序章 「巨匠」の後のテレビドラマ

特撮と歴史をつなぐ

 一九六六年から八一年にかけて断続的に放映された昭和のウルトラマンシリーズは、日本では誰もが知る特撮テレビ番組である。宇宙人の巨大ヒーローを中心に、多様な怪獣たちを出現させ、一大ブームを巻き起こしたこのシリーズは、日本のサブカルチャー史のなかでも特異な位置を占めている。本書はこのウルトラマンシリーズを、さらには特撮文化そのものを文化史的に考察しようとする評論である。
 このシリーズの内容や成立過程に関しては、すでにさまざまな検証がなされている。とりわけ一九九〇年代以降、監修の円谷英二はもちろんのこと、金城哲夫、上原正三、佐々木守、市川森一、石堂淑朗(以上脚本家)、円谷一、飯島敏宏、実相寺昭雄(以上監督)、佐原健二、桜井浩子、黒部進、古谷敏、ひし美ゆり子(当時の芸名は菱見百合子)、森次晃嗣、岸田森(以上俳優)、成田亨、高山良策、池谷仙克(以上美術家)、さらに異色の編集者・大伴昌司ら当時の円谷プロダクション界隈のキーパーソンに関わる書籍や特集が、次々と刊行されるようになった。過去作品のソフト化も進み、二〇一一年には白黒の『ウルトラQ』が「総天然色」版のDVDとして発売された。今でも、硬派な研究書からマニア向けのムック本まで多くの関連書籍が刊行されており、シリーズ放映五十周年を過ぎてからもその量は増すばかりだ。
 インターネット上の多くのファンサイトも含めたこの情報の山には、今さら何も付け加えるべきことはないように思える。とはいえ、大きな課題が実はまだ一つ残されているのではないか。一言で言えば、それは「ウルトラマンシリーズが戦後サブカルチャー史のなかで、ひいては戦後日本社会の作り出してきた精神や美学のなかで、いったいどういう位置を占めるのか」という文化史的な問いである。
 近年、日本のサブカルチャーは宮崎駿監督のアニメ映画を筆頭にして、学問や批評の対象として頻繁に扱われるようになってきた。今や社会学者や心理学者、文芸批評家がサブカルチャー論を書くのは当たり前の光景となり、サブカルチャー研究全般のアカデミックな制度化も進行している。ただ、そこで取り上げられるのはもっぱら漫画、アニメ、ゲーム、J–POP、ネット文化等であり、特撮はどちらかと言えばマイナーな存在に留められてきた。
 この傾向は特撮の受容層の世代的な偏りと関係している。現在の出版界において、特撮論の書き手はウルトラマンシリーズをリアルタイムで視聴した一九六〇年前後生まれ(いわゆるオタク第一世代)の男性が圧倒的に多く、一九七〇年代生まれ(オタク第二世代)や一九八〇年代生まれ(オタク第三世代)以降の書き手においては、総じて特撮はあまり重視されていない[*1]。これは漫画論やアニメ論の研究者が各世代に散らばっているのと対照的である。さらに、この偏りは作り手の側にもはっきり見て取れる。例えば、二〇一六年にはオタク第一世代を代表する庵野秀明総監督・樋口真嗣特技監督の『シン・ゴジラ』が大きな反響を巻き起こしたが、今後オタク第二世代以降の映像作家が庵野や樋口と同じくらいの密度の特撮映画を撮るのは難しいだろう。
 ヒーローものや怪獣ものの特撮は、戦後日本社会で広く共有された大衆的な映像表現である一方で、特定のオタク世代の文化体験と深く結びついてもいる。むろん、それが悪いわけではないが、特撮についての「語り」を多面的かつ持続的なものにしようとするならば、より大きい文化史的な視座を定めることも必要だろう。そもそも、戦後日本のサブカルチャー史は特撮を抜きにしては十分に理解できないし、逆に特撮の意義を考えるには、戦中・戦後の文化史への目配りが欠かせない。だとすれば、今のサブカルチャー研究に必要なのは、何よりもまず特撮と歴史のつながりを回復することではないか──、文芸批評家の私が本書を書く背景にはそのような問題意識がある。

一九六〇年代──映画からテレビへ

 本題に入る前に、まず下準備として一九六〇年代後半という時代性に注目しておきたい。今から振り返ると、この時期に始まった昭和のウルトラマンシリーズがさまざまな文化領域の転換期と重なっていたことがよく分かる。そもそも、このシリーズは映画、テレビ、美術、雑誌編集等にまたがる諸分野の人間どうしの「合作」という性格が強く、しかもそれらの諸分野が当時それぞれに岐路を迎えていた。
 例えば、日本映画の娯楽産業としての全盛期はすでに過ぎ去り(観客動員数は一九五八年をピークに減少を続けていた)、ウルトラマンシリーズの監督や俳優たちは好むと好まざるとにかかわらず、テレビに新たな活路を見出さざるを得なくなっていた。あるいは、金城哲夫や佐々木守ら脚本家たちがウルトラマンシリーズの怪獣にそれぞれのメッセージを託す傍らで、編集者の大伴昌司は『少年マガジン』誌上でそのようなメッセージ性にはお構いなしに『ウルトラマン』に疑似科学的な「設定」を与え、怪獣ブームの火付け役となった。さらに、ウルトラマンと怪獣のデザインおよび着ぐるみの作成を担当した彫刻家の成田亨や画家の高山良策は、結果として「純粋芸術」(ファインアート)と「大衆文化」(サブカルチャー)の境界をぼやけさせ、九〇年代初頭の美術界で台頭したオタク第一世代の中原浩大、村上隆、ヤノベケンジら「ネオ・ポップ」(サブカルチャーやオタク系のイメージを多用した日本版のポップ・アーティスト)の先駆けになった。
 特に、東京オリンピックを契機にしてテレビが一般家庭に広く普及し、映画産業が衰退期を迎えていたことは、ウルトラマンシリーズという「テレビ映画」(映画と同じくフィルムで光学的に撮影されたテレビドラマ)の出現の決定的要因となった。一九六六年放映の『ウルトラQ』に始まる初期のシリーズでは、すでに東宝の特撮映画で名声を博していた円谷英二を監修として、TBSのディレクターであった息子の円谷一がたびたび監督を務めていたが、この体制そのものが映画からテレビへという娯楽の中心の移行を雄弁に物語っている。象徴的なことに、怪獣べムラーの登場する『ウルトラマン』第一話の脚本も、すでに『モスラ』や『キングコング対ゴジラ』等の特撮映画で実績のあった関沢新一と、映画業界とはほとんどゆかりのなかった金城哲夫の「共作」として世に出ることになった。
 むろん、この新旧メディアの交差はさまざまな摩擦も生み出した。例えば、ウルトラマンシリーズに監督として参加する以前、黒澤明の『蜘蛛巣城』や『隠し砦の三悪人』で助監督を、『モスラ』での監督助手を務めた映画畑の野長瀬三摩地は、TBS出身の実相寺昭雄のふざけた演出──ハヤタ隊員が変身アイテムのベーターカプセルと間違ってスプーンを取り出してしまうというもの──に不満げであったと伝えられる。あるいは、ウルトラマンシリーズで光線の合成を担当した飯塚定雄は、『ウルトラマン』のラッシュを確認中にセットのバレモノが見つかったとき、テレビでは切れますからと言った撮影助手に対して、円谷英二が激怒したという逸話を伝えている[*2]。メディア史的には、だいたい一九六四年頃を境にして「映画会社とテレビ局のパワーバランスが崩れ始めた」と言われるが、それはまた、映像の見せ方や作り方の前提が大きく変わっていくということも意味していた[*3]。
 ウルトラマンシリーズの出演者に関しても、東宝の特撮映画の常連であった佐原健二が『ウルトラQ』の主役に起用されたのに対して、そのような華やかな光の当たらなかった役者もいた。例えば、古谷敏はもともと宝田明を目標に東宝の「ニューフェース」として入社したが、映画では大きな成功を収められないまま、『ウルトラQ』のケムール人とラゴンを演じた後、成田亨にそのスタイルの良さを買われてウルトラマンのスーツアクターに抜擢される。しかし、役者でありながら顔の出ないぬいぐるみに入るという現実は、古谷の心と身体に過酷な負担をかけるものであった[*4]。
 このように、初期のウルトラマンシリーズは高い視聴率を得た一方で、映画畑のひとびとの心理的な抵抗や当惑も伏在させていたが、それでもシリーズの作り手たちは映画というジャンルの財産を相続しつつ、それをテレビ向けにアレンジして創作の手法を確立していった。このジャンル間のアダプテーション(適応/翻案)は日本のサブカルチャー全般を特徴づけるものだが(例えば、ある作品をジャンルの垣根を超えて商品化するメディアミックスはその好例である)、そのなかでも六〇年代後半のウルトラマンシリーズには、映画とテレビの中間地帯の雑多さが認められる。

大島渚とウルトラマン

 さらに、六〇年代後半以降は映画の内部でも大きな地殻変動が起こっていた。この時期には大手の製作配給会社の映画に代わって、アングラ的なピンク映画、土本典昭や小川紳介のドキュメンタリー映画、松竹ヌーヴェルヴァーグの大島渚、吉田喜重、篠田正浩らの反逆的な映画が台頭し、それまでの黒澤明や小津安二郎ら「巨匠」たちの映画から大きくはみ出したカルト的な映像世界が作り出された[*5]。円谷英二と同世代の東宝のプロデューサー森岩雄の肝煎りで作られた日本アート・シアター・ギルド(ATG)が、その象徴的な拠点となったことはよく知られている。
 このうち、ウルトラマンシリーズと間接的に関わりがあったのが、この新潮流のトップランナーであった一九三二年生まれの大島渚である。大島は六〇年代末の監督作『絞死刑』や『新宿泥棒日記』等の脚本に参加した佐々木守を実相寺昭雄にひきあわせ、その後には一九六九年に公開された実相寺の初監督作品『宵闇せまれば』に脚本を提供した。そして、大島が媒介した監督・実相寺、脚本・佐々木のコンビは『ウルトラマン』『ウルトラセブン』『怪奇大作戦』等で異色の実験作を次々と生み出していく。
 一九三六年生まれの佐々木とともにウルトラマンシリーズの代表的脚本家となった三七年生まれの上原正三も、学生時代に大島に心酔し、彼の監督作品である『愛と希望の街』『日本の夜と霧』『青春残酷物語』を見て粋がっていたと後に語っている。さらに、七〇年代の『帰ってきたウルトラマン』等で脚本を担当した一九三二年生まれの石堂淑朗は、六〇年代初頭に『太陽の墓場』や『日本の夜と霧』等で大島と脚本を合作し、後には実相寺のATGでの監督映画『無常』にもマルタン・デュ・ガールの短編「アフリカ秘話」を意識した脚本を提供した[*6]。大島渚はウルトラマンシリーズの作り手たちをつなぐ結節点であったと言えるだろう。 興味深いことに、佐々木守とのつながりから当時『ウルトラマン』を見ていたという大島自身も、日本各地を放浪する当たり屋の家族を描いたロード・ムービーの傑作『少年』(一九六九年)のなかで、主人公の孤独な少年が幼い弟を前にして雪だるまを「アンドロメダ星雲から来た正義の味方の宇宙人」に見立てるという、明らかに『ウルトラマン』を踏まえた印象的な場面を撮っていた[*7]。ウルトラマンシリーズは円谷プロのあった世田谷周辺でたびたびロケを行い、東京郊外の明るい中流階層の少年たちを多く登場させた。ちょうどそれを反転させるようにして、大島は荒涼とした世界にさまよい出た少年一家を撮りながら、ウルトラマンの「変身」の夢をことさら反ウルトラマン的な日本の地方都市の風景に重ね合わせる。それによって、『少年』はウルトラマンシリーズの暗く、それでいてきわめて瑞々しい「分身」として現れることになった。
 そもそも、四方田犬彦が指摘するように、大島は「映画史的記憶」に対して無関心であり、その点に限っては本家ヌーヴェルヴァーグのジャン=リュック・ゴダールのようなシネフィル(映画オタク)の対極にあった。しかし、映画史を参照せずにいきなり現実に肉薄しようとする、このいわば手ぶらの「貧しさ」から、ときに『少年』のような切実な作品や『忘れられた皇軍』(一九六三年)のような優れたテレビ・ドキュメンタリーが生み出されたのだ[*8]。
 当たり屋の一家を主役とした『少年』も含めて、大島は「犯罪」を世界認識の基本的な額縁としながら、個人から国家、さらに日本の風景や人間の生理までをざらざらとした不穏な映像のなかで読み解こうとしていた。その大島の攻撃的なスタンスからすれば「僕には『ウルトラマン』を作るといっても、とっかかりがないんだな」という感想になるのは当然である[*9]。しかし、大島の映画史的記憶なき映画は、特撮テレビ番組の若々しさや荒々しさともどこかで響き合っていたのではないか。『ウルトラマン』の陰画と言うべき『少年』は、そのようなことを考えさせる映画である。
 もとより、映画史の外で「子供」と「旅」を結びつけた大島の試みは、決して孤立したものでもない。例えば、ドイツのヴィム・ヴェンダース監督のロード・ムービー『都会のアリス』(一九七三年)は、幼い少女の旅に同行することになったジャーナリストの男性がニューヨークからドイツのヴッパータールへとさまよった挙句(ちなみに、この筋書きは『不思議の国のアリス』および『ロリータ』を否応なく想起させる)、偉大な映画監督ジョン・フォードの死を報じる新聞を読む場面で締めくくられる。ここでは、巨匠の時代が終わり、しかもその後に来るべき映画のスタイルも定かではないという独特の浮遊感が、無名の少女を撮るというやり方で鋭く捉えられていた。
 映画は子供とともに、あるいは子供を導きの糸として生まれ変わらねばならない──、このヴェンダースの賭けは大島の『少年』と符合するだけではなく、まさに円谷英二という「巨匠」の後で、まだ何の約束事もスタイルも決まっていない特撮テレビ番組のために悪戦苦闘していたウルトラマンシリーズの作り手たちとも、どこか共振するように思える。ウルトラマンシリーズは子供向けであるにもかかわらず、というよりも子供向けであるからこそ、そこには「巨匠」の後の表現を模索していた同時代の映像作家との仄かな共鳴が認められるのだ。

