まずは近況:物価上昇・円安のダブルパンチ

 おはようございます。ニューヨークの橘宏樹です。日本の皆様はいかがお過ごしでしょうか。4月中旬現在、ウクライナ侵攻については、長期化するだろうとの見方、5月9日のロシアの対独戦争戦勝記念日までに、めぼしい戦果をあげるべく、ロシアが大規模総攻撃を仕掛けるだろうとの見方が飛び交っている状況です。SNS上のプロパガンダ合戦も激しい状況で、何が正しい情報なのか、この情報は誰のどういう意図で世に出されたものなのか、いちいち判断するのが困難な状況です。
 ニューヨークの日常生活は、というと、兎にも角にも物価上昇が激しいです。生活を直撃しています。家賃も電気代も値上がりし、スーパーの野菜や肉までもが1~2週間で1割くらい値上がりしています。原因は、順調な経済成長をベースに、ウクライナ侵攻に起因する原油と小麦の不足、コロナ禍によるサプライチェーン混乱からの品不足が主要因です。飲食店の人手不足は特に深刻で、高騰する賃金がダイレクトに価格に反映され、例えば、つい先週まで13ドルで食べられたラーメンが今日は16ドルになったりしています。

ニューヨークのラーメンは一杯○○円!?インフレってこういうこと(日系ウーマン 井上愛アンバサダーブログ 2022年7月26日)

 さらに、円安が厳しい状況です。原因は、短期長期色々とありますが、日本の貿易赤字に加えて、上記のような物価上昇、すなわち市場の貨幣流通量を減らすため、アメリカは金利を上げました。日本は金利を簡単に上げられないところ(上げたら国債の利払いが増える)、市場は当然、より高い利回りの債券に買い替える(日本国債を売って米国債を買う)動きが進みます。僕たちのように日本円で給料をもらっている人々は、物価高と円安のダブルパンチで、本当にへとへとです。今月の給料明細を見たときは、減給処分でも食らったのかとのけぞりました……。

円安が一段と進行、ドル130円に届くか:識者はこうみる(2022年4月12日 ロイター)

 そして、治安が悪化しています。4月11日ブルックリンの地下鉄駅で起きた発砲事件にはニューヨーク中が震撼しました。幸い死者はでなかったものの、16人が負傷しました。犯人が逃走中の間は、電車は止められ駅は封鎖され、まだ捕まらないのか、今どのあたりを逃げているのか、と、オフィス内でみんな逐一ニュースを見守っていました。特に事件が起きた地下鉄駅は「ジャパン・ビレッジ」という非常に大きなスーパーやレストランの入った日系の複合施設の最寄り駅だったので、日本人コミュニティにとっても特別に肝を冷やす事件でした。

地下鉄駅で発砲事件(2022年4月13日 週刊NY生活)

 というわけで、コロナの蔓延状況はかなり改善してはいるものの(ほとんどの場所でマスク義務も解除。しかし足下では新規感染者数が微増傾向で、これもまた実は気持ち悪い)、庶民のニューヨークライフは非常に厳しい状況です。

▲セントラルパークでも桜が満開。

ユダヤ人は強いのか

 さて、本連載の大テーマは「ニューヨークの力強さの秘密を探る」ですが、今号から3回にわたって、ユダヤ系の人々の力強さの秘密について考えてみたいと思います。ニューヨークではユダヤ系の人々の金融・経済・政治・メディアにおける影響力は絶大です。実際、僕の肌感覚としても、こちらでビジネスをしていると、どんな分野であっても、話が進んで重大局面で出てくる、家主や地主、親会社の幹部、大株主などの判断権を持つ人物はユダヤ系であることは確かに多いです。全米に視野を広げてみれば、投資家のジョージ・ソロス、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ、映画監督のスティーブン・スピルバーグ、FacebookあらためMetaのマーク・ザッカーバーグ、メディア王のマイケル・ブルームバーグなど、ユダヤ系の著名な成功者は目につきます。

