京都駅前の一等地に「森」をつくる

 京都駅から東へ歩いてたった数分。鴨川との間に広がる崇仁地区は、面積およそ27ヘクタールの、京都市の中心部では数少ないまとまった土地です。江戸期の六条村に始まり、明治期に柳原町、1929年に学区名が「崇仁」となったこの地域は、1922年の全国水平社の創立とも深く関わる「同和地区」として、高瀬川沿いの皮革産業とともに歩んできた歴史があります。
 1960年に9,132人を数えた人口は、2020年の国勢調査では1,380人まで減っています。住宅地区改良法施行後の1960 年以降、地区を分けて住宅地区改良事業が推進され、用地買収に応じた部分から買収を進めた結果、事業用地が点在してまとまった用地が確保できず、改良住宅の建設が進まないまま、フェンスで囲われた空き地が目立つ風景が生まれたといいます。

 

 

 こうした空き地が目立つエリアの一角に、2023年10月、京都市立芸術大学が移転してきました。同じ頃、京都駅の周辺では、東部(崇仁)、東南部(東九条)、西部の各エリアで活性化構想が動き、2025年からは「京都駅前の再生に係る有識者会議」が、高さ規制の緩和を含む駅前の将来像を議論され、2026 年4 月に市長へ意見まとめが提出されています。
 そうした中で2025年12月、京都市立芸術大学の理事長兼学長・小山田徹さんが、「緑の回廊・百年の森」構想を提唱しました。京都駅から鴨川まで、崇仁の空き地を緑の回廊でつなぎ、100年後にここに「森」をつくる。開発の波に対して「長尺の投資」と「引き算の経済学」を一緒に考えませんか、という構想でした。これに応答した研究者や事業者、市職員らが有志で「緑の回廊プロジェクト勉強会」を重ね、途中から京都市役所の職員も所属を代表しないオブザーバーとして議論に加わるようになりました。

 そんな中、2025年に藤沢市および鎌倉市への再開発についての提案書を発表した庭プロジェクトでも、同地区の視察が行われることになりました。期待された役割は、土地が持つ時間の積層や地域の営み、そして京都駅前という都市空間との関係を、それぞれの専門分野から読み解くこと。視察は2026年8月初旬に、2日間にかけて行われました。
 視察には、この構想をめぐって集まった「崇仁100年の森 緑の回廊プロジェクト」勉強会のメンバーも参加しています。小山田さんの提示した構想に共感した研究者、ビジネスパーソン、市役所の職員、クリエイターたちが集まって、所属の肩書を外した非公式の勉強会として始まったといいます。これまでに5回ほど、フィールドワークや合宿を重ねてきました。

視察1日目の朝、京都駅前に集合する「庭プロジェクト」メンバー

崇仁地区、そして京都駅前の現在地

 視察1日目は、京都市立芸術大学の会議室で、京都駅前のまちづくりや「百年の森」構想の概要をインプットしてもらうところから始まりました。視察をコーディネートしてくれたのは、京都市職員の葉山和則さんです。

京都市 都市経営戦略室 葉山和則さん

 

「今回の視察では、小山田さんが提唱している崇仁地区での『100年の森』構想を一つのフックとして、崇仁地区の街のいまとこれまで、それから未来に向けてどういうあり方があり得るのかということを、みなさんと一緒に街を巡りながら考える機会にできたらと思っています。森をつくることやその評価、構想自体への賛否といった次元の議論をするつもりはありません。もう少し大きな意味で、京都という街がこれからどういう方向に進んでいくべきなのかを考えていきたいです。

小山田さんが投げかけているのは、単なる緑地や公園ではなく『都市に森をつくる』ということが何を意味するのか、という問いです。そしてこの勉強会を何回か重ねる中で浮かんできたキーワードとして、『都市の成熟』という言葉があります。人口減少や、文化が失われていっている現状、生物多様性が衰退している状況の中で、経済的な合理性や経済成長とは違うあり方も考える必要があるのではないか。そうした視点や、京都駅前で進んでいる再開発の状況も視野に入れながら、みなさんと視察や議論を行えたらと思っています」(葉山さん)

 まず葉山さんは、京都駅を取り巻くまちづくりの現況を説明しました。京都市全体では人口減少と少子高齢化が進み、若い世代の市外流出や働く場の不足が課題となる一方、京都駅前は交通の結節点であり、市を代表する商業の集積地でもあります。そんな中で京都駅を中心に、西部、東南部、東部の三つのエリアでそれぞれ構想を立て、地域の課題やポテンシャルに合わせたまちづくりが進められてきたといいます。