テレビとサブカルチャーの批評基準

 一九五〇年代までの日本映画の巨匠たちが世界に冠たる立派な「父」であったとすれば、一九六〇年代後半のウルトラマンシリーズはそれとは別の新たな映像スタイルと消費者を生み出した「息子たち」の作品である。当時の関係者の回顧を読むと、偉大な「オヤジ」である円谷英二の監修の下で、一九三八年生まれの金城哲夫を筆頭とする三〇年代生まれの若い才能が、さまざまなアイディアを手探りで具体化していったことが伝わってくる。
 むろん、青春期が常にそうであるように、ウルトラマンシリーズにも明らかに未熟さや幼稚さ、ご都合主義が見られる。シリーズの基本設定を考えたのは金城だが、現場では常に複数の監督や脚本家、美術家が関わり、一人の作家がシリーズを全面的に統括したわけではないことも、この「甘さ」の一因になっただろう(一般的に言って、集団の創作物である映画やテレビドラマは近代的な「作家主義」の枠組みでは理解しきれないが、ウルトラマンシリーズもその例に漏れない)。それゆえ、芸術的な完成度の高さや傷のなさを尺度にすると、作品の評価はかなり厳しいものになってしまう。
 そもそも、怪獣や宇宙人の登場する特撮は悪趣味なゲテモノと見なされることが多い。それでも、本多猪四郎監督・円谷英二特技監督の『ゴジラ』や『モスラ』が奥深いテーマを扱った怪獣映画として、幅広い層から高く評価されてきたのに対して、ウルトラマンシリーズは「大人」の文学者や批評家にとってまともに取り合うべき対象とはなかなか見なされてこなかった。金城哲夫と世代の近い小松左京や大江健三郎のように、当時ウルトラマンを批判的に取り上げた文学者もいたが、それは少数派に属するだろう。 ただ、ここでの大きな問題は、作品の精密さという尺度が、特撮テレビ番組を評するのにふさわしいかということである。私自身、ウルトラマンシリーズが完璧で隙のない作品だとは思わないが、その不完全さがかえってこのシリーズの不思議な美点になり得たことも確かだと考えている。たとえ多くの傷があったとしても、その弱点がひとたび受け手との共犯関係の絆に変われば、作品にはかけがえのない価値が生じることもある──、これは日本のサブカルチャーでは別段珍しい現象ではない。
 アニメや特撮は基本的に「駄目」なものだが、そのことが作品への愛を損なうことにもならないというのは、古い世代のオタクにしばしば見られる心理であった[*10]。
 このいささか奇妙な寛大さは、アニメや特撮の主要媒体となったテレビの特性とも恐らく関係しているだろう。ウルトラマンシリーズは長い話数をかけて主人公の成長物語を書く代わりに、一話完結のテレビドラマというフォーマットを守り続けた。ときに例外もあるとはいえ、巨人と怪獣の闘いは基本的には一話限りであり、翌週には今週の出来事など何もなかったかのように再び新たな怪獣が出現する──、ここにはいわば強力な「慣性」が働いているため、明らかに駄目な回があっても致命傷にはならない。
 そして、このテレビドラマの反復性は、ときに映画ではできないような実験的な演出も可能にした。例えば、アニメ監督の押井守は、特撮ファンのあいだでカルト的な人気を誇る実相寺昭雄の演出について、六〇年代末の『ウルトラセブン』や『怪奇大作戦』等の特撮テレビドラマでの破天荒ぶりに比べて、七〇年代初頭のATG映画三部作(『無常』『曼荼羅』『哥』)は「妙にきちんと撮ってるなぁ」と感じたと述べている。「シリーズの中で好き放題やるということと、映画を頭から終わりまで自分でやらなきゃいけないというのは全然別の体験だし、当然ながら別の方法論が必要だし、別の覚悟も必要なんだよ。ATGの三部作にはそういう破綻する快感というか「ちょっと無茶がすぎない?」という感じはまったくないんだよ」[*11]。
 押井自身が監督として多くの怪作を忍び込ませた八〇年代のテレビアニメ『うる星やつら』と同じく、ウルトラマンシリーズも多少めちゃくちゃな回があっても、翌週にはすべてを忘れて元に戻ることができる。実相寺はこのテレビ特有の忘れっぽさを利用して六〇年代後半の『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』では斬新な映像を作り出したが、あらかじめ「前衛のお座敷」として囲い込まれたATG映画では、恐らく真価を発揮できなかった。実相寺という映像作家は、テレビこそが「ポスト前衛」の実験場となり得ることを、いち早く身をもって告知した存在なのである。 今のテレビは基本的にマス・コミュニケーションの道具であり、マイナー性の擁護には向いていない(特に日本のテレビは受け手の理解可能性を過小に見積もり、結果的にどれも大同小異でつまらなくなっている)。それに対して、初期のウルトラマンシリーズはまだ「マス」に向けて発信するノウハウをもたず、良く言えば手作り感があり、悪く言えば隙が多かったが(イギリスの特撮人形劇『サンダーバード』の完成度の高さと比較してウルトラマンシリーズを貶す論調は当時からあった)、それゆえに実相寺の「放送事故」のような映像も生み出されたのだ。映画や美術や文学の批評と違って、特撮テレビドラマの批評には隙の多さや不完全さが何をもたらしたか、という、ひとひねりした視点が要る。
 そして、このような視点はテレビを拠点とした戦後サブカルチャーの仕事を考えるのにも不可欠だろう。『うる星やつら』の押井や『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明のようなアニメ作家は、週一回というテレビの放映リズムの反復性を逆手にとって、視聴者をぎょっとさせる異常な映像や演出を実現した。あるいは、実相寺と同世代の伊丹十三や大林宣彦はテレビ・コマーシャルの領域で、軽やかでチャーミングな映像を作り出した。テレビというマス・コミュニケーションの場に穴をあけるようにして、放送事故すれすれの先鋭な映像を忍び込ませていく──、実相寺によるウルトラマンシリーズの演出はその先駆けとして評価することができる。

ポストモダン化の入り口

 私はここまでウルトラマンシリーズと当時のメディア環境の関係について述べてきたが、それとともに、このシリーズからは日本社会の変容も読み取れることを強調しておきたい。
 社会思想の分野においては、一九七〇年前後を境にして先進国で「リアリティの多元化」を特徴とする「ポストモダン化」が加速したと説明されることが多い。すなわち、ひとびとの価値観や正しさの基準が多元化して「小さな物語」が分立し、コミュニケーションの前提となる社会的コンセンサスが溶解する一方、オリジナリティの神話が崩れて電子的な複製物やディズニーランド的なテーマパークが大衆消費社会に満ち溢れていく──、このような事態が「ポストモダン化」と総称される。このポストモダン化は、日本では高度経済成長の終わり(=成長という大きな物語の挫折)と連合赤軍事件に象徴される左翼運動の衰退(=革命という大きな物語の挫折)とも連動していた。ウルトラマンシリーズの放映時期はまさにこのポストモダンの到来と重なっており、時代の揺らぎがあちこちに反映されている。
 シリーズの概要は第一章で述べるが、簡単に言えば、七一年放映開始の『帰ってきたウルトラマン』までは現実の冷戦構造や公害問題、あるいは未来への夢を背景として、社会への批評性を帯びた怪獣がしばしば出現していた。対して、七二年放映開始の『ウルトラマンA』以降になると、オリジナルの怪獣から神秘性が失われ、既存の怪獣を記号的にサンプリングした合体怪獣が現れるとともに、それまでのウルトラマンシリーズの展開を踏まえた内輪的な物語も増える。作品のテーマについても、『A』以降は内なる「心の闇」のテーマがますます上昇してくる。総じて言えば、未来や科学や社会批評のテーマよりも、虚構の怪獣の記号的な処理や民話的なホラーのほうが好まれるようになってくるのだ。 したがって、ウルトラマンシリーズを時代順に見ていくだけでも「映画からテレビへ」というメディア環境の変化に加えて「近代からポストモダンへ」「現実から虚構へ」「社会から心理へ」というリアリティの座標の変化が、綺麗に浮かび上がってくるだろう。このシリーズがサブカルチャー史の測量点になり得るのは、一九六〇年代後半から七〇年代という文化的な端境期の状況をよく映し出しているからである。
 以上の論点を踏まえつつ、本書では次の三本の柱をテーマとして設定したい。

 〈1〉昭和のウルトラマンシリーズはおよそ十五年の放映期間のあいだに、どのような変容を遂げたのか。戦後サブカルチャー史のなかで見たとき、それ以前のヒーローもののドラマと比べてどういう特色をもつのか(第一章、第二章)。
 〈2〉生粋の技術者であった円谷英二は、戦前・戦中を通じていかに特撮と映画を結びつけたか。さらに、戦後の『ゴジラ』以降の特撮において出てきた「怪獣」のもつ意味とは何か(第三章、第四章)。
 〈3〉特撮やアニメにとって戦争とは何か。そして、ウルトラマンシリーズの受容環境も含めて、戦後サブカルチャー全般を支えてきた「少年」のモチーフは、いかに形成されてきたのか(第五章、第六章)。

