「庭プロジェクト」とは、これからのまちづくりについて、建築から人類学までさまざまな分野のプロフェッショナルが、官民産学を問わず集まって知恵を出し合う研究会です。
第15回の研究会では、都市戦術家/プレイスメイカーの泉山塁威さんがゲストスピーカーとして登壇しました。テーマは小さな実験から長期的変化につなげる都市開発の手法「タクティカル・アーバニズム」です。
「庭プロジェクト」の連載記事は、こちらにまとまっています。よかったら、読んでみてください。
端的に言うとね。
日本には「アーバンライフ(都市生活)」は存在しない?
「タクティカル・アーバニズム」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。まちづくりにおいて、小さなアクションが拡散し、制度を変え、手法として普及し、社会に定着するアプローチを指すこの方法論が、ここ数年注目を浴びています。もともとはアメリカ発のこのタクティカル・アーバニズムの日本における主要な紹介者・推進者の一人が、今回ゲストにお招きした泉山塁威さんです。
都市計画や都市デザインを専門とする泉山さんの肩書は「都市戦術家/プレイスメイカー」。日本大学で都市計画研究室(泉山ゼミ)を主宰し、研究や教育に携わりつつ、一般社団法人ソトノバの共同代表として屋外・パブリックスペースの調査研究やビジョン、社会実験、アクティビティ調査、エリアマネジメントの実践、それらを⼀貫したプレイスメイキングのプロセスデザインの確⽴にも取り組んでいます。
近年は「#豊かなプレイスがエリアと都市の未来をつくる」というモットーを掲げ、トップダウンの都市計画だけではない、市民起点の都市変革を追究。「都市」「エリア」「プレイス」の3つのスケールを行き来し、束ねながら、とりわけ「ウォーカブルシティ」「エリアマネジメント」「エリアビジョン」「プレイスメイキング」そして「タクティカル・アーバニズム」といったキーワードに注目して、都市の未来を探究しています。
今回のプレゼンテーションでは、「アーバニズムの現在形と2020年の論点」と題して、主にタクティカル・アーバニズムの現在地と未来を展望します。まずは本題に入る前の前提説明として、パブリックスペースに関する基本的な考え方である「アーバンライフ(都市生活)」というコンセプトの紹介から、プレゼンテーションはスタートしました。
「日本は欧米に比べて、まちなかに椅子やテーブルが置かれている空間、あるいは広場やストリートといった空間が少ないですが、それはそもそも『アーバンライフ(都市生活)』がないからではないかと考えています。アーバンライフとは、都市でくつろぐこと、言い換えれば日常の場所とライフスタイルのことです。広場やストリート、公園といった、人が留まっている『滞留空間』があり、そこで座ったり、食べたり、移動したり、遊んだりと、長い『滞在時間』を過ごす。それが習慣化し、ライフスタイルまで落ちているのがアーバンライフ。日本にはこのアーバンライフがないので、もっと増やしていかなければいけません。別の言い方をすれば、ストリートライフ、つまり都市の30%くらいあるストリートを、いかにして人中心の場所にしていくかが、街にとって非常に大事なことだと思っています」(泉山さん)
ただし、ここでいうアーバンライフは、よく行政やまちづくりの文脈で目指される「賑わい」とイコールではないと泉山さんは強調します。
「『賑わい』という言葉は、漢字に貝へんがついていることからもわかるように、オープンカフェや飲食店といった、お金や経済に絡む文脈で使われます。しかし、お金を払わなくてもいていい場所があってもいいと思うんです。たとえば、最近は大阪のなんば広場で、もともと交通ロータリーで車やタクシー中心だった空間が、人中心の広場に整備されました。コペンハーゲンの建築家ヤン・ゲールは、建築空間はつくることではなく、使う人が生活を送ることが目的だと言っていますが、こうした場所をもっと増やしていくことで、都市生活の質を変えていきたいんです。
北海道の旭川市に、日本初の歩行者専用道路になった平和通買物公園という場所があるのですが、やはり車がないと、さまざまなアクティビティが生まれてくる。空間的なハードをしっかり作って、さらに人の多様な目的とアクティビティをしっかり設計する。こうした場所をどんどんつくっていきたいんです。アーバンライフを実現することで、経済効果はもちろんですが、人の居心地や歩きやすさ、そして市民生活の豊かさや幸福度、QOLもどんどん向上していくはずです。ただ、日本でそれを実現するにはさまざまなハードルがあります。それらをクリアしていくために、今日のテーマでもあるタクティカル・アーバニズムの研究や実践に取り組んでいるんです」(泉山さん)
2010年代アメリカ発、タクティカル・アーバニズムとはなにか?
