「つくるマーケティング」から、「つくらないマーケティング」へ

菊池 なんか、本当に私でいいんですかって気がして。気が引けています(笑)。

──そんなことはないです! 昌枝さんって、今は星野リゾートの不動産管理部門「星野リゾート・アセットマネジメント企画管理部 IRディレクター(ESG投資対応)というお立場でいらっしゃいますが、星野リゾートに入社される前は何をされていたんですか。

菊池 学習院大学の仏文科を卒業してから、トイレタリー・化粧品メーカーのニベア花王に入りました。「ニベアクリーム」でよく知られる「ニベア」はもともとドイツの会社なんですが、日本の二ベアはそのドイツの会社と花王のジョイントベンチャーなんです。その部署で、営業や商品開発、マーケティングを10年近くやりました。

 そのあとにアメリカの医薬品メーカーで4年間、やっぱりマーケティングをやって。そこではもう、物をつくるということに対して、ものすごく罪悪感を感じていたんです。

 その会社を辞めるきっかけになったのが、1998年くらいのことかな。上司と1ヶ月ぐらい、コマーシャルの撮影でロサンゼルスに行っていたんですけど。今と違ってインターネットが普及していない時代ですから仕事はほぼ待ち時間。そんなよく晴れた青い空の日に、上司に「新製品を出さないというマーケティングをやってみませんか」って真面目な顔で提案したんです。そうしたら間髪入れずに「そういうことは厚生省がやるんだよ。お前がやることじゃない」って言われて。そのときにもう、ガラガラガラって崩れるような音が聞こえたというか。もうメーカーはやめようって決断してしまいました。いま思うと私、20年早くエコだったんですよね(笑)。

──罪悪感というのは、エコ的な感性からでてきた罪悪感なんですね。今でこそ新商品をあえて作らないというマーケティングやブランド構築も注目されていますが、すごく早いですよね。こうした昌枝さんの感性って、どこで育まれたものなのでしょうか?

菊池 小さい頃は、人見知りがすごく激しかったんです。知らない人が来ると泣く。それから外に行くのが嫌。だからもう、日本で一番じゃないかっていうくらい、引きこもりの過敏な子供だった(笑)。幼稚園の見学に行ったら、わーっと講堂みたいなところで子どもたちが遊んでいるのを見て「絶対いやだ!私はこんなところにいたくない!」ってもう、柱にしがみついて泣いて(笑)。それで結局どこへも入園できず、祖母の家に預けられていた時期がありまして。

 彼女は明治の女らしく、当時は炊飯ジャーがまだ一般家庭にそこまで普及してなかったころだから、前の晩のご飯の余りは翌朝の焼きおにぎりにしたり、釜についた飯粒を障子張りの糊にしたり、服や浴衣の張りをつけるために使うとかしていたのを傍で見て育ちました。そこで、無駄にしないことは手間がかかるけれどいいことなんだ、「勿体ない」の暮らしの知恵なんだと刷り込まれた部分はあると思いますね。そのおかげか、小さい時から物を長く使うし、古い物に愛着がありました。今思うと、これが私のエコ思想につながっているのかもしれません。そういうことからすると、現在の仕事が最もエコに関係していて理想的です。

──それからすぐに星野リゾートに就職されたんですか?

菊池 1年弱くらいかけて転職活動をしました。当時は化粧品の開発をしていたから、転職しようと思ったら外資系メーカーの求人ばかりが来るんですよね。でも、私はもう物はつくるのは嫌で。かといってマーケティング以外で新しいことを仕事のために覚えるのも嫌だったので、「物をつくらないマーケティングがあったら紹介してほしい」とお願いしたら、ある日「そういう会社見つけました!」と紹介されたのが星野リゾートでした。
 今でも覚えていますが、最初の面接で、代表(星野佳路)がまだスーツを着ていた時代で。

──スーツだったんですね。今はどちらかと言えばノームコアっぽいイメージがあるんですが……。

菊池 彼は2001年あたりに、日本人の仕事スタイルは欧米スタイルではないと全部捨てたそうです。それ以前でしたから、スーツを着ていてサスペンダーに丸いメガネ姿で。面接の最後の質問は「座右の銘はなんですか」で、スタイルも質問も変わった人だなと。