 このように、本書の立場は、戦後のウルトラマンシリーズを孤立した作品ではなく、あくまで戦前・戦中から続く文化史的な系譜のなかで──さらには隣接ジャンルであるアニメとの関わりのなかで──分析しようとするものである。それはいわばウルトラマンという「星」を、昭和の文化史という「星雲」とともに観測することを意味する。その作業によって、私は日本の特撮ひいてはサブカルチャーが、戦後の時空を生きるなかで何を得て、何を失ったかを検証していきたいと思う。
 なお、一九九六年以降は『ウルトラマンティガ』に始まるいわゆる「平成ウルトラマン」のシリーズも円谷プロによって作られたが、本書ではほとんど取り上げなかった。私はどちらかと言えば、ときに狭義のウルトラマンシリーズとは離れた分野(特にアニメや出版)に、このシリーズの遺伝子を認めている。なぜなら、作品の「遺産」というのはえてして正統的な嫡子ではなく、異端的な庶子によって偶発的に相続され生き延びていくものだからである[*12]。

*1 オタクの世代論については、東浩紀『動物化するポストモダン』(講談社現代新書、二〇〇一年)の枠組みに従った(一三頁)。
*2 上原正三『ウルトラマン島唄』(筑摩書房、一九九九年)一四六頁。飯塚定雄+松本肇『光線を描き続けてきた男飯塚定雄』(洋泉社、二〇一六年)一八四頁。
*3 白石雅彦『「ウルトラQ」の誕生』(双葉社、二〇一六年)九七頁。
*4 古谷敏『ウルトラマンになった男』(小学館、二〇〇九年)。
*5 この新潮流は「何が良い映画か」という価値判断を揺るがすものでもあった。例えば、映画批評家の佐藤忠男は『大島渚の世界』(朝日文庫、一九八七年〔原著一九七三年〕)で「一九六〇年代は、日本映画が、産業的に、見るも無残なほどに凋落していった時代である。しかしながら、そのことは、日本映画が、作品内容の面でも低下した、ということを意味するものでは決してない。むしろ、私には、六〇年代は、日本映画史上のひとつの黄金時代であった、とさえも思われる」(一〇頁)と挑戦的に述べている。
*6 上原前掲書、一三五頁。石堂淑朗『偏屈老人の銀幕茫々』(筑摩書房、二〇〇八年)五一頁。
*7 『少年』の構想段階のメモには「適応能力がある/想像力が発達している/自分のほかのものでありたい。ウルトラマン、宇宙人/弟に話をする/見神、雲の広野の中で」と記されており、孤独な少年の変身願望がウルトラマンと関連づけられている。大島渚『解体と噴出』(芳賀書店、一九七〇年)一六〇頁。
*8 四方田犬彦『大島渚と日本』(筑摩書房、二〇一〇年)二四九頁。
*9 『実相寺昭雄研究読本』(洋泉社、二〇一四年)所収の大島渚へのインタビュー(二八七頁)。
*10 例えば、庵野秀明は「駄目なものは駄目なんだと実情をもっと認めることが必要だと思うんです」「本来アニメや特撮って駄目なんですよ」と述べながら「アニメや特撮は究極のデカダンス」で戦後日本の平和と豊かさを反映した「余剰の産業」だと冷静に分析している。「怪獣」という存在の耐用年数」『文藝別冊総特集円谷英二』(河出書房新社、二〇〇一年)一七三頁。
*11 押井守『監督稼業めった斬り──勝つために戦え!』(徳間文庫、二〇一五年)三〇七頁。
*12 なお、円谷の特撮の海外展開にも面白い事例があるが(例えば、関羽がウルトラマンのように巨大化して香港の街で闘う一九七〇年代の映画『関公大戦外星人』は、日本式特撮と中国式京劇のハイブリッドである)、本書では論じなかった。しかし、このような「庶子の遺産相続」も本当は無視できない。

第一章 ウルトラマンシリーズを概観する

 一九六〇年代におけるテレビの普及と高度経済成長を追い風にして始まったウルトラマンシリーズは、金城哲夫や円谷一らを中心にして作られた大きな設定のなかで、脚本家、演出家、美術家たちがそれぞれアイディアを盛り込んでいく一種の競技場のような様相を呈していた。したがって、シリーズの「作家性」は最初から複数的であったことを、まず大前提として述べておきたい。
 と同時に、ウルトラマンシリーズを一作ずつ見ていくと、それぞれの作品に固有のテーマがあったことにも気づかされる。以下、放映順にその内容を概観していこう。なお、一般的には『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』を「第一期」と呼称し、『帰ってきたウルトラマン』以降は「第二期」と呼ばれるが、ここでは少し区分をずらして『帰マン』までを「前期」とし、続く『ウルトラマンA』以降を「後期」と呼ぶ。それは序章でも述べたように、ポストモダン化の傾向が『A』ではっきりするからである。

1 前期ウルトラマンシリーズ──シニシズムから右翼性まで

『ウルトラQ』
──原始主義とシニシズム

 一九六六年一月にTBSで放映開始された『ウルトラQ』は、東海弾丸道路の北山トンネル工事現場にゴメスとリトラという二匹の古代怪獣が出現する話で始まる(ゴメスは『モスラ対ゴジラ』のゴジラの改造、リトラは操演用ラドンの改造であり、東宝特撮映画の財産が早くも継承されている)。産業社会を拡張しようとする土木作業の現場が、太古の怪物を呼び覚ましてしまう──、このエピソードの発端には、未来に向かって「工事中」の日本に根ざしながら、怪獣をそのごつごつとした風景の隙間に出現させるというウルトラマンシリーズの大きな方向性が、すでに予告されていた。特撮テレビ作りのノウハウがまだ手探りであるときにウルトラマンシリーズが作られたように、日本の産業社会の風景が未完成であるときにそれを脅かす怪獣たちが呼び出されたわけだ。
 ここで重要なのは、『Q』の語り口が前近代的な民話とは一線を画していることである。ちょうど『ゴジラ』が志村喬演じる古生物学者・山根博士の科学の「語り」を介して考古学的な時間に遡ったように、『Q』も科学とジャーナリズムの視線によって、異なる時空への扉を開いた。SF作家でパイロットの万城目淳とその後輩の一平、そして記者兼報道カメラマンの江戸川由利子という三人を主役に据えた『Q』は、現実離れした出来事を真実らしくジャーナリスティックに追求するというポーズをとった。この虚構の現実化の構えのなかで、ゴメスとリトラ以降も、六千年前にアランカ帝国を滅ぼした貝獣ゴーガ、深海に棲む海底原人ラゴン、南洋で信仰の対象となっていた巨大ダコのスダールといった原始的な怪獣がたびたび登場することになる。
 一般化して言えば、『Q』の怪獣たちは原始的な野生を好みがちな戦後日本の傾向に連なっている。例えば、美術家の岡本太郎が縄文土器に傾倒し、一九七〇年の大阪万博で《太陽の塔》を出現させたこともそうだし、一九五〇年代の建築業界で丹下健三と白井晟一が「縄文的なもの」と「弥生的なもの」をめぐる論争を繰り広げたこともそうだが、戦後日本の表現者たちはしばしば、文明の歴史を省略して一息に先史時代にまで遡ろうとする「プリミティヴィズム」(原始主義)に取り憑かれていた。特撮もその例外ではない。むろん、記紀神話に取材した稲垣浩監督・円谷英二特撮監督の東宝の大作映画『日本誕生』(一九五九年)もあるし、生前の円谷は『竹取物語』の映画化を熱望していたが、総じて言えば特撮の素材としては、由緒正しい古典文学よりも荒々しい太古の怪獣のほうが魅力的であった[*1]。
 このプリミティヴィズムとともに『Q』を特徴づけるのは、科学の夢に対するシニシズムである。例えば、火星からの悪夢的な「贈り物」である怪獣ナメゴン、東京上空で文明のエネルギーを吸ってひたすら膨張する風船怪獣バルンガ、医学によって驚異的な長寿と運動能力を獲得しながらも老いに苦しむケムール人、人間を縮小して人口増大に対応しようとする風刺的な「1/8計画」等は、科学や進歩に対する辛辣なメッセージを発していた。『Q』の怪獣は、戦後日本社会の抱いた未来への夢をシニカルに反転させることで得られた存在なのだ。
 こうして、『Q』は科学とジャーナリズムの語り口を採用しつつも、科学は必ずしも人間を幸福にしないという冷めたメッセージを発し続ける。この科学の夢を信じつつ信じないという二重の心理は、夢、の、悪、夢、化、をもたらすことにもなった。夢のなかで幽体離脱した少女の分身が本体を殺そうとする第二五話のホラー「悪魔ッ子」を経て、『Q』の最終話「あけてくれ!」(再放送時に初放映)では、冴えないサラリーマンの男が空飛ぶ未来的な列車に乗り込むものの、その出口なしの密室のなかで深い恐怖心に囚われる。干からびた現実から夢の世界に逃れても、そこもやはり息苦しい悪夢的な閉鎖空間にすぎない──、この夢のシニカルな否定が『Q』の出した一つの結論であった。
 その一方で、『Q』はジメジメとした土俗的情念とは無縁であり、あくまで都会的な雰囲気をまとっている。それには音楽の貢献も欠かせなかった。本多猪四郎監督の『ガス人間第一号』(一九六〇年)に続いて『Q』でもジャズの感性を活かした宮内國郎の劇伴音楽は、下手をすればいたずらに重苦しくなりそうな作品世界に軽快なリズムを与えた。『ウルトラセブン』以降はクラシックを学んだ冬木透が多様な楽器で雄弁な劇伴音楽を作り出し、『セブン』の有名な最終話では大胆にもディヌ・リパッティの弾くシューマンのピアノ協奏曲が使われもしたのだが、その前に『Q』および『ウルトラマン』で宮内による無駄な贅肉のない洒落た音楽があったことは見逃せないだろう。
 ともあれ、『Q』には「現代文明を脅かすプリミティヴィズム」と「科学の夢を批評するシニシズム」が同居している。この二つの特徴は戦後サブカルチャーの想像力の雛型だと考えてよい。例えば、諸星大二郎の漫画や宮崎駿のアニメでは、『もののけ姫』的な「古代への民俗学的回帰」と『風の谷のナウシカ』的な「未来のSF的破局」という二つの対照的なパターンが交差する。現在時から古代ないし未来にさまよい出ようとする、この戦後サブカルチャーのアナクロニズム(時間錯誤)の傾向が、『Q』で先取りされていたのは興味深い。

