EN TEA代表・丸若裕俊さんが日本の伝統的な技術や文化の新しい甦らせ方をさぐる連載「ボーダレス&タイムレス」。今回は、日本の茶という文化が育んできた本質とは何かを改めて掘り下げながら、それを21世紀の都市と社会に甦らせていくにはどんなアプローチが必要なのかを、GEN GEN AN幻での実践を中心に考えていきます。
端的に言うとね。
ペットボトルと茶の湯
今回は、喫茶文化が21世紀の都市や社会の中で、どう変わっていくのかをテーマにしたいと思います。かつて街の喫茶店がカフェに変わっていったことが都市のライフスタイルを規定したように、2020年代には茶を中心に日本の喫茶文化が変貌を遂げていくのではないか。そんな可能性を探ってみたいと思っています。
緑茶の大衆化のターニングポイントになったのは、1990年代に伊藤園が始めたペットボトルの「お〜いお茶」でした。ペットボトルによって淹れる手間なくコンビニでお茶を買えるようになって、さらに90年代後半には小型化されて持ち運べるようになりました。これは日本の茶の文化を書き換えた出来事でした。それと同じレベルの変化が起きることで、日本の喫茶文化にも大きな影響があるかもしれません。
ここで考えてみたいのは、なぜ日本では商品を良くしようとしたとき、プロダクト自体にしか考えが向かないのか、ということです。たとえばペットボトルのお茶がコンビニで売れだしたときに、コンビニはどういう背景でその商品を仕入れたか。当時の人々の嗜好やどんなテレビ番組を見ていたか。それらを踏まえた上で、どうすれば次の段階に行けるのか、といったことを総合的に考える方向には向かわず、たとえば漆のお椀であれば「お椀自体がカッコよければ売れるはずだ」となりがちです。
そういった発想では、ペットボトルと茶の湯が同じ「茶」として一緒くたにされてしまいます。たとえば、ニューヨークで砂糖入りの抹茶が流行っていますが、あれが良いとか悪いとかではなく、何を変えて何を残せば本質の強度が保たれるのかを考えないといけません。それができないと、タピオカミルクティーのようにブームとして消費されて終わってしまう。逆にそこを確保できれば、変に面倒な説明をしなくても「イエス」と言ってもらえるようになると思います。本来あるべきシーンを作って、そこにはめ込めば、知識がない人でもお茶を飲むだけで「美味しいね」となる。現状はそれがないために提供者側が過剰なプレゼンをして、本当か嘘かもわからないような話の付加価値でブランディングするしかない。これは茶に限らず、今の文化全般に対して言えることだと思います。
では、茶の本質を維持しながら喫茶文化を更新していくには、どんな道筋があるのでしょうか。
大航海時代のない日本の茶だからこその物語性とは
以前、コーヒーについて掘り下げて考えてみたときに辿り着いたのは、もちろん味も重要ですが、それよりも大事なのはストーリーだということです。コーヒーの場合はそれが明確で、背景にあるテーマは大航海時代なんです。『ONE PIECE』のように、いろんな土地を旅して手に入れたものを皆で飲むことが、コーヒー文化の大元のコンセプトとしてある。日本の茶の場合はそれとは違っていて、もちろん静岡の土壌はいいとか鹿児島ならこういう個性がある、ということはありますが、狭い国内での文化なので、土地や自然環境から極端な差は生まれにくい。それもあって、ストーリーを上手く作り切れていないのです。
実際、日本茶の産地というと、一般の人には静岡と宇治以外はほとんど知られていません。嬉野の名前を出しても「何それ?」となる。もちろん産地に詳しい人はいるし、日本に詳しい一部の外国人たちの間でも知られていて、それを見て日本茶が海外でウケていると思い込んでいる人たちもいますが、それを外国人全般に当てはめるのは、だいぶ間違った認識です。やはりコーヒーの場合のエチオピアやブラジル、グアテマラといった世界中に広がる産地のバラエティには比べようもありません。それよりも文化の坩堝として、横の広がりではなく熟成や掘り下げを追求している点が、消費者にとっては魅力と感じてもらえるのではないでしょうか。
