ブルックヘブン国立研究所(BNL)とは

 BNL(Brookhaven National Laboratory)は、米国エネルギー省直下の研究所で、主に物理学、生体医学、環境、エネルギー等の研究を行っています。核物理、量子コンピュータ、最先端医療などを含みます。要するに、米国の国家戦略に直結する様々な分野における世界最高峰の研究機関です。訪問時のセキュリティも極めて厳重で、訪問の数週間前から多くの手続きを要しました。敷地は超広大で、総面積は21.4k㎡。港区(20.34k㎡)より少し広いです。約3000人の研究者が所属しており(港区の広さに3000人しか居ない!)、1947年の設立以来、7つのノーベル賞を受賞しています。

▲空から見たブルックヘブン国立研究所。地下にも多くの重要施設が埋まっています。右下方の白い円形の建造物がNSLS-II。(写真出典:BNL

 

NSLS-II

 BNLにあるNational Synchrotron Light Source II (NSLS-II) は世界最高の放射光施設のひとつです。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、細く強力な電磁波のことです。施設内に放射光のビームを発生させるポイント(ビームライン)をたくさんつくると、それだけ実験・解析ができる場所もつくれるので、自然と施設の建物は円形になります。

 放射光は何の役に立つのでしょうか。例えば放射光を顕微鏡に用いると、原子レベルの小さい物質をナノレベルの解像度で見ることができます。新型コロナウイルスも感染爆発後すぐにここで分析され、ワクチン開発の基礎となる超重要情報が発見されました。また、リチウムイオン電池などがどのような化学変化によってエネルギーを蓄積しているかを「見る」こともできたりします。

▲NSLS-IIのビームライン(高速移動する電子の軌道を曲げて放射光ビームを取り出す場所)のマップ。それぞれのビームラインでは、取り出した放射光を新素材やウイルスなどに照射して実験したり解析したり、様々なプロジェクトが実施されている。
▲NSLS-II内のとあるビームラインの様子。取り出した放射光はパイプ(丸い楕円箇所)を通って何かに照射されて実験・解析等が行われている。この日は作業はお休みのようで誰もおらず。
▲NSLS-II内、新型コロナウイルスの解析が行われたまさにその場所。見学者もびっくり。

 NSLS-IIでは、世界中からやってきた研究チームが実験・解析を行っています。別な言い方をすると、米国は、この世界最高峰の放射光施設を、世界最高の研究者たちに「貸し出し」ているのです。それによって、最先端の研究結果がここで生み出され、米国はその成果に必ず最初に触れることができる仕組みになっているわけです。もちろん、核にせよバイオにせよ、国家戦略を深く左右する科学技術を取り扱っているのでどの国の研究チームが利用するのかは常に論点になります。

 ちなみに日本にも兵庫県にSPring-8という、このNSLS-IIに匹敵する世界最高峰の性能を持つ放射光施設があり、主に国内の各研究機関が様々な実験・解析を行っています。

「なぜ放射光施設が必要なのか」パンフレット(理化学研究所放射光科学研究センター)

SPring-8とは? (SPring-8大型放射光施設ウェブサイト)

宇宙の始まりを再現した?「理研BNL研究センター」

 国立研究開発法人理化学研究所(理研。日本唯一の自然科学の総合研究所)は、1995年からBNLと共同研究を行ってきています。1997年にはBNL内に、「理研BNL研究センター」が開設され、昨年には25周年を迎えました。BNL内でも、この日本との共同研究は「最も成功している長期的国際協働プロジェクト」との評価を受けているそうです。

 理研BNL研究センターは、2000年から、RHIC(重イオン衝突型加速器:Relativistic Heavy Ion Coilder)を用いて、PHENIX実験(the Pioneering High Energy Nuclear Interaction eXperimentの略称)という、高エネルギー原子核衝突実験を行ってきました。この4月からその後継機であるsPHENIX実験が始まったそうです。

▲BNL内のRHIC。周長は3.8km。敷地の大部分を占める超巨大施設です。 (写真出典:BNLウェブサイト

 RHICの使命は、宇宙の始まりの状況を再現することです。2010年には、RHIC内で、金の原子核などの重い原子核同士を、光速に近い速度まで加速して衝突させて、4兆度という実験室で実現できる温度の最高記録となる超高温状態を実現しました。これは太陽の中心の25万倍の温度だそうです。なんか、想像を絶する話ですね……。僕なんかは全然ピンときません(笑)。

 そして、それまでRHICで実施されてきた様々な実験成果を総合すると、金の原子核同士の衝突では、約137億年前に起こった宇宙創成(ビッグバン)直後の数十万分の1秒の間、宇宙を満たしていた高温・高密度・粘性ゼロの「完全液体」状態をも生み出していたこともわかりました。

