伝統工芸のソフトウェアを現代に甦らせる

 はじめまして、丸若裕俊と申します。
 2006年より丸若屋というユニットで、各地のさまざまな伝統工芸や茶のプロデュースを通じて、世界に向けて日本文化をアップデートしていく活動を手がけてきました。
 この連載では、宇野常寛さんと積み重ねてきた数年間の対話をもとに、僕たちが行ってきた提案を、改めて言語化していきたいと思っています。

 最初に、僕がなぜこのような活動に手をするようになったのかをご紹介します。
 僕が生まれたのは、中華街のある横浜の元町エリアでした。そこでは、海外のフラットで主体性の強い文化に影響されて、憧れを抱きながら育っていきました。
 ヨーロッパ文化の影響のもと、スケートボードやヒップホップのようなサブカルチャーも好きになっていき、やがてファッションに出会ってアパレルの仕事を始めるようになりました。

 でも、だんだん「何インチのパンツを履いている」みたいな見た目よりも、重要なのはその底にあるソフトウェアの方で、「なんだ、自分は今までスタイルばかり気にしていたけれど、僕のはただの猿真似じゃないか」と気がついたんです。
 そんな心境や業界を取り巻く環境の変化もあってアパレルの仕事を辞め、地方をうろうろしていた時期がありました。

 そんな時、たまたま知人に誘われて360年前に作られた九谷焼を美術館で見て、「なんだこれは!」と衝撃を受けたのが、日本の伝統工芸との出会いでした。ソフトウェアとハードウェアが完璧なバランス感覚で両立していると感じました。

 それで知人に「これが欲しい」と言ったところ、連れて行かれた土産物屋で、さっき見た物とは似ても似つかぬ安っぽい器が並んでいるのを目の当たりにして、冗談かと思うくらいの落差を感じました。九谷焼の技術が360年の間にすっかり変貌して劣化してしまった。もう一つ違和感を覚えたのは、美術館で九谷焼の器を見ていた人たちが、その作品の作り手の権威の話や値段の話をしていたことでした。僕にとっては、工芸品をそのような視点から評価すること自体が衝撃だったのです。

 このように、伝統工芸品には大衆化したことで安っぽくなってしまう一方で、ハイカルチャーに取り込まれ、上流階級のマーケットに吸収されてしまった部分もある。しかも、この二つの違和感に誰も気がついていません。この過去と現在とのギャップを伝えたいという衝動に駆られたのが、工芸を現代にアップデートする仕事を始めたきっかけです。

 九谷焼に出会って東京に帰ってから、人に会うたびにその良さを言葉で話してはみるものの、どうしても伝わらない。それは作品を体験した人にしか感知できないような微妙な差異をうまく言語化することができなくて、わかる人にしかわからないような言語でしか語れないからだと思います。
 だからと言って美術品である九谷焼をその場に持ってはこられない。ならばそれを体現するものを、自分の方法論で作るしかないと思いました。これは料理で言うと、エビが獲れないのにエビのスープを作ろうとしても仕方がないのと同じです。でも、エビのスープがめちゃくちゃ美味しかった時の感動はわかるので、それと近い感動を他の食材で再現することはできるんじゃないか。
 そうして、現代にこの感動を再現するには、何を素材にしたらいいかを考えるようになりました。

西洋の〈時間〉、東洋の〈間〉

▲日本の技術の可能性を追求し、前川印傳と丸若屋が作り上げた「‘otsuriki’ Collect of Japan」

 僕は横浜で生まれ育ってヨーロッパ文化に憧れる一方で、小さい頃から時間のあり方に強い関心があって、「もし時間を自由に行き来できたら……」と空想していました。
 たとえば小学校低学年の頃は、時間がコントロールできたら、悲しみも憎しみもなくなると思っていたんです。なぜなら、時間を過去に遡れるのなら「あの野郎!」とはならないし、生き死にも関係ない。でも同時に、喜びもなくなる。達成感も得られなくなります。では、僕たちはどう時間というものと向き合っていけばいいのでしょうか。

