消極性デザインの連載、今回は明治大学の渡邊が担当します。

 第4回の串かつ盛り合わせからNintendo Switch、Netflixの話まで、一見よくわからない組み合わせから消極性デザインについて説明しました。串かつ盛り合わせが最新かはともかく、意外と最新の流行りのサービスやテクノロジーには消極性デザインが施されていたり、逆に消極性デザインを必要とする場面があることを知ってもらえたかと思います。

 今回も消極性デザインという切り口で、まずはNetflixの消極性デザイン的解決案から、さらに今回のタイトルでもある、みんな大好きスマートフォンの課題について考えていきたいと思います。そしてAmazon発のなんじゃこりゃIoTデバイス「AmazonDashボタン」が消極性デザインであるということを説明していきたいと思います。

Netflixをいつ見るか?

 Netflixのような定額動画視聴サービスは、いつでも自由に観られる一方で、いつ観るかが問題になるということを第4回でご紹介しました。さらに、膨大なコンテンツがあるために、どの映画を見るのかを自分で決めなければなりません。これは嬉しいことである一方、「今、この時間の気分に合う、まだ観たことのない何か」を選ぼうとすると、選ぶだけで時間かかってしまうこともあり、いつのまにか映画の約半分の時間、1時間も選ぶ行為にかかってしまうことがあります。Netflix社は「今夜Netflixで映画を見ませんか?」という形でレコメンデーションメールを流してくるわけですが、なかなか突然ですし、しかもメールという方法で来るので、そんなに簡単に予定調整ができるわけでもありません。

 こうした問題に対して、どういった解決が考えられるでしょうか。定額動画視聴サービスはハイクオリティな映画だったりアニメだったりドラマだったりが、無制限に見られるれる一種のユートピア的な世界だったはずです。

 で、ここでも一つ解決策となるのが、消極性デザインです。消極性の観点から見れば、こうした動画視聴サービスには、テレビ放送と違い(1)何を見るのか (2)いつそれを見るのか という二つの積極的意思決定を暗黙のうちの要求しているという発想になります。

 解決法はさまざまに考えられますが、一つはテレビのように流しっぱなしにするという方法です。テレビをつければ自動的にNetflixがストリームされているようにすれば、仮に途中からだったとしても、自然と日常生活に入り込んできます。ただ、このときに闇雲にストリームするのではなく、ユーザーのウィッシュリストに基づき、関連するようなコンテンツを流すとよいでしょう。さらには関連するプレビューだけをただ流し続けてもよいかもしれません。

 私は以前、消極性デザイン研究会メンバーである栗原先生と一緒に、録り溜めたTV番組を観ないということを課題に、Google Calendarの予定が入っていない隙間時間に、ウィッシュリストに入っている動画コンテンツリストを流し込むなんていう研究を一時期していました。

 たとえば、これからフランスに行きたいから、フランスに関する動画を検索しておいて、それを隙間時間に自動的に「Myテレビ番組表」として構成し、後はテレビを点けておくだけで、自動的にフランスに関する語学番組や、バラエティ、旅行番組を流すというものです。今、皆さんの家庭にあるテレビも、電源をONにすれば、興味があろうとなかろうと何らかの放送が映し出されるわけですが、その番組が、どういうわけか自分の興味にやんわりと近いものが流れるという仕組みです。ちょっと良くないですか? 積極的に情報を取捨選択して高い満足度を得るのは一般的な方法ですが、そのように積極的ならずとも、低コストでありながら自分の興味にやんわり合わせられる、仮に興味に合わなくても、頑張って選んだものではないから、そこまで気にならない。そんな関係を築けるのです。

 また興味、関心ということについてですが、我々人間はこだわりがあるようでいて、意外と状況に応じて興味や関心のレベルは変化するものです。たとえば、人と待ち合わせをしていて、相手が少し遅れるというときに、近くのコンビニや本屋で少し立ち読みをして待つなんていうことは、よくやる行為だと思います。しかし、そういった状況になると、自分の興味や関心が特別強くなくとも、時間を潰すことが優先されるので、そこそこの興味があればよく、別につまらないものであっても、「ふーん」という程度の接し方でコンテンツを消費することがあります。そして意外とこうした自分の興味のど真ん中ではない、「興味の周辺」が新しい発見にもつながったりします。ですから、Netflixはこうしたユーザーの「興味の周辺」を上手く拾い上げて、それをストリームし垂れ流しにしておくことで、ユーザーとの新たなタッチポイントを、低いインタラクションコストで創り出すことができるのではないでしょうか。

 テレビというメディア装置は、デジタル放送化し、Dボタンがリモコンに備わり、「見るテレビから使うテレビへ」なんていう話もありましたが、テレビのような流しっぱなしのあり方は、実はユーザーとのタッチポイントをゆるやかにつくる一つの方法なのです。

 Netflixなどの定額動画視聴サービスを観るモチベーションづくりは、他にもあると思いますが、今回はこのあたりまでにしておきましょう。

Amazon Dashボタン

 今ではサービスが終了してしまっていますが、以前Amazonが突然、「単なるボタン」を発表し発売したのが記憶に残っている方もいらっしゃるかと思います。

 ネットに繋がったボタンとはいえ、押すと洗剤やミネラルウォーターを、ただ発注するだけというボタンです。やっていることは分かっても「一体これは何なんだ!?」と、その意義が分からないなんていう人もいたかもしれません。