──(笑)。バブルのころの文化的な実業家のイメージですね。

菊池 そう。「アメリカ」な雰囲気を感じました。その頃の星野リゾートは一次面接から会社の代表が出てきて話す時代で「本当にこの会社小さいんだな」と思ったのを覚えています。でも、代表は今も昔も変わらずあのスピードで話すし内容も面白くて。しかも私がエコの話をしたら「実はうちはエコだよ」と。

 日本野鳥の会を設立し、大正・昭和期に環境保全の活動をなさった中西悟堂先生は軽井沢の星野に隣接する野鳥の森で、はるばる渡ってくる野鳥は食べるものではなく、見るものだとおっしゃったそうです(笑)。また、星野リゾートには生物や植物のレンジャーチーム「ピッキオ」という組織がありますし、水力発電も大正時代からやっていた。そういったいろいろなお話を聞いて入社を決めました。

ファクトを見抜くマーケティング~星野リゾートブライダル事業の場合~

──星野リゾートに入られて、最初はどんな仕事をされていたんですか。

菊池 最初はブライダル事業ですね。

 そもそもウェディングドレスを着る結婚式は1970年代のころから始まったのをご存知ですか。それまでは、結婚式といえば神社かお寺が当たり前。欧米スタイルの結婚式を広めたのは宣教師の町・軽井沢と言えると思います。星野には大正時代から教会がうっとりするような森の中にあって。私が高校生ぐらいのときは、雑誌の「non-no」の広告は、軽井沢高原教会がいつも掲載されていました。結婚式は軽井沢の教会でという、女の子みんなの憧れがありました。

──そうだったんですね。知らなかった……。

▲軽井沢高原教会(画像出典 https://www.blestoncourt.com/wedding/ceremony/church_karuizawa/より)

──そのブライダルの経験から、なにか持ち帰ったものはありますか?

菊池 調査だと思います。やっぱりファクトが大事ということですね。感動のウェディングにも必ずファクトがあって。たとえば、まずこのマーケットは数年に1回入れ替わるのです。

 一例ですが、結婚するお二人は当然その親御さんの影響を受けています。団塊ジュニア世代の結婚には団塊世代、親の考え方と結婚式に関係はあります。そして世代は数年に1回変わっていくので、そこで世代ごとに求められるニーズやスタイルがだいぶ変わっていくから、その世代の期待をやや越えるセンスが重要になってきます。結婚式では、永遠に変わらないもの、常に変わっていくものがある。これらについてターゲット毎に調査をする。こういう視点からは多くを学びました。

 それまでは化粧品の仕事では、それこそ2~3ヶ月に1回買う商品をつくっていたのですが、ブライダルは基本的に一生に1回ないしは2回ぐらい。結婚する人たちにとっては両親や友だちに喜んでもらえること、二人の思い出を残すことが重要です。特に招くゲストの満足度が肝になるのを知ったこと、そのために仕事をしたことは苦しいことも多かったですが勉強になりました。

モノで五感を表現する

菊池 ブライダル事業を7年して、そろそろ次のことがしたいと呟いていた2007年ぐらいの秋のはじめに、「京都の嵐山で旅館をするけど、関心ありますか」と。「菊池さんは京都が好きで住みたいって言っていましたね」と(笑)。ありがたいお話ではあったのですが。ただし私は京都は好きでしたが、それは嵐山ではありませんでした。当時星野リゾートは、旅館の再生を進めていた頃です。まさに古いものを大切にする私にはぴったりだと後になって思いました。そこから私の10年強にわたる宿泊事業での仕事がスタートしました。

▲星のや京都(画像出典 https://www.hoshinoresorts.com/resortsandhotels/hoshinoya/kyoto.html

 嵐山の歴史を調べると、平安時代あたりに貴族のリゾート地になりました。みなさんが知ってるところだと「小倉百人一首」で有名な藤原定家が百人一首を編纂したと言われる小倉山はまさに嵐山のお向かいにあります。大堰川(桂川)で優雅に皇族や貴族たちが川遊びをしたりする、今でいう軽井沢のような場所だったと思います。

 京都の中でも嵐山があるのは西京区、右京区にあたります。これは説明が難しいんですが、京都は左京区がおしゃれな意識高い系の人が多いのに対して、金閣寺より西側になるとやや田舎な風情になってきます。信州の田舎の会社が京都に出てきたわけで、お手並み拝見という風に見られていたと思います。通勤で渡月橋を渡ると噂になったり、見られている感じが強くて、当時は地元の方々にとっては違和感があったのだと思います。