 西部エリアは「京都の新しいにぎわいを創出する」ことを掲げ、中央市場と梅小路公園を核に水族館や鉄道博物館が整備され、2019年には新しい駅ができました。市場の周辺では古い建物を活用したエリアマネジメントが進み、アーティストが滞在しながら創作するアートホテル「KAGANHOTEL」が象徴するように、「京都のB面」とも呼ばれるまちづくりが行われているといいます。
 東南部エリアは東九条にあたります。2017年ごろに活性化方針が立ち上がり、崇仁と同じく行政が長く事業用地として持っていた公有地を柔軟に活用する動きが始まっています。在日コリアンをはじめ多様な背景を持つ人々が暮らしてきた東九条では、地域の歴史や文化を踏まえつつ「文化芸術都市の新たなシンボルゾーン」を目指し、体験型アート施設の開業や、パークPFIによる南岩本公園の再整備が進みました。一番東南の角には民設の小劇場「THEATRE E9 KYOTO」があり、文化芸術を民間も担ってカルチャーをつなごうとしている動きがあるのが京都の特徴だと葉山さんはいいます。
 JRを挟んで北と南に別れている崇仁地区を含む京都駅東部エリアでは、2019年に将来構想が作られました。大きな転機は芸術大学の移転で、それを強力なきっかけとして、文化芸術を押し出すまちづくりを進める流れになっているといいます。

 そして中心部では、京都駅前そのものの再生が最近立ち上がりました。その京都駅前の再生については、20年先までの長いスパンで駅前のあり方を早めに考えておこうと、2025年から有識者会議が開かれてきました。意見のまとめでは、成長と共創/人中心の空間づくり/ウォーカブルな回遊性/駅前にふさわしい街並み/公民連携のエリアマネジメントという5つの将来像が挙げられ、あわせて「戦略的な誘導」として、民間投資を促す視点/都市計画によるインセンティブ手法の活用(将来像に資する内容を条件に、高さや容積率の規制を緩和する手法)/民間開発の質を高める誘導の3点が有識者会議から示されたといいます。

 こうした全体像も踏まえ、今回視察を行う崇仁地区を含む東部エリアの状況について、葉山さんはこう説明しました。

「東部エリアの活性化将来構想は、芸術大学の移転に伴ってどういう街にしていくかを考えたもので、実現に向けて2019年から10年間で取り組む方策が定められています。ただ、将来構想は本当にこれからなんですよね。京都市もこれからどうしていこうかと考えている、現在進行形の議論です。現時点で大きな方針として考えられているのは次の3つです。1つ目が、子どもや若者から高齢者まで安心安全に暮らせること。2つ目が、京都の玄関口に近く文化エリアでもあるので、そこにふさわしいにぎわいを作ること。3つ目が、芸術大学が移転してきたので、文化芸術を大事にしていくこと。

崇仁地区はもともと住宅地であり、さらに生業が行われていた場所でもあります。職住が一緒にあった場所に芸術大学が入ってきて、しかも駅前のすぐ近くという要素もある中で、この3つをどううまく調和させていくのかが、これからの課題です」(葉山さん)

なぜ「森」なのか?経済合理性への「防波堤」をつくるために

 続いてプレゼンテーションを行ったのが、「緑の回廊・百年の森」構想を提唱した張本人である小山田さんです。なぜ、京都駅前の空き地に「森」をつくろうとしているのでしょうか。小山田さんは、京都市立芸術大学の移転計画そのものにさかのぼって、構想の背景にあった問題意識を語りました。

「私たちの大学は、2023年10月にここにやってきました。その10年ほど前から移転計画を立て、移転に際して新しい大学の理念を作り、移転構想を進めてきました。その中で『テラスのような大学』というコンセプトを掲げ、移転が完成してここに来ました。

ただ同時に、私たちがその10年間、ずっと懸念してきたことがあります。さまざまな歴史を重ねてきたこの地域を、ある意味で『浄化』することに加担してしまう可能性がある、ということです。そうならないためにどうしたらいいかは、なかなか大枠では示せません。ですから、細かい活動をいろいろ繰り返すということをやってきました。