 ざっくり言ってしまうと、重い原子核にすごい勢いつけて、ぶつけあったら、ビッグバン直後の状態の再現に成功したっぽい、というわけです。マジかよ……って感じですよね……。

▲理研BNLセンターの看板。奥に座っているのは延與(えんよ)秀人センター長(当時)。

 このような科学の最先端の話を聞かされると、確かにすごいけれど、何の役に立つの? 超巨額のおカネをかけてまで研究する必要はどこにあるの?その分を社会保障などに回した方が良いのでは?と言う人もおられるかもしれません。この問いへの端的な答えは、「やらなきゃ、やられるから」の一言に尽きるかもしれません。核物理学、量子力学は、学問的な好奇心からだけではなく、当然、実利的な意味もあるからこそ、行われています。例えば、物質とは何か、極小の量子の世界では、電子や中性子や陽子はどのように振る舞うのか、粒なのか、波なのか、その両方なのか。これらを解明することは、量子コンピュータの開発に直結します。現在、世界中で、量子コンピュータの開発競争が激化していますが、これは、特許を取った者に、他の者たちは、その後ずっと高額な特許料を支払わせられ続けるからです。

 量子コンピュータ開発に参加している企業の間では、この競争に敗北すると、搾取される側になる、という危機感がビキビキに張り詰めています。もちろん税収の再配分の割合はその国の政治が決めることですが、搾取されればその分、その企業が法人税を納める国の社会保障など再配分の元手だって奪われます。参加すらできなかった国は、より一層搾取されていることに気づくことすらできないでしょう。また、超微細の世界を解明することは、ウイルスの解析、医薬品の開発や遺伝子操作の技術、核兵器の開発に直結していきます。どこの誰が最初に解明に成功したかが、その後のあらゆる勝負を決めていきます。最上流を制するものが、下流の一切を制するのです。BNLは、間違いなく、米国が世界の最上流を獲り続けるためにある、本気の場所なのです。

 ちなみに、理研BNLセンター内には、理論チームと、実験チームと、計算チームの3チームがあります。それぞれの仕事は、簡単に言ってしまうと、理論チームは、言わば、鉛筆と紙だけで「こうすると、こうなるはずだ」という仮説をつくります。実験チームは、RHICなどの超巨大施設を用いて、仮説の検証実験を行います。計算チームは、仮説と実験結果が合っているか計算したり、そもそもその計算が行えるようなスーパーコンピュータの開発を行ったりしています。

 研究員の皆さんのお話を聞いていて面白いなと思ったのは、みなさん、仮説と実験結果が合うことよりも、合わないことを期待しているとのことでした。なぜなら、仮説通りにならなかったということは、従来の理論が否定されたかもしれない、すなわち、新しい理論を構築できるチャンスが到来したかもしれないからです。新理論の発見はノーベル物理学賞にほぼほぼ直結してきます。なぜなら理研BNLセンターは物理学界の世界最先端を走っているからです。

 理研BNLセンターの研究者の皆さんは、あんなにでっかい世界最先端の施設で原子核をドッカンドッカンぶつけて、思ったような結果が出なかった時にワクワクドキドキする、という日々を送っておられるわけですね。なんだか素直に羨ましいなと思いました。

日本の技術がノーベル物理学賞を導く

 BNLの最先端の研究には、日本の中小企業の技術が、かなり決定的な役割を果たしています。この手の話、日本人みんな大好きですよね。僕も大好きです。

 RHICは上図で示されているように、長いトンネルの輪のかたちをしていますが、その中で原子核同士を衝突させたとき、何がどうなったかを観測するためには、衝突で生まれた「飛沫」を受け止めて記録する必要があります。衝突が起きるsPHENIX(RHICの写真の左上)という設備の内部に飛沫を記録する機材が設置されているのですが、これらの機材は、日本の中小企業の技術の粋を集めて製作されています。

▲sPHENIXの中の仕組みを説明してくれるモリソン博士。いつどんなお客が来てもすぐ説明できるように展示がスタンバイされています。スポンサーや協力者、政治家などに研究の価値を理解してもらうのは、とても大事なことです。
▲衝突の「飛沫」を記録する機材。sPHENIX内に設置されます。奥と手前に、半円筒ずつに分解されていますが合体させると円筒状になります。その円筒の中で原子核が衝突します。
▲上記の円筒の内側に貼り付けられている基板に「飛沫」が記録されます。日本の中小企業が製作しています。

 上述のとおり、理研BNLの研究成果は、量子力学会の世界最先端のみならず、各業界のイノベーションや新産業そのものを生み出していく可能性を大きく秘めています。米国の国家戦略上、資材の調達先や研究パートナーは、どの国でもよいわけではありません。また、理論や計算の結果は、実験結果で裏付けられなくては、論文になりません。実験には、精度の高い機材が必要不可欠です。この点、日本は「同盟国」ですし、IT技術自体では遅れをとっていても、材料・素材の作製やIoTなど、ITを何か具体的なモノに乗っける製作技術のところでは、未だにやはり世界に冠たる国際競争力を有しています。加速器をはじめ最先端の実験機材など、ニーズが高水準・高難度であればあるほど、日本の技術の出番です。