──「星のや京都」のコンセプトについては実際どんな感じで決められたんでしょうか。

菊池 「星のや」全体には「非日常の滞在」という確固たるお客様の体験をベースにした考え方がありますので、その枠のなかで京都の宿は何をお客様に感じていただくのかを考えました。嵐山の中で部屋数も少ない。昔からここ嵐山で天皇や貴族たちが遊んでいたことや、江戸時代には豪商の角倉了以のライブラリーがあったとも言われる場所であることを考えると、時の流れや寛ぎに適した場所だったのだろうと。しかも自然が豊かでいい風景であり音といい匂いと……。月夜には猪鹿蝶の世界で、庵よりは立派な邸宅の風情だという架空の議論もたくさんして。それで「水辺の邸宅」という、京都らしいテーマができました。「水辺の邸宅」だったらどういう船が必要だとか、どんな部屋だとか、どういうホスピタリティで、どういうものを着て過ごすかとか、一泊二日の流れを3ヶ月くらいかけて作りました。いわゆるソフトの部分ですね。

──そこで考えたものの中で、特にこだわったところや印象に残っているものはありますか。

菊池 部屋に置くものなどは建築家と相談して用意しましたが、お客様の使うものや、身に着けるものなど身近なものはデザインをしました。

 たとえば制服ひとつとっても、やはり旅館だから、洋服ではなく日本らしい「着物」のようなニュアンスを残しつつも、着やすく働きやすい工夫をしました。着物は直線裁ちで作られていて、あれが「らしさ」を作っているということで、制服もできるだけ直線裁ちで、でも動きやすいように作ったらどうなるか、試作に試作を重ねました。

▲「星のや京都」の制服

 あとは、たとえば匂い。お香の文化はまさに京都が発祥。推古天皇のころに淡路島に香木が漂着し宮中に献上されてからのち、香と貴族は常に一緒。特に水のある嵐山のようなところや、銀閣寺もそうですが、匂いが漂いやすくお香を楽しむには適しているのだそうです。そこで、お部屋の匂いやお客様が滞在中に遊ぶ道具としての匂いなど、まさに貴族文化を垣間見るようなアクティビティも考えました。京都の文化といえば茶道が代表ですが、それよりも古く香りの世界はあったわけで、五感を楽しませることに躍起となっていた日本の文化を、せっかくだから現代でも遊ばせていただこうというわけです。

▲聞香道具

 「星のや」には滞在着というものがあって、館内にいるときは、それを着てお過ごしいただくようになっています。「星のや軽井沢」は作務衣みたいな滞在着なんだけど、京都はそれだとお寺の修行になってしまう、ということで新しく作り直すことになりました。ただ、くつろげるものではあってほしいけど、部屋から外へ出たときに「パジャマ着てるの?」と思われるのも嫌だし……ということで、当時イタリアで活躍していた日本人のデザイナーさんと相談して、上下の滞在着と、寒い冬用のコートを作りました。コートは着るとだるまみたいにまんまるになるんだけど、本当に可愛くて。わたしは今でも好きです。

▲「星のや京都」の滞在着

 こういう風に、日本旅館という伝統的なものを現代にアップデートさせてワクワクできるかを考えながらやりました。しきたりは外国人はもとより、現代日本人にも対応できないことがありますが、その本質の部分を現代に誇れるようアップデートする仕事は楽しかったです。やはりみなさんが京都に来たときに期待するのは「日本を感じること」ではありませんか。そこをがっかりさせないように、着る物や、食べる物、使う物を京都の作り手さんたちとじっくり相談しながら、一個一個工夫しました。

 そう考えると、京都では古い物の残すところと変えるところを掛け算にして魅せることを学んだと思います。昔のものや、しきたりには丁寧さやこだわりがあって、肌触りがよく懐かしくあるいは凛とした気分になるのがいい。それを今の物と組み合わせてしつらえると、突然ホッとする空間ができたりします。

 あとは、五感をなにで表現するかについて考えたかもしれないですね。特に京料理からは多くのことを教えてもらいました。旬の細かさ「はしり、出盛り、名残」や、季節にあった器で涼しさを演出したり、暖かさを演出したり。料理の温度や盛り付けのこだわり、味わいの考え方。そういった五感をものを通してどう表現するかを、京都の方々に広く勉強させていただいたのもこの頃です。

