リサーチャー・白土晴一さんが、心のおもむくまま東京の街を歩き回る連載「東京そぞろ歩き」。
今回は都内屈指の都市河川、隅田川周辺を歩きます。「隅田川テラス」をはじめとして、自然の景観を保護すべくさまざまな土木建築が施された隅田川周辺。スカイツリーを眺めながら、庶民の生活感が汲み取れる竣工の歴史をたどります。
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端的に言うとね。
二十代の頃、アメリカのシカゴに行った。
SF 関連のコンベンションがシカゴで開催され、そこに参加しに行ったのだが、これが 最初の海外旅行だった。
一番安い航空券を利用した単独旅行で、トランジットで降りたアンカレッジ空港で十二時間ほど次の搭乗便を待ち、シカゴ・オヘア空港から宿泊予定のホテルまではタクシーに乗った。いま思えば、そんな大したことではなかったのだが、初めての海外旅行で同行者もいなかったので、なんだかんだドキドキしていたと思う。
それに、これが有名な観光地ならば、まだ気分が楽だったのかもしれないが、そのコンベンションが行われた場所は、アメリカ中西部の新聞として知られたシカゴ・トリビューン本社ビルの近くにあって、完全にビジネス街のど真ん中。コンベンション会場の中は SF ファンばっかりだったので気にならなかったが、会場の外に一歩出れば、二十代の世間知らずの貧乏青年だった私には完全な場違いという感じがした。。
しかし、初めての海外旅行だったし、怖いもの知らずでもあったので、コンベンション会場だけではなく、見れるものはなんでも見てみようと、時間を見つけては一人でシカゴ市内を徒歩で散策しに行った。
建築好きの方ならご存じだろうが、1871 年の大火で建物が広範囲に消失した影響で、 19 世紀末から多くの商業高層建築が建設されており、その鉄骨構造のデザインや表現はシカゴ派と呼ばれている。その頃から建築好きだった私は、散策中にこのシカゴ派の高層建築を見てテンションが上がり、ダウンタウンをあちこち歩き回った。 そのうちに、やたらに橋が並んでいる川に行き着く。その橋群が跳開橋や旋回橋など日本だとそんなに見ないタイプの橋があったのも驚いたが、それ以上にその川の両側には高層ビルが乱立している景観に驚いた。
地図で見ると、その川の名前がシカゴ川だと分かった。
シカゴ川は元々は五大湖の一つであるミシガン湖に流れていた川だったが、都市の発展 に伴い汚水が湖に流れ込む問題が発生し、19 世紀に環流工事が行われ、川の流れを反対にし、湖へ汚水が流れないようにされた河川である。これは 19 世紀の土木工事の中でも屈指のものであると言える。
当時の私はそんなことは知らなかったが、シカゴ派の印象的なビルが両岸に聳える、この都市河川にかなり心を持ってかれてしまった。
私が都市河川というものに興味を持ち始めたのは、このシカゴ川の景観を見たからではないかと思う。
さて、今回は我が東京の誇る都市河川、隅田川沿いを歩いてみる。シカゴ川ほど両岸に有名なビルが乱立しているわけではないが、それでも東京都内ではランドマーク的な建築物を見ることができる立派な都市河川である。
まずは地下鉄銀座線浅草駅から吾妻橋に向かう。
吾妻橋は昭和6年竣工のソリッドリブタイドアーチ橋だが、色合いからあんまり古い橋には見えない。これは東京都が 2020 年の東京オリンピック前に色彩変更の塗装作業を行ったからで、この赤色は浅草の雷門や仲見世の色を意識したものらしい。 結構、好みが分かれそうな色のようにも感じる。
橋の上から対岸を見ると、東京スカイツリーやアサヒグループ本社ビルが並んでいる。 そして、橋の下には隅田川下りの水上バスの船着場。
ここから隅田川の上流方向に歩くために、隅田公園へ。
隅田公園は隅田川の両岸に跨っており、右岸は浅草から花川戸、今戸まで、左岸の墨田区向島、元々は徳川御三家の一つである水戸家下屋敷小梅邸の跡地が利用されている。左岸の水戸藩下屋敷の遺構として池泉回遊式庭園が残っており、見どころも多いが、今回は長く伸びた右岸側を歩いてみる。
隅田公園は関東大震災後の帝都復興事業の一つとして建設された「復興公園」。1925(大正14)年に着工、1931(昭和6)年に開園して、初めは道路公園として平時は市民の行楽場所となり、災害などの緊急時には避難場所として活用することを考えていたらしい。現在では、水辺に親しむ親水公園としてだけではなく、スポーツ公園としての役割もある。
その上で河川のオープンスペースを利用した首都高速道路と鉄道橋、水害のためのスー パー堤防の土木建築物を1箇所で眺めることができる、土木好きにはなかなか面白い公園でもある。
特にスーパー堤防は、伊勢湾台風クラスの高潮(水位基準 AP +5,1m)に備えるため に、かなり厚く高いものになっている。こういう高い堤防は水害対策には有効だが、住民を水辺から遠ざけてしまっていた。
しかし、都や区は人々が楽しめる水辺空間創出を目的とした水辺整備事業として、堤防基部の根固めの一環として、ジョギングや散歩を楽しめる「隅田川テラス」を造成。
それだけではなく、オープンカフェなども設置されて、水辺でくつろぐことができるようになっている。
私も飲み物を注文して、外のテーブルで寛いでみる。川の上を流れる風は涼しいし、心地よい。
そして堤防を眺めていると、コンクリートの上部に何かが設置されていることに気づく。 近づいて見てみると、これはコンクリート堤防を利用したテーブルらしい。ここに飲み物なんかを置いて、隅田川の眺望を楽しめるようにした工夫だろう。
