橘宏樹さんが、「中の人」ならではの視点で日米の行政・社会構造を比較分析していく連載「現役官僚のニューヨーク駐在日記」。
さまざまな人種、あらゆる分野の企業のるつぼであるニューヨークではどのようにイノベーションが起きているのか。今回はファッション業界で国際的なイノベーションをリードしている日本のプロジェクトを紹介していただきました。
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端的に言うとね。
おはようございます。橘宏樹です。8月のニューヨークは7月に比べて少し涼しく感じます。しかし、過ごしやすいなどと、のんきなことを言っていられる状況ではありません。現在、ニューヨークでは、移民の増加が大問題になってきています。中南米やアフリカからの移民は陸路でメキシコ側の国境を通り、テキサス州やアリゾナ州にたどり着くわけですが、これらの州の知事は共和党で、バイデン政権の移民受け入れ政策に「寛容過ぎる」と批判的です。なので、これらの州では移民たちをバスに乗せて、移民受け入れに寛容なニューヨーク市に送り込んでいます。ニューヨーク市は、在留資格を問わず、全ての人に、無料で、教育・医療・食料・住宅を提供することを法律で定めています。過酷な旅を経た貧しい彼らがほっと一安心できるという点ではよいのですが、その反面、移民たちのケアのために、ニューヨーク市の財政は超絶悲鳴を上げているという状況です。最近では、住宅の提供が追いつかず、路上生活者が溢れてしまっている状況です。私の住んでいるエリアでも間違いなくホームレスが増えています。炎天下が続いた7月など非常に過酷だったろうと思います……。
NY市、移民殺到で施設がパンク 路上生活余儀なく(日経新聞 2023年8月3日)
NY州のメディケイド、1000億ドル突破へ 流入移民で増加、史上空前規模(DailySun New York 2023年8月2日)
アダムズNY市長はホークルNY州知事に財政措置を要求したり、ニューヨーク市近郊の他の街の受け入れを求めたりしていますが、治安悪化や財政負担への懸念から断る自治体も多く、上手くいっていません。
また、移民に住宅を確保するために廉価なホテルやアパートを市が借り上げているため、マンハッタン内のホテルは軒並み値上がりし、ごく普通のビジネスホテルに泊まるだけで1泊3万円かかるような状況です。地価も上昇し、家賃が払えず潰れていくレストランが続出しています。我々のお気に入りの、比較的リーズナブルな和食レストランも立て続けに閉店してしまいました。テレワークの浸透でマンハッタンに出勤してくる人が減りお客さんがいなくなってしまっていることも背景にあります。住宅不足と空き店舗。非常にちぐはぐな状況です。
人権尊重を重視するか。ハングリーで多種多様な移民が今日のアメリカを築いたと考えるか。治安悪化や財政負担を受け容れるか。国境コントロールは連邦政府が行いますが、共和党の現在最有力の大統領候補であるトランプ前大統領は、はっきりと移民受け入れに反対です。移民問題は、間違いなく、来年の大統領選挙の争点になってくることでしょう。
さて、今回は、ニューヨーク界隈のイノベーションシーン三部作の最終回です。前編ではジョンソン・エンド・ジョンソンの「帝国的」イノベーションエコシステムの凄味について、中編ではブルックヘブン国立研究所が基礎研究で世界を制し続けていることの意味についてお話ししました。
ニューヨークのイノベーションシーンについて(前編)|橘宏樹(遅いインターネット)
ニューヨークのイノベーションシーンについて(中編)|橘宏樹(遅いインターネット)
最後に、ニューヨークでイノベーションを起こしている日本勢を2例ご紹介したいと思います。
1 日本の伝統×海外のデザイン「サクラコレクション」
一つ目はファッション業界からです。ニューヨークは、言うまでもなく、世界有数のファッショントレンドの発信地です。毎年2月と9月に開催される「ニューヨーク・ファッション・ウィーク」では、マンハッタン内のあちこちで世界の新進気鋭のデザイナーがコレクションを競い合い、新しい流行を作りだしています。もちろん、五番街に旗艦店がズラリと居並ぶセレブ向けのハイブランドも強い発信力を持っています。
そもそも、ニューヨークは、普段、街を歩く人々からして、だいぶ個性的な服装をしています。パーティー文化が盛んなので、日本人は到底着ないような非日常的な服装で街中を歩く人々はまったく珍しくありません。よくファッションショーの映像で奇抜なコレクションを目にするとき、僕を含む日本人は、こんなの普段着れるわけないよなあ、と思って見ていますが、ここでは違うのです。普通に「ああいう服」を着るのです。ニューヨークには、ああいう服を着て歩ける街、着ていく場所があるのです。このマーケット認識は日本国内の感覚と根本的に異なるので注意が必要です。
2023年春夏ニューヨークSNAP──ファッションの歓びとエネルギーに溢れた、百人百様のストリートスタイル。(VOGUE Japan)
https://x.com/H__Tachibana/status/1688047891351314432?s=20