ホスピタリティはマーケティング

菊池 でもよくよく考えると、宿泊事業を通して最も学んだのは、人はどうしたら怒らなくなるかということかもしれない。

──それ、すごく知りたいです。

菊池 たとえばクレームは、まずは「初期消火」です。ここで消せないと炎上することがあります。なぜかというと、相手のお話や思いをしっかり聞けないからです。このときに一番大事なことは、復唱と寄り添いを基本にして、相手のお気持ちを理解していくこと。まず、良い悪いより以前に、そのお怒りの内容を聞きたいわけじゃないですか。お客様も私たちも人ですから、間違いや勘違いがあったりします。でもお怒りのままだと何が元にあったかがなかなかわかりません。

 そして対応の際は、相手を否定しないこと。そしてお詫びをするのですが「(お客様の)機嫌を悪くさせてしまったこと、そして大切な時間を使ってしまったこと」に対して謝罪します。それは相手に一歩近づくことになります。それができたら「その内容をお聞かせ願えませんか」と、ゆったりした気持ちと誠意で、少しずつでも信じていただけるようになると、お茶を入れて落ち着いてお話がしやすくなる場合が多いと感じます。

 そういうことを踏まえて経験を積むと、失敗(クレーム)にもパターンが見えてきます。「来てくれなくなった」とか、「何時に頼んだのに違うじゃないか」とか、それはもうたくさんあるんですけど、それをタイプ別に分けて、こういう場合にはここから入るようにしましょうか、とか経験の少ないスタッフの場合でも間違いをしない方法を学ぶことができます。

──すごいですね。それまでブライダルの経験があったとはいえ、メーカーのマーケティングのノウハウとも、ブライダルのノウハウとも全然違うところへ飛び込んでいかれて。それをよく2~3年でできたな、と思うんですが……

菊池 お客様に失礼に当たるかもしれませんが、これもマーケティングだと思っています。相手のニーズをちゃんと把握して、それが言葉をそのまま受け取るのではなくて、その奥をみる、つまり洞察する。この人が言っていることはなんだろうって、確認するのが大事なんです。だから、私は職業を変えたつもりはないんです。ずっとマーケティングしている感じ。

──マーケティングの世界では購買行動に焦点を当てるから、人間の自意識よりも無意識というか、言葉にしないところも数字にして見ていくものですよね。同じようなことがホスピタリティに当てはまるということですよね。

菊池 そうだと思いますよ。やはり人やその人が取る行動に興味を持つことがすべてだと思うんですよね。たとえば、怒っているのにまったく表情に出ない方もいるんですよ。でも「あれ、この人怒っているよな」ってどこかでわからないといけない。そういうときには、いろいろしているうちに気づいて、ちゃんと「怒っていますね」って確認する。コミュニケーションのマーケティングだと思います。

──怒っているお客さんの言葉通りに受け取らないということですよね。ちょっと引いた目で、現象としてのクレームを捉えて分析するという……。

菊池 そうですね、いったん自分の感情は置いておきます。クレームを聞くときは寄り添って、お客様になってみる。そうするとちょっとわかってくるんですよね。

ロジックと仕組みで「考える人」は育つ

菊池 「星のや京都」の後には、「星のや軽井沢」の総支配人を数年しました。軽井沢は京都とは違って長期滞在するお客様が多く、リピーターも多い施設でした。私は軽井沢では生産性を上げることに取り組みました。それまで京都でやってきたこととは打って変わって、何をすれば客室清掃の生産性が上がるかとか、ホスピタリティの生産性を上げるためにはどうするかとか、そういうことへのチャレンジでした。
 
 ただ、京都に比べて従業員の人数が多く、まとめられずに苦労しました。軽井沢は大自然の中にあるから特有の事件も起きるのです。雪が降って交通機関が止まるとか、滑りやすいとか、それはいろいろ(笑)。京都でも大雨で川が増水したなどいろいろありましたが、そういった時に多くの人数を束ねる難しさを感じましたね。責任をとらなくてはならない人数が多いと把握できなくなりますでしょう? 私はもともと引きこもり系でチームワークが苦手なのも理由ではあるのですけど。

 だから、完全に任せられる人たちを組織の大きさに応じて育てて中心にしていました。そうすることで、私よりも立場的に話しやすくなるとか、話が伝わりやすかったりする。そういうことを通して権限を委譲できる。星野リゾートは元来「フラットな組織」を重視する企業です。フラットなチームワークは組織において難しいこともありますが、重要だと思っています。自主性のあるスタッフが多かったですね。

──軽井沢「星のや軽井沢」の総支配人をやられたあとに「星のや東京」で立ち上げに関わられていますよね。そのときはどうでしたか?