ここから話題は、今回の本題であるタクティカル・アーバニズムに移りました。まず泉山さんは前提情報として、タクティカル・アーバニズムが生まれた経緯を紹介します。
「タクティカル・アーバニズムは、2010年頃のアメリカで活動していた、都市計画のプランナーたちが集まっているCNU NextGen Initiativeという委員会における議論の中で生まれました。そもそも1990年代のアメリカに、車中心での郊外化が進んでいく中で、新たな公共交通中心の都市開発が議論されたニュー・アーバニズムという動きがあったのですが、その次世代版を考えようという委員会がCNU NextGen Initiativeです。そこでの議論の中で、2010年前後のニューヨークのマイケル・ブルームバーグ市長を中心とした新しい都市再生の動きの考え方や事例をまとめて、2012年頃に『Tactical Urbanism』vol.1という本が出ました。出版後は英語圏中心に世界中に広まっていき、2015年にはそうした議論をまとめた『Tactical Urbanism』という英語の本が出版されました。
僕自身も当時『Tactical Urbanism』を読んで感銘を受け、著者のマイク・ライドンにニューヨーク・ブルックリンに会いに行ってディスカッションをしたりした上で、日本でもさまざまなシンポジウムなどを開催してタクティカル・アーバニズムを広める活動や議論に取り組んでいきました。こうした活動や議論をまとめたものが、2021年に刊行した『タクティカル・アーバニズム: 小さなアクションから都市を大きく変える』です」(泉山さん)
では、このタクティカル・アーバニズムとは一体何なのでしょうか? 続いて泉山さんは、その定義や背景を説明してくれました。
「定義は一言では言えないのですが、『Tactical Urbanism』の原文には『意図的に長期的な変化を触媒する、短期的で低コスト且つ拡大可能なプロジェクトを用いたコミュニティ形成のアプローチ』と書いてあります。もう少し噛み砕くと、制度設計やハード整備、あるいは仮設的なものの日常化・仕組み化などによる、継続性のあるアプローチのこと。『タクティカル』はそもそも『戦術的』という意味合いで、都市計画が『戦略的』な意味合いを持つことと対比されています。つまり、短期間・低コストで終わらずに、スケーラブル(拡張可能な)で、それがどう拡張していくのかというようなことをもたらすようなプロジェクトがタクティカル・アーバニズムなのです。
背景には、アメリカもかつての人口構成を前提とした都市計画や社会の仕組みでは立ちゆかなくなり、市民の不満や価値観の多様性も高まってきている状況があります。さらにはリーマンショックに端を発する経済不況が深刻化し、帰属には持続性が求められるようにもなっている。こうした傾向の中で、作家のジェイン・ジェイコブスが『都市計画は都市を機能させるための戦術が欠けている』と言っていたり、都市計画プランナーのアンドレス・デュアニーが、『建築家のレム・コールハースの「S M L XL」に唯一足りないのは、「XS(極小)」だ』と、小さな単位での活動やアクションの重要性を説いたりと、短期間で小さなスケールのアクションの重要性が浮かび上がってきて、タクティカル・アーバニズムの重要性にますます注目が集まってきました」(泉山さん)
ゲリラから常設へ──タクティカル・アーバニズムのメソッド
さらに泉山さんは、タクティカル・アーバニズムのメソッドをより詳細に説明してくれました。まずタクティカル・アーバニズムにおいて重要なことは、「小さいアクションから始める」という点です。
「基本的にはビジネスにおけるリーン・スタートアップの考え方を採用していて、計画から始めるPDCAサイクルだと『Plan』が長すぎてなかなか『Do』に移せないという限界があるので、まず小さいアクションから始めます。まずアイデアを構築して、プロジェクトを計測し、データから学習する。そのサイクルを高速で回していくこと、つまりプロトタイプして、データをちゃんと取って、そこから次のプランに活かしていくということを大事にしています」(泉山さん)
小さいアクションからであるがゆえ、ボトムアップで誰が主体でも始められるというのも、タクティカル・アーバニズムの重要な特徴です。
「市民のアクティビストやコミュニティ、さらにデベロッパーやエリアマネジメント、行政、そしてNPOやアート組織、コンサル企業……タクティカル・アーバニズムは、ボトムアップで誰からでも始めることができます。
