デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『”kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』。
90年代に人気を博した「勇者シリーズ」。タカラ社が手がけた同シリーズの玩具商品群は、それ以前まで展開してきた「トランスフォーマー」シリーズの精神をどう受け継いだのでしょうか。
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端的に言うとね。
『トランスフォーマーV』では、ジャン少年という「子供」にとって、スターセイバーという人格を持ったロボットが目指すべき「大人」である、という父子の関係が確立されたことを示した。言い換えれば、これは「未成熟な主体」が「魂を持った乗り物」にアクセスすることによって成熟を試みていく構造の確立でもある。
この『トランスフォーマーV』に続いて制作されたのが、「勇者シリーズ」だ。「勇者シリーズ」という名称は、1990年に放送された『勇者エクスカイザー』から続く8年間に発表された8作品のおもちゃ/TVアニメシリーズのことを指す。タカラトミーが東映動画と日本テレビに代えてサンライズと名古屋テレビと組んだこの企画は、2020年代である現代においてなお関連商品が展開される大人気シリーズとなった。
本稿では、勇者シリーズは、『トランスフォーマーV』が確立した人間の「子供」とロボットの「大人」という関係を拡張しながら、そこにさまざまなバリエーションを与えていったシリーズだと考える。その視点、つまり主人公となる「少年」とメインとなる「ロボット」の関係性と主体、そして彼らと対立する「敵」がどのように設定されたのか、さらにロボットが行う「グレート合体」がどのような要素を持っていたのかを整理していくことで、こうした構図が描き出す成熟のイメージがどのようなものであったのかを見ていきたい。
「谷田部勇者」「高松勇者」「末期勇者」
勇者シリーズは、アニメーションの制作時期と担当スタッフに注目しておおまかに3つに分類される。谷田部勝義が監督を担当した『勇者エクスカイザー』(1990年)、『太陽の勇者ファイバード』(1991年)、『伝説の勇者ダ・ガーン』(1992年)の3作。高松信司が監督を担当した『勇者特急マイトガイン』(1993年)、『勇者警察ジェイデッカー』(1994年)、『黄金勇者ゴルドラン』(1995年)の3作。そして望月智充に監督を交代した『勇者指令ダグオン』(1996年)と、米たにヨシトモが手掛けた最終作『勇者王ガオガイガー』(1997年)の2作である。ここではそれぞれの区間を「谷田部勇者」「高松勇者」「末期勇者」と呼ぶことにしたい。
ただし、本稿はあくまでおもちゃのデザインと、そこに宿された成熟のイメージについて扱う連載である。監督名による分類は一般的にファンのあいだで流通するものを踏襲した便宜的なもので、作家論に踏み込むことは本意ではない。たとえば谷田部勝義がサンライズロボットアニメを手掛けていく中で富野由悠季や高橋良輔から受け継いだ要素、高松信司による『新機動戦記ガンダムW』と『勇者特急マイトガイン』に共通する美学や『機動新世紀ガンダムX』で発露されたようなメタフィクショナルな要素が勇者シリーズにも見られること、そもそも谷田部と高松は共同作業で物語を作っていたこと、あるいは望月智充の『海がきこえる』と『勇者指令ダグオン』に共通する青春への眼差し、そして米たにヨシトモの『勇者王ガオガイガー』と裏表の関係にある『ベターマン』、大張正己の美学とシリーズに対する貢献――などについては掘り下げない。だとしても、アニメーションによって表現されるイメージと手を組むことを前提にしたおもちゃの想像力が、このまとまりでゆるやかに変化したと見ることにも一定の妥当性はあるだろう。
エクスカイザーにおけるクルマと少年
それでは第一作目となる『勇者エクスカイザー』から見ていこう。本作はこれから続く勇者シリーズの端緒として、基礎フォーマットを確立した重要な作品である。アニメーションにおける設定とおもちゃの仕様・商品構成を照らし合わせることで、勇者シリーズがどのような構造を基礎に置いたのかを確認していきたい。