一方で京都市は、このエリアと南部のエリアを、文化を基軸とした再開発のような形で考えている中で、『にぎわい』という言葉を使っていました。いろいろな意味での『にぎわい』として理解はできるのですが、どうもそこで言われているにぎわいは、経済的なにぎわいのほうが強く感じられる開発になっていたのではないか、というようにも感じていました。

崇仁地区ではまだ、そういった開発は具体的には進んでいません。住宅改良事業で市営住宅はできていくけれども、いまは空き地として京都市が管理する形で置かれています。ただ東九条のほうでは、さまざまな政策とともに誘致が始まっています。そういったものの利点があることもよくわかってはいます。しかし生活環境や教育環境、未来へ残す風景といったことを考えた中で、本当にそういった開発だけでいいのか、という疑問がありました。もしそういったものだけが目の前の空き地に広がっていくとしたら、私たちの大学はその引き金を引いたという歴史をずっと背負っていくのではないかと感じていたんです」(小山田さん)

京都市立芸術大学 学長 小山田徹さん

 

 こうした懸念を、小山田さんは学長就任時に行われた朝日新聞のインタビューで口にしたところ、事態が動き出したといいます。

「学長になったときに、インタビューの中でちょっと言ってしまったんですよね(笑)。その中で考えたのは、すべての開発が、経済的合理性に基づいた人間中心主義の開発になっていないか、ということでした。芸術というのは多くの場合、自然からさまざまなものを習い、ある種の謙虚さの中で世界を捉える方法を模索するのが基本形だと思うのです。人間が横暴な状態、謙虚さを失った状態で世界を捉えることは絶対にしてはいけないというのが、なんとなくの不文律としてあります。ですから、いま進んでいる都市開発や、私たちの消費社会の姿を考えると、違う提案をする立場にあるのではないかと思ったのがきっかけです。

どう考えても、日本はこれから縮小社会に向かいます。人口減でもあるし、資源も限られてくるし、いままでのような右肩上がりの経済論だけでは当然できないことはわかっているはずです。そうなると、目指すべきは“成熟社会”なんですよ。縮小するけれど成熟するという形を、どうやって作れるか。その成熟という部分には、芸術が多大に貢献できるはずです」(小山田さん)

 そして右肩上がりの経済論とは別の「成熟」のあり方を考えるとき、浮上してきたのが「森」というキーワードでした。

「経済原理とは別の成熟社会を提案するときに、最も必要になるのは、いままでの概念ではない『美しい引き算』の提案ではないかと思いました。それを提案するうえで有効な方法が何かないものかと考えたときに出てきたのが、『森』というキーワードです。森は一挙にはできません。多くの人の意見や知見が集まってやっとできるもので、少なくとも100年以上はかかる。そういうものを持ち込むこと自体が、新しい時代を考える時間を稼ぐことになります。作りたかったのは、いまの大きな流れに対する防波堤なんです。『100年』というのも便宜的に付けただけで、100年過ぎたら1000年の森、できれば10000年の森になれば、それを壊して開発することに躊躇が生まれるはずなんですよね。

……こうした妄想をインタビューで言ってみたら、すぐに大きな反応がありました。いろいろな方が訪ねてきてくださってこの勉強会が始まり、世界各国から応援のメッセージもいただいて、むしろ『いつになったら協力できるんだ』と言われています(笑)。ただ、具体的にどんな森なのかはまだ見えていません。専門家の知見も、技術も、労働も集まらなければできない。そういうものこそが、新しい形の大学、学びの場なのではないかと思っています

目の前に森ができることは、大学にとって大きな利点ですし、地域の方々にとっても、これから子育てをしたい方や、この地域の出身でいま外に住んでいる方が戻ってきたいと思える環境になる。京都駅を出ていきなりバスに乗る観光客も、緑の塊が見えたらちょっと寄ってみようかなとなって、歩き始めたら鴨川に出る。そういう新しい人の流れができるのではないか。さらに京都市にとっても、世界に先立って『引き算の経済』を表明するシンボルとして、大きなアピールになると思うんです。京都には100年、200年、400年と続く老舗がざらにあり、長尺の時間の提案は当たり前の街ですから。