そこで、産地にこだわるストロングスタイルとは違った、茶というものの自然体の良さをどう表現するのか。僕たちの場合は、前回述べたように「EN TEA」で生産の過程にこだわった上で、それをいろいろなカルチャーに乗せることを考えます。もともと浸透しているものの上に茶の文化をどう乗せるか。それを考えるのが僕たちのブランド「GEN GEN AN幻」です。こうしたアウトプットはサードウェーブっぽいとよく言われますが、本質は違います。その一番の理由は、日本の歴史には大航海時代がないからで、サードウェーブのストーリーをそのまま日本の茶に適用するのは無理があるのです。アメリカ西海岸からやってきたサードウェーブでは、最初にお洒落でリッチな店舗をつくってバイアウトすることでいろんなところに小さな店をつくっていくというやり方ですが、それは結局、20世紀までのやり方だと思います。
僕の仕事もアウトプットに注目されることが多いのですが、それは入り口でしかなくて、その底にあるのは、やはり「茶とは何なのか」を追求することに尽きます。体験を捉え直す「見立て」の方法さえ覚えれば、つまり見過ごされている別の意味に気付きさえすれば、お茶を飲むだけで「向こうの世界」にトリップできる。実はそれくらい簡易なことなんだけど、みんなが忘れている感覚なんですね。今はすごく肩こりしてしまっている状態なので、それをほぐすところから始めないといけない。というか、「そもそも肩の位置ちがうよ」みたいなところから。そっちの方が僕は本質的だと思っています。
まとめると、コーヒーが非日常の方向に土地の文化で横軸に展開していくものだとすれば、日本茶は日常の中に潜む歴史を縦軸方向に深堀りする文化。そのストーリーを上手く構築できれば、コーヒーに匹敵するドキドキ感を伝えられるはずです。
茶は8世紀頃に遣唐使によって仏教とともに中国から伝わってきたので、グローバルなテーマもあるにはあるんですが、あまりにも昔のことすぎて実感がわかない。それよりも、日本の歴史や美意識とどのように関係してるか。そちらの方が、海外の人も含めて、現在のお客さんが求めているストーリーに近いのではないかと思います。
今、茶が注目されている理由はシンプルで、自然の代名詞になっているからです。自然、オーガニック、ナチュラルといったキーワードを、非言語的な意味で感じさせる。「勤勉な日本人が伝統に従って自然の中で作る緑色の飲料」ということが重要なんです。でも、それが本当に自然に寄り添っているとは限らない。ここに業界のひずみがあります。自然を前面に出してブランディングしているけど、実際の製造過程は相当人工的です。これからの時代は、その部分に一番ガタが来ると思うし、僕はそこを本来の姿に忠実にしたいと考えています。
とはいえ僕もペットボトルのお茶で育ってきた人間なので、今さらどうこう言える立場ではなくて、大手の飲料メーカーになるほど、ペットボトルを完全にやめるのは難しい。環境にやさしい自然分解されるペットボトルもあるにはあるんですが、日本ではそれを製造や分解する施設が不十分。ペットボトルを別の容器に変えるにしても、コンビニとの折衝をどうするのか、ペットボトル業者との関係をどうするのか、その解決は短期間ではできません。法律で規制が入るにしても、すぐには無理です。
そういう状況もあって、私たちができることとして、茶葉を包むティーバッグやアウトパッケージの素材を生分解性にするなど、日本の循環に対しての環境整備をただ待つのではなく、すでに取り組んでいます。そういう行動から始めるのがメッセージとして届きやすいし、共感も自然としてもらえるのではないかと思っています。
モノとコトから考える茶という体験の本質
茶のストーリーテリングに関して、あるとき僕の中ですこーんと抜けたことがあります。それは茶とかご飯も全部含めて考えたときに、「究極的には美味しいものなんてない」ということなんです。みなさん日本の食で美味しいものは何か一生懸命考えていると思いますが、同じものを食べたときに全員が美味しいと思うわけがありません。何かを美味しいとか不味いと思うのは、最近の言葉で言うとマインドフルネスなんかもそうですが、概念を共有できるかどうかに近いと思うんです。だから、美味しいという結果そのものを絶対的に追求しようとしすぎると、概念の共有というよりも主張の正しさを押しつけようというコミュニケーションに近づいてしまう。
近年、あるプロジェクトの関係で「焙じ茶」にこだわっていろいろと試行錯誤してきましたが、なぜ焙じ茶かというと、それは「完全無欠」ではないということなんです。20世紀は一人の完全無欠なスーパーマンを生み出すことがロマンとされた時代でしたが、結局それは無理な願望だった。それよりも、21世紀にはユニークなもの同士の結びつきや適材適所性がテーマになってきて、だから『アベンジャーズ』みたいな映画もヒットするようになったのではないでしょうか。