まずは物語の側から見ていこう。『エクスカイザー』の基本的なキャラクター配置は『トランスフォーマーV』とおおむね同じであるが、トランスフォーマーというブランドに積み重なる重層的な文脈を背負った『トランスフォーマーV』に対して、よりシンプルになるよう整理されている印象を受ける。
物語の中心となる〈ロボット〉エクスカイザーは、「宇宙警察カイザーズ」のリーダーであり、仲間と共に地球にやってくる。目的は宝を求めて地球にやってきた〈敵〉「宇宙海賊ガイスター」を逮捕することだ。エクスカイザーは偶然自らの正体を知ってしまった〈少年〉――小学4年生の星川コウタの家にあるスポーツカーに融合し、地球の知識や常識を学びながら、ガイスターと戦っていくことになる。
エクスカイザーをはじめとした宇宙警察カイザーズ、そして宇宙海賊ガイスターは、ともに宇宙のエネルギー生命体と設定されている。ゆえに地球ではさまざまなものに融合して活動することになり、カイザーズは主に乗り物に(エクスカイザーはコウタのスポーツカーと融合)、ガイスターは恐竜の実物大模型に融合する。ディティールは若干異なるものの、これは宇宙の機械生命体が地球の乗り物をスキャンすることで潜伏するトランスフォーマーと相似の設定である。
しかしながら『トランスフォーマーV』と比べると、主人公である少年との関係性はやや変化している。スターセイバーは象徴的にも実際的にもジャン少年の「父」であったが、エクスカイザーとコウタ少年の関係は少々入り組んで見える。
エクスカイザーはコウタ少年の家が所有するスポーツカーに宿っており、車に乗り込んだコウタ少年と会話する。この連載でも何度も扱ってきたように、自動車とは男性的な成熟のイメージだ。しかしポイントは、エクスカイザーが完璧な「父」ではない、ということだ。確かにエクスカイザーは宇宙警察に属する警察官であり、コウタ少年にとっての理想の成熟のイメージを色濃く反映する。しかしエクスカイザーは、地球についてはなにも知らず、人目に触れず自然に活動していくために、むしろコウタ少年が地球の文化を指導していくことになる。
少年が少年のまま成熟するために
さて、それではこうした設定と手を組んで発売されたおもちゃの構成は、どのようになっているだろうか。
中核商品となる『DX 巨大合体 キングエクスカイザー』は、スポーツカーから変形する小ロボット「エクスカイザー」が、巨大なトレーラー「キングローダー」の内部に格納されるかたちで大型化、大ロボット「キングエクスカイザー」を完成させる。
キングローダーにはキングエクスカイザー時の頭部が造形されているのだが、ヘルメットのなかに顔が収納されており、エクスカイザーを合体させることによってはじめてこの顔が展開される。これは直接的にはスターセイバーのブレインマスターギミックを継承したものであるが、ブレインマスターという小さなフィギュア自体はオミットされていることに注目したい。もちろん価格など仕様上の制約という側面もあるが、物語的には「コウタと活動する形態が自動車なので、人型である必要がない」と説明してよいだろう。これは次作品である『太陽の勇者ファイバード』を参照すればより明確になるが、その点については後述する。
勇者シリーズのもっとも重要な発明はこの点にあると本稿では考える。物語において描かれる「少年」と「ロボット」の関係は、「ユーザー」と「おもちゃ」の関係にそのまま反映することができる。そして勇者シリーズは、このふたつを極めて強く結びつけることに成功した。