そもそも『100年の森』を超えるような森は、すでにあるんです。さまざまな寺社仏閣が400年、1000年を超える森や林、庭園を、行政より長い歴史の中で継承してきた。今日も来てくださっていますが、京都にはそういう長尺の時間を超えてきたノウハウを持った庭師の方々がいる。そういう知見が集まって緑の回廊、100年の森が作れるとしたら、その技術と知恵を全員で共有しながら、次の世代に残すものを作ることができるのではないか。そう考えて、このプランを提唱しました」(小山田さん)

小山田学長の作成した「妄想の未来図」

 

 構想の具体はまだ何も決まっていないものの、勉強会では、議論の拠り所となる三つの原則を定めつつあるといいます。

「具体的なことは本当に何も決めていないんですよ。最初の妄想だけで突っ走っています。でも徐々に、こういういろいろな言葉や問い、思いが集まって、少しずつ形になるのかなと思っています。こういうものを少なくとも30年ぐらい続けて、みんなでずっと知恵を出し合いながら作っていって、あとは自然に委ねるという形まで来られたら、今度は人間が自然から学べる立場になるのではないかと思っています。

そのために勉強会では、そういった思いから外れずにいろいろな話ができるように、自分たちを縛るつもりで『三原則』を立てました。1つ目の『生物圏への参加』は、人間が謙虚であることを目指しています。あらためて生物循環に人間が参加させてもらうという立場を志向できるかどうか。2つ目の『土地の時間と人々の営みに学ぶ』は、歴史ある人々の生活を蔑ろにしないということです。3つ目の『多世代への受託責任』は、いまの時代、私たちは一時的に預かっているだけで、それを良き形にして次の世代に渡していく責任があることを確認しながら進めていくこと。この3つからはみ出すようなことは、この勉強会ではできるだけしないように、という思考実験をやっているのが現状です」(小山田さん)

崇仁地区を歩く。キャンパスから柳原銀行、東九条まで

 インプットを終えると、一行はまず小山田さんの案内でキャンパスを歩きました。

 京都市立芸術大学は2030年に150周年を迎える、日本で最も古い芸術系の大学です。これまで10回以上の移転を繰り返してきたといい、洛西にあった前のキャンパスで初めて音楽と美術が同じ場所に集まって、いわゆる芸術大学になりました。それ以前は、画専や美工と呼ばれた絵画系の美術の学校と、戦後に音楽短大として生まれた音楽の学校が別々だったといいます。
 2023年10月に移転した現在のキャンパスは、道路で区切られた三つのエリアに分かれています。音楽と、図書館やギャラリー、大学院や学科、事務局や学長室が入るメインのエリア、国道24号線を挟んで学食のあるエリア、そして昔からの道路を越えて鴨川に最も近い、彫刻や陶磁器の建物があるエリアです。一階のギャラリーでは秋田公立美術大学と共同で「収集物をどうするか」問題をめぐる展示が開かれていました。

 ギャラリーの展示を見たあと、6階に上がって北側を見渡すと、フェンスで区切られた崇仁地区が一望できました。

 そのまま柳原銀行記念資料館の前を通り、美術学部工芸科染織専攻准教授の安藤隆一郎さんの案内で、キャンパスの東を流れる高瀬川へ向かいました。約400年前、慶長19(1614)年に開かれた運河である高瀬川は、人々の手によってつくられ、育まれてきた「森」でもあります。蝋染と「身体翻訳」を専門とする安藤さんは、移転後、この川を軸にした活動「京芸高瀬川保勝会」に取り組んでいるといいます。

 

京都市立芸術大学 美術学部工芸科染織専攻准教授 安藤隆一郎さん

 

 

 学食で昼食をとった後、午後はまず、柳原銀行記念資料館を訪ねました。柳原銀行は1899年、柳原町長を務めた明石民蔵ら地元の有志によって設立された銀行です。差別のために既存の金融機関から融資を受けられなかった地域が、自ら銀行をつくって皮革業への融資や教育に資金を回したもので、被差別部落の住民自身の手で設立された日本で唯一の銀行とされています。1907年に建てられた現在の建物は、1986年の道路拡幅で取り壊しが計画されたものの、住民の保存運動によって移築・復元され、1994年に京都市登録有形文化財となり、1997年に記念資料館として開館しました。現在は芸大の新キャンパスに隣接しています。館内には地元の人々から寄贈された資料をもとに、地域の歴史や文化、暮らしをたどる展示があり、同和問題をはじめとする人権課題の啓発施設として運営されています。館の丸山修さんの解説を聞きながら、一行は展示を見て回りました。