たとえば自転車道を整備するとして、多くの人にとっては、自宅の近くの道であっても、いつどのようにデザインされて、いつ完成するのかがブラックボックスで、気づいたらいきなり工事が始まっている、ということが多いですよね。一方、タクティカル・アーバニズムでは、たとえばまず一日、自転車道のマークをスプレーで道に塗るデモンストレーションから始めます。すると、通りがかった人からの反応がさまざまに得られるので、そこから見えてきた課題や仮説を検証していく。ある程度成果が見えてきたら、次は1ヶ月から1年くらい試してみるパイロット、そして次は数年単位での暫定デザインとバージョンアップさせていく。そうして階段を上るように、最後には長期的な資本投資にたどり着く。こうすることで、結果的にデザインがブラッシュアップされたり、より多くの市民を巻き込んだりすることができるわけです。
実際、タクティカル・アーバニズムにおいては、特に海外の場合はゲリラ的なアクションが非常に多い。最初はゲリラ的に短期のプロジェクトとして始めて、最終的には行政や地域に認められたプロジェクトとして日常の中で常設化していく。そうしたプロジェクトが、よく練られたタクティカル・アーバニズムなのです」(泉山さん)
そして、ただボトムアップでゲリラ的であるだけではなく、「長期的変化」を見越して「バックキャスト」でアプローチするというのも重要なポイントです。
「日常的なプレイスやライフスタイルの変化や仕組み化、新たな変化の定着につながっていくのが『長期的変化(long-term change)』です。そのために政策・制度化したり、空間整備をしたり、ムーブメントやエリアマネジメント、主体形成や手法化・フォーマット化を促したりしていくというわけです。
長期的変化を目指すからこそ、単発で終わってしまわないように、バックキャストで考える必要があります。ボトムアップのアクションはフォアキャストのイメージがありますが、バックキャストで考えないと、どこに向かっているのかがわからなくなってしまう。だから目標を細分化して、それぞれのアクションの成果を定義していくことも大事だと考えています」(泉山さん)
タクティカル・アーバニズムの代表事例と、コロナ以降の論点
ここまで説明してくれたタクティカル・アーバニズムの概要やメソッドを踏まえ、プレゼンテーションの終盤では、いくつか代表的な事例を紹介してくれました。
まず最初に、タクティカル・アーバニズムという言葉が生まれるよりはるか昔、1800年代のパリで行われていた「ブキニスト」という営みを紹介しました。
「1800年代、セーヌ川沿いに古本市のようなものがありました。日本で言う闇市のようにゲリラで営まれているもので、何度も出したり撤収したりを繰り返して、いつの時代かしっかりとしたお店になったり、公式に認可されたりしていったケースもある。こうした事例は一つのタクティカル・アーバニズムなのではないかと、よく言われています。この事例に限らず、言葉自体が生まれる2011年頃より前から、タクティカル・アーバニズムと呼べる実践自体は多々行われていたのではないでしょうか」(泉山さん)
そして泉山さんが現代のタクティカル・アーバニズムの事例として紹介した一つ目は、ニューヨークのタイムズ・スクエアです。
「タクティカル・アーバニズムの祖の一人であるマイク・ライドンがニューヨークを拠点としていたこともあり、タイムズ・スクエアの広場化は非常に象徴的なプロジェクトだと思います。タイムズ・スクエアはもともと車道で、タクシーがたくさん走っており、歩道が非常に狭くて歩きづらかった。にもかかわらず車はほとんど一人くらいしか載っていないので、歩道のほうに人が溢れてしまっていました。そこで、『ここには車はそんなに要らないのでは?』と、写真の右側のように広場化する社会実験が始まりました。そうして何段階か社会実験が行われ、現在は常設的な広場となっています。
ちなみに、40年前には、この通りを緑道にしようという計画があったそうです。しかし、その計画が実行されることはなかった。つまり、計画を描いて整備しようとしても実現しなかったことが、小さい実験を重ねることで実現したというわけです。『80%の計画は実行されない』という名言もありますが、やはりプランを作るだけではダメで、小さなアクションと戦術が大事なのではないでしょうか」(泉山さん)
続いて紹介したのが、サンフランシスコで行われた、路上駐車スペースを小さな公園に変えるプロジェクト「Park(ing)Day」です。
「2005年、当時カリフォルニア大学にあったREBAR Groupというアート団体の三人が、路上駐車場の車1台分を公園に変えていこうという取り組みを始めました。車社会で路上駐車場がたくさんあるアメリカでは、道路が車のためであるように感じるが、本来は人のためのものではないか──そうした問題意識から、車一台分の場所を、人のための場所へと物理的に変えようとしたわけです。法律などを調べると、当時のカリフォルニアでは、コインパーキングでお金を払って、駐車せずに人が使うことは問題がないとわかったといいます。そうして初めは天然芝で緑をどんどん敷き詰めて公園のような場所を作り、『9時から5時までパーキング(公園)で』という自動車標識に似せた看板を立てた。