どういうことだろうか。たとえばトランスフォーマーにおいては、ふたつの陣営が戦争状態にあり、基本的に人類=ユーザーは現地の協力者という体であった。おもちゃはサイバトロンとデストロンのおもちゃを戦わせる、あるいは片側だけの陣営を集めるという形で遊ばれることが想定されている。ユーザーは基本的にはおもちゃ同士の戦争の傍観者であるが、どちらに肩入れするかを決めることができる、という主体のありようがここに反映される。あるいはコンボイやメガトロン、他のトランスフォーマーといった個人に自分を託し、ロールプレイ的に遊ぶこともできるだろう。本稿ではジャン少年がスターセイバーを父として憧れる構図を評価したが、しかし逆に言えば、その構造がトランスフォーマーという想像力のこの時点での限界であったということもできる。トランスフォーマーとは人間と同じ主体を持つ存在であり、そこに関わるには間接的な協力者となるか、ロールプレイ的に移入する――別の存在になりかわることで成熟を目指すしかなかったのだ。
しかし勇者シリーズは違う。コウタ少年はエクスカイザーとカイザーズに知恵を授け、地球での活動を補完する存在として描かれる。単なる傍観者ではなく、コミュニケーションを取り、共に作戦を展開する仲間として組み入れられている。エクスカイザーがガイスターと戦うのを見守ることは役割分担であって、コウタ少年という主体とエクスカイザーという主体はあくまで相互補完的に位置づけにある。
そしておもちゃで遊ぶことを考えたとき、これは大きな意味を持つ。少年=ユーザーという主体は、原理的にロボット=おもちゃの世界に直接入っていくことはできない。しかし勇者シリーズはこうした構造を取り入れることによって、傍観でも移入でもなく、少年が少年のままロボットの世界に参加することを可能にした。
本稿は「魂を持った乗り物」という概念を通じて、人間と機械が相互補完することで成熟していくイメージを描き出してきた。変身サイボーグがライダーとバイクの関係を変えた70年代には、変身サイボーグはユーザーが移入可能な、しかし別の主体であった。これが90年代の勇者シリーズに至って、「魂を持った乗り物」が完全な主体を持った個人として分離しただけでなく、ユーザーがその主体を保ったまま対等な存在として成熟することを可能にした。
おそらくこの構図は、視聴者の分身たる〈少年〉に物語上明確な役割を与え、成熟への欲望をくすぐりつつエクスカイザーという〈ロボット〉に親近感を抱かせるべく設定された作劇上のギミックであっただろう。しかし結果として、ここで描き出された理想の成熟のイメージが8作品にわたる長いシリーズを可能にしたと考えたい。
騎士でありながら警察であるということ
補完として、エクスカイザーのモチーフについても考察しておきたい。全体的なモチーフとして選択されているのは西洋の騎士であり、これはエクスカリバーを引用したそもそもの名前や、胸部に施された獅子の紋章から明らかだろう。キングローダーのトレーラーというモチーフにはコンボイを思い起こすことも可能であるが、実際のデザインがかなりSF的で現実のトレーラーと異なる構造になっていること、常に異次元から召喚される事実上の合体パーツであることなどを鑑みると、トレーラーとアメリカン・マスキュリニティとの関係はそこまで強いものとは言えない。
宇宙警察という設定と西洋の騎士というモチーフは、一見繋がっていないように見える。単純に考えれば(たとえば後続の『勇者警察ジェイデッカー』のように)パトカーをモチーフにするか、あるいは警察ではなく騎士団とすればよいように思われる。もちろんトリコロールの剣の使い手というイメージはスターセイバーの好評を引き継いだものだろうが、それだけでは獅子など動物を象った紋章を思わせるレリーフというモチーフは説明できない。
しかし本稿がG.I.ジョーというアメリカの兵士を象ったフィギュアから議論をはじめたことを思い起こしてほしい。G.I.ジョーとアメリカの兵士の美学には西洋の騎士道精神が結びついており、そしてG.I.ジョーのローカライズであった変身サイボーグがトランスフォーマーへと繋がり、そして勇者シリーズに流れ込むという系譜を描く。そして日本において兵士というモチーフが敗戦の記憶から忌避されがちであることもまたすでに指摘した通りである。
こうした「公共の安全を守るべく共同体に貢献する戦士」というイメージは、日本のおもちゃ世界においては警察官や消防士が担うことになった。アメリカやヨーロッパにおいては身近で自分たちに向く可能性のある暴力装置として複雑な感情を抱かれている警察組織は、日本では市民の生活を守る純粋な善として受け止められる傾向にある。
