「バラしていく」ための工学を立ち上げる

 地球、そして生活をめぐる環境がめまぐるしく変わるいま、都市にはいかなる「庭」が必要なのか──「庭プロジェクト」の第8回の研究会の後半では、ゲストとしてお迎えした都市史・建築史研究者の松田法子さんによるプレゼンテーション(「湧き水」から考える、人間「外」とかかわる都市のかたち|松田法子)をもとに、参加メンバーによるディスカッションが行われました。
 
 松田さんがプレゼンテーションで詳述してくれた「生環境構築史」について、概念的に深掘りする問いを投げかけたのは文化人類学者の小川さやかさんです。

「生環境構築史は、人間観も自然観もラディカルに大きく変えて、新たな構築様式に向けて総動員するという運動なのでしょうか? テクノロジーを猛烈に加速化していって人間同士の分配を可能にすることを目指し、ラグジュアリーなコミュニズムを再考する左派加速主義のような世界観、あるいはもう少しナチュラルなほうに振れて、私たちの世界の元々の自律的な生態環境をある種人工的に構築していこうという動きとは、どう違うのでしょうか」(小川さん)

「それについては、生環境構築史Webzineの第5号特集で扱った『エコロジー』についての私たちの整理を通じて説明するのがわかりやすそうです。ひろく生態系についての考え方や行動の仕方、現在までの主なエコロジー思想と活動を整理してみることで、生環境構築史的な見取り図を描いてみた号です。編集メンバーの幾度もの議論の末、このような2軸からなる見取り図が描かれました。課題に取り組むさまざまな立場を把握するために、主体・体制を縦軸にとり、既存の生態系に手を入れるのかそれとも『手つかず』を良しとするかを横軸にとった四象限図です。この仮の見取り図をつくることで、人間が関わるエコロジー、つまりヒューマン・エコロジーについてのきわめて多数かつ多様なこれまでの思想と活動を、ある程度見通しよく、把握しやすくなったと思っています。

生環境構築史Webzine第5特集 青井哲人「生環境構築史とヒューマンエコロジー」より

『大きな体制で/手を入れる』という第Ⅰ象限に配置できるのが、たとえば『エコモダニズム』と言われている立場です。『ジオエンジニアリング』に代表されるような、工学的に自然を分析・解析して、制御あるいは変えることができるかもしれないという考え方です。第Ⅲ象限には『無』とありますが(笑)、これは何もないということではなくて、ある種、自然の中に境界なく溶け込んでいくような人間像を目指す立場と言ったらわかりやすいかもしれません。第Ⅱ象限の『再野生化』は、オランダのリワイルディングのような取り組みを指しますが、動物工学的な手法も時には用いながら、手付かずな『人間以前』の自然を目指す活動もあり、やり方によってはより第Ⅰ象限に近いものもあって一様ではありません。

第Ⅳ象限にあたる『小さな主体で/手を入れる』活動には特に多様なものがマッピングされそうなので、ひとまず『オルタナティブ』と括っています。現状を批判して代替的な環境への組み替えを求めることを、小さな主体で、かつ連帯的に考えていこうとする動きには虹のようなグラデーションがあると思われ、そのプリズムの様相をこれからよく検討していきながら、過去のものも含めて見直したり、構築4を含めて次の方法を考えていったりできたらいいなと思っています。ですから、生環境構築史もおそらくオルタナティブの活動に連帯し、含まれるのではないかという自己検証と批判を行った見取り図です」(松田さん)

「人類学では小さな主体しか考えていない人たちがほとんどで、『無』と『オルタナティブ』の間を揺れ動くのがよくあるパターンです。『生環境構築史』ではどちらかというと、『エコモダニズム』から『オルタナティブ』の間のプリズムを考えているということでしょうか?」(小川さん)
 