『ウルトラマン』
──科学と巨人の牧歌的世界

 手探りゆえの粗さも見られるとはいえ、『Q』はアメリカのSFドラマ『アウターリミッツ』や『トワイライトゾーン』を先例として意識しつつ、東京オリンピック後の日本のテレビで文明批評を試みた、きわめて意欲的な特撮番組であった。そこでは後の『ウルトラマン』ふうの怪獣ドラマと『怪奇大作戦』ふうの怪奇趣味を足場として、科学と人間の関係がシニカルに問い直されていた。
 だが、ここでさらに注目に値するのは、その後のウルトラマンシリーズが『Q』のシニシズムからの脱出を試みたことである。それは言うまでもなくウルトラマンという銀色の巨人の誕生と関わっている。
 ウルトラマンの成立にあたって、企画案の推移があったことはよく知られている。当初は、烏天狗のような怪獣を主人公とする『科学特捜隊ベムラー』というタイトルが考えられていた。この民話的・東洋的なキャラクターが美術家の成田亨によって抽象的・西洋的なデザインに置き換えられ、『科学特捜隊レッドマン』という企画に進化した後、「光の国」からやってきた巨大な宇宙人が科学特捜隊とともに怪獣と闘うという『ウルトラマン』のコンセプトが最終的にまとまり、一九六六年七月に放映が開始される[*2]。日本のカラーテレビ放送の草創期に試行錯誤の果てに生み出されたこの新しい「超人」は、『Q』における夢の悪夢化とは逆に、科学を通じた夢の回復を指し示していた。
 現に『ウルトラマン』では、科学に対する強い信頼が、曇りのない明朗な世界を作り出している。怪獣退治と超兵器の開発に勤しむ科学特捜隊は、パリに本部があり、しばしば国外からも客が訪れる国際的組織だとされる。このきわめて楽天的なインターナショナリズムは、本多猪四郎と円谷英二の作り出した東宝特撮映画──『宇宙大戦争』(一九五九年)、『妖星ゴラス』(一九六二年)、『三大怪獣地球最大の決戦』(一九六四年)等──から引き継がれたものだろう。これらの映画は宇宙という「敵」を仮構し、科学を人類の共通言語とすることによって、日本を含む地球全体を「友」としてまとめた。ここでは日本はもはや屈辱的な敗戦国ではなく、科学によって統一された「世界」という高次の共同体の一員にまで引き上げられている。
 これらの東宝映画の延長線上で、『ウルトラマン』も科学と未来に根ざした世界像を保ち続けた。そして、それを与える合成や演出のテクニックも、TBSの飯島敏宏が監督を務めた第二話(バルタン星人)や第三話(ネロンガ)では、早くもウルトラマンシリーズ全体のなかでも指折りの水準に達していた。この二話では怪獣が透明化したり分裂したりする趣向が見られるが、それは特撮の面白さや楽しさを視聴者に伝えるものである。バルタン星人やネロンガは現実離れした映像を生み出す特撮技術そのものの化身でもあるのだ。
 むろん、『ウルトラマン』がトリック映像の集積であり、怪獣もぬいぐるみで戦闘機もおもちゃの模型だということは、子供の眼にも明らかである。『ウルトラマン』の科学的世界は種も仕掛けもある手品であることを自ら暴露しており、いわばあちこちに「穴」があいているのだが、その不完全な嘘がときにかえって愛らしい魅力になるという、いささか複雑な感情移入の様式を作り出していた。それはちょうど、ストップモーション・アニメーションを駆使したアメリカの特撮の巨匠レイ・ハリーハウゼン──本多&円谷コンビの活躍と同時期に『原子怪獣現わる』(一九五三年)や『アルゴ探検隊の大冒険』(一九六三年)等を手掛けていた──のちょっとぎこちない映像が、視聴者にチャーミングな印象を与えるのと同じことである。
 『ウルトラマン』の視聴者は科学の夢にひたりながら、トリックをトリックと知りつつ楽しむことができる。そのうちの最大のトリックは他ならぬウルトラマン自身だろう。例えば、イギリスの『サンダーバード』やアメリカの『スタートレック』のようなSFテレビドラマにおいて、未来のハイテク世界はおおむね既存の機械の延長線上に構想されていた。それに対して、ウルトラマンはこの種の技術的合目的性とはまったく別の次元から呼び出された、出所不明の謎めいたアイコンである。
 アメリカの或るシナリオライターは実相寺昭雄に対して、ウルトラマンの銀色の表面は衣装なのか皮膚なのか、なぜ空を飛べるのか等と次々に質問したが、まともな答えが得られないことに苦笑してこう語ったという。「アメリカじゃ、子供だましでもいいから、最低のエクスキューズを用意しておく。たとえば、スーパーマンのマントとか。……理屈がつけばいい。さもないと根本から得体の知れないものになってしまう」[*3]。ウルトラマンにはまさに「得体の知れない」穴があいており、そのイメージの来歴についても理にかなった説明を拒絶するところがあった。その結果、この謎めいたアイコンはたんなる科学の象徴を超えて、さまざまな連想の横滑りを引き起こすことになる。例えば、その卵型の頭部デザインについて、実相寺はジョルジュ・デ・キリコの影響をあげたが、しかし当のデザイナーの成田亨はそれをきっぱりと否定している[*4]。
 『ウルトラマン』の作り手たちは、科学と空想の入り混じった特撮テレビ番組を作るにあたって、ほとんど前例のない突飛なアイコンをひねり出してしまった。ふつうアイコン(聖像)と言うと、信仰体系を表現する聖なる図像を指す。しかし、戦後日本のサブカルチャーのアイコンは特撮のウルトラマンから漫画やアニメのロボットに到るまで、むしろ信仰体系(=科学)とは関係のない過剰さを孕んでおり、そのせいで大胆なデフォルメも許容してしまう。このアナーキーなデザイン感覚は、キャラクタービジネスやメディアミックスの発達とも深く関連するものだろう。日本のサブカルチャーのアイコンは合理性を超えた謎や過剰さを含むことによって、多様な「商品」へと展開されていった。

科学とテレビの明朗さ

 『ウルトラマン』は科学の物語として全体をコーティングされつつも、その全体がトリック映像の産物であることも隠さない。それが内容面に跳ね返ってくると、科学やインターナショナリズムへの批判になるだろう。
 例えば、地球人に見捨てられた某国の宇宙飛行士ジャミラ(この印象的な名はアルジェリア独立戦争に参加してフランス人に拷問された少女ジャミラ・ブーパシャに由来する)が異形の存在と化して地球に復讐にやってくる第二三話「故郷は地球」は、冷戦期の宇宙開発競争を風刺した社会派の作品である。科学の犠牲者ジャミラを、科学特捜隊の力によって葬れという命令が発せられるとき、実相寺昭雄によるあざといほどに強烈な逆光の演出が、佐々木守のシリアスな脚本とも相まって、強い異化効果をあげていた。視聴者の眼を光で攻撃し、さらに暗闇から視聴者を見返すことで、いつもの科学=正義の物語を批判するような「視座」を出現させること──、この作品内批評的な撮り方は、『ウルトラマン』が科学への信頼をそれに対する批判が可能なほどにしっかり保っていたことを、逆に物語ってもいる。作品が科学的世界に深く根ざしていたからこそ、それを転覆する演出と脚本にもインパクトが宿ったわけだ。
 この「故郷は地球」のような文字通り陰影に富んだエピソードを含みつつも、『ウルトラマン』の作り手たちは、科学とともに人類は発展し得るという牧歌的な態度を手放さなかった。大らかな幸福感に満ちたその明朗さは、戦後文化史のなかで稀なものである。面白いことに、三島由紀夫は六七年の『文藝春秋』四月号のアンケートで『ウルトラマン』をよく見るテレビ番組に挙げているが[*5]、 彼の一九五〇年代の作品『アポロの杯』や『潮騒』に見られるギリシア的明朗さへの憧れを考えれば、それも必ずしも冗談とは言い切れないだろう。
 さらに、メディアの特性から考えても、この『ウルトラマン』の「明るさ」は本質的な問題を示している。かつて大島渚が指摘したように、映画や写真の映像が「その製作過程においても上映過程においても〔…〕暗い空間と決定的なかかわりを持っていた」のに対して「テレビジョンの映像は、暗い空間とかかわりなく製作され上映される」[*6]。一六世紀後半の携帯用カメラ・オブスキュラ(「暗い部屋」の意味)の発明以降、人類の映像文化は長らくいわば「洞窟」(暗箱、現像室、映画館……)とともにあった。しかし、テレビの普及とともに、暗い部屋を必要とするフィルムが映像の中心であった時代は、終焉を迎える。現代のインターネットの動画にしても、視聴と編集がすべて「明るい部屋」で済むという意味ではテレビの延長線上にある。
 もとより、フィルムで撮影された「テレビ映画」である『ウルトラマン』の画面は、映画的な触感を留めていた。だが、ウルトラマンの銀色の巨体とそれを包む明るい世界像そのものは、洞窟を不要にしたテレビの時代の到来を象徴するものであっただろう。身体に一点の曇りもなく、心の暗い奥底を覗かせることもないこの「光の巨人」は、まさにテレビそのものの化身のようにも見えてくる。黒々とした怪獣が夜の東京を破壊する『ゴジラ』が「暗い部屋」(劇場)で見るべき映画だとしたら、『ウルトラマン』は「明るい部屋」(お茶の間)での視聴に対応したテレビドラマなのだ。

『ウルトラセブン』
──冷戦構造下の「内面の発見」

 もっとも、その後のウルトラマンシリーズは科学礼賛には留まらなかった。『ウルトラマン』の放映終了後、六七年の東映製作の『キャプテンウルトラ』を挟んで、六七年秋から六八年にかけて『ウルトラセブン』が放映される。『Q』の科学に対するシニシズムが『ウルトラマン』の明るい科学主義によってひとまず上書きされたとすれば、『セブン』では再びその明朗な世界に疑念が挟まれた。昼の場面の多い『ウルトラマン』に対して、『セブン』で夜の場面が一挙に増えたことは、それ自体が強いメッセージ性を帯びている。
 この両作品の違いは第一話の主人公像に端的に示されている。「僕は不死身ですよ」と言い放つ『ウルトラマン』の科特隊のハヤタ隊員が最初から最後まで忠実な組織人であったのに対して、『セブン』の主人公モロボシ・ダンは「ご覧のとおりの風来坊ですよ」という台詞とともに、怪しいヒッピーのような存在としてウルトラ警備隊の隊員たちの前に颯爽と現れる[*7]。その後、ダンはウルトラ警備隊に入隊し、宇宙の「平和」を大義として活動するが、組織の一員として侵略者の宇宙人と闘うことに、しばしば逡巡や葛藤を抱え込んでいた。
 当時の政治状況に即せば、地球人と宇宙人のあいだで引き裂かれるダン=セブンの物語は、米ソどちらでもない第三極に立とうとして、結局失敗する話として読み解ける。例えば、地球の超兵器に故郷を粉砕されたギエロン星獣が復讐にやってくる第二六話(脚本は若槻文三)は、「血を吐きながら続ける悲しいマラソン」のような終わりなき核開発競争を風刺した有名なエピソードだが、そこでもダン=セブンは結局地球人の側に立ち「第三極」という立場は形骸化する。この悩める姿に、どう足掻こうと西側の正義に属さざるを得なかった冷戦期の日本を重ねることは、十分可能だろう。
 そのため『セブン』にはどこか悲劇性がつきまとっている。切通理作の先駆的なウルトラマンシリーズ論『怪獣使いと少年』で指摘されたように、『ウルトラマン』が「後のウルトラマンシリーズにはない、あたたかな世界との一体感」に満たされていたのに対して、『セブン』ではその幸せな一体感がひび割れていた。「ダンは、ハヤタのようなウルトラマンの容れ物ではない。地球人のふりをしているウルトラセブン自身なのだ。しかし、そのことでダンにはハヤタにはなかった内面が生じてしまった」[*8]。内面性の芽生えたダン=セブンは、組織と一体化しきることも、科学技術を全面的に肯定することもできない。『セブン』は冷戦期を背景にしつつ、子供向けの特撮テレビ番組に「内面の発見」をもたらしたという意味で、画期的な作品なのだ。