 ここで気がついたのが、〈時間〉と〈間〉の違いでした。
 〈時間〉とは、みんなが効率よく動くためのルールです。だからこそ国によって時差があったり、技術の進歩で移動時間が短縮されたりします。つまり〈時間〉というのは、人間が時の流れを都合よく刻んだものに過ぎないわけです。
 これに対して、〈間〉というのは東洋的な概念で、あるがままの時の流れを受け入れることです。
 そもそも「門」に「日」と書く、今の「間」という漢字がに統一されたのは昭和に入ってからで、そもそもは「門」に「月」(閒)という二つの漢字が存在していました。城壁などを門で閉ざして自分たちの世界と外の世界を区切るとき、木の門だからどうしても隙間が空いてしまう。そこから漏れる月明かりのことを、「間」と呼んでいたというのが、中国での語源だったということなのです。
 月は満ち欠けもするし、伸び縮みする。つまり、〈間〉は伸び縮みすることを前提に考えられている。僕は江戸時代ぐらいに変わったのかなと思っていたのですが、調べてみたらそうではなかった。因果関係があるのかどうかはわかりませんが、昭和に入って戦争に負けてから、「月」から「日」という字に変わったらしいのです。
 だから、意識の持ち方によって、1分を1時間にも1日にもできるというのが、〈間〉としての時間です。かつての日本とか東洋の人々は、時間をすごく曖昧な感覚知として理解してきた部分があるのでしょう。

 逆に西洋の人々は、〈間〉をなるべくゼロにして、〈時間〉を完全にコントロール下に置こうとしてきました。その考え方は、たしかに今のような高度な文明社会を発展させてきましたが、それを突き詰めていった先の人生には、無しかなくなってしまうのではないか。そのように理解することで、僕が小さな頃から抱き続けてきた時間についての疑問から、新たな世界観がひらけてきたのです。

「タイムレス」とは何か

 こうして、僕の人生と仕事に共通するテーマとして「タイムレス」という考え方に辿り着きました。これは時間を西洋的な〈時間〉として捉えるという固定観念からいったん離れて、東洋的な〈間〉のあり方に注目することで、前も後ろもなく、すべてをつながっているものとして捉えるという概念です。
 まだ理論的な裏付けは不十分だと思いますが、僕にとっては、まさに工芸や茶こそが、このタイムレスの概念を体現している営みなのです。

 多くの人は時間軸の中に過去と未来があると思っていて、工芸を過去の象徴であると見なしています。しかし、これはタイムレスとは真逆の認識です。僕は工芸を通してタイムレスという感覚を人々と共有したい。そうすれば、みんなの愛やエネルギーがそこに向かうことで、より上質な一歩が生まれると考えています。僕のプロデュースの仕事は、それを目指して日本の伝統文化や工芸を、現代や未来の形にアップデートすることなのです。

 具体的な仕事を紹介していきましょう。

 まず、最初に出会った石川県の九谷焼の上出長右衛門窯による「髑髏 お菓子壺」をプロデュースしました。これはミュージアムピースとして、金沢21世紀美術館や森美術館でも展示していただきました。

 もう少し複合的な仕事としては、PUMAとのコラボレーションで製作した弁当箱があります。職人さんによる「Traditional Handcraft (伝統的工芸)」と、ハイテク技術によるインダストリアルな「Ultra Modern Handcraft (現代産業工芸)」の二つのラインから構成されていて、どちらも日本の技術によって作られています。これもタイムレスの概念を具現化した作品ですね。さらに、チームラボ作品を納める特製桐箱。これは初期の作品からすべて手がけています。印傳(いんでん)という染色した鹿皮に漆で模様を施した素材で作ったiPhoneカバーのシリーズ「‘otsuriki’ Collect of Japan」もあります。最近だと、村上隆さんのカイカイキキと秋田県酒蔵ユニット「NEXT5」との日本酒プロジェクトの一端として、九州の波佐見の磁器で作ったプレミアム磁器ボトル3種をお手伝いさせていただきました。

▲「PUMA」とともに発表した「PUMA Around the bento box project」
村上隆 × NEXT5 日本酒磁器ボトル ©︎2016 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved. Photo by Ikki Ogata

 僕は「陰」と「陽」が表裏一体であることをすごく意識しています。なぜならそこに本質があると思っているからです。「髑髏 お菓子壺」を森美術館で展示した時に、南條史生さんが「死と生の両方を感じる作品だ」という主旨のコメントを書いてくれました。僕にとっては、死と生という感覚ではありませんでしたが、タイムレスを言い換えるとそういうことだと思います。生まれた瞬間に死を感じる、過去を感じて未来を感じるということです。このようにマイナスとプラスを常に行き来する感じ方を共有してくれる人がなかなかいないのは確かかもしれません。

▲開窯130年以上の歴史を持つ九谷焼 上出長右衛門窯と作り上げた「髑髏 お菓子壷 花詰」

 死生観を感じる物は、それ自体がすごくエネルギーを持っています。工芸も狂気じみた物になればなるほど、製作に関わった人たちがどれほどのエネルギーでその作品にコミットしたかが、自然と感じ取れてしまうものです。だからといって、職人の超絶技巧でつくられた物の価値が高くて、大量生産のプロダクトは価値が低い、ということではありません。超絶技巧と同じくらい情熱を込めて開発された大量生産品には、まさに生き様というか熱量を感じます。