「生環境構築史の出発点は、工学の中からの工学批判なんですね。工学の基本は、自然にあるものを人間の役に立つように支配し、編集するということです。ですが、『人間の役に立つ』ものとするための、自然の動員の仕方や態度、規模に問題があるのではないか、という気づきが、東日本大震災の時の原発事故などを受けてあったわけです。工学はそもそも大きな体制なんですよね。経済的利益と連動した工学が、例えばこの東京の都心のような鋼鉄都市をつくっています。けれども、このような鋼鉄の超高層が並ぶ大都市の都心は、どこかのタイミングで物理的に更新できないときがやってきます。これほどの大きさと堅さをもつ人工物を解体して次の建物に更新するには、それでも大きな経済的メリットがあれば行われますが、もし200年や300年後にそうしたメリットがなければ、都市の中心が巨大な廃墟になる可能性もあるわけです。いまの都市づくりが将来の壮大な廃墟づくりになってはいないのか。そこでの地球由来の資源の用法は、将来的にも適切なものなのか。そうした危機感を前提に、生環境構築史は、建築史分野の研究者3名で始めました。そこへ、食と農の現代史の藤原辰史さん、土の研究者の藤井一至さん、それから地学の伊藤孝さんなど、適切な構築様式を探っていくための多彩なメンバーに加わっていただいたわけです。そして、鋼鉄都市を構築4に接続させていくための解体法をめぐって、生環境構築史立ち上げメンバーである建築史家の中谷礼仁さんが、まさにいま、早稲田大学を拠点に『解築学』を発足されています。

つまり、工学を逆使いする。人間だけの目的に向けてマテリアルを組み上げていくのではなく、バラしていく方向で次の工学を考えていくということです。ディストピアの可能性を放置するのではなく、先回りしてディストピアにアクセスし、それをバラす技術をあらかじめ埋め込むことを視野に入れる、と言ってもよいかもしれません。そういう意味では生環境構築史が、上の図の第Ⅰ象限と第Ⅳ象限にまたがって活動するものだということはいえるかもしれません。ただ、だから生環境構築史がエコモダニズムかというとそうではなくて、いま各象限に入っているキーワードは、あくまでその象限に配置可能な他のエコロジー活動や思想を切り出したものだということと、なおかつこれらはあくまで第5特集号の目次を示しているものだということを、この図を見る際の注意点としては補足しておきます。

その上で、構築3と構築4が当面いかにして共存するのか、というのは大きな課題と捉えています。構築4は、構築3の足元にキノコのように生えていくのか、構築3の世界のなかにチーズの気泡のような穴をあけていくのか。構築4の存在形態と、構築4的な取り組み同士がどうつながっていくのかという連結の方式を模索していくことは、我々としてもディスカッションの対象にしています。加えて、構築4がキメラ的なものにならないようにすることも重要です。構築1と2と3が単純に加算されてできあがるものではなく、構築0を基盤に、かつ構築1から3も既にある様式ととして組み込みながらどんな姿をとるかを根本的に考えていくことを課題としています」(松田さん)

建築史・都市史研究者の松田法子さん

 この「工学の中からの工学批判」というスタンスに、パターン・ランゲージや創造社会論の研究者である井庭崇さんも共感を示します(参考:独創性を目指さない「創造」の話──来たるべき「創造社会」のビジョンを考える)。

「僕は建築家クリストファー・アレグザンダーが提唱したパターン・ランゲージの思想と方法を受け継いでいるのですが、今日の構築様式の話にはとても通ずるところがあるなと感じました。建築・都市の形だけでなく、創造活動や教育など、あらゆるものが近代(モダン)化の過程のなかできわめて人工的になった後、単に過去に戻ろうと言うのではなく、それを解体してより人間的なものにする。これは普遍的に展開していけるモデルだなと思いました。

