボーイ」の影響を受けていると考えるのは自然である。そのためマイトガンナーのモチーフと特徴をもってしてトランスフォーマーとの関連を論じるのはいささか強引であるかもしれない。しかしトランスフォーマーの原点がフロンティアに結びついたアメリカン・マスキュリニティにあること、『勇者特急マイトガイン』が日活の無国籍映画を参照していること、その日活映画が西部劇的なマスキュリニティの影響下にあること、マイトガインがこうした20世紀男性文化に接近していること、さらにそのことについて自覚的であったということは、ある程度確かな流れだといってよいだろう。

三次元人と二次元人、プレイヤーとゲーム

この作品には、もうひとつ特筆すべき点がある。それは最終回の展開だ。舞人はマイトガインに乗り、ブラックノワールという名の犯罪組織の元締めに迫る。ブラックノワールは「次元を超えてやってきた三次元人」と語られ、『勇者特急マイトガイン』の世界が「二次元」の世界であることが名言される。ブラックノワールは、作中世界は楽しむために作られたゲームにすぎないと語る。舞人もあくまでヒーローという役割を与えられたコマであり、ゲームのコマがプレイヤーに勝てないということを根拠に舞人を圧倒する。最終的に吉永サリーの力によってひるんだブラックノワールは、自らもまた悪役というコマにすぎなかったことを悟りながらマイトガインに倒されることになる。

このメタフィクショナルな展開は、もちろんアニメーション作品としてのマイトガインについての自己言及だ。そうでなければ「二次元」という言葉をゲームと結びつけて使用することはしないだろう。一方で「ゲーム」という言葉が使われていることによって、映像作品の枠を超えた射程を持つことになってもいる。その点に注目することで、さらに考察を一歩進め、これを玩具による遊びへの言及としても捉えてみたい。

我々は玩具で――勇者シリーズのようなフィギュアで遊ぶとき、自分たちが作っているのがフィクションの世界であることを知っている。それは単におもちゃだからということではない。たとえばスーパー戦隊や仮面ライダーのなりきり的な変身アイテムと異なり、我々は自らの身体を遊びの世界に直接的に参加させることができない。ゆえに、我々はフィギュアで遊ぶとき、想像力によって自らの肉体を玩具へと変換する必要がある。これはマイトガインの定義に従えば、三次元人である我々が二次元世界へ参加するということになるだろう。ダ・ガーンにて完成された谷田部勇者の想像力が優れていたのは、未成熟な子どもという主体を戦い=遊びのフィールドの外に置きながら、戦う勇者ロボットに指示を与えることで、このギャップをロールプレイのなかに回収したからだ。こうした想像力を、本連載では20世紀末的なもの、21世紀に対して予見的なものとして捉えてきた。

しかしマイトガインは、こうした三次元世界から二次元世界への参加を、おもちゃ遊びではなく「ゲーム」にたとえる。「ゲーム」という言葉には当然多様な意味が内包されているが、三次元と二次元を結ぶものとしてこの言葉が使われていることを考えれば、ここではコンピューターゲーム、いわゆる「テレビゲーム」を指していると限定してよいだろう。

テレビゲームにおいては、プレイヤーは画面の中のキャラクターを操作することによってそのキャラクターと一体になり、ゲームの世界に参加していくことになる。三次元人であるプレイヤーと二次元世界のキャラクターは、操作によって担保される。これは谷田部勇者が描いた玩具遊びにおける子ども=プレイヤーとキャラクター=玩具の関係とは明確に異なっている。そして乗り物というモチーフが常に精神をダイレクトに拡張し社会に作用する肉体としてのイメージを宿してきたことを論じてきたこの連載の目線からは、その差異とマイトガインにおけるマスキュリニティは強く結びついていると捉えられる。

マイトガインが事実上の搭乗型ロボットとなったこと、そして旋風寺舞人が昭和125年のヒーローとして20世紀的な美学に露悪的なまでに留まったことはやはり重要な意味を持つ。旋風寺舞人というヒーローは、本質的に勇者ロボを――ガインを必要としていない。なぜなら舞人の生きる昭和的な男性性の美学において、主体は銃や乗り物によって直接的に拡張されることでナルシシズムが記述されるのであって、そこに別の主体を挟むことによって発生する中間性はむしろ邪魔になるからだ。マイトガインは巧みな脚本によってそれを旋風寺コンツェルンというチームの必要性に読み替えているが、舞人が本質的に必要としているのは、むしろいずみやサリーといった女性たちである。実際にブラックノワールとの決戦において決定的な力となるのは、ガインとの絆ではなくサリーの存在であるし、『勇者特急マイトガイン』のラストシーンもまた、舞人とサリーの結婚式という「性的な成熟」をもって幕を閉じる。

マイトガインがもし搭乗型のロボットでなかったなら、そして舞人が自ら戦うヒーローでなかったのなら、作中世界を二次元のものであるとあえて言及する理由はおそらくなくなる。なぜならそのような現実とフィクションの弁別は、少年とロボット、子どもと玩具のあいだですでに前提として起こっているからだ。ブラックノワールとの対決は、むしろ舞人が玩具の世界に「直接乗り込んでしまった」ことによって発生しているのだ。それは20世紀的な男性的成熟のイメージと玩具の関係において、なぜ勇者シリーズのような美学が必要であったかを逆説的に説明しているといえるだろう。『勇者特急マイトガイン』は勇者シリーズにおいて、何重もの意味で「昭和125年」に位置する作品なのだ。

しかし本連載は、高松はマイトガインが描かなかったもの、捨象した部分について自覚的であったと考える。なぜなら次作となる第5作『勇者警察ジェイデッカー』は、超AIという設定を背景として、少年とロボットの関係性に色濃く焦点を当てた物語だからだ。

(続く)

この記事は、PLANETSのメルマガで2024年1月9,16日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。
あらためて、2024年3月28日に公開しました。(バナー画像出典:「勇者シリーズトイクロニクル」(ホビージャパン)p23)

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