柳原銀行記念資料館の前で育てられていたサツマイモ。キャンパス内には、こうした手づくりのプランターが各所に見られました
アーティスト・山本麻紀子さん

 

 続いて、公共施設「京都市下京いきいき市民活動センター・うるおい館」のロビーで、芸大移転前の地域の風景写真を見ながら、崇仁すくすくセンターの「挿し木プロジェクト」を見てまわりました。京都市立芸術大学・大学院を修了したアーティスト・山本麻紀子さんが主宰するプロジェクトで、芸大の移転に伴う再開発で失われていく風景を、地域の植物の挿し木を通じて未来に届けようというものです。2020年に元崇仁小学校や元崇仁市営住宅、元崇仁保育所などの敷地からアジサイ、バラ、クチナシ、ナツミカンといった約50種の枝を採取し、776本の挿し木を育て、成長したものから少しずつ地域の地面に戻しています。2023年にはうるおい館の南西角の花壇にアジサイが植えられ、2026年1月時点で8本の地植えが終わっているといいます。京都市下京・東部地域包括支援センターと崇仁デイサービスうるおいも協力先の一つで、この日は山本さんのアテンドのもと周辺を歩き、さらにうるおい館のデイサービスセンターで紙芝居があったので、利用者の方々の話も聞きました。

 休憩もほどほどに、その後はJRの線路を越えて崇仁南部と東九条を歩きました。鴨川、そして市民協働型の公園管理を試みる屋形町公園(通称・ひかり公園)の「あわいの庭」プロジェクトの現場で自然に触れながら、2025年10月に開館した体験型アート施設「チームラボ バイオヴォルテックス 京都」、その隣で2026年度冬の開業を目指して建設中の「Superblue Kyoto」、パークPFIによって再整備され、2025年12月に開園した南岩本公園などの現場を見て回りました。

市民協働型の公園管理を試みる「あわいの庭」プロジェクトが進められている、屋形町公園(通称・ひかり公園)。

 

2025年12月に「KYOTO SOUTH PARK」として開園した南岩本公園。カフェも併設されている。

「にぎわい」とは何か?地元は「100年の森」をどう受け止めているか

 視察1日目の最後、一行は京都駅東南部の小劇場「THEATRE E9 KYOTO」に移り、地域との対話の時間を持ちました。

 柳原銀行記念資料館の丸山さんと、崇仁自治連合会会長の湯谷芳博さん、そして小山田さんを囲み、葉山さんが聞き手を務めました。葉山さんは冒頭、「勉強会ではこれまで、賛成か反対かではなく、この街の過去といまを学んだうえで、実際に森があったとしたらどういう意味があるのかを議論してきた」と説明し、丸山さんに話を求めました。
 丸山さんは、16歳ごろから部落解放運動という形でこの街に関わり、36年間の小学校教員と6年間の児童館館長を経て、柳原銀行記念資料館に勤めています。町内の役はみな高齢化しているため、崇仁まちづくり推進委員会の事務局長など、一人で何役も兼ねているといいます。

柳原銀行記念資料館 丸山修さん

 

 丸山さんはまず、芸大が来てからの新しい動きを紹介しました。芸大の南側では、大阪ガス・京都信用金庫・龍谷大学の三者による共創ハブが2028年4月のオープンを目指して工事中です。七条通り沿いには1階がスーパーマーケットの店舗付きマンションが建設中で、JRの南側、市営住宅があった更地にも、JR東海グループと日本電気硝子による「京都駅東部複合型拠点整備プロジェクト」が2028年に開業予定で、こちらにもスーパーマーケットが入るといいます。「これで北と南にスーパーができるということで喜んでいるわけです」と丸山さんは話しました。

 そのうえで丸山さんは、住民の側から見た街の課題を語りました。

「人口はどんどん減っていますが、核心にあるのは仕事の問題です。親の仕事が不十分で低収入になり、低収入のもとで育つ子どもは、大学に行くとか、『こういう人間になりたい』ということの保障が難しくなる。実際、2020年の国勢調査で下京区と崇仁学区を比べると、最終学歴は上に行けば行くほど格差が生じていて、管理的・専門的・事務的といった一定の学歴が必要な仕事では格差があり、分類できない仕事についている人の割合には、2倍以上の格差があります。