「見立て」と「かぶき」

 『セブン』のもう一つの興味深い特徴は、『ウルトラマン』に見られた国際性がいっそう際立たせられたことである。もともと海外展開を考えていたため、日本的な意匠はなるべく抑制される傾向があったことが、『セブン』の無国籍性に拍車をかけた。
 不思議なことに、ウルトラマンシリーズでは宇宙人や怪獣はおおむねなぜか日本にしかやってこない。にもかかわらず「地球は狙われている」という侵略の恐怖を訴えるナレーションに始まる第一話以来、『セブン』では「地球を守る」ことが大義となり「日本を守る」という現実はさほど意識されない。特撮史上に異彩を放つドラマティックな最終話──世界各国の首都をミサイルで破壊しようとするゴース星人の野望を阻止するために、満身創痍のセブンが死を覚悟して闘いに臨む──でも、ウルトラ警備隊のキリヤマ隊長は「地球は我々人類の手で守らねばならない」と宣言し、いわば「地球ナショナリズム」を掲げるが、この力強い主張は「日本」を隠蔽するものでもあった[*9]。それは、『ウルトラマン』や『セブン』と同時期の大島渚の映画が、そのタイトルで「日本」を連呼していたのとまさに好一対である。
 明らかに舞台は日本で役者もほとんど日本人なのに、あえて日本でないふりをすること──、この種の「見立て」あるいは「洒落」の多用は、西洋に追いつき追い越そうとした後発近代国家・日本では、特撮に限らずよく見られる現象である(文学の谷崎潤一郎や村上春樹はその典型だろう)。ただ、日本の特撮にはこの「見立て」の作法が濃縮されていたとは言える。『ウルトラマン』から『セブン』にかけて、ウルトラマンシリーズは科学的かつ軍事的なデザインによって「日本性」をあいまいにする錯覚の技術を積み重ねてきた。
 特に、成田亨による未来的なメカニックデザインは、『セブン』の無国籍性を強調した。『ウルトラマン』では事実上小さな作戦室だけですべてが完結していたが、『セブン』では戦闘機(ウルトラホーク)の発射口を含めた基地全体の機構が描かれ、主力メンバー以外のスタッフの存在も書き込まれた(ちなみに、作戦室にバックミンスター・フラーの考案した「ダイマクション地図」が貼られていることも大阪万博前夜の空気を示している)。未来の軍事機構をできるだけ緻密に表現しようとするデザインによって、『セブン』は日本語を喋る日本人たちの特撮ドラマであるにもかかわらず、自らの日本的な条件を忘れることができた。一応「東京」という場所は作中で意識されていたものの、『ゴジラ』の銀座のような具体的な都心が出てこないので、『セブン』の地理感覚は抽象的なものとなる。
 その一方で、『セブン』にはこの「見立てられた未来世界」への批評性も認められる。例えば、円谷一監督・上原正三脚本の第一七話「地底GO!GO!GO!」では、セブンが初めて地球にやってきたときに薩摩次郎という勇敢な青年に出会い、彼をモロボシ・ダンのモデルにしたことが語られる。そして、炭鉱夫の次郎が事故でトンネルに取り残されたことを知ったダンは、この「分身」を救うため地底(ロケ地は日立鉱山)に潜り込む……。こうして、円谷&上原は『セブン』の無国籍的かつ未来的な世界像のなかに、『ウルトラQ』の第一話以来のウルトラマンシリーズの原風景と言うべき「工事中の日本」のモチーフを呼び戻した。未来の「見立て」を取り去り、本来の日本の顔を作中に挿入すること──、これと似た批評性は実相寺昭雄&佐々木守のコンビの手掛けたエピソードにも認められるのだが、この点は第四章に譲りたい。
 一つだけポイントを付け加えておけば、実相寺が後に「ゲテものの生命力が和製の特撮にはあった」と述べながら、そこに「傾く特撮精神」を見出したのは、ウルトラマンシリーズの本質を鋭く突くものである[*10]。ハリウッドのSFXがいかにも本物らしい壮大な人工世界を作ろうとするのに対して、「和製の特撮」はどうしても生の風景や人間というノイズを打ち消せない。だからこそ、偽物を偽物のまま本物と言い張るための見立ての技、つまり「かぶく」芸や大見得を切るパフォーマンス──実相寺ふうに言えば「児戯に類する話」「チャチと言われるのを恐れぬ造形」「コマ撮りに頼らぬ縫いぐるみ」等──が必要になってくる。
 『セブン』は日本人の顔と日本の風景を使って、いわばSF的な怪獣歌舞伎をやってみせたアクロバティックな作品である。逆に「地底GO!GO!GO!」や実相寺の演出は、『セブン』の未来世界がハリボテであることを暴露するものであった。繰り返せば、この不完全な「嘘」の世界をチャーミングに見せようとするところに、特撮の賭けがある。『セブン』を見れば、特撮がきわめて繊細なバランスによって成り立つジャンルであることがよく理解できるだろう。

『帰ってきたウルトラマン』
──未来の喪失と日本回帰

 『Q』のシニシズムが『ウルトラマン』でテレビの化身のような「光の巨人」によっていったん乗り越えられた後、『セブン』では組織と調和できない主人公の「内面」が生じるとともに、日本を日本のまま未来的な世界に見立てるというアクロバティックな試みもいっそう推し進められる──、作り手側がどれだけ計算したかはともかく、結果的にこのようなシリーズ内部での「対話」が成立したことは特筆すべきである。
 しかも、この「内的対話」はその後も終わらなかった。多くの宇宙人の登場する『セブン』が冷戦期の国際状況の寓話になっていたとすれば、一九七一年から七二年にかけて放映された『帰ってきたウルトラマン』(いわゆる第二期ウルトラマンシリーズの開始作)では打って変わって、TBSのプロデューサー橋本洋二とメインライター上原正三のもとで一種の「日本回帰」が生じることになる。上原が「地底GO!GO!GO!」で『セブン』の楽屋裏を暴いて、モロボシ・ダンの日本的な素顔を設定したことは、その後の『帰マン』の展開を予告するものであった。
 『帰マン』の主人公・郷秀樹は、もともとレーサーを目指す市井の青年であり、ウルトラマンと一体化してMAT隊員になってからも、東京で自動車修理工場を経営する坂田健とその妹アキ、さらに弟次郎と家族同然の関係を保つ。カナン星人の登場する市川森一脚本の第二四話等は例外として、隊員の家族がほとんど出てこなかった『セブン』とは対照的に、『帰マン』では坂田兄弟を媒介として、七〇年代初頭の東京の風景が頻繁に映され、内容的にも公害やいじめ、差別をテーマとする社会派の性格を強めていた。
 このリアリズム志向には、当時のスポ根ものの流行を背景にしつつ「人間ウルトラマン」の現実的な成長を描くという橋本の方針が反映されている(佐々木守をメインライターとするTBSのドラマ『柔道一直線』を手掛けた橋本自身がスポ根ブームの担い手であった)。宇宙人も前半にはほとんど登場せず、もっぱら東京や地方に土着の怪獣を出現させ、しかも『帰マン』の後半になるとそれを民話的な「怪談」仕立てにするケースも目立った。未来的なSF志向から日本的なおとぎ話へ──、『帰マン』以降の昭和のウルトラマンシリーズはほぼこの変化の延長線上にある。
 そもそも、『ウルトラマン』と『セブン』を支えた科学と宇宙と未来のモチーフは、六八年に円谷プロダクションの製作した特撮テレビ番組『マイティジャック』と『怪奇大作戦』ですでに綻びつつあった。前者は成田亨デザインのメカを売りに、大人向けの特撮ドラマを打ち出そうとしたが、視聴率は低迷した。悪の組織Qの陰謀を、先端科学で武装した民間組織マイティジャックが阻止するという筋書きだが、今の視点から見るといささか単純な陰謀論的枠組みが気になる。もし本作が商業的・内容的に成功していれば、大人向けの特撮テレビ番組が日本に本格的に根づく可能性もあっただけに、『マイティジャック』の挫折は戦後サブカルチャー史の分水嶺であったと言えるだろう。
 他方『怪奇大作戦』は、水木しげる原作のアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』以来の妖怪ブームを横目で見ながら、岸田國士の甥にあたる岸田森──後に『帰マン』でも坂田健を演じた──を科学捜査研究所(SRI)の主役に起用した作品で、いわば『ウルトラQ』の怪奇趣味を刑事ドラマふうに発展させたものである。これも『マイティジャック』と同じく、あるいは六〇年代後半に放映されたイギリスの『サンダーバード』やアメリカの『スパイ大作戦』と同じく「公的組織の限界を超える優秀な民間組織」を導入しながら、内容的には総じて、他人には理解不可能な心理的な妄執や猟奇的な犯罪をテーマとしており、今でもコアなファンは多い。
 未来的なモチーフの低迷とオカルト的な怪奇ものの上昇というこの円谷プロの流れは、明らかに七〇年代初頭の『帰マン』にも及んでいる。『セブン』の第一話が宇宙からの侵入者の恐怖を語るものであったのに対して、『帰マン』の第一話は「世界的な異常気象」が原因で多くの怪獣が目覚めたというナレーションに始まり、地球環境の揺らぎがテーマとなる。それに伴って『帰マン』では当時の日本の風景がさまざまな角度から記録されており、社会学的な資料として見ても興味深い。六〇年代後半から「環境」という新しい語が、日常生活からアート、建築、都市論に到るまで広く使われるようになったことも、ここで付け加えておこう。
 一言で言えば、『帰マン』は「見立て」を半ば放棄し、日本の素顔に戻ったところから始まっている(隊員たちの名前もシリーズで初めて漢字で統一される)。その意味で、円谷英二が放映前年の一九七〇年に死去したことはきわめて象徴的である。『帰マン』で初回と最終回を含めて『ゴジラ』映画の「巨匠」本多猪四郎が何度か監督を務めたことは、本多と親交のあった佐原健二ら業界関係者には驚きをもって受け止められたようだが[*11]、それもやはり盟友の円谷の死と無関係ではなかっただろう。『帰マン』の作り手たちはまさに「オヤジ」亡き後、宇宙の夢も閉ざされたまま、スモッグに覆われた東京の汚れた「環境」に直面していた。

「東京」の発見

 この「日本回帰」そのものは決して孤立したものではない。折しも、一九七〇年には国鉄のディスカバー・ジャパンのキャンペーンがあり、その前後には松本清張や梅原猛の著作をきっかけに日本古代史へのジャーナリスティックな関心が高まり、歴史小説家の司馬遼太郎も七一年以降、自身のライフワークとなった紀行文『街道をゆく』において日本の歴史と地理を結びつけた。これらは総じてイケイケドンドンの成長期が一段落ついた後に、日本を美学的かつ内省的に見つめ直そうとする傾向を示している[*12]。小松左京の一九七三年のベストセラー『日本沈没』は、この内省的傾向を壮大な終末論につなげたSF大作であった。
 明るい未来のヴィジョンに依存せず、リアリティの座標を再設定しようとするこの七〇年代的な傾向は、『帰マン』では「東京」への強い関心となって現れた。ウルトラマンシリーズが本当の意味で東京を発見したのは、恐らくこのときだろう。
 そもそも、ウルトラマンシリーズはおおむね東京で撮影されたにもかかわらず、東京を冠したタイトルはペギラの再登場する『Q』第一四話「東京氷河期」しかなかった。それに対して、沖縄出身の上原正三による『帰マン』の脚本は東京という空間を強く意識しており、グドンとツインテールの登場する第五話「二大怪獣東京を襲撃」、シーゴラスとシーモンスの登場する第一三話「津波怪獣の恐怖東京大ピンチ」、テロチルスの登場する第一七話「怪鳥テロチルス東京大空爆」のように、タイトルでも東京の名を連呼する。これらのエピソードは、それぞれ地下、海、空から東京を徹底的に破壊しようとする大作であった。
 『帰マン』では「地球」と「人類」の平和を守るというウルトラマンシリーズ全体の大義のなかに、「東京」を破壊したいという脚本家の欲望がたびたび侵入してくる。実のところ、今挙げたエピソードでは、作り手は果たして東京を守りたいのか、それとも壊滅させたいのかがときに見分け難い。もともと、『ゴジラ』以来の特撮は戦後の「繁栄と平和」のなかで抑圧された破壊願望を解き放つ役目を担ってきたが、ウルトラマンシリーズにおいては『帰マン』前半でその破壊願望が東京に対して炸裂した感がある(この点は第五章で再び触れる)。
 さらに、東京を危機的状況に置くことによって、『帰マン』はしばしば右翼的な軍事性をまとった。そこには、過去のシリーズ以上に強面の軍人がたびたび登場する。『帰マン』では唯一、金城哲夫が脚本を書いた第一一話でも、戦時中に日本軍の開発した毒ガスを撒き散らす怪獣モグネズンをめぐって、軍人の家柄である岸田隊員の苦悩する姿が描かれていた。メカについても『帰マン』の主力戦闘機マットアローやマットジャイロは、当時英米で研究の進んでいたオスプレイやハリアーといった垂直離着陸機の設計思想から影響を受けている[*13]。
 上原のような沖縄出身の脚本家が、東京を戦時下に変えながら、軍事的・右翼的な防衛の物語を生み出したこと、しかも「地球」でも「日本」でもなくことさら「東京」を主題化したこと──、ここからは強いメッセージ性を読み取ることができる。日本のサブカルチャーの抱えたナショナリズム的欲望の一つの原点に沖縄人の情念があったことは、きわめて重要な意味をもつだろう(実現は難しいかもしれないが、仮に昭和のウルトラマンシリーズを今後リブートするとしたら、沖縄の空をマットジャイロのようなオスプレイが飛行する現状を鑑み、『帰マン』をポリティカル・フィクションとして再生させるのがよいのではないか?)。
 いずれにせよ、『帰マン』のリアリティの座標は、ほんの数年前の『ウルトラマン』や『セブン』とはずいぶん様変わりした。『セブン』における未来的な世界の「見立て」が失効した後、『帰マン』は坂田兄弟という「家族」を支点としつつ、異常気象の生み出した怪獣から東京を死守する道を選んだ。『帰マン』の風景や右翼性は、ウルトラマンシリーズの根拠がぐらついた後に改めて発見されたものなのだ。未来や科学という「大きな物語」の退潮をいかにして穴埋めするか──、『帰マン』はいわば東京という大きな風景の導入によってこの難題に答えた。だが、このリアリズムの路線もシリーズが進むにつれて変質していく。