 ユダヤ系の人々の力強さの秘密について考察していくにあたり、今号では、まず、現在の在米ユダヤ人はどのような人々なのか、データを見ながら確認していきたいと思います。

ユダヤ人の占める「率」

 まず、そもそも誰が「ユダヤ人」なのか、という点ですが、イスラエル帰還法によれば、ユダヤ人とは、「ユダヤ人の母親から生まれた者またはユダヤ教に改宗した者」と定義されています。つまり、ユダヤ人とは人種の概念ではないのです。Pew Research Centerによる2020年の調査では、アメリカのユダヤ人の73%がユダヤ教徒。27%がユダヤ教徒ではないユダヤ人としています(とはいえ、アメリカの国勢調査では宗教について質問をしなかったり、一部の人は調査に応じなかったりするので、ユダヤ人を正確に数えるのは難しいのが現実です)。

 上記の調査によると、2020年の時点で、在米ユダヤ人は約750万人(米国全体の2.4%。祖父母の片方がユダヤ人である人々を加えると約2倍。)とのことです。ニューヨーク州にはイスラエルに次ぐユダヤ人コミュニティがあり、約180万人(州全体の約9%)が、ニューヨーク市内には約100万人(市全体の約12%)。特にブルックリン区に集中していて約80万人(区全体の3分の1以上)が暮らしているとされています。大半の人々が、ナチスやソ連の迫害から逃れてきた移民の子孫です。ニューヨークにおいては人口的にもユダヤ系の存在感はぼちぼち大きいです。

▲お出かけするユダヤ人(正統派)たちの服装。髪は男性を魅了するものとされているので、既婚女性は他の男性をたぶらかしてしまうことのないように、髪を剃ります。そしてスカーフ(左)やカツラ(右)で隠します。

 しかし、やはりユダヤ人の経済的な影響力はもっと大きいです。特に金融が強いのは有名ですよね。ゴールドマンサックス、JPモルガン、モルガン・スタンレー、メリルリンチ、シティバンク、ロイズ、プルデンシャルがユダヤ系企業です。ほかにもトイザらス、エスティローダー、ホーム・デポ(こちらの東急ハンズ的な日用雑貨チェーン店)、昨年亡くなりましたがラスベガスの「カジノ王」シェルドン・アデルソン氏もユダヤ系です。

 個人単位で見ても、2020年の調査によれば、収入が20万ドル(約2500万円)以上の世帯は、全米ではたった4%ですが、在米ユダヤ人では約5人に1人(23%)がこの層に属しています。ちなみに、2022年のフォーブス発表の世界長者番付トップ10では半分がユダヤ系です(4位:ビル・ゲイツ(マイクロソフト共同創業者)6位:ラリー・ペイジ(Google共同創業者)7位:セルゲイ・ブリン(Google共同創業者)、8位ラリー・エリソン(オラクル会長)、9位:スティーブ・バルマー(マイクロソフト元CEO))。こう見ると、GAFAの半分もユダヤ系ということになりますね。

 逆に世帯収入が3万ドル(約375万円)以下の世帯は、全米の26%を占めますが、在米ユダヤ人では10%にとどまっています。(なお、日本の平均年収は約430万円ですよね……)
 学歴を見ても、全米の成人の30%が大卒、11%が大学院卒ですが、在米ユダヤ人では、約60%が大卒、28%が大学院卒です。高学歴人口は全米平均の2倍であると言えます。なお、在米ユダヤ人の大学院卒の男女比はほぼ同じです。ちなみにノーベル賞受賞者におけるユダヤ人の比率は22%(ユダヤ人人口は世界人口の0.2%)。アメリカ人ノーベル賞受賞者のうち36%がユダヤ系アメリカ人です。
 このように、所得でも学歴でも「上の方」ほど、ユダヤ系の占める割合が高いことがデータにも出ています。

▲イーストリバー越しに眺めるロングアイランドの桜並木。ぼろぼろのポンポン船の風情は昭和の隅田川に酷似……
▲ニューヨークから車で2時間のフィラデルフィアにあるペンシルベニア大学構内。学長オフィス。桜とモスグリーンが美しい。