隅田川の堤防は昭和 30〜50 年代に作られた高さ3〜4m の、俗にカミソリ堤防と呼ばれる直立の堤防や、その後に作られた緩傾斜型堤防、そして昭和 60 年以降の多く作られたスーパー堤防などがあり、都市河川好きの私はあちこち見てきたが、こういう堤防の利用はあまり見たことがない。
これは歩行者に水面が見えるように堤防上の道を嵩上げし、見晴らしをよくする工事が施され、堤防の上部が使えるようになった産物だろう。
このテーブルの上に食べ物などを置いて、スカイツリーを見ながらランチするのは良い感じがする。今度やってみようと思う。
さらに公園中を進んでいくと、急に細長い竹林が現れる。
立てられた看板をみると、下町鳴虫愛護会と墨田区公園課・環境課がスズムシなどを放って、生息状況を観測するための竹林らしいとわかった。
ここは「鈴虫の里」とも呼ばれているらしく、隅田川の自然を復元させるための市民グループ「下町鳴虫愛護会」が区から敷地を借り受けるかたちで、植物を植えてスズムシやマツムシを放ち、秋に虫の声を聞くために管理しているとのこと。
堤防と園道のわずかなスペースだけれども、こういう試みの場所として使用されているのは、市民運動などが盛んな都市河川沿いという感じがする。
こうしたかつての隅田川の自然を少しでも復元しようという試みは、いろいろ行われている。
下の画像は隅田公園ではなく、吾妻橋から少し下流の岸にある人工的に植えられた葦。かつて隅田川の両岸には葦が生い茂って、船が作る波を葦が吸収してくれたという話が残っている。
現在のようなコンクリートでは波は吸収されずに、壁にぶつかって反射波が発生してしまうが、かつては葦がそれを防いでくれたらしい。無論、この葦はそういう反射波防止で植えられたわけではなく、かつての隅田川の風情を少しでも復元しようという試みなのだが。
最近は隅田川上を水上バイクで危険航行する人が問題になっているので、葦で波が吸収される方が安全ではあるのだろうが、さすがに現代の東京の河川の岸を葦で覆うのは難しいので、あくまでありし日の隅田川の姿を残すということなのだろう。
そして、さらに足を進めていくと、吾妻橋の次に隅田川にかかる言問橋。この橋も昭和3年に竣工された、関東大震災後の復興橋の一つ。
しかし、吾妻橋が東京オリンピックのために、鮮やかなカラーに塗り替えられたのと違って、 こちらの色は馴染んでいるというか、地味というか。この橋からスカイツリーに向かう観光客もいるのに、なんでこういう色なのだろうか? と思ったら、吾妻橋は東京都管理の橋だが、 言問橋は国土交通省が管理している橋であるため、東京都が塗り替えを行うことができなかったということらしい。
橋の色彩の違いで管轄の違いが分かるのも面白い。
そして、この言問橋の橋桁の下に警告看板が。
「園内で野宿したり、酒をのんで他の公園利用者の迷惑になる行為は区条例で禁止されています」という内容。
これは当然ホームレスの方に向けてである。
台東区と墨田区は都内では新宿についでホームレスの数が多い区とされ、平成 17 年の 「墨田区ホームレス実態調査」を見ても、この墨田区側の墨田公園内だけでも 180 人程度の方が常設のテントや段ボールハウスなどで生活しているらしい。
全国的に路上生活者は道路、公園、河川敷で起居することが多いが、この台東区、墨田区 は墨田川という河川があるために、河川敷での路上生活が多い。
この隅田公園は河川沿いの上に公園でもあるのだから、自然と人が集まってしまうのは仕方がないのかもしれない。
しかし、当然これに苦情を入れる住民もおり、区側もその対応としてこうした看板を出しているのだろう。
この他に、墨田テラスにはスケートボード禁止を示すための張り紙も目につく。
隅田川テラスは東京都建設局の管理なのだが、そちらにスケードボードの騒音に対して近隣住民からの苦情が寄せられているらしい。
そして、都内の公園ではよく見かける「ハト、野鳥の餌やり禁止」の立て看板。
浅草周辺のハトのフン被害は住民には深刻で、かつて鳩に与える豆を売っていた浅草寺ですら、最近は餌やり禁止になっている。
こうした立て看板の文章を見ていくと、都内の公園が抱える問題を垣間見ることができ る。これはこの隅田公園だけではなく、どの公園でも問題になっていることである。 さらに上流に向かって歩いていくと、隅田川の橋の中でも最もユニークな形状の橋である桜橋が見えてくる。
上のこの画像では、何がユニークかはよく分からないと思うで、橋のたもと付近に立てられた説明看板に載っている上から撮られた写真を。
これは3径間連続鋼 X 形曲線箱桁橋(連続曲線鋼箱桁)という形式の歩行者専用橋で、 台東区と墨田区が予算を折半し、1985 年(昭和 60 年)に竣工した橋である。吾妻橋や言問橋よりはよほど新しい。
X の形もそうだが、独特の曲線を描くデザインはどこか奇妙で、近くに来ると毎回渡ってしまう魅力のある橋である。
今回は東京都内屈指の都市河川、隅田川沿いの隅田公園を歩いてみたが、橋などの土木構造体、自然を復元しようという試み、都内の公園の問題点なんかが見れて、非常に面白かった。
隅田川に限らず、都市を流れる都市河川には独特の魅力があるので、ご興味あればぜひ川沿いを歩いてみてほしい。
この記事は、PLANETSのメルマガで2022年8月26日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。あらためて、2023年6月29日に公開しました。
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