まちづくりで、形は変わっていきます。建物が建って綺麗になる。けれども、この問題が解決されない限り、差別のサイクルはいつまでも続く。差別されているとかされていないとか、そういった問題もありますが、問題は生活なんです。生活の中に差別があるということを見ないと、そこは解決されないでしょう」(丸山さん)

 仕事の問題には、住まいの問題が重なります。改良住宅の家賃は当初、法律によって政策的に抑えられていましたが、期限切れとなり、家賃が上がることになったため、家賃体系をめぐって住民と市の間で長期にわたる訴訟・協議が行われたそうです。以降は一般の市営住宅と同じく収入に応じた家賃となり、丸山さんは、子育て・現役世代の転出にも影響してきたとの認識を示しました。

「もともと人口が減っていっていたところに、追い打ちをかける形でそういったものが出てきたわけです。高齢化ということは、5年後10年後に空き住宅が増えていくということでもあります。一般公募をしたらどうかという話も出ていますが、一番みんなが気にかけているのは、子育て世代が出て行かざるを得なかった、という問題のほうです。

街の『にぎわい』という話も出ましたが、にぎわったらそれでええのか、ということは問いかけていきたいです。我々が言う『にぎわい』というのは、出て行った子育て世代が戻ってきてくれること、昔できていた餅つきがまたできるようになることです。ところが京都市がいま出している方向性は、どうも企業誘致に走っているように思います。我々が望んでいることはこういうことだと日頃から言っているのですが、京都市がなかなか『これやったらええな』という案を出してくれない。綱の引っ張り合いのようなことをやっている状況です」(丸山さん)

 では、その住民の側から、100年の森はどう見えているのでしょうか。

「我々の生活環境や生活経験から言うと、自然に親しむとか、芸術に親しむといった経験があまりないんです。それを欲しいと思うかどうかなんですよね。私は欲しいと思うほうで、虫捕りができるな、野菜を育てられるな、森の学校や森の演奏会もできるかな、といろいろ思う。けれども、まちづくりと言えば建物というイメージしか持ってこなかった私たちが、そこまで豊かなイメージを持てるかどうか。いまみんながスーパーマーケットを欲しがっているように、森が欲しいと言えるかどうか。そこが一番の問題だと思いますね」(丸山さん)

 続けて、湯谷さんが暮らしの現場からの実感を話しました。湯谷さんは小山田さんと「森を作りたい」という話をしてきた一人で、まず屋形町公園(ひかり公園)から始めようという話になったといいます。ただ、公園に木を植えて育てることには、住民として実感している難しさもあると話しました。

「ひかり公園でバーベキューをされて、木が煙で傷んだり、後始末をしないで帰ったりする人がいる。火気厳禁にしてほしいとか、清掃活動は誰がするのかとか、そういった問題も出てくるので、なかなか難しいんです。木々が自分らの背より高くなると隠れるような形になって、そこでしてはならないことをする人も出てくる。それでも、ひかり公園を、みんなが集まりやすい公園にしたいというのが、いまの希望です」(湯谷さん)

 そこに葉山さんが「地域のコミュニティが弱くなっている中で、公園のような場所が人をつなぐ場になれば」と重ねると、湯谷さんはかつて地区に三つあった銭湯の話をしました。

「銭湯があったときには『あんた元気にしてんのか』『ちょっと見いひんかったけど元気やな』という交流が持てたのに、全部なくなって、お年寄りのコミュニティの場がなくなりました。我々は一つでも置いておいてほしいと反対したのですが、銭湯一つあたり年間2,700万円ぐらいの赤字が出る、団地に風呂もつけたのだから潰させてくれ、と取り合ってもらえませんでした」(湯谷さん)

 もう一つ湯谷さんが挙げたのが、住宅の管理をめぐる行政との関わり方です。部署が分かれているため相談しても話が前に進まず、せめて窓口を一本化してほしいと訴えました。そしてこの問題は、人口減と直結しているといいます。

「一回外に出ていって、年寄りだけが残っている。そのとき、出た孫が『おばあちゃん、おじいちゃん、僕らが住むわ』と言って入らせてくれるならいいけれど、それもダメだと。我々は過去、一万人近くいたのが、いまは千人ちょっとでしょう。一般公募の話もありますが、おじいちゃんおばあちゃんが長生きするためには、孫と一緒に住ませてあげてはどうでしょうか」(湯谷さん)