これらのことを鑑みれば、トランスフォーマーが軍隊的な異なる勢力との衝突を中心に描いていたことに対して、勇者シリーズは市民の生活を守る警察的な活動に重きが置かれていることにも納得できるだろう。この先各論を見ていけばわかることだが、このイメージはシリーズを通じてほとんど変わらない。おもちゃとしても、トランスフォーマーが正義・悪両側の陣営を常にラインナップしてきたのに対して、勇者シリーズは悪側のラインナップが極端に限定されているのも、こうしたイメージの違いと結びついている。
そう考えれば、エクスカイザーという存在が、敵と戦うために「巨大合体」しなくてはならないという点も興味深く受け止められる。トランスフォーマーは合体というモチーフを通じて、デバスターのような主体の複合を経て、フォートレスマキシマスのようにより大きな主体に自らを託すイメージを発展させてきた。市民の生活を守りたいという個人の想いを実現するために、組織というより大きな主体に自らを託していくイメージをここに見ることもできるだろう。
宇宙の彼方からやってきた騎士が、自動車に扮して、警察として振る舞う――そのような構図を勇者シリーズが基礎に置いたことはポイントになるだろう。前述の議論に照らし合わせて、少年=市民=内部=ユーザーと、ロボット=暴力装置=外部=おもちゃが相補的な関係を築いていると整理すれば、警察というモチーフが選択されたことも理解しやすいだろう。
獅子と龍、西洋と東洋
キングエクスカイザーに対する「2号ロボ」となるのが「ドラゴンカイザー」である。ドラゴンカイザーは、キングローダーが破壊されたことによって劇中に登場する、言うなればスペアボディとしての性格を持つ。独立して活動可能な描写もあるものの、ドラゴンカイザーそのものの主体は曖昧である。エクスカイザーが戦闘機ドラゴンジェットと合体してドラゴンカイザーを形成した際は、エクスカイザーの主体をそのまま引き継ぐ。玩具としても、エクスカイザーが付属しない関係上「巨大変形」と銘打たれ、ある程度独立した構成にはなっているが、明確にエクスカイザーを格納して遊ぶことが想定されている。グレート合体である「グレートエクスカイザー」においても、キングエクスカイザーがドラゴンジェットのパーツを纏うようなかたちで合体し、特にドラゴンカイザー特有の主体については触れられない。
しかしモチーフに注目してみると、興味深いことが見えてくる。エクスカイザーとドラゴンカイザーは、すべてのモチーフが対照に作られている。メインカラーの赤:青、主武装の剣:弓、マシンのトレーラー:ジェット。特に注目したいのが、エクスカイザーが獅子を胸に掲げているのに対して、ドラゴンカイザーは龍をモチーフにしていることだ。エクスカイザーが騎士であることを考えれば西洋的なドラゴンと見たくなるところだが、ドラゴンカイザーは徒手空拳の格闘戦を得意としており、いわゆる怪鳥音も繰り出す東洋的なイメージが与えられている。すなわち獅子:龍の対照は、西洋:東洋の対比でもあるわけだ。
キングエクスカイザーとドラゴンカイザーの合体は、当初から予定されていたものではないとも言われている。仮にそれが結果としてそこに宿ったものだとしても、グレートエクスカイザーと正反対のものを組み合わせることで完全なものを作る、というイメージがグレートエクスカイザーにはある。勇者シリーズ最初の作品のグレート合体に西洋と東洋が一体となることこそが完成なのだというロボットが位置していることは、アメリカ的な身体を日本的な身体に書き換えた変身サイボーグを起点とし、その系譜として勇者シリーズを見ようとする本稿の立場からは、感慨深いものであることは述べておきたい。
(続く)
この記事は、PLANETSのメルマガで2023年2月7日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。
あらためて、2023年9月14日に公開しました。(バナー画像:「DX超巨大合体キングエクスカイザー」パッケージ。(出典))