そして『解体』の重要性を踏まえたうえで、それと大きく関連するであろう『発酵』とはなんだろうか、という点も考えさせられました。情報ネットワークを世界として捉えたとき、生成AIは情報の発酵と言えるのではないでしょうか。生成AIは、既存のコンテンツを単に蓄積してそれを出力するのではなく──つまり、インプットしたものがそのままの形で残っているのではなく──大規模言語モデルの土の中に一度埋められる。コンテンツとしては全部バラバラになるのだけれど、それが含んでいた養分はそこに溜まり生かされている。僕は『土壌としての自己』として人間における無意識の『土壌』のことをお話ししましたが、情報ネットワークにおける土のような役割を生成AIが果たし、分解・発酵して返してくれると言えるのではないかと思いました。味噌とか糠という自然物の発酵のメタファーだけでなく、人工的な情報システム上における『発酵』も今の時代重要になってきているな、と思いました」(井庭さん)

「地球認識革命」がもたらした変化

 また工学者である田中浩也さんは、「構築様式」の概念図に関して問いを投げかけます。

「わたしの印象では、構築0→1→2→3と数字が一つずつ上がるというのは、その時代それぞれの科学技術の進歩と、前のパラダイムへの批判精神とセットであると受け取っています。たとえばルネサンスのときだったら、宗教中心のパラダイムへの批判から人間中心のパラダイムがあって、当時の科学テクノロジーの進歩とセットで一つ前へ進むというような印象があります。

そう考えると、歴史は直線的に進むのではなく、前の時代への批判を含むので、『ちょっとした軌道修正』という意味合いで曲がりながら書かれているのかなというふうに思っていました。それが構築4になると突然前のパラダイム、構築0のほうに戻っていく書き方をされてる理由を知りたいです」(田中さん)

「この図の表現は、構築4が過去のパラダイムの側に戻っているということではないんです。構築4は構築1の側に戻ることではなく、まさにおっしゃるように、構築2には構築1が、構築3には構築1と2が、構築4には構築1から3が包含されています。構築4は、構築1+構築2+構築3に加えて、さらにその足元に構築0を明確に据えることで次の構築様式を考えようという問題提起なんですね。

構築4が何から生まれてくるかというと、一つは地球認識の変化だと思います。地球像というものは時代が進むにつれて大きく書き換わってきました。地表にさまざまな変動をもたらすメカニズムとして今は常識になったプレートテクトニクスも1960年代後半まではよくわからなかったわけで、しかも日本では学派の関係からさらに学説の受け入れが遅れたりして、普及したのは本当にここ50年ぐらいの話でしかない。そして地球のことはこれから解明されることがまだまだたくさんあるでしょうし、またそういう中で新しく資源として引き出されるものもあるだろうと思っています。ですから、『地球科学』という点から地球の資源化そのものを根本的に見直すと言う意味で、この図は一貫していると思っています。構築3が生まれたスタート地点にはルネッサンスの頃の地球認識革命があり、ですから構築4の背景にもやはり地球認識の革命があるはずなんです。ですから、田中さんのご指摘とこの図の内容とは矛盾していないです。

そして、このようなことになぜ気づけるかというと、『日本列島にいるから』という答え方をしたいと思っています。これはナショナリスティックな話では全くなく、プレート境界上に住んでいるから、ということです。東日本大震災のような災害の、構築3的世界へのインパクトとエラーから発見された、『構築様式』という考え方だとも言えるでしょうか。概念図の中の軌道は平面的な円ではなく、実はらせん状のスパイラルになっていて、構築3から離脱した構築4は、今までとは別の位相の地球に戻ってくるというイメージなんです。それは構築1が始まったときの地球ではなく、様々な地球認識革命や危機を経た後を生きている我々が改めてこの地球に立ち直した際にみえる構築様式だということです」(松田さん)

研究会にはボードメンバーのみならず、官/民、社会人/学生入り混じったメンバーが参加し、それぞれの専門性から議論が行われています

 そして建築家の門脇耕三さんも、この構築4のあり方について、既存の代表的な潮流も踏まえつつ深掘りしていきます。

「構築4に戻ってくるとき、ティム・インゴルドの提示する世界観のように親自然的なものになるのか、人間と非人間の交配についての議論をしているダナ・ハラウェイの世界観のように、もう少し人工物的ディストピアになるのか。いわばインゴルド派なのかハラウェイ派なのかが、問われると思いました」(門脇さん)