菊池 既に開業しましたが、当時は海外に「星のや」をつくる拠点としても意味がありました。だから、海外でも通用する、あるいは都市のスピードにもついていけるスタッフの育成が最大の目的でした。これまでと違ってほとんどのスタッフが英語が話せたり、外国人スタッフも増えて、ダイバーシティのある組織になっていきました。そういう対応力がある人が、これまでの星野流をさらに発展させることが大切だと考えていました。

▲星のや東京(画像出典 https://www.hoshinoresorts.com/resortsandhotels/hoshinoya/tokyo.html

──昌枝さんの考える「どこでも活躍できるスタッフの条件」はなんですか?

菊池 まず外国語ができる人、それから先ほど話したコミュニケーション力。あとは、我慢する力と考える力。考えるというのはすごく重要だと思います。「風の谷」でもそうなのだと思いますが、とっさのことを自分で判断しないといけないので。判断することができるのは、ふだん考えているからだと思いませんか。間違えたとしても、自分が考えて判断したことに対しては問題にしないという方針にしていました。

──考えるスタッフが重要ということはよくわかるんですが、そういう人を育てるのが一番難しい気がします。

菊池 そうかもしれませんね。でも、そのために必要な教育というのはいくつかあって。ホスピタリティについても、根性ではなく、ちゃんとサービスのロジックで教えるのがとても大事です。教育はシステムとして、ロジック×実践で、仕組み化されていることが重要です。星野リゾートにはサービスチームという名称がありますが、サービスチームは考えずにやれることと、考えないといけないことに分かれていて、それが仕組み化されていると感じます。そこに乗っていくとできるようになっています。すでに離れて2年なのでもうわかりませんが、今はさらに発展しているはずです(笑)。

安宅和人さんとの出会い

──だんだんと「風の谷を創る」の話に近づいていきたいんですが、安宅さんと出会ったのは東京の時ですか?

菊池 東京の2年目の時に、共通の知人のお茶会でお会いしたのが初めてでした。そのお茶会で安宅さんがお隣だったという。ツツジが美しい庭での休憩時間のときに、声をおかけしたのです。

 お名前も知らないし、何をやっているかももちろん知らなかったので「菊池と申しますが」と言ったら「僕、安宅です」と。「何やってらっしゃるんですか? お茶ですか?」みたいなことを言ったら、「企業のストラテジストですが今はデータとかAIとかやってます」と。ちなみに安宅さんはこの会がお茶会デビューだったらしいんですね(笑)。

 ちょうどそのとき、客室清掃をAI化してロボットで代替できないかということを考えていたので、「私ホテルをやっているんですけど、客室清掃ってAI化できませんか?」と伺ったら、「あーできませんねー」みたいなことをニコニコっと笑って言われて、「えええ何でですか?」ってさらに尋ねたら、事細かに解説してくださって。

 「薄いものをロボットは摘めない」ということと、「摘めたとしても、それがゴミなのか、お客様にとってすごく大切なものなのかどうかが、人間じゃないとわからないのです」と。それを聞いてたしかに! と思って。そういうトラブルは実際にあることですし、ゴミだと勘違いして捨てたらお客様が、「私の〇〇が無い!」ということが人間ですらあるのに、ロボットならなおのことだなと。

 その辺の話をしていたら、ちょうどそのときは、安宅さんが岩佐さん(編集部注:元ハーバード・ビジネス・レビュー編集長の岩佐文夫さん)が担当していた雑誌「ハーバード・ビジネス・レビュー」で「知性を問う」という特集号を出ていたときでした。「今菊池さんが言ったことには、もしかしたら参考になるかもしれない」と紹介してくださったのです。その時に仕事を尋ねられたのでそこで初めて、「星野リゾートです」って言ったら、「僕、星野さんがNHKに出る前に会ったんですよ。あれだけロジカルに早口でしゃべれる人ってそういませんよね」みたいなことを話されていました。あなたもそうですよ、と私は思っていたのですが(笑)。

 その時はそれくらいで、私は帰りに本屋さんに寄って「ハーバード・ビジネス・レビュー」を買って読んだのです。私にとってあの特集の内容はホスピタリティのことを書いてあるようにしか読めなかったのです(笑)。激しい思い込みではあるものの、それを読んだからこそ、その後岩佐さんにお会いして、さらに岩佐さんが安宅さんが登壇なさるパネルなどにお誘いいただいたりして、すっかり安宅ファンになってしまって。それからしばらくして、安宅さんが登壇されたシンポジウムで、「風の谷」のお話をされたのです。終わってから「すごく面白かったです」とメッセージを入れたのがきっかけでその年の12月25日の「風の谷を創る」の第1回目にお誘いいただきました。

弁当に込められたホスピタリティ

──この2年間の活動で、昌枝さんが風の谷を魅力的に感じるのはどういうところですか?