在米ユダヤ人の「分断」

 では、上記の在米ユダヤ人750万人は一致団結しているかというと、全然そんなことはありません。むしろ最近は「分断」が危惧されています。どういう派閥があるかというと、旧約聖書(ユダヤの唯一の聖典。キリスト生誕以前の伝説集。新約聖書はキリスト生誕以後の伝説集。)内の「モーゼ五書(律法。創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記の5つを指す。総じて「トーラー」とも呼ばれる。)」に書かれた細々とした日常生活のルールを、どのくらい厳密に守って暮らしているかや、米国の対イスラエル政策への姿勢によって、だいたい無所属・改革派・保守派・正統派・超正統派の5つに分けることができます。日本の政党風にざっくり言うと、無所属・左派・中道右派・右派・極右という感じです。個別に特徴を見ていくと、

・無所属
 在米ユダヤ人の32%を占めます。ユダヤ系の家庭に育ち、観光で教会(シナゴーグ)に行ったりユダヤ系の食文化に親しんではいるものの、ほとんど世俗化した生活を送っています。多くの日本人と仏教との関係に近いかもしれません。ごく普通の人たちです。

・改革派(Reform)
 左派です。在米ユダヤ人の37%を占めます。安息日(金曜日の日没から土曜日の日没まで作業は一切何もしない。火や電気はダメなので料理もダメ。食事は日没までに作り置き)や食べ物の戒律など、現代文明生活に適応しない旧約聖書のしきたりには従わないでよいという考えの人々です。そのかわり、愛・平和・正義・平等といった倫理の推進に熱心です。女性のラビ(宗教指導者。地域コミュニティのリーダーでもある)も認めます。
 また、最近では、さらに「極左」とも言うべきグループ(「Jストリート」等)も出てきています。在米ユダヤ人は普通、心の母国イスラエルに肩入れするのですが、彼らはイスラエル政府のパレスチナ占領政策を人権侵害として批判します。

Jストリート~米ユダヤ人社会の新たな道~(NHK BS世界のドキュメンタリー)

・保守派(Conservative)
 中道右派です。在米ユダヤ人の17%を占めます。改革派の行き過ぎに少し反発している層です。儀式や祭日、しきたり、ユダヤ教の信仰の「建前」は守るべきだと考えています。他の派閥も同様ではありますが、反ユダヤ主義に対して敏感で、ユダヤ人差別やユダヤ人へのヘイトクライムに強く反対します。イスラエル政府を支持し、アメリカ政府にイスラエル政府を支援させようと働きかけます。中東においてテロリストであるパレスチナ人側を擁護するようなJストリートのような活動は受け容れられません。さりとて、正統派や超正統派のような現代文明と隔絶した暮らしを送るのは自分たちも難しいと考えています。

・正統派(Orthodox)
 右派です。在米ユダヤ人の9%を占めます。聖書は時空を超えたものなので、現代にも当然通用すると考えています。トーラーは絶対です。なので、改革派が安息日に車を乗り回したり、礼拝所の男女別の席を撤廃したりするのをいちいち苦々しく思っています。大家族が多く、またイスラエルに感情的に非常に執着しておりイスラエル政府を絶対的に支持しています。正統派ユダヤ教徒は、黒人プロテスタント(78%)や白人福音派(76%)と並んで、宗教が彼らの生活において非常に重要である(86%)と答える、米国社会で最も宗教的なグループの1つです。