それと同じで、茶にも然るべき変化が必要なんじゃないでしょうか。「茶は自然を体現した尊いものだ」と言っている側が、焙じ茶と抹茶に優劣をつけるという矛盾がずっと続いてきましたたんですよね。どちらも生命をもらって作られたものなのにも関わらず、です。
僕も茶に出会うまでは、エッジの効いたものを追求しようとしていて、それはそれで全然いいと思うんです。ただ、茶のいいところは、全てが「茶話」になるところだと思っています。エッジの向こうを目指す人も、ふとこっち側に戻って我に返れたりする。
こんなふうに、茶を更新していくためには、モノとしての茶作りをしていくことと、コトとしてのストーリーや体験を作っていくという両面からのアプローチが必要です。このモノとコトの関係は、東洋哲学でいうところの陰と陽だと思います。両方が揃うことで「モノゴト」になりますが、どちらが陰でどちらが陽かは、時代によって変わってきます。
20世紀はハードウェア、つまりモノの方が強くて陽になっていた。でも今は、コトの方が強くなっている。そして、陰と陽の調和がないところには何も宿らない。そのように考えていけば、たとえば観光客に対する対応も違ってくると思います。つまり、モノゴトをきっちりと作っていくということです。そのためには接待的なパフォーマンスが要るわけでもないし、ただ質の高い茶葉を作ればいいわけでもない。
モノゴトという言葉自体が、宗教性を帯びるような深いもので、たとえば禅でいう「侘び寂び」もモノゴトだと言えます。僕は言葉もある意味でのモノだと思っていて、だからお喋りしすぎているインターネットの現状は、モノにとらわれ過ぎた結果、人々がリアリティを見失ってしまっている状態なのだとも言えます。
やはり体験というものは、モノゴトのバランスが整って初めて成り立つのです。
モノが促す思考によって「閒」を楽しむ
では、モノとコトの関係を、どうやって結び直していけばよいのか。
利休が楽茶碗をつくらせたときのコンセプトのひとつが、見た目と手に持ったときの重さのギャップだと聞いたことがあります。実際の樂茶碗は想像よりも遥かに軽い、というよりも軽やかです。今でこそ黒い素材はいろいろありますが、当時の黒くてゴツい素材は石とか金属くらいでした。それが実際に手で持ってみると、とても軽いという違和感がある。これは先入観を使った遊びのようなもので、それにどう対処するかを考えるとすごく脳が活性化するわけです。
特に親分同士の茶会だと、驚いていたら鼻で笑われてしまうので、臨機応変に対応しなければならない。そこで、冷静さを保ちつつ驚きを楽しむという、高度なドS・ドM的な体験を繰り返すことになる。そうやって涼しい顔をしながら綺麗な所作で茶を飲み合うのは、その人のソフトウェアのレベルの高さを競う遊びだと思うんです。そこでは単純に時間の隙間を埋めるというよりも、その隙間をどう豊かに遊びきるかということが問われている。こうしたモノゴトの突き詰め方が、人生においてはすごく大切なことだと思うんです。
このように、器の軽さにあえて驚かないという当時の体験を、プラスチック製の容器が当たり前の世界にいる今の時代の人たちにそのまま再現しても何も伝わりません。むしろ異常に重い器にしたほうが、わかってもらえるかもしれない。それなのに、その体験の本質を翻訳するということをせず、形や作法だけをそのまま伝えると想像力の乏しい形骸化したつまらないものになってしまう。
そうではなく、モノとしての茶のメーカーであるEN TEAと、コトとしての茶を伝えるプロジェクトであるGEN GEN AN幻の両輪でやろうとしているのは、ある一辺倒なフォーマットにこだわるのではなく、いろんなパターンに対応しようということです。たとえば渋谷の店舗でも国際会議の会場でも、本質を同じくする効果やインパクトを与えられるように、それぞれの場に即した道具を選んだり環境をつくったりする。それが僕たちの役割だと思っていて、そのすべてを総称して「閒を楽しむ」というふうに表現しています。
織部から売茶翁への美意識を継承する