菊池 やっぱり、安宅さんの言う『ブレードランナー』じゃない「未来」というところかな。その時忘れかけていた私のエコモードを引き戻された感がありました。環境をダメにしてきた実感がありましたから。あとは、「都市」ではないというのがよくて、ポジティブなイメージがわーっと広がったのです。

 ただ、集まりに行ってみたら建築、インフラ、コンサルティング、行政とか、つまりレベルの差をギュ〜ンと感じてしまい、居場所がない気がしてきました。もしかしたら安宅さん呼ぶ人間違えてない? と(笑)。さらに進むうちに内容がどんどん難しくなってきて「私ほんとにここにいてもいいのかな、私にできること何もないんだけどな」と思い出したのが、2年目くらい。ちょうど、そのあたりで私が勉強会用にお弁当を手配しはじめたじゃないですか。

──たかまつさんのお弁当ですね。僕も大ファンです。

▲弁当 たかまつ(画像出典 https://peraichi.com/landing_pages/view/takamatsu

菊池 あれをみんな喜んでくれたのが素直に嬉しかったのです。柴さん(編集部注:シグマクシスの柴沼俊一さん)が「普段は夜に出されたものは口にしないんだけれど、これは食べる」って言ってくださって、「どうしてですか?」って聞いたら、「体に良さそうだしおいしいし」って。それを聞いた時嬉しかった。役立った〜と感じました(笑)。

──僕もあのお弁当、大好きです。品数も多いし、おかずの一個一個がおいしいし。料理として「風の谷を創る」にすごく合っていますよね。あれには、昌枝さんなりの、食に対しての哲学を感じるんです。

菊池 哲学というほどのものではないけど(笑)。たかまつさんは、もともとお友達のお友達です。お弁当屋さんを始めたと聞いて、いいなと思っていた理由は3つくらいあって。一つは、品数が多いこと。楽しみじゃない?

──楽しみですよね。

菊池 もう一つは、いつも手書きでメニューが書いてあること。この丁寧さ、絶対美味しくないはずはない、と思いました。あとは、体にやさしいこと。勉強会では、最初の数回はピザ屋さんでピザを注文してきていたりしたんですけど、だいたいいつも夜遅くまでやっているから、どうせなら体にいいものが食べたいな、と思っていたんですね。そこで集まっている人を見回すと、いろんな体型の人がいて。たとえば宇野さんは、すごい体に気を遣っていそうだな、とか。

──(笑)。

菊池 そうやって一人ひとりのメンバーを考えると、やっぱりコンビニ弁当じゃないし、普通によくあるケータリング弁当でもないな、と思っていたところで「たかまつ弁当あった!」と思いだしました。たかまつさんにはいつも、「眠くならないで、ますます研究が進むお弁当がいいな」とお願いしています。だから、彼女はいつも他のところよりも野菜を多く入れてくれています(笑)。

 最近は「風の谷」の集まりに出席している学生さんもお弁当を食べてくれるようになったんですが、それもまた嬉しいんです。ああいう場が過ごしにくかったり、フラストレーションが溜まるような場所だったら、やっぱり嫌じゃないですか。だから、最近は未来のために研究する人の良い状態を演出することは、風の谷での私の役目の一つだと思っていて。そういう形で風の谷を応援できるといいな、と思っています。そう考えると、やはり私の場合、いつもターゲットがあってそのためにという発想が原点になっている。そういう指向性なのだと思います。

──これから風の谷は広報的にも、場所的にもどんどん外に開いていくフェーズに入っていくと思いますが、インフラなどの革袋の詳細が詰まったら、次は皮袋の中に入れるお酒の話をしなくちゃいけない。その中心にあるのが食や暮らし、そしてホスピタリティです。そのノウハウをいちばん持っているのは昌枝さんだと思うんです。風の谷が求心力を生むためには、昌枝さんのノウハウを僕らがどう消化して、チーム全体に生かしていくのかが問われてくると思うんです。