 もしもBNLが単独でRHICを運用していたならば、国家機密の保持も期待でき、かつ、sPHENIXの部品の製作能力がある企業を探し出すのは、かなり面倒だったことでしょう。また、仮に、自力で、日本国内に必要な技術力を備えた企業を見つけられても、オーダーメードで仕様を調整して発注していく段階に入ると、物理学のリテラシーと日本語の壁などが立ちはだかってきます。そう考えると、理研と共同研究を組んで、理研に材料を手配してもらえれば、BNLとしては、はるかに、手っ取り早いことでしょう。日本から世界最高の物理学者たちが参加するのみならず、最高の機材も比較的容易に手に入ることは、明らかに、米国が「同盟国」日本と共同研究するメリットのひとつです。

世界最先端のステージでなくては輝けない日本

 話は少しBNLから離れますが、他日、ホリエモンこと堀江貴文さんとお話しする機会があった際に、堀江さんが宇宙産業に投資しているのは、宇宙産業こそが日本が国際競争力を持てる数少ない産業だからだ、とお聞きしました。なぜなら、地球の自転の関係で、ロケットは東側に向けてしか打ち上げられないから、東側に大きな海がある国でしかロケット発射はできない。となると、東側に大きな海があって、高精度の部品がすぐに調達できて、政情も治安も安定している国は、実は、日本以外には、世界にほとんどない、だから、日本は世界をリードするくらいの勢いで宇宙産業をどんどんやっていくべきだ、とのことでした。

 この堀江さんのお話は、日本産業の国際競争力を考える上で本当に示唆に富んでいます。日本産業の未来においては、高精度の微調整が必要な機材の製造技術は、コア・コンピタンス(競争力の核)になることはやはり間違いありません。問題は、その技術を何に使うか、という課題設定力です。堀江さんは、宇宙だろ、と明快に回答していますが、今の日本はこの課題設定力が弱いです。そして、弱いのみならず、俯瞰してみれば、構造上、日本は、どんなに頑張っても、米国に課題設定力で勝つことは非常に難しいのではないか、と思います。人種・文化の多様さ、世界中から集まる才能あふれる若い人の数、資金力、世界最先端への情熱が、圧倒的に違うので、課題の数も、設定力を争う人間の質も量も桁違いだからです。

 理研BNLセンターでの日本勢の活躍と堀江さんの話を考え合わせれば、課題設定や理論構築や資金集めといった上流部分や、実用化や量産といった下流部分は、米国はじめ他の国にほぼほぼ任せることにして、日本は、およそあらゆる分野において、世界最先端を走る国際的イノベーションチームのなかで、「プロトタイプを作れるヤツ」というポジションを守っていくことが、現実的な戦略なのではないか、と思えてきます。

 ならば日本は、拙稿第6回でも述べた「ユニーク・ガッツ・クオリティ」を兼ね備えたプロトタイプ製作技術を売りにして、BNLにせよ、宇宙産業にせよ、世界最先端、世界最高峰のイノベーションを突き進む米国を中心とした同盟国パーティーのなかで、仲間のニーズにひたすら応えていけばよいのではないでしょうか。

 この連載第6回では、日本と一緒にやりませんか?と、協調性を前面に出して日本と協働するという選択肢を各国に提示し続ける「With Japan」という戦略も提案しました。

 「With Japan」戦略には、そうした積極的な意味のみならず、日本は、世界最先端に挑むチームの一員でないと輝けない、最高の試行錯誤のお供でないと、その価値を最大化できない、という消極的な意味もあると思います。というのも、大量生産となれば、人口も広さも違うので、中国や米国やインドなどに絶対に負けてしまいますし、プロトタイプ製作時は、オーダーメイドになるため、コストは一旦度外視されますから、価格競争にもさらされにくいからです。

 また、世界最先端に必要とされる、ということと、自ら世界最先端を走るということは、厳密には少し違うことです。そして、世界最先端からの求めに十分応えられるのであれば、実は、その企業の技術は、別に国内最高でなくてもよかったりもします。  理研BNL研究センターは、課題設定や理論構築などにおいてもしっかり価値を出して、自ら世界最先端をひた走るのみならず、米国・BNLから必要とされる「With Japan」戦略を明らかに機能させています。

 世界最先端にいっちょ噛みできる企業をどれだけ増やせるか。これが日本経済の未来を左右するのではないか、と、BNLを見学しながら、つらつら思った次第です。

(了)

この記事は、PLANETSのメルマガで2023年4月7日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。あらためて、2023年5月25日に公開しました。
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