そんな活動をするうちに、チームラボの猪子寿之さんからは「令和の利休」などと言っていただくようになりました。とても光栄でおこがましいことではあるんですが、あえて言うならば僕の感覚としてはむしろ織部のほうが目指すところに近いと思っています。利休のような、ストイックに研ぎ澄ましていくクリエイションは僕には到底無理な話で、それができる人に対する憧れというか、劣等感みたいなものが多少ある。だったら、それを中途半端に真似るよりも、その人たちが選ばない違う角度の手法をカッコよくやったほうがいい。ラグジュアリーな富や権威によってつくられたものに対して、織部がそうしたように、僕の中にあるリアリティに裏打ちされた「見立て」によって遊ぶ、という方向性です。
それが徳川の時代になると、そういったふざけたものに対して強く「ノー」が出されるようになり、型にはめられていく。それは茶に限らず、多くの日本の美が形骸化し歪んでいった道筋だったのですが、そこに出てきたのが、前回GEN GEN AN幻の精神的なルーツとして紹介した売茶翁でした。彼はカウンターカルチャーとしての煎茶という逃げ道をつくって、よりマニアックな方向に突き進んでいったのです。
もちろん、時代背景的に織部とから売茶翁には接点はありません。だけど、時代に必要とされて生まれてくる共通性が、日本の美の系譜にはあるのです。たとえば織部の時代まではなかった絵画的な指向として、琳派とは別に伊藤若冲のような表現が生まれている。これは平和だからこそ生まれるカオスで、戦乱によって生まれたカオスとは、また違うような気がします。
幻幻庵から文化闘争の街・渋谷へ
では、売茶翁が流浪の果てに泰平の世に穿つカオスとしてつくった幻幻庵を、グローバルな現代都市にインストールし直すとしたら、どんな場所から始めるのがよいか。
先日、京都の職人が東京に来て朝まで遊んだときのことを聞いたんですが、六本木の朝の光景がヤバかったと話していました。嘔吐している人もいれば、喧嘩している外国人もいて、それを警察官は見て見ぬふりをしているし、明らかに関わってはいけなそうな車も止まっている。交差点周辺だけ世紀末みたいになっていて、「東京の人はよくあんな場所で普通に暮らしていられますね」と(笑)。タフじゃなきゃ生き残れない世界というか、六本木のミッドタウンとかヒルズのあたりには、戦国時代の名残りみたいな雰囲気があって、すごく闇が深い。
その一方で、渋谷もそれに近いんだけど、若者が多くてゴチャゴチャしていて、もっと俗世寄りです。ある意味、あの場所自体が「閒」なんですよね。なぜGEN GEN AN幻を渋谷につくったのかとよく聞かれるんですが、「掛け軸」の題材として、あんなに最高な立地はないんです。別の言い方をすれば、GEN GEN AN幻の窓から見える風景はカオスというテーマの「掛け軸」なんです。
これは喩えて言えば、チームラボのアート作品のディスプレイ上で起きているようなことが、リアルタイムで、プログラミングされずに生まれているようなものです。日々カオスとして変動していく。それを観ながら茶を飲むことが「茶事」なんですよ。実はすごくクラシックなやり方なんだけど、気づいている人が少ないのがおもしろいんですよね。
GEN GEN AN幻はスターバックスみたいなノリで普通に入れるんだけど、実は日本的な思想によるアプローチで、茶の文化の細かい置き換えがなされている。つまり「閒」の変換地になっているんです。
銀座の商業空間の狭間で「閒」に出会う
また、東京の他の場所でもいろいろなアプローチを始めています。これからは違和感を再定義できたところが残ると思うんです。20世紀につくられた巨大な都市の構造のどこに乗っかるか。そういう意味で、俗世的な巨大商業施設、そこが僕にとっての「利」なんです。これは「隣の芝生は青い」的な発想でもあるんですが、「閒」は最適化された空間の中にある方が目立つんですよね。最適化された領域の中での「閒」の体験は、マイナスからのプラスへの転換だから、実際以上に効果を発揮する。
そんな実験の延長線上に、2021年9月までの期間限定で、銀座の地下鉄駅にも直結したGinza Sony Parkの地下1階に「GEN GEN AN幻 in 銀座」をオープンしました。こちらについては、いずれ別の機会にお話しできたらと思います。
これらの取り組みを通じて学んだのは、「おもてなし」というのはこちらからのメッセージだけでなく、そのあとの相手の反応や返答があって初めて成立するということ。お互いがある意味で試されている事象で、つまり連歌における上の句と下の句の関係です。