「戻ってきたくなる街」にするために必要なこと

 では、こうした課題の中で、地域と大学はどのような取り組みを進めているのでしょうか。丸山さんが紹介したのは、2025年に崇仁まちづくり推進委員会と崇仁教育連絡会が芸大の教員たちと取り組んだ「耕しプロジェクト」です。小山田さんが制作した移動式プランターを柳原銀行記念資料館の前に置き、子どもたちと土を入れて種をまいたり、陶芸の教員とお皿を、漆の教員と持ち手だけに漆を塗った自分だけのスプーンを作ったりしました。12月には収穫したにんじんとじゃがいも、たまねぎで、統合された小学校の家庭科室に教員や学生、保護者と子どもたちが集まってカレーを作って食べたといいます。プランターは2026年に4基に増え、さつまいもを植えて12月に焼き芋大会を計画しているとのことでした。小山田さんは「にんじんが一瞬危なかったんですよね。間引きすぎてどうなるかと思ったら、めっちゃ立派なやつが最近できるようになってきました」と笑いました。

 こうした取り組みが動き出す速さに、小山田さんはこの地域の特性を見ています。

「この地域の方々と話したり取り組んだりしていると、必ず子どもさんたちの未来についての話をなさるんですよ。デイサービスでおばあちゃんと話をしていても、お孫さんや次の世代の話をされている。そういう時代が来たらええな、とか、その子らが豊かに暮らせるにはどうしたらええか、とか。そういった話がすぐできる。ですからこの耕しプロジェクトも、子どもたちが当然のように経験できるものとして考えているので、進めるとすぐ実現できたんです。

街の開発を考えるときも、次世代の人々の暮らしをどのようにつないでいくかは、必ず大きな議題になるのだろうなと思います。そのためには、この人口減が反転していく必要がある。どのようにしたら戻ってもらえるのか、縁のある関係者が戻って住みたくなる状態をどうやったら作れるのかが、大きな課題なのかなと思います」(小山田さん)

 人口減を反転させるうえで、丸山さんも湯谷さんも触れていたのが、空いていく市営住宅をどう使うかという問題でした。京都市には一般公募の考えがある一方、地域には孫世代を呼び戻したいという希望があります。小山田さんは、その公募のやり方そのものに、行政が意志を持てるかどうかを問いかけました。

「これからの住民が、崇仁地区に縁のある人だけで構成されるわけではないと思うんですよ。市営住宅がこれから空いてくるとしたら、外部に対しての公募はどうしてもしなければいけない。ただそれが、いままで行政がやってきた公募のままなのか、それとも職種などで限定するのか。例えばエッセンシャルワーカーの方々に、京都市で一番交通の便の良いこの場所に住んでもらえば、緊急の災害のときにも活動しやすいし、現状のお年寄りや独居の方々との関係をつなぐ住民がそこに入ってくれる。そういったことを行政が主導的にできるかどうか。放っておいて住居の値段や収入の割合だけで公募をやると、本当に他の市営住宅と同じような状態がずっと続くことになると思うんですね。

子どもを抱えた世代がもし来るとしたら、商業ビルに囲まれたこういう地域に来たいかと思うと、そうはならない気がするんですね。値段がしっかり適用された状態で、さらに住環境の中に学びの場があったり、自然環境があったり、利便性も当然のようにあったりする。そういった理由で戻ってきてもらい、おじいちゃんおばあちゃんと同じ地域に住むという選択をしてもらえるような提案ができたらいいのではないかと思っていました」(小山田さん)


「そういった思いを持ちながら、いま芸術大学として地域に入っていって、新しい関係性のようなものが生まれつつある。それはいい流れでありながら、ここからそれを生かして、子どもたちの世代にどんな場所ができるのか。人口的にも減少ではなくて地域として残っていく、そのために何ができるのか。そこに森がどんな意味を成すのかという解像度が深まるといいのかなと思います」(葉山さん)

 その後、庭プロジェクトのメンバーも対話に加わり、夜にはそのまま懇親会へと移行し、視察の1日目は幕を閉じました。続く後編では、さらなる地域の視察や市長とのディスカッションまで行った視察2日目、そして庭プロジェクトメンバーによる視察の感想や議論の内容をお届けします。

[了]

この記事は小池真幸が構成・編集をつとめ、2026年9月24日に公開しました。Photos by 田中愛実。