「前置きとして、まず生環境構築史が先行の各思想にそのまま載っかるということはありません。それから、『自然』自体の問い直しは絶対に必要なものなので、これまでいわゆるネイチャーやワイルドとして捉えられてきた自然のようなものを注釈なしに使うことはなく、人などの主体との関係として自然観自体の書き換えや議論が必要だと考えています。

その上で、おそらくインゴルド的世界観と生環境構築史は、直接突き合わされるということはないように思います。なぜかというと、生環境構築史における構築には意思が必要だからです。インゴルドのように、大地と空の間の気象世界にさらされることで、開かれて住む存在になる、といった人間像は、先のエコロジーの四象限でいうと左下の『無』に近い気がします。全ての存在は関係性のメッシュの中にあり、流動している。その知覚自体はとても魅力的ですが、ラインズ、つまり逃走線を束ねる小さな手仕事に加えて、やはり構築3として捉えうる大きな体制に対してどう次の構築様式を立てていくかという意志が必要なのではないかと思うんです。その意志の持ち方や向け方を、世界史をきちんと振り返ることで、歴史認識のうえに未来像を描いていこう、というのが生環境構築史です。実に大きな話ではありますが、構築様式は、過去に提起されてきた『生産様式』や『交換様式』に学びながらも、それらとは異なり、動く地球を基底とし、資源としてきた人間社会の次の様式を認識するためのものです。

また、構築4の議論では『自律的に動く地球』というものを必ず根底に据えていることや、様式の階梯性や自己展開性に着目している点などにおいて、過去のサイボーグ論や、子孫はつくらず堆肥になって他の種と連帯しようという近年のコンポスト論など、生身の人間そのものの変容に注目しているハラウェイとも同じではないです。ただ個人的には、構築4の主体がどのような人の姿をとるかには関心をもっています」(松田さん)

「湧水」と汚染、ダムの問題

 こうした概念そのものについての検討に加えて、プレゼンテーションの後半で詳述された「湧水」にまつわる議論もなされました。東京小金井にある福祉施設「ムジナの庭」施設長の鞍田愛希子さんは、小金井の事例をもとに「湧水の汚染」という論点を提示します。

「ムジナの庭がある小金井の由来は、井戸の『井』の字が最後にあることからもわかるように、『湧水が黄金のように出てくる』というのがもともとの意味だったという説もあります。小金井を拠点に選んだのは、植物を蒸留するための水を求めていたため、ご近所で井戸水を汲めるという土地の豊かさも決め手の一つでした。ただ、いま小金井では、PFASやPFOSといった化学物質による汚染の問題がニュースになっています。

湧水は人を集めていく機能を持っているのだけれども、そこに汚染があることによって、裏腹に感染源にもなってしまうという性質も持っている。東日本大震災のときの、放射性物質や土の問題などと同じようなことが言えるのではないかとも思いました」(鞍田愛希子さん)

東京都小金井市の福祉施設「ムジナの庭」を主宰する鞍田愛希子さん(「庭プロジェクト」・ボードメンバー)

「構築3の世界の中に、どのように構築4が成り立つのか。今日の湧水の話は、そのひとつの具体例でもあるし、比喩でもあるわけです。一方で、おっしゃるように、湧水が汚染されているかどうかという問題は、当然あるわけですよね。ただ、湧水を振り返ってみたら既に起こっていた汚染に気づく、というのは大切なことではないかと思います。

構築0的な地球の営みがつくってきた特定の性格の場所を、過去の人たちが発見して居住のユニットにしていたという歴史が都市の足元にあるということを、人文科学的側面と自然科学的側面の両方から知っていくこと、気づくことが、まずは第一段階だと考えています。それに対して何をしていくかというのは、先ほどお話ししたようにプリズム的な広がりをもつ立場と考えがあるでしょう。その方向性のそれぞれは、みなで共有しながら考えるべきことだと思います。