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そんな個性が溢れる街ニューヨークですが、我らが日本も、当地で十二分に戦える強い個性を持っています。それは伝統織物です。日本の津々浦々には、西陣織、佐野正藍、遠州紬、加賀友禅などなど、非常に美しく高品質な伝統織物がたくさんあります。僕自身は、それほどファッションに詳しいほうではないですけれど、それでも、様々なセンスが入り混じる文化のるつぼニューヨークで暮らしていると、多少目が肥えてくるところはある気がしていて、日本の高級な伝統素材の持つ柄や質感のユニークさには、贔屓目を抜きにしても、あらためて際立つものを感じさせられます。個性の溢れる場所では、価値なき個性は埋もれるのでしょうが、価値ある個性はますます輝いて見えてきます。イブ・サンローランの言葉のひとつに、「ファッションは廃れる。スタイルは永遠だ。」というものがありますが、日本の伝統織物は、まさしくある種の「スタイル」を体現しているんだろうと思います。
実際、こちらのインテリアデザイナーの方が伝統織物を手に取って本当に感激しながら、半ば眩しそうな顔をして検分している様子を見たことがあります。おそらく、日本人が、国内でとても良質なペルシャ絨毯とか、フランスの本物のタペストリーなどを見かけたときに感動を覚えることがあるように、ニューヨーカーもまた、こうした日本の伝統素材に対し、文化の違いを超えた畏敬の念を抱くようです。
しかし、日本の織物をそのままニューヨークに持ってきて、軒先に反物を並べてみても
大したフィーバーは起きません。『鬼滅の刃』のコスプレイヤーなど余程の日本好きや日系人以外、和服は着ません。当然ですが、その地域の文化にカスタマイズさせて、定着させること。すなわちローカライズすることが重要です。ではいかにしてローカライズすればよいか。ここが超難題で誰もが悩んでいるポイントなのですが、正解への道筋自体はいたってシンプルです。その地域の人に使ってもらえばよいのです。
一般社団法人SAKURA COLLECTIONの田畑則子代表は、2012年以来、日本の伝統産業と世界の若手クリエイターを結び、未来への新しいアイデアを生み出すため、ファッション学生を対象に「日本」をテーマにしたデザインアワード「SAKURA COLLECTION Fashion Design Award」を実施し、32回のグランプリ大会を開催してきました。2020年からは、「日本の素材」をテーマにした国際コンクールへとグレードアップさせ、2022年にはアメリカ、フィラデルフィアとニューヨークでグランプリ大会を開催しました。
【動画】SAKURA COLLECTION 2022 New Yorkの模様
NYでサクラコレクション(週刊NY生活 2022年10月12日)
フィラデルフィアにおける日本の伝統素材を用いたファッションコンテスト(米国)(外務省日本企業支援グッドプラクティスより)
アワードには毎回日本の伝統素材を使用した素晴らしいデザインが世界中から寄せられており、また、特に優秀な世界14ヶ国38名のファッションデザイナーとは、日本各地の織物や染物などの伝統素材を使った作品作りを行っています。
2020年代の日本文化の世界発信|石岡良治×宇野常寛×草野絵美×増田セバスチャン×吉田尚記(遅いインターネット)
ニューヨークは人種のるつぼです。様々な民族文化のセンスが日本の伝統素材とのコラボレーションすることによって新たなファッションを生み出していってくれれば、ローカライズに繋がっていきます。
換言すれば、このように日本の素材を海外デザイナーに使ってもらうことは、以前拙稿でも述べた、戦略としての「With Japan」、すなわち、あなたのやりたいこと、日本と一緒にやってみませんか。「ユニーク・ガッツ・クオリティ」を兼ね備えた日本人と一緒にやってみませんか。日本文化のテイストを取り入れれば、あなたのイノベーションが飛躍するかもしれませんよ。と、世界のあらゆる人々に提案し続けるポジショニングを端的に体現しているとも言えるでしょう。
あなたの持ちものを欲しがる人に売ることをビジネスとは言わない(後編)|橘宏樹
▲戦略としての「With Japan」 について初めて触れた記事です。
かつてサミュエル・ハンチントンが「文明の衝突」で世界の文明圏を八つ挙げた時、日本をそのひとつとして挙げたほど、我々のユニークさは際立っています。イノベーションとは、新規組み合わせが原義である限り、日本的な何かとコラボすることは、他の七つの文明の人々にとっては、有用な選択肢であり続けるでしょう。しかも、一国で成立している文明圏なので、同じ文明圏内にライバルがいないのも強みです。
とはいえ、選択肢としての日本を提示「し続ける」ということは、やはり簡単ではありません。生半可な努力では成果は出ません。他の七つの文明の人々よりも優れたコラボ企画提案ができたとしても、この情報氾濫の時代にあって、イノベーターの視界に入り込み、なおかつ採用されなくてはいけません。この点、ファッションアワードを開催して学生に使ってもらうことを長年続けているSAKURA COLLECTIONは、有効な青田買い戦略を打っていると言えるでしょう。実際、かつてのアワード参加者が、デザイナーとして一人前になった今日、田畑さんを通じて日本の伝統素材を発注していることもあるようです。
SAKURA COLLECTIONは、昨年の北米初上陸イベントの成功を皮切りに、今後もNY進出の努力を続けていきます。ここからが正念場です。
(続く)
この記事は、PLANETSのメルマガで2023年8月29日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。あらためて、2023年11月20日に公開しました。
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