2 後期ウルトラマンシリーズ──ポストモダンの家族物語とメディアミックスの時代

 『ウルトラマン』や『セブン』は科学と未来の夢によって『Q』のシニシズムからいったんは逃れるものの、『帰マン』はその夢を再び後退させ、東京の風景と家族に拠点を求めた。そう考えると、一九六九年のアポロ一一号の月面着陸や一九七〇年の大阪万博という科学の「祭り」のときに、ウルトラマンシリーズが放映されていなかったのは象徴的である。祭りの前の「期待」(『セブン』)と祭りの後の「現実」(『帰マン』)の落差が、このシリーズには残酷なまでにはっきり刻み込まれている。『帰マン』は日本社会の夢や象徴の変容をあからさまに示していた。
 戦後のサブカルチャー史を考えるときに、未来との距離感はきわめて大きな意味をもつ。例えば、秋葉原を都市論的に研究した森川嘉一郎は、オタクについて「未来の凋落」を「趣味」によって補填しようとする存在だと定義した[*14]。オタクはマニア的に情報を集めては、自分でもイラストを描いたりフィギュアを製作したりするプロシューマー(生産者+消費者)だが、未来的なイメージを個人的な趣味として楽しむその姿は、万博以降の日本社会そのものの自画像でもある。オタク的な生き方とは、科学や未来のモチーフが後退した世界への一つの適応形態だと言えるだろう。
 ウルトラマンシリーズの場合、この凋落の穴を埋めたのは「家族」であった。現に『帰マン』に続く後期ウルトラマンシリーズは、急速にファミリー・ロマンス(家族物語)へと傾き「ウルトラ兄弟」というコンセプトも定着する。と同時に、心理的な妄執のテーマも上昇し、ホラーテイストの物語や民話的な趣向も目立ってくる。具体的に見ていこう。

『ウルトラマンA』──家族と怨念

 『帰マン』の主人公・郷秀樹は東京の市井の家族とともにあろうとする。本多猪四郎監督・上原正三脚本の最終話も、ゼットンに対する郷の自己犠牲的な「特攻」の後、弟のような坂田次郎との交流によって締めくくられた。郷が「次郎、大きくなったらMATに入れ」というメッセージを残してウルトラマンとして戦地に旅立ったのに対して、次郎は「一つ、腹ペコのまま学校に行かぬこと」「一つ、天気の良い日にふとんを干すこと」「一つ、道を歩くときには車に気をつけること」「一つ、他人の力を頼りにしないこと」「一つ、土の上を裸足で走り回って遊ぶこと」という「ウルトラ五つの誓い」によって答える。このどこか珍妙で、それでいて不思議と胸をうつシーンは、戦中の特攻青年と平和な戦後民主主義社会の少年が奇跡的に心を通わせる場面としても読み解けるだろう。
 その後、一九七二年から翌年にかけて放映された『ウルトラマンA』は「ウルトラ兄弟」という家族のイメージを強化し、作中にも歴代のヒーローがたびたび登場する。しかし、前半部の中心的な脚本家であったクリスチャンの市川森一自身は、ナイーヴな家族愛に対してはむしろ批判的であった[*15]。そのこともあってか、それまでのウルトラマンシリーズの防衛チームがどれも男どうしのホモソーシャルな絆によって結ばれていたのに対して、『A』の防衛チームTACはしばしばギスギスした空気をまとい、相互不信や疑心暗鬼に取り憑かれる。『A』では子供向けのファミリー・ロマンスの裏側に、絆を脅かす心理的な妄執が深く根を張っていた。
 特に、波打つ不定形の怪人である主要敵ヤプール人は、人間の妄想と疑心暗鬼をますます増幅させ、それがしばしば「超獣」の源泉となった。例えば、市川脚本の第四話では、売れっ子の漫画家がストーカー的にTACの女性隊員への欲望を募らせ、テレパシーによって超獣ガランを出現させる。あるいは上原正三脚本の第一七話では、母を亡くした娘の心にヤプールがつけこみ、不気味な鬼女と超獣ホタルンガを生み出す。心の歪みやオカルト的な呪いこそが、最もおぞましい怪物として描かれたのだ。社会が不透明になり、孤立したひとびとが私的な妄想を募らせていくポストモダン的な状況が、『A』では怪獣ドラマとして表出されていたと考えられるだろう。
 未来のモチーフが失墜した後を『帰マン』は「大きな物語」ならぬ「大きな風景」によって埋めたが、『A』はむしろ『怪奇大作戦』ふうの怨念や呪詛に大きな意味を与えた。切通理作によれば、すでに一九七一年頃からウルトラマンシリーズ以外の特撮ドラマや特撮映画においても、「公害怪獣」へのこだわりは後退し、怪獣は「フィクションの中で組み立てられた存在」に近づいていった[*16]。環境の異常に根ざした『帰マン』から心の異常に根ざした『A』への移行にも、この怪獣の変質がよく示されている。
 加えて『A』についてはコンセプトが途中で漂流し、作品としては中途半端になった印象も否めない。そもそも、市川は第一話で広島の原爆ドームを超獣ベロクロンに襲わせるという野心的なプランを立てていたが、それは実現せず、広島県福山市に舞台が変更される。そして、その後の物語は結局おおむね東京に戻り、『帰マン』後半以来の民話的なエピソードも増える。さらに、北斗星司と南夕子が「合体」によってウルトラマンに変身するという基本的な設定も、物語中盤でなし崩し的に変更されてしまった。

増幅される妄想

 こうした弱点はあるとはいえ、『A』の「心理化」が時代を映す鏡であったことは確かである。例えば、文芸批評家の柄谷行人は当時、連合赤軍事件を暗黙に意識した評論「マクベス論」(一九七三年)のなかで「ひとが観念をつかむのではなく、観念がひとをつかむ。ひとが観念をくいつぶすのではなく、観念がひとをくいつぶす。そういう秘密を『マクベス』の冒頭ほどよく示しているものはない」という印象的な文章を記していた[*17]。これは、左翼革命の理想が無内容の「観念」として空転し、現実を腐食させるさまを、文学の言葉に託して語ったものである。
 この柄谷の言葉を踏まえると、ひとびとの邪悪な心に侵入し、私的な妄執を増幅させる異次元人ヤプールの姿は、まさに連合赤軍の若者を「くいつぶした」観念の戯画のようにも見えてくる。これは深読みに思われるかもしれないが、大塚英志が指摘するように、連合赤軍そのものがサブカルチャーと隣接する「矮小さ」を伴っていたのだとすれば、連合赤軍事件も『マクベス』のような文芸作品とだけではなく『A』のような特撮テレビ番組とも比べられるべきだろう[*18]。
 あるいは同時期の文学においても、一九七二年の『家族八景』に始まる筒井康隆の七瀬シリーズのように、空洞化した家族の実相をお手伝いさん(七瀬)のテレパシーが暴く一方、超能力者どうしが疑似家族として結びつく小説が書かれていた(ちなみにこの七瀬シリーズは、魔法使いのお手伝いさんを主人公とし、佐々木守や市川森一らが脚本家として参加した六〇年代後半の特撮テレビ番組『コメットさん』への変化球的な応答として見ても面白い)。筒井はここで、見知らぬ者どうしのテレパシー(遠隔感応)こそが最も近接的・家族的に感じられるという倒錯を描いたが、これは人間の不安定な心につけこむ『A』の異次元人ヤプールと通底するだけではなく、今日のインターネット社会の状況もある程度予告するものだろう。何の面識もない、いわば遠方の「異次元人」のブログやツイッターの書き込みを、人間の心はたやすく親しい耳打ちと勘違いして、まさにテレパシーのように無防備に受信し、ときには錯乱してしまうのである。
 このように、七〇年代前半には先述した「日本回帰」の傍らで、おどろおどろしい妄執によって心が「くいつぶされる」というモチーフ、あるいは妄想がどんどん拡大して社会を破壊するというモチーフが、サブカルチャーや文学に登録されていく。『A』が社会的なコンセンサスをはみ出す私的な「妄想」を新しいタイプの怪獣(超獣)と見なし、それを「怪談」のスタイルで語ったことは、後にオウム真理教を生み出すポストモダン化した日本の病理を突いていた。ポストモダンとは一枚岩の社会が壊れてリアリティが多元化していく時代であるとともに、妄想の拡大に歯止めがかからなくなる時代でもあるのだ。