菊池 嬉しいです。宇野さんは自分が気づいていないことを引き出してくださいますよね。たとえば宿泊施設も、私が総支配人のときから代替わりしていって、「何を残すか」を創ることは重要だと思っていて。ここだけは合わせようね、という軸の必要があるんですよね。それさえあれば、あとは自由に好きに、と任せられる。そこはたぶん、風の谷憲章にある「ただし」の部分なのかなと思っています。

──「風の谷文法」ですよね。「高い建物も高速道路も目に入らない。自然が主役である。ただし、人工物の活用なくしてこの世界はつくれない」とか。

菊池 あの文法を読むと、代が変わったり、いろいろなところに違う谷ができても、それが尊重されていればそこにいる人たちが楽しく幸せに暮らせると思う。逆に、こういうことがないと続かないですよね。宿泊事業の仕事を終えてからサバティカルな期間に、この「風の谷」から大きく影響を受けました。自分が何者なのだろうということを振り返るいい時期にもなり、結局やりたかった信念みたいなものを、自分のできることで表現する時期が来たと今は感じています。「風の谷」でもこれまで培ってきたことをやれたらいいと思います。

五感で季節を感じる「暮らし」をつくるには

──「風の谷を創る」の運動の中で、今後昌枝さんがやってみたいことはありますか?

菊池 風の谷って、テクノロジーを使い倒して、自然と共存して暮らすわけでしょう。わたしは、まだそこに誰がいるかを思い描けてないんです。みんな一人の人が来るのか、カップルなのか、夫婦なのか、家族なのか。その人たちの性格もまちまちでしょうし。それがじゃあ全部日本人で東京の人なのか、とか。やっぱりそこに来る人にも、「風の谷文法」に合わせてトーンアンドマナーがあると思うんです。「こういう暮らし」というイメージを先に決めて、そこから人が来る感じかな。でも、じゃあどういう暮らしかなのかがまだわからないんですよね。

 だから、ちょっと実験してみようと思っていて。人の暮らしに関わって仕事をしてきましたから、特に飲食周辺が谷の住民にどういう暮らしや癒しを提供するのかを気にしています。自分でも最近は、食べるものをやたら作っているんです。この前、安宅さんがシェフたちを雇うとすると……みたいな話をしていたから、シェフってことは安宅さんの頭のなかにはレストランがあるってことか、とか。こういうまだ具体的なことを探れていないので、数ヶ月のうちに具体化したいな、と思っています。

──「こういう人たちが集うんだ」というイメージを作っていきたいということですよね。

菊池 それが固まると、暮らしについて考えることができる気がするのです。たとえば「風の谷では、食べるものは自給自足ではありません」となった場合、でも野原に住んでいるのだったら、小さい畑が各家にあったもいいな(耕すロボットがいたとしても)、とか思いませんか。懐かしさや安心は「食」の記憶でプリミティブなことだったりすると思います。たとえば小田原だったら蜜柑の木を植えて、みんなで蜜柑の木の下で集まったらすごく楽しいと思うんです。そういう、食べ物で象徴となる植物は絶対に置きたいと思っています。青森だったらりんごの木を置きたいし。

 植物は匂いがするのが大事だと思っていて。さっき言ったみたいに、人は匂いで季節を感じることがあるでしょ。たとえば軽井沢の場合だと、新幹線で東京から軽井沢駅に着いたら、多くの人が深呼吸したくなる。それはやっぱりいい匂いがするからだと思うんですよ。私は9月の軽井沢が大好きなんだけど、それは夜になると桂の木がすごくいい匂いがするからなんです。これって、木のテクノロジーを感じているわけですよね。木が勝手にそうしてくれている。こういうことを食からアプローチしていきたいな、と思います。

──憲章の最初の方に「五感で自然を感じられる場所である」という文言があって、それを実践するためには、「食」のような、体に直接取り入れることを経由することが必要なんだと思うんですよね。「風の谷を創る」のプロジェクトが進行していくと、実際そこでどんな楽しいことをしかけていくかを考えるフェーズが、遠からずやってくる。それが今から楽しみになるお話でした。

菊池 面白いですよね。わたしもすごく楽しみ。

[了]

この記事は、宇野常寛が聞き手を、石堂実花が構成をつとめ、2020年5月18日に公開しました。 Banner photo by 岡田久輝。
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