ユダヤ教の安息日「シャバット」とは?イスラエルでの安息日の過ごし方

・超正統派(Ultra-Orthodox)
 いわゆる極右です。在米ユダヤ人の4%以下を占めます。ニューヨーク、特にブルックリンに多く住んでいます。彼等の暮らしはNetflixの「アンオーソドックス」がかなり話題になりましたので、ご存知の方も多いと思います。旧約聖書の定めを文字通り守ります。テレビやインターネットは見ません。ラビに認定された通話機能のみの携帯電話を使います。独特な歌や踊りがあります。一部の派は、救世主が創った国ではないという理由でイスラエル政府を認めていません。旧約聖書レビ記19章27「鬢の毛を剃り落としてはならない。髭の両端を損なってはならない」を厳密に守り、もみあげを伸ばしてクルクルとさせています。ホールケーキのような真っ黒い帽子をかぶっています。服装は黒と白のみ。女性はかつらやスカーフで地毛を見せません。神の教えを学ぶことを最優先としており、男性はほぼ働かないので、あまり裕福ではありません。宗教学校の成績や家柄を吟味した見合い婚が主流です。また旧約聖書「創世記」天地創造編には「神は彼らを祝福して言われた。産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」とあることから、子だくさんです。子供は平均6人です。ホロコーストで失われた人口を取り戻すためとも言われています。
 またコロナ禍下でも、超正統派は独特な行動を見せました。高名なラビの葬儀の際には外出制限に反してクラスターが発生しそうになったり、ワクチンが女性の生殖に問題であるといった噂が信じられ接種が進まなかったりと、行政が対応に苦慮する場面が見られました。

NY市長「容認できない」、ユダヤ教葬儀に「数千人」(日経新聞2020年4月30日)

NY超正統派ユダヤコミュニティで、ワクチン接種率が低いワケ(Mashup Reporter 編集部2021年6月15日)

 超正統派は一番少数派ながら最もユニークなので、ついつい説明にも紙幅をとってしまいます…

Netflixドラマ「アンオーソドックス」公式サイトより

 そして、政党支持分布は、僕もユダヤと言えば、ほとんどみんな民主党支持だと思っていたのですが、実際はそうでもないようでした。2020年大統領選挙の際には、ユダヤ人全体の70%以上が民主党支持であったものの、正統派の75%は共和党を支持していました。しかも2013年の正統派の共和党支持は57%であったとのことなので、そこから飛躍的な伸びを見せていることになります。特にトランプ大統領のイスラエル政策(エルサレムをイスラエル首都として承認、イラン核合意離脱と対イラン制裁強化、アラブ首長国連邦(UAE)等4か国のイスラエルとの外交関係樹立)を支持する声が強かった(86%)ようでした。上述のカジノ王シェルドン・アデルソン氏も親イスラエルゆえに共和党・トランプ大統領の大口献金者でした。

▲ラスベガスにあるシェルドン・アデルソン氏のホテル「ヴェネチアン」
▲「ヴェネチアン」の内部。ヴェニスの水路や街を再現。天井には空の画。
▲ユダヤ人の宗派分布。多産が功を奏して正統派の若者が増加中。 (出典:Pew Research Center

 在米ユダヤ人の多数派は、無宗派と改革派を合わせた世俗的な7割の人々です。残る3割の保守的な人々との間には、古くからの緩やかな「分断」があります。そして、昨今では、改革派内の新進の極左勢力と、保守派や正統派との間では、反ユダヤ主義やイスラエル政府擁護の姿勢をめぐって、新しく鋭い対立が見られています。分断が入れ子のようになっています。世代交代も対立を加速させています。若いユダヤ人は、大概、無宗派か左派よりです。中高年は次世代がユダヤ人として最も重要な価値観やアイデンティティを失っていくことを憂いています。
 また、ユダヤ人社会には非常に多数の社団法人や財団があり(主要なものだけで50数団体。)、政治資金団体を介して巨額の資金を政党や政治家に供給しています。教義への忠誠心や世俗化の程度の違い、世代が、価値観や政策の違いに発展し、支持政党の違いに結びつき、ユダヤ・コミュニティ内の政治的分断が深刻化していきかねない状況にあります。
 というわけで、今号では、アメリカのユダヤ人を概観してみました。全体として高学歴・高収入な階層に分布しつつも、コミュニティの内部には右から左まで非常に振れ幅の大きい多様性が見られることがお分かりいただけたかと思います。次回は、日本人がユダヤ人から学べそうな、ユダヤ人の「勝ちパターン」について洞察を試みたいと思います。

(了)

この記事は、PLANETSのメルマガで2022年5月6日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。あらためて、2022年9月15日に公開しました。
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