『ウルトラマンタロウ』から
『ウルトラマンレオ』へ

 さて、その後のウルトラマンシリーズはさらに新たな方向へと向かう。不信と疑惑に満ちた『A』の妄執的世界を払拭するようにして、一九七三年から翌年に放映された『ウルトラマンタロウ』では、メインライターの田口成光のもと、むしろ健康的なファミリー・ロマンスが展開された。
 主人公の東光太郎は『セブン』のモロボシ・ダンを引き継ぐように、第一話で旅する風来坊の青年としてZAT隊員たちの前に現れ、最終話で再び「一人旅」へと出発する。ただし、『セブン』が「内面の発見」を特撮にもたらしたのに対して、『タロウ』の主人公はあくまで母親のおもかげを求める一方、その未熟さゆえにたびたび「ウルトラ兄弟」に庇護される。この優しい家族幻想のなかで、『セブン』の複雑な内面性は後退し、『A』に見られた暗い妄執も和らげられて、おとぎ話の絵本のようなエピソードが語られていく。『A』と違って、『タロウ』はそのコンセプトに関しては首尾一貫しており、当時の子供にも強く支持されていた。
 『タロウ』ではそれ以前のウルトラマンシリーズの美学は半ば消し飛んでいる。そのデコラティブで奇抜な乗用車にせよ、タワーの上部に巨大な円盤型の本部を取り付けたZAT基地にせよ、『タロウ』のデザイン感覚は一見して悪趣味なものに接近していった。「真剣」と「洒落」のあいだのきわどいバランスは崩れ、『タロウ』では怪獣の名前も含めて洒落への開き直りが始まっていた。東京は闘いの最前線であり、ZAT隊員はさまざまな軍事的な「作戦」を遂行するのだが、それは多くの場合、表層的なコメディとして描かれる。月から飛来した怪獣モチロンをネタに、原爆や空襲すら「不謹慎」なギャグにしてしまった第三九話(脚本は石堂淑朗)は、その極北である。
 この悪ふざけ的な一面に着目すると、『タロウ』は大人の観賞に耐える作品とは言いづらいように思える。しかし、そこにも『A』とは別の意味で、日本のポストモダンの特性が示されていた。実際、『タロウ』の派手なデザインは八〇年代に現れた悪趣味なポストモダン建築を先取りするようでもある(これは、シャープな未来的デザインを追求した『セブン』の観点からすれば、ある意味でひどい堕落であっただろう)。さらに、東京の真ん中に巨大なZAT基地を定め、そこから大型の主力戦闘機スカイホエールを飛ばすという荒唐無稽な設定も、その節度を超えたバカバカしさゆえに興味深い。皇居前のビルの高さ制限をめぐってはさまざまなトラブルがあったが、そのような隠微な抑圧やタブーは『タロウ』にはまるで何の関係もないかのようだ。
 『タロウ』が「母」に恋い焦がれたファミリー・ロマンスであったとすれば、続く一九七四年から翌年に放映された『ウルトラマンレオ』は強い「父」に近づこうとするスポ根的な物語である。そこではかつて「風来坊」であったモロボシ・ダンが、MACの隊長として誰よりも厳しく真面目なスパルタ親父となって再来し、主人公の若いレオ=おおとりゲンに厳しいトレーニングを課す。レオは体術に加えてヌンチャクで闘うこともあり、『燃えよドラゴン』(一九七三年)のブルース・リーで火のついたカンフーブームの影響があるのは明白である。この身体性の上昇もまた、未来という「大きな物語」が凋落したことの裏返しだと言えるだろう。
 さらに、ウルトラマンシリーズでは前例のないことだが、『レオ』ではゲンの他のMAC隊員たちは次々とあっけなく戦死していく。この容赦のない演出は『A』ふうの怪奇趣味に加えて、時代劇映画に代わって当時台頭していた東映の新しいタイプのヤクザ映画、特に即物的な殺し合いが強調される深作欣二監督の『仁義なき戦い』(一九七三年)を思わせなくもない。厳しい「父」のモロボシ・ダンすら物語の中盤でシルバーブルーメに襲撃されて行方不明になり、ダンとゲンの疑似的な父子関係は消失する。
 もとより、家族そのものは普遍的なテーマなので、問題はその取り扱い方にある。例えば、七〇年代に台頭したいわゆる「二四年組」の少女漫画家たちが、主人公と母の葛藤を鋭く主題化しつつ、女性の主体化のテーマに取り組んでいたのに比べると、『タロウ』や『レオ』における母や父には良くも悪くも単純で分かりやすいイメージが与えられていた。この時点で、ウルトラマンシリーズはサブカルチャーの表現の最先端を切り拓くというよりは、定型的な物語によって家族像を示すことに舵を切っていたと言えるだろう。

昭和ウルトラマンシリーズの終焉

 いささか驚くべきことに、六六年の年始に放映開始した『ウルトラQ』から七五年に放映終了した『ウルトラマンレオ』まで実は十年も経っていない。この間の変遷の激しさは、出発点に「科学」に基づく未来的世界という大きな物語を据えたウルトラマンシリーズにとって、七〇年の大阪万博後の現実をつかむのが決して容易ではなかったことを示している。『帰マン』の風景、『A』の妄想、『タロウ』の家族、『レオ』の身体は、大きな物語の凋落の後に、それぞれ新たなリアリティの座標を探り当てようとした試行錯誤の産物であった。
 その後、『レオ』から五年の空白を経て、一九八〇年から翌年にかけて『ウルトラマン』が放映されるが、そこでもコンセプトは安定しなかった。主人公の矢的猛は学校の先生という設定で、当初は「金八先生」ふうの学園ドラマと特撮の融合が企てられていたが、その路線は維持できず「先生」の設定もなし崩し的に消えてしまう。物語の大筋は「妄執に満ちた心の反映としての怪獣」という『A』のモチーフに通じるが、全体として単純なおとぎ話が多かったことも否定できない。
 先述したように、『80』の十年前の『帰マン』は軍事的・右翼的な性格を帯びており、戦時下の東宝のプロパガンダ映画に出演した長官役の藤田進らが、その虚構の戦争のなかに「本物」のオーラを忍び込ませていた。しかし、『80』になると日本や東京を守ると言ってもしばしば洒落の域を出ない一方、ウルトラマンシリーズそのものに立脚したエピソードも増え、バルタン星人やレッドキングやゴモラといった古い怪獣がたびたび登場する。安穏な八〇年代を舞台にして、過去のウルトラマンシリーズのプログラムが怪獣のコピーを自己言及的に出力し続ける──、この『80』のどこか漫然とした調子は、怪獣を生み出す環境がすでに消尽してしまったことを雄弁に物語っていた。
 ただ、外敵に対する『80』の弛緩ぶりにも、やはり時代性が刻印されていたことには注意しておきたい。例えば、石井聰亙監督の同時期のカルト映画『狂い咲きサンダーロード』(一九八〇年)では、右翼はもはやホモセクシュアルな「スーパー右翼」としてネタ化される存在でしかない。その後、学生時代の庵野秀明らの集った同人集団DAICONFILMが、特撮戦隊ものの『太陽戦隊サンバルカン』をパロディ化し、右翼も左翼もまとめて笑い飛ばす映像作品『愛國戰隊大日本』を一九八二年に発表する。八〇年代の諧謔的なサブカルチャーは政治的言説を骨抜きにし、防衛の物語を笑えるエンターテインメントにしてしまった。『80』にもこの政治の空洞化が反映されている。
 それ以前に、一九七三年には怪獣ブームを育てた大伴昌司に続いて円谷一が、七六年には沖縄に帰郷していた金城哲夫がいずれも若くして急死し、ウルトラマンシリーズはすでにその象徴的存在を相次いで失っていた。あるいは東宝の特撮映画を振り返ってみても、太平洋戦争の戦記映画にせよ『ゴジラ』シリーズのような怪獣映画にせよ、七〇年代にはほぼその歴史的使命を果たし終えたように思える。この時期の最も野心的な「東宝特撮映画」は、男たちの闘いの映画ではなく、金城と同じ一九三八年生まれの大林宣彦監督による少女たちのポップな残酷童話『HOUSE』(一九七七年)だろう。『80』の放映時期には日本の特撮文化そのものが大きな曲がり角を迎えていた。

『仮面ライダー』とポスト万博の悪夢

 このように、昭和のウルトラマンシリーズの歩みは決して順風満帆なものではなく、むしろ作り手側の迷いや試行錯誤を伴ったものである(日本の特撮史には『マイティジャック』の路線を含めてさまざまな実現しなかった可能性があり、それを復元するのも本来はサブカルチャー批評の務めだろう)。しかし、その迷いにこそ戦後日本社会の変化が透けて見えるのだ。
 加えて、ここからはウルトラマンシリーズ周辺の文脈も瞥見しておきたい。後期ウルトラマンシリーズと同時代のサブカルチャーの状況について言えば、一九七一年にウルトラマンシリーズのライバルとなる『仮面ライダー』の放映が開始されたことがやはり注目される。『仮面ライダー』の成功の一因は中途半端な文学性を払拭して、テンポの良い現代版時代劇に徹したことにあるだろう。
 『仮面ライダー』のメインライターの伊上勝は、もともと宣弘社プロダクションの『快傑ハリマオ』や時代劇ドラマの脚本家であった(この点は第二章で触れる)。『仮面ライダー』の当初の企画に参加した上原正三や市川森一が、原作者の石森章太郎とともに改造人間・本郷猛の苦悩を文学的に造形したとすれば、伊上の作風はむしろ屈託のない性格のライダー二号=一文字隼人に適しており[*19]、この二号が主役になったときから『仮面ライダー』は分かりやすい活劇に舵を切る。逆に、同じ七一年放映で、実相寺昭雄と佐々木守がコンビを組んだ宣弘社プロダクション製作の『シルバー仮面』は、迫害された家族を中心にした物語に挑んだものの、ストーリーはまさにその文学性ゆえに鈍重になり、視聴率も伸び悩んだ。
 内容面から言っても、『仮面ライダー』の立脚点は後期ウルトラマンシリーズよりも明快であった。例えば、伊上脚本の第七話「死神カメレオン決斗!万博跡」は大阪万博の跡地を舞台にしてナチスの宝の争奪戦を繰り広げるという、奇妙奇天烈なエピソードである。ウルトラマンシリーズが万博という祭りの前に始まったのに対して、仮面ライダーシリーズは最初から「ポスト万博」の状況から出発していた。がらんどうになった近代科学の夢の跡地で、漫画的な《太陽の塔》に見下ろされながら、バッタのようなマスクをかぶったヒーローと荒唐無稽な陰謀をめぐらせるショッカー軍団が一所懸命に殴り合う──、万博後の日本社会のあり方をこれほど象徴的に示すエピソードが他にあるだろうか?[*20]
 あるいは第八二話「怪人クラゲウルフ恐怖のラッシュアワー」で、「美しい日本と私」と記した新宿駅のディスカバー・ジャパンの広告がさりげなく映されるのも興味深い。「美しい日本」の標語とはまさに真逆の怪人やショッカー戦闘員を、都市のなかに大胆に埋め込む『仮面ライダー』の演出は、寺山修司率いる反近代的なアングラ劇団・天井桟敷が一九七〇年に上演した「市街劇」(アクシデント的な出会いによって都市の現実を重層化しようとする演劇的な試み)と図らずも響き合っていたようにすら思える。
 ウルトラマンシリーズも決してアングラと無関係ではなかった。例えば、ドン・シーゲル監督の古典的SF映画『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(一九五六年)さながら、フック星人が夜のあいだに密かに団地全体を乗っ取ってしまう『セブン』の第四七話「あなたはだぁれ?」は、横浜市青葉区のたまプラーザ団地をロケ地にして、昼の団地ののどかなコミュニティと夜の団地の非人間的な不気味さをうまく対比させた秀作だが、そこでは寺山の舞台で主演を務めた大山デブコが住人役で存在感を示していた。子供向けの特撮と言っても、一枚皮をめくればそこはアングラと地続きなのだ。一九三五年生まれの寺山がウルトラマンシリーズの作り手と同世代であることも、ここで付け加えておこう。

メディアミックスの時代

 さらに、『仮面ライダー』放映開始と同じ七一年には、角川春樹が土俗性やオカルトへの関心の高まりを睨みながら横溝正史の『八つ墓村』を角川文庫から刊行し、七六年には市川崑を監督に迎えた横溝原作の角川映画第一作『犬神家の一族』を大ヒットに導く。それ以降、映画化によって原作を売り出し、また原作によって映画を宣伝するというビジネスモデルが確立されていった。
 当時、それは停滞した日本映画に活を入れるための一種の奇策ではあったが、コンテンツの間メディア的な回流によって関連商品(文庫、漫画、おもちゃ、イラスト、映像ソフト……)を次々と派生させ、新たな生産者と消費者を生み出していくこの「メディアミックス」の手法そのものは、今や角川映画を超えて、インターネットの時代にも強力に機能し続けている。大塚英志の定義を借りれば、メディアミックスとは生産者=消費者である受け手の「多元的ストーリーテリング」を企業が吸い出し続けるシステム、すなわち「生産」と「消費」の領域が溶け合ったところに成立する新しいシステム」を指す[*21]。このメディアミックスの文化史的な意味は、コンテンツと広告がもはや原理的には区別できない消費空間を作ったことにあるだろう。
 ウルトラマンシリーズもまた、作り手が意識しないうちに、メディアミックスの手法を取り入れていた。大伴昌司は『ウルトラマン』について『少年マガジン』上で新たな設定(図解)を作り怪獣をキャラクター化するという仕掛けを、六〇年代後半に実現した。さらに、七〇年代前半には、円谷英二の次男・円谷皐が怪獣ショーやマーチャンダイジングを展開して円谷プロの経営を一時期好転させる一方、女の子向けのファンシー路線を意識して、八〇年代には『ウルトラマンキッズ』という商品も開発した[*22]。大塚は七四年のサンリオの「ファンシーグッズ」の開発を一つの象徴として、消費の主役が「男の子の夢」から「女の子の夢」に交替したと論じたが[*23]、円谷皐もまさにこの時期の「かわいい」カルチャーの波に積極的に加わろうとしていた。
 だが、このメディアミックスへの傾斜はウルトラマンシリーズの本編の内容も大きく左右することになる。例えば、円谷一の息子の円谷英明は、富野由悠季監督という中心軸のあった『機動戦士ガンダム』のシリーズと違って「ウルトラマンシリーズ最大の問題は、一本筋の通ったコンセプトを守れる人がおらず、時代の流れに翻弄されるがまま、ウルトラマンを過剰に「変身」させてしまったことです」と厳しく批判している。その度重なる「変身」の代償として、番組作りは玩具メーカーと広告代理店、テレビ局が主導するようになり、現場サイドからは実権が奪われてしまったと円谷英明は見なす[*24]。メディアミックスの宿痾は、作品がおもちゃを売るための「広告」と化してしまうことにあるが、ウルトラマンシリーズもその例外ではなかった。