 別の対比としてはたとえば、美術館で名画を観て感銘を受けたから、帰り際に売店でポストカードを買うことはすごく良い流れだと思います。両方あっていいことで、どちらが良い・悪いという議論自体がナンセンスです。

日常をハックしない工芸はまがい物に過ぎない

▲アート集団・チームラボの作品を納める特製桐箱「teamLab Art Box」

 僕の作っている物は、飾るためだけの骨董品のようなものとは違い、本当に食卓に並べるために作られています。これは、生活への視線を意識したものになっています。

 たとえば昔の花器は、それが置かれる和室の空間全体のバランス感を加味した美意識によって作られていました。それが今は部屋が西洋化しているので、座るといっても畳の上ではなくテーブルの席につくわけです。そうなると過去に想定されていた花器の見え方や美しさからはズレたものになります。見る人の体格や目線が変化し、日常生活も別の様式となり、挙げ句の果てに光源は蛍光灯となれば、同じ物であってもまったく違う物体に見えてしまうはずです。それに無自覚なまま、花器が伝統的な工芸品だという理由でありがたがっているとしたら、その時点で相当センスが悪いと思います。

 あるいは、「日本の昔ながらの暮らし方が最高だ」と言う人もいます。僕もさんざん言われてきました。でも、そう言っている本人が、「ちょっと待ってね」と言って携帯で電話をして「飛行機の時間が……」とか「子どもを塾に連れていく時間だ」とか言うわけです。一瞬この人はギャグを言っているのかと思いました。彼らは伝統が大事だと口では言いながら、いいとこ取りをしているだけです。

 工芸の本質とは日常の生活の内側に入り込んで、中から変えていくものであるべきで、生活と切断されていてはいけません。しかし、その基本精神が中途半端に文化産業化、ハイカルチャー化、あるいは観光産業化することによって、きれいさっぱり抜け落ちてしまっているのが現状です。当時の名工たちが21世紀に生きていたら、今市場に出回っているような柄や質感の物を絶対に作っていないでしょう。

 現代の市場は結局のところ「ごっこ」が大半を占めていると感じます。昔の人は、戦争をしている敵国に行って技術者や職人を連れてきて、自分の国で陶磁器を作らせることまでやってしまった。今で言えば、中東のシリアのど真ん中に行って、現地のハイテク技術を盗んでくるくらいの気合いです。そこまでして作っていた物が兵器ならハリウッド映画のネタになりますが、食器であるというオチはかなりシュールですよね。これは日本人のすごくヤバいところで、最終的にハッピーな方向へと向かおうとするこの考え方は、これからの時代に絶対に必要になってくるエッセンスだと思っています。

日本人が持つ潜在的な狂気を再興するために

 僕が手掛けるものに共通点があるとすれば、それは作り手が内に狂気を秘めている人かどうかです。陰と陽がある作り手に僕はすごく惹かれてしまいます。すごくハッピーな人なのに、作っている物はヤバいとか、そういう人を見つけていった結果、守備範囲がボーダレスになっているのかもしれません。

 以前、イギリスのゴッホ展とウォーホール展で実物の絵画を見た時に、すさまじい狂気を感じましたが、僕はそれと同じ狂気を九谷焼のお皿を見たときにも感じました。どちらも、ウネウネとした描画で原色系ですよね。しかも、そもそも九谷がどう生まれて、どう終わったかの歴史的な見解が不明瞭なところもあり、その説は複数存在します。これにはゴッホより狂気を感じさせるなにかがあります。

 先ほども述べましたが、日本のものづくりの背景には歴史の闇に閉ざされた陰の領域が色濃くあることがあります。たとえば伊万里焼きは、職人の一族を谷に閉じ込めて、そこから出たら家族全員が死罪、ということをやっていました。これは、今で言うロケット技術のような話だと思うのです。

 日本人のその狂気的な側面は昭和50年代くらいまでは残っていたはずです。でも、現代になってその辺りがすぽっと抜け落ちて、事なかれ主義一辺倒になってしまった。日本人の陰の部分はアンタッチャブルになっている面があるので、今ここでもう一度、そういうことをやりたいという思いも、僕の活動の根底にはあります。
 その題材として、工芸はうってつけだと思っています。

[続く]

この記事は、PLANETSのメルマガで2018年1月〜2020年5月に配信した連載「ボーダレス&タイムレス──日本的なものたちの手触りについて」を再構成したものです。宇野常寛が聞き手を、石堂実花と中川大地が構成をつとめ、2021年1月25日に公開しました。