だったら、思いっきり予想外な上の句を用意したい。そういう体験を我々はどう用意できるのかを考える段階に来ていると思います。「どこでもドア」みたいな入口をいっぱい置いておきたい。たとえば映画『マトリックス』のような、開けてみたら全然違う世界でした、みたいな体験です。そもそも工芸自体が小宇宙で、「どこでもドア」みたいなものですからね。東京で色々とやりながらも、地方も視野に入れてGEN GEN AN幻の取り組みを広げていきたいと考えています。近い将来、海外でのプロジェクトもそろそろ本格始動のタイミングです。最終的には、世界中の誰の家でもGEN GEN AN幻に近い体験ができる状態を目指して、変幻自在に進んでいきたいです。
異質なものとのコラボレーションが「閒」を深める
そう考えていくと、僕たちの大切なコラボレーション相手である猪子寿之さんの思想は、実はGEN GEN AN幻とは対極にあると言えるのかもしれません。チームラボの作品は日本の美を現代のテクノロジーで翻訳しようとする点は我々と共通していると思いますが、力技でひとつの連続した非日常な小宇宙をつくり込んでいくか、現実の日常の時空間に「閒」を穿っていくのかで、アプローチ方法が正反対になっている気がします。
やはり僕は、茶や工芸の体験を通じて本物の自然や掛け軸がもたらすパワーに親しんできた人間なので、現代アートやメディアアート的なアプローチは、そのインパクトにはかなわないとどうしても感じてしまう。だから、目指すところはひとつなんだけど、お互いある面では認め合い、ある面では対立し合うという距離感や緊張感を持ちながら、協働してきている関係だと思います。
いつからかはよくわかりませんが、近世くらいからの日本では、居心地が良いことを何よりも優先に、「気の合う」という抽象的な言葉で事なかれ型の関係を良しとするようになってきました。とりわけ明治以降の教育や家族制度の再編を通じてそうなっていったのでしょうが、自分はそういう空気感が幼少期から最高に嫌いでした。そんなのまやかしだし、正直気持ち悪い。
今はそこに欧米の横文字が誤訳して加わり「コミュニティ」とか変な地元愛という意識がさらに加速している。それがグローバルだと思い込んでる。こんなことでは何も生まれないし、さらに粗悪になってしまう。そんなものは日本の伝統ではありません。
違うと感じたものに対しては、ハッキリ言う関係。そこにしか未来は無いと思っています。猪子さんとの関係もそうです。まさに、水と油。それもある種の「閒」だと思うんですよ。単純に「仲がいいからやりましょう」とか「同じ大学だからやりましょう」とか、そういう話じゃない。
自分が言ってることややっていることが本当に正しいのかどうか不安な中で、自分とはまったく違う角度から世界を見ている人が、それをどう見立ててくれるのか。そこにすごく興味があります。たとえば美大生同士のように、お互いの価値基準をよく知ってる同士であれば話の内容は通じやすいけど、立場が違う人が相手になると話が通じなくなる。その緊張感も含めた距離感、それが「閒」だと思うんです。
これは、お茶をやっていて年配の女性たちと接することで勉強したことでもあります。会話の中で、もし突き詰めすぎると決裂しそうな話題になりかかると、絶妙に違う話題に切り替える。そういう緊張感のある関係を受け流すのが、あの人たちは上手いんです。
その時にお茶はいいんですよね。話を濁すきっかけになる。会話の途中でも「あれ? 何、このお茶?」みたいに、話を自然に切れるじゃないですか。食事だとそれが難しい。食べている最中はしゃべれないので、「閒」じゃなくて「沈黙」が生まれる。沈黙が生まれるとキリキリ感がヤバい方向に行きがちなんですが、お茶は一瞬で区切ることができる。
そういった「閒」のある関係から生まれたものを、どう伝えていくのか。僕自身は今話しているようなことをオブラートに包まずに伝えることが大事なんじゃないかと割り切り始めています。本質的な部分でのメッセージ性は手心なくちゃんと伝えて、それが集合体になることで、今の時代に意味のあるメッセージになるんじゃないかなと思っています。
だから21世紀は、水と油をどう混ぜるかの話になると思うんです。それも視覚や身体的リアリティによって支配するのではなく、もっと人々の精神的なところからつかまえにいきたい。それが僕の役割だと思っています。
[了]
この記事は、PLANETSのメルマガで2018年1月から配信している連載「ボーダレス&タイムレス──日本的なものたちの手触りについて」を再構成したものです。2021年6月28日に公開しました。
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