多面体的な活動をお互いが見て批判できるような形でないといけなくて、何かを盲信してしまったらそれはカルトですよね。たとえばオーガニックやSDGsのように、前提をあまり問うことなしに『これいいね』と安直にみんなが乗っかっていくようなものも危ない。『何か違うよね』ということを立ち止まって言える、冷静に考えられるようになるために、知的トレーニングと活動との間を往還し続けるしかないのではと思っています」(松田さん)

 加えて、哲学者の鞍田崇さんは、湧水と対になるものとして「ダム」について問いを投げかけます。

哲学者の鞍田崇さん(「庭プロジェクト」ボードメンバー)

「今回のプレゼンテーションでは湧水が手がかりとなったわけですが、同じ水辺の一つにダムというものがありますよね。東京の近郊にもたくさんあると思うのですが、そういうものについてはどういう可能性を感じていらっしゃるのか、聞いてみたいと思いました。

つまり湧水というのはある意味で『手つかずの自然』的要素をはらみながら、そこに人が積み重ねてきた歴史の厚みとともにもう一回見直すべきポテンシャルを探られているかと思うのですが、一方で構築3的に人為化・制御化して水を管理しようとした一つの象徴としてのダムがある。極端に言えば、そうしたダム的なものはもう顧みる必要がないものなのか、何らかの顧みる余地があるとしたらどういうことがあり得るのかが気になりました」(鞍田崇さん)

「ダムは単純にいまの人口を養うためには手放せない構築物になっていますし、構築3を全部捨てるということはできません。それは人道的ではないし、現実的でもない。ただ、だんだん人口が減っていったり、居住地が縮小していったりするなかで、再デザインしていくときの手法として見直せる部分があるだろうとは思います。

利用できる価値と資源の量を可能な限り最大化するのではなくて、適正量で使っていくために工学を使うという意味で、新しいダムの形というのはおそらくあるのだろうと思います。たとえば発電の形などはむしろ技術開発が進むべきなのでしょう。ただ、それがどういう理念にもとづいて動かされていくべきかを共有していく議論は別に必要だと思います」(松田さん)

構築4へのまなざしを「マクロな動き」につなげる

 最後に、「庭プロジェクト」の発起人である宇野常寛から、今日の議論を総括しつつ、今後の目指すべき道についての指針が示されました。

「構築4はおそらく、直感的に多くの現代人が『いい』と思うはずです。『このままずっと構築3でいくの?』という違和感は、都市生活者の多くが実際に体感していると思います。しかし、ではどうやって構築4の環境を構築するのかというと、なかなか具体的な像を結ばない。それは今日のお話で言えばかつて『湧水』が担っていたものが現代には何にあたるのか、を考えることだと思うんですね。たとえば東京のような鉄道依存度が高いの都市をを見直そうと思ったとき、それはジェンダーや働き方の問題を解決することと繋がっている。それは東京が西側に拡大していく歴史が、同時に近代的な核家族と日本的な雇用形態に基づいた産業社会の発展の歴史でもあるからです。つまり、東京の鉄道依存を見直すことが、家族観や労働観のアップデートに結びついている。

こういったことを考えずに、単にウォーカブルシティにしようとか気候変動リスクへの対応をしようと言っても、から回ってしまう。構築3と4の間を結ぶために、こういった足元の問題から現代の『湧水』的なものを探すべきなのだと感じました」(宇野)

評論家 / PLANETS編集長の宇野常寛(「庭プロジェクト」発起人)

 他にも、東京における「自然」や、微生物とのかかわり、都市と「水」との関係性、「15分都市」的なものの再検討など、さまざまな角度から、これからの都市のかたちについての議論が白熱。これからの「庭」のかたちを探求していく「庭プロジェクト」にとって、地球史・人類史的な視座からの議論が深まった時間となりました。

[了]

この記事は小池真幸・徳田要太が構成・編集をつとめ、2024年3月14日に公開しました。Photos by 髙橋団。