 私から見ると、AmazonDashボタンも消極性デザインだったなと感じます。もはや読者の皆さんは消極性デザインについてだいぶ理解が深まりつつあると思いますから、「ああ確かに」と思う人もいるかもしれません。

 Amazon Dashボタンのポイントは、洗剤であれば洗濯機、ミネラルウォーターだったら冷蔵庫にボタンを貼り付けるなどして、消耗品を使う場所の近くにボタンを配置することで、買い忘れがなく、「あ、なくなった。ポチッと発注」ができるわけです。「仕事の帰りに買ってこよう」なんてことを思っていても忘れるリスクがありますから、Amazon からすれば「ならポチっちゃおう」という購買が期待できるわけです。積極的であれば、いつもの安いあの店で買ってくるのを忘れないようにしたり、他のWebサイトにアクセスして買うこともできるかもしれませんが、「後で買おう」なんていう時間を置いた積極性は、一番不確実で信頼できないものでしょう。それこそ甘えです。あとでやろうと思ったことがなんでもこなせる積極性があれば、どんなタスクだってこなせるでしょうw。

 さて、ではなぜAmazonはこんなボタンを発売したのでしょうか? 消極性デザインからみれば素晴らしい発想と絶賛できますが、なぜわざわざデバイスを開発する必要があったのでしょうか。PCだけの時代とは違い、スマホはいつでも持っていますし、Amazonのアプリだってありますから、いつでもすぐ買えるはずです。いくらユーザーは消極的な立場をとるといっても「スマホは身近じゃないか」と思うかもしれません。

さよならスマートフォン

 スマートフォンはとても身近になり、もはや家に忘れると、取りに帰るという人も多いくらい、生活から切り離せないものになっています。今ではスマホで十分で、PCやネット回線が家にないなんていう家庭も現れています。それくらいスマホは生活の中心にあります。
 こんな身近なスマートフォンですから、IT企業ではなくとも、各企業は自社のアプリを広報戦略でも出していくことでユーザとの接点をつくることに積極的です。今では膨大な数のアプリがあり、Webブラウザを通じてコンテンツを楽しよりもスマホアプリを使う時間が増えているような時代です。

 しかしです。そんな生活の中心でかつポケットにも入る身近な存在のスマートフォンも実は大きな課題に直面しています。それは使用アプリの固定化です。それによるスマホ画面の1ページ目の占領です。スマートフォンはアプリをたくさんインストールできる一方で、1画面に入るアプリ数は限定されます。私のスマホ(iPhone)を見ても、8ページくらいまであります。新しいアプリをインストールすると、8ページ目に配置されます。

 これが大問題です。新しいアプリは最後のページに配置されることになり、よほど意識して配置を変えない限り、そのままです。最初のダウンロード時は、積極性はスター状態ですので起動して使うと思いますが、次の日にはダウンロードしたことすら忘れてしまうなんていうことすらあります。こんな状況ですと、当然そのアプリを使うことが習慣化するどころか、それ以前の問題となってしまうわけです。

 またアプリ数が増えていますから、ユーザーも1ページ目に頑張って積極的に配置したり、フォルダを作って分類したりといったことも増えているでしょう。私もショッピング、カメラ系などに分けたりしています。

 私のAmazonのアプリは、1ページ目にありますが、「ショッピング」というフォルダ(カテゴリ)の中にあるので、そのフォルダを一旦タップする必要が出てきます。

 この1ページ目にあっても、ただタップするだけが意外と障壁なのです。なぜなら、そもそもスマホは、ポケットなりバッグなりから取り出し、さらにロックを解除するプロセスが前にあるからです。ですから、1ページ目でタップしさらに探してタップするというのは、身近なようで煩雑な行為なのです。

 いわばスマホの1ページ目は一等地で、そこにあるアプリたちは駅近の物件なわけですが、もはやその土地に空きはなく、複雑なビル化しており、そのビルの中へアクセスしないとAmazonへはたどり着けないなんていう状況なのです。

 そこでAmazonDashボタンです。これは飛び道具過ぎます。何しろ、身近を超えて、問題が発生する現場にボタンがあるのですから。洗剤が切れるその場所にAmazonがあるのです。しかもロック解除なんていうことを考えずに。これはスマホの1ページ目以上の一等地なわけです。AmazonDashボタンはユーザーの積極性なんてまったく求めず、ユーザーに芽生えた微かな欲望を誘い込む罠です。とてもよくできた消極性デザインだったと思います。

 というわけで、IoTは実は消極性デザインと相性がよく、むしろそういった消極性デザインの発想がないと、IoTを生かせないことすらあるでしょう。

 消極性デザインとインタラクションデザインの観点から、以前の串かつ盛り合わせに始まり、IT機器をテーマにお話ししてきました。私の研究室ではこうしたテーマでも企業と共同研究したり、個人でもコンサルティング活動をしています。もしご興味を持たれた方は、「渡邊恵太」でググっていただき、コンタクトいただければと思います。

 まずは、書籍『融けるデザイン ―ハード×ソフト×ネット時代の新たな設計論』と『消極性デザイン宣言: 消極的な人よ、声を上げよ。…いや、上げなくてよい。』を、ぜひ読んでみてください。それではまた。

(了)

この記事は、PLANETSのメルマガで2018年8月23日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。あらためて、2021年9月9日に公開しました。