すると、友達づてで大きな反響が生まれ、ポートランドやニューヨークといった他の街でも『わたしもやりたい』といった声が出てきました。そこで、『自分たちの街は自分で変えるべきだ』と、Park(ing)Dayのやり方をマニュアル化して、PDFでオープンソースで公開し、誰でも使えるようにガイドを始めた。そうしてアメリカ、さらには世界中でPark(ing)Dayが展開されるようになりました。
日本でも、僕が代表を務めている一般社団法人ソトノバで、2017年からPark(ing)Day JAPANを開催しています。たとえば2019年には、渋谷の宮益坂で、仮設歩道に少し車道を設けるという交通実験をしていた場所を紹介していただいて開催したり、2021年には神田で歩行者天国にせずに入念な交通対策をしたうえで開催したり、最近ではガイドや展示なども開催したりしています」(泉山さん)
そしてこのPark(ing)Dayのムーブメントは、「Parklet(パークレット)」というかたちで常設化に結実してきているといいます。まさに長期的変化につながるタクティカル・アーバニズムそのものです。
「サンフランシスコ市役所はPark(ing)Dayを毎年見ていたのですが、結局、一日限りのイベントだけだと根本的には都市は変わらないということで、2010年のBETTER STREETS PLANという計画のときから常設化の検討を始めました。車道の路上駐車場の部分に、ウッドデッキを敷いたり、椅子やテーブルを置いたりして公園にしていく。こうした場所が2012年から2017年までの間だけでも57個つくられました。またParkletが生まれた背景には、路上駐車場という場所の一部分である縁石沿い(=CURB)を、道路空間として活用するという発想もあります。
Parkletはコロナ禍においてもいっそう拡大していきました。国によっては飲食店がそもそも営業ができない状態になっていたり、店舗内で客席を出せなくなっていたりしたことで、屋外空間の価値が上がった。また通勤が減ったこともあり、路上駐車も減った。そうして、その場所をParkletにしようという動きが、サンフランシスコのみならず全世界で展開していきました。またコロナ前だとParkletができるまでに9ヶ月かかりましたが、飲食店を支援する意味合いで、3日でできる仕組みにするために細かい安全基準などのレギュレーションを明確に定めました。そうして許可がスムーズでスピーディーになったこともあり、サンフランシスコのPatkletは2925件まで増えました。最近ではメルボルンやシドニーなどでも、Parkletがどんどん増えてきています」(泉山さん)
そして最後に泉山さんが紹介した事例が、メルボルンのグリーンパブリックスペースです。
「これは名前がついているわけではなく、僕が勝手にグリーンパブリックスペースと呼んでいるだけなのですが、メルボルン市でもともとあった路地裏にオープンカフェやアートを展開していこうという動きに加えて、コロナ後には緑をどんどん増やしていこうという動きが出てきました。街路樹を植えることが難しい路地に、壁面緑化や店先のプランターを意識的に線で増やしていこうというプロジェクトが動いています。
背景にはメルボルン市のカウンシルプランという行政計画の六個の政策の中に、気候と生物多様性の緊急事態という政策が位置付けられていることもあります。パリ協定などさまざまな流れの中で、ストリートの政策も変わってきている感覚がありますね」(泉山さん)
こうした事例紹介を踏まえて、タクティカル・アーバニズムの2020以降の論点を改めてまとめるかたちで、泉山さんはプレゼンテーションを締めくくりました。
「一つはパンデミック対応です。屋外空間の再価値化とも言えますが、車中心から人中心へと移り変わっていった。日本におけるウォーカブルシティともつながる話だと思いますが、こうした中でParkletの展開なども進んでいきました。
それから今日はあまりお話しできなかったのですが、都市開発の変化。円安や物価高、人件費の高騰もあり、いきなり建てるのではなく、実験をしながら建てるような動きが出てきています。銀座のSony Parkはその一例ですが、そうした都市開発における“空き時間”の活用としての、タクティカル・ディベロップメントとでも言える論点が出てきていると思います。
さらに環境意識の向上も大きな論点です。パリ協定やCOP21なども経て、先程ご紹介したグリーンパブリックスペースのような動きが出てきています」(泉山さん)
[了]
この記事は小池真幸が構成・編集をつとめ、2024年11月7日に公開しました。Photos by 蜷川新。