少年と青年

 とはいえ、ウルトラマンシリーズが本格的なメディアミックスに身を投じる前から、子供との共生によって作られたドラマであったことも確かである。六〇年代前半における、日本の児童文化全体の成熟もこの共生を支える因子となっただろう[*25]。さらに第六章で詳しく論じるように、ウルトラマンシリーズそのものも、昭和前期以来の「少年」を宛先とする児童文化の延長線上で考えられるべき作品である。
 戦後日本は「一億総中流」と呼ばれた均質性の高い社会を作った。良し悪しは別にして、それが人種や階級という政治的なカテゴリに依拠しないサブカルチャーを生み出したのは確かである。だからといって、日本のサブカルチャーが社会的な差異に一切関わらない、巨大な子宮のような文化だという結論を導き出すのも早計だろう。ここで注目したいのは、子供と大人、あるいは少年と青年という発達段階の差異をめぐる作り手の戦略である。
 そもそも、子供向けの商品はどこででも成長し得るものではない。実際、海外の漫画やアニメは必ずしも「少年少女」という宛先を発見できたわけではなかった。
 例えば、一九七六年生まれのフランス人の日本研究者トリスタン・ブルネは、フランスの漫画(バンドデシネ)が大人向けと幼児向けに両極化していたせいで「大人でも幼児でもない少年少女たちは、どこか見捨てられた気分を持っていた」ところに、日本のアニメや特撮がその飢えを満たすように入ってきたと解説している。それらはフランスの子供たちにとって、人種や階級の壁を超えて話題にできるものであった[*26]。「少年少女」を宛先とした日本産のサブカルチャーは、フランスでは社会的分断を超える対話のチャンスを生み出したのだ。私は自己満足的な「クールジャパン」の掛け声に与する気はないが、日本のサブカルチャーが図らずも他国の公共的なコミュニケーション環境を補完したことは、正しく評価するべきだと考える。今後のサブカルチャー研究は、このような各国での受容のコンテクストも詳しく分析する必要があるだろう。
 と同時に、日本のサブカルチャーを「ユースカルチャー」として一括りにするのも、いささか粗っぽい議論である。というのも、その受け手には非性的存在(少年/少女)と性的存在(青年)の違いがあり、しかもこの両者を隔てる壁も頻繁に水漏れを起こしているからだ。戦後日本の中流幻想は「階級」を消去したが、そのぶん「少年」と「青年」という世代的カテゴリが隠れた争点となったように思える。

欲望の誤った受信

 ウルトラマンシリーズの作り手は、全共闘世代に代表される「青年」の共同性にときに冷淡であった。例えば、一九四一年生まれの市川森一脚本の『セブン』第三七話の異星人マヤは、ゴーゴー・バーで踊り狂う青年たちに混ざって「こんな狂った星よ〔…〕侵略する価値があると思って?」とモロボシ・ダンに語りかける。あるいは石堂淑朗脚本の『A』第一六話では、蟹江敬三演じる軽薄なヒッピー青年がディスカバー・ジャパンに便乗して日本を国鉄で「一人旅」するうち、岡山の神社に奉納された牛の鼻輪を盗んだ罰で、牛の超獣カウラに変えられてしまう。ウルトラマンシリーズでは、組織人である隊員と少年のあいだに兄弟のような友情が成立する一方、無責任な青年はしばしば嘲笑的に扱われた。
 しかし、その一方で、当時二十代の出演者は当然「青年」の文化とともにあった。一九四三年生まれの古谷敏は、五〇年代に名を馳せた「若者」の偶像ジェームズ・ディーンの中腰の構えを真似てウルトラマンを演じ、『ウルトラQ』と『ウルトラマン』で大人びた演技を見せた桜井浩子は、エルヴィス・プレスリーやフォークソングを愛する六〇年代の若者であった。当時の政治的な青年たちに支持された大島渚の周辺にいた佐々木守、実相寺昭雄、石堂淑朗、山際永三らが、ウルトラマンシリーズに脚本家や監督として関わったことも見逃せない。
 さらに、当時は少年少女であった受け手も、やがて「青年」へと成長する。その結果として、ウルトラマンシリーズが表面上は「性的なもの」を回避したのに対して、『ウルトラマン』に憧れたオタク第一世代はむしろ性に強く反応した。例えば、庵野秀明は『新世紀エヴァンゲリオン』の思春期の少年少女のパイロットたちを、性的な存在として描き出した。あるいは、会田誠や村上隆といった日本の現代アーティストは、しばしば子供向けのアニメや特撮に大胆な「性」をまとわせ、セクシュアリティを表現する素材に変えた。
 なかでも、葛飾北斎の春画のパロディである会田の《巨大フジ隊員VSキングギドラ》(一九九三年)は、円谷の特撮を性的な洒落として読み替えた悪趣味な絵画だが、「子供文化へのセクシュアリティの侵入」の絵解きとして見ればきわめて興味深い。この性への傾斜はたんなるアーティスト個人の欲望の暴走ではない。というのも、男子向けと女子向けの境界が壊れがちなことも含めて、日本のサブカルチャーの特徴は、作り手の想定を裏切って、受け手の側が思いもよらない受容形態を育てがちなところにあるからだ(大伴昌司の図解はまさにその好例である)。会田はここで、本来は性的であってはならない子供向けの作品に過剰な性を与えようとする受け手の欲望を巧みに戯画化した。この観点から言えば、オタクとは子供を宛先とした『ウルトラマン』のような商品からうっかりセクシュアリティを形成してしまった存在として、つまり「欲望を誤って受信してしまった青年」として定義できるかもしれない。
 もっとも、ウルトラマンシリーズの本編そのものはあくまでこのような「青年」の危険な欲望を遮断し、非性的な「少年」との共生を選んだ。内容的に言っても、このシリーズの中心には「子供の世界認識」があったというのが私の考えである。では、それは具体的にはどういうものなのか?次章ではこの問いに答えるために、いったんウルトラマンシリーズ以前の「ヒーローもの」や特撮映画に遡り、それらの想像力の特性を考えてみることにしよう。

*1 むろん、古典的・伝統的な想像力が怪獣映画に導入されたケースもある。例えば、中野昭慶をはじめ東宝のスタッフが参加した北朝鮮の怪獣映画『プルガサリ』(一九八五年)では、鉄を食べて成長する民話的な怪獣プルガサリが、木・火・土・金・水という五行説の元素と一つ一つ接触しながら、ついに圧政を敷く王を打倒する。ここでは怪獣は東アジアの古典的なシンボリズムと融和していた。
*2 詳しくは、白石雅彦『「ウルトラマン」の飛翔』(双葉社、二〇一六年)参照。
*3 実相寺昭雄『星の林に月の舟』(ちくま文庫、一九九一年)三六〇頁。
*4 成田亨『特撮と怪獣』(フィルムアート社、一九九六年)二三頁。
*5 『三島由紀夫全集』(第三六巻、新潮社、二〇〇三年)六四六頁。
*6 大島渚『体験的戦後映像論』(朝日新聞社、一九七五年)二三三頁。
*7 なお、一九六七年には新宿駅にたむろする「フーテン族」の桜井啓子を起用した大島渚監督の『無理心中日本の夏』が、六九年にはやはり「フーテン」の車寅次郎を主役とする山田洋次監督の劇場版『男はつらいよ』が公開されている。金城哲夫は山田監督を尊敬していた。
*8 切通理作『怪獣使いと少年──ウルトラマンの作家たち』(宝島社文庫、二〇〇〇年)二六、八一頁。
*9 佐藤健志『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』(文藝春秋、一九九二年)。
*10 実相寺昭雄『怪獣な日々』(ちくま文庫、二〇〇一年)一九一頁。
*11 佐原健二『素晴らしき特撮人生』(小学館、二〇〇五年)九一頁。
*12 拙稿「日本を転位する眼──山崎正和論」『中央公論』(二〇一六年一二月号)。
*13 佐原晃「MATメカについての熟考」円谷プロダクション監修『帰ってきた帰ってきたウルトラマン』(辰巳出版、一九九九年)五二頁。
*14 森川嘉一郎『趣都の誕生──萌える都市アキハバラ』(増補版、幻冬舎文庫、二〇〇八年)第四章参照。
*15 切通前掲書、三〇八頁。
*16 切通理作『怪獣少年の〈復讐〉』(洋泉社、二〇一六年)八三頁。
*17 柄谷行人『意味という病』(講談社文芸文庫、一九八九年)五四頁。
*18 大塚英志『「彼女たち」の連合赤軍』(角川文庫、二〇〇一年)三一五頁。
*19 竹中清+井上敏樹『伊上勝評伝──昭和ヒーロー像を作った男』(徳間書店、二〇一一年)一三九頁。なお、昭和の『仮面ライダー』が東映の時代劇に対応するとしたら、平成のライダーシリーズ、特に伊上の息子の井上敏樹が脚本に加わった『仮面ライダー龍騎』(二〇〇二~三年)は深作監督の『仁義なき戦い』のような東映のヤクザ映画に対応すると言えるかもしれない。宇野常寛は『ゼロ年代の想像力』(早川書房、二〇〇八年)第五章で、ライダーどうしがバトルする『龍騎』を「カードゲーム=バトルロワイヤル的な世界観」を示す「サヴァイヴ系」の代表作として読み解いたが、映画版の『バトル・ロワイアル』シリーズが遺作となった深作は「サヴァイヴ系」の元祖と言えるだろう。
*20 科学の廃墟でショッカー的なものが跋扈するという悪夢は、我々の社会に再び現れている。例えば、東日本大震災以来、日本の一部の政治家はアメリカの「人工地震津波兵器」の脅威を大真面目に語っているが、それは恐るべきことにショッカーと同レベルの想像力でしかない。
*21 大塚英志『メディアミックス化する日本』(イースト新書、二〇一四年)五一、五八頁。
*22 円谷皐+鎌田紘亮『円谷皐ウルトラマンを語る』(中経出版、一九九三年)一一一頁以下。
*23 大塚『「彼女たち」の連合赤軍』二〇一頁以下。
*24 円谷英明『ウルトラマンが泣いている』(講談社現代新書、二〇一三年)一二〇、一三七頁。
*25 上笙一郎『児童文学概論』(東京堂出版、一九七〇年)は、一九六三年に相次いで刊行された石井桃子『ちいさなねこ』、渡辺茂男『しょうぼうじどうしゃじぷた』、中川李枝子『ぐりとぐら』等の洗練された絵本に言及しながら、一九五九年から六〇年代前半を児童文学の稀に見る隆盛期と位置づけている(二一一頁以下)。
*26 トリスタン・ブルネ『水曜日のアニメが待ち遠しい』(誠文堂新光社、二〇一五年